完璧な片想い
カイル・キルティは片想いをしている。
相手は五歳年下の子爵家の娘シンシア・ケルター。
始まりは一年前の春である。文通という清く正しいお付き合いから始めて、心は近づいていると感じていたのに、たった一度の行き違いで距離を置かれた。
彼女のためを考えてしたことだから、すぐに許してもらえると思ったのに、いつまでたっても『お友達』だ。いや、友人にもなれていない気がする。
カイルにとって、今一番深刻な悩みである。
侯爵家の一人息子で、端整な容姿に恵まれたカイルは、近づいてくる女性をあしらう方法しか知らず、誰かを振り向かせようと努力したことがない。
シンシアが普通の令嬢たちとは違うのも、上手くいかない理由のひとつだとカイルは思っている。
アディード王国では女性が働くことも、高等教育をうけることも好まれない。それが常識だから、王立学院も、国が認定する資格試験も、性別の規制はしていなかった。いつの頃からか、それを逆手に取り女性がそこに名を連ねるようになった。
シンシア・ケルターもその一人である。困窮しているケルター子爵領を立て直すために、少女のころから頑張って来た彼女にとって、一番大事なのは領地管理者である兄を手伝うことだ。王都にいるより、領地にいることが多い。
つまりカイルは、会う機会が少ない。
手紙を書いても、以前のように親しみを感じる返事はこない。社交辞令ばかりだ。
たった一度、彼女の意に沿わないことをしてしまったというだけで、あんまりだ。彼女の利益を守ってあげるためのことだったのに。
それだけでもかなり凹んでいたのに、さらに面倒臭い事が起り始めた。
今まではどこの社交場でも若い令嬢たちといることが多かった。それなのに最近は、既婚のご婦人にばかり囲まれる。シンシア一人を追っている今では、ご令嬢避けとなって有り難いが、問題もある。
話題だ。
最初は甥が騎士になりたいと言っているとか、城下の孤児院に行ったとかいう誰でも言いそうなことから始まる。それが騎士団の配置の在りようとか、王都都市計画とかに変わって行く。
しかもかなり専門的だ。うっかりすると黙り込む結果になる。
避けようとしても同じようなご婦人が、次から次へとどこからともなく現れて、相手をしなければならない状況に追い込まれてしまう。
本気で社交場恐怖症になりかけた時だった。
その場に、シンシアと彼女の友人アルティア・カースが同席する機会があった。
間近にシンシアがいる。いいところを見せるいい機会だ。カイルは内心で気合いを入れた。
が。
シンシアが、彼女たちと対等に意見を交わしたのには驚かない。彼女は王立学院卒の秀才だ。
カイルを向かい風に立たせたのは、アルティア・カースの方だ。
カース家は、女性が学ぶことも働くことも必要がないと考えている。アルティアもその方針に従って育てられたはずなのに、シンシアと同じように議論に加わっていた。
アルティア・カースは、ただ幼馴染みだから、シンシアと友人として続いているのではなかった。
学校へ行ったかどうかなど関係ない。ふたりは同じように博識なのだ。
知りたいと思う強い気持ちを行動に移せるならば、困難も乗り越えられる。そんなことができる人はそう多くはない。それくらいのことはカイルにも分かる。
二人はそういういみでは、互いに励まし合う最高の友人同士なのだろう。
カイルが、専門知識が必要とされる話題を持ち出すご婦人たちと、真剣に向き合おうと思ったのはそれからだ。
シンシアと友人以上になるためには、アルティア・カースに負けるわけにはいかない。
カイルは、方向性がずれているとは全く思わず突き進み、最近はご婦人方を満足させられるくらいの議論ができるようになった。国の重鎮といわれる人達に紹介してもらえるというご褒美が付いてくるようにもなった。
カイルが一番に目指している方向とは少し違うが、ちょっとした達成感を得ていた春一月の初め。
いいことがあった。夜会でシンシアと二人で話せる機会をつかんだのだ。
「シンシア、あの話を聞いた?」
カイルは最新の情報を話題に上げた。
「あの話?」
見上げてくるシンシアは可愛い。地味だという者もいるが、片想い中のカイルは、そのまま気づかずにいるがいいと思う。
「殿下が国境を越えていないらしい。」
シンシアが目を見開いた。
今、国外にいる『殿下』は一人だ。第一王子カディール。
現在留学中の王子の一行には、シンシアの親友であるセアラ・ディパンドの兄がいる。
シンシアには悪いが、カイルはセアラが好きではない。いつもカイルが気づかなかったことを、あれこれと指摘されることに腹が立つのだ。
セアラと仲良く出来ないのは、すでにシンシアも知っている。
カイルがセアラと張り合ってしまうのを、シンシアが面白がっているらしいことも、実は気づいている。でもシンシアに嫌われていないなら問題ない。
「何か良くないことが起っているのですか?」
心配そうに聞かれて、カイルは慌てて否定した。
「国境近くまで戻ってきているそうだし、リザルは王妃さまの母国だしね、大丈夫だよ。」
ただ、とカイルは続ける。出来る限り冷静に伝えようと努力する。
「学友方は、責任を取らなければならないだろうね。」
学友というのは正式な地位ではない。しかし学友であることは、将来は有利に働く。
「セアラの兄がそのひとりだろう。学友から外されるだろうね。セアラも大きい顔が出来なくなるな。」
シンシアが少し呆れたような顔になった。
少しセアラに意地悪すぎる発言だっただろうか。思えば話題は他にもあったのに、と今更ながらにカイルは自分の迂闊さを悔いる。
「カイル様。内宮で王家に仕えるのは、『ひとつの家からひとり』がしきたりでしょう。セアラのお兄さまが外れるのなら、セアラが、本格的に勧誘されるのではないですか。」
シンシアの意見に、カイルはしばし固まった。
王城の中でも、王家の方々が住む所を『内宮』と呼ぶ。
内宮で王族のお世話のするのは『ひとつの家からひとり』というしきたりは、貴族間の力関係を傾かせないためにある。それがうまく機能しているかどうかは別として、あるということが大事なのだ。
セアラの兄ゼフィル・ディパンドは、生真面目な性格から、将来は内宮で第一王子の近侍を務めた後、侍従長になるだろうというのが大方の見方だった。
妹のセアラは兄と違い、お世辞にも愛想がいいとは言えないが、つい最近まで内宮で『行儀見習い侍女』をしていた。
『行儀見習い侍女』に関しては、『ひとつの家からひとり』というしきたりに当てはめない。
未婚の貴族女性には、礼儀を学ぶため自分より上位の貴族の家に滞在し、『行儀見習いの侍女』となる習慣がある。当然、高位貴族ほど行き先が少ない。そのため姉妹で内宮に『行儀見習い侍女』に入ることも珍しくはないのだ。
礼儀を学ぶといっても、昔と違い今では他家に頼ったりしない。だから未婚の令嬢たちが滞在先ですることは、その家の奥方の話相手ぐらいだ。しっかりと人脈をつくる令嬢もいる一方で、三日ほどで終わらせてしまう令嬢もいる
そんな形骸化した慣習が残っているのは、貴族女性全員が『侍女』経験を持つ事で、内宮の侍女たちが、『働いている』ことで他者から侮られないためだ。
王家に仕える内宮の侍女は、伯爵位以上の女性と決められている。アディードでは、これだけが明文化された『女性の仕事』だ。
ディパンド伯爵家の娘セアラは、三ヶ月で辞めるはずだったそれを、請われて二年勤めた。
誰が見ても内宮の方々からの信頼が厚い。
シンシアの言う通り、兄が王子の学友でなくなれば、セアラが侍女として出仕する可能性は高い。
今までより悪いじゃないかと思いながら、カイルは顔に出さないように努力した。
「学友の方々に、お咎めがなければいいね。」
手のひらを返したような言葉に、シンシアは何も言わなかった。
好感度はどれくらい下がっただろう。
カイルが内心冷や汗をかいていると、議論好きのご婦人に声を掛けられた。思わず背を伸ばして身構える。
相手のご婦人が、その反応を可愛いと思っている事をカイルは知らない。
もしカイルがセアラを避けていなければ、その姿を哀れと思っている彼女が、いつも通り問題点を指摘し、事情を教えてくれただろう。
王弟妃が、シンシアにふさわしい殿方にしましょうと、遊び半分で友人のご婦人方をカイルに差し向けていること。シンシアがそれを知って、カイル様が良い方と巡り合えればいいですねと完全に他人事のように言っていること。
現在、未婚のご令嬢たちの注目度が高い、容姿端麗な侯爵家の後継者カイル・キルティは、完璧な片想い中なのである。