恋を叫ぶって・・・
春一月九日。
リングード子爵家長男レイオンは、三日前に二十歳になった。他人からは冷静沈着で無口だと評されている。
本人にその自覚はない。言うべきことは言うし、口にすべきでないと思うことは、我慢して押さえる。それが当たり前のことだと思っている。
けれど今、その我慢が決壊しそうになっていた。
原因は、目の前にいるのはアディード王国第一王子カディール。
レイオンは今、この王子の学友としてリザル王国に留学中だ。
同じく学友として同行していたディパンド伯爵長男ゼフィルが、顔を強張らせて聞き返す。
「殿下、本当に、お手紙を送られたのですか?」
カディール王子は毅然とした表情を作っている。
「そうだよ。自分自身に嘘はつけない。心のままに生きることが、許されないことだとしても、諦めたくない。愛する人に、愛していると伝える権利が欲しい。」
意味不明である。
わかっているのは、婚約者がいる身で、他の女性を好きになったということだ。
第一王子カディールの婚約者は、美しく聡明だと誉れ高い公爵令嬢だ。留学に出る前、カディールが自分で決めた相手なのに、今さら何を言っているのか。
だがこれを嗜めない者もいる。学友の一人、カガント侯爵家次男アレドだ。
「殿下、お気持ちはよくわかります。何もせずに後悔を残しては、一生の傷となります。我々は殿下のお側で見守ります。」
我々って誰だよと、レイオンの中の我慢という名の壁にひびが入る。勝手に一緒にするなと憤りが止まらない。
ゼフィルもレイオンと同じことを考えたようだ。
「アレド、一緒にしないでくれ。私はずっと反対していただろう。レイオンだってそうだ。」
抗議をしてくれるが、押し出しの強い騎士のアレドに、大らかで優しい風貌のゼフィルは迫力負けしている。
彼らより二つ年下のレイオンは、もしこれが自分の実の兄ならば蹴り倒しているところだと、心の中で遠慮なくカディール王子を蹴り倒す。
カディール王子一行の留学期間は二年。
王太后さまの出身国である北方のメイダー王国と、王妃さまの出身国リザル王国にそれぞれ一年滞在した。
どちらも友好国だ。
けれど対応は随分と違った。
メイダー王国は、王家の王子たちと同じ体験をさせてくれた。厳しく己を律することを求められ、軍の雪原演習にも参加させてもらえた。
対してリザル王国は、最初から最後まで『お客様』扱いだった。華やかな社交の場への招待状が、毎日、降るように届いた。
レイオンの記憶では、カディールは決して遊び好きな王子ではなかった。
けれどメイダーで学業を優先して真面目に過ごした反動か、リザルで夜な夜な遊び歩き始めるのに時間はかからなかった。
レイオンとゼフィルは王子を何度も窘めた。しかし三人の学友の中で一番身分の高いアレドが、王子と同調して遊びまわるので効果がない。
学友三人は、力関係がはっきりとしていない。
レイオンの家は、爵位は一番低いが、代々王都の都市計画に携わり、王都見廻りの騎士団や庶民の顔役たちとも繋がりが多い、一目おかれる家だ。
ゼフィルは、伯爵家だか、はっきり言って目立った功績は過去にしかない。ただ少し前に彼の妹が書いた歴史の論文が、何故か王都の庶民の間に広がり、その真っ当すぎる事実の解釈が、社交界に激震を起こした。自分の都合で曲解し、自慢することが出来なくなったからだ。しかしディパンド伯爵家に特筆すべきことがないのに変わりない。
そしてアレド。爵位から言えば彼の家が一番高い。歳も一番上だ。だが次男だ。
レイオンとゼフィルはそれぞれの家を継ぐと決まっている。
アレドだけが生家を離れ、自活の道を求めなければならない。すでに騎士となっているのだから、あとは自分の努力次第だ。実家の力でどこの騎士団にでも入ることが出来るだろう。
それでも、アレドが劣等感を感じているらしいことは薄々気がついていた。
ゼフィルも口には出さないが、時々レイオンに、困ったものだねという表情をみせていた。
そのうち、ただ困ったではすまないことが起り始めたが、互いの立場や家のことを慮り、誰も積極的に主導権を握らなかった。
それがこの結果を生んだのかもしれない。
王子が恋に落ちたと言いだしたのだ。
相手はリザル王国第三王女ローザ。
最初は、酒に酔った上での冗談だと思った。
けれどすぐに冗談ではないとわかった。
社交場では常にふたりでいたがり、カディール一行が住まいとしている屋敷に第三王女が訪ねてくるようになった。
噂になるのは早い。アディードにも届いてしまっているに違いない。焦る気持ちで落ち着かない日々が始まった。
レイオンとゼフィルは、王子を諌め続けたが、アレドはどうせリザルにいる間だけだからと王子に共感するようなことを言う。
彼が、カディール殿下の婚約者ヴィエラに横恋慕しているのをレイオンは知っていた。ゼフィルもそうだろう。けれどまさか、殿下が他の誰かに気持ちを移すよう唆すとは思わなかった。
アレドの態度に怒りを感じつつ、帰国の日を指折り数え、リザルの王都を出立できた時、レイオンは心の底から安堵した。
しかし事は、それで終わらなかったのだ。
明日は国境越えというその日、リザル側国境の町バンデルまで第三王女ローザが追いかけて来たのだ。
カディール王子はそれに心を奪われて、一行は足止めとなった。
アディード王国アコード領まで、馬車でゆっくり移動しても半日かからない。
アコード辺境伯の使いは毎日やって来る。アコード辺境伯の息子も説得に来た。
けれど王子の気持ちは変わらない。反対されて、逆に頑なになったようだ。
それを見ていると、簡単に反対の言葉をいうだけでは収まらないだろうと思える。レイオンは、ゼフィルと共に頭を抱えた。
そして四日目の今日、カディール王子は、なんと父であるアディード国王宛に親書を送ったというのだ。
「ローザと一生を共にしたい。」
男が頬を染めても腹が立つだけだ。
あり得ない状況である。
カディール第一王子は自分の立場を忘れたのか。
レイオンは、自分の心の中で一瞬のうちに膨らんだ何かが、大きな音を立てて破裂したのを感じた。
「そんなこと出来るわけがないでしょう!」
考えるより先に、大声を上げていた。
滅多に声を荒げないレイオンに、カディールはただ驚いているだけだ。
目を見開いてこちらを見ているのは、カディールだけではない。
すぐ近くにいたゼフィル、カディールの側にいるアレド、壁際の侍従、ドアの横の護衛騎士。全員の目が集まっている。
けれどレイオンが見ているのは、カディールだけだ。
「殿下。」
出て来た声が、いつも以上に低かったのは怒りのせいだ。
「陛下と貴族院との間で交わされた約束をお忘れですか。外国から迎えた王妃が二代続きました。次の王妃はアディードの貴族から迎えることは決まっています。だからカディール殿下は、ヴィエラ侯爵令嬢に求婚されたのでしょう? 結婚式の準備は始まっているのですよ。招待客も決まって、他国の王族の方にもご臨席いただけるかどうか、内々にお話が進んでいるはずです。アディードの信用を潰しておしまいなるつもりですか?」
「ローザを愛している。」
即座にそう返された。カディールが沈痛な面持ちを見せている。
「たとえ醜くとも、私はその愛のために足掻きたいのだ。運命がどれほど私たちの愛を阻もうが、私はあきらめない。」
一体どこの芝居の台詞だ。レイオンの言いたいことが全く伝わっていない。
もう一度言い聞かせようと大きく息を吸っている間に、ゼフィルが王子に話しかけた。
「殿下。エミル・アコードが焦っていたのが気になります。まずは国境を越え、場をアコード領に移しましょう。」
これも何度も提案されたことだ。提案される度に、声に切迫感が募っているのだが、王子には通用しない。
「エミルが焦っていたのは、アコードの落ち度にされる事を恐れてのことだろう。アディードに入ってしまえば、虜囚のごとく王都へ連れて行かれる。」
王子の頑なさは変わらない。
「まずは待てばいいではないか。」
アレドが、話に割って入った。のんびりと、レイオンとゼフィルに言う。
「手紙はもう出されてしまったんだ。王都からの返事はすぐに来るだろう。皆が焦るほど時間がないわけじゃない。」
笑顔さえ見せるアレドに、レイオンは彼が王子に手を貸したのだと確信する。
「終わった。」
ゼフィルがつぶやいた。
聞こえたのは近くにいたレイオンだけだった。