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届かない声もある

 春一月十九日。

 前アコード辺境伯夫人で、今は、アコード伯爵夫人と呼ばれるメリダにとって、今日も含めた三日間、思いもしなかった事の連続だった。

 三台の馬車と、それを守る騎士たちが出て行ってくれた早朝。

 メリダは、私室で覚悟を決めていた。

 きっとアコードに、中央からの何らかの沙汰が降りる。


 夫が息子に代を譲る時、一抹の不安があった。あの子は思い込みが激しい。

 その不安は夫に一笑に付された。頼りになる参謀や隊長たちがいるのだから大丈夫だと言った。

 夫は自分が辺境伯となった時の事を忘れている。随分、古参の者たちを煙たがって、新しい者たちを登用していた。

 思った通り、息子もそうした。

 しかし、メリダの心配の声は誰にも届かない。

 夫は大丈夫だというばかりだし、息子は耳触りのいいことしか言わない妻の肩を持つ。孫は、古くさい考えをするとメリダに近づかない。

 義父の代のアコード城砦を知っているメリダには、今はどことなくゆるみがあるように思えるのに、上手く言えないのが悔しかった。


 そして一昨日、急に王都から客が来た。

 息子の辺境伯と何やら争い事があったらしく、メリダの夫が、彼女とその一行を別邸に連れてきたのだ。

 セアラ・ディパンド伯爵令嬢。

 顔だけは知っていた。あの美貌は忘れようがない。息子に代を譲ってから、王都の社交界に顔を出すことが多くなった。そこで聞いた彼女の噂はあまり良いものではないが、どこか彼女を羨ましく感じている方々が居たのも確かだ。内宮で随分長い間、行儀見習い侍女をしているということでも衆目を集めていた。

 笑わない伯爵令嬢。

 あれだけ美しければ笑わない方が賢明だろう。微笑まれて勘違いする男たちを寄せ付けずに済む。

 そのセアラが、陛下の使者だと言う。何のために来たのかは聞かなくてもわかる。カディール殿下を帰国させるためだろう。

 けれど、それは難しい。

 アコードの者たちも毎日使者を送って説得している。孫のエミルも何度か直接殿下にお会いしたらしい。けれどお心は動かない。

 どれくらいこの屋敷に滞在されることになるか。

 家政婦長と慌ただしく、一行を迎え入れる準備をした。

 とにかく疲れているから休ませてほしいと言われた。話をきくと、驚いたことに王都からたった四日で来たらしい。

 息子は何度か訪ねて来たが、全く相手にされていない。

 いったい何をやってしまったのか。心配が胸を占めていく。

 メリダにできることは、滞在中、気持ちよく過ごしてもらうことだけだ。

 到着した翌日、クッションを三十個集めるようにと言って、出かけたディパンド嬢一行が、本当に殿下を連れ帰って来た時は、心の底から驚いた。

 殿下のご様子にもだ。

 大変なご心痛をお抱えのご様子だったが、ディパンド嬢は全く頓着していないようだった。

 息子の嫁が集めた三十個のクッションを見て、ディパンド嬢は大きなため息をついた。

 そして、笑みのない顔を嫁に向ける。美しい故に怖い。メリダは、自分に向けられなくてよかったと内心思った。

「アコード伯爵夫人、何に使うかをお伝えしましたが、お聞きになっていませんか? こんなに装飾がついていたら、体に当たる度に痛いでしょう。飾り房なんて、揺ら揺らしているのを見たら余計に酔うでしょう。」

 そうかもしれない。

 息子の嫁は、王家の方にふさわしいものを用意したと言い訳をしていたが、ディパンド嬢はごきげんようとだけ言って、その場を離れた。

 メリダは伯爵邸内にあるクッションを集めるように指示しなければいけなかった。華美な装飾を外す作業が必要になった。元々飾りのない物の方が手間はかからないはずだ。

 殿下は、息子の晩餐会への誘いも断り、部屋にこもってしまわれた。

 息子の嫁は、殿下がおいたわしいと嘆き、ディパンド嬢の事を、血も涙もない酷い女だと罵っていたが、メリダにはわかる。ディパンド嬢は、相当の覚悟をして行ったのだ。

 そして、その覚悟がアコードにはなかった。

 ディパンド嬢が最初に示した予定通り、早朝、殿下は、引きとめようとする息子の辺境伯を一顧だにせず馬車に乗った。

 夫がつぶやいた。

「爵位を譲るのが早すぎたか。」

 メリダは、だから言ったでしょうと言いたいのを飲み込んだ。

 そのかわり、心に決めた。

 今度、王都にいったらセアラ・ディパンドと話そう。

 彼女となら、まともな話ができそうな気がした。


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