表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/25

援軍

 春一月十八日。昼前。

 五年前に念願の近衛騎士になったフェナン・ソウザは、精神的な疲れから自虐的な気分を抱えたまま食堂の椅子に座りこんでいた。

 昨夜は夜番で、早朝に交替してから眠り、昼前に起きて、食事をしたばかりである。

 帰国したら配置替え願いをすると心に決めた。王都見廻りでも、自領警護役でもいい。東以外だったら国境でも厭わない。

 こちらが願うより先に、責任を負わされ近衛の任を解かれるだろうが、望むところだとさえ思ってしまう。

 フェナンは、カディール殿下留学に随行してきた騎士の中では最年少の二十七才だ。

 カディール殿下の留学中、護衛をする七人の騎士のひとりに選ばれた時は、誇らしく思った。他国の騎士たちと肩を並べて任務に当たることもあるだろう。アディードの名を辱めることない働きをしたいと考えていた。

 随行者は、学友三人、侍従二人、近衛騎士七人である。侍従と騎士はみんな学友たちより年上だ。

 カディール殿下には、少々浮世離れした所がある。しっかりお守りしなければと思っていた。

 メイダー王国で過ごした最初の一年はよかった。

 リザル王国に入ってから数ヶ月も問題なく過ごした。けれど、だんだん殿下の社交場巡りが増え始め、とうとうリザルの王女に恋をしたと言いだした。

 この頃から、近衛騎士の役目は、殿下をお守りすることから、見張ることに変わっていった。一人だった夜番を二人に増やした。勝手に夜中に抜け出され、既成事実など作らせるわけにはいかない。

 人員不足を補うため、本来は学友という立場であるゼフィル・ディパンドとレイオン・リングードもこの輪番に組み込まれた。危機的状況に、七人の騎士の隊長であるサザル・ラクレスが彼ら二人に協力を求めたのだ。

 十九才のレイオンはそれなりに剣を振るう。

 殿下と同い年で二十二才のゼフィルは、殿下と同じように優しげな風貌をしていて鍛えているようには見えないが、時には荒事に巻き込まれる『街道係』の家の嫡男である。騎士並みに腕が立つ。

 王城騎士でありながら学友として同行しているアレド・カガンドは、この輪番には組み込めない。

 彼がカディール殿下の恋に理解を示し、煽るようなことを言うからだ。何を考えているのか全くわからない。

 リザル王都の滞在期間が終わり、そこを離れた時、心の底から安堵した。

 殿下は『二人を引き裂く運命』とやらに嘆いていたが、聞き流しておけばいい。

 ところが、明日は国境越えという日の夕刻、国境の街バンデルまでローザ王女が追いかけて来たのだ。

 このローザ王女の蛮行を、カディール殿下は愛の証と取った。

 正直に言って、ローザ王女は、フェナンからみると大して魅力的ではない。

 確かに顔は可愛らしいし、胸は大きい。

 けれど殿下の婚約者である完璧淑女ヴィエラ・オルゼナに比べたら、我の強い子どもだ。

 留学随行者の最年長、四十一才で会計係を兼ねる侍従ロベル・ジグドはこう分析した。

「ローザ王女と出会われてすぐの頃、殿下が贈り物をしただろう。王女は手放しに喜ばれた。そのことに満足感を得られたのだろうね。ご婚約者のヴィエラ様は慎み深く、ねだるという事をされないし、大声をあげて抱きついて喜んだりもされない。ローザ王女のそういうところが、殿下には物珍しく、好ましく感じられたのだろう。今は、ご自分たちの味方が少ないことで頑なになっている。アレドが常に殿下の感情を肯定して煽っているから、ご自分の気持ち第一にしか考えられないのだろう。」

 もう自分たちに出来ることは、殿下に帰国してくれるよう説得することと、ローザ王女とふたりきりにさせない事だけだ。

 迷惑だ。本当に迷惑だ。

 そう思っているのは、自分たち随行者一行だけではない。

 このバンデルの街を含めた一帯を治めている領主、カルア子爵もそう思っているはずだ。

 バンデルはリザル王国にとって重要な国境の街ではある。けれど、領主が居を構え治めているのは違う街だ。カディール殿下の最後の逗留地だから、領主であるカルア子爵は、この街の領主館で殿下を迎えた。

 ところが前触れもなくローザ王女が来てしまったから、大騒ぎになったのは子爵家も同じだった。王女にはどんな間違いを起こされてもは困る。王子と王女を同じ館には滞在させられない。

 しかしカルア子爵の立場では、どちらの王族にも領主館から出ていけとは言えない。

 ゼフィルが、自分たちが他の屋敷に移ると言った時の、カルア子爵の安堵の顔は忘れられない。

 それでも、面倒な事態が続いていることに変わりない。

 王子も王女もこの街に居座り続けているからだ。リザル王家からも、ローザ王女に王都に帰るよう、毎日便りが来ているようだが効果はない。

 あの日、王女が到着したのが陽の落ちた後でなかったら、自分たちは領主館を出てすぐにアコードに行けた。夜の移動という危険を回避したばかりに、殿下と王女の恋愛劇が盛り上がることになってしまったのだ。

 まさか王子が、一番信頼していたはずのゼフィルの言葉まで、耳に入れなくなるとは思わなかった。

 こんなことが長く続くはずがない。フェナンはそう言い聞かせて今日まで来た。なのにすぐそこにあるはずの『終わり』が見えない。

 もう、アレドを叩きのめし、殿下を引きずってでも馬車に押し込め、国境を越えてしまいたい。

「フェナン。」

 上官には即座に反応する。呼ばれると同時に立ちあがり、背筋を伸ばした。

 ラクレス隊長が手招きしていた。黙ってついていくと食堂を出て、広間の奥まで連れてこられる。

「今日、援軍が来る。」

 向き直ったラクレスが最初に言ったのがこれだった。久しぶりにすっきりとした表情をしている。

「援軍?」

「そうだよ。セアラ・ディパンドが来る。」

 少し引いた。

 セアラ・ディパンドなら知っている。ゼフィルの妹だ。

 そして、カディール殿下に頭突きをしたという伝説の持ち主だ。幼い頃の話らしいが、今でも扇で殿下を叩く。そういうことが許されている数少ない人々の一人だ。

 美しいけど笑わない。辛辣な言葉を口にする。

 騎士たちの間で、アディード最強の女は誰かという話になると、必ず出てくる名前のひとつだ。

「あの、セアラ・ディパンドですか?」

「そうだよ。我々も、言われ放題で痛い思いをすることは間違いないが、今夜はアコードで眠れる。殿下とアレドに気づかれないよう、帰り支度をしておけ。」

 『終わり』が近付いてきた。不覚にも泣きそうな気分になる。

「帰り支度なんて、隊長、出来てるに決まってるでしょう。今すぐでも出られますよ。」

「よし。」

 ラクレスのがっしりとした右手が、フェナンの左肩を掴む。ラクレスがにやりと悪い笑顔を見せた。

 それを見ながらフェナンは思う。ここの近衛騎士はみんな、絶対前より性格が悪くなった。

「セアラがどんな手を使うつもりかはわからないが、来るのは昼下がりだ。昼食の後、レイオンが殿下を陣取りのボードゲームに誘い、殿下の部屋で引きとめる。アレドもついていくだろうが、もし行かなかったら、お前が剣の稽古に誘え。馬車がついたのがわかっても、出来る限り引きとめろ。」

「承知しました。」

 叩きのめしてやる。体長の指示は続く。

「もし、アレドが殿下と一緒に引きこもったら、この広間の準備を手伝え。ここが劇場だ。」

 ソファ、椅子、テーブル、ティーテーブル。他にも雑多なものが置かれている。

 フェナンは、大きく頷いた。


 レイオンが、殿下とアレドをうまくゲームに誘い込んだ。

 侍従の一人が殿下の部屋の見張りに立つ。

 屋敷の門扉には、騎士が一人、援軍の到着を待ち構えている。

 残りの全員で広間の調度を置き直した。埃の塊が舞ったが、見ない振りをする。

 侍従のジグドとゼフィルの意見で、この領主の別邸にリザル人の使用人を入れていない。食材を領主館から届けてもらい、料理は自分たちでした。身なりをきちんと整えるために、洗濯をきちんとするだけで精一杯で、掃除まではしていない。

 その生活もこれで終わる。

 家具を運ぶのにも力が入る。もちろん静かに、音を出さないよう慎重に動く。

 いつもはそう几帳面でもないゼフィルが、今日はやたらと椅子の位置にこだわった。

 そのゼフィルをなんとか満足させた時だった。

「静かに。」

 ラクレスが注意をする。

 全員が動きを止めた。

 馬車が近づく音が聞こえた。

「来たな。」

 ラクレスがいい、ジグドは似たような事を言って答えた。

「来ましたね。」

 ゼフィルが最初に玄関に向かった。その後を全員で追っていく。

 フェナンは気持ちが逸るのを抑えきれない。

 屋敷の扉を開くと、こちらに向かってくる馬車と、随行している馬上の二人が見えた。御者を含めた彼ら全員近衛騎士だ。知っている顔に、フェナンの心が引きしまる。本当に『援軍』だ。

 待つまでもなく、馬車が玄関前に横付けされた。

 誰も何も言わなかった。

 騎士たちは素早い動きで、馬車の扉の前に踏み台を置く。扉が開かれた。

 中から女性が次々降りてくる。

 それに少し面喰ってしまった。

 すぐにセアラが出てくると思っていたからだ。そういえば彼女は伯爵令嬢だった。侍女なしで出歩いたりしない。

 良く見ると、侍女だと思ったふたりが、内宮の護衛役侍女だということがわかった。名乗り合ったわけではないが、顔も名前も知っている。

 そして、彼女たちに続いて間をおかず、セアラ・ディパンドが現れた。

 誰もが振り返る美貌は健在だ。けれどフェナンには印象が変わった気がした。

 二年前はどこかいらついた刺々しさがあった。今はそれがない。落ち着き払って、きれいな身のこなしで馬車を降りて来た。これが内宮の侍女で鍛えられた成果かと、思ったのは間違いだった。

 走った! 美しいドレスのスカート部を少しつまんで、見た目には少し可愛い。けど、実質的にやっていることはご令嬢失格だ。

 護衛役侍女は少し速足程度でやってくる。常識人だ。そのあとを近衛騎士たちがついてきた。

「ゼフィルお兄さま、やつれたわね。」

 第一声がこれだった。

 変わったのは身のこなし方だけのようだ。毒舌は健在だ。走るようになっているから、前より酷い。ドレスを翻していいのは踊る時だけだろう。

 だが、さすが兄妹。ゼフィルは動じなかった。

「やつれもするよ。部屋は準備した。」

 挨拶なしで、一度も立ち止まることなく、全員で広間に移動だ。

「護衛の体制はどうなってるの? 全員を広間に集めても大丈夫?」

 妹の問いに、兄が答える。

「ここの領主、カルア子爵が協力的だ。敷地の外は彼が守りを固めてくれている。」

「無事に出て言って欲しいでしょうね。」

 広間に入ると、セアラは真っ直ぐ三人がけソファへ向かい、座った。

 青いドレスの裾を大きく広げ、斜に構えた姿は優雅で美しく、目を奪われる。

 ただし、彼女が手に持っている扇は凶器だ。フェナンにはどうしてもそれが気になる。

「ミリア、ジェイン、どう?」

 護衛役侍女の二人に呼びかけている。

「いい感じです。」

 ジェイン・オルファ子爵令嬢が笑顔で答えている。今日の護衛役侍女たちは、内宮で着ていたような地味なドレスではない。オルファ嬢は水色の、ミリア・マキアレー男爵夫人は濃い緑の美しいドレスを身にまとっている。

「椅子は人数分ある?」

 妹セアラの問いかけに、兄ゼフィルが答える。

「あるよ。けど、少し動かそう。」

 あれだけ気を使って並べた椅子を、ゼフィルが自分でまた動かしだした。慌ててフェナンも手伝いに入る。

「すまない、一緒に来るのはディパンド家の侍女だと思っていたんだ。あの装いの貴族のご婦人なら、セアラに近い方がいいだろう。」

 それから、全員の座り位置の確認が行われた。椅子は前に後ろにと、規則性なく置かれているようにみえる。けれど中心は、殿下と学友の三名、セアラとご婦人方だ。フェナンはドアに近い位置に座る。

 マキアレー男爵夫人が、持ち込んで来た文箱の中から文書を一枚取り出し、箱はティーテーブルに置いていた。

 ここまで最低限の会話しかしていない。けれど、すぐに殿下が姿をみせるだろう。

 セアラが全員に呼びかけた。

「みなさん。」

 全員の目が彼女に集まる。

「今日、必ずアディードに帰りましょう。」

 セアラの笑顔を初めて見た。

 やっぱりこの二年で彼女は変わったとフェナンは思った。良くも悪くも、だ。

 つい目を奪われていると、彼女に同行してきた騎士に声をかけられた。

「フェナン。」

 ナイール・ジグドだ。彼は、フェナンと同じ近衛第四隊に所属している。明るく賑やかな事が好きで、何でも面白がるところがある。

 今も、彼はにやりと笑って楽しそうに言う。

「驚いただろ。セアラ・ディパンドが笑ったところ、見た事あったか?」

 久しぶりの会話が、挨拶もなしにこれとはナイールらしい。

 フェナンの肩から力が抜けた。苦笑いで答えた。

「ないよ。笑えたんだな。」

 ナイールは、含み笑いをしたまま声をひそめる。

「あれはさ、ちょっとしたご褒美だと俺は思ってる。」

 フェナンの方は眉をひそめた。

「ご褒美?」

「そうだよ。きつい任務を遂行するためのさ。見た目だけなら、最高だろう。」

 もう一度、彼女を見た。今は目を閉じている。

「確かに、黙って座っていれば、あんなに美しい姫君はそういないな。」

 納得してると、ナイールが少し声を上げた。

「あ! あれ、寝てるんじゃないだろうな。」

「え?」

 ナイールの言葉に驚いて、フェナンは彼女を凝視してしまう。

 きちんとした姿勢だ。

「王都から四日で来たから、疲れてるんだよ。」

「四日?」

 少し声が大きくなってしまった。

 まわりの目を引いてしまう。

 ナイールがにっと笑った。

「きっと帰りも四日だよ。」

 聞こえていただろう誰もが沈黙した。

 確かに予定は大幅に遅れている。どこかで取り戻すとしたら、それは帰りの旅程しかない。

 そんな事を考えると、本当に帰れるんだという実感がわく。

 でもご婦人を連れて、四日で来たなんて信じられない。

 フェナンが問い返そうとした時だった。

 殿下見やり役の侍従が、部屋に知らせた。

「カディール殿下がおみえなります。」

 セアラを見ると、きっちり目を開けていた。

 青い目がきらめいていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ