護衛役侍女の使命感
ミリアは、マキアレー男爵家の次代の当主に嫁いだ二十六歳、一男一女の母だ。
結婚前から内宮の護衛役侍女として勤めていた。実家が武門の家だったのだ。磨いていた武術の腕が認められて、内宮に召し抱えられることになった。今年で八年目だ。
護衛役侍女は、帯刀も許されている。内宮の女性の方々をお守りするために、騎士たちでは目の届かない場所を受け持つのが役目だ。
武術を身につける女性は少ない。その上、内宮勤めの侍女だから、強ければいいわけではない。きちんとした礼儀作法も、忍耐も必要だ。だから護衛役侍女はいつも人手不足である。
そんなミリアが久しぶりの一ヶ月の長期休暇を取っていた。
カディール殿下が戻られて本格的に忙しくなる前に、護衛役侍女たちで順番に休暇を取っていたのだ。
前日、この日の夜にディパンド伯爵とその令嬢が呼ばれることに決まった日。
春一月十三日、その昼。
ミリアが長期休暇に入って十日目だった。
内宮から至急登城せよとの命があった。詳細は知らされなかったが、十日以上内宮詰めになると聞いて心の底からがっかりした。
休暇が削られてしまった。酷い。
可愛い盛りの子どもたちと、心ゆくまで過ごしたいと思っていたのに。
明日からは、家族で領地に行く予定だったのに。
「もう、護衛役侍女なんて辞める。」
夫のランスに愚痴を言いながら、登城準備をする。青みがかった灰色のドレスを身にまとう。飾りは少ないがスカート部はほどほどに膨らみを持たせてある。帯刀するからだ。ドレスの下に刃渡りの短い剣を隠し持っている。
護衛役侍女が剣を抜くとしたら、それは相当追いつめられている時だ。そして、室内であることが想定される。その場合、長剣より、投げられる武器の方が有利な場合もある。故に、身につけているのは剣一振りだけではない。
「辞めてくれるなら、私は君の心配をしなくて済むな。だけど。」
背中から抱きこまれた。
「王族方を守っている君を、私は誇りに思っているよ。君は近衛騎士だ。」
大きなため息をついて、ミリアはランスの胸に身を預ける。
「後二年で辞める。」
二年経てば勤続十年、辞めどきだ。
ランスが耳元で笑った。
「辞められるといいね。」
ミリアは彼の腕の中から抜け出ると、赤みがかった髪を振り払いながらランスに向き直って、腰に手を当てる。
「そこは、ちゃんと肯定してくれないと。」
ランスは笑顔のままだ。
「無事に帰っておいで。」
「子どもたちをお願いね。」
ミリアはお昼寝している子どもたちの顔をみてから、登城した。
護衛侍女の誰かが急病になって人員が回らなくなったのだろうか。それとも、上位貴族のお嬢さまの誰かが、突然結婚すると言いだして辞めたのか。
ミリアは、そんなふうに理由を考えながら内宮に向かった。
ミリアが守るのは女性の王族方だ。
第一王子のカディールが帰って来ないと言う噂は知っていたが、自分の仕事と関係があるとは全く思っていなかった。
内宮の通用口で受付係から行くように言われた会議室は、随分と奥まった場所にあった。
突然決まった会議の準備のために呼ばれたのだろうか、ミリアはそう思いつつ、指定された場所へ向かう。
今までもこういうことは何度かあった。
行ってみると、その会議室のドアの前に、同僚の子爵令嬢ジェイン・オルファがいた。
彼女も休暇中だったはずだ。
ミリアと同じような色のドレスを来て、黒髪をきっちりと結い上げた二十一才のジェインは、こちらに気づくと安堵した顔を見せた。
「ミリア。」
「ジェイン、あなたも呼ばれたの?」
「そう、ここに来てから、あなたも来ると聞かされて待っていたの。」
閉じられたドアを見ながらジェインが声をひそめた。
「中に、近衛騎士が三人いるのよ。私ひとりでは居心地悪過ぎて。」
「近衛が三人? 誰?」
「クラン・ベッツ、ナイール・シガル、それからハミル・エイゼン。」
ミリアは少し眉をひそめた。
眼の色は違うが、三人とも薄茶色の髪で、同じような背格好だ。歳も近い。クラン・ベッツは二十七歳で、ナイール・シガルは二十六歳だったはずだ。ハミル・エイゼンは三十を少し越えていたはずだが、童顔だからそう見えない。
ジェインが、少しドアから離れるのについて行く。彼女はさらに声をひそめた。
「あの三人って、カディール殿下の留学の護衛候補だった人達じゃない? 殿下のあの噂、聞いてるでしょう?」
殿下が帰って来ていないらしいことは、もちろん知ってる。
ジェインが、胸元で両手を重ね、肩を窄めて、言った。
「殿下を迎えにいくんじゃない?」
彼女につられて、つい肩に力が入っていたミリアは脱力した。
「それじゃあ、どうして私たちが呼ばれるのよ。」
「準備のため?」
ジェインが小首を傾げる。
「それは女官の仕事でしょう。」
「それは、そうだけど。」
納得いかない顔をしながら言っていたジェインが、すっと背を伸ばした。視線はミリアの後ろに向けられている。
ジェインの緊張した顔に、ミリアも一瞬で気持ちを切り替えた。背筋を伸ばして真顔で振り返る。
宰相と侍女長だった。
「中にお入りなさい。」
ミリアの母より年長の、侍女長の穏やかな声に安心する。
同じ部屋に閉じ込められるのが、近衛騎士たちと宰相だけでなくてよかった。
椅子を勧められ、全員が席に着く。
ミリアは、ジェインと近衛騎士たちと共に横並びに座らされた。会議机を挟んだ向こう側に、宰相と侍女長が落ち着く。
宰相が静かな面持ちでひと息に言った。
「あなた方には、カディール殿下のお迎えに行ってもらう。責任者はセアラ・ディパンド伯爵令嬢だ。」
思わず隣に座ったジェインと顔を見合わせた。
ジェインの勘が当たった。本当に殿下のお迎えのために呼ばれた。
ミリアとジェインは、セアラのために呼ばれたのだろう。
侍女長の言葉が推測を裏付けた。
「内密のお役目ですので、異例のことですが、護衛侍女のふたりも、ディパンド嬢の侍女として同行してください。」
「かしこまりました。」
ミリアもジェインもそう答えた。
そう答えるしかない。
でもどうしてセアラなのだろうと考えて、ミリアはふと思い出した。
セアラが、カディール殿下の肩を扇で打っていたのを見たことがある。カディール殿下はセアラの姿を見ただけで背筋を伸ばしたりする。
ミリアは苦笑いしそうになるのを抑える。あんなことが出来るのは、彼らが幼馴染みだからだ。カディール殿下は、セアラが苦手だった。そのくせ嫌ってはいないようだ。
「宰相閣下。」
緊張した声に注意を引かれて見る。
宰相に呼びかけたのは、三人の近衛のうち最年長ハミル・エイゼンだ。顔はよく見えなかったが、承服しかねるという気持ちが声に出ている。
「ディパンド嬢が責任者とはどういうことでしょうか。まさか我々が、ご令嬢に命令されると言うことですか?」
「そのまさかだ。」
宰相は特になんの表情も見せず、話を続ける。
「ディパント嬢は、この件に関して全権を与えられる。理不尽だと思っても従え。文句は帰って来てから聞いてやろう。」
そんな言われ方をしたら、異を唱えにくい。
ミリアは、最初から不機嫌な近衛騎士と一緒に仕事をすることに不安を覚える。同行する護衛役侍女がひとりではないことが、せめてもの救いだ。
宰相は、誰も何も言わないのを確認するように、ミリアたちお迎え役と決まった者たちの顔を一人一人見る。それから旅について聞かされた。
「出発は明日朝。すでに準備は出来ている。今夜、ディパンド嬢と引き合わせる。」
集合場所と時間を伝えられる。
その時、扉がノックされた。こちらが答える前に開かれた。
大将軍が、そこにいた。
ミリアは反射的に立ちあがる。
近衛騎士たちも、ジェインもだ。
大柄の大将軍は、笑顔でいても怖い。
「すまん。遅れた。皆、座れ。」
そう言って、大将軍も向かい側に座った。
見かけ怖い分、宰相より苦手な人だ。侍女の中には、男前だと喜ぶ者もいるが、武官にとっては畏怖の対象である。
「どこまで進んだ?」
大将軍の問いに宰相が答える。
「これから旅程の説明を始めるところだ。任せる。」
任せられた大将軍がこちらを見てくるが、ミリアは顔を上げているものの、目は合わさない。私の上司は侍女長ですからと、意味なく心の中で言い訳する。
「アコード城砦に寄り、国境を越えてバンデルまで、最短十日で往復してもらう。」
十日と聞いて、ミリアは思わず少し目を見開いた。馬車だと、アコードまで急いでも六日かかると聞いたことがある。十日では絶対足りない。
けれど大将軍は当たり前のように平然として言って来る。
「馬換えの回数を増やして、四日でアコードまで行け。ただし、今回の責任者はセアラだ。彼女がそう命じなければ、無理をする必要はない。旅程が十日を越えても構わない。」
セアラ次第ということかと、ミリアは、無愛想なせいで冷たく見える美貌の伯爵令嬢を思い浮かべた。
結局誰も異議を申し立てられなかった。
侍女長からは、旅支度は女官が整えてほとんど終わっている事、身につけるものは王城にある物から選ぶこと、今夜は王城の客間で休むことなどを言い渡される。家に帰ることは出来ないようだ。
王城の客間を使えるのは嬉しい。
ミリアは、ささやかな喜びでなんとか心を保とうと決意するしかなかった。
話が終わり、偉い人たちだけ出ていき、近衛三人と護衛侍女二人だけが残される。
お互いに名前は知っているし、今さら自己紹介もない。その上、近衛の三人はどうみても面白くないという顔をしている。
けれど、誰も何も言わないから、解散もできない。
随分時間がたって、やっと一番年長のハミル・エイゼンが言った。
「夜に会おう。」
それを機に、ミリアは彼らを置いて、ジェインと一緒に部屋を出る。
他に行き先もないから、自分たちに与えられた客間に向かう。
「すごく感じ悪い。」
ジェインが小さく訴えてくる。
「そうね。セアラ、大丈夫かしら。」
ミリアが心配すると、ジェインは怒ったように返してきた。
「セアラは少し変わってると思うけど、他の人に迷惑をかける人じゃないわ。どちらかというと親切なほうよ。私は、近衛の人達からセアラを守る。」
殿下を迎えに行くはずなのに、ジェインはなんだか方向が違う方向に決意をしたようだ。
ミリアは一つ息をついて、気分を変えようと話題を変えた。
「ねぇ、王城に私たちが着られるようなドレスがあると思う?」
護衛役侍女のドレスは、地味で動きやすく、武器を隠せる余裕があることが必須だ。
ジェインも気持ちを切り替えて、話しに乗って来た。
「地味色ドレスは嫌だわ。せめて色だけでも明るくしたい。」
「同感よ。」
けれどそこはやはり王城だった。ふたりは、用意されていたドレスがほとんど地味色だったことに、かなりがっかりした。
夜。
王家の方々と宰相、大将軍、オルゼナ侯爵とそのご令嬢であるカディール殿下のご婚約者ヴィエラ、そして、ディパンド伯爵とそのご令嬢セアラ。
その方々がいる部屋のドアのすぐそばで、ミリアは、他のお迎え役たちと共に、宰相に呼ばれるのを待っていた。
ドアは開けられたままなので、中の会話は全部聞こえている。
セアラ・ディパンド、凄すぎる。
あんなに反論できるなんて、昼間の自分たちと全く違う。
王家の人たちもいるあの場で、堂々と論戦を張るセアラは、鉄の心臓を持っているに違いない。自分の体は鉄で出来ているわけではないと言っていたけれど、心臓だけは間違いなく鉄製のはずだ。
この二年、行儀見習い侍女だったセアラと一緒に仕事をすることはよくあった。手際が良いし、勘もいい。ジェインが言っていたように親切でもある。
時々辛辣な事を言って、皆を驚かせることはあったが、怒っているようではなかった。所見を述べていますと言う感じだ。
普通怒るでしょう、という場面でも怒らない。だから逆に、セアラは、怒らせたら怖い人の上位にされていた。
上位にして正解だ。
ミリアは、近衛騎士の三人の様子をそっと窺った。
相当緊張している。彼らの世界では大将軍は偉大な方だ。その方に逆らうような事を言ってお咎めがない人など、そんなにいないだろう。
もちろんミリアだって、近衛の彼らと気持ちはそう変わらない。大将軍を見かけても、うっかり視線が合わないように気をつける。もちろん宰相ともだ。
室内の話が終了した。王室の方が別のドアから出て行かれる気配がする。
静かになった。
そろそろ呼ばれるかと思った時だった。
「気をつけて、無茶をしないでね、セアラ。」
カディール殿下の婚約者、ヴィエラの心配そうな声がした。
それにセアラが返す。
「何か、カディールに伝言はある?」
ヴィエラは、すぐには返事をしなかったが、やがてしっかりとした口調で言った。
「言わないで欲しいことならあるわ。私に一生分の借りを作ったわねと、自分で言いたい。」
物静かで完璧な淑女といわれているヴィエラらしからぬ強気な言葉だ。さすがにカディール殿下の行状には腹が立ったのだろう。
ミリアだって夫がこんなことを仕出かしたら、ひと騒ぎもふた騒ぎもするところだ。
「わかった。それは言わないわ。」
セアラがはっきりと約束した。
やがて、侯爵親娘が別れの挨拶をして出て来た。
お迎え役のミリア達は、侯爵とカディール殿下の婚約者に頭を下げて、通り過ぎるのを待った。
緑のドレスが動きを止めた。ヴィエラだろう。
「世話をかけます。」
ミリア達に、静かで柔らかな声が掛けられた。
「皆さん、何事もなく戻られますよう。」
優しい言葉を残して去って行った。
あんなに求愛されていたのに、裏切られて、それでも結婚しないわけにはいかないなんて、気の毒すぎる。
ミリアがため息を堪えていると、やっと中に入るように声を掛けられた。
部屋に入り、一列に並んでいる間に、セアラは侍女長から昼間ミリア達がうけたような説明をされていた。今夜は王城に泊まる。
そこには当然だが、大将軍と宰相がいた。もうひとり、文官にしては大柄な、四十代半ばに見える温和そうな男性がいた。彼がディパンド伯爵だろう。セアラと目元が少し似ている。
そう待つまでもなく、セアラが、正対して目の前に立った。どこから見ても美しい伯爵令嬢だ。
宰相が言った。
「彼らが同行します。ご紹介しましょう。」
それに、セアラが首を横にふった。
「存じ上げています。」
そして微笑んで、端から順番に顔を合わせ、名前を呼んで行く。
「ハミル・エイゼン卿、クラン・ベッツ卿、ナイール・シガル卿、ミリア・マキアレー夫人、ジェイン・オルファ嬢。」
セアラが笑顔をみせるなんて珍しい。
さらに美しさが増すとミリアは思いながら、名を呼ばれた時、目礼した。
それから、セアラは真剣な顔になって続けた。
「アコードまで四日の行程の予定で、明日の朝、出発します。体調を崩した場合、無理をせずに速度を落とします。私だけでなく、皆さんのうち、誰の身の上に起ったとしてもです。その場合、近衛騎士の方に先行して頂くかと思いますが、状況を見て決めます。まずはお互い、今夜ゆっくり休みましょう。」
四日で行くと聞いた時、ミリアは驚いた。部屋の外で聞いていたやりとりから、その線はないと思っていたのだ。
「四日で行くのかい?」
疑問を代わりに聞いてくれたのは、ディパンド伯爵だった。セアラは少し困ったような顔を父親に向ける。
「大将軍閣下が出来ると仰せなのですから、まずはやってみます。それに。」
セアラの視線が落ちて、長いまつげが憂いを浮き上がらせる。あのセアラが、どことなく儚げだ。あのセアラが。
「戦争を恐れている民たちの声を聞いてしまいました。そのことに動揺している姿も見ています。お役を引き受けたからには、出来る限りのことをします。」
ディパンド伯爵が小さくため息をついた。
「わかった。だが無理はするな。陛下も十日でなくてもいいと仰せだっただろう。無事ならいいと。」
「はい。」
セアラが微笑みを見せた。なんだか健気だ。すごく健気にみえる。
さっきまで国の重鎮たちと渡り合っていた人だとわかっているのに、全然怖い人に見えない。
ミリアは、セアラってこんなに表情豊かだったかしらと思いつつ、親娘の会話を聞いていた。
ディパンド伯爵の質問が大将軍に向いた。
「ロール街道を行かれるのですね。」
「そうです。」
返事を聞くと、伯爵はまたセアラを見る
「あの街道は、今、何も問題を抱えていない。整備も行き届いているはずだ。大丈夫だよ。」
王命とはいえ、娘を大変な旅に送り出す伯爵の心配はいかばかりだろう。自分の娘だったら絶対に行かせない、とミリアが思っていると、伯爵が言った。
「ついでに、ロール街道の視察もしてきてくれ。今回の旅で必要だったもので、北方街道にないものを取り入れたい。」
ミリアは、今日何度目かの心の叫びをあげた。
視察ですか?! 娘を心配していたのではないんですか?!
けれど娘の方もいたって普通に答えた。
「余裕があればそうします。」
変だ。この親子は変だ、とミリアはつい眉をひそめてしまってから、慌てて真顔に戻る。
そうして、最初にディパンド伯爵が退出した。
大将軍が笑顔でセアラに言った。
「無理はするなよ。」
ミリア達には、大将軍は怖い真顔を向けて来る。
「セアラに無理をさせるなよ。」
脅迫に聞こえる。騎士たちは確実にそう思っただろう。
大将軍が退室すると、宰相が大きくため息をついた。大将軍と同じように思っていますと言って去って行く。
「お部屋に案内しましょう。」
侍女長がセアラを誘った。ミリアとジェインも方向が同じだから一緒に行く。
セアラは改めて護衛騎士三人を見て、微笑んだ。
「ごきげんよう。明日から、よろしくお願いします。」
ミリアはまた驚かされた。
あんなに不機嫌そうだった近衛の三人組が、きりりと顔を引き締め、頼れる近衛騎士らしく礼を返してきた。
セアラが部屋を出ていくのに、遅れを取りそうになるくらい驚いた。
途中顔を合わせたジェインが、とても満足したような笑顔になっている。
しばらく歩いてから、侍女長がセアラに言った。
「私が言ったこと、覚えていたのですね。」
「散々ご薫陶頂きましたし、侍女長さまにあんなにじっと見られたら、やってみるしかないかと。でも、効果があったのでしょうか。よくわかりません。」
セアラが首をひねっている。
なるほどと、ミリアは思った。
侍女長のセアラへのお説教なら知ってる。内宮で、休憩時間によく持ち上がった話題のひとつだ。
もう少し愛想よくしなさい。愛想良くできなくても、不機嫌そうな顔以外も見せなさい。悲しそうとか、辛そうとか、憂鬱そうとか。ご令嬢方は、みんなそう言う顔の練習をしていますよ。等々だ。
侍女長が振り向いて、こちらに同意を求めて来た。企みが成功して満足していますと言う感じの少し悪い笑顔をしている。
「効果覿面でしたよね。彼ら、昼間はすごく不服そうでしたけど、さっきは姫君を守る騎士の顔になっていましたもの。殿方は、時々、驚くほど簡単に扱われてくれるわね。」
確かに、呆れるくらい彼らの態度は変わっていた。
ミリアも貴族だ。どんなに辛い時でも笑顔で乗り越えなければいけないこともある。笑顔の練習はした。
けれどあれほどの効果が出せたのは、やはりセアラの美貌あってのことだろう。
絶世の美人、恐るべし。
侍女長は、さらりと言った。
「明日のご報告に、笑えるお話を入れる事ができて良かったわ。」
一体誰への報告ですかと、声には出せず、ミリアはジェインと顔を見合わせた。
侍女長が報告をする相手は、侍従長なのか、まさか王妃さまか。
セアラ・ディパンドが恐ろしい事を言った。
「国王陛下にお伝えください。ヴィエラは、借りをカディール殿下から取り立てるようですけど、私は国王陛下にお願いしますと。」
「まぁまぁ、怖いこと。」
笑って侍女長が答えている。
こんなふうにはなれない。一歩も二歩も控えた護衛役侍女で充分だとミリアは思う。
そっと隣のジェインを見てみると、若い彼女はわくわくとした表情をしている。
ミリアには、これから始まる旅がどんなものになるのか、想像がつかない。
けれど一つだけわかっていることがあった。
このお迎え役の中で、誰も暴走しないように止めるのが自分の役目だ。




