鬼を祓いし者
木々の間から、眼下の景色がかろうじて見える。
河原にバケモノがいる。
うじゃうじゃと。
毛むくじゃらの生き物たちは、熊を思わせた。
でも、熊にしてはおかしな色が混じってる。青、紫、緑とか、ありえない。
バケモノたちは、逃げ惑う白い着物の人間たちを追いかけていた。
子供だろうか? バケモノよりも、ずっとずっと小さい。
先頭を走っている子は、誰かを背負っていた。おんぶしているのに、一番速い。
「あ?」
捕まった人間が、一瞬で消える。
目の錯覚かと思った。
が、違う。
別の人間も消える。
捕まえた人間をひょいと持ち上げ、バケモノは自らの大口の中に落としている。
丸呑みにしているのだ……
目の前が、真っ赤になった。
気がつけば、アタシは斜面を駆け下りていた。
急な傾斜も、邪魔な雑木も、苦にならない。
早く助けなきゃ! その思いが、アタシをひたすら突き動かす。
早く、早く、早く!
思いに、肉体が応える。
体が軽い。
脚力が、異常に高まっている。
誰かの叫び声が聞こえた気もした。が、気にせず、アタシは駆け続けた。
落下するかようなの勢いで、河原に降り立つ。
重い響き、砂利が舞い上がる。
何事かと、振り返るバケモノども。
毛むくじゃらなそいつらは、デカく、いかつく……頭に一本の角を生やしていた。
鋭く尖った長い角……
鬼だ。
青鬼。
紫鬼。
緑鬼。
黒鬼。
黄鬼。
白鬼。
色はいろいろ。
鬼たちは、全身が毛だらけで、顔に目も鼻も耳もない。
けれども、口だけはあり、裂けた毛の間から恐ろしげな牙を覗かせている。
咆哮をあげ、襲い掛かってくる緑鬼。
しかし、遅い。
今のアタシの目には、その動きはコマ送りのように映る。
腰の不死鳥の剣を抜き、緑鬼の右腕を斬り落とした。
意外なほど、手ごたえが無い。
野菜でも斬るかのように、ストンと刃が通ってしまった。
砂利の上に、緑色の腕がボトリと落ちる。
一滴の血すらこぼれない。
どころか、斬ったはずの右腕がニョキニョキッと生えてくる。
足を斬っても同じ。片足を失っても、倒れもしない。あっという間に、毛だらけの足が生えてしまう。
凄まじい再生能力だ。
細身の剣を構え、考えた。
体を斬るのはNG。捕まえた人間を呑み込んでいるかもしれない。まだ生きてる可能性だってある。斬れない。
横から、別の鬼も襲いくる。試しに斬ってみると、こいつも腕を再生させた。
鬼たちの攻撃をかわすのは、簡単だけど……このままじゃ、誰も助けられない。
悲鳴が聞こえる。
鬼どもが邪魔でよく見えない。また誰かが丸呑みにされたのかも。
早く助けなきゃ……
毛だらけの鬼を上から下まで見て、ああ、そうかと、気づく。
体同様、今のアタシは頭も冴えている。
てか、あからさまに、異質なところがあるんだもの。
斬ってみるべき。
剣の鍔そばのルビーの飾りに触れる。
跳躍し、炎に包まれた剣身をもって、緑鬼を斬った。
緑の毛だらけの鬼の中で、唯一毛に覆われていない箇所……角を斬り落としたのだ。
ポン! と白い煙があがり、緑鬼が消え失せる。
思った通り!
角が本体だ!
角を斬れば、倒せる!
行く手を阻む鬼を斬り続けた。
悲鳴に混じり、誰かの呼び声が聞こえる。
いや、叫び声はずっと聞こえているのだ。途絶えることなく……
けど、応えている暇なんかない。
早く、行かなきゃ。
早く、早く、早く!
アタシは、勇者なんだ。
襲われている人たちを助けなきゃ!
バラバラと……
天から降ってくるもの感じた。
雨?
見上げると、大量の矢が見えた。
キラキラと輝いている。
魔法矢だ。
ザザッと、周囲に魔法矢が降り注ぐ。
衝撃を感じた。
アタシの頭にも、ぐさっと一本刺さった。
けど、それだけ。
痛くも痒くもない。
しかし、矢はバケモノには致命傷のようだ。
角だろうがそれ以外の箇所であろうが、関係ない。貫かれた鬼たちは煙をあげ、消え去りゆく。砂利の上に残るのは、呑みこまれていた人間だけだ。
人間には無害で、魔法生物だけを清める矢……エドモンの聖なる矢だ。
刺さっても、矢はすぐに消え失せ、矢傷もできない優れもの。
再び、矢の雨。
木が邪魔でよく見えないけど、さっきの山の斜面から射ているようだ。
そして……
アタシの側で、青鬼がばったりと倒れ、消える。
頭を角ごと叩き割られたのだ。
鈍器のように両手剣を振り回す、赤毛の戦士に。
筋骨逞しい背が、庇うようにアタシの前に立つ。
「露払いします!」
裸戦士が前方の鬼たちを薙ぎ倒す。力任せに振るう剣で、熊よりデカイ敵をまずは転ばし、それから角を潰している。何ともパワフルな戦法だ。いちおう、お腹は避けてるようだけど。
振り返ると、
「……我が魔力が、願わくば、美しきあなたを癒さんことを。月光の接吻」
倒れている人々に回復魔法をかけつつ、空中浮遊の魔法で宙を飛び、家宝の剣を閃かせる方が目に映った。
鬼の足元は凍っている。氷魔法で足止めした鬼を、シャルル様は鮮やかに切り伏せた。
複数の魔法を制御している。さすが、百年に一度の天才魔術師……。じゃなかった、今は魔法騎士だった。
リュカも居る。軽業師のように、鬼たちの間をピョンピョン飛び跳ねている。
何をしてるんだかわかんないけど。
みんな……来てくれたんだ。
聖なる矢の雨が降ってくる。三度目だ。
あともうちょっと!
不死鳥の剣を握り締め、アランと共に走った。
残りの鬼たちを倒すために。
最後の鬼を倒したら、
「見直したよ。強いじゃん、勇者のねーちゃん」
背後から、お褒めの言葉をいただいた。
「……そんなことないわ」
今のアタシは、実力以上の力を発揮している。
「『勇者の馬鹿力』が発動してるだけだから」
体は軽く、腕力も脚力も異常に高まり、動体視力も抜群にいい。
けれども、そのフィーバー状態ももうすぐ終わる。
襲われている人たちを助けなきゃ! と思って、『勇者の馬鹿力』状態になったのだ。
全ての鬼を倒し、目的をほぼ達した今、神の奇跡は遠退きかけていた。
体中がズキンズキンと痛み始めている。無茶な動きをして酷使した体が、悲鳴を上げ始めているのだ。
「勇者の馬鹿力ぁ?……あぁ、そーいや、エスエフ界でもそれで暴れたってこのまえ言ってたよな」
暴れてないわよ。
蟹メカを止めただけ。
「まあ、必殺技でもなんでもいいや。それありゃ、魔王戦もイケルだろ? 修行なんかいらねーじゃん」
ケラケラ笑いながら、リュカがアタシの横に立つ。
「って、ねーちゃん、大丈夫?」
「……大丈夫」
息も切れてきた。
「……いつでも、使える、わけ、じゃ、ないの。魔王戦で、使えるとも、限らないわ」
勇者の馬鹿力は、勇者にとっても人生に一度あるかないかの奇跡……らしい。
アタシは、これが四度目だけど。
最初は、幻想世界でカトちゃんと戦った時になった。クロさんがカトちゃんに殺されたんだと思いこんで、カーッとなって……
次は精霊界の雷界。何度も何度も雷に打たれているクロードを助けようとして、立ちふさがった使徒様と戦ったんだっけ……
このまえは、ナターリヤさんが死んじゃうと思ったから、何がなんでも蟹メカを止めようとして……
そして、今回……
もう、立っているのもつらい。
ハアハアと荒い息を吐きながら、膝をついた。
「なー ねーちゃん、一つ言ってもいい?」
盗賊少年が、アタシの顔を覗き込む。
「精霊呼んで、回復魔法かけさせたら?」
あ。
リュカはジト目で、アタシを見ている……
「つーかさ、鬼ぶった斬りに一人で走るとか、バカじゃねーの? あんた、精霊支配者だろ? ンなヤバい時こそ、精霊の使い時じゃん?」
う。
「一刻を争う大ピンチでも、冷静に。少ないアクションで、最大効果をもたらす行動を選ぶべき」
ぐ。
「後先考えねーで突っ走るなよ、バーカ。あんた、死んだら、オレらの世界は終わりなんだろうが」
ぐは。
……ああああ、その通りです。
アタシってば、つい……。
「ラルム、来て……」
契約の証の指輪をもって、水の精霊を呼び出した。
アタシの目の前に、ラルムが現れる。
肩より下の辺りで結ばれている水色の髪、水色のローブの、美青年だ。
「へー」
初めて精霊を見るリュカは、興味津々って顔をラルムに向ける。
涼しげな切れ長の瞳を細め、水の精霊は不愉快そうにアタシを見下ろした。
《疲労困憊状態ですね……。脆弱な人間のくせに、猪突猛進ばかりして……》
ちょっ! 現れるなり、その台詞?
ひんやりとした、淡い水色の光がアタシを包み込む。
体がどんどん楽になる。
ラルムが癒してくれているんだ。
だけど……なんでそんな不機嫌顔なの?
《……怒りを感じて、当然でしょう?》
ラルムがジロリとアタシを睨む。
《私を退けた結果がそれですか? 何度もお伝えしてきたのに! あなたはマサタカ様と違って脆弱なのです。その辺でうっかり死にかねない、もろい存在です! 常に私が側について守ってさしあげると言ってきたのに……私を水界に還すだなんて》
いや、だって……
「大ダメージをくらって、百分の九十九ぐらい力を失ったって聞いたから……水界で療養してもらおうと思って……」
ラルムの目がいっそう険しくなる。
《いい加減、覚えてください。何度もお伝えしました。精霊はあなたよりも、遥かに優等な存在なのです。精霊に同情など不要です》
む。
《対するあなたは、どんなに長持ちしても数十年しか生きられない。あなたは愚かだから……無茶な行動をして、短い寿命を更に短縮させているのではないかと……気が気ではありませんでした》
水色の瞳が、凝っとアタシを見つめる。
《もう二度と、私を水界に還さないでください。ひ弱なあなたには、私の守護が必要です。あなたを死なせたくないのです》
胸がきゅうぅぅんとした。
もしかして、水界でずっと、アタシのことを心配してくれてた?
「……わかったわ。還りたいってあんたが希望しない限り、水界には還さないことにする」
そう約束しても、ラルムはまだ不機嫌顔だ。
なので!
ご機嫌をとることにした!
「ラルム。ここは、ジパング界よ!」
《え?》
ラルムが目を丸める。
「あんたが来たがってた、カガミ マサタカ先輩の故郷よ! 嬉しいでしょ?」
《え?》
「カガミ先輩が生きてるかもしれないし! そうじゃなくても、子孫がいるかも!」
ラルムが妙な顔で、アタシを見つめる。
むぅ。
アタシの心が読めるんだから、嘘を言ってないのはわかるでしょ? 素直に喜んだら? 憧れのカガミ マサタカ様の聖地に来たのよ。千百年以上も、カガミ先輩のことを慕ってきたんでしょ?
《ジパング界……》
周囲を軽く見渡し、それからラルムはアタシへと視線を戻した。
戸惑いの表情だ。
なんか、反応薄いわねえ。飛び上がってキャアキャア喜ばないの? カガミ先輩を探しにすっとんでくかと思ってたのに。
「キャァァァァ!」
絹を引き裂くような、乙女の悲鳴が響き渡った。
ハッ! として、声の方に顔を向けると、
「お姫さまを逃すのだ、アカネマル。ここはそれがしが引き受ける」
「申し訳ありません、ヨリミツさま。オレ、足をひねってしまって……」
うずくまる三人の子と、その側にたたずむ男が一人。
「あ、あの……怪我はないか? もう鬼は倒したので、大丈夫……」
「あれぇぇぇ」
「おのれ、下郎! お姫さまに近づくでない!」
「寄るな! 鬼!」
近寄るに近寄れず、アランはおろおろしている。
リュカがチッと舌打ちをする。
「だから、服、着ろって言ってんのに! どー見ても、露出狂の変態だっつーの!」
うん、まあ……
筋骨逞しい戦士は、ブーツと装身具を除けば腰布しかつけてないもんね。
客観的に見て……年端もいかぬ女子供に、裸の大男が『おぢょうちゃん、おぢさんがね、いいもの見せてあげるよ……』とエヘエヘと迫っている図としか……。
リュカが走り出す。
後を追った。普通に走れる。ラルムのおかげだ。
水の精霊は、アタシの後を追って来る。走っているわけじゃない。滑るように宙を移動している。
「ギャアギャアわめくなよ。鬼どもは、勇者様がぜぇ〜んぶ退治してくださったんだぜ。教養がおありなら、お礼ぐらいは言えるよな、お姫さま?」
長い袖で顔を隠す子。
その子をかばうように、二人の子がアランと睨みあっている。一人はきりりとした顔立ちで、もう一人は目の大きな可愛い子。
全員、黒髪だ。白い着物に白の袴。修行着みたい。神職……? じゃないわよね、『お姫さま』とか言ってたし。
お姫さまと呼ばれていた子が、リュカに促され、恐る恐る顔をあげたものの……
「ひぃぃ」と悲鳴を漏らし、再び袖で顔を覆ってしまう。
目の前のアランに怯えて。
裸戦士は、呆然とたたずんでいる。
『おまえは下がれ』とばかりにリュカに手で合図を送られ、しょげたアランが後ろに下がってくる。
ちょっとかわいそう……。
「こちらにおわすお方はな、恐れ多くも、異世界の女勇者様だ」
リュカがやけに仰々しく、アタシを紹介する。
「いずれは、鬼よりも遥かに強い魔王を倒すお方だ。武者修行の旅の最中で、あんたらと鬼に出くわし、義をみて助けたんだぜ? 何があったか、オレらに話してみろよ。場合によっちゃ、女勇者様が力になるぜ?」
凛々しい顔の子が、挑むようにアタシを見る。何がなんでも主人をお守りするって気構えを漂わせて。
「異世界の勇者……?」
もう一人の子は、泣きそうな顔だ。何といえばいいのか……猛獣でも見るような目でアタシを見ている。いつ襲われるんじゃないかって、ビクビクしてる感じだ。
二人とも同い年ぐらいだろうか。十二、三? もうちょい上? 黒髪、黒目で、やや黄色がかった肌だ。
「百一代目勇者ジャンヌです」
優しい声、笑顔を心がけてみた。
「この世界に来たばかりで、右も左もわからないのです。教えてください、あなた方を襲っていた先ほどのバケモノたちはなんなのです?」
「あれってさ、誰かの使い魔?」
リュカの掌には、木片があった。墨で字が書かれている。けど、読めない。自動翻訳機能が働かないってことは、ジパング界の文字ではない。特殊な暗号か、魔術用の呪文か。
「毛むくじゃらの鬼どもが消えた後、こんな木片が落っこってた」
ほうほう。
戦闘のどさくさで、そんなの拾ってたのか。
「これ、呪具だろ? 雑魚鬼とはいえ、あんだけの数、いっぺんに使役してたんだ。相当つぇぇ魔術師が居るんじゃねーの?」
「まじゅつし……?」
二人が首をかしげる。なんのことだと言うように。
ジパング界には魔術師は居なかったんだっけ。
「えっと……呪術師? 神官? 魔法使い? う〜ん、ともかく不思議な術を使える人間が居るんでしょ? その人に狙われてたんですか?」
二人が、黒い目を大きく見開く。
その顔から、血の気をなくしながら。
「あ……」
二人は、アタシではなく、アタシの後ろに居るものを見つめている。
あまりにも恐ろしいものを見てしまった為に、固まってしまった感じ。
アタシの背後のものを見つめ続けている。
「おのれ、鬼め……」
「お許しください。どうかお慈悲を……。脱走の罰はオレが受けますから、他の方々はお見逃しください。オ、オレは、もう、どうなっても……」
《人違いです》
肩越しに振り返ると、アタシの背後の奴は不愉快極まりないって表情で二人を睨みつけていた。
《いえ、違いますね。精霊と鬼ですから、両者ともに『人』ではない。ですが、あなた方の記憶の中の者と私は、異なる存在です》
一呼吸おいてから、ラルムは言葉を続けた。
《私はイバラギ童子ではありません》
姫さまが甲高い悲鳴をあげ、更に小さくうずくまる。
イバラギ……ドウジ?
この怯えよう……
もしかして、そいつが、毛むくじゃらの鬼どもを操ってた奴?
「どうしたのだ?」
お師匠様とエドモンがやって来る。二人とも自分の荷物+他のメンバーの荷物を担いでて膨れ上がってる。エドモンを慕って小鳥やら狸やら鼬やらが追っかけてきてるわ……
それに、「怪我人全員の治癒は終わりました。魔法で索敵しましたが、周囲に敵はいませんね」てなシャルル様もアタシたちと合流する。
けど、説明しようにも何がなんだか。
一番事情がわかってるのは、人間の心を見通せるラルムのはず。だけど、超不機嫌顔で女の子たちを睨んでるばかりで……。




