絶対防御の勇者
わたしには、『絶対防御』がある。
あらゆる敵意・攻撃から、わたしは守れている。
その守護の力は、わたしとわたしに触れている者すべてに及ぶ。
わたしを殺せる者などいない。
わたしの加護下にある者も、誰も殺されない。
け、れ、ど、も。
わたしを死に追いやるのは、実はものすごく簡単なのだ。
たとえば……
誰かに突き飛ばされてビルの屋上から落ちても、わたしは死なない。地面に激突しても怪我一つ負わない。わたしを突き落とした誰かの存在が、『絶対防御』を発動させるから。
でも、わたしが自らの意志で飛び降りたら、或いは足を踏み外したら……『絶対防御』は発動しない。べちゃっと潰れ、わたしはスプラッターな最期を迎えるだろう。
『絶対防御』は、あくまで、第三者からわたしの肉体を守るだけ。
わたしを不死身にする能力ではないのだ。
『絶対防御』のからくりに一番最初に気づいたのは、宮廷魔術師ミッシェルだった。わたしがコケて擦り傷をつくったり、熱いお茶を飲んで舌をちょっぴり火傷したりしたからなんだけど。
賢い彼は、『絶対防御』の欠陥を口外するなと仲間達に命じ、移動・戦闘時には戦士フェリックスにわたしを背負わせ(おんぶヒモ、背負子と、背負い方は進化していった)、平時は尼僧ソフィに行動を共にさせた。ソフィとは、寝るのもいっしょ、お風呂もいっしょだった。
仲間たちがわたしにくっつく理由を『絶対防御の加護を敵によこどりされない為』と、ミッシェルは対外的に説明していた。
けれども、本当のところは、事故死させないための策だったのだ。
わたしが崖から足を踏み外したら、あっさりと死にかねない。けど、わたしを背負ったフェリックスが落ちた場合、『フェリックスがわたしを殺そうとした』判定が働き、『絶対防御』が発動、わたしとわたしに触れているフェリックスは怪我一つ負わない……というわけなのだ。
『アリス。魔王を信奉する輩は、あなたの死を願っています。今は、絶対防御持ちのあなたを狙っても無駄と諦め、鳴りを潜めています。が、絶対防御が欠陥能力であると知ったら、あなたを死に追いやる策を用いてくるでしょう。あなたの能力が本当はどんなものか、決して口外しないでください。やり方さえわかれば、あなたを死なせるのは簡単なことなのですから』
運動音痴の小娘は、そのへんでうっかり死にかねない、赤子より目が離せないと、ミッシェルはよく嘆いていた。
彼は『勇者』であるわたしを、心から心配してくれていた。
仲間探しの旅をしている間も、魔王戦の時も。
なのに……
ごめん、ミッシェル。
わたし、また、うっかりをやってしまったみたい。
もう一度状況を確認した。
仄暗い非常灯だけが灯っている空間。
わたしは、寝転がるように座っている。ソファのようなマットレスが敷かれているので座り心地自体は悪くないんだけど、狭い。グリーン車のリクライニングシートをめいっぱい倒して座ってる感じ。
正面に、窓のように大きなモニター。真っ暗で何も映っていない。
両側面にはスイッチやスティックやサブモニターがズラ〜とあるものの、何がなにやら。
そして、上部のハッチ。出入り口に間違いないそこは、押しても引いても、びくともしないのだ。
何度確かめたところで、状況は変わらない。
間違いない。
閉じ込められたのだ。
ほんのちょっと前まで、賢者さまたちとバイオロイド研究室に居たはずなのに。
スライムみたいなバイオロイドを見せてもらうことになって、バリーさんの熱弁を聞いていたはずが、突然停電になって……
暗闇の中で、誰かに抱きかかえられたのだ。
ふわっと体が浮遊する感覚が訪れ、
『暴れるなよ。避難指定エリアに移動する』って声がしたのだ。
聞き覚えがあるような声……。
瞬間移動したんじゃないかと思う。昔、賢者モーリスさまに移動魔法で運ばれた時と同じ体感だったから。
誰? って聞いても答えは返らず、そっと床に下ろされた。
そこも真っ暗だった。
『ここは戦闘区域外だ』
ぶっきらぼうにそう言って、声の主はトンと軽くわたしの背を押した。
わたしはよろけ……
壁に手をついた。
わかってる。うっかり手をついた。それが、いけなかった。
でも、そこにスイッチがあるとは思わなかったのよ! 真っ暗だったから!
床にポッカリ穴が開いて、吸引され……
この狭い空間に閉じ込められてしまったのだ。
入ってすぐに、軽いGを感じた。
今はまったく振動を感じないけど、たぶん……まだ移動していると思う。
わたしがうっかり乗り込んでしまったのは、おそらく脱出ポッド――非常用小型艇だ。
こういう物があることは、アダムから教わっている。
『万が一の事態に陥リ、バビロンから避難する際にハ、脱出ポッドヲ、ご使用くださイ』
アダムは、談話室の隅のコンソールパネルを指差し、脱出ポッド搭乗・射出の手順を教えてくれた。
『コンソールパネルが故障の時ハ、手動操作デ』
パネルの横には半透明な小扉があり、その中央にある『緊急脱出ボタン』が透けて見えた。
『これを押すト、足元の床が抜ケ、脱出ポッドに移動となりまス。脱出ポッドは一人乗りでス。一人収納するト、即射出。遭難信号を発信しつツ、着陸条件に適応した地形を探シ、五分程度高速飛行しまス』
内部の酸素は三日もつと、アダムは言っていた。
『ポッドは手動運転も可能でス。しかシ、ジャンヌお嬢さまノ、洗練されていない機械知識でハ、失礼ながら百%運転は不可能でしょウ。機械コンソールにハ、決してお手を触れられぬよウ。素人のめちゃくちゃな操作ハ、想定外の事態を引き起こしかねませン。水も食料も三日分ありますシ、簡易トイレもサバイバルキットも備えられておりまス。淑女としテ慎ましく救助をおまちくださイ』
確かにアダムの言うとおり。
飛行機の操縦なんかできない。
というか、操作盤に触るのすら嫌! 緊急脱出装置とか自爆装置(あるのかどうか知らないけど!)とか、うっかり触っちゃいそうで怖い! とりかえしのつかない『うっかり』をすることに関しては、自信があるのよ!
だけど……
いろいろ、おかしい。
運ばれた先が暗闇だったのも、あの人がわたしの背を押したのも、わたしがうっかり緊急脱出ボタンを押しちゃったのも、百歩譲って偶然としよう。
しかし、緊急脱出ボタンをなぜ押せたのか? 軽々しく押せないように。半透明な小扉で覆われていたはずなのに。
それに、この脱出ポッド……静か過ぎるのだ。
一般避難民を乗せるポッドなのだ、『指示に従って、落ち着いて行動してください』的な音声ガイドがあっても良さそうなのに特に無し。
『現在どこそこを航空中です』のような、現状報告もくれない。メインやサブのモニターは何も表示しない、黒い画面のままだ。
ついでに言えば、ポッドが誤射出されたのだ。ポッドを管理するシステムがこの手の事故を放置するなんて、変。強制的にストップをかけるとか、『どうしました? 中に誰か搭乗されていますか?』の通信を入れるとか、何がし対応するはず。
しかも、水の精霊ラルムくんが言うには、《機体内の酸素が減少しつつあります》だそうで。
酸素供給装置が壊れているのだ。
ンな整備不良機体に乗り込んでしまったなんて……
ここまでくると、事故を装って、誰かが勇者ジャンヌを殺そうとしているとしか思えない。
わたしを脱出ポッドまで運んだ、あの男の人が?
それとも、このまえ、賢者さまの姿を象って現れたという敵……『上位者』という、精霊以上の存在がこの世界にも現れたのだろうか?
《敵が誰であろうとも、当面、百一代目勇者様の健康に問題はありません。人間が生存可能な環境ぐらい私がつくれます》
窒息死の心配はないと、ラルムくんは言う。
水の霧になってジャンヌちゃんを包んでいた水の精霊、そしてジャンヌちゃんの体と同化している土の精霊は、この脱出ポッドについて来ている。
この状況で、精霊が二体も共に居てくれるのはたいへん心強い。
けれども、バビロン・ドーム全体が結界が覆われていると、ラルムくんは言うのだ。
《私からの働きかけが、全て拒まれます……バビロン・ドーム内に移動魔法で戻る事は不可能ですし、内部を探査することすらできません》
「その結界は、この世界の科学力が生み出したバリアなの? それとも上位者とやらの仕業?」
《わかりません。結界からは、『意思』を読み取れませんので。ただ、あの結界に遮断された為、霧の形でドーム内に残した私の一部は私の支配より離れました……つまり、散じてしまったのです。私を通じて百一代目勇者様の仲間達にもたらしていた『絶対防御』の加護は消滅しています》
バビロンには帰れない。
連絡もとれない。
乗っているのは、生命維持装置が壊れた、欠陥ポッド。
飛行しているのは、死の世界。バビロン・ドームの外は、生物の生存に適さない世界とナターリヤさんは言っていた。
このままじゃ、ジャンヌちゃんが……。
それに、バビロンの中では、何が起きているの……?
賢者さまやジャンヌちゃんの仲間たちは、どうなったの?
推測は出来る。
けれども、それ以上のことは、わたしにはできない。
……潮時だ。
ジャンヌちゃんや賢者さまたちを、絶対防御で守れないのなら……わたしがここに居る意味などない。
「ラルムくん、灯りは作れるかしら? 書き物をしときたいの」
ボッド内の非常灯じゃ、暗すぎて手元がよく見えない。
《……くだらぬ問いをなさいますね》
ポッポッポっと、水色の光の玉が次々に生まれゆく。
わたしの周囲をつつむ淡く発光する光。キラキラと輝くそれらは、まるでイルミネーションだ。美しく華やかに、それでいて目にはうるさすぎない光度で、わたしの周りを水色に彩る。
「ありがとう。とても綺麗な灯りね」
普通の手元灯りで良かったのに。
《あなたは美しいものがお好きなようなので、一般的な人間が好む美を創造してみました》
わたしの心を読んだ精霊が言う、サービスしたのだと。
《十六代目勇者様。あなたのご協力には感謝しています。百一代目勇者様の仲間を誰一人死なせずに済んだのは、あなたのご助力があったからです……本当に感謝しているのですよ》
この幻想的な水色の灯りは、彼なりの感謝の気持ちの表れなのか。
何とも不器用で、的外れで、突拍子もない、恩の返し方。
かわいい! キュンキュンしちゃうわ!
口調といい性格といい、ラルムくんは宮廷魔術師ミッシェルに似ている。懐かしい仲間を思い出させる。
彼やフェリックス、ソフィたちが命がけで守った勇者世界は、わたしにとって第二の故郷。
あの世界を、勇者を……わたしだって愛している。
お礼なんか、いらなかったのよ。
でも、ありがと。気持ちは嬉しい。
最後の最後で、美形からサービスしてもらえるなんて……いい思い出ができたわッ!
* * * * * *
アタシを乗せた乗り物は、バビロンからどんどん離れているらしい。
向こうに残っているみんなは……
お師匠様、ニコラ、セザールおじーちゃん、ルネさん、レイはどうなったんだろう……ああ、あと、マルタンとしもべさんも。
『暴れるなよ』って言って、アタシを抱き上げたのは……レナートさんのようだ。
聞き覚えのある声だなあ、誰だっけ? と思ったアタシに、ラルムが教えてくれたのだ。
おととい会った記憶まで、ラルムは頭の中で再現してくれた。
レナートさんは、精神感応、透視、念動力、瞬間移動、発火能力などを使える複合能力者。エスパー部隊の隊長を務めるたいへん優秀なエスパーだ。
ナターリヤさんのすぐ上のお兄さん。
美少女の兄だけあって、なかなかのハンサムだった。
仲間候補にどうかと紹介されたものの、キュンキュンできなかった。レナートさんはずっと不機嫌そうで、睨むようにアタシを見ていたから。
あの時、家族構成も聞いたのだ。
お父さんはバビロン所長、お母さんは物理学者、一番上のお兄さんはロボット工学が専門の科学者で副所長、二番目のお兄さんは生物学者、ナターリヤさんは副所長代行。ご両親は学会に出席中、上のお兄さんたちも、今はバビロンに居ないそうなんだけど……
『学者一族なんですね』とアリス先輩が言った時、レナートさんは笑ったのだ。どこか冷めたような、哀しげにも見える顔で。『オレだけ、変り種なんだ』と言って。
あとになって、あの笑みの意味がわかった。
バビロンに居るエスパーは全員、『実験体』なのだ。
アダムが教えてくれた。
『宇宙連邦ハ、エスパーを潜在的犯罪者と位置づケ、犯罪抑止の為、管轄下に置いていまス。エスパーの脳にESP能力を制御する機械が埋め込ミ、Cランク以上のエスパーには軍関係組織に所属することを義務づけているのでス。バビロンにいるエスパーは全員、超能力研究に貢献する為に存在すル、実験体なのでス』
バビロンは、よそよりもずっとずっと『人道的』にエスパーを扱ってるらしい。
所長の方針で。
でも、おととい紹介されたエスパーたちは全員、無気力というか……なげやりな雰囲気を漂わせていた。頭の中に機械を入れられ(しかも、連邦に逆らえば、それは処刑具になる!)、強制的に実験体にされてるんじゃ、奴隷に落とされてるみたいなものだし。
よく知りもしないのに、よその世界に文句をつけるのはどうかと思う。
だけど、この世界は変だわ。
超能力者は、魔法の詠唱を必要としないだけで魔術師のようなもの。
アタシの世界では、魔法を使えるかどうかは個性に過ぎない。
ていうか、どちらかというと魔力持ちは尊敬される存在だ。機械は魔法機関で動かすし、魔法医、魔法技師、魔法騎士、魔法剣士と、魔術師専門職もある。
魔法が使える者は、能力にふさわしい職を得て暮らしている。
けれども、エスエフ界では……
エスパーは否応もなく軍属。
バビロンでは実験体。
頭に機械を入れられ、生命剥奪権を他人に握られるだなんて……ぞっとする。
同じことをクロードがされたとしたら、アタシ、ぜったい許さないわ。
……レナートさんは、今、何をしているんだろう?
『ここは戦闘区域外だ』て、言ってた。
つまり、他の場所じゃ戦闘するつもりだったのだ。
あのバイオロイド研究室で、戦闘……?
……標的は誰? あの場に居たのは、お師匠様とニコラとアダム。あとは、バイオロイドの赤青黄色の三体……えっと、名前なんだっけ? みんな二文字のシンプルな名前だったわよね……ザクとかドムとかそんな感じ。
確認してないけど、バリーさんは隣室にいたんじゃないかな。
狙われていたのは、バリーさんなのだろうか。
エスパーたちが怒りを爆発させて、反逆を起こした……?
ありえそう。
でも、だからって、戦闘は……
それに、なんでアタシを壊れた脱出ポッドの前に連れてったの?
何がしたかったの?
《わかりません。彼は精神障壁を張っていて、思考が読めなかったので》
アタシの心を読んで、ラルムがあっさりと言う。
ナターリヤさんやバリーさんたちは、どうなったのだろう? エスパーたちに捕まってしまった? 殺されたんでなければいいけど。二人ともアタシたちには親切だった。無事でいてくれるといい……アダムやバイオロイドたちも。巻き込まれた、お師匠様たちも。
アリス先輩も、今の事態を『実験体の反乱』と推測したようだ。
覚書用の手帳に、これまでの経緯、バビロンで起きているだろう事件の推理を書いている。
実験体の反乱、標的はおそらくバビロンの研究者たち、宇宙連邦の介入を警戒してドームに結界を張ったと思われる。
勇者ジャンヌは、脱出ポッドでバビロンから高速離脱中。『絶対防御』が発動しない形で故障ポッドに乗り込んでしまった、事故を装う作為性を感じる、『上位者』が関わっている可能性もあり。その場合、実験体たちと上位者はどう関わっているのか? 実験体は上位者に踊らされている? 等、疑問点も書き加える。
ペンを走らせつつ、アリス先輩はラルムと話してもいた。口を使って会話しているのは、会話に参加できない(しゃべることができない)アタシへの配慮だろう。
《この機械がバビロンから離れゆくのを止めましょうか? 水の結界で封じれば、これ以上の前進は防げますよ?》
「やめといて。無茶なことしたら、脱出ポッドが、ちゅど〜んしちゃうわ」
宇宙空間や水中に突っ込んでも大丈夫そうな気はするんだけどね、故障機だし安全策でいきましょ、と先輩は口元に笑みを浮かべる。
サラサラとペンを走らす先輩。
先輩に憑依されているアタシは、何もできない。
アタシの手が手帳に描く文字を、ただ見ているだけ。その目にしても、先輩の意思で動いている。
だから……
あまりにも意外なことを先輩が書き始めても、書いてる途中も、書き終えた後も、アタシはただ見てるだけ。
目から入ってきた情報に、呆然とするだけだった。
「ジャンヌちゃん、ごめんなさいね」
先輩がアタシの口を使って穏やかな声で言う……
「わたし、知ってたのよ、還り方も、わたしがジャンヌちゃんに憑依することになった理由も」
ペロッと舌を出して、アタシの顔が笑みをつくる。
「初日の夜ににソルくんに教わったの。知ってて黙ってたのよ。六日も体をのっとって、本当にごめんなさいね」
ソル……?
携帯用のペンを片付け、覚書用の手帳は左腿の上に置いてから、先輩は言葉を続けた。
「わたしが、こっちに来たのはこれのせい」
先輩の手がそっと左胸に触れる。
そこには、ポケットがある。
中に入れているのは手帳……歴代勇者のサイン帳だ。
アリス先輩とフリフリ先輩。尊敬するお二人に会えたのが嬉しくって、英雄世界でサインをねだった。
でも、すぐに勇者おたくのテオのことを思い出して……
英雄世界にいる勇者全員のサインをもらって帰ればテオが喜ぶと思って……
アタシの分とテオの分、勇者全員からサインを貰ったんだ。異世界に行ってしまったサクライ先輩と、旅行中のソノヤマ マスミ先輩の分はないけど、六人の勇者のサインを二冊の手帳にもらった。
「サイン帳に、マルタンさんが聖なる文字を書き込んだんですって?」
そうだった……
上位者は巨悪だ、未熟な勇者のアタシじゃ絶対にかなわないと、あいつは言い切った。
知恵と力を貸してと頼むと、あいつは『ポケットの、その手帳を寄越せ』と命令してきて……
アタシの大事なサイン帳に、落書きみたいな判読不能の文字を書き込んで、『肌身離さず持っていろ』と言ったんだ。
護符代わりになる文字でも書いてくれたのかと思ってたけど。
「その文字をあなたは読めなかったけれど、ベテラン精霊のヴァンくんたちは読めたのよ」
え?
「マルタンさんが描いたのは、召喚・送還魔法陣だそうよ。ジャンヌちゃんがピンチの時、神の使徒のマルタンさんが霊体で駆けつけ、ジャンヌちゃんの体に憑依して上位者と戦おうと……あなたを犬死にさせない為に、魔法陣を描いたみたい」
でも、と先輩が言葉を続ける。
「これには、わたしたちのサインが書き込まれてたでしょ? もと勇者たちのサインと魔法陣。二つが変に作用し合って、わたしがジャンヌちゃんに憑依しちゃったみたい」
そんな……
「わたしを呼ぶ時、誰でもいいから助けてって思ったんですって?」
アリス先輩がクスクス笑う。
「誰でもいいじゃなくって、誰それって指定もできるんじゃないかって、ソルくんが言ってたわ。次は、ユウがいいと思う。ユウを呼んでみて」
ユウ先輩……?
ちょっと待って……
どういうこと……?
サイン帳に召喚・送還魔法陣があって……それでアタシはアリス先輩の魂を呼んでしまって……その仕組みを精霊たちは知ってた……?
《僧侶がサイン帳に書き付けた時から、召喚・送還魔法陣である事はわかっていました》
当然でしょ? と言わんばかりにラルムは……
《あなたが質問しなかったので、それが何か教えられなかったのです。『勝手に、人が知り得ぬ知識を与えてはいけない。命令されない限り、精霊支配者の人生に関わってはいけない』。しもべの原則だそうです》
な。
「わたし、還るわね」
先輩が朗らかに笑う。
「わたし、自分の意志でこっちに留まっていたの。好きで残ってたのよ。だから、精霊たちを絶対責めないでね。みんな、あなたの為を思って、行動してるんだから」
アリス先輩!
「呼ぶ時は、手帳に手を触れて『誰それ来て』と願えばいい。還る時は、降りて来たものが手帳に手を触れ『還る』と思えばいい。とっても簡単」
待って、先輩、まだ聞きたいことが!
「ソルくんの沈黙命令、解いたげてね」
左の掌をヒラヒラさせながら、先輩が静かに目を閉じる。
「次に会えるのは、きっと魔王戦ね。仲間探し、頑張ってね。百人伴侶が揃うの、楽しみにしてるわ」
アリス先輩!
「マルタンさんと末永くお幸せにね〜」
先輩ぃぃ! なんか曲解してませんかぁぁ!
そして、唐突に……
アタシは、自分の体を取り戻した。
手が動く……
目も……
先輩の魂がまったく感じられない……
アリス先輩は、自分の世界に還ったのだ……。
六日ぶりに体が好きに動かせるようになったのに……嬉しくない。
やるせない寂しさばかりが募って……
アタシは、うつむき、唇を噛み締めた。