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きゅんきゅんハニー  作者: 松宮星
女王蜂 ― пчела-царица
83/236

◆北へ。White Flashback◆

 あの日……


 重苦しい曇天の下に、弔いの鐘が鳴り響いた。


 両親の葬儀を取り仕切ってくれていたのは、ルロワ商会のおじさん――クロードの父親だった。

 気のいいおじさんは、商売仲間とその連れ合いの事故死を悼み、残された俺のことを心から気遣ってくれた。

 おばさんにも、何度も抱きしめられた。


 クロードはグスグスと鼻を鳴らしながら、俺の側に居た。

『ジョゼぇぇ。元気をだして』

 泣きじゃくるクロードと手をつなぎ、俺は葬儀に参列した。わんわん泣いているクロードの方が、涙すら浮かべぬ俺よりも遺族の子供に見えたのではないかと思う。


 両親の棺の側には、あまり行けなかった。

 棺に群がる親族の間に割って入ろうという気すらなかった。

 何処の馬の骨とも知れぬ後妻と、その連れ子。

 もともとベルナ母さんも俺も、ジャンヌの親父さんの親族から嫌われていた。

 親父さんが相当な遺産を残してくれたもんだから、いっそう俺の立場は悪くなっていた。




 埋葬を終え、祈りを捧げ終えた時だった。

 雲の切れ目からほんの少し光が降り注ぎ……気がつくと、光差す墓石の側にその男が立っていた。


 白銀の髪、白銀のローブ。

 まったく表情の動かない、人形のような顔。


 彫像のようにたたずむそいつは、覚えのある奴だった。


 ジャンヌを連れ去った男。

 ジャンヌこそ勇者だと言い張り、俺からジャンヌを奪った、賢者だ。


 白銀のローブは、賢者にのみ許される装い。

 葬儀の列席者たちから驚きの声があがった。

 賢者は、勇者と共に人里離れた地で暮らしている。俗人がその姿を目にするのは、実に稀なことなのだ。


 しかし、賢者には周囲の動揺は伝わっていないようだった。

 周りの者を空気か何かのように無視し、真っ直ぐに俺だけを見つめていた。

 

『ご両親のこと、お悔やみ申しあげる』

 まるで大人相手のような挨拶だった。十一才のガキにかける言葉であるまいにと、当時の俺も思った。


 そして、賢者は右手を差し出してきたのだ。


 その姿は、嫌な記憶を呼び覚まさせた。

 俺にしがみついて泣いていた小さなジャンヌ。

 俺の大切なジャンヌに、賢者は右手をつきつけた。

『さあ、来るのだ、ジャンヌ。おまえは世界を救う勇者なのだ。俗世で暮らすことは許されぬ』

 感情のうかがえない平坦な声。つくりものめいた顔。

 迫って来る賢者に怯え、ジャンヌは火がついたように泣き出した。



 あの時とまったく同じ姿で、賢者は俺の手をつかもうとした。

『ジョゼフ。私と共に来い。おまえを祖母のもとへ案内する』






 開いた目に、見慣れぬ布の天井が映った。


 体を起こし、目をこする。


 発明家ルネの『だれでもテント』で眠ったのだと思い出す。

 スイッチポンで簡単設置ができる、防呪模様つきテント。

 あの男の発明品を使うのには抵抗があったが、予想以上に出来は良かった。中は意外なほど広く、通気性もよく、ちゃんと蚊帳もついていた。

 普通に、テントとして利用できた。


 おかげで、目覚めは悪くない。

 夢見は悪かったが。


《おはよ〜 ジョゼ〜》

 俺の横には、ピナさんがちょこんと座っている。

 大きな頭だ。毛の色はピンク。白いチュチュと白鳥のティアラがとても可愛らしい、バレリーナのぬいぐまだ。

 いつ見ても、ピナさんは愛らしい……ピナさんがすぐそばにいる、それだけで幸せな気分になれる。

「おはよう、ピナさん」


《バリバリくんは〜 日がのぼったら、ランニングに行っちゃった〜》

「そうか。ありがとう」

『全開バリバリだぜー!』が口癖の光精霊は、スピード強だ。

 用事がある時は契約の石を通して頼む、それまでは好きに過ごしていてくれ。そう命令しているせいか、側にいないことが多い。光速で動ける精霊は、この世界を好き勝手に飛び回っているようだ。


 バリバリとの契約の証は、左手首の腕輪だ。一見、銀細工のように見えるが、アレッサンドロは魔法金属製だと言っていた。やたらと硬く、ごつい造りのそれは、防具としても使えそうだ。


 そして、ピナさんとの契約の証は赤珊瑚ペンダントだ。

 服の下になっているペンダントに触れ、愛しい義妹のことを思う。

 異世界へ赴いたジャンヌの胸には、お揃いのペンダントが輝いている。

 ペンダントを通しジャンヌの無事を祈るのが、就寝前と起床時の俺の日課となっている。


 ふと見ると、ピナさんも俺と同じポーズをとっていた。

《ピオが〜 異世界で、がんばっていますよ〜に》。

 思わず笑みが漏れた。

 俺も、ピオさんの活躍を祈った。ピオさん……俺に代わって俺のジャンヌを守ってくれ、と。




 外に出ると、

「おはよ〜」

 のんびりした声がかけられた。


 ジュネは、テントの前に座って、湯を沸かしていた。

 ケトルそっくりなそれも、発明家の発明品だ。薪どころか火も無しに湯を沸かせる優れもの、らしい。


 風は爽やかだが、少し冷たい。王都よりかなり北に来たせいだ。


 木漏れ日が射す森に居るのは、俺たちだけのように思えた。

 静かだ。小鳥のさえずりが、彼方から聞こえるだけ。

 他の生き物の気配がない。獣使いを恐れ、野生動物たちは遠くへ逃げたのか、鳴りを潜めているのか。


「グリとグラは?」

 テントの側に、ジュネのモンスターが居ない。

 鷲の翼と上半身、それにライオンの下半身を持つ双子のグリフォン。ここまで、俺たちを乗せて来てくれたんだが。


「狩り。朝食を食べに行ったのよ」

 簡潔に答え、ジュネがコップを差し出してくる。

 中身は、黄色い茶だ。癖のある香りが、鼻にツンとくる。

「次期伯爵さまのお口に合わないと存じますが、よろしければどうぞ。すっきりしましてよ」

 芝居がかった口調で言って、ジュネはニッと笑った。

「ありがとう」

 礼を言って受け取り、口に含んだ。

 懐かしい味だ。小さいころはよく飲んだ。匂いこそきついが、口の中がすっきりする。体を芯からあたためるこれは、北方ではポピュラーな飲み物なのだ。

「これなら二杯でも三杯でもいける」

 寝起きには、ちょうどいい。

「エドモンにも驚かれたが、俺は庶民舌なんだ。素朴な味付けの方が舌になじむ」

「素朴ねえ。粗末の間違いじゃない?」

 ジュネがうふふと笑う。


 自分の荷物から取り出したパンとチーズの塊をナイフで切り落とし、ジュネは食事を始めた。

 ピナさんが俺の荷物からパンとチーズを持って来てくれたんで、俺もジュネに倣って朝食にした。


「あたしの村まで、あともうちょい。昼過ぎには着くと思うわ。獣のお知らせ便で帰郷の件は伝えてあるから、たぶん、じいさま、村に居ると思うけど」

「おまえの祖父に、俺も挨拶したい」

 英雄世界でジャンヌは、ジュネの祖父の幻を見て、萌えた。

 ジュネの祖父は、当人の知らぬ間に『百一代目勇者の仲間の一人に選ばれた』のだ。

「俺は、勇者の義兄だ。ジャンヌに代わって、魔王戦のことを頼みたい」


「あら〜 じゃ、話はお任せしちゃおうかしら」

 茶でパンを流し込み、ジュネは胸元から二つの封筒を取り出した。

「賢者さまとセザールおじいさまからのお手紙。これに、勇者さまのお兄さまがくっつけば、あのジジイもわがままを言えないわ。素直に言うことを聞くでしょうよ」

 ジュネの祖父は、気難しい男のようだ。

 幻の中では、笑顔で幼い子供たちを導く良い指導者のように見えたのだが。


 ジュネから封筒を受け取り、懐にしまった。


「今日のとこは、村に泊まりましょ。村の誰かが、格闘家の集落に心当たりがあるかもしれないし。獣どもに聞くって手もある。今日は情報収集、本格的な探索は明日から。それでいい?」

 ん?

「もしかして、いっしょに探してくれるのか?」


「あたりまえでしょ」

 何をくだらぬことを言うのだと、ジュネが顔をしかめる。

「五才の時に離れたっきり。集落の場所はおろか名前もわからず、リーダーの名前すらも覚えていないのよね?」

「そうだが」

「そんなんで、どうやって探す気? 言っとくけど、北は無法地帯なのよ。それぞれが縄張りを張って、勝手に暮らしてるの。うちの村みたいに何百年も同じ場所に暮らせる勢力のが稀なのよ。弱い奴は暮らしやすい地を追われ、より危険な不毛な地に追われるものなの」


「わかっている」

 母さんが師と呼んでいた男。兄弟子たち。同じ集落に暮らしていた彼らは全員、もうこの世にはいないかもしれない。

 近隣の集落との争いに敗れた、病が蔓延した、モンスターか盗賊団に襲われた……

 北では何が起きてもおかしくない。

「だが、おまえの村の誰かが格闘家を知っているかもしれないだろう? まずは、一人に出会えればいいんだ。格闘家は師弟関係を重んじ、他流派を強く意識する。北でも格闘家ならではの結びつきがあるかもしれない」


「何とも言えないわねえ」

 ジュネは肩をすくめた。

「生きてくのにカツカツの奴なら、周りなんか見えないだろうし」


「かなう事なら、北で生き抜いている歴戦の格闘家に会いたい。教えを乞いたいんだ。無理なら、対戦できるだけでいい。それすらも無理なら、モンスター相手に修行を積むかな」


「不用意なモンスター狩りは、やめときなさい。好き勝手に暴れると、どっかの集落に喧嘩を売ることになるわよ」

 ジュネがうふふと笑う。

「モンスターの中には、貴重なお肉、毛皮、骨細工の原料になるものも居るもの。それに戦場に選んだ地が、どっかの村の縄張りだったら大事になるわ。伐採林や畑それに貯水池をダメにしちゃったら、村の生き死に関わる迷惑よ。殺されても文句は言えないわ」

 う。

案内(ガイド)は必要よ。あなたの為にも、北の人間の為にも、ね」


「わかった。おまえの言う通りだ。俺が間違っていた」

 獣使いに頭を下げた。

「すまない、迷惑をかける。北の地を案内してくれ」


「あら〜 ご丁寧にどうも」

 頭上から華やかな声が降ってくる。

「ぜんぜん気にしなくていいのに。あたしだってジャンヌちゃんの百人伴侶の一人よ。ジャンヌちゃんのこと、あたしもあたしなりに大事に思ってるのよ。なんたって、あの子、勇者だし。そのお兄さまに協力するのは、ぜぇんぜん苦じゃないわ。ううん、むしろ、いろいろしてあげたい。あたしたち、仲間になったんですもの」


「ジュネ……」


……知らなかった。

 漢気(おとこぎ)あふれる奴だったんだな。

 軽薄なおかまだと思いこんでいて、悪かった。


「ありがとう。感謝する」


「気にしなぁい」

 獣使いがウィンクしてくる。

「あなた、タイプじゃないけど、その逞しい体は素敵だもの。いっしょにいれば目の保養よ♪ どさくさで触れるし、ね♪」

 ぐ。

「エドモンと離れ離れなのは寂しいけど……あたしが勇者仲間として頑張れば、彼も喜んでくれるし……今はあなたを可愛がってあ・げ・る」


 げんなりした。


 何処までが本気の言葉なのかはわからないが……

 この男は、やはり苦手だ。

 どうにも、馬が合わない。


「あ、そうだ」

 ジュネがパンと手を叩く。

「ね、いっそ、じいさまに案内(ガイド)頼んでみない?」


 ん?


「おまえの祖父は村長(むらおさ)だろ? よそものの相手をする暇はないんじゃないか?」


「と〜んでもない。暇人よ」

 掌をひらひらさせて、女顔の獣使いが楽しそうに笑う。

「村一番の獣使いだから、村長なだけ。名誉会長みたいなもんよ。実際に村を仕切ってるのは、あたしの叔父さん夫婦なの。あの独活(うど)の大木、ペットどもの世話か、ガキの師匠(せんせい)ぐらいしかしてないわ。あなたが礼儀正しくお願いすれば、ホイホイ聞いてくれるんじゃないかしら」

 実の祖父に対し、ひどいたとえをする。


「あたしが案内したげてもいいんだけど、こっちを離れて久しいの。地元民の方がイマドキ情報持ってるし、あっちこっちに顔がきくもの。頼めるなら、頼んだ方がいいと思うの」

 確かに、その通りだな。

「わかった、助言ありがとう」


 ジュネがうふふと笑う。

「あなたなら、大丈夫そう。じいさまのタイプだもの」


……タイプ?


「あ〜 誤解しないで。じいさまに、そっちの趣味はないから。ただ、単にあなたがじいさまに好かれやすそうな人間だってこと」

 陽気な獣使いの顔に、冷めた笑みが浮かぶ。

「あたしと違って」




 それぞれの家庭には、それぞれの事情がある。


 ジュネと祖父の関係は、以前の俺とおばあ様のものに近いのかもしれない。






 両親が亡くなった俺を、アンヌおばあ様はひきとると決めた。


 祖母としての愛情からではない。

 おばあ様は、オランジュ伯爵家の継嗣が欲しかったのだ。

 俺の実の父が病で亡くなり、その後に迎えた養子までもが早世し、伯爵家を継ぐ者が絶えていたからだ。


『貴族には、その地位に伴う義務があります。領地を豊かとし、領民を保護し、治安を良くし、ひいては国を富ませる。義務を果たさぬ者には、富を享受する資格はありません。けれども、あなたの実の父親……私の息子レイナルドは無責任にも全ての義務を放棄し、あなたの母親と駆け落ちしたのです』

 おばあ様は、亡き父の不始末を償うよう俺に求めた。


『あなたには相応の教育を施しましょう。それであなたが良き領主となれれば良いのですが……過剰な期待はしません。オランジュ伯爵家相続人として、次代に爵位と領地を遺してくれれば満足します』


 下賎な女の子供に、期待などしない。

 子をなし、血を残せばいい。

 それだけを約束できるのならば、貴族として贅沢な暮らしをさせてやろう。


 そんな意味のことを、おっしゃったのだ。



 今では、おばあ様が貴族の義務を大切にし、私情を殺す方なのだと知っている。


 だが、初対面の時は、貴族然としたおばあ様の態度に不快を覚えただけだった。

 突然の事故で実の母と義理の父を亡くした子供に、いたわりの言葉すらかけない。

 母さんを見下す発言をさんざんし、一度も会ったことはないが実の父である男をけなされ続け……

 憐れみをかけてやってるのだ感謝しろとばかりに、ひきとると申し出られても……


 突っぱねる。

 当然だ。


『オランジュ家に入る気はない。庇護も必要ない。一人で生きていく』


 俺の望みは、ただ一つ。

 強い男となること。

 勇者にされてしまったジャンヌは、いずれ魔王と戦う。その時にジャンヌを支えられるよう、一流の格闘家になっておきたかったのだ。


 拳の師でもあった母さんは、亡くなった。

 すぐにも新たな師を求める旅に出たかった。

 格闘が盛んな東で、武者修行を積む。でなければ、生き抜く術を身に着けた格闘家を求めて、呪われた北へ向かう。目指すべき地は、決まっていた。



 格闘修行を望む俺を、おばあ様は愚かだと一笑した。

 俺の望みをたわごとと切り捨て、暗愚な子供を監禁するよう家人に命じた。



 しかし、俺に言わせれば、十一才は庇護の対象じゃない。

 北じゃ十にも満たない子供が労働力として働いていた。王都(こちら)でも、職人を目指す奴が師の下につく年齢だ。

 ましてや、俺は同年代の子供よりもずっと体が大きく、いざって時のサバイバル術や格闘を母さんから叩き込まれていた。

 大人の庇護がなくとも生きていける。

 自信はあった。




 オランジュ家からの脱走……『家出』を繰り返した。


 何度かは成功し、オランジュ家に雇われた警護や監視を出し抜き、外に逃れた。

 東に行く馬車に紛れこみ、王都から離れたこともある。


 しかし、最後には、決まって賢者に邪魔された。


 何処からともなくあいつが現れ……


 屋敷からどれほど距離を開こうが意味はなかった。

 賢者は移動魔法が使える。

 ほんの瞬きの間に、俺はオランジュ家に連れ戻された。



 あいつは、繰り返し言った。

『ジャンヌの為だけに生きようとするな』と。


『魔王の出現は、勇者が十五歳となってから老衰で亡くなるまでの間だ。九十八代目勇者カンタンは五十八歳で魔王戦を迎えた。それ以上の高齢で魔王戦に臨んだ勇者とて居らっしゃる。おまえの生存中には魔王戦とならぬかもしれぬし、生きていたとて格闘家として役立たぬ体になっているやもしれぬ』


『また、勇者は神様からの託宣に従って魔王を倒す。歴代勇者の中には、仲間を持つことを禁じられた方も、同性しか仲間にできぬ方もおられた。苦労して格闘の技を身につけたところで、おまえは仲間になる資格すら得られぬかもしれぬのだ』


『ジャンヌの為に人生を棒に振るな。義妹が居たことなど忘れ、おまえはおまえの人生を歩むがいい。おまえがオランジュ伯爵となれば、亡くなった母御とて心安らかであろう』


 ふざけるな! と何度怒鳴ったことか。


『無駄になってもいい、俺は格闘を極めたい。俺はジャンヌの為に強くなると誓ったんだ。一度決めたことは、何があっても貫く。それが男というものだ』


 だが、いくら叫ぼうとも、あいつには俺の気持ちは通じなかった。


『見習い勇者は、賢者の館から一歩も出られぬ身。俗世でのことで、ジャンヌを煩わせたくない。両親の死も、おまえの流転も、一切伝えていない。これから先も伝える気はない。ジャンヌは勇者となったのだ。俗世で暮らすおまえとは、もはや違う世界に生きている。もう二度と家族としては暮らせぬ者に情をかけすぎるな。愚かしいぞ』




 あいつへの怒りは、いつしか憎悪に変わっていた。


 ジャンヌの側には、人の情を解さぬあの男しか居ない。

 たまらなく歯がゆく、腹立たしかった。




 格闘修行の継続を条件に、オランジュ家継嗣としての教育も受け入れた。


 アンヌおばあ様が手配した格闘教師は、母さんの足下にも及ばぬ力量の者ばかりだったが、それでも……どうにか鍛錬は続けられ……


 俺はジャンヌの魔王退治を手伝えることになった。



 お粗末な格闘家としてだが……。




 長いこと、賢者が俺に関わった理由がわからなかった。


 同じ事を賢者以外の奴がやったのなら……

 俺をオランジュ家に預けたのも、行く末を心配してのこと。親族から嫌われていた子供を憐れに思い、親切心からあれこれしたのだ……そう理解できる。


 だが、賢者は、勇者とこの世の安寧以外に興味を持っていない。

 昔からの決まりごとだからと、ジャンヌを賢者の館に閉じ込め、手紙のやりとりも許さず、両親の死すらも伝えない。


 情なしの、堅物男だ。


 そんな男が、なぜ家出した俺を探したのか?


 昔は、連れ戻された事が悔しいばかりだった。

 が、振り返ってみればおかしい。

 移動魔法が使えるといっても、家出人の捜索は楽な仕事ではない。

 定期的におばあ様と連絡をとり続けねば、俺の動向もわからないだろうし。


 あいつは、意図的に俺の人生に関わっていたのだ。




 クロードは……

 泣き虫で情けない幼馴染は、どうしようもないバカだ。

 しかし、時々、妙に鋭い。


 氷界で、あいつとはいろんな話をした。

 ガキのころのこと、オランジュ邸に引き取られてからのこと、ジャンヌのこと。


 賢者への愚痴をこぼした俺に、クロードはへらへら笑顔をみせた。

『ジョゼならちっちゃくても、一人で生きてけたよねー かっけぇし、頭いいもん。でもさ、賢者様、きっと心配だったんだよ。おじさんとベルナおばさん、馬車の事故で、突然亡くなっちゃったじゃない? ジョゼには危険が少ないところにいて欲しかったんじゃないかなー』

 あの男が俺に同情したと思うのか? と聞くと、クロードは首をかしげた。

『ジョゼのためじゃなくて、ジャンヌのためだったとか? おじさんもおばさんも亡くなってて、その上ジョゼまで行方不明じゃ、ジャンヌがかわそうだもん。賢者の館から出られるようになったら、せめてジョゼには会わせてあげたい……ジョゼだけはぜったい死なせたくない、そう思ったのかもね』


 ジャンヌの為に、俺をオランジュ家という檻に入れた……それは納得のいく推測だった。

 しかし……


『だけどさ、葬儀のすぐ後に、ジョゼをオランジュ家に連れてったんでしょ? その前からジョゼの血筋を知ってなきゃ、時間的に厳しいと思う……ううん、無理だよ』

 少しだけ俯いて考えこんだクロードが、つぶやいた。

『もしかしたら……おばさんから遺言を託されてたのかも』

 母さんがあの男に遺言を?

 あんな冷血な人間を、頼るはずがない。

 だが、ジャンヌを連れ去った後も、あの男は俺の家に何度か顔を出していた。見かけたことがある。ジャンヌの私物を引き取りに来ていたようだったが……

 遺言があるのならあるでそう言えば、俺の反応も違ったものに……

『ジョゼにしてみれば大きなお世話だったろうけど、賢者様は賢者様なりにジョゼも幸せにしてあげたかったんじゃないの?』

 クロードは、ほにゃ〜と笑って言葉を続けた。

『怒っちゃ、ダメダメ。ジャンヌに聞いたよ、賢者様って二才で『勇者見習い』になったんだって。そっから百年ぐらいずーっと賢者の館暮らし。俗世で暮らしたこと、ないんだもん。ふつーの人と感覚がズレててもしょうがないよ』




 クロードに語らせると、この世から悪人は居なくなってしまう。


 だが、俺はそれほど脳天気じゃない。


 というか、神の使徒ですら善人だと信じ込んでるバカの言葉だ。鵜呑みにできるか。



 しかし、それでも……

 クロードのあの言葉を聞いていたから、俺は決心できたのだ。


 修行の為に俺がジャンヌの側を離れても、ジャンヌは寂しい思いをすまい。

 俺から見れば、情無しの冷血漢だが……

 俺が側にいなくてジャンヌが悲しんでいれば、あいつはあいつなりに慰めようと心を砕くだろう。とことんズレた慰め方にしても。


 上位者とやらの脅威からも、あいつがジャンヌを守る。

 そう信じてやることができる。

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