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きゅんきゅんハニー  作者: 松宮星
交錯する英雄の轍
74/236

別れゆく軌跡

「あらまあまあ、もうお戻り? 残念だわ、お夕食もごいっしょしたかったのにぃ。ええ……わかってますよ、テオ。ジャンヌ様は勇者さまですものね、魔王退治でお忙しいのでしょ? わがままは言わないわ。また遊びにいらしてくださいね。セリアちゃんといっしょにお待ちしていますわ」

 笑顔が可愛いテオのお母さまに、手を振ってお別れをした。


 ちょっと強い風がアタシとテオの側を吹き抜け……

 風をまとわりつかせながら、アタシたちは別の場所に立っていた。

 オランジュ邸のアタシの部屋。ボーヴォワール伯爵家の絵の部屋から、風精霊ヴァンの移動魔法に運ばれたのだ。精霊は知覚できる範囲か、行ったことのある場所に跳べる。行きは馬車で一時間以上かかった道を、帰りは一瞬だ。



「ジャンヌ、テオドール、ご苦労だったな」

「おかえりなさい、ジャンヌさん、テオ兄さま。おば様、お元気でした?」

 テーブルで書き物中のお師匠様。

 テオのまたいとこのシャルロットさん。

 シャルロットさんと並んで立っているマルタン。部屋に居るのは、その三人だけ。


 使徒様は魔力の使いすぎで静養中、もとい寝てるって話だったけど、起きたようだ。


「・・待ちくたびれたぞ、女。この俺を待たせるなど、許しがたい怠惰だ。胸に手をあて、内省するがいい」

 鋭い目つきでアタシを睨みながら、アレな人がズンズン迫って来る。

 使徒様はいつもの格好。襟の高い黒の祭服に、金の十字架、指だし革手袋、でもって手の甲には五芒星のマーク……


「あ」

 その右手は、意外な物を握り締めていた。


「ちょっと、あんた、それ」


「早速だが、女。きさまに、喜捨の栄誉をくれてやろう」

 アタシが何かを言う前に、使徒様が、ビシッ! と右手をつきつけてくる。

「喜びの涙を流し、ひれ伏し、差し出すがいい。きさまの為に、やむをえず嫌々ながら不承不承、神に代わってこの浄施を受け取ってやる」


 マルタンが握り締めてるのは、缶詰だ。鮮やかなラベルには、丸くてぷりぷりした果物の絵が印刷されている。

 テオん家に行く前にテーブルの上に並べといた、OB会の先輩たちからの餞別の一つだ。


 顎をつきだし、くねって腰をひねってる僧侶。

 俺様なところはいつも通り。

 だけど、いつもより顔色が悪い。つーか、白すぎ。血色悪いわ。

 目の下に隈ができてて、凶悪な顔に一層の凄味が加わってるけど。


「……その缶詰が、欲しいの?」

「ぬ?」

「いいわよ。あげる」

 旅の非常食にするつもりだった。でも、一個ぐらいなら構わない。缶詰もお菓子もソーセージもまだまだいっぱいある。

「向こうでご馳走になったの。甘くて美味しかったわよ。開け方わかる? 蓋のところのリングに指をひっかけて、斜めにしてひっぱるとパカッと開くから」


 マルタンは肩をすくめ、やれやれとばかりに頭を振った。

「喜捨とは、功徳の行。神への崇拝の機会(チャンス)を与えられたと喜ぶべきところを、『寄付してあげようか?』などと、上から目線でくるとは・・。これだから素人は・・」

 む!

「惜しむ心なくマッハで施捨しろ、凡俗。それが、神への儀礼だ。俺が受け取ってやる」

 ムカッ!

 くださいと素直に言えんのか、この男は〜


「まあまあまあ、落ち着いて。ジャンヌさん」

 横から、にこやかなシャルロットがとりなしに入る。

「お目覚めになってすぐマルタン様はこのお部屋にいらして、あの塊をお手にとられました。それからずっと眺めていらっしゃいますのよ。それは、もう、とてもとても熱心に。神の啓示をお受けになられたのかも。おっしゃる通り、喜捨した方がよろしいかと存じますわ」

 神の啓示ねえ……

「内なるあんたの霊魂がマッハで何か告げたわけ?」

 そう聞いても、マルタンは鼻で笑うだけで……

 態度からして、コミュニケーションを持つ気ゼロだ。


「ジャンヌさん」

 こっそりと、侯爵令嬢が耳打ちをしてくる。

「宗教上の戒律で、マルタン様は金品の所持が許されませんもの。どうしても欲しいものでも、欲しいとおっしゃれないのよ。私達で察してさしあげなくては、ね」

……なるほど。大人だわ、シャルロットさん。


 偉そうにふんぞりかえってる男を、アタシは正面からジッと見つめた。

 いろいろと腹立つ奴ではあるけど、

「わかった。喜捨するわ。英雄世界では、あんたに助けてもらったしね」

 ここは下手(したで)にでてやろう。

「どうかお受け取りください、使徒様」


「フッ。なってないな・・『穢れた身ながら喜捨させていただきます、お受け取りいただければ望外の幸せ。機会をお与えくださり誠にありがとうございます、慈悲深き使徒様』ぐらい言えんのか」

 ぐ!

 なんで、そこまでへりくだらなきゃいけないのよ!


「だが、心がけはあっぱれ」

 マルタンが、微笑む。凶悪で傲岸で変人な、こいつのものとは思えない顔で。

「神に代わって、きさまの信心の証を生かしてやる」

 とても穏やかな笑みなのだ。

 こっちまで口元がほころんできそうな、聖職者にふさわしいあたたかな微笑。それでいて、キュートで……


 柔らかく微笑んだままマルタンは、右手の物に顔を近づけ……

 そっと接吻した。


 胸がキュンキュンした……


……してしまった。


 僧侶が聖遺物に敬意を示してやるアレなら、ここまでドキドキしなかった。

 やけに肉感的で……愛しい誰かに口づけを贈っているような……そんな風に見えたから。

 まあ、聖遺物でも彼女でもなくて、缶詰に唇をあてただけなんだけど!


「きさまに、神のご加護があらんことを・・」

 使徒様がアタシをまっすぐに見つめ、祝福を贈る。

 気品にあふれた顔は、どこまでも清らかで……澄んだ青い瞳は、優しい色をたたえているようにすら見えた。


 顔がカーッと熱くなった。


 わかってる!

 気の迷いよ!

 上辺に騙されてるだけ!


 マルタンの視線が、アタシからシャルロットさんへと動く。

「ククク・・クルクルパーマ。きさまも喜捨したかろう? きさまになら、特別に栄誉をくれてやってもいい」

 ほらね! もう元通り! まっとうな姿は長持ちしないのよ!


「あらあらあら。私にも喜捨の機会をくださいますの。寛大なマルタン様に感謝いたしますわ。でも、お恥ずかしいですが、どういったものを施捨すればよろしいのか見当がつきませんの。どうかお教えお導きください、使徒様」


「この缶詰、俺のもとに置くには、いかにも貧相で心もとなく寒々しいとは思わぬか? もっと派手に盛大に華やかにパーッと、アレでアレしてアレしたいと、きさま、思うであろう?」

「まあまあまあ。ラッピングをご希望……あ、いえ、私、何だか急に、その品を装飾させていただきたくなりましたわ。文具商を呼びますわね。私が喜捨すべき物をお教えくださいまし」


 そのまま話しながら、二人は廊下への扉に向かい、シャルロットさんの後を忠犬よろしく白い雲ゴーレムが追っかけていく。


「ちょっと待って、マルタン!」

 慌ててひきとめた。


「あんたに聞きたいことがあるの」

 もしかしたら、もうお師匠様が尋ねたかもしれないけど。


「アタシ、英雄世界であんたに会ったわ」

 亜麻色の髪をなびかせ、マルタンは肩越しに振り返った。

「あんた、サイオンジ先輩の体に憑依してた。次元穴をぶっ壊して、サクライ先輩といっしょに、アタシ達を救ってくれた」

 口を一文字に結んだまま、神の使徒がゆっくりと体を向き直す。

「あれがあんたの聖戦なんでしょ? こっちで寝てる間、十二の異世界のどっかに魂を飛ばして邪悪と戦う……ずっとそうしてきたんでしょう?」

 マルタンは『それで?』と言わんばかりに鼻で笑い、胸元から取り出した煙草をくわえた。火は点けなかったけど。

「あの時の敵……お師匠様そっくりだった奴……勇者と魔王が居る限り、終わりの無い過ちが繰り返される、だからアタシを殺したいんだって言ってたわ」

 長身のマルタンを見上げた。

「あいつ、誰? あいつとは何度も戦ってるんでしょ? 神様との契約があるから、真実を人に話しちゃいけない制約もあるんだって聞いたわ。だから、話せる範囲で構わないわ。教えて」


「自ずと自明のことを聞くな、女」

 くわえ煙草の使徒様が、冷めた笑みを浮かべる。

「あれは巨悪だ。かけだしで、未熟な、これといって才能のない、今のきさまでは逆立ちしたとてかなわん敵だ。不用意に出遭えば、次こそジ・エンドだ」


「わかってるわ。今のアタシじゃ、太刀打ちできない……このままじゃマズイのは、よぉくわかってる」

 拳を握り締めた。

「だけど、魔王を倒せるのはアタシだけよ。上位者とやらに狙われてるんだとしても、魔王戦まで絶対に生き延びなきゃ。知恵と力を貸してほしいの」


「・・未来(さき)のことは、案じずともいい」

 マルタンが大袈裟に肩をすくめる。

「邪悪を滅ぼす最強の光・・この俺がいる限り、邪悪に未来などない。俺の前に立ちふさがりし闇は、マッハで消え去る・・それが運命の黄金律だ」

 はあ。

「きさまが犬死したとて、無問題。魔王は俺が倒す。安心して、くたばるがいい」

 ちょっ!


「アタシが死んでも、無問題なわけ?」

「腐っても、勇者だ。きさまとて、正義の為ならば喜んで死ぬだろう」

「犬死はごめんよ! 負けっぱなしで、逝くなんてぜったい嫌! あのムカつく奴をぶん殴ってやりたいんだから!」


 見詰め合うこと数秒。


 マルタンはフッと鼻で笑った。

「・・弱いくせに、よく吠える」

 むむ!

「しかし、可能であればできうる限りなるたけ、勇者が魔王を倒すべきではある・・神もそれをお望みだ。魔王戦までは、生かしておくか」


 目を細め、マルタンはアタシを頭から足先までを見つめた。

「・・紙とペン」

「え?」

「ポケットの、その手帳を寄越せ」

 使徒様には、アタシのポケットの中身もお見通しのようだ。それも神の啓示?

 すかさず、シャルロットさんがペンとインク壺を持って来る。


 サイン帳をポケットから出し、使ってないページを開いて渡した。


 くわえ煙草の使徒様が、それにサラサラと何かを書きこむ。

「肌身離さず持っていろ」

 でもって、ぞんざいに放り投げて寄越す。

 慌ててキャッチした。

「歴代勇者のサイン帳よ! 大切にしてよ!」

「だが、己を真に救えるのは己のみ。常に光であれ。絶望の淵から這い上がりたくば、己の内なる霊魂の輝きを信じ歩み続けるのだ」

 アタシの言うことなんか、使徒様は聞いちゃいない。

 良いこと言った! って感じに頬をゆるませ、アタシに背を向け歩き出す。背中のデカい真言(マントラ)模様を見せ付けながら。


「俺の敵には回るなよ・・あばよ」

 そのまま、マルタンは侯爵令嬢を伴って出て行ってしまった。



 マルタンが書きこんだのは……

 速記文字というか、書きなぐりというか、勝手気ままにくねくねした、個性的な文字群だった。

 文字というよりは絵のような……


「英雄世界でのことをマルタンに尋ねたが、」

 お師匠様が、平坦な声で言う。

「語れることは、あまり無いのだそうだ」

「そうですか」

「決して一人にはならぬこと、聖なる護符を持つこと。おまえへの助言は、それだけだそうだ」


「なるほど。それで、使徒様は勇者様の手帳に聖なる文字を刻まれたのですね」と、テオ。

 アタシは手帳をまじまじと見つめた。

 落書きにしか見えないけど……聖なる文字なの? 持ってれば、護符の代わりになるのかしら?



 お師匠様のすみれ色の瞳が、アタシとテオを見渡す。

「留守中に、次の旅に伴うメンバーを考えてみた。だが、決定ではない。より良い提案があれば、聞かせて欲しい」

 アタシとテオは頷いた。


「まずは、セザール」

 テオが、ホッと安堵の息を漏らす。

「ありがとうございます、賢者様」

 お師匠様は静かにかぶりを振った。

「おまえの推測通り、異世界に赴けばセザールの呪いの進行は止まるやもしれぬ。戦力としては期待できぬが、次の旅には伴うべきだ」

 ですね。


「それから、マルタン」

「マルタン様ですか?」

 口元に手をあて、テオは思案するように首を傾げた。

「マルタン様は、神聖魔法の使い手であり、癒しの力も卓越しておられます。ご同道は頼もしい限りですが、現在お体も魔力も本調子から程遠いご様子。今、ご無理をしていただくのはいかがなものかと」

「明日から戦えると、本人は言っている」

「ですが、」

「魔力回復も間に合うだろう。マルタンは昨日から、特別メニューを食べているそうだな?」

「はい。ボワエルデュー侯爵家に伝わる秘伝料理です。シャルロットが指示して作らせています。魔力回復及び魔力増強効果があるのだとか。ボワエルデュー侯爵家は魔法騎士(マジック・ナイト)を輩出してきた家系ですので、魔力コントロールに関する知識と技術が豊富なのです」

 へー

「魔力が回復すれば、自らを癒し、あれは戦場へと向かう。こちらに残しても、大人しく静養などすまい。ならば、その力、勇者の為に使ってもらおう」

 むぅ。

 倒れないでしょうねえ。


 続いて、お師匠様が残り二人の名前と伴う理由を口にした。


 けれども、アタシはろくに聞いていなかった。


 あまりにも意外なことを聞いてしまったから。


 呆然としちゃって……。






「どうした、ジャンヌ、そんなに息せき切って……」


 部屋に飛び込んだアタシを、ジョゼ兄さまが不思議そうに見つめる。

 金髪のくるんくるんのカツラに、お貴族様らしいビラビラの衣装。ハンサムだけどちょっぴり濃い顔だちの兄さまには、あんま似合ってない格好だ。

 兄さまの左の二の腕には、バレリーナの白いチュチュを着たピンクのぬいぐま――ピナさんがくっついていた。


「アンヌおばあさんのお部屋へ行くの?」

「いや。帰って来たところだ」

 重たげなカツラを外し、すっきりした! って感じに兄さまが頭を振る。

「旅のご許可をいただいてきた。実にあっさりとお許しがいただけたよ。昔のおばあ様だったら、いや、以前の俺だったらこうはいかなかったろう」

 兄さまの大きな手が、ポンポンとアタシの頭を撫でる。

「おまえのおかげだな。ありがとう、ジャンヌ」


「旅って、どこへ行くの……?」

 やだ、声が上ずってる。


「お師匠様から聞いたわ。エスエフ界には、セザールおじーちゃんと、使徒様と、ニコラとルネさんを連れてくって……」

 鼻のあたりがツーンとする。

 涙が出そう……

「次の旅には、兄さまも……クロードも連れてかないって……」

 アタシはうつむいた。

「置いてくって……」


 ずっと一緒だったのに。


 魔王が現れて賢者の館を離れたその日に、兄さまを最初の仲間にした。

 クロードはその翌日。


 それから二人とは、いつも一緒だった。

 過保護で心配性。時々、ウザすぎ! って思ったけど、兄さまはアタシのピンチには必ず駆けつけてくれた。アタシを守ってくれた……

 へたれで泣き虫。弱っちいけど、ほんわかしてて明るくて、クロードはアタシに笑顔をくれた。


 三人で笑ったり、おしゃべりしたり、冒険したり……


 小さいころに戻ったみたいだったのに……


 お別れなんて……


「ジャンヌ……」

 兄さまが、優しくアタシを抱きしめる。

 小柄なアタシは、抱かれると兄さまの腕の中にすっぽりとおさまってしまう。


「次の旅には、セザールじいさんを連れていかなきゃいけない。となれば、治癒魔法のエキスパートのマルタン、痛み止めができるニコラを伴うべきだ」

「……わかってる」

「エスエフ界に行けば、高度な科学技術を学べる。ルネを伴う理由もわかるな?」


「わかってるわよ」

 アタシは顔をあげた。

「ぜんぶ、わかってる! だから、反対しなかった! お師匠様の決めたメンバーで行きましょって、ちゃんと言ったわよ! だけど……だけど……」

 じんわりと涙が浮かんできた。


「嫌なんだもん! 兄さまとクロードと別れたくない! 三人でずっといっしょにいたかったの!」


 困ったような笑みを浮かべ、兄さまがアタシを見る。

 兄さまの、太い眉、長いまつげ、ちょっと割れた顎先を見てると、ますます涙がこみあがってきて……


 アタシは、兄さまの胸に顔を埋めた。



『よしよし』とか『いい子だ』とか『落ち着け』とか。

 あやす声が、耳に心地いい。


 兄さまの腕の中で、アタシは小さい子供に戻っていた。



「ごめん……兄さま」

 鼻をならしながら、兄さまから離れた。

「レースのシャツ、ダメにしちゃって……」

「バカ」

 そんなことは気にするなと、兄さまが頭を撫でてくれる。


「俺は嬉しいよ、おまえが弱音を吐いてくれて。勇者なんかやってたら、気を張って疲れるだろう。せめて俺の前ぐらい、ありのままのおまえでいてくれ」


「ありがとう、兄さま……大好きよ」


「ああ。俺も……」

 兄さまは、優しそうに微笑んでいる。

 だけど、何となく、その笑みが少し寂しそうに見えた。


「おまえを愛しく思っている……」


 アタシを抱き寄せ、兄さまがぎゅっと抱きしめる。


「……すまない。命を狙われているおまえを、俺は置いて行く」

「そんな、兄さまのせいじゃ……」

「こんな俺でも側に居れば、おまえの心の支えぐらいにはなれるだろう。だが、悔しいが、それ以上のことはできん」

「兄さま……?」

「……そんな自分が許せないんだ」


 アタシをそっと離し、兄さまはきりっとした表情となった。


「北へ行く」


 北……?


「ジュネに便乗させてもらうことにした。あいつは故郷の村の、おまえが萌えた幻……何といったか……祖父に会いに行くと言っていた。勇者の仲間の一人に選ばれたことを知らせに、帰郷するそうだ」

 それは、そうか。魔王戦の備えもしてもらわなきゃいけないし。


「俺は、格闘修行を積む。どれほどかかるかわからんが、一ヶ月はあちらにいたい」

「そんなに……」

「俺が生まれ育った、格闘家の集落を訪ねるつもりだ」

「でも、そこ、もう無いかもしれないんでしょ?」

「ああ。だが、無ければ無いでいい。北には猛獣やモンスターがわんさといる、鍛錬の相手には困らんさ」


「どうして北へ?」


「強い奴と戦いたいんだ」

 兄さまがアタシを見つめる。

「俺は弱い。実力は精霊たちに及ばず、ピナさんたちの力を借りても英雄世界では無様な姿を晒しただけだった」

「そんなこと」

「事実だ」

 軽く右手をあげ、兄さまは静かにかぶりを振った。


「精霊界にいた頃から、ずっと思っていた。このままでは駄目なんだ……。俺は、おまえを守れる(おとこ)になりたい。おまえの一番でいたい。そうでなければ、共にいる意味が無い」


 ぎりっと唇を噛み締めてから、兄さまははっきりと言った。


「すまない、おまえの元を去る俺を許してくれ。必ず今よりはマシな男になっておまえの元へ帰る。だから……」


 兄さま……


 アタシはかぶりを振った。

「しっかりね……兄さま」

 がんばって笑みをつくった。

 アタシのために頑張ってくれるんだもん……文句言ったらバチが当たっちゃう。

……寂しいけど、平気よ。

「やる以上は、とことんやって。ハンパは許さないわよ」

「もちろんだ」

「それから……修行に熱中し過ぎて、魔王戦の日を忘れちゃ嫌よ」

「ああ。その前に必ず帰る」


 アタシ達の横で、赤毛のクマさんとバレリーナ・クマさんが抱き合っている。

 ピオさんとピナさん。

 生まれた時からいっしょだった二人も、とうぶんバラバラだ。

 二人とも兄さまのしもべになりたがってたのに、アタシがピオさんに萌えたから……ピオさんはアタシとエスエフ界へ、ピナさんは兄さまとこの世界に残るのだ。


 ごめんね、と思うと、くまさん達はかぶりを振った。

 だけど、二人ともしょんぼりしている。とっても寂しそうだ。


「すまんな、ピオさん。しばらくピナさんを借りる」

 ピオさんたちを見つめる兄さまのまなざしは、優しい。


「北で修行をつみ、くまくまファイヤーを習得する」


 つぶらな黒い瞳のクマさんたちが、兄さまを見上げる。

『くまくまファイヤー』は、森のくまさん絵本でピオさんが使っていた必殺技。

 絵本作家が創作した、架空の技だ。


「ピナさんと一つになって魔王にくまくまファイヤーを叩きこむ、俺はおまえ達と約束した。男に二言はない」


《ジョゼ〜》

《ジョゼー》


 愛らしいぬいぐまさんたちに、兄さまは男らしく微笑みかけた。

「ピナさん、力を貸してくれ。いっしょに俺たちの最強拳、くまくまファイヤーを編み出そう。一撃で、魔王に100万以上のダメージを与えられる拳だ」


《もちろんよ、ジョゼ〜》

《がんばってね、ジョゼ、ピナ。ボクもジャンヌといっしょにがんばるー》


 兄さまにわっと抱きつく、二体のぬいぐま。


……涙腺がヤバくなりかけてたんで、アタシも兄さまに抱きついた。


 お別れは、寂しいし、不安だけど……わがままは言わない。


 甘えてばっかじゃなくって、アタシも強くなる……


 兄さまの逞しい胸を感じながら、アタシは目を閉じた。

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