巫覡(ふげき)の人
「ンヌ…… ジャンヌ」
澄んだ声が、アタシの名前を呼ぶ。
「私がわかるか、ジャンヌ?」
感情のこもっていない、平坦な声がアタシを呼び続ける。
目を開けるとそこには……
さらっさらの白銀の髪の、透き通るような白い肌の美しい人がいた。
感情のこもっていない氷像のような顔。
けれども、アタシにはわかる。ジッと見つめる切れ長のスミレ色は、心配そうに揺らいでいる。
ああ……
間違いない……
本物だ。
外見だけ似せた偽者とは違う。
本物のお師匠様だ……
「お師匠様……」
お師匠様が静かに頷く。
アタシはお師匠様の腕に抱きかかえられているんだ……
「もう大丈夫だ」
優しくアタシを力づけてから、アタシが一番知りたいことを教えてくれる。
「皆も無事だ」
心がほっこりした……。
「お師匠様の偽者がいて……」
「後でいい。休め」
「アタシ、またキュンキュンして……」
「それもいい。後で聞く」
「なぜかマルタンが……」
「休め」
お師匠様が瞳を細め、静かにかぶりを振る。
「今は休んでくれ」
アタシを抱く手は、震えている。
「おまえが無事で良かった……」
思わず笑みが漏れた。
もう大丈夫。
お師匠様が一緒なんだから。
なにも心配することなんかない……
あたたかな気持ちのまま、アタシは瞼を閉ざした……
* * * * * *
目を覚ましたら、夕方だった。
部屋に差し込む日差しも、壁掛けの時計も、夕方だと告げている。
今日還るはずだったのになあ。
などと思っていると、宙に浮かぶ白クマと目が合った。
《精霊支配者よ、よく眠れたかの?》
もこもこの白い毛皮、つぶらな黒い瞳、小さなお鼻、小さなお口、そして、丸いかわいいクマ耳。
頭がデカくて、二頭身!
「ピロおじーちゃん!」
ベッドから体を起こし、愛らしい白クマさんをハグした。
「良かった、無事で!」
《すまなかったの。わしらの力が足りぬばかりに、主人たるそなたを危険な目に合わせた》
ううん。二人とも頑張ってくれた。アタシの方こそ、守られてばっかで何の役にも立てなくてごめんなさい。
「ピクさんは?」
《あやつは修行中よ》
ホホホとおじーちゃんクマが笑う。
《自ら望み、サクライ マサタカ配下の闇精霊のもとに弟子入りした》
へー
《己の技量不足を痛感したのだ。役に立てるしもべとなれるよう、同族の下で学んでくるのだそうじゃ》
ピクさん……
《期間は、そなたの帰還まで。じゃが、呼べば、修行を中断して主人の用を果たす為に戻って来るぞぃ》
とんでもない! 邪魔なんかしないわ!
白クマさんの短い右前足が、枕元を指差す。
《精霊支配者よ。良ければ、皆を呼んでくれぬかの? そなたが異空間に封じられてより後、やきもきしておるでのう》
枕元には、イヤリング、ペンダント、指輪、ブレスレット、ブローチが置かれてあった。精霊との契約の証だ。
《ジャンヌ! 大ケガしなくって、ほーんとよかったー》
《すみません、勇者ジャンヌ。導き手の職務中で、あなたの危機に気づくのが遅れました。留守録機能を改善します》
《だから、言ったではありませんか。あなたはマサタカ様と違って脆弱なのです。その辺でうっかり死にかねない弱い生き物なのです。せめて有能なしもべを選べと助言したのに……あの闇精霊、あなたを治癒する事すら満足にできないなんて……。良いですか、これからは必ず私を側に置いてですね、》
《水精霊の提案も一理あるのである。なれど、常に全員を伴うのは危険。上位者の中には、一撃で精霊全員を無力化できる者とて居るのである。一度に全員は出さず、控えの者も残しておく事をお勧めする》
《でしたら、ぜひ、ワタクシはお供役に……どこでもご一緒します。女王さまのためならば、たとえ火の中水の中、トイレやお風呂の中であろうとも、このワタクシがお側に……》
《ま、敵が本気じゃなくて良かったよ。次元穴にだけ攻撃させて、傍観決め込んでた理由はさっぱりわかんねえが……あの級の奴が手ぇ出してきてたら、オジョーチャンもあんたの兄さんたちも一撃死だったぜ》
精霊たちが心配そうにアタシのもとへ寄って来る。異空間で何があったんだか、みんな知ってるようだ。
アタシがいぶかしく思ったことを、ピロおじーちゃんが解説してくれる。
《あの中に閉じ込められておる間は、そなたと精霊達の絆は断たれておった。皆、中でのことは実時間では見ておらぬ。そなたの睡眠中に、独自に情報収集しておったのよ》
なるほど。アタシが救出されたから、いろいろと覗けるようになったわけね。
「ん?」
今、気づいた。何か変だなあって思ってた理由がわかった。
「おじーちゃん、ピロさん口調やめたんだ」
白クマさんがハッ! とする。
うん。その方が話しやすそうだし、聞き取りやすくていい。
アタシの心を読んだのか、白クマさんが、ぶんぶんぶんと大きくかぶりを振る。
《おそらく敵は、何ぞ制約があるのだクマー。条件が整わねば、攻撃できぬと見てよいクマー。今日襲われることは、たぶんないクマー。じゃが、警戒を怠らぬに越した事はないクマー。みなで、そなたを護衛しようと思うクマー。良いクマな?》
語尾に、無理やり『クマー』をつけなくてもいいのに……。森のクマさんシリーズの設定を、意地でも通したいのね。
《当然じゃクマー。『ピロさん』として仲間になった以上、『ピロさん』になりきるのだクマー》
はいはいはい。わかりましたよ、おじーちゃん。意地っ張りねえ。
部屋を出たアタシの後を、精霊達がついて来る。
七体もぞろぞろ連れ歩くのもナニなんで、小指サイズになって、ポケットに入ってもらった。
二階のリビング・キッチンに近づくと、
「ジャンヌぅぅ♪」
ほにゃぁと笑い、幼馴染が嬉しそうに手を振ってくる。元気そうなその姿に、ホッとする。何処にも怪我はなさそう。
リビングでテーブルを囲んでいたのは、クロードとお師匠様。
それと二人の美形メガネ様だった。
二人ともメガネ男子だけど、雰囲気がぜんぜん違う。
一人は、クール・メガネのリヒトさん。金髪碧眼、黒のスーツ、ノンフレームの眼鏡。光の精霊でサクライ先輩の秘書でもあるリヒトさんは、ちょっと近寄りがたい感じの美形だ。
もう一人は、黒縁メガネの柔和な顔立ちの男性。下がり眉で、目尻も下がっている。顔のつくりはいいんだけど……あかぬけないというか、くたびれた感じが漂っているというか……地味で気弱そうに見える。白シャツの上に、だぼっとしたカーデガンを羽織っている。ファッションにあまり頓着していなさそう。
けど、その人を目にした途端、アタシの胸はきゅぅぅんとした。
懐かしくてたまらない……そんな気持ちになった。
「はじめまして、百一代目勇者ジャンヌさん。八十四代目、西園寺左京です」
差し出された右手。
にっこりとした目元。口元の笑い皺。会えて嬉しい! って顔全体で言ってるみたい。
あたたかな笑顔は、アタシにも笑顔を贈ってくれた。
胸がキュンキュンした。
心の中でリンゴ〜ンと鐘が鳴る。
欠けていたものが、ほんの少し埋まっていく、あの感覚がした。
《あと六十二〜 おっけぇ?》
と、内側から神様の声がした
誠実そうで優しそうで……笑顔が素敵。
勇者と逢うと、遠い昔、何処かで会った事があるような懐かしさを覚える。
だけど、この人とは本当に何処かで会った事があるような……
《会っておるぞクマー》
ポケットの中から白クマさんの声がする。
《昨晩、次元穴を倒して現れた男じゃクマー》
へ?
《あの時は、中身は違っておった。が、肉体はこの男じゃよクマー》
次元穴を倒して現れた男って……凶悪面で笑ってたメガネ男? 白い着物と紫袴を着てた……
アタシは目の前の人を指差した。
「もしかして、マルタンに憑かれてた人? あの馬鹿、正義の為ならあなたは喜んで死ぬとかぬかしてたけど、生きてるのよね? 良かったわ、あの馬鹿に殺されずにすんで」
「あれは、あの方独特の、はったりですよ」
サイオンジ サキョウ先輩は、困ったように笑い、頭を掻いた。
「リーダーが来るまでの時間稼ぎというか、敵の気をそらす為に聖気解放をネタに脅してたんです。まあ、ぼくでは、器として役不足というのは本当なんですが。あの方が聖気解放なさっていたら、神聖魔法発動後にぼくは死んでいたでしょう」
一歩間違ってたら死んでたのに、あまり気にした風もない。
ハッとして、慌てて頭を下げた。この人、命の恩人だった。
「あぶないところをお救いくださって、ありがとうございました!」
「いえいえ」
ほんわかと微笑みながら、先輩がかぶりを振る。
「大活躍だったのは、中のお方ですから。お礼はどうぞ中のお方に」
「あの……マルタンとはどういったご関係で?」
「あのお方は、降りていらっしゃる神様のお一人です」
は?
サイオンンジ サキョウ先輩が照れたように笑う。
「ゆえあって、神主の真似事をしていまして。依り代の役も務めています」
そうだった。八十四代目サイオンジ サキョウ先輩は高校の先生。だけど、お母さんが古えから続く神官一族の出身で、神降ろしで邪悪と戦った勇者だっけ。
「名高き神々、名も知れぬ神々。さまざまなお方の依り代を果たしてきました」
サイオンジ先輩は、ニコニコと笑っている。
「あのお方は最近降りてこられるようになった方で、昨夜の降臨が三度目です。神降ろしの間は肉体を明け渡しているので、神様のなさる事をただ見つめているだけ。お話したこともなく、ぼくはあの方のお名前すら知りませんでした」
口癖が『マッハ』だから、『マッハな方』と勝手に呼んでましたと先輩は笑う。
「マルタン様とおっしゃるんですね……」
降りてきた三回は三回とも、先輩が悪しき存在と対峙した時。
マルタンは先輩の体をのっとって神聖魔法をぶっ放し、浄化できたら満足してさっさと還ってるのだとか。
だけど……
「マルタンが神様……?」
「神の使徒だもん、神様も同然だよ」
幼馴染はキラキラと目を輝かせて、サイオンジ先輩を見つめていた。
「内なる十二の世界の何処かで誰かが奇跡を乞うた時、使徒様は眠りにつく。魂を異世界へと旅立たせ、邪悪を祓う為に。ほぉ〜んとかっけぇでした、使徒様とサイオンジさんのタッグ!」
「どうもありがとう」サイオンジ先輩が、クロードの熱烈な尊敬に笑みで応える。
「嬉しいなあ♪ ユーヴェちゃんの目を借りて、ボク、聖戦を目撃しちゃった♪ 使徒様、ものすごくかっこよかった! 感動しちゃったよね?」
いや、そこで同意を求められても……
あんたやマルタンが聖戦がどうのと言ってはいた。
でも、突発性眠り病としか思ってなかったのよ。聖戦とやらも、夢と現実の区別がつかなくなっての妄想かと、ずーっと思ってたの。
「ほんとうに異世界で戦ってたなんて……」
「前にも言ったが、マルタンが突発的に睡眠状態に陥る事に、本人の意志は関わっておらぬ。聖戦の地にマルタンを誘っているのは神様だ」
お師匠様が淡々と言い添える。
「神に誓いを立てる事で、マルタンは人を超える力を許されている。だが、その為の制約も多い。戻ってからおまえの疑問をぶつけても、神から与えられた禁忌ゆえに、あれは口を閉ざすやもしれぬ。その点は考慮してやってくれ」
「はい……」
席につくと、アタシのすぐ側に赤い髪の女の子が出現。飲み物を出してくれる。
ホット・ミルクだ。
ほんのりとした甘さが体の中に沁みてゆく……
一口飲んだら、急におなかがすいた。そいや、昨日の晩に食べたきりだったっけ。
《まもなく夕食ですが、軽食をお召し上がりになりますか? ノヴァに何か作らせますよ》と、リヒトさん。
ちょっと迷ったけど、お断りした。昨日みたいにフリフリ先輩たちが腕をふるって準備してくれてそうだし。
すかさず、赤髪の子がクッキーとチョコ、スライスした果物を出してくれる。
《お飲み物のお供に》
んで、ニコッと笑う。
「ありがとうございます」
ちょっぴり目尻があがってて勝気そうな感じだけど、笑うと可愛いな。あと、すっごいボイン。あんなに大きくっちゃ、下を向いても足元が見えないんじゃ。
クスッと楽しそうに笑って、赤い髪の女の子は姿を消した。サクライ先輩のしもべ。たぶん、炎精霊だな。
ミルクとお菓子をいただきながら、みんなから昨晩のことを教えてもらった。
アタシを連れ出したお師匠様の偽者は、『上位者』で、精霊以上の存在。
なので、アジト護衛役のサクライ先輩の精霊――ブリーズさん&ノヴァさんを簡単に騙くらかせた。
二精霊に気づかれないまま、アタシをこっそりと連れ出せたのだ。
「けど、ボクとジョゼは騙せなかったんだ」と、クロード。
「ごめんね。実はボクら、ジャンヌに印をつけてたんだ」
ジョゼ兄さまは、自分の精霊に常にアタシの動きを探らせていた……というか、ピオさんの動きに注意を払わせていた。
ピナさんとアタシのピオさんは、同じ炎から生まれた、兄弟みたいな存在。常に通じ合っていて、離れていても会話できるし、相手が何処にいるかわかるみたい。
ピオさん or ピオさんが宿った契約の証――珊瑚のペンダントが変な移動を始めたら兄さまに知らせる事になってたんで、夜中のアタシの外出にいちはやく気づけたのだ。
「ボクは、ジャンヌの体に魔力の印をつけたんだ。それを通せば、ジャンヌの現在地がわかるし、ジャンヌが突然遠くに行ったらボクの杖がピカピカ光りだす仕掛けにしといたんだ」
はあ?
「体に印をつけたぁ?」
幼馴染がびくんと身をすくませる。
「見えない見えない! 魔力が無い人には見えない!」
「だからって嫌よ! アタシ、あんたの所有物じゃないわ!」
「そういう印じゃないよ。ただの目印。それに、ホクロぐらいの大きさだよ。つけたのも、左手首で、ふだん雷のブレスレットの下になるところ。契約の証には精霊の魔力があふれてるから、ちっぽけなボクの魔力なんて隠れちゃうって、トネールさんが助言してくれて、そこに」
「乙女の柔肌に勝手に!」
「ごめんなさい! でも、ジャンヌが、また、いなくなったらイヤだったから!」
でっかい目をうるうるとうるませて、幼馴染がアタシを見つめる。
「ジャンヌが水界でさらわれた時、ボク、何もできなかったんだ。すっごく悔しくって、悲しかった……。ボクもジョゼも、ジャンヌの護衛なんだ。ジャンヌを守りたい。何かあったら一番に駆けつけたい。だから……」
むぅぅぅ。
「ジャンヌがイヤがるのはわかってたんだ、でも……」
ああん、もう!
「わかったわよ! 怒らない! クロードたちが来てくれなきゃ、アタシたち殺されてたものね! 感謝してるわ! ちょっぴりストーカーっぽいけど、許す!」
クロードが、ぱああっと顔を輝かせる。
「ありがとー ジャンヌぅぅ!」
どわぁぁ! 抱きつくな! 恥ずかしい!
幼馴染をどつくアタシを、お師匠様はいつも通りの無表情で、サイオンジ先輩は笑顔で見守った。リヒトさんが視線をそらしてくれてるのは、心遣いってヤツよね……。
ったく……リッチを召喚したり、ピクさんを慰めたり、あの異空間でのクロードは男らしかったのに。
まだまだお子様だわ、こいつ。
クロードをひきはがしながら、辺りを見回した。
「兄さまは、まだ眠ってるの?」
「いや、ジョゼフはとうに起きた」
アタシの問いにお師匠様が答える。
「今は、二十九代目のもとで修行している」
え?
二十九代目?
「なんで二十九代目の教えを受けることに?」
二十九代目は、ちょ〜有名な勇者の一人。兄弟勇者の弟の方だ。
賢者となり、弟を導いた冷静沈着な兄……二十八代目。
力自慢の熱血漢、思慮深さに欠け、すぐに兄に丸めこまれてしまう弟。
二人の勇者の書は愛読書だったのよ。フリフリ先輩たちのとは違う意味で!
「私が二十九代目に依頼したのだ。二十九代目はこの世界の格闘技『柔道』の達人。また、光の霊力をこめた技で、邪悪を祓う勇者であった。戦闘スタイルは異なれど、同じ格闘家。教えを乞えば、得るものもあろうと思ってな」
なるほど。
「ジョゼフも思うところがあったのだろう、快く修行に向かった」
《そなた、二十九代目とやらに会うてるぞクマー》
ポケットから再び説明が。
《異空間の扉を力づくで開けていた男、あれが二十九代目じゃクマー》
言われて思い出す。
扉の側には二人の男性がいた。
一人は金の髪の優男だったから、刈り上げマッチョの方がたぶん二十九代目だ。
《もう一人は、九十七代目だそうじゃクマー》
「じゃ、ヤザキ ユウ先輩!」
アタシがその二人にキュンキュンしたことは、お師匠様にバレてた。
あの異空間の中で何があったのか、アタシの精霊や兄さまたちが既に報告済みだそうで。
「あの異空間から出るまでに、おまえは三度胸をときめかせた。ユウは言霊使い。言葉の呪で敵をじわじわと弱らせてゆく戦法しかできぬ。一撃で百万ダメージは不可能だ。良き伴侶とは言えぬが、おまえがアレの姿を見てしまったのはやむをえない」
ため息を漏らしてから、お師匠様が淡々と言う。
「しかし、二十九代目キンニク バカ殿は高い戦闘力をお持ちの方だ。ユウの力不足も、キンニク バカ殿が補ってくださるだろう」
《賢者さま。そちらの世界の勇者名ではなく、本名の『片桐直矢』と呼んであげてください》と、リヒトさん。
「そうだね。『キンニク バカ』って連呼されたら、直矢くん、泣いちゃうよねえ。あのひどい勇者名は、雪也さんが嫌がらせで付けたあだ名だものねえ」と笑顔のサイオンジ先輩。
あの逞しいマッチョさんが、シクシク泣くとも思えないけど。
そういや、サクライ マサタカ先輩から本名教わってたのよねえ。
二十九代目はカタギリ ナオヤ。
二十八代目はカタギリ ユキヤだった。
忘れないよう、メモしとこう。
「わからぬのは、三人目だ」
すみれ色の瞳が、ジッとアタシを見つめる。
「おまえが出会った人間は全て精霊達より聞いた。既に伴侶である人間を仲間に加えることはできない。状況的に、おまえがときめく事ができる者は一人しか居ないが……」
お師匠様が口を閉ざし、アタシの答えを待つ。
昨晩、アタシがキュンキュンしたもう一人は……
「……お師匠様の偽者にキュンキュンしちゃいました」
「やはり、そうか……」
お師匠様は、無表情のまま額に手をあてる。
何も言わない。
『おまえの萌えは、あいかわらず不可解だ』とも『私には、ジャンヌの好みがさっぱりわからない……』とも『全ての者を警戒する。おまえが何に萌えるか、正直、私にはわからぬからな』とも何も。
いかにもな悪役を百人伴侶の一人にしちゃったってのに。
責めてもくれない。
胸がチクッと痛んだ。
「……お師匠様の偽者はやっつけたんですか?」
「う〜ん……あの場にいた肉体は浄化しましたよ。ですが、倒せたわけではありません」
サイオンジ先輩が頬を掻く。
「あの体は魔力で生み出された依り代。人造人間といいますか、端的に言えば『生きている人形』でした。それに、高位の存在が降りていたんですよ」
「高位の存在? て、誰です?」
「さあ」
先輩が微かに首をかしげる。
「ぼくにはわかりかねますねえ。あなたの『敵』としか言いようがありません」
お師匠様に視線を向けたものの、『わからない』と静かにかぶりを振られてしまった。
クロードに聞いても、無駄だし。
記憶が鮮明となる。
お師匠様の偽者の発言を、一字一句違わず思い出せる。ピクおじーちゃんが、アタシの記憶を活性化したんだ。
私は……私だ。
おまえを見つめ続けるもの。
魔王と勇者がある限り、終わりなき過ちが繰り返されるだけ……
その愚かなる輪を断ち切りたいがゆえに、私は常におまえの事を思ってきた。
いかにしておまえを殺そうか、と。
それから、マルタンに『また、貴様か……』って言ってたっけ。マルタンの能力もよく知ってたし。
「あいつ、マルタンの仇敵?」
「既知の間柄のようでしたが、ぼくからは何とも」
サイオンジ先輩は首をかしげるだけだ。
「ぼくはただの入れ物なので、降臨なさる方々のご事情はわからないのです」
「戻ってから、マルタンに尋ねてみよう。禁忌ゆえに語れぬとしても、何らかの助言はくれるだろう」
「……そうですね」
お師匠様の偽者を思い出す。
あいつには表情があった。
尊大で傲慢で、冷笑を浮かべる嫌なヤツだった。
でも、アタシがときめいた時には、
ほんの少しだけれども、口角をあげ……
目元を細めて……
笑みを形作っていた。
とても優しそうで、すっごく綺麗で、アタシがずーっと見たいと思っていた微笑みだったから、つい……
バカなことをしちゃった。
魔王戦であいつを呼び出すことができるのかしら?
てか、また襲ってくるんじゃ?
考えれば考えるほど不安になる。
けど、一度萌えた伴侶を『今の間違い。やっぱ無し』にはできない。
どうしようもないんだ。
アタシは大きくため息をついた。