◆新世代セザール/奇蹟◆ 前編
「メガネ・・俺は、今、充電中なのだ。この世界では、神の使徒を開店休業している。面倒事なら、他をあたれ」
マルタン様は、いつにもまして顔色が悪い。目の下の隈も色濃く、雲ゴーレムから降りるのも大儀そうだ。
直接の面識を持つ前から、マルタン様のお噂は耳にしていた。
この世を守るべく邪悪と戦い続け、表舞台には決して現れぬ神秘の使徒。
高潔な人物と思いこんでいた為、戸惑いは否めなかったものの……
個人的に調査し、噂以上の実力の方である事は把握した。
聖教会の情報統制が思いのほか厳しく、詳細を調査する事はできなかった。が、それでも驚異的な数の奇跡に関わっておられる事は判明している。
若年でありながら、この方は聖教会で最も邪悪祓いに秀でた方なのだ。
そのマルタン様がこれほど疲れきって帰還なさったのだ。『巨悪』との戦いは過酷なものであったと推測される。
「それでは、ゲボクさんをお預かりいたしますわ」
またいとこのシャルロットが、マルタン様ににっこりと微笑みかける。
「ゴーレムのゲボクさんが活動停止しないよう、毎日、充分な魔力を差し上げますわね」
「任せたぞ、クルクルパーマ」
「はい。心をこめてお世話させていただきますわ」
変なあだ名で呼ばれても、シャルロットはにこやかなままだ。
白い雲が、ぽよぽよとシャルロットのもとへ飛んでゆく。後ろ側をやたらと振るその姿は、尻尾を振る犬のようだ。
「使徒様。私からもお願いがございますの」
「ぬ? なんだ? 言ってみろ」
「テオ兄さま、とてもとても困っていらっしゃるの。お話だけでも、聞いていただけませんか? 偉大なる使徒様にお耳を傾けていただけるだけで、迷える信徒は幸福となれますもの」
マルタン様がぴくっと反応する。
「偉大なる使徒・・俺が話を聞くだけで幸福になれる・・そうなのか。フッ、困ったものだな。俺は懺悔聴聞僧ではないが・・きさまがどうしてもというのなら、懺悔を聞いてやらん事もないぞ、メガネ」
「いえ、懺悔では、」
左足の甲に激痛が走った。
「テオ兄さま、よけいなことはおっしゃらないで」
私の足を踏みながら、シャルロットが声を潜めて言う。
「どんな形であれ、お話を聞いていただくべきですわ」
……確かに。
「テオ兄さまは『私ごときの為にお時間をとらせ、申し訳ありません。ですが、凡俗なる私は、偉大なる使徒様のお慈悲におすがりせねば何もできないのです』と、申しておりますわ」
「そうか・・そこまで頼られては仕方がない。きっちりかっきりくっきりと、聴聞してやろうではないか」
使徒様は、上機嫌だ。
……この方の操縦方法は、『誉めまくってプライドをくすぐり、その気にさせる』なのか。覚えておこう。
「で? 何を告白したい?」
椅子にふんぞりかえって座るマルタン様。
煙草をくわえ、火を点けさせる為だけに炎精霊を精霊界から呼び出し、終われば還らせる。
ぷは〜と煙を吐き出すその姿は、告解に耳を傾ける僧侶にふさわしくない。
が、ともかくも、話を聞いていただければ……
「実は……先日、ニコラ君に」
「ガキの話なら聞かん」
いきなりスパーンと、話を打ちきられてしまう。
「あのガキに関しては、既にとっくにさっさと、勇者に一任した。悪事をもくろまぬ限り、俺の管轄外だ」
「マルタン様はご寛大にも、悪霊化していたニコラ君の今後を勇者様に託された。あの子は、祓うべき対象からは外れている。承知しております。しかし、」
「祓えんものには興味がない。あのガキは馬鹿女に任せろ。俺は知らん」
「あらあらあら。でも、今、勇者様は英雄世界ですわ。ニコラ君が深く慕っているジョゼフ様も」
上目づかいにマルタン様を見つめて手を合わせ、シャルロットが愛らしい仕草でおねだりをする。
「ご無縁の事で煩わせて、たいへん申し訳ありません。ですが、この世界に残った者がつつがなくある事こそ、勇者様の導き手であられる賢者様のご助力になると思うのです」
シャルロットがにっこりと微笑む。
「賢者様の為にも、あの子に関わる話にもどうぞ耳をお傾けください」
「・・賢者殿の為、か」
チッと、マルタン様が舌打ちをする。
「聞くだけは、聞こう。言ってみろ、メガネ」
マルタン様の操縦方法その二、いざという時は『賢者様の為』の呪文を効果的に使う。……これも、覚えておこう。
今、ニコラ君はクマ型ゴーレムと一緒にアンヌ様のお部屋だ。今日一日の予定を、アンヌ様はニコラ君の為に空けたとのこと。幽霊の少年は、大喜びでアンヌ様のもとへ行っている。
五十二年前、屋敷に押し入った賊に殺されたニコラ君。
享年、八才。
彼の精神は、その時からまったく成長していない。
彼は自分が死んでいる事を理解しており、自分が亡くなった後にアンヌ様がご結婚なさった事も、子供や孫がいる事実も受け入れてはいる。
けれども、彼にとってアンヌ様は未だに愛しい婚約者。
その執着心が、ひどく危ういものに思えるのだ。
マルタン様に、このまえの出来事を語った。
ニコラ君は、勇者仲間の誰かをひどく嫌っていた。アンヌ様の家に来て欲しくない、そんな意味の事を言っていた。
それどころか、
《めざわりな男だ……消してやりたいが……まあ、いい。どうせ長くは……》
などという子供らしくない発言までしたのだ。
その時は、発明家ルネの事を嫌っているのかと勘違いした。
けれども、シャルロットが優しく語りかけ、少年の気持ちをほぐして聞き出してくれたのだが……
ニコラ君は、セザール様を嫌っていたのだ。
それも、実に子供らしい理由で。
《あいつ……ぼくのアンヌを見て、顔を赤くしたんだ。いいとこみせようと、カッコつけてた。フィアンセのぼくの前で……。失礼だよ、あいつ。だいきらいだ》
泣きながら、シャルロットにそう訴えたのだそうだ。
「ババアをめぐって、ガキがジジイに嫉妬か」
「その呼称はいかがなものかと。女性に対する蔑称に該当します」
咳払いをし、アンヌ様への呼称を『高齢女性』に改めていただきたいと提案した。
それに対し、マルタン様はフッと鼻に抜けるように笑われただけだったが。
「『消してやりたい』発言は未だに悪霊化する危険を示唆しております。その点も気になりましたが、『どうせ長くはない』の意味合いの言葉が気になりまして、シャルロットに粘り強く聞き出してもらったのです。彼には幽霊ゆえの神秘の眼がある事が判明しました。つまり、彼の目には……」
「・・ジジイが瀕死のくたばり損ないに見えたわけだな」
驚きのあまり、目を見開いた。
「ご存じでしたか?」
「いや」
マルタン様が丸めた口から、煙を吐く。
「だが、あのジジイは呪い持ちだ。魔王が現れた今、あらゆる邪悪は活性化している。呪いが進行しつつあると想像するに難くはない」
「賢者様のお留守を預かる身でありながら、私はその可能性にすら思い至っておりませんでした」
まったくもって恥ずかしい。
セザール様は、九十八代目カンタン様のお仲間のお一人。
魔王戦で負傷し、石化の呪いで右肘から先は石となって砕けたのだと、シメオン様より伺ってはいた。
その呪いが未だに続き、セザール様のお命を脅かしているとは……。
「当のジジイは何と言っている?」
「呪いの進行については言を濁されました。魔法医の診察は、必要ないと拒まれています」
溜息が漏れた。
「百人の伴侶の内の一人が欠けても、託宣は叶わなくなります。セザール様のご健勝は、この世界にとっても大事だというのに……」
孫のエドモン君にも、理をもって説明した。不機嫌そうな顔で『……わかっている』と言葉短くつっぱねられてしまったが。
「で? メガネ。俺にどうして欲しい? きさまは呪われている、とジジイを指させばいいのか?」
「いえ、そういう事ではなく」
「では、ガキの方か? 悪霊化するなと釘をさしておけばいいのか?」
「いいえ」
「ふん?」
「失礼ながら、マルタン様では説得役に不向きです。あの子は、あなたを未だに恐れております」
「・・当然だな。さんざん嫌というほど大袈裟に脅しておいたからな」
「自分が罪を犯せば、マルタン様にジョゼフ様と勇者様が殺されてしまう、だから絶対に悪事はしない、とニコラ君は言ったそうです」
その時、ニコラ君はシャルロットに頼んでもいる、『セザールなんて死んじゃえって思ってること、おにーちゃんたちにはナイショにして』と。
ジョゼフ様に『見損なった、おまえなど男ではない』と軽蔑される事を、なにより恐れていたのだそうだ。
シャルロットは精霊界から戻られたジョゼフ様に少年が悩みを抱えている事こそ伝えたものの、詳しくは教えず、無理に聞き出そうとはせずに共に遊んでやって欲しいと頼んだ。真っ直ぐな気性のジョゼフ様と触れ合う事が救いになるであろうからと。
ジョゼフ様は幽霊の少年と二人きりで、部屋に籠られた。どんな会話が交わされたのかはわからない。
『男同士で腹をわった話をした……ニコラは大丈夫だ。少し待ってやってくれ』とだけシャルロットに伝え、ジョゼフ様は英雄世界に赴かれた。
ニコラ君の様子には、今のところとりたてて変化はないが……。
「まあ・・ガキのお守は、クルクルパーマと、筋肉と、勇者がやればいい」
私もその三人が適任だと考えている。
「ニコラ君が悪霊化しないよう、周囲の者が気を配ります。マルタン様には、マルタン様にしかできない事をお願いしたいのです」
けだるげに椅子に身をあずけていらっしゃる方に、頭を下げた。
「マルタン様。激戦の後、たいへん申し訳ありませんが、セザール様を診ていただけませんか? できますれば、解呪を」
「言ったはずだ、俺は開店休業中だと」
紫煙をくゆらせながら、マルタン様が微かに目を細める。
「ついでに言えば、十中八九、その呪いは解けん。聖教会には呪祓い専門の僧侶も居る。魔王の呪いを四十年も放置しておるのは、祓えんからに決まっている」
「……その可能性が高い事は承知しておりました。しかし、マルタン様は偉大なる神の使徒。他ならぬマルタン様であれば、不可能を可能に出来るのではないかと」
ぴくっ、とマルタン様が反応する。
「・・買いかぶるな、メガネ。俺とて、できぬ事はあるのだ」
そうおっしゃりながら、口元は緩んでいる。
もうひと押し!
「まずは御診察を。神聖魔法はもちろん、回復魔法においても、マルタン様は聖教会で最高峰のお力をお持ちと伺っております。祓えぬ性質のものならば、呪いの進行の緩和でも構いません。マルタン様の優れたお力をもって、九十八代目魔王の呪いから私達凡俗をお救いください」
横からシャルロットも言い添える。
「マルタン様の神々しさが、ニコラさまの救いにもなりますわ。今ではニコラさまは、セザール様の死を願った自分を悔いてますもの。どうぞセザール様を死から遠ざけください。比類なき使徒マルタン様でしたら、おできになると私信じておりますわ」
「やれやれ・・運命に抗えと、きさまらは俺に乞うのだな」
顔の半分を右手で隠し、マルタン様が頭を軽く振る。
「絶望の闇の中でも光り輝く者・・それが神の使徒たるこの俺だ。凡俗ばかりのこの世界では、俺への負担は嫌だが往々にデカクなる」
『いやだがおうおうに』? 言い間違いだ。正しくは、『弥が上にも』或いは『否でも応うでも』だ。
しかし……聞き流そう。この方のご気分を害しかねない指摘は、今は控えるべきだ。
と、思った時、扉がノックされた。
メイドが告げた来訪者の名前に、私もシャルロットも驚いた。
「驚きました。邪悪退治の旅に出られたはずの使徒様が、このお屋敷にいらっしゃるとは……」
そうおっしゃった方が、同行者に頭を下げる。
「お言葉通りでしたな……。お手前の占いを軽視した無礼をお詫びいたします。もはや観念いたしました。お手前のおっしゃる道……百一代目様の為のより良い未来へこのジジイをお導きください」
その横の若者も、深く礼をする。
セザール様達の謝罪を受けている男が、フフッとすかした顔で笑う。
「頭をあげてくれ、じいさん、エドモン君。俺はじいさんの星を読み、今日この時間にここへ来る事が最も良い未来に繋がる……そう占っただけだ。じいさんの運命を変えられるのは、俺じゃあない。今はこの場に居ない輝く三つの星と……使徒様……そして、」
怪しげな男が、不躾にもこちらを指さしてくる。
「学者先生。この五つの星がじいさんを死の運命から遠ざける」
な……
何を言っているのだ、占い詐欺師は?
占いなどという非科学的なものに、私を加担させる気か?
「よろしくお願いいたします」
セザール様が、まずはマルタン様に、続いて私に、深々と頭を下げる。祖父に倣い、エドモン君も。
「勇者様の未来に関わる大事をお伝えせず、申し訳ありませんでした。もはや治らぬ腕、騒いだところでいたずらに皆さま方を煩わせるだけと思いこんでおったのです。ルネ殿に義手にすげ替えていただければ万事解決と、思っておったのですが、」
「そいつは悪手だ。今のままでは、じいさん……あんた、間違いなく死ぬぜ。魔王戦本番の日には……あの世だ」
不謹慎なほどニヤニヤした顔で、占い師は言う。
「ご恩返しするどころか、お嬢ちゃんを絶望に追いやる事になる。そいつは、本意じゃないだろ?」
「誠に……その通りにございます」
沈痛な顔で、老人がうなだれる。
翻意を促したのが占い師である事は腹立たしい。どうせ、情報屋から『マルタン様の帰還』を知らされ、その情報を武器に『俺の占いはインチキじゃあない。それを証拠に断言しよう。今日、じいさんはオランジュ邸で使徒さまに出逢う。治癒していただくのが、じいさんの運命なのさ』とか何とか嘯いたのだろう。
しかし、理由はどうであれ、セザール様が治癒に同意してくださったのだ。些事には目をつむるべきか。
「マルタン様」
促すと、神の使徒はおっくうそうに体を起こした。けれども、
「ここじゃいけませんぜ、使徒さま」
すかさず怪しい男が口をはさんでくる。
「使徒さまのお力は、ふさわしき舞台にあってこそ一層華やかに輝かく。よりよい未来の為に、河岸を変えましょうぜ」
「……この場をお借りできた事で、セザールさまの未来に希望の光が差しました。オランジュ伯爵さまに深く感謝いたします」
大仰な仕草で、占い師がアンヌ様にご挨拶をする。
「構いません。勇者様とそのお仲間の方々にご協力する事が臣民の義務ですから」
アンヌ様は、貴婦人らしくたたずまれていた。
が、セザール様が上着を脱がれた時には、さすがに瞳を細められた。
セザール様が脱いだものを、孫のエドモン君に渡す。
老狩人は髪も顎髭も白い。けれども、皺の刻まれた肌は日に焼けており、背筋はしゃきんと伸びている。お体も若々しい。盛り上がった逞しい胸、割れた腹筋。左腕もたいへん太い。
しかし、その右腕は……石膏像の残欠とも、枯れきった樹木の枝とも見える。
セザール様の右肩から重たげに垂れているものは、白く石化しており、肘までしかない。
「そのようなご負傷を負われても、尚、戦場へ……」
痛ましい姿に、アンヌ様が同情を寄せられる。
その傍らには、オレンジ色のクマ型ゴーレムと手をつないだニコラ君が居る。
アンヌ様を見上げる顔は、実に不快そうだ。眉間にシワ寄せている。
この場にシャルロットが居れば、少年の心を慰めたろうが……またいとこ殿は未婚の淑女だ。半裸になる男性とは同席できないとの理由で、勇者様の部屋に残っている。
髪も肌も服も目までも白い、幽霊の少年。
その険しい表情が気がかりだ。
祖父の上着を腕にかけてエドモン君は下がり、マルタン様が進み出る。
「ふん?」
使徒様が、セザール様をしげしげとご覧になる。
「・・これは・・ひどい」
そうおっしゃりながらも、口元には笑みが浮かんでいる。目にも憐憫の色はなく、興味をもってただ観察している感じだ。
「・・痛いだろう、ジジイ?」
「いえ……さほどは」
「ほほう」
面白そうに笑い、マルタン様はにぃっと笑われた。
「これでもか?」
マルタン様が、セザール様の右腕をつかまれた途端――
部屋にくぐもった悲鳴が響き渡ったのだった。
石化した右腕から白い煙があがっている……
「もはや手遅れだ、ジジイ。きさまは助からん。石化は二の腕までだが・・」
空いた左手の指を、セザール様の右肩から首、更には腹部までに滑らせ、マルタン様は無情にも言い切った。
「呪いはここまで浸透している。腕を切り落とせば石化自体は止まる。だが、弱ったその体に無理に治癒を施せばショック死しかねんし・・あえて果敢にやったところで、余命が数日伸びる程度。焼け石に水だ。腐った箇所全てを捨てぬ限り、きさまは死ぬ」
そこまで切除しては……人間は生きられない。
「その呪いは魔王と連動している。魔王ある限り、呪はどうあっても活性化する。俺から言わせれば、今まで生きていた事こそが奇跡だ。よくも、まあ・・九十九代目、百代目の代に、呪の進行に抗えたものだ。あっぱれと言えよう」
歯を食いしばり声を殺すセザール様に、マルタン様が顔を近づける。静かな笑みを湛えながらも、目はつりあがっており、口は大きく歪んでいる。その禍々しい表情に、嫌悪感を覚える。その顔は、まるで……
「年老い、生命力が衰えたのが敗因だ。あきらめて、死ね。人として、な」
視界の端で動きがある。
占い師が、エドモン君を押さえているようだ。マルタン様に殴りかかろうとしたのか……
「この体……どれほどもちましょうか?」
苦痛にあえぎながら、セザール様が問う。
「気力次第だが・・人並みに動けるのはせいぜいが二十日、そこからは呪は一気に加速する。全身が麻痺し、やがては呼吸さえも困難となり、心臓が止まってジ・エンドだ」
ざわっと周囲が揺れた気がした。天井や壁の裏から奇妙な音がしだす。カリカリと何かをこするような……
ぎりりと歯を鳴らしていたセザール様が声を張り上げる。
「エドモン。鼠どもを下げろ」
「……じいちゃん」
前髪で両目を隠した青年が、不満そうに下唇をつきだす。
「わしに恥をかかせる気か……? この方は真実を伝えていらっしゃるだけ……おまえの怒りは、見当ちがいじゃ」
「………」
エドモン君は無言のままだ。
しかし、壁の裏から聞こえていた音は止んだ。
セザール様とマルタン様。
占い師に抱きとめられているエドモン君。
気遣わしげなアンヌ様と、むくれた顔でオレンジのクマと手をつなぐニコラ君。
全員を見渡してから、疑問を口にのぼらせた。
「質問します。セザール様にかけられた呪いは、魔王と連動しているとの事。それは魔王と同じ世界に居る為と解釈してよろしいのでしょうか?」
「ぬ?」
意味がわからないという顔をしている方に、表現を変えて質問し直した。
「魔王ゆえに呪いは活性化するのでしょう? ならば、魔王の居ない世界に赴かれれば、呪いの進行は止まりませんか?」
「むぅぅ・・」
マルタン様が首を傾げる。
「わからん。その呪は俺とて初見。魔王の影響が異世界にまで及ぶかどうか、五里霧中だな」
「でしたら、勇者様が次に赴かれる異世界にセザール様を伴っていただき、試してみましょう。異世界滞在中、呪いの進行が止まれば良し……そうでなくとも、」
メガネのフレームを持ちあげた。
「どのような状況下にあろうとも、冷静に知的に粘り強く思索を続ければ活路は見出せます。この世界の医術及び魔法では解決できない問題も、異世界の技術をもってすれば解決するかもしれません。仲間探しに適し、且つ、医療の発達した世界を次の候補地とすべく千慮いたします」
「かたじけない……テオドール様」
過去の英雄に、かぶりを振った。
「この前も申し上げました。セザール様がお亡くなりになられては、魔王戦敗北は必至。セザール様のご健勝が、この世界にとっても大事なのです」
《ねえ……それって、セザールが死ぬと、おねーちゃんが負けるってこと?》
ニコラ君の為に、簡単な表現で説明した。
「そうです。勇者様は神様より『十二の世界から百人の仲間を探し出し、力を合わせて魔王を倒す』よう、使命を与えられました。百人の内の一人が欠けてもいけないのです。勇者様は魔王に敗れ、この世は邪悪に滅ぼされるでしょう」
「・・そうとなったら、この俺が真の力をみせてやるが」
マルタン様がククク・・と笑われる。
「あくまで、最終手段だ。可能であればできうる限りなるたけ、勇者が魔王を倒すべきだ」
「私達は勇者様の仲間。どんな状況下にあろうとも、最善を尽くすべきです」
《さいぜん?》
「自分に何ができるかを考え、 たとえ望まぬことであっても、困難であろうとも、勇者様の為に成し遂げるという事です」
《おねえちゃんのため……》
私からアンヌ様、セザール様へと視線を動かし、ニコラ君はもう一度私へと視線を戻した。
《ぼく……やれることがあるよ。おねーちゃんのためなら……やってもいい》
ニコラ君が、もじもじと体を揺らす。
小首をかしげた、上目遣い。失敗を隠す子供のようだ。大人に媚びる態度と言おうか。
けれども、彼からの申し出こそが、セザール様の延命になくてはならぬものだったのだ。