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きゅんきゅんハニー  作者: 松宮星
交錯する英雄の轍
65/236

深淵の虜囚

 ピナさんの炎をまといながら、兄さまはアタシの敵と対していた。


(ゴミ)が紛れこんでいたか」

 闇の中から浮かび上がる者は、お師匠様にそっくりだ。外見ばかりじゃない。声も、淡々とした話し方まで、まったく同じ。

 けれども、その表情は本物とぜんぜん似ていない。

 冷たく微笑んで、アタシ達を見ている。

「小さすぎて、目にもとまらなかったのだな」


「おまえは、誰だ?」

 感情を押し殺したような低い声で、兄さまが尋ねる。

「なぜ賢者の姿をしている?」


「偽物と決めつけるのか? 本人かもしれぬぞ」

 にぃぃっと口元を釣りあげて笑いながら、それはそんな台詞を……。


「……あいつは胸くそ悪い冷血漢だが、勇者ジャンヌを大切にしていた。自分の世界を守る為に、な。……おまえは賢者ではない」


「私は、私だ」

 含み笑いをしながら、それが言う。

「憐れだが、自ら死地に赴いたのだ。おまえも、ジャンヌと共に果てるがいい」


「ほざけ。貴様の好きにはさせん。この命に代えても、俺はジャンヌを守る」


 兄さま……


「ジャンヌ。こっち来て」

 紫雲の上の幼馴染が、早く乗れとアタシを促す。

 アタシは、クロードの精霊の変化(へんげ)の上に飛び乗った。ふわふわなクッションみたいな柔らかさだ。


「この上には、トネールさんの結界が張られてるんだ」

 幼馴染は、兄さまたちをジーッと見つめている。

「闇の精霊の結界はもう必要ないから。その任務は解いて、同化してもらうといいよ。精霊の目で、戦いを見つめられる」

「え?」

「僕、ユーヴェちゃんの目を借りてるんだ。敵の姿がはっきり見えると便利だよ。ジャンヌもそうした方がいい」

 対峙する二人から目をそらすことなく、クロードは口元に優しい笑みを浮かべた。

「ごめんね。しばらく話せなくなる」

 両手で杖を握りしめ、紫雲の上に杖底をつきたてる。

 深呼吸をしてから、クロードは瞼を閉じた。


 杖頭のダイヤモンドを額にあて、ブツブツと意味不明な音を口にしだした。

 呪文を唱えているのだ。


 まるで本物の魔術師のように。



 パン! パン! パン! パン! と、硬質的な派手な音が響いた。


 炎が宙を走る。


 速い。


 兄さまが、目にも止まらぬ速さで駆ける。

 ありえない速さだ。

 その炎の軌跡だけが、宙にジグザグに残る。


 お師匠様の偽者に近づいては、後方にとびすさったり、脇に跳んだりして、距離をとってしまう。

 繰り出す拳と蹴り。

 発火する宙。


 兄さまは、アタシの目には見えない何かと戦っているんだ。


 あっちこっちから、ピシピシピシッ! と、何かが凍る音がする。

 氷が砕ける音も。

 ピロおじーちゃんも、アタシ達を守って戦ってるんだろう。


「ピクさん、アタシと同化して」

《う、うん。わがっだ》

 小指サイズの黒クマさんが、ふわふわと宙を飛び、アタシの顔の前までやって来る。しょぼんと頭をうなだれて。

《だども、おら、はじめてなんだ。うまぐいぐ気がしれねぇ……ジャンヌを壊しちまうかも》

「壊す?」

《人間は弱いがらすぐ壊れる、気ぃづけろって、ヴァンが……。精霊がうまく動かねえと、腕がポロンとか、血がドバーとか、内臓ドカ〜ンとか、させぢまうっで》

 ぐ。

《おら、ジャンヌを壊しだくねえ……》

 そーいえば、アタシもヴァンから同じこと聞いてた。

 精霊にきちんと指示を与えないと、体内で勝手に暴れられて、酷い目に合うって。

 だけど……

「アタシの目じゃ、敵が見えないの。何がどーなってるのか知りたい。アタシも戦いたいわ。ピクさんだけが頼りなの。お願い、力を貸して」

《が、がんばる》

「やり方がわかんないんなら、アタシの記憶を読むといいわ。氷界や雷界でソルと同化してるから、参考にして。その時みたいにやってくれればいいの」

《わがっだ》


 小さな黒クマが、アタシに近づいて来て……

 アタシの内に、すっと沁み込む。


 その途端……


 頭の中に、いっぺんにいろんな映像が流れこんできた。


 アタシの前後左右上下、全てが同時に見える。

 何処までも何処までも。


 凄まじい黒の気が見える。

 激しく打ち寄せる大波のよう。

 敵の後ろから、大量の黒の気が濁流のように押し寄せ、アタシたちへと襲いかかる。

 渦のように囲み、アタシたちを呑みこもうとする。


 四方から、明確な敵意を感じた。


 ねっとりと濃い闇……瘴気、という単語が頭の中に浮かんだ。

 その中には、小さなものがわしゃわしゃと蠢いていた。

 人間とも獣とも鳥とも魚とも虫とも岩ともつかぬ、異形のもの――魔だ。

 飛び、跳ね、駆け、這う。さまざまの動きをし、アタシ達に襲いかかってくる魔、その一体一体の動きを『感じ』てしまう。あらゆる角度から、各個体の動きが見えてしまう。

 何千何万という魔が頭の中で蠢いているようだ。


 腐敗臭を思わせる強烈な臭い。


 激しい音の暴力。獣じみた声、悲鳴、笑い声、風の音、べちゃっと何かが潰れる音……さまざまな音が大音響で聞こえる。


 何もかもがいっぺんに、頭の中に押し寄せて来る。


 目を閉じ、耳をおさえても、それは止まらない。


 情報の嵐に圧倒され、アタシの意識は遠のきかけた。



 その時、炸裂する光を感じた。


 クロードの顔が頭の中に浮かぶ。

 稲妻のイメージも。


 ジグザグに宙を切り裂く雷光。


 雷魔法だ。


 クロードの魔力を帯びた雷が、紫雲の周りの敵をいっぺんに吹き飛ばしたのだ。


 辺りがパーッと明るくなる。

 周囲から魔の数が減ったおかげで、頭の中の濁りが晴れ、楽になったのだ。


 けれども……

 その雷の雨を浴びながら、お師匠様の偽物は悠然と佇んでいた。

 クロードの魔法を受けても、まったくダメージとなっていない。


 燃えあがる炎が駆ける。

 お師匠様そっくりな男に炎の拳を叩きこもうと、一気に距離をつめる。


 でも、ダメだ。後一歩というところで、敵の背後から魔の気が噴出する。

 雪崩のように襲い来る魔。

 飲みこまれる! と思った時には、兄さまはその場にはいなかった。


 光の軌跡だけを残し、別の場所に移動している。


 兄さまの両足が輝いている。


 魔の攻撃を避けつつ走り、ピナさんの浄化の炎で魔を焼いてゆく。

 兄さまが滑るように走る度に、光の軌跡ができる。

 両足に光の精霊を宿らせて敏捷性を上げているのだと、ようやくアタシは気づけた。


 昇竜のように燃える兄さま。

 兄さまを狙って飛びかかった水蛇も、降り注いできた黒い雨も、一瞬で凍る。

 ピロおじーちゃんの急速冷凍。ピナさんが不得手な水系の敵を、優先的に凍らせているようだ。


 二人が魔を散らしてゆく。


 だけど、瘴気はどんどん濃くなってゆく。

 お師匠様そっくりな敵。その背後から、無限に敵が吹き出てくるのだ。

 闇の中に開きっぱなしの扉が見えた。扉を通って、魔が現れているのだ。

 別次元とこの世界をつなぐ扉――次元穴だ。

 あれを閉じない限り、魔が現れ続ける。



 お師匠様の偽物が笑っている。


 闇の海の中で、もっとも暗いもの。

 それでいて、とても神々しいもの。

 闇のように深く沈みながら、まばゆく輝く不可思議なもの。


 白銀に輝くものを目にしてると、何故か胸が苦しくなる。

 きゅぅぅと胸がしめつけられるかのように。


 あの男は、酷薄な顔で笑っているのに……

 目にするのがつらい。


 深い憐れみと怒りと嘆き……アタシのものじゃない感情が伝わってきて……


 それは、まるで……






 唐突に、頭の中がクリアーになる。

 これでもか! ってばかりに頭の中に押し寄せてきてた情報がぴたっと止まったのだ。


 見えるのは、ただ一つ。

 クロードの顔だけだ。

 うるうると涙に潤んだ緑の瞳が、まっすぐにアタシを見つめていて……やがて、ほにゃ〜と微笑んだ。


「もう大丈夫……」

 すぐ近くにいるはずなのに、クロードの声がひどく遠い。

「ゆっくり休んでて、ジャンヌ。ボクらが君を守るから……」


《ごめん。ジャンヌ……おら……ジャンヌを壊しちまうとこだった……》

 体の内から泣きそうな声が響く。

《人間が見聞きできねえ情報(コト)を、たぁくさんいっぺんに知らせちまったんだ。それで、ジャンヌは……》


「落ち着いて、ピクさん」

 クロードが優しく微笑んでいる。

「今はジャンヌを休ませてあげよう」

 アタシにではなく、アタシの内の闇精霊に話しかけてるんだ。

 アタシは紫雲の上に倒れたみたいだ。クロードに抱きかかえられている。

「勝手がわからなければ、治癒魔法も無理に使わなくていいよ」

《……すまねえ》

 クロードが静かにかぶりを振る。

「失敗したなあって思っても、気にし過ぎちゃダメ。できることしよーよ。トネールさんの指示に従って、主人の守護を優先するんだ」

《ん……》

「固くなっちゃダメ。リラックス、リラックス〜」

 にっこりと笑うクロード。

 ほんわかした雰囲気、美少女にしか見えない可愛らしい顔立ち。

 なのに、何だかとても不思議なことに……男らしく見えた。


 クロードが、そっとアタシから離れる。


 紫雲の上に杖をつき、クロードが呪文の詠唱を始める。

 視線の先は、お師匠様の偽物と次元穴だ。


 クロードの体からゆらゆらと輝く光が生まれ、杖へと集まってゆく。


 見えるはずのない魔力が視える……

 そう気づいてから、アタシは視界の端に自分が居る事に気づいた。

 紫雲の上に横たわり、気を失っているアタシが視える。


 自分の目で見てるんじゃない。

 闇精霊(ピクさん)の感覚を共有しているんだ。

 アタシが許容量(キャパシティー)超過(オーバー)にならないよう、情報を選び出し、一場面の映像のみを心に送る方法に切り替えたんだろう。アップになったり、引きのアングルになったり。視点はコロコロ変わる。けど、送られてくる映像は常に一つ。一視点だけだ。


 お師匠様そっくりな敵。そいつは何もしていない。アタシ達を見つめているだけだ。


 その背後の次元穴から、とめどもなく魔が吹き出す。

 氷の精霊の凍気や、炎の竜巻のような兄さまが魔を祓ってはいるけれども……キリがない。

 瘴気はどんどん濃くなってゆく。


 紫雲の上のクロードは、今にも『ふぇ〜ん』と泣き出しそうな情けない顔だ。

 だけど、その口はよどみなく呪文を詠唱している。

 必死に戦おうとしている。

 大きな緑の瞳で敵をみすえながら、クロードは声を張り上げた。


「大魔法使いダーモットさん。絆石を通じてお願いします。勇者ジャンヌのために、お力を!」


 そう叫ぶや、クロードの左手から赤い閃光が広がり……


 忽然と、巨人が現れる。

 アタシ達とお師匠様の偽物の間に。


 ボロボロのローブをまとった、角つきの杖を持つ魔法使い。

 ローブから覗く顔は、髑髏だ。眼球すらない虚ろな目、肉も血もない白い骨。

《絆によりて、我の魔力は汝のものぞ。存分に働くがいい。我が弟子よ》

 しわがれた声が響く。

 竜王デ・ルドリウ様のお友だちで、一日だけクロードの魔法の師匠(せんせい)になったリッチに間違いなさそう。


 幻想世界から、リッチを召還した?


 いや!


 だけど!


 ぜったい実体じゃない!


 二階建ての家よりも大きいとか、インパクトありすぎ!

 魔法使いというより、大巨人みたい!



* * * * * *



《勇者たちの訪問で多忙極まる一日になったというのに……あなたは実にお元気だ》

 っくそ。

 送られてくる思念にも態度にも、あからさまに侮蔑がこめられている。


《正孝。あなたは何時も、新鮮な驚きを私に与えてくれます。三十三にもなって……。犯りたい盛りの、十代の若造でもあるまいに……》

 うるさい、リヒト。

 新婚二カ月なんだ。

 出張(・・)から還って来たばかりで、いつまた出張(・・)になるかわからない身なんだぞ。

 妻といっしょに寝て、何が悪い。


 睡眠中だったまどかに、リヒトが眠りの魔法を上掛けした。強制的に熟睡させられたんだ、朝までぜったいに目覚めないだろう。

 愛する妻に毛布をかけてやりつつ、寝室まで押しかけて来た光精霊を睨みつけた。


「何の用だ?」

 精霊との会話に声は必要ない。それでも、声を出さずにはいられなかった。

「完全プライベートの時間を邪魔してくれたんだ。緊急事態なんだろ?」


《火急の事態です》

 気障ったらしい眼鏡にスーツ。嫌味なまでにハンサムな光精霊が、あっさりと言う。

《勇者ジャンヌと仲間二名が行方不明となりました》


 一瞬、思考が停止する。


 護衛つきでアジトにかくまっていた勇者とその仲間が行方不明?


「馬鹿な……」

 ありえない……


「ブリーズとノヴァはどうした?」

 アジトに常駐させている精霊について尋ねた。

《通常通りです。アジトの護衛及び監視の任務を続行していました。しかし、勇者が消えたことに気づかず、未だに不在を知覚できません》

「なに?」

《誤情報を、現実として認識してしまうのです。私も同様でした。一之瀬さん達の五感をお借りすればアジトの何処にも勇者はいないとわかるのですが、精霊の目には『勇者はアジトの一室で睡眠中』と映るのです》


「どういうことだ?」

《上位者が干渉しているのです、正孝。我々精霊を欺けるほどの存在が、勇者をさらったのでしょう》


……主神級の、S級の神魔ってことか?

 神で言えば、創造神・破壊神・天体神。

 魔族ならば、魔王クラス。


 そんな大物が何故?


 てか、そんなものに狙われて、彼女はまだ……生きているのだろうか?


《今のところは、無事なようです。彼女が亡くなれば、遠く離れていても賢者にはわかるのだそうです》

「……なるほど」

 リヒトから手渡された衣服に、急いで袖を通した。


《あなたと連絡がつくのが一番最後でした。西園寺さん、片桐さん、矢崎さん、藤堂さん、一之瀬さんは、既に勇者の捜索を開始しています》

 名倉くん以外、全員か。

『非常事態だというのに』『外部からの連絡を拒絶し、欲望に耽っていて』、『本当に手のかかる方だ』と言いたそうなリヒト。

 嫌味は後で、おまえの気が済むまで聞いてやる。

 今は知恵を貸してくれ。


《レビンとシュバルツ、グレイシアに、西園寺さんたちの支援(サポート)を命じました。ブリーズのみをアジトの守護に残し、ノヴァを使ってもいいですか?》

「許可する」

《今回、私達精霊はサポートに徹します。あなたもその心積もりで》

 僕は精霊支配者でもある。

 リヒト達特殊任務を与えた八体以外は、身の内に棲ませ、常に僕と行動を共にさせている。

 精霊は、人間よりも優秀な知覚能力を持ち、攻撃守護治癒にも長けている。戦力として使えないのは痛いが、仕方あるまい。


「ジャンヌ君を取り戻す、算段はあるのか?」

《敵が上位者では、捜索も奪還も容易ではありません。しかし、こちらが卑小だからこその利点(メリット)もあります》

 リヒトが眼鏡をかけ直す。

《上位者は、力なき存在には無頓着です。人間のような瑣末なものは目にも留まりません。ましてや、それより小さいものなど……》

 光精霊は口角をつりあげ、嘲笑めいた笑みを浮かべた。

《勇者達の失踪に気づいたのは、獣使いです。敵には小さな生き物の目をふさごうという発想すらなかったのでしょう、獣は真実をすべて見ていました。我々がこれほど早く動くなど、あちらには想定外のはず。つけいる隙はありますよ》




「この世界に着いてから、ずっと『呼びかけ』をしてたの。声に応えられる子がどれほどいるのか、自由に動けるのか、どんな命令なら果たせそうか、調べとくのは獣使いの習慣みたいなものなのよ」

 鼠をまとわりつかせている獣使いが、そう言って金の髪を掻き上げた。

 化粧を落とした素顔だが、男性を匂わせるものは何も無い。美しい女性にしか見えない。

「鳥、蝙蝠、犬、猫、ネズミ……小さな子たちを建物の内外に配置しといたわけ。侵入者や外出者を報告しろって、ね。ま、移動魔法を使われたら獣じゃ追いきれないんだけど。ここまでは徒歩だったようよ」

 獣使いが指差したのは、街灯に照らされた道路だ。

 アジトから道なりに、少しだけ北へ。さほど歩いておらず、まだ住宅街だ。

 見慣れた道、見慣れた町並みではあるが……


「ジャンヌちゃんは賢者さまと一緒だったと、ネズミたちは言ってるわ」


 獣使いの隣にたたずむ、白銀の髪、白銀のローブの男――現賢者は静かにかぶりを振った。

「それは私ではない。私の姿を象った何者かだ。ジャンヌは、私の言葉に素直に従う。外出を不審に思わず、偽者について行ってしまったのだろう」

 マネキンのような無表情、抑揚の無い声。愛弟子を心配しているんだろうが、外見からは胸中がまったく窺えない。


「ジャンヌちゃんと賢者さまの偽者は、このへんでスーッと消えちゃったらしいの」

 獣使いが、宙で手をひらひらさせる。

 すぐ近くに何があるのかは、感覚的にわかった。

 普通の人間の目には決して見えない。他次元へと通じる世界の綻び――異次元通路だ

「で、その後、猛スピードで追いかけて来たジャンヌちゃんのお兄さまと、紫雲に乗った魔術師クンが、ここで同じ感じに消えたみたい」


「ジョゼフとクロードは、水界でジャンヌがさらわれた事をいたく気にし、自らを責めていた。おそらくは、ジャンヌに何らかの印をつけていたのであろうな。ジャンヌの体が不審な移動をした時にはわかるように」

 賢者が淡々とした口調で言う。

「ジャンヌが一人ではないのは心強いが……敵が魔王級では……。ジャンヌはむろん、あの二人にもしもの事があっても、我々の世界は終わりだ。託宣は叶わず、世界は魔王に蹂躙される」


 異次元通路が、そこにあるのはわかる。

 微かな魔力の残滓より、時空操作の痕跡も感じられる。

 何者かが、この空間を捻じ曲げ、異次元通路を開いたんだ。

 だが、残っている気はわずか。

 ジャンヌくんが落とされた世界とここは、もはや繋がっていない。無理矢理こじあげたところで、別の空間につながるだけだ。


 異次元通路は不定形なもの。

 固定化しない限り、繋がる世界は流動的に変化する。

 あらゆる異世界、並行世界、力あるものが生み出す私的な異空間……ちょっとした刺激で扉の先は変化してしまう。


 何億とある異空間。


 異次元扉の先は、土中、深海、マグマの海かもしれない。大気成分の異なる世界、反物質世界に繋がることもありうる。


 賢者の言う通り今はまだ生きているのだとしても、帰り道が閉ざされているんだ。ジャンヌくんたちは、自力では帰れない。

 捜索も困難を極める。砂浜でたった一粒の砂を探すに等しいからだ。



 ジャンヌくんの消えた地を、OB会の仲間も必死に見つめている。


「汝、扉を閉めることあたわず。我らは同じ神の加護を受けし兄妹。血よりも絆は濃く、魂は繋がる。我は魔王を倒し、世界を救いし勇者。我が望みを退けられるは、魔王を凌駕し、我を滅ぼせるもののみ」

 異次元通路がある場所に手をかざし、ユウは言葉をつむいでいる。言葉の呪で、異次元通路を屈服させ、ジャンヌくんのもとへ通じる道を開かせようとしているのだ。

 半ば瞼を閉じた顔は真摯で、『チャラすぎる』彼とは結びもつかない。言霊使いモードに入ったユウは、別人だ


 片桐くんは、ユウの背後にたたずんでいる。

 異次元通路がユウの言霊に屈服し、ジャンヌくんの居る世界と繋がる時を待っているのだ。

 神より贈られた怪力を持つ片岡くんならば、次元扉を強引に開けることも、開きっぱなしにさせることも可能だろう。

 シャツにズボン。平素な格好をしていても、それとわかる逞しい体。偉丈夫な片桐くんが、今日はいっそう頼もしく見える。



《西園寺さんたち他メンバーは、発明家を伴い、別所の調査に向かいました》と、リヒト。

「別所?」

「わりと近くに、こことそっくりな嫌ぁな場所があるんですって。獣たちが、そう言ってるのよ」

 女性にしか見えない獣使いの言葉を、リヒトが補う。

《この空間に微かに残留している異質な気配を、別所から強く感じると獣が訴えたのだそうです。そこに術師本人が居る、或いは手がかりがある可能性が高い》

 動物の第六感は、人間以上に発達している。己が命に関わる危機を、獣は敏感に察知するという。地震・津波などの災害などの前に、吠えたり暴れたりと動物が異常行動を示すのはよく聞く話だ。

「獣たちには、ひき続き探索を命じてるの。何かわかったら、すぐに報告があるわ」


《正孝。あなたには、特殊能力(ギフト)がある。精霊の力無しでも、能力は上位者相当だ。矢崎さんの言霊で、そこの異次元通路は説得されつつあります。そこから、勇者ジャンヌの気を追ってください》


 無茶を言ってくれる……


 ジャンヌ君が消えた場所。

 その空間に触れ、魔力の残滓を確かめる。


 僕の掌は、微かにしか反応しない。


 あまりにも、残滓が薄すぎる。後を追うのは難しい。


 だが、やらねば。


「よろしく頼む。サクライ マサタカ殿」

 賢者の声。ぶつぶつとつぶやき続けるユウの声を聞きながら……

 街灯に照らされたそこに手をかざしたまま、目を閉じた。

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