神の使徒
クロードは落ち込んでいた。
今朝、宿泊先のオランジュ伯爵家に、シャルル様から贈り物が届いたからだ。
魔術師の黒のローブに、杖頭に拳ぐらいのデッカいダイヤがくっついた魔術師の杖。超高級そうな魔術師装備だ。
『勇者と共に戦う友人に敬意を表して』と、カードが添えられていた。
魔術師学校のエリートから『友人』と呼ばれたことにビビリ、高価な贈り物にビビり……
「受け取っておけ。杖はもちろん、ローブも魔法装備だ。魔術師が念をこめて織りあげた魔法絹布だ。杖にもローブにも魔力増幅効果がある。未熟なのだから、装備ぐらい立派にしておけ」
と、ズバッとお師匠様に言われ、気弱な幼馴染は涙目となっていた。
『残り九十九日で、おまえを一人前の魔術師にしてやろう』と宣言し、お師匠様はクロードへの特訓を開始した。
賢者は、勇者の教育係ってジョブ。賢者になった途端、あらゆるジョブの指導者になれる知識が神様より与えられるわけ。魔術師教師としても、お師匠様は一流なわけだ。
クロードは、昨日今日の二日で初等部の教科書を、全部読まねばいけないらしい。五教科あるそうだ。頭にちゃんと入るのかしら?
クロードは、黒のローブをまとって立派な杖を持った。
ちょっとサイズが大きいみたいで、ローブはダブダブしている。袖が長いから指先がちょっとしか出てないし、裾が長くて走りづらそう。
肩を落とすように縮めて、いかにも自信なさそうに小さくなっているから、よけいローブが大きく見える。
「かっこいいわよ、クロード」
元気づけてあげた。
「今は格好だけでもいいじゃない。九十九日後に一人前の魔術師様になってればいいんだから」
幼馴染はアタシを見て、口元をほころばせた。
「……ありがとう、ジャンヌ。ボク、頑張るよ」
「今日は聖教会へ行く」
お師匠様が、アタシを手招きする。
近付いたら、目隠しをされた。
「これから外出時には必ず、目隠しをつけてもらう。私が良いと言うまで外すなよ」
「なんで、こんな……」
「いつ、どこで、誰に出会うかわからんからな」
お師匠様が溜息をつく。
「今日は、最初に、私の推薦人物に会ってもらう。その者に萌えられなかったら、仕方がない、修道僧の中から適当に選べ」
あ、そう。
クロードの事が教訓になったわけね。
本命に会う前に役たたずに萌えられてはかなわんと、そういう理由で目隠しなんですね、お師匠様。
そいや、昨日、お師匠様、女伯爵のおばあさんにお願いしてたのよね。
『我々の接待係を、全て、女性にしていただけますか? 可能でしたら、勇者の可視範囲に男性を接近させないようお願いします』って。
何か……
ちょっとおもしろくない。
クロードの健気なとこが、ちょっとかわいいって思っただけよ。
見た目だけで、そんな簡単にキュンキュンしたりしないもん。
アタシ、そんな安い女じゃないのに……
ぶぅ。
ジョゼ兄さまとクロードも連れ、お師匠様は移動魔法で聖教会の教会堂へと跳んだ。
クロードは居残りでお勉強かと思ったんだけど、お師匠様いわく『勇者と行動を共にすることが強化につながる』んだそうで、アタシの冒険にはできるだけついて行くようにとクロードに命じた。
む?
仲間探しのナンパって、冒険?
修行中の僧侶は、聖教会に籠って暮らしている。俗世を捨てて、神様に祈りを捧げる日々を送っているのだ。
一人前にならなきゃ、布教や俗人への教育や病人の治癒などの主たる活動ができない。炊き出しみたいな奉仕活動に、若めの僧侶がかりだされる事もあるけれども。
外に出て来る僧侶は、たいてい、オジさん、おじいさん。
教会堂に集められた仲間候補は年配の僧侶だけだろう、と思っていた。
なのに……
奇跡は起こったのだ。
目隠しを解いたアタシの前には……
涼しげなハンサムがいたのだ。
大きめのフードの、修道僧の白いローブ。
禁欲的な僧衣に包まれた体は、すらりとしていて長身。
信仰を貫く決意に満ちた、清廉な美貌って言えばいいのかしら?
思慮深そうな、青い瞳。
眉も口も高い鼻も、曇りのない気高さに満ちている……
「マルタンだ」
深みのある低音な声……
胸がキュンキュンした。
心の中でリンゴ〜ンと鐘が鳴る。
欠けていたものが、ほんの少し埋まっていく、あの感覚がした。
《あと九十七〜 おっけぇ?》
と、内側から神様の声がした。
あら、やだ、萌えちゃった……
「良し。マルタンを仲間にできたな」
お師匠様が、ぐっと拳を握る。
アタシがスカを掴まなかった事を喜んでいるようだ。顔はいつも通りの無表情だけど。
マルタン様、外見通り、優秀な方なのね……ス・テ・キ。
一応、教会堂にいる全員と対面した。
でも、萌えは訪れなかった。まあ、萌えても、多分、ジョブ被りで仲間には加えられなかったろうけど。
年配の僧侶達はアタシ達に対し祝福を与え、教会堂を立ち去って行った。
けっこう、クロードは声をかけられていた。
この春まで聖教会の修道院学校一般クラスに居たって言ってたものね。教えを受けた先生とか、そこそこ居たみたい。
他の僧侶達が退出してから、アタシは改めてマルタン様にご挨拶をした。
「ジャンヌです。どうぞよろしくおねがいします」
マルタン様の涼しげな眼差しが、アタシを見る。
ふぁさーっとフードが外れ、現れる亜麻色の髪。意外なほどの長さ……肩を過ぎてる。聖職者っぽくない長さだけど、マルタン様の美貌にはよく似合っている。
「一つだけ言っておきたい事がある」
あら、意外とくだけた口調。
「何でしょう?」
マルタン様は、フッと口元に笑みを浮かべられる。
「俺は聖なる血を受け継ぎし神の使徒だ・・・あまり近づくな、女」
え?
「不浄な女の存在が、内なる十二の宇宙的秩序を乱すのだ。神罰を恐れるのなら、マッハで三歩下がれ」
え? え? え?
なぜ、宇宙?
なぜ、十二?
と、とりあえず、下がっておこう……
静かに口元を歪め、マルタンが口を開く。
「俺の聖気に恐れをなして、下がったか・・・内なる俺の霊魂は安息を得た。良かったな、女。きさま、命びろいをしたぞ」
マルタンがビシッ! とアタシへと指を突きつけるポーズをとる。
「女。きさまが邪悪と対する限り、この俺が真の光の力を見せてやろう。俺の前では、魔王すら赤子も同然。マッハで消え去る。俺の前に立ちふさがる、憐れな闇としてな・・」
んで、ククク・・・と笑う。
うわぁ……
何、この人……
もしかして……邪●眼系なアレな人?
かなり、キモいんですけど……
ジョゼ兄さまも、あきれ顔だ。
クロードはしゃきっと背筋を伸ばし、マルタンに対し深々と頭を下げた。
「お久しぶりです、使徒様」
あれ?
知り合い?
マルタンがフッと笑い、胸元から取り出したものをくわえる。
あの……それ、煙草なんでは……?
「イチゴ頭ではないか」
と、言って、左の指をパチンと鳴らす。それだけで煙草に火が点いた。所作のみで炎の魔法を発動させたんだ、すごい。
すごいけど……ここ教会堂の中よ。煙草吸っていいの?
「俺の存在に気づくとは・・あいもかわらずいい眼をしてるな、坊や」
気づくも何も……あんた『マルタンだ』って名乗ったじゃない。
なんでそこで照れるの、クロード?
「もしかして、あのヒト、有名人?」
マルタンがお師匠様に挨拶を始めたんで、クロードに耳打ちした。
「そーだよ、超有名人じゃん、知らない?」
「知らないわよ、アタシ、十年間、山にひきこもりだったんだから」
あ、そっかって顔をしてから、クロードはマルタンから距離をとりながら小声で説明した。
「聖教会の使徒様のお一人で、悪霊祓いのエキスパート、超一流の聖職者だよ。神聖魔法と回復魔法が得意で、悪霊祓いの旅を続けているんだ。表舞台に出ないから、神秘の使徒様って称えられているんだよ」
表舞台に出ないって……
そりゃ、そうでしょ。
人前でしゃべらせたら、信徒がドン引きでしょ……。
「ああ、使徒マルタンか。噂なら聞いた事がある」と、兄さま。
「聖教会で育てられた純粋培養の使徒……寛大で純真で穢れを知らない聖人、って噂だったな……」
兄さまと顔を合わせた。
噂ってアテになんないのね……
教会堂でうまそうに煙草吸ってるし……頭の中はアレだし。
「何度か臨時講座で教わったんだ……」
クロードは、胸の前で手を組む祈りのポーズだ。
鼻の頭を赤く染め、ぽわ〜んとマルタンにみとれてる……
もしかして、憧れの人なの?
趣味悪ぅ……
「おっかなそうに見えるけど、すっごくいい方だよ。ボクのこと、みどころがあるって誉めてくださったし」
え?
「お会いする度に、助手にとりたててもらったんだ。灰皿捧げたり、靴ピカピカに磨いたり、使徒様のお役に立ってたんだ♪」
それって、パシリにされただけじゃ……
「女」
くわえ煙草のまま、マルタンがアタシを見る。ふんぞりかえって顎をつきだした、いかにも偉そうな態度で。
「俺は今崇高な使命の真っ最中だ。まず、先んじて、あらかじめ、この聖務を果たさねばならない」
聖務?
「フッ・・伝えたはずだ、俺が神の使徒だと・・」
マルタンはククク・・と笑いながら、修道僧の白いローブに右手をかけ……
それをバッ! と引きはがした。
げ。
一瞬の早変わり!
投げ捨てた白い布が、宙を舞う。ローブかと思ってたけど、それ、マントだった……?
そして白かった神の使徒は、闇のように漆黒となった……
立襟のあるその黒い服って……神父様の着る祭服よね? 修道僧だったんじゃ……?
てか! 黒の手袋をはめ始めるし! 指出し(フィンガーレス)革手袋……何故か、手の甲には星のマークが……五芒星?
胸元のこれみよがしの十字架までも、ファッションに見えてきた……
「そ、その格好は?」
「・・完璧に完全に、パーフェクトに、愚問だな、女」
両手を胸の前で交差させ、使徒様が両手の甲の五芒星マークを見せつけてくださる。
「邪悪と戦い続ける俺のアイデンティティ・・神に代わり、奇跡を起こす為の装いなのだ・・・」
……そう、なん、ですか……
へー……
アレな人が、アレなポーズをとり続ける……
「デュラフォア園で悪霊を祓えと聖務を受けている。・・ククク・・血が騒ぐな・・・。内なる俺の霊魂が、いっせいに、こぞって、景気よく祓えと告げている・・・」
悪霊退治?
クロードに尋ねると、デュラフォア園は、そんな遠くないとの事。馬車で二日の距離だそうだ。
「わかりました! どうぞ行って来てください!」
思わず笑顔で手を振ってしまった。
このヒトと一緒にいると精神汚染されそーなんだもん。
どっか行くんなら、行っちゃって。
「悪霊祓いの仕事は慣れている。しかし、きさまがどうしてもと言うのなら、俺の聖務を手伝わせてやらないこともないぞ」
え〜〜〜〜〜?
いえいえ、これっぽっちも、手伝いたくありません!
どーぞ、アタシの事は放っておいて、使徒様!
「マルタン。そういうわけにはいかぬのだ」
と、お師匠様。
「ジャンヌは、明日・明後日と王城へ行く。国王陛下が集めてくださった優秀な戦士たちと面談し、仲間を増やす予定となっている」
あああああ、助け舟、ありがとうございます、お師匠様!
「御意に、賢者殿・・・」
マルタンが大袈裟に肩をすくめる。
「ならば、仲間探しの後・・・移動魔法での合流を願えますか、賢者殿?」
「その時、おまえの居る位置に跳ぶ事は可能だ」
もったいぶった仕草で煙草の煙をフーッと吐き、マルタンが横柄にアタシに命じる。
「女。この地での勇者の使命を終えたら、きさま、マッハで俺に合流しろ。悪霊退治助手の栄誉を、きさまにくれてやろう」
チッ。
どうあっても手伝わせる気だな、この男。
「さて・・行くか・・」
言いたいことだけを言って、使徒様が背中を見せてゆっくりと歩き出す。
背中にもデカデカと変な模様がある。アレと同じようなの『勇者の書』で見たことある、確か真言ってヤツだ……
「俺としたことが・・言い忘れていた・・」
マルタンがピタッと足を止め、軽く左手をあげる。
「きさまらに、神のご加護があらんことを。あばよ・・・」
とっとと旅立て、キモ男!
マルタンと別れてから、アタシ達はオランジュ伯爵家に戻った。
午後の陽がさしこむ居間で、美味しいお茶とお菓子をいただく。
ようやく使徒様の毒気が抜けたような……
くつろぎながら、気になってた事を聞いてみた。
「お師匠様とマルタンは、どういう知りあいなんです?」
「神様仲間だ」
「は?」
なに、それ?
「今世で神様を降ろせるのは、私とマルタンの二人だけなのだ。神様の紹介で知り合ったのだ」
託宣もできるのか、マルタン……
本当に優秀なんだなあ……あれでも。
ん?
てことは……
あの『おっけぇ〜』なきゃぴきゃぴ神様が、マルタンにも憑依するわけ?
無表情でクールビューティなお師匠様も、神様が宿ればきゃぴきゃぴになる。
なら、単なる厨二病にしか見えないマルタンも神様が宿れば、多少はマシに……
「………」
なんないか。
あの外見であの低音声で、かわいい男ぶるのは、それはそれでイタイ。
はぁ〜と溜息が漏れた。
「明日から忙しくなる。今日は休むといい」
と、お師匠様は部屋に帰って行った。
「ジャンヌ」
ジョゼ兄さまが、ぎゅっとアタシの左手を握る。
「今日はこの後、互いに予定がなかったな……その……よかったら、俺とつきあってくれないか?」
つきあう?
ああ……
「ええ、いいわよ、兄さま」
アタシが笑いかけると、兄さまは椅子から勢いよく立ち上がった。
「そうか、ならば、さっそく! おまえに似合いそうな、かわいい……」
「楽しみだわ、兄さまと組み手だなんて久しぶり♪」
アタシに会話を遮られたせいか、兄さまの動きがピタッと止まる。
「組み手……?」
「格闘稽古なんて十年ぶりよねー ずっと、魔法木偶人形しか相手がいなかったから、ジョゼ兄さまの相手がつとまるのか不安だけど」
アタシは兄さまに対し、拳を構えてみせた。
「ジョゼ兄さまと組み手だなんて、昔に戻ったみたいで、うれしー♪」
ジョゼ兄さまの口元に、微笑が浮かんだ。
「……わかった。中庭で組み手をしよう」
「手加減してよ」
「もちろんだ。愛するおまえに、怪我などさせん」
「クロードも行く?」
幼馴染に聞いてみた。
「ボク?」
クロードはアタシと兄さまを順に見つめ、弱々しくかぶりを振った。
「……ボクはいいよ」
「そう?」
「クロードは勉強だろ?」
素っ気無く兄さまが言う。
そいや、そうか。今日中に魔術師学校初等部の教科書を全部読むんだったけ。
「お勉強がんばって」
「うん、ありがとう、ジャンヌ」
クロードは兄さまに手を振った。
「楽しんできてね、ジョゼ」
「言われなくとも」
仲が悪くはないんだけど、この二人、昔っから、こうなのよね。兄さまは、ちょっと偉そうというか、喧嘩腰というか。
クロードはニコニコ笑ってて、まったく気にしてないけど。
アタシはジョゼ兄さまと中庭に向かった。
相手にならないどころじゃなかった。
兄さまの動きが速すぎて、目で追い切れない。
体がついていけないのだ。
素人に毛が生えた程度のアタシが相手じゃ物足りないだろうに、兄さまは好きに動けと笑顔で言った。
アタシの拳を受け、返し技を寸止めし、反撃技を教えてくれる。
これじゃ、アタシが稽古をつけてもらってるようなものだわ。
でも……
昔に戻ったみたいで楽しかった。
兄さまといっしょに、ベルナ・ママに稽古をつけてもらった昔を思い出した。時には、クロードもまじえて三人で体を動かしたっけ。
兄さまはベルナ・ママみたいに強かった。
そんな感じでその日は過ぎた。
使徒マルタンは、いろんな意味で残念なヒトだった……
けど、まあ、凄腕の悪霊祓い師みたいだし……
ま、近寄らなきゃいいのよね。
離れてれば、精神汚染もされないし。
魔王が目覚めるのは、九十八日後。がんばろ〜