熱い視線に晒されて
『うわぁぁぁん、ジャンヌぅぅ!』
クロードが泣いている。
鼻の頭どころか、ふっくらしたほっぺも、真っ赤……
昔のクロードだ。
子供のころの幼馴染が、泣き叫んでいる。
『ごめ、ごめんなさぁい、ジャンヌぅぅ』
息をつまらせ、数秒呼吸を止めて……それでも、又、号泣する。
目から涙、鼻水も出しちゃって、大きく開いた口もわななかせ、全身を激しく震わせて……。
『もうしない。もう、しないから。なかないで、ジャンヌぅぅ』
泣いてるのは、あんたじゃない。
クロードが、アタシを抱きしめる。
ぎゅぅぅっと……
やめてよ、バッチイ。鼻水がついちゃうわ。
『ないちゃ、やだよぉぉ、ジャンヌぅぅ』
アタシの体が震えている。
ぶるぶると……
クロードみたいに、情けなく……
震えが止まらない。
何度も何度もごめんねと謝って、クロードがアタシを抱きしめる。
アタシはクロードの腕の中で、ガチガチと歯を鳴らしていた。
怖くて、怖くて、たまらなかったのだ。
クロードが。
《おはよー ジャンヌ♪》
赤いぬいぐまのアップを見ながら、アタシは目を覚ました。
白クマもひょっこり顔を見せる。この二体をいちおうの護衛役に残し、あとの精霊は石に戻したんだっけか。
次に見えたのは、紫の天井……
アタシたちは、雷の神殿の天井の近くに居るのだ。
と、言っても、紫色の天井までまだ余裕がある。背の高い兄さまでも、かなり高く跳ばなきゃ頭はぶつからなさそう。
お師匠様と兄さまに『おはよう』の挨拶をして、辺りを見回す。
端に寄って、ちょっと下を覗いてみた。建物の三階から、庭を見下ろしてる感じ。
下は、あいかわらずだ。
天井も床も壁も全てが紫な、雷の神殿。その地下の、異世界人待機場は……
どこを見ても、人、人、人……。人ばっかじゃなくて、獣人とか魚人とか虫型の生物もいるけど、ともかく人だらけ。
氷の神殿よりも、ずーっとずーっと人口密度が高い。
ドロ様の風精霊が巨大な結界を張ってアタシ達ごと宙に浮かんでくれなかったら、アタシもあそこにいなきゃいけなかったわけで……
熟睡できなかったろう。
下は、むっとするほどの熱気と濁った空気が充満し、座る場所さえろくにないんだもん。
風結界の中は、新鮮な空気に満ちている。実際は宙に浮いているんだけど、濃緑の疑似床がつくってくれてるんで平衡感覚も狂わない。何より、広い。快適そのもの。
んでもって、透明化してくれてる。外から、結界の中は見えないらしい。プライベートは、ばっちりと守られている。
か・な・り恵まれた環境に居るのはわかっている。
でも……
四方の壁にある対戦順番表を目にすると、気分がズーンと重くなる。
枠は、全部で三十八……
そして、『勇者ジャンヌ一行』は三十一番目……
つまり、三十組の戦闘&しもべ交渉が終わらない限り、アタシ達の順番は回ってこないって事で! 雷界に来てから一眠りしたのに、あんま順番は進んでなかった。
『勇者の書 39――カガミ マサタカ』を読んでたから、知ってた。
雷の神殿も、氷の神殿と同じ。しもべが欲しい異世界人は、試合形式で雷の精霊に挑まなければいけないって。
だけど、戦闘にこぎづけるまでにこれほど時間がかかるなんて……トホホな気分。
雷の精霊をしもべとしたかったら、雷の神殿がマッチメイクした対戦相手と格好良く戦う。絶対、負けちゃいけないし、無様な姿を見せてもいけない。
戦闘終了後に、対戦相手や観客の中からしもべ希望者を募るから。
けれども、お師匠様曰く
『雷の精霊は氷の精霊よりも戦いづらい。精霊支配者が自分の優秀さをアピールできぬまま戦闘終了になりやすく、しもべ希望者が現れぬ為、再挑戦へと流れやすい。再戦は十回まで可能な為、混雑しているのだ』だそうで……。
この混雑と遅々として進まぬ順番……雷界でのアタシたちの戦闘機会は、おそらく一回。運が良くて二回ってところね。
溜息をつき、アタシは視線を移した。
アタシのそばにいるのは、お師匠様、兄さま、ピオさんと、ピナさん、白クマのピロさん。
ドロ様とクロードそれにマルタンは、透明な壁の向こう……ドロ様御殿に居る。
ドロ様御殿の家具は、今は三つ。炎の精霊のソファー、土の精霊のテーブルと絨毯だけ。
ソファーのドロ様は両手に花だ。黒の仮面をつけた水の精霊にお酌をさせ、左側に氷の美少女精霊を座らせて。
そして、クロードは何故だか正座して絨毯の上に座っていた。
アタシに背を向けてるクロードの前に、アレな感じに腰をくねっとひねって使徒様が立っている。ビシッ! とクロードを指さしたり、オーバーアクションで顔の半分を手で覆ったり……
クロードがマルタンにお説教されているような……?
でも、何と言ってるか聞こえない。
煙草の煙がアタシ達の方に流れないよう、風のおねーさんが間に壁を作ってくれてるから。
ガラス越しに、ドロ様御殿を見てる感じ。
《『使徒様。俺の顔に免じて、もうそれぐらいで勘弁してやってくれませんかね? クロード君もほんの出来心だったんだ。若さゆえの暴走ってヤツだ』》
ん?
《『ドレッド。きさまの頼みだとて、こればかりは聞けん。きさまが俺の千年の孤独を癒す伴侶である事は、自ずと自明・・イチゴ頭は、神の使徒であるこの俺のものに手を出そうとしたのだ。万死に値する》」
《『ごめんなさい、他人の恋人に横恋慕だなんて……イケナイ事だってわかってたんです。でも、セクシーで格好いい大人の魅力に、ボク……クラクラになっちゃって。もうボクにはアレッサンドロさんしか……』》
ふへ?
《『ククク・・かろうじて、ようやく、すれすれに、堪えていた堪忍袋の緒はマッハで切れた。・・よかろう、イチゴ頭、勝負だ! ドレッドへの愛を賭け、きさまをマッハで八百万那由他の彼方に飛ばしてくれる!』》
《『ふえぇぇ〜ん、ジャンヌぅぅ〜 助けてぇぇ』》
何故、アタシの名前を呼ぶ! そこは『助けてぇぇ、アレッサンドロさんッ』で、ドロ様に頼らなきゃ!
てか、何なの、今の会話は!
ボソボソと話している、ピナさんとピオさん。それに、なぜだかピロさんまで加わって……。
ぬいぐまそっくりな炎と氷の精霊達は、アタシへとチラリと視線を向け、『つぎ、B』と言ってから、またボソボソと話を始める。
《『ママ。俺の顔に免じて、もうそれぐらいで勘弁してやってくれ。クロードもほんの出来心だったんだ。もう二度とやらないと言ってるじゃあないか』》
へ?
《『黙れ、パパ! いつも年がら年中ずっと、きさまもイチゴ頭もへらへらしおって! 悪事を働いた者には、マッハで天罰を下す! 完璧に、完全に、パーフェクトに叱らなねば、イチゴ頭が立派な神の使徒になれぬではないか!』》
《『ごめんなさい、ママ〜 パパ〜 ……だけど、残したら、昼休み、遊べないんだもん。先生が『ごちそうさま』しちゃダメだって……』》
《『だからといって、給食をゴミ箱にこっそり捨てる道理は通らん!』》
ぶっ!
《『それから・・イチゴ頭、何なのだ、きさまのランドセルの中身は・・×ばかりの答案、カビの生えたパン、鼻をかんで丸めたティッシュ、小石やペンペン草・・ランドセルはゴミ箱ではない! ママはマッハであきれたぞ!』》
《『ふえぇぇ〜ん、ごめんなさい、ママ〜 もうしません〜』》
アタシはたまらず、お腹を抱えその場に座り込んだ。
使徒様がママ! やっだ、もう〜〜〜〜〜〜
アタシの周りをクマさん達が囲む。
《……Bのが受けた》
《意外だわ〜 ジャンヌなら、Aパターンのが好きだと思ったのに〜》
《ホホホ。それが人間の面白いとこだクマー。人間の『感情』や『行動』は、わしらは予測しきれぬクマー。意外性があるからこそ、しもべとなるのは面白いのだクマー》
《んじゃ、次、Cねー》
のほほ〜んと言ったクマさんたちを、止めた。
やめて。あんた達のアテレコ聞いてたら……お腹の皮がよじれちゃう……
「食後、水精霊の水鏡の中で修行を積むがいい」
クマさん達の会話が聞こえていただろうに、お師匠様はいつも通りの無表情だ。淡々と、書き物をしている。
ルネさんの発明品『お顔ふきくん』や『どこでもトイレ』で身支度を整えた後、兄さまと一緒に食事をとった。
アタシが起きるまで待ってなくてもいいのに……
「一人より二人。味気ない携帯食でも、ジャンヌと一緒に食べるだけで俺は美味く感じられる。おまえにとってもそうなら、嬉しいんだが」
兄さまはいつも優しい……
硬いパンとチーズ、乾燥ブドウ。それに、水筒の水。
美味しくないし、食べ飽きてる。食事は、あるものをただ喉に流すだけだ。
「コーンポタージュ、飲みたいなあ……」
「俺は肉が食いたいよ」
兄さまと顔を合わせ、笑った。
……視線を感じた。
背後を振り返った。
お師匠様が書を開いて、何かを書いている。
透明な壁の向こうのドロ様御殿。ドロ様、クロード、マルタン。ドロ様の精霊たち。
眼下の異世界人たちも見た。風の結界の中のアタシ達が見えるわけないんだけど。
誰もアタシを見ていない。
「ジャンヌ?」
どうしたんだ? と兄さまが首をかしげる。
「視線……」
感じる。
誰かが見ている……
静かにジーッと、こっちを……。
探るように……。
アタシを見ている……
《雷の精霊だクマー》
白クマおじいちゃんが、万歳して言う。
「雷の精霊?」
《そうじゃクマー。氷界では、対戦者を含め、二千以上の精霊がそなた達の試合に注意を傾けておったのだクマー》
「……ピロおじいちゃん……無理に『ピロさん』の口調を真似なくても……あんま似てないし、口調に無理があります」
白クマがムッとする。
《氷界でもそうじゃが、精霊と精霊支配者が対面できるのは交渉時のみクマー。じゃが、しもべ希望の精霊達はその前から異世界人を見ておるのじゃクマー》
「……おじいちゃん、普通にしゃべってください」
白クマが、大きな頭をぶんぶん横に振る。
《『ピロさん』として仲間になった以上、『ピロさん』になりきるのだクマー》とムキになって両手を振る。しもべ精霊として、譲れない何かがあるようだ。
《一つ教えてやろう、精霊支配者よ。既に主人選びは始まっておるのだクマー》
へ?
《精霊は己の所属世界をあますことなく見渡せるクマー。この控えの間とて見えるのだクマー》
!
《戦闘待機しているものの、外見、記憶、感情、待機時にとった行動、仲間が居るのならその者とどのような関係を築いておるのか等を観察し、興味が持てる者の試合に注目するわけじゃよクマー》
じゃ、この視線は……
《だから、雷の精霊だよねー》
赤毛のクマさんが、バンザイして言う。
《主人候補を探しておるのじゃ。あ、いや、クマー。試合しか見ない者、試合以外の雷界での行動も評価にとりいれる者、主人選びの基準はさまざまなのだクマー》
白クマおじいちゃんが、ごまかすようにバンザイする。
アタシ、見られちゃってるの?
アタシだけじゃなくって、ここに居る人達全員が見られてるんだろうけど……
いやぁん、緊張しちゃうわ……
《普通にしてれば、いいと思うの〜》
ピンクの毛にバレリーナのチュチュ。ピナさんは、兄さまの腕にくっつきながら言う。
《わたしたち、心が読めるもの〜 ジョゼやジャンヌがどんな子か心を読んで〜 それでしもべになるか考えるのよ〜 演技しても、意味無いと思うの〜》
むぅぅ……たしかに。
「兄さまも視線、感じてる?」
「たまに、な」
そっか……
「ドロ様も兄さまもクロードも、み〜んな、雷の精霊を手に入れられるといいわよね。みんなそろって、パワーアップ。ね?」
兄さまが苦い笑みを浮かべる。
「……そうだな」
その暗い表情に、胸が痛む。
兄さまは、アタシにはいつも笑顔を向けてくれる。
でも、たまにこんな顔をする。ほんとに、たまにだけど……。
アタシの水精霊がひどいことを言ったせい……だと思う。
《あなたの護衛は要りません。百一代目勇者様もお仲間も、精霊を手に入れたのです。人間などよりも遥かに優秀な護衛役です。現実をみすえ、ふさわしいものに役を譲ることこそ賢明です》
精霊は各々、司るものに絶大な力を有している。たった一体で、山をも崩し、湖を干上がらせ、百万の軍隊を一瞬で倒す事もできる……って言われてるし……。
飲食睡眠の必要はなく、五感も人間よりずっと優れている。
護衛役は人間がやるより、精霊に任せた方が効率的なのかもしれない。
だけど、それだけじゃない。
それだけの理由で、兄さまはアタシの側に居るわけじゃないし……
アタシも、護衛してくれるからってだけで、兄さまを連れてるんじゃない。
ピオさんとピロさんを除いて契約の石に戻ってもらったのは、待機場所が狭いからって理由もあるけど……
食事をしたら、アタシはラルムの水鏡の中で対雷の精霊の修行を積む。
それまでの時間は、兄さまたちと過ごしたい。精霊も大事だけど、それ以外の仲間との時間も大切にしたいのだ。
「兄さま。百人の仲間まで、あと、たったの七十四人よ」
アタシは拳を握ってみせた。
「四分の一が終わったのよ。兄さまからすれば面白くない事もあるだろうけど、あと四分の三よ。我慢してくれる?」
「……面白くない事ばかりでもないさ」
兄さまが穏やかに笑みを浮かべ、自分の腕へと顔を向ける。ちょこんとくっついているバレリーナ・クマさんを、とても優しい眼差しで見つめて。
「頑張れよ、ジャンヌ。今の俺では応援するぐらいしかできんが……おまえが託宣を叶え、魔王を倒す日を楽しみにしている」
新米精霊支配者のアタシは、みんなからいろいろと教えてもらわなきゃやってゆけない。
ラルムのつくった水鏡の中……
雷の闘技場そっくりな所で、アタシは炎水風土氷の精霊から対雷の精霊の戦術を教わった。
数時間教わると現実に戻って、食事。
また、水鏡の中に戻って修行。
起きて夜食を食べたら、修行の為ではなく、体を休める為に普通に眠る。水鏡修行をずっ〜と続けると心身ともに疲労がたまってしまうんで、適度に休まなきゃいけないらしい。
その繰り返し。
起きる度に、ドロ様御殿に動きがある。
マルタンは、たいていグースカ寝こけてる。それは、まあ、いいとして……。
クロードの話相手が、コロコロ変わっている。ドロ様、使徒様、ドロ様の精霊達……。
ドロ様御殿から出て来て、お師匠様や兄さまと話してることもあるけど、アタシが目を覚ますとクロードはピタッと口を閉ざしてしまう。でもって、『ジャンヌが起きた♪』と嬉しそうにほにゃ〜と笑うのだ。
ドロ様が下に居るのを見た時は、びっくりした。
氷と土の精霊にガードをさせ、異世界人のPTの間を渡り歩いていたのだ。
「訪問占いだそうだ」と、お師匠様。
「異世界人を占い、報酬として食料を貰ってくれている」
へー
「精霊界の滞在も十日が過ぎ、携帯食が心もとなくなった者も居る。助かっている。アレッサンドロは有能な男だ」
お師匠様がベタ誉めなのも、当然。
『たったの二十日なのだ。寝ていればマッハで過ぎる』などとアホな事を言って、食料の代わりに煙草をどっさり精霊界に持ち込みやがった馬鹿がいるからだ。
炎水風土の神殿で、マルタンは起きてる時間のが短かった。でも、一日一食、あとは水でごまかすとか……無茶しすぎ。
ドロ様は、喜捨って形で煙草と一緒に食料も渡していた。だから、残りが心もとなくなって、訪問占いを始めたんじゃないかと……
ほ〜んと馬鹿だわ……使徒様は……
食べなきゃ死ぬって、子供だって知ってるのに……
《『俺はどうも……ダメな男に弱いみたいで、ね。母性本能が刺激されるというか……。使徒様は、俺がいなきゃ生きていけない……可愛くってほっとけないんだ』》
ボソボソと話すクマさん達を睨みつけた。
アテレコは、もういいから! ドロ様×マルタンは、いまいち萌えない!
てか、母性じゃないでしょ、せめて父性って言ってよ!
《『フフッ。今のうちに懐柔しておくのさ。煙草と食い物で骨抜きにできれば、安いもんだ。俺の野望を妨げるであろう星……神の使徒。味方にひきこめなくても、敵にだけは回したくねえ』》
お。
それ、いい!
腹黒ドロ様!
萌えるわ!
いや〜ん、悪どいドロ様も格好いい! セクシーな悪の幹部? ううん、悪の帝王って感じ!
……でも、野望って何?
そんなこんなで時間は過ぎて……
ようやくアタシの番が回ってきたのだった。