仄暗い水の中から
「すまぬな……頼む」
銀の髪にすみれ色の瞳。天に架かる月のように美しいお師匠様に見つめられ、マルタンがチッと舌打ちを漏らす。
「賢者殿の頼みとあらば・・聞かずばなるまい。心ならずも已むを得ず、いた仕方なしではあるが・・」
使徒様がギン! と前を見すえ、気合いをこめて叫ぶ。
「ウォータァァ!」
マルタンの前の空が揺れ、バシャバシャッと雨が降る。
降り注いだ水は全て、お師匠様が準備した組み立て式のデカイ箱へ。
箱の中がなみなみと満たされるまで、使徒様は水魔法を唱え続けた。
「ご苦労だったな、マルタン。おまえの働きで、六人分の水が確保できた」
お師匠様が、箱に蓋をする。組み立て式の金属箱は、ルネさんの発明品『たっぷん タンクくん』だ。箱の側面に管がついていて、そこの栓を抜くと水が出てくる便利タンクなのだ。
「ありがとー マルタン」
いちおう、お礼を言っといた。
「あ、ありがとう、ございます。使徒様……」
クロードもお礼を言って、ぺこりと頭を下げた。
けど、それは逆効果だ。使徒様のご機嫌は、完全に斜めとなった。
「イチゴ頭・・きさま、魔術師であろうが・・そろそろウォーターぐらい覚えたらどうだ?」
「ごめんなさぁい、使徒様ぁぁ。毎日、イメージ・トレーニングや、呪文の詠唱は練習してるんです。でも、まだまだウォーターは無理でぇぇ……」
「きさまのせいで、聖戦から還る度にこの俺が水づくりを頼まれるのだ・・いい加減、温厚な俺だとてブチ切れるぞ・・」
……誰が、温厚よ。
てか、あんたが突発性睡眠病持ちだから、目覚める度に水つくりになるんでしょーが。
「しかも・・きさまら、相も変わらず、未だに、尚も、水の精霊をゲットしておらんとは・・」
水の神殿に居る仲間――兄さま、ドロ様、クロード、それにアタシとお師匠様を見渡し、マルタンが凶悪な顔をいっそう凶悪にする。
「いつまで俺に水をつくらせる気だ? さっさと水の下僕をゲットしろ、グズどもめ」
腹いせとばかりに、使徒様が、アタシの幼馴染の両のほっぺをびよ〜んと引っ張る。
ふぇぇ〜んと、クロードが情けない声をあげて泣く。
しょうがないじゃない。
水の神殿は、ず〜っとがら〜んとしてるんだもん。
居るのは、アタシ達だけ。
着いた時は、よその世界から来てた精霊支配者さんグループが居たわ。先客は、人間の子供ぐらいの大きさの甲虫さん達だった。自動翻訳機能で話を聞いてみたら、水界滞在は四日目だが全く精霊と出会わないと、甲虫さん達はぼやいていた。
で、それから二日……
しもべ希望者どころか、神殿の外に見学者の精霊すらやって来なくて……
甲虫さん達は水界の精霊探しをあきらめて、さっき別のエリアへ行ってしまった。
魔王を倒す仲間が欲しいんだって叫んでも、心の中で繰り返し思っても、水界の静かな沈黙は乱れないのだ。
水界は、しもべが手に入りやすいエリアだって話だったのにぃ……
「神の使徒。八つ当たりは見苦しいぞ、クロードを離せ」と、兄さま。
「使徒さま。お怒りはごもっともですが、クロードくんだけが悪いんじゃない。お詫びもこめて、一本、喜捨しますぜ。俺の銘柄じゃ、気に入りませんかねえ?」と、ドロ様。
使徒様は二人に任せて、大丈夫そう。
アタシは、神殿とその外を見た。
水の神殿の造りは、炎の神殿とほぼ一緒。だけど、全てが青かった。移動用に配された白い魔法陣を除き、天井も床も林立する円柱も。
でもって、全ての柱が水色に発光している。異世界人用に水の精霊が作った灯りらしい。
炎界では、神殿の外には燃え盛る炎しかなかった。外に出れば、一瞬で黒こげ。でも、何というか……炎がこれでもかっ! ってぐらいに元気に燃えていて、勢いがあった。
それに比べると、水界はとても寂しい。
神殿の外が闇に覆われているから。
精霊界では、八大精霊がその性質のままに、ふさわしい世界にそれぞれ暮らしている。
つまり、水界には水しか無い。
陸もなければ水底もなく、空気も太陽も月も星もなく、生き物も存在しない。ただ、水があるだけ。
光の射さない水だけの世界は、どこまでも真っ暗。
澄んだ水が流れもせず、生命を育むことなく、ただ存在しているだけなのだ。
水の中に、精霊の姿さえ見あたらないし……
外を見てると、どんどん悲しくなる。
一人ぼっちな気分?
しょぼんな気持ちになったアタシを、右腕に抱えたピオさんが慰めてくれる。
《気にしちゃ、ダメなのー 水の精霊はねー ひねくれてるのー》
ひねくれる?
赤いぬいぐまが、コクンと頷く。
《よその世界の人間がくればー みんなに、おしらせがあるのー だからねー みんな、ここにジャンヌとジョゼたちがいるのは知ってるのー》
「知ってるのに誰も来ないってことは……しもべ希望の精霊が居ないってこと?」
そう尋ねると、ピオさんは違うと答えた。しもべ希望は、炎界同様いっぱい居るはずだって。
《水の精霊はね、ご主人さまがほしくてもねー すぐには行動しないのー ガツガツするのは、カッコわるいって思うんだってー すましやなのー》
へー
《その辺にはいないけど〜》
左腕に抱えたピナさんが、外の水の壁を指さす。
《遠くから、こっそり見てるわよ〜 ご主人さまにしたい子いないかな〜って〜》
「そう?」
ピンクの毛皮で、白いチュチュ。バレリーナ姿のクマさんがうなずく。
《ジャンヌたちがよそにいく前には、だれか来ると思う〜 しもべになってさしあげてもよろしいわよ〜 って》
でも、甲虫さん達の前には最後までしもべ候補が現れなかった……そう言おうとしたら、その前にピナさんから答えが返った。アタシの心を読んで会話しているっぽい。
《だって、カブトだし〜 水の子には、モテないわよ〜 炎のわたしも〜 カブトじゃ、つまんな〜い。ご主人さまに、したくな〜い》
ん?
《精霊にも好みがあるの〜 カブトは空を飛ぶし、土の中で育つから、風と土には好かれると思う〜 でも、炎にカンケ〜ないから〜 わたしはど〜でもいいの〜》
あらま。
《ジョゼもジャンヌも人間だから〜 人間はいっぱいのお水を体に持ってるから〜 種族的にはわりと好かれてると思う〜》
ホッ。
《あとは〜 性格次第〜 ニッチな子もいるから〜 ぜんぶがぜんぶじゃないけど〜 精霊ごとに、好きなタイプって決まってるの〜 たとえば〜 炎の精霊は〜 熱い魂が好き〜》
でしょうね。
《水の精霊はね〜 反対みたい〜 だから〜 たぶん、ジョゼは好かれないと思う〜 熱すぎるから〜》
あ。
そういうこと……
水の精霊が好む人間って……
やっぱ、クール系?
冷静沈着な、頭脳派?
でも、水って流されやすくて、どんな器にも収まる柔軟さもある。恵みの水って言葉もあるし……優しい人が好き? 包容力のあるタイプとか?
むぅぅ。
「……兄さまほどじゃないけど、アタシも熱血入ってるわよね? 水精霊から好かれない?」
腕の中のぬいぐま達は顔を合わせた。
《わかんなーい》と、ピオさん。
《しらな〜い》と、ピナさん。
二人とも声をそろえて、
《水の精霊なんか、キョーミなーい》
《水の精霊なんか、キョ〜ミないし〜》とか言う。
ピオさんもピナさんも、しもべになったのも炎界から出たのも初めて。
異世界どころか精霊界の他のエリアにも行った事がなかったのだ。
水の精霊についての知識も、仲間からの受け売りしかないようだ。
「精霊界の最長滞在日数は二十日。水界にとどまれるのは、三日が限界だ。仲間もしもべも増やせずとも、明後日には次のエリアに移動する」
お師匠様が淡々と言う。
魔王が目覚めるのは、八十六日後。
精霊に留まれるのも、あと十六日だ。
まだ風土氷雷光闇の六エリアを回るのだ。いつまでも水界に居るわけにはいかない。
それはわかっている。
わかってるんだけど……
少し離れた所で、煙草を楽しむ二人。アタシは、そっちを見た。
ドロ様とマルタンは、真っ赤なソファーに座っている。絹張りっぽい外見だ。
ソファーは、ドロ様のしもべ炎の精霊『フラム』の変化だ。
フラムは、完璧にソファーになりきってる。でも、人型にもなれる精霊の上に座るなんてアタシは嫌だなー 二人は気にしてないみたいだけど。
「・・悪くはない。肺にガツンとくる・・」
「癖のあるこの香りが好きでしてね……俺は、昔っからこれ一筋で」
「ほう」
マルタンとドロ様は並んで座って、紫煙をくゆらせてる。
「お役目柄、使徒さまは愛煙なさるのはお難しいでしょう? 何処でイケナイ嗜みを覚えられたんです?」
「ククク・・むろん当然、言うまでもなく異世界で、だ」
「なるほど……異世界で、ですか」
「あっちで味を覚えたはいいが、聖教会の僧侶は世俗の金を持てん。俺の喫煙は、100%喜捨で成り立っている」
「ということは……」
ドロ様がニヤリと笑う。
「信奉者からの捧げ物と、不信心者を懲らしめて巻き上げた……いや、贈られたお詫びの品ですかい?」
「フッ。ダニどもを何十人更生させたことか・・近ごろは、あいつらも、真人間になった。俺の顔を見ただけで、煙草を置いて悪所から立ち去ってゆく・・」
……そりゃあ、使徒様には関わるより、煙草を置いて逃げる方がいいわよね、犯罪者も……。
「煙草と酒をちょいとだけ荷物に忍ばせて持って来たんですよ、俺にとっちゃ無くてはならぬ相棒なんでね」
ドロ様が男くさくニヤリと笑う。
「酒の方もイケル口ですか?」
「飲まん」
「おや、それは残念」
「なぜならば、俺は神の使徒・・常に戦場に居る。脳を麻痺させる危険物など摂取できん」
「聖教会の聖務をこなしておいでなのに、内なる十二の世界で神の奇跡をお与えになっている。休む暇なしだ。お疲れさまです」
くわえ煙草の使徒様が、眉をしかめ、目を細める。しばらくドロ様をジーッと見つめてから、マルタンはフッと鼻で笑った。
「殊勝だな・・きさま、臭いくせに、みどころがあるではないか、ドレッド」
はぁ?
臭い?
面と向かって、そんな! 失礼な!
ドロ様が、声をあげて楽しそうに笑う。
「匂いますか? すみませんねえ、やんちゃしてた頃の残り香だ。こびりついた匂いってのは、なかなか落ちないようだ」
「ククク・・だが、今は、しがない占い師であろう? 悔い改め、真人間となれて良かったではないか」
マルタンが暴言吐きまくりなのに、意外と会話がはずんでる。
喫煙家同士、通じ合うところがあるのかも。
あと、ドロ様が何を言われても笑って許してるからか。
明日までしか水界に滞在できないってのに、ドロ様はぜんぜん焦ってない。
『八大精霊全てをしもべにできなかった時には……占い師を廃業してくださいませんか?』
テオとの賭けに、OKしちゃったのに……。
水の精霊なら、魔王に大ダメージを出せる。
仲間にできないのは、イタイ。
だけどアタシは、ここが駄目でもよそで頑張ればどうにかなる。
炎水風土氷雷光闇の精霊全部をしもべにしなきゃいけない、ドロ様のがキツイ……。
なのに、ドロ様は悠然としている。
もしかしたら内心は穏やかじゃないのかもしれない。けど、そんな素振りはまったく見せない。
ほ〜んと、大人だわ……
それに比べると……
えっぐえっぐ泣きながら、魔法の本を片手にお師匠様に質問している幼馴染。
暇なんで、格闘の鍛錬を始めた兄さま。アタシの腕の中からクマさんたちがぴょ〜んと飛び降り、兄さまのもとへ。《いっしょにやろー》てファンシーなぬいぐるみたちに囲まれ、頬をゆるめまくりの兄さま……
いや、まあ……
人間には、それぞれ良いところも悪いところもあると思うの。
一面だけを見て、人に優劣をつけたりランクづけするのは、勇者として間違ってると思う。
でも……
ドロ様と比べると、この二人……
明らかに、大人じゃないわよね……
『ルネ でらっくすⅡ』に入っていた『自動ネジまき 時計くん』を見れば、もう夜の時間だ。
アタシは溜息をつき、毛布にくるまった。
「お嬢ちゃん、今日も床かい?」
ソファーに来ないか? と、ドロ様が誘ってくれる。
「ありがとう。でも、アタシ、床のが落ち着くから」
フラムの人型は、赤毛の綺麗なおねえさんだ。その変化の上で眠るのは、申し訳なく思えちゃう。ぐっすり眠れそうもない。床のが気楽。
寝る前に、今日の出来事や仲間にした伴侶のことを『勇者の書』に書きとめておくのが、最近の日課。
けど、水界に来てから書くことがない……
「お師匠様。三十九代目の書を見せてください」
クロードに魔法指導をしていたお師匠様が、荷物の中から先輩勇者の書を出してくれる。精霊界転移時に使った書だ。
三十九代目勇者は精霊界で修行をつみ、八大精霊を全て仲間とした。しかも、百体以上も! 超すごい精霊支配者だったのだ。
水精霊と仲良くなる秘訣でもあれば、と書を開いたものの……エリア移動する度に精霊達に囲まれ熱烈ラブコールをされただの、モテモテな記述しかなく……
ちっとも、参考にならなくて……
そのうち、瞼が重くなってきて……
何時の間にか、アタシはぐっすりと……
で……
目覚めたら、周囲は真っ暗だった。
あれ? と思う。
水の神殿には、夜も昼もなく水色の淡い灯りが灯っているのに。
「お師匠様、ジョゼ兄さま、クロード、ドロ様、ピオさん、ピナさん」
呼びたくないけど、使徒様の名前も呼んでみた。
けど、答えが無い。
人の気配すらない……
上半身を起こすと、体の下がぶよぶよ動いた。安定感のない、やわらかな所で寝っ転がってたみたい。
目を凝らしても何も見えない。ほんとの真っ暗だ。
触ると、床はぶるんぶるん波打つ。掌を滑らせ、少しづつ這わせてみる。
辺りは真の闇だから、慎重に。何も潜んでいませんようにと祈りながら。
しばらく調べて……
かなり狭い場所に、一人でいるんだとわかった。
猫背にならなきゃ天井に頭がついちゃう。
横幅はよくわかんない。アタシが動くと床面も天井もぶよぶよ波打って動くからだ。動きに合わせて、周囲がぐるぐる回転していく感じ。ボールの内側に居るようなイメージ。
床面を強く押してみる。力が分散しちゃうみたいで、へこみもしない。ぶるぶると震えるだけだ。
体にも触れてみた。
荷物はなし、腰に剣もない。
寝る前の格好のままだ。
どうして、アタシはこんな所に居るんだろう?
どこもかしこも真っ暗だ。
「誰か居ませんか?」
呼びかけてみた。
答えを期待したわけじゃない。
生き物の気配はまるでなかったから。
けれども……
《ようやく起きましたか》
知らない声が聞こえた。
《睡眠開始から十三時間が経過しています。私の知識に間違いがなければ、肉体を持つものは周囲の環境の影響を多大に受けます。第八星体系哺乳綱サル目ヒト科ヒト種の生体リズムは母星の自転にもよりますが、平均理想睡眠時間は七〜八時間のはずです》
すらすらとわけのわかんない事を言う……。
《しかし、あなたの睡眠時間は推測を上回りました。睡眠障害が疑われます。昼夜の別のない精霊界を訪れたが為に生体リズムが狂い、持続的な睡眠がとれないなどの不調が続いていたのでしょう。光のない空間に移動した為、深く眠ってしまったのかもしれませんが》
声には、抑揚が無い。
言っている内容といい……お医者様のような。
《医療従事者ではありません。水の精霊です》
おおお!
水の精霊!
水界に来てから二日……いや、三日目かな?
初めて、水の精霊に会った!
姿は見えないんだけど!
「はじめまして、勇者ジャンヌです! 魔王を倒す為の仲間を探しに、水界に来ました! 良かったら、姿を見せてくれませんか?」
《萌える為に、ですか?》
え?
《あなたが水界に来た事情ぐらい知っています。私達精霊は、自分よりも下等な存在を見通せますから》
下等……
……一体で軍隊相手に戦えて、何千何万年も生きる精霊に比べりゃ、確かにそうだけど。
《あなたが萌えれば伴侶枠入り……実にわかりやすいシステムではありますが、いくら記憶を読んでもあなたの萌えの基準が理解できません。美、愛らしさ、逞しさ、性格……おおまかな傾向はあるようですが、確かな理由などなくその場の雰囲気で伴侶を決めている。そうではありませんか?》
むぅぅ。
なんか、ひっかかる言い方。
この精霊、理屈っぽい。やたら難しいこと言って、偉そう……テオみたい。
「でも、萌えってそういうものでしょ? パッと見て、あの人素敵! 格好いい! って、誰だって思うわ。それがキュンで終わらず、キュンキュンまでいったら伴侶枠に入るのよ」
《あいにく私は『人間』ではありませんので。好悪の曖昧な判断基準が理解できないのです》
声が溜息をついた……ような気がする。
《けれども、もう……思索には飽きました。あなたに出逢えた事を僥倖に思います。ようやく、何らかの答えが得られそうです》
アタシに出逢えて、僥倖?
「何で?」
《あなたが『勇者』だからです》
ぞくっとした。
何か……
すごい圧迫感を感じる。
空気が妙に張り詰めている……
視線……
舐めるように見られているような……
《百一代目勇者様、私の疑問に答えていただけませんか?》
「……良いわよ、答えられることなら」
アタシは、辺りをキョロキョロと見回した。
真っ暗で何にも見えない。
声の主の姿すらも。
「でも、そのまえに、ひとつだけ聞かせて……」
《ええ、何なりと答えましょう》
掌を握りしめ、喉を鳴らした。
「……アタシ、なんでここに居るのかしら? 理由を知ってたら、教えて欲しいんだけど……」
《……何故、質問するのです?》
声が、不思議そうにアタシに尋ね返す。
《聞くまでもないでしょう? 現状から、あなたは既に答えを導き出している》
やっぱ、そうなわけ……?
「あなたが、アタシを水の神殿から連れ出したの……?」
《そうです。余人を交えぬ環境で、あなたを深く調査したく、誘拐しました》
悪びれもせず、声が答える。
アタシは衣服の下のペンダントを――精霊との契約の証を強く意識した。『ピオさん、来て!』と心の中で強く念じれば、炎の精霊が駆けつけてくれるはず。
けれども……
《無駄です。水の神殿で眠っていたあなたを連れだして、私の内側に監禁しましたから。思念は外へ漏れません》
「なんで、さらったのよ?」
《あなたに興味を抱いたからです、百一代目勇者ジャンヌ》
「……どうやってさらったの?」
《『ひとつだけ』が、何時まで続くのです?》
声には、うんざりしたような響きがこめられている。
《質問は『ひとつだけ』ではありませんでしたか?》
「バカね、あんた」
目に見えぬ相手を睨んでやった。
「女の『一つだけ』は『一つ』じゃ終わらないものよ。女はミステリアスなの。それぐらい常識でしょ?」
《私は『人間』ではありません。人間の常識は通用しません》
きっぱりと声が言い切る。
《ここは水の神殿から遥か離れた場所……当然、水中。しかも、私の内世界です。魔力もなく、肺呼吸を必要とするあなたでは、脱走は不可能です。あなたに選択肢など、ない》
無駄な会話はやめよう、と声が言う……
《私に協力なさい、百一代目勇者ジャンヌ。目的を果たせたら、あなたは不要となります。水の神殿に帰してさしあげましょう》
「……それ、本当?」
《ええ。精霊の誇りにかけて誓いましょう》
いくら見ても闇しか見えない。
声の主の内側に居るって言われてもピンとこない。異空間にとりこまれたようなもの?
抵抗しようにも、武器はないわ、お師匠様達と連絡をとる手段もないわ……それで、本当に精霊を呼び寄せられないならお手上げだ。戦いようがない。
《本当に呼べませんよ。試してみてはいかがです?》
心を読まれちゃってる。
素直に協力した方が良さげ。
危害を加える気ならアタシが寝てる間にできたわけだし、起きるまで待って協力して欲しいって依頼してきたし……
邪悪ってわけでもない……ような?
ま、いっか。
「何を知りたいの? アタシの心の中なんか、お見通しなんでしょ?」
《知識や記憶に関していえばそうです。しかし、人間の『感情』や『行動』は予測にあてはまらぬ事が多い。あなたの内面の変化を調べたいのです》
むぅぅ……
「それが終わったら、水の神殿に返してくれるのね?」
《ええ。あなたの望む事は、何でも叶えましょう。私を伴侶にと望むのなら、なってさしあげても構いません》
ムカッ!
なに、その上から目線!
《この疑問さえ氷解すれば……もう思い残す事はありませんから》
え?
一瞬、心がざわっとした。
何とも言えぬ嫌な感じがして……
だけど、何が、どう嫌なのかがわかんない。
「ねえ、あなた、名前は?」
《お教えする必要を感じません》
むむむぅ。
「わかったわよ! なら、さっさとやりましょう。わかってるでしょーけど、アタシ、魔王を倒さないといけないの。いつまでも水界に居られないのよ」
それに、アタシが誘拐されたと知ったら、たぶん、おそらく、きっと……
ジョゼ兄さまが……ぷっつん、する。
いや、もう既に暴れてるかも……。
「………」
と、とりあえず、早く帰れるよう頑張ろう……
《早く終わるかどうかは、あなた次第ですね》
「何をすればいいの?」
《萌えていただければ……》
ん?
《あなたは萌えて、選べばいい……それだけです》