さよならを言う間もなく
《キミが魔王に負けたら、この世は終わり。魔王は無敵化しちゃって、誰にも倒せなくなるからね。世界の命運を握っているのはキミだ。責任重大だぞ。おっけぇ?》
神様はそう言っていた。
アタシは勇者だ。
魔王を倒す為だけに、十年間、修行を積んできた。
今だって、勇者として、神様から与えられた託宣を叶える為に、旅をしている。
そして、魔王戦……
いざとなったら、アタシは究極魔法を唱える。
絶対にそんな事にならないように頑張るけど……最悪の場合、アタシは世界を守る礎となって死ぬのだ。
勇者として。
運よく生き延びられたら、賢者になるのよ。
お師匠様の跡を継いで……。
お師匠様だって、そう望んでいる。
よその世界に転移して、花嫁になるなんて……
ありえない。
お師匠様を裏切るなんて……できない……
勇者以外の生き方なんかしらない……
できるわけがない……
だけど……
『ずっといっしょ。はなれない。ずっと、ずっと、ずーっと、いっしょ』
『ワーウルフは一夫一婦制。パートナーを決めると、生涯連れ添うと聞いています』
カトちゃんやエルドグゥインの言葉が、頭の中でぐるぐるしている。
胸が痛い……
深く思われても、応えられないのに……
カトちゃんは体は大きいけど、心は子供だって知ったから、よけいに……
嫌なのよ。このまま、元の世界に還るのは。
今日来るか明日来るかって待たせ続けるなんて……ひどすぎる。
断らなきゃ……
はっきり、と。
カトちゃんが理解できる言葉で。
『アタシはあなたのお嫁さんにはなれません。他の人と結婚してください』って。
だけど……
アタシと目が合うと、カトちゃんは本当に嬉しそうに笑うのだ。
澄んだ瞳に見つめられると、胸がきゅんきゅんする……
「なく、ダメ」
大きな手が、アタシの頭を撫でてくれる。
「わらえ」
一生懸命……
ぶきっちょに……
慰めてくれる……。
「そうだ、わらえ。かわいいぞ」
ちがうわ、アタシなんかより、カトちゃんのが可愛い。
ずっとずっと……
人型でも、大狼になっても……可愛くって……
愛しい……
「どうして、また、なく? いたいとこ、なめる、なおす」
「いたいとこはないわ」
強いて言えば……心?
「あるく、つらい、ひっぱる」
明るい笑顔で差し出される手。
手なんかつないだら、よけい期待させちゃうわ。
……きっぱり断ることが優しさなのに……。
カトちゃんの手をにぎってしまう。
イケメンなのに、笑顔は子供そのもの。
カトちゃんがかわいい。
拒んで、笑みを壊したくない。
アタシは卑怯だ……
カトちゃんに何も言えずにいる……
「何を憂慮なさっておられるのか、見当がつきません」
先を行くエルフが独り言のように言う。
「人間と獣人では価値基準はもちろん、心のありようも異なります。ご自分の感性で物事の是非をはかってはいけません」
カトちゃんが聞いているのを承知で、アタシに話しかけている。
アタシの手をつないだまま、カトちゃんは普通に前を見ている。自分が話題にされていると気づいていない。エルフの話し方が難しすぎるから……。
「また、獣人の場合、婚姻の最終決定権は女性にあります。気にくわない男性からの求愛アピールは、無視していいのです。袖にして放置、なんら問題ありません」
「袖にするかどうかじゃなくって……」
カトちゃんの手をぎゅっと握りしめた。
「どう伝えるかが問題なの。初めての告白を……ひどい思い出にしちゃ、かわいそうでしょ?」
「おやおや……。異世界の勇者様はお優しい」
エルフが、フッと鼻にぬけるように笑う。
「よろしい。強く美しく賢い私から助言をさしあげましょう。振るのがお嫌でしたら、諦めさせれば良いのです」
む?
「他の男性と連れ添う姿を見せつけるのです」
へ?
「その畜生が『かなわない』と諦めるような男性と、です。獣人は、上位者には素直に従い、場を譲ります。あなたを諦め、別の配偶者を探す決心をするでしょう」
はあ。
「ただし、下手な人間を選ぶと戦闘となります。あなたを取り戻そうと、頭の悪い獣は力押しでくるでしょう。ご注意を」
エルフは足を止めて、振り返った。
「誉れ高き花エルフの私が、ご協力しましょうか?」
はぁ?
ハチミツ色の髪が、森を通り抜ける風に靡く。
エルドグゥインは静かに微笑んでいる。
「森の王がお認めになったあなたは、緑と共に生きる私にとっても大切な友人。友人の窮地を救う為とあらば、芝居とていたしますよ」
「ありがとうございます……考えておきます」
と、だけ言っておいた。
エルフが背を見せ、歩き出す。
恋人がいる振りをする……か。
カトちゃんは、エルフを嫌っている。おねえさんから『相手しないのが、かしこい』と教わってもいる。
だけど、『かなわない』とあきらめてるわけじゃない。アタシが『いい』と許したら、飛びかかる気でいた。
エルドグゥインじゃ、ダメだ。戦闘になっちゃう。
兄さまが自分を指さしてたんで、かぶりを振った。
不満そうな顔をしてもダメ。
兄さまとカトちゃん、勝敗つかずで戦ってたじゃない。絶対、戦闘になっちゃうわ。
アタシのそばのクロさん、兄さまのそばをちょこちょこ歩くピアさん。
ラブリーな二人も、アタシの彼氏役には不適当だ。
マルタンがいれば……
あの非常識なパワーには、誰もがひるむ。カトちゃんも嫌がりそう。
だけど、森の王の領域から出て来ないし……
それに……そうだ。あいつの神聖魔法、邪悪にしか効かないんだっけか……無敵なのは邪悪に対してだけか……。ちぇっ、役立たず。
となると、やっぱ、デ・ルドリウ様……?
この世界最強の竜王が彼氏なら、カトちゃんもあきらめる?
……かなあ?
竜王が相手でも、戦いを挑みそうな気もする……。
ンなことを考えているうちに、樹木は次第にまばらとなってゆき、視界が開けた。
やわらかな陽光と爽やかな風を感じる。
麦に似た野草や白い花が、風に揺れている。
広い青空、緑の野原。野原はなだらかな丘となっていて、遠くに山が見える。
草々がお辞儀をするかのようにさあぁ……と靡き、風がアタシ達の横を通り過ぎていった。
「ドワーフどもの洞窟はあの山の麓です」
エルドグゥインが指さした先は、まだまだ遠い。
ずっと歩きづめなんで、傾斜がある野原を歩くのはけっこうしんどい。
カトちゃんが、ぐいぐいひっぱってくれる。
こんなに歩いたのは何年ぶりだろう、足が痛い。
カトちゃんに何て言おう、婚約者が居るって嘘つこうかな。
そいや、さっきから兄さまが大人しい。カトちゃんが中身は子供だと知ったからかしら。
クロード達無事かしら。
いろんなことを、とりとめもなく考えてた。
丘の中腹までさしかかった頃には、だいぶ日が傾いていて……
あの音がした。
キィィ−ンと耳をつんざく音。
どっかに飛ばされる前に聞こえたあの音だ。
音がどんどん大きくなる。
頭の上から聞こえるんだ。
そう気づいた時には、信じられない光景が頭上に広がっていた。
晴れた空に、次々に亀裂が走っている。布がびりびりと裂けてゆくように、青い空がどんどん割れているのだ。
やがて、切れ目同士がつながる。
空は不格好な四角い形に切り取られ、そのまま……がくんと抜けた。
「!」
空が落ちて来る?
身がまえたのは一瞬のこと。
大きな陰が、差す。
空が切り取られたはずのところには、黒く巨大なものが現れていた。
大きな黒い鳥のような。
それが羽ばたき、風が起こる。
上空からの強い風に、アタシはよろめいた。
大きなものが東へと飛んで行く。
見えるのは、黒い体。爬虫類みたいなお腹と足。それから長くうねうね動く尻尾。
旋風を起こし、アタシ達から遠ざかっていくそれは……
間違いなく……
「デ・ルドリウ様……」
よね?
カトちゃんが、アタシの手を離す。
跳ぶように走り始める。
人型だった体を、ぐぐ〜んと大きくしてゆきながら……
毛むくじゃらな大狼となり、四つん這いになって、頭上のドラゴンを追いかける。
「まって!」
叫んだけど、カトちゃんは止まらない。いつもは言うことを聞いてくれるのに。
狼王はひたすら駆けてゆく。
跳ねて、草を分け、風のように。
人の足じゃ絶対追いつけない速さだ。
「これだから、竜族は……」
強風に乱れる髪を押さえながら、エルフが不愉快そうに顔をしかめる。
「あの巨体で空間変替など、無茶でしょうに。次元に穴を開けるのなら、もっと繊細に願いたいものです」
空間変替……
あ。
思いだした。
デ・ルドリウ様は、アタシ達を荒野の岬から自分のテリトリーまで一瞬で運んだのよね。
マルタンの防結界に包まれた大地ごと、岩山の上部と置換したとか言ってた。
縮地の術だとか何とか。
あの時も、キーンって耳鳴りがして……
ふわっと浮いたかと思ったら、すぐにドォン! と大地が激しく揺れた。
体が沈み込むような揺れだった。
もしかして……
ゾンビたちの沼やら、森の王の領域やらに、アタシ達が跳ばされたのって……
デ・ルドリウ様の仕業?
アタシも兄さまも、黒竜を追いかけた。
遠くから見てもデカいとわかる黒い竜は、野原へと降りてゆき……その姿を消した。
丘を越えると、見えた。
ずっと下った先に、人が居る。
遠くからでも誰だかわかる。
黒い鎧の男性、白銀のローブの人。デ・ルドリウ様とお師匠様だ。
そして他にも……
狼王は、人型の竜王と対していた。
ドキンとした。
……喧嘩を売りにいった?
まだ『アタシの恋人は竜王です』って嘘ついてないのに?
……アタシを竜王の城に帰したくないから……?
全力で坂を下りた。
「待って、カトちゃん!」
本来の姿だったら、デ・ルドリウ様のが圧倒的に強いと思う。
でも、今は人型だ。カトちゃんが急に襲いかかったら……。
それで、もし、竜王が本気になったら……
カトちゃんは……。
ゾッとした。
早まらないで。
アタシの為に争わないで。
アタシ、あなたに応えられないのに!
アタシなんかの為に、あなたに何かがあったら……
走り続けて、息が苦しい。
だけど、急がなきゃ。
カトちゃんが……
カトちゃんが動く。
「待って!」
アタシは叫んだ。
けど……
後の言葉が続かなかった。
あまりにも意外なものを見たんで、固まってしまったのだ。
あれ?
二、三歩進んで、足も止めた。
膝に両手をつき、ゼーゼーと荒い息を吐く。心臓がバクバクいっている。
戦闘にならなかったのは、良かったけど……
なんで、竜王と戦わないの?
ていうか、変身して縮んでるし。
竜王の後ろの人に……抱きついた?
抱きついて、頭をスリスリしてる……?
え?
えっ!
え〜〜〜?
「だからお伝えしたでしょう」
エルドグゥインの涼しい声がかかる。
「憂慮なさる必要はない、と。パートナを受諾なさった後ならともかく、まだ互いに自由なのです。よりよい個体を見つければ、そちらに乗りかえるのが獣の本能です」
つまり……
振られたの、アタシ?
一気に疲れがきた……
走る気力もなくし、歩いて丘を降りるアタシ。
その後を、兄さまとエルドグゥインが続く。
ポンポンといたわるように足を撫でてくれたのは……クロさんね。
丘の下のお師匠様と竜王が、アタシ達を見ている。お師匠様の後ろに居るのが、お師匠様のゴーレムのゾゾだ。耳も目も鼻も口もない、のっぺりとした人型ゴーレムだ。
「順調に仲間を増やしたようだな」
いつも通りの無表情、いつもと同じ穏やかな声。その姿に、ホッとする。お師匠様は、無事だった。それは良かった。けど……
竜王は、エルフに真っ先に声をかけた。
《勇者殿の案内、感謝する、花エルフの王子よ》
王子様……?
隻眼のドラゴン王に対し、エルドグゥインは左胸に右手をあてて一礼する。実に優雅な仕草で。
「どうぞ、エルドグゥインと。今日は忍びですので」
……あんまお忍びって感じでもなかった。王家に連なる者って名乗ってたし。
エルドグゥインは汗をかくどころか息も乱れていない。やっぱ、エルフは細身でも体力があるのね。
「荒野の竜王より、尊き花エルフ王に直々の依頼があったと承っております。友人からの頼みごとには、誇り高き花エルフ一族は誠意をもってお応えするのが常です。お気になさらず」
しかし、とエルドグゥインが笑みを絶やさず言葉を続ける。
「竜王におかれましては、卑小なるものへの配慮をあと鮮少ばかりお心がけいただければ幸いかと。あなた様の術は、いささか繊細さに欠けます。空間変替は緊急時のみに願います」
《うむ。あいわかった。すまなんだな、エルドグゥインよ。急ぎすぎた。許せ》
「いいえ。自然と生き物への敬意をお忘れでなければよろしいのです」
物腰も言葉使いも丁寧なのに、エルドグゥインは冷たい印象になる。
黒鎧に黒マントの隻眼の王のが、柔和そうだ。
竜王の赤い眼が、アタシへと向く。
《そなたらのゴーレムを通じ、全てを見ていた。狼王、森の王、エルドグゥイン。いずれも優れた力を持つ者だ。仲間とできて良かった》
そのお顔には温厚な笑みが浮かんでいる。
《そなたの仲間にふさわしき者を六名ほど、伴って来た。紹介いたそう》
竜王が背後を振り返る。
アタシの視線も、そちらへと向いた。
デ・ルドリウ様の後ろには、あぐらをかいて座っている男が居る。その足の間に転がってるのは、キャベツだ。
頭の上に烏、肩に鷲。首に巻きついているのは蛇で、体の上を這いまわってるのはトカゲ。
膝の上のネコは後ろ足に立って、男の髪をペロペロ舐めてる。毛づくろいしてあげてるっぽい。
大型犬は、脇の下に鼻を突っ込もうとしてたしなめられてる。
動物ハーレムだ。
んでもって、ちっちゃいカトちゃんは、もぞもぞもこもこしちゃって、いい場所を得ようと頑張ってる。
男の膝の上にのって、手にすりすりと鼻と頬を押しつけちゃって、まあ……。
アタシが側にいるのに……ガン無視だ。さっきまでとぜんぜん違わない?
「………」
動物に囲まれた男が、顔をあげた。目が前髪に隠れちゃってるから目線がわかんない。
口元に困ったように笑みを浮かべ、男はアタシに挨拶した。
「ども……」と。
どこそこ種族の誰々だ、ジョブは何だと、デ・ルドリウ様が獣たちを紹介してゆく。
獣たちは、アタシにぺこりと頭を下げる。とってもおざなりに。挨拶をすませると、再び男にじゃれ始める。
アタシにしても、紹介されても頭に入ってこないけど。
何を聞いても、右から左だ。
別に……
いいんだけど!
アタシ、最後まで面倒みられないし!
カトちゃんが、アタシ以外の人に夢中になってくれる方が、絶対にいいわよ!
だけど!
なんで、それが男なわけ?
紹介は終わったみたいだ。
皆、口を閉ざし、アタシに注目している。
《勇者殿は誰ぞ仲間にしたのか?》
「いいえ……ジャンヌの心はときめいていません」と、お師匠様。
《ダーモットと同じく、勇者殿と相性が合わなんだか。残念至極》
ダーモット……?
って誰だっけ?
聞いたことあるような?
まあ……いいや。どうでもいい……
お師匠様が淡々とした声で言う。
「ジャンヌ。可能ならば萌えてくれ。エドモンといるものたちは、デ・ルドリウ様が直接出向き同行を乞うた、一騎当千の実力者たちだ。魔王に大ダメージを出せるだろう」
「直接出向いて……同行を乞うた?」
「おまえの為に、この世界の強者との出逢いをはからってくださったのだ」
《伴えなかった者も多い。我が背では運べぬ者、国より離れられぬ者、留守であった者……次のそなたの来訪時に集めておくようにいたす》
「アタシの為に……」
お師匠様が頷く。
「おまえは、一ジョブにつき一人しか仲間にできぬ。再来訪は何十日か後のこと。その頃には、ジョブ被りとなって、この世界の者を仲間にできぬやもしれぬ。それゆえ、帰還前に、急ぎ仲間候補を集めてくださったのだ」
ショボンな実力の者を仲間にし続けたら、アタシは魔王に敗れる。
だから、この世界の強者を紹介してくれてるのね。
幻想世界で一番強い竜王自らが、アタシの為に動いてくれるなんて……
すごく恵まれているし、有り難いと思う。
だけど、ダメだ。
ぜんぜんキュンキュンしない。
というか、もう疲れちゃって……
「……駄目か」
《強いたところで、人の心は動かぬ。いた仕方なし。あきらめよう、シメオン》
「まだ可能性は残されています」
お師匠様が平坦な声で言う。
「エドモン、同行者達に変身を願ってくれ。外見が変われば、おそらくジャンヌの心も動こう」
そして、アタシは……
カーッと頭に血を昇らせた。
デ・ルドリウやお師匠様がせっかく集めてくれたんだもん。
萌えなきゃとは思う。
でも! でも! でも!
これは無理だ!
ムカついて、視界が真っ赤!
と思ったら、いきなり、
ガクンと、体から力が抜ける。
あれ……?
視界がぐるぐる回り始める。
あらら……?
フラフラして……
立ってられない……。
誰かがアタシを支えてくれる。
……兄さま?
意識が遠のいていく。
兄さまが怒鳴ってる……?
お師匠様、デ・ルドリウ様、エルドグゥイン、エドモンも何かしゃべってる……
『ヨメ』と呼ばれたような……。
カトちゃんの中で、まだアタシ、『嫁』なわけ?
さよならも言わずに、エドモンに抱きつきにいって、甘えてたじゃない。
人型になって頬ずりしたりして……
アタシが側にいるのに、ガン無視して……
アタシなんか目にも入れなかったくせに……
ていうか、エドモン!
背後から横から前から、べったりと美青年と美中年をはべらせて~
カトちゃんも入れて七人!
キャベツも入れれば八人!
男ハーレムを見せつけてくれちゃって!
世界がどんどん暗くなる……
もういいや……
知らない……
もう何も見たくない……
寝ちゃえ……