◆新世代セザール/狩人補完計画◆
幕間 Intermisson
弓を構える。
標的を狙い、矢をつがえ、弦を引き絞る。
矢が、まばゆく青く輝く。
黄金弓が持ち手に応え、矢に聖なる光を宿らせたのだ。
矢を放つ。
風を切り、青い光が走る。
狙いあやまたず、矢は漆黒く巨大なるものに顔面に的中。
禍々しい……世界に仇なす魔王に……
咆哮。
雷のような轟音。脳天に突き刺さるかのような声に、空気が揺れる。
怪物となり果ててても痛覚はあるのか、魔法の矢が刺さった額を押さえている。
ベランジュの氷の矢が、インガの切り裂く風が、魔王の体を傷つける。
漆黒いものの目に、憎悪の炎が宿る。
見上げるほどに大きなものが、憎々しそうにわしらを睨み、爪を振りあげる。
目に見えぬ障壁が、わしらを守る。
エルマンが結界を張ったのだ。
怒りは、凄まじい咆哮となった。
巨大な魔の爪が、鈍く恐ろしげに光る。
魔力の宿った爪は、エルマンの結界を紙のように易く切り裂き……
そして……
わしの頭上へ、と……右の爪が……。
後ずさるわしの前に、大きな方が飛び込んでくる。
硬きもの同士がぶつかり合う、重く激しい金属音。
敵との間に入ってかばってくださったのは……
「カンタン様!」
高々と大盾を構えるカンタン様から、仲間を包み込むように光が広がる。異世界神の加護を受けし盾の祝福が発動している。仲間を思う気持ちが聖なる力となり、魔を退ける結界となるのだ。
魔王の巨大な手が、カンタン様の光の結界を強打する。
微動だにせず盾を構えつつ、カンタン様が叫ぶ。
「第二矢を!」
ハッとして、わしは次の矢を箙から抜いた。
魔術師のベランジュとインガが攻撃呪文の詠唱を始め、学者のユーグはカンタン様へ持久力強化の技法を唱える。
盾の祝福は、長くはもたないのだ。
僧侶のエルマンが光の結界を張り直す。
わしの矢を浴びてのけぞった敵に、間髪を入れず次の矢を射る。
速射だ。
反撃の余地など与えぬ。
叩きこんでやる。
黄金弓は全ての敵に99万9999ダメージを与える。
小山のようにデカイ的に、たったの百一本命中させれば良いだけの事。
いや、二人の魔術師が攻撃魔法を放っておる。
とどめは、カンタン様の剣だ。
百一本当てずとも、終わるのだ。楽な戦だ……
恐れる事などない……
魔王など……大きな獣……大熊も同じ。
近寄らせねば、勝利は確実。
ただ、矢を射続ければ良い。
我が弓の唯一の欠点は、あらゆるものにダメージを与えてしまうこと。
わしが弓を射ると、防御結界に穴を開けてしまう。
結界外に出て連射し、攻撃をものともせず敵が接近を試みるならば結界内に戻り、機を見て再び結界外に出る。
その繰り返しだ。
『汝に許される剣は最後の一撃のみ。魔王に触れしもの石となり朽ち果て、魔王を弱める力すべて霧散する。五人の仲間を選び、導き、守り、癒すことこそ、汝の戦と心得るべし』。
カンタン様が、授かった託宣は厳しいものだった。
石化の呪いを持ち、あらゆる弱体魔法を無効とする魔王。強敵を相手に、勇者であるカンタン様はたったの一撃しか攻撃を加えられぬのだ。
カンタン様は、魔王に触れずに戦えるもの――二人の魔術師とわしを攻撃役に選ばれ、回復・補助役として僧侶と学者を仲間になさった。
そして、自らは石化の呪いを受けぬ大盾をお持ちとなり、異世界より手に入れた秘術で魔力回復空間を築いて、我等をお守りくださっているのだ。
僧侶の結界が破られた時に備え、カンタン様は盾を構え、魔王をみすえていらっしゃる。
そのかくしゃくたるお姿を目にするだけで、胸が熱くなる。
五十八歳であられるのに……
鍛えに鍛えあげた肉体からは陰りを感じられない。
誰よりも雄々しく、頼もしい……勇者だ。
矢が尽き、次の箙へ。
新たな箙を拾う時、シメオン様の白銀のローブが視界の端に入った。
冷静沈着な賢者様は、我等の戦いぶりを感情を交えぬ目で見守っておられるのだろう。
勇者様のすぐ側で。
参戦はなさらぬが、共に命を狙われておるのは同じ。魔王の爪が達すれば、シメオン様とて無事ではない。
シメオン様も、また戦の中におられるのだ。
新たな矢をつがえ、魔王を狙う。
腕が重い……
頭痛もひどくなってきた。
黄金弓は持ち手の精神力を吸収し、魔力を矢に宿らせる。
持ち手の気力が衰えれば、矢に神秘の力は付与されぬ。
99万9999ダメージを魔王に与えられなくなる。
エルマンの回復魔法が、わしを包み込む。
一時的ではあるが、体力は戻った。
まだ、だ。
まだ、ほんの二十四矢しか撃っていない。
魔王の総HPは1億……
まだ、まだ……
まだ……
柔らかな光を感じ、ゆっくりと瞼を開いた。
朝の光……
鳥の鳴き声が聞こえる。
見知らぬ天井だ。
オランジュ伯爵邸だと思いだす。
アンヌ様がご用意くださった部屋は、隠居のじじい風情には豪奢すぎる、もったいないものだった。
落ち着かぬ部屋で眠ったせいか、疲れが抜け切っておらぬ。
体を起こし、息を大きく吐いた。
又、昔の夢を見た。
悔やんでも悔やみきれぬ過去。
何ぞ一つ願いが叶うのであれば、あの日をやり直したい。
愚かな狩人を庇ったが為に、あの御方は……。
そして、わしは……
カンタン様の御年を越えてもなお生き続け、老醜を晒している。弓すら引けぬ狩人となって。
寝間着の右袖を握った。
布だけの手触り。
石化の呪いを受け、肘から先は石となり砕けた。
カンタン様に救われたこの命……生かせる道は無きものかと思い、指導者としての道を歩んだものの……
息子も孫も狩人とはならず……
九十九代目様、百代目様の魔王戦の折には何のお役にも立てず……。
しかし、ついに百一代目様の世で報恩の機会に恵まれた。
エドモンだけを従者とするはずが、わしまでが従者となってしまったのは甚だ申し訳ないが……
従者となった以上、命を賭けて魔王と戦う。
女勇者様は、愛らしい方だった。
まだ十六なそうな。
じゃが、男従者達に気圧されず、言うべきことはきちんと口になさるはきとした方だ。
悪霊の少年を仲間とした事も、まったく恥じておられなかった。
『正義』と思うた事を貫かれる。
外見はまったく似ておらぬが、その潔さはカンタン様を思い起こさせる。
幻想世界に赴かれたあの方を、エドモンはきちんとお守りしているだろうか。
我が孫は、弓の腕は申し分なし。
けれども、徹底的に闘争心に欠け、いつもボーッとしておる。
責任感は強いゆえ、役目を放りだしてはおらぬはず。だが、果たしてお役に立っているのか……。
不安じゃ。
あやつには、生気が乏しい。
いい年であるというのに、もくもくと畑仕事ばかりをしておる。街や村へ行っても、とんぼ返り。当然、色めいた話すらない。早く嫁をもらい、ひ孫をつくれと、言うておるのに。
何を言うても『……ああ』『……うん』『……わかった』としか答えん。活を入れてやっても、ボンヤリしている。
関心を持っておるのは、己の畑と作物の出来だけ。あとは、自家製のリンゴ酒か。酒のことを語らせれば多少は饒舌となるが……。
我が孫ながら、いや、我が孫なればこそ、実に不甲斐ない男だ。
『エドモンは愚鈍ではありませんわ、おじいさま。悠然と空を飛翔する鷹のように、鷹揚なだけです 』
などと、あやつ贔屓のジュネはかばうが、畑を眺めてはニマニマしているだけの男にたとえられては鷹が気の毒というもの。
まあ、あれがフヌケになったのは、不幸な体質のせい。
わしとて同じ体質に生まれておったら、あやつ同様、生き物を射れなくなっていたやもしれん。
あれはあれなりに百一代目勇者様にお仕えし、お役に立っているであろう……そう信じるしかあるまい。
あやつのことは、今は、いい。
今は、己のことを考えるべきじゃ。
女勇者様の為、魔王戦で戦える体とならねば。
『どんな困難な状況にあろうとも、わしの発明品があれば大丈夫! 隻腕の方でも戦え、且つ、魔王相手に大ダメージを出せる武器を発明してみせましょう!』
と、言うてくれた発明家のルネ殿が頼りじゃ。
昨日は、ルネ殿の作品群を拝見した。
ルネ殿直々に作品の説明をしてくれたものの……正直、ようわからなかった。
歩く本棚、かぶを畑から抜く機械、携帯トイレにテント、野菜千切り器、火の要らぬランプ……便利やもしれぬが、無くても事足りように。年寄りの頭では理解できぬ、珍奇なものが多かった。
じゃが、あのロボットアーマーは素晴らしかった。
ルネ殿の家の中庭には、人間の身長ほどもある大岩が多数あった。デモンストレーション用に準備したというそれを、ルネ殿は片手で持ちあげ、右手一本で粉砕していた。
あの強力な破壊力を我がものとできれば……
この老骨とて、女勇者様のお役に立てるであろう。
今日は、学者のテオ殿を交えルネ殿と三人で『わし専用の武器』について検討する。
魔王戦まであと九十二日。
それまでに武器を発明してもらい、使いこなせるよう鍛錬を積む。
今度こそ……わしは勇者様のお役に立つのだ。
* * * * * *
「……却下です」
発明アイデア書を、テーブルに置いた。
「これも駄目? 駄目ですか! ……はっはっは。十回目の没ですな。いやはや、テオドール様の審査はお厳しい。どのへんがどう宜しくないか、具体的に教えていただけませんか?」
……言わねばわからないのか、このポンコツ発明家は……
フルヘルメットのロボットアーマーに侮蔑の視線を向けてから、たいへん問題のあるアイデア書を下から抜いた。
「銃をセザール様の失われた右腕に装着するという、このアイデアですが……」
「おお、『サイコなガン君』に注目なさりましたな! さすがテオドール様、お目が、高い!」
「……注目などしていません。この案は不採用です」
「いや、しかし、右腕に銃が生えるのですぞ。精神ネルギーを破壊エネルギーに変換……は無理なので、魔法炉を内蔵し、魔力を破壊エネルギーとしてぶっぱなすのです! 片手にレーザー銃! これぞ、男の浪漫!」
「魔法炉内蔵の銃など、放熱もおびただしいはず。装備者は良くて火傷、悪ければ焼けただれて死亡するでしょう」
「いやはや、そこまでの熱は」
叩きつけるように別の紙を、一番上に出した。
「この『最終兵器 ひかる君』でも、ですか? これも、右腕装着用銃ですね?」
「おお、『最終兵器 ひかる君』に注目なさりましたな! さすがテオドール様、お目が、高い!」
注目してないというのに……。
「『最終兵器 ひかるくん』は、もともとレーザー・ランチャーとして設計していたのですが、セザール様の為にデザインを一新してみたのです! 魔法炉内で摂取エネルギーを圧縮し、レーザーパルスとして射出するシステム! 最大出力で照射すれば巨大な岩山すら、蒸発させられます!」
「……巨大な銃を右肘から先に装着しろと?」
「はい! こちらは、なぁんと省エネ銃でして、ソーラーパネルで陽光を収集し、エネルギーに変換できます。晴れの日に三時間、外を歩くだけで連射すら可能に! 怪力線ごっこにもぴったりの『最終兵器 ひかるくん』! 魔王戦におひとついかがですか?」
発明家の口を黙らせるべく、教鞭でテーブルを叩いた。
ピシィィと乾いた音に驚いたのか、やかましい発明家が喉をつまらせる。
「……両アイデア書ともに、設計図に全長が記されていませんが?」
「はっはっは。それは、アレですよ、作っているうちにフィーリングで、何となくですな、部品が決まってゆきますので、今の段階では完成品の長高が見当がつかず」
「ソーラーシステム付き巨大銃など、少なく見積もっても全長一メートル……いえ一メートル半を越えるのではありませんか?」
「いやいやいや」
はっはっはと、発明家が脳天気に笑い、
「ニメートルは欲しいですな」
などと真顔で言いきる。
問題ないと、本気で思っていそうなところが腹立たしい……。
「右肘から先がニメートルもあっては、日常生活が送れません。重量とて、大岩より重くなるでしょう。持ち上げるどころか、ひきずって歩くことすら不可能なのでは?」
「いやいやいや。それはですな、上半身に筋力増量パワードアーマーをつけるか、銃の下部に台座をつける事で万事解決……」
教鞭で机を連打し、愚か者の口を閉ざさせた。
右肘から先に、台座つきの二メートルもの銃をつけて暮らせるか。
馬鹿めが。
セザール様は片メガネをかけ、発明アイデア書とは名ばかりの落書きをご覧になっておられる。
しきりに首を傾げられているが、無理からぬことだ。
こんな非実用的なアイデアばかりでは……。
たった一日で十を越えるアイデア書を作成した事だけは評価する。しかし、方向性が間違い過ぎている……。
落書きの山の中から、数枚を抜きとった。
「義手は悪くないと思います。人間の手に近い精巧な義手があれば、日常においても、魔王戦においても、セザール様の助けとなるでしょう。しかし、」
くだらないアイデア書を机に叩きつけた。
「何故……義手の形状がドリルや、フックなのです?」
「それは、もちろん」
発明家は、機械の右手を握りしめ、遠くを見やるようにフルヘルメットの頭の向きを変えた。
「……浪漫です、テオドール様」
殴ってやりたい、この発明家……
「ドリルは男の子の夢! しかも! 『ドリルなパンチ君』はボタン一つで、ドリルパンチとなる優れもの! 腕からドリルが発射され、敵に命中するのですよ! セザール様ご希望通りの遠隔武器です!」
教鞭を持つ手が、怒りに震える……
「さらに、さらに! 義手といえば、やはりフック! フックのシンプルなデザインは、一見、無能そうですが、その実、何でもひっかけられるたいへん優秀な」
教鞭で机を叩き、発明家を黙らせた。
「……あなたの技術では、人間の手そのもののような義手は作れないのですね?」
確認の為に尋ねたのだが、
「はあ。作れますよ。既に作品にあります……」
などと答えが返る。
ロボットアーマーがごそごそと動き、腹部のトランクから取り出したものをテーブルに置いた。
思わず、ぎょっとしてしまった。
肘から指までの、右腕としか見えない。
けれども、肘の断面がクッションとなっており、二の腕に固定するバンドがついている。
つくりものだ。
けれども、大きさ、色、質感、形……爪から、うぶげに至るまで、実に精巧にできている。
義手の五本の指が、なめらかに動く。
掌を開いては閉じてみせ、机の上にある紙を一枚だけ抜きとり、ペンを持つ。字を書く芸すらする……
「これは凄い……」
素晴らしい発明だ。
形状といい、動きといい、『手』以外の何ものでもない。
これほどのものが作れるとは……
もしかすると、私は……偏見をもって、この発明家を不当に低く評価していたのかもしれない。
「『まじっく はんどクン』。そこそこの出来ではありますが、はっきり言って失敗作です」
明らかに低いテンションで、発明家が作品の説明をする。
義手は人さし指一本で倒立している。義手の全重量を指一本で支えるとは! 頑健さもバランスも申し分がない!
セザール様も、義手の動きを目で追っておられる。
「今日からでもセザール様にご利用いただけそうな出来ではありませんか。これの何処が失敗作なのです?」
「義手の動き自体には問題はありません。しかしですな」
発明家が溜息をつき、私達に己の左手を見せた。
「左手が拘束されます」
機械の左の掌はリモコンを握っていた。
十字キーと複数のボタン、コントロール・ボール。左手一本で操作は可能なようだが……
こんなものを持っていては、左手は使えない。
「右の義手を動かす為に、常に左手でリモコン操作をしなければいけないのですか?」
「その通りです」
沈痛な声で、発明家が言葉を続ける。
「設計ミスです……」
……当たり前だ。
扉がノックされ、意外な方が現れる。
「ごきげんよう、みなさま」
「アンヌ様」
女伯爵アンヌ様は白い幽霊と共に入室し、その後に……何故か獣使いが続く。お二人に即興ショーでも見せていたのだろうか……。
立ちあがりかけた私達に、そのままでとアンヌ様はおっしゃった。
白い幽霊は、アンヌ様の手をとって、より添っている。エスコートしているつもりなのだろう。身長差がありすぎ、祖母に連れられる孫のようだが。
「賢者様の御留守はボーヴォワール家ご子息テオドール様が預かっていらっしゃると、伺いましたので」
女伯爵の目線に頷き、獣使いが手に持っていた鞄をテーブルに置き、中身を見せた。
「これは……」
少なからぬ金袋と宝石だ。
アンヌ様が、穏やかに微笑まれる。
「臣民としてご協力いたします。魔王退治にお役立てくださいませ」
「感謝いたします」
旅の支度、魔王戦用武器の準備、情報の収集、仲間となった者への生活の援助。シメオン様の私費だけでは、正直、心もとなかった。
いざとなれば、母上を頼るつもりだった。私に甘いあの方ならば幾らでも融通してくれる。しかし、当然のように見返りを求められる……できれば、使いたくない手だったのだ。
オランジュ伯爵からの資金援助は、本当に有り難い。
発明資金げっとぉぉぉ! などと発明家はわめいていた。が、何を発明するかよく吟味した上でなければ、資金は渡せない。無駄金は使えないのだ。
机の上の精巧な義手を見つめ、アンヌ様が「今は何をなさっていらっしゃるのです?」と首を傾げられた。
「セザール様の武器について検討しておりました」
散らばった紙を集め、両手におさめた。こんな落書きをアンヌ様にお見せするわけには……。
「セザール様は、九十八代目勇者様と共に魔王を退治なさった偉大な先人です。魔王戦で失った右手を補う義手か強力な武器を、発明家に作らせようかと」
「そうですか。右手を負傷なさっても、尚、世を守る戦いに身を投じるとは……とてもご立派な勇士ですのね」
アンヌ様が、セザール様に直接御声をかけられる。
「豊かな経験をお持ちの方の参戦はたいへん心強く思えます。勇者様や私の孫ジョゼフ、他の年若い方々をどうぞ御導きください」
上品に微笑まれるお顔は、普通のご婦人のようだ。冷徹と評判のオランジュ伯爵の表情とはとても思えない。
「は……はい」
高貴な方から直に言葉をいただいた為か、セザール様は表情が硬い。
「力の限り働かせていただきます……勇者様の為、この世界の為……」
声もうわずっている。ひどく緊張しているのか、頬が赤く染まってきた。
「そ、そして、あなた様の……た、た、た……」
途中まで言いかけ、セザール様はかぶりを振った。
「あなた様のお孫さまの為……この命に代えましても……」
「ありがとうございます。けれども、『命に代えて』などと口になさってはいけませんよ」
「……い、いけませぬ、で、ございますで、しょうか?」
アンヌ様が静かに頷く。
「戦に犠牲はつきものです。ですが、名将とは最も少ない被害で自軍を勝利へと導く者です。どうぞ誰も失わずにすむよう、若者達をご指導ください」
「は、はいぃ!」
アンヌ様が優しく微笑まれる。
「あなたもですよ? 魔王戦よりご無事にお戻りくださいね」
セザール様のお顔は、真っ赤だ。言うべき言葉が見つからないのか、口をパクパクさせている。
「うふふ、おじいさま、かわいいわよね。青春なさっちゃって〜 まだまだお若いわぁ〜」
耳元で声が囁く……
背筋がぞくぞくした。
「どう? あたしたちも青春しない?」
何時の間にか、私の背後には女性と見まごう獣使いが……。
「あたし、今、と〜っても寂しいの。エドモンは幻想世界ですもの。心にぽっかり穴が開いたみたい……。ねえ……おねがい。慰めて……」
耳にフッと息が吹きかけられ……
頭が真っ白になった……
「お伝えしたはずです! 私の半径三メートル以内に近寄らないでください!」
全力で距離をとった私を見て、口元に手をそえ『かわいい』などと獣使いが笑う。
からかわれているのだ!
わかっている!
けれども、この嫌悪感は……堪えようがない!
「これ、日程表。○がついている日が、抜けられない用事の日。じゃ、またね〜」
私に投げキッスをし、『おじいさま、又、参りますわ』とセザール様に丁寧に挨拶をしてから、獣使いは退出して行った。
アンヌ様と白い幽霊も部屋を後にする。白い幽霊がやけにきつい眼差しだったのが、少々気にはなったが……
セザール様が勢いよく席を立たれる。
「ルネ殿!」
発明家の機械の手をがっしりと握り、セザール様は叫ばれた。
「わしを男としてくだされ!」
男……?
「その優秀なロボットアーマーと同等、いやいやそれ以上の攻撃力を是非このジジイに!」
「おおお! 『飛び道具』以外にも何かリクエストができましたかな? クライアントの注文に応えるのも、発明家の喜び! じゃんじゃんおっしゃってください! 承りますぞ!」
俄然やる気となられたセザール様。
活動資金増加に気をよくした発明家。
二人は、異様に盛り上がっている。
魔王が目覚めるのは、九十二日後だ。
お二人を見つめていると、何故か、嫌な感情に支配される。あの獣使いに背をとられた時の、戦慄に近いような……。
こんな時、占い師は『良くないことが起きそうだ』などと嘯くのだろう。
根拠もなく『何となくそう思う』とは、実に馬鹿げている。
占い・俗信・迷信・ジンクス・勘の類いは、全て妄信だ。私は、一切、否定する。
非常識な発明家が暴走しないよう、監視の目を怠らぬようにすればいい……それだけの事だ。




