薄明の白き森で
「暁ヲ統ベル至高神ノ聖慈掌・漆式!」
カトちゃんの体が淡い光に包まれる。
「きゅう?」
転がり回ってたカトちゃんが止まる。ポロポロと涙を流しながらしきりに瞬きするのが……か、かわいい……小狼サイズに縮んだから、尚更。
「オレさま、きめた。落ちる、おひさま、もう、みない」
グッバイの魔法を直視したのが、よっぽど辛かったんだろう。
アタシはカトちゃんを抱っこして、いい子、いい子をしてあげた。
「うん、もう見ちゃダメよ」
撫で撫でしてるうちに、カトちゃんは気持ち良さそうな顔になった。ほにゃ〜と舌を垂らし、ぶるぶるっと体を震わせる。
使徒様は、白い雲そっくりのゴーレムの上で一服中だ。あぐらをかいて座っている。
「ありがと、マルタン」
いちおー、お礼を言っといた。
カトちゃんが自分の目を舐めようと必死に転がり回ってたのに、マルタンは無視してた。
兄さまと二人してお願いして、ようやく治癒魔法をうたせたけど……
使徒様は面白くなさそうだ。
「狼獣人に治癒など・・ いたずらに、むなしく、意味がない。目玉が八百万那由他の彼方に去ろうとも、おっつけ生えてくるものを」
「再生能力があるのは聞いたわ。それでも、治癒して欲しかったの。自己再生するまで放置じゃ、可哀そうだもん」
「フッ」
使徒様が鼻で笑う。
なによぉ〜 そのスカした笑いは。言いたいことあったら、はっきり言いなさいよ。
あいかわらず、ムカつく奴〜
「……マルタン、話が聞きたいんだけど」
「ほお・・俺に語れというのだな、女?」
「ええ、何があったのか、知りたいの。どーして、アタシと兄さま、デ・ルドリウ様のお城の外に居たの? あなたも、城の外に放り出されたの?」
「ククク・・良かろう。きさまらと別れた後のこと、この俺が、きっちり、かっちり、正確に、話してやろう」
マルタンは勢いよく立ちあがった。
「耳の穴をかっぽじいて聞くがいい。神の使徒たるこの俺の聖なる軌跡を」
んでもって、両手を胸の前で交差させたアレなポーズで、使徒様が両手の甲の五芒星マークを見せつけてきた。
ポーズをとらないと話せんのか、あんた……
「天にあまねく星が輝くがごとく、光の教えに満ちた世界は八百万那由多の彼方まで存在し、尊き神に信仰を捧げる清き者は無量大数のごとく存在する。創造神が創造物を愛するの自己愛の延長であり、対象物からの愛に奇跡をもって応えるのは自己満足にすぎないのだが、完全不可欠を美徳とする神々においては奇跡こそが第一義となり、無量大数の奇跡をふりまかねばならないという義務感が発生し、多くの神々が寸暇を惜しみ大車輪で働き東奔西走したとてこなしきれぬほどのノルマを自らに課す事態に陥っておられる」
へ?
ペラペラ話し始めたけど……
なに言ってるんだか、わかんない……
兄さまも目が点になってる……
「俺は、殺人的なスケジュールをこなしておられる神々の仕事をいくばくか代行している。神に代わり、清き者を邪悪より守護する奇跡を起こしているのだ。眠りに誘われ、俺が先ほど赴いた異世界では、因果律を覆す、疾風怒濤の邪悪が」
「ストップ!」
アタシが聞きたいのは、あんたの厨二病な妄想じゃない!
「なぜ、止めるのだ、女?」
凶悪な眼がジロリとアタシを睨む。
「まだ触りしか語っておらんぞ・・」
ンな脳内冒険、聞きたくないわッ!
「手短に、簡潔に、要領よく! この世界で起きた事だけを、教えて欲しいのよ!」
「この俺の聖戦を聞かぬとは・・罰当たりな奴め」
マルタンが、チッと舌打ちをする。
「イチゴ頭であれば、俺の目をみて、一言一句聞きもらさず俺の言葉を拝聴し、絶妙のタイミングで拍手喝采をして場を盛り上げるものを・・」
あんたに付き合ってあげるのは、人がいいクロードぐらいよ!
てか。
「……クロードのこと、何か知ってる?」
あの弱っちい幼馴染が、お城の外で一人だったら……死んでしまう。回復や強化魔法がほんのちょっと使えるだけで、武術はからっきしなんだもん。
ミー・ゴーレムが一緒なら、きっと守ってくれてる。
けれども、ミーだけで守りきれるんだろうか?
狼獣人、リザードマン、ゴーレム、スケルトン……出逢った凶悪な姿のモンスター達が心の中に蘇る。
特に、ぐちゃぐちゃどろどろのゾンビはおっかなかった。それを率いるリッチも……。
『うわぁぁぁん、ジャンヌぅぅ』と泣き叫び、モンスターたちから逃げ惑い、アタシに助けを求めるクロードの姿が、手にとるようで……。
胸がチリチリする。
「それから、エドモンとお師匠様……」
エドモンなら、たぶん大丈夫。黄金弓の使い手だし。
お師匠様は元竜騎士だけど……今は武器を持ってない……
「みんなの所へ行きたい。竜王の城に居るのかしら? それとも、外に……」
「知らん」
すぱーんと、使徒様が切り捨てる。
「俺から言えることは・・三つ」
使徒様が、まず人さし指を立てる。
「異世界から凱旋した俺を迎えたのは、賢者殿と竜王だった」
そうだ。グーグー寝こけてたこいつは、お師匠様の部屋に連れてかれてた。
「二つ目」
中指が立つ。
「竜王から魔法生物の素をもらい、ゲボクの築きし光り満ちた部屋で俺は深き眠りに就いた」
……ろくでもない部屋を作ってもらったんだろうなあ、とか。
昼間さんざん寝たくせにまた寝たのかよ、とか。
突っ込みたいけど、話の腰を折るのはやめといた。
「三つ目」
薬指が立つ。
「目覚めし時、ゲボクを褥とし、天を彷徨っていた」
ちょ。
あんたも、何時の間にか外におっぽり出されてた口か。
「四つ目」
小指が立つ。
「邪悪なるものどもの気配を感じ、俺の内なる霊魂がマッハでこの場に俺を導いたのだ。以上、終わり」
アタシはがくっとうなだれた。
役に立たない……
てか……『言えることは三つ』だったんじゃ……? 四つ目、言ったわよ。
なんか、もう……疲れた。
脱力したアタシを慰めるかのように、腕の中のカトちゃんがペロペロなめてくれる。
あ、やめて。
鼻は舐めないで。
「神の使徒。心話で賢者と連絡はとれんのか?」
両腕を組んだ、兄さまからの質問。兄さまの足元では、夜が明けたんで灯り役を終えたピアさんと、番長ウサギのクロさんが焚き火の後始末をしている。
「とれん」
「なぜ?」
マルタンが肩をすくめる。
「存在すら感じられんのだ。思念の送りようがない。特殊な防呪結界の中に居られるのかもしれん」
お師匠様……。
無事でいて……。
「だが、まあ、案ずることはない。賢者殿もイチゴ頭も農夫も生きているのは、定かで、明確で、確実だ」
紫煙をくゆらせながら、マルタンはククク・・と笑う。
「確信がある。内なる俺の霊魂が、マッハで俺にそう告げている」
……イっちゃってる人の勘だけど、今はそれを信じたい気分。
「男とは命がけの冒険に旅立ち、己を磨くもの。イチゴ頭どもは、生まれた川に回帰する鮭のごとく、いずれ帰ってこよう。ひとまわりもふたまわりも大きく逞しくなって、な」
いずれじゃ困るんですけど。魔王が目覚めるのは、九十二日後よ。
つーか、鮭って産卵の為に川を上るんじゃ? 交配の後、すぐに寿命が尽きて死んじゃうのよ。それに例えるのは、縁起が悪くない?
当人は良い事を語ってるつもりなんだろうけど、突っ込みどころしか無いわ……。
「移動しよう」
日が昇ってきた方角を見つめ、兄さまが荷物を持つ。
「沼の中の島に居てもしょうがない。東を目指し、進もう」
竜王のお城もドワーフの洞窟も、大陸の東側。東に進んで地元民の話を聞こう……と兄さまはさっき言っていた。
「すまんが、神の使徒。俺達をおまえのゴーレムに乗せて」
「断る」
マルタンは、兄さまに最後まで言わせなかった。
「ゲボクは、俺専用の聖なる雲。選ばれし者のみが乗る事を許される。凡俗のきさまらには、これに乗る資格がない」
そうか……そういう設定にしたのか。
ケチ。
アンタが寝っころがれるぐらい大きいのに、その雲。
「きさまら、自分のに乗れ」
へ?
「竜王は言ったぞ。ゴーレムとは、仮の主人にも、絶対服従を誓い、意のままに変形し、あらゆる願いを叶える為に働く、と」
言ってたけど……
「つまり、きさまらの望みのままに、ゴーレムは変身する。飛行形態にしろ」
飛行形態……?
アタシは、番長黒ウサギに視線を向けた。
もふもふの黒毛、垂れ耳ウサギが、お鼻をひくひく、アタシを見つめている。
アタシの命令を待っているのだ。
乗せてくれって……命令……を。
クロさんが大きく頷き、『どんと来い!』とばかりに雄々しく胸を叩く。
でも! でも! でも!
クロさんは、と〜っても小さい! アタシの膝ぐらいしかないのよ!
その上に乗るとか……
無理無理無理無理!
そんなひどい事できない!
「変身ゴーレムなのだ。小さい外見がナニなら、巨大化させるがいい。翼人にも、巨大鳥にも、飛ぶ船にもできる」
「ちがうッ! この子はクロさんなのッ! 白学ランの番長黒ウサギなの! 他の姿にするなんて、嫌〜〜〜〜ッ!」
カトちゃんを抱っこしたまましゃがんで、もう片方の手でクロさんを抱きしめた。
もっと軽かったら抱き上げるんだけど、重すぎて無理……。
「わかる……わかるぞ、ジャンヌ。この気持ちは……そう、ペットの主人と同じ。一度、飼うと決めたからには、そのままの姿の、その子を愛し続ける。それこそ男、いや、人のあるべき姿だ」
兄さまも抱擁中だ。ピアさんを抱きあげて、すりすりしてる。
「内なる俺の霊魂は、マッハできさまらにあきれている・・・」
良いわよ、何とでも言って!
その時、またあの音が響いた。
キィィ−ンと耳をつんざくような高い音。
アタシの腕の中のカトちゃんが、耳と尻尾を立てる。
フワフワと体が浮くように感じた後、めまいを覚えた。
前のめりになって転びかけたアタシを、クロさんが支えてくれる。さすがゴーレムだわ、力持ち。
グルグルと景色が回って見える。
アタシ達がいる砂岩ばかりの島、その先の淀んで濁った沼と泥地。
その全てがぐにょんぐにょん歪み、かすれていって……
真っ白となった。
視界がきかない。
白濁の世界というか……
霧がたちこめてる?
めまいは消えた。
またどっかに移動したのはわかる。けれども、周りの様子がさっぱりわからない。
「ジャンヌ? 大丈夫か?」
「平気よ、兄さま」
立ちあがった。
兄さまやマルタンは近くに居るのに、朧ろにしか見えない。
「ここ、どこ?」
アタシがつぶやくのと、カトちゃんがうなり出すのがほぼ同時だった。
何時の間にか、アタシは小さな丸い光が囲まれていた。
掌サイズの光が五〜六個、アタシの周りをぐるぐる回ってる。
アタシだけじゃない。兄さまやマルタンも光の玉に囲まれていた。
「なに、これ?」
「見たことない」
腕の中のカトちゃんが、クンクンと鼻を動かす。
「におい、悪くない」
言うが早いか、くわっと口を開け、顔の周りに飛んできた光をパクっとした。
《!》
声にならない声が聞こえた。
光の玉たちが、しっちゃかめっちゃかに動き出す。急いでアタシ達から距離を開いたり、カトちゃんの鼻づらにぶつかってきたり、頭にぶつかってきたり……
明らかに意思をもって動いている。
生きている光?
「カトちゃん、口を開けて」
アタシの命令に、狼王が素直に従う。
光の玉が、カトちゃんの口の中からふらふら〜と飛び出す。それに、わらわらと他の光の玉がより集まってゆく。仲間の無事を喜ぶかのように。
「あなたたち、だれ?」
アタシの質問に、答えは返らない。
光の玉たちは、カトちゃんを避けて、アタシの頭や足のあたりをくるくると回る。
「ジャンヌ!」
背に兄さまの声がかかる。
叫び声なのに、声が小さい。
振り返ってみたけれども、何も見えない。
霧が濃すぎて、見通しが悪すぎる。
「兄さま?」
呼びかけに、返事がない。
伸ばした手も、むなしく宙を切るだけだ。
はぐれてしまった?
すぐ近くにいたのに。
今、側に居るのは、左腕の中のカトちゃん。カラコロって鉄下駄の音が聞こえるから、クロさんも側にいるみたい。
そして……
「・・招かれたな」
姿は見えねど、声はする。マルタンはアタシと一緒にいるようだ。
「招かれたって……誰に?」
「光の玉どもの主人だ」
むぅ。
アタシにまとわりつく光の玉は、淡く美しく光っている。
邪悪ではなさそうな。
使徒様も大人しいし。
だけど……
「兄さまは何処?」
「さあな」
ククク・・と笑い声がする。
「まあ、あの手の熱血バカは、このものらに愛される。命まではとられまい」
え?
「せいぜい、踊らされるか、幻でからかわれるか・・たわいもない遊びに興じられるぐらいだ」
へ?
「金髪カツラあらため筋肉は、まったく、完璧に、一点の曇りもなく、俗物だ。仕方あるまい」
「どういうこと……?」
「招待主に会う資格なし、ということだ」
アタシは周囲を見渡した。
ほのかに明るい白い世界が、延々と続いている……
まるで煙が充満しているみたい。霧が濃すぎて、視界がきかない。
けれども、ひんやりしているわけではなく、不思議とあたたかい。空気は澄んでいる。
「内に十二の宇宙を持つ俺が招かれるのは、まったく、いっこうに、なんら不思議はない。しかし、女。きさま、よくも招かれたものだな。霊力も魔力も欠片もない、俗物のくせに」
「それは……」
いちおう、勇者だから?
「さすが、『アタシの霊魂が、マッハでアタシにそう告げたのよ!』と言い張っただけのことはある。きさまの内なる霊魂も輝いているようだな」
いやいやいやいやいや! 輝いてない! アタシは使徒様の同類じゃありませんから!
前方が、やけに明るい。
近づくと、視界がはっきりした。
霧の海に、天から斜めに陽が差している。
ぼうっと輝くやわらかな光の中に……
夢のように美しいものがいた。
蝶のような翅で、ふわりと宙に浮かんでいる。
とてもとても淡い色だけど、青味がかった紫色の肌。
腰まで覆う長い髪は、若草のように明るく瑞々しくって……
背は低い。ニコラよりも小さくて、華奢だ……触れれば折れてしまいそう。
清らかで美しいものが、無邪気に微笑む。
その瞳に、アタシを映して。
……虹色の瞳だった。
胸がキュンキュンした……
心の中でリンゴ〜ンと鐘が鳴る。
欠けていたものが、ほんの少し埋まっていく、あの感覚がした。
《あと八十一〜 おっけぇ?》
と、内側から神様の声がした。
綺麗……
妖精……?
やさしい光に包まれたその姿に、思わず息をのんでしまう……
神秘的で美しくって……
あ。
微笑んだ。
赤子みたいに、無垢な笑み。
見ていると、吸い込まれてしまいそう……
幻想的に美しいものが、右手をあげる。
目がそらせない。
なのに、他のものも見える。
目ではない目で見ているというか……
心の中に、映像が流れてくる……
みんな……
ジョゼ兄さま、クロード、マルタン、アラン、テオ、ドロ様、リュカ、ルネさん、ジュネさん、エドモン、セザールおじいちゃん、ニコラ……
アンヌおばあさんや、シャルロットさん、シャルルさん……
デ・ルドリウ様、クロさん、ミー、ピアさん、キャベツ、カトちゃんの姿も見えて……
見知らぬ人達がアタシの頭の中を通り過ぎてゆく……
お師匠様だ。
お師匠様が居る。
いつもと同じ感情の浮かんでいない顔。けれども、月のように美しい顔で天を見上げていて……
そして……
微笑んだのだ。
ほんの少しだけれども、口角をあげて……
目元を細めて……
大切なものを見守るような、やさしい笑みを形作ったのだ。
胸がドキンとした。
そんな顔……アタシ、知らない。見たことない。
何を見ているの、お師匠様……?
闇が広がる。
玉座に座る、漆黒い禍々しき邪悪な異形。
それと対する、勇者。
託宣を受ける直前に見た夢だ……ピカピカの剣を持った地味な勇者と、魔王『カネコ』。
対峙する二人を見つめていたはずが、
アタシの内で何かがはじけ……
何もかもが白く包まれ……
妖精も、光の玉たちも、心の中の映像も消え……
気がつくと、アタシは知らない場所に居た。
天を摩するほどの大木が見えた。
高木が密集した……森?
木漏れ日が差しこんでいる。見上げると重なった木の葉が陽に透けて、キラキラしていた。
太い幹から伸びる、力強い枝々と濃い緑の葉。荒野の乾いた大地ばかり見ていただけに、とても立派で生き生きとして見えた。
下草を踏んだ音がやけに大きく聞こえた。辺りはしぃんと静まり返っている。ああ、でも、遠くて鳥が鳴いているような。
澄んだ穏やかな風が、アタシの頬を撫でてゆく。
「ジャンヌ!」
ザッザッザと下草を踏む音。
背後から抱きしめられてしまった。
兄さま?
「良かった……無事で……」
ぎゅっとされた。
腕の中のカトちゃんがジタバタする。
けど、兄さまは力をゆるめない。後ろから、強くアタシを抱きしめる。
「おまえが……霧の中に消えてしまって……」
……汗くさい。息も乱れてるし……もしかして、全力疾走で追いかけてくれてた?
「無事でよかった……」
兄さまが同じ言葉を繰り返す。
「ありがと……兄さまも、無事でよかったわ」
クロさんが、良かったねというように右足をポンポンと叩いてくれた。下ばえの草に、小さなクロさんは半ば埋もれている。
その時、
「はじめまして、異世界の勇者さま。あなたの案内役をおおせつかりました、エルドグゥインと申します」
声がかかった。