屍王の誘惑
焚き火の側には、アタシやジョゼ兄さまの荷物もあった。
その中でもひときわ大きな革袋が『ルネ でらっくす』だ。
発明家ルネさんの言葉が、頭の中に甦る。
『困ったなーという時にはこれですぞ! あらゆる危機に対処できる、発明品を詰めておきました! 旅のお伴にどうぞ!』
「アレ調べてみない?」
「アレを、か?」
兄さまが嫌そうな顔をする。
ルネさんの発明には、ナニなイメージがある。
『悪霊あっちいけ棒』は不発だった。
『悪霊から守るくん』も、多分……
けど、あのロボットアーマーは凄かった。片手で岩を楽々と砕き、背中のロケットエンジンで空も飛べた。
たとえ、動く騒音発生機械であろうとも。左手が傘になろうが、レンジだの無駄なオプション満載だろうが……強いことは強かった。
「いいアイテムあるかもしれないもの。みんなと連絡をとる手段とか、仲間の現在地を調べる機械とか、簡易結界とか、何かあるかも」
兄さまは、期待できないって顔だ。
「あと、武器。武器、欲しいなあ。剣、折れちゃったし」
「……わかった。俺が調べる」
兄さまが革袋の口を開けて、中身を取り出す。
『取り扱い説明書』って手書きで書かれたノートを手渡された。
兄さまが出したアイテムを、『取り扱い説明書』と照らし合わせた。
尻尾ふりふり小さなカトちゃんは、アタシのやることを見つめている。
クロさんは、焚き火に枝をくべ、火を絶やさないようにしてくれてる。鉄下駄も履いてる。脱ぎ捨てたのを拾って来たみたいだ。
宙に浮かぶピアさんは一層明るくなった。文字を読みやすいように、サービスしてくれたんだろう。
三匹に見守られながら、袋の中身を調べ……アタシは、がっくりとうなだれた。
役には立つと思う。
『だれでもテント』+『どこでもトイレ』の便利野営セットなんか特に。ボール大に圧縮したそれをもとの大きさにすれば、寝る所とトイレには困らないもん。
でも、『魔力ためる君』+『呪文いってみよー君』の魔術師ごっこセットは、どう見ても底の厚い深鍋……付属に蓋までついていた。説明書によると、鳥の丸焼きも三十分で作れるらしい。
携帯洗顔器『お顔ふき君』とか簡単野菜千切り器『ぶんぶんナイフ』とか……
携帯灯り『ランプくん』、自動虫退治機『蟲虫ノックアウト』……
寂しい時間を音楽で彩る『ばっく みゅーじっく君』……
『キャンプなファイア君』は、薪無しにキャンプファイアができる携帯燃料……。
違うの!
今、求めてるのは、旅先便利グッズじゃないのよぉぉ!
「……武器になりそうなのは無いな」
……そうね。
荷物には着替えの他に、非常食料や水が三食分入ってる。でも、それだけだ。
お師匠様達を探して、合流しなきゃ。
みんなもに外に連れ出されたのか、デ・ルドリウ様のお城に居るのか……。
「クロさん。みんなが何処に居るかわかる?」
アタシの問いに、番長ウサギが頷く。
おお! 良かった!
「案内してくれる?」
クロさんがかぶりを振る。
「案内できない?」
クロさんが頷く。
「デ・ルドリウ様のお城がある方角はわかるのよね?」
うん、とクロさんが頷く。
「でも、連れてってくれないの?」
そうだよ、とクロさんが頷く。
「なんで?」
お口の牧草をゆらゆら揺らすだけで、クロさんからの答えはない。声が出せないゴーレムに、この聞き方はマズかったか。
「アタシ達、どっちに行ったらいい?」
やっぱり答えが返らない。
「自分たちで決めろってこと?」
クロさんは答えない。
むぅぅ……
番長黒ウサギの姿はアタシが作ったもの。だけど、本当の生みの親はデ・ルドリウ様。
創造主の命令には、ゴーレムは絶対に逆らえない。
つまり……
連れ帰るな、とクロさんは命じられてる?
悋気に触れて、アタシ達、竜王の城から追い出された?
……いや、それならゴーレムも取り上げるか。
クロさん達が一緒なんだ、まだ庇護されている。
だけど、なら、なんで城の外にほっぽり出されたのか……
「………」
ああああん!
だめ!
わかんない!
アタシ、考えるのは苦手なの!
兄さまも、頭脳労働向きじゃない。
ましてやカトちゃんは……。
でも、地元民だし……
いちおう聞くだけ聞いてみた。
「ここどこだか、わかる?」
「わかる」
耳をピンと立てた小狼は、ハッハと息を吐きながら、おすわりをしている。
「オレさまのヨメ、いるところ」
……予想通り、役に立たない。
焚き火やピアさんの明かりが届かなところは、闇が広がっている。木も草もないような。
質問を変えてみた。
「デ・ルドリウ様のお城は、どっち?」
カトちゃんの金の眼が、くりくり動く。
「わかんない?」
「……言わない」
む。
「なんで?」
「おしえない」
アタシはぬいぐるみみたいな小狼を抱きかかえ、わしゃわしゃわしゃと撫でまわした。ぶるぶると身を縮ませ、気持ち良さそうに狼が目を細める。
「教えなさい、こら」
「やだ」
「どうしてよ?」
「おまえ、オレさまの、ヨメ。竜王、テリトリー 入る、だめ。そばにいろ」
く。
案内したら、帰っちゃうってわかってるのか。おバカなのに。
「群れなら、つれてく。くるか?」
「行かない」
カトちゃんが不満そうに鼻を鳴らす。
「……夜が明けたら、東を目指してみよう」
兄さまは夜空を見上げている。
「日が昇る方角が東だ……まあ、異世界だから、もしかしたら違うかもしれんが」
「なんで東?」
「竜王の城があるのは大陸の北東、それよりも南にあるのがドワーフの洞窟だったろ?」
「え? なんで知ってるの?」
「ここに来てすぐ、賢者が幻想世界の地図を見せたじゃないか。この大陸は蝶みたいな形をしてたろ?」
そういえば……
お師匠様が自分の『勇者の書』を開いて地図の頁を見せてくれたっけ。
幻想世界の大陸は、横長すぎるけど、見ようによっては翅を開いた蝶に似ていた。
アタシ達が出現したのは、大陸の北西の端っこ。蝶でたとえるなら、左前翅の上縁辺りだった。
デ・ルドリウ様のお住まいは、反対の右前翅の端の方。
ドワーフの洞窟は、右前翅のつけねの方だった。
「目指すは東だ。東と思われる方角に進んで、地元の者に道を聞こう」
兄さま、冴えてる! 意外だわ! 暴れる以外でも、頼りになるなんて!
その時。
キィィ−ンと高い音がした。
アタシの腕の中のカトちゃんが、耳と尻尾を立てる。
フワフワと体が浮くような感覚の後、グルグルと周囲が回っているようなめまいを感じた。
がくっときたけれども、一瞬のことで……
なんとか倒れずにすんだ。
「……大丈夫か、ジャンヌ?」
気づかぬ間に、兄さまの手に支えられていた。
「ウォ?」
カトちゃんがクンクンと鼻を動かしてから、かわいらしい顔に皺を浮かべた。
「とんだ」
「え?」
カトちゃんは尚も鼻を動かし、ぴょんとアタシの手から飛び降りてしまった。
「よそ、きた。とんだ」
跳んだ?
ちっちゃなカトちゃんの体が、ぐぐぐぐ〜んと伸びてゆき……
アタシよりも、大きくなり……
更に更に伸びてゆき……
毛むくじゃらの背中が、壁のように視界を覆った。アタシの倍以上もある、デッカい大狼となってしまった。
「……お客さんか」
アタシの肩をそっと押して離れてから、兄さまはボキボキっと指を鳴らし、笑った……ような気がする。
「ジャンヌ、おまえは火の側にいろ。動くなよ」
兄さまはクロさんに、
「ジャンヌを頼む」
とだけ言って背中をみせ、カトちゃんとは反対の方へ。
腐った卵のような、カビ臭いような、鼻にツーンとくるような……いや〜な臭いが漂ってくる。
ぴちゃぴちゃん、ざばんざばざばざばぁって水音。
何かが水から這い出る音だ。
ずるずるっと……何かをひきずるような……何かが蠢くような音が続いて……
うぉ〜うぉ〜と獣じみた声やら、あぁぁぐぇぉぐばぁとか聞くに耐えぬ潰れた声が響いてきたのだ……
しかも、四方から……
何となくわかってしまった。
わかりたくなかったけど!
すっごく嫌なものに囲まれてる!
『ルネ でらっくす』を抱えたまま、アタシはクロさんの横へと移動した。
番長ウサギが、ポンポンとアタシの肩を叩く。大丈夫だよ、と言うように。
そして……
闇の中から、異形のものが現れる。
それは、アタシの想像を越えるものだった。
アンデッド系だろうとは予想してた。
だけど!
黒というか緑というか灰というか……くすんだ色のものが、ぐちゃぐちゃドロドロと溶けて崩れながら、のっそりのっそり歩み寄って来るのだ。
人間のように二足で歩くものもいれば、四足のものもいて、蛇のように這ってるものもいる。
けれども、どれも原型がわからない。
腐りすぎてて。
目や角みたいのが残ってるヤツもいるんだけど、そこじゃないでしょ! ってな位置までズレ落ちてたりして。
とっても、グロい。
べちゃっと崩れて動かなくなったものを、後から来たものが踏んづけ、取り込み、合体したりする。けれども、腐敗自体は進んでいて、大きくなったものも、表面から少しづつ腐り落ちてゆくのだ。
ゾンビ……? にしても、エグすぎる……
そんな異形のものたちが口というか穴を開け、うげぐごぉぉぉ……なんて叫ぶのだ。
アタシはクロさんに抱きついた。
「なんなのよ、こいつら!」
「食えない、敵」
狼王カトちゃんが答える。
「たまに、あらわれる。弱い。足、おそい。けど、いっぱい、いっぱい。つかまる、食われる」
食われる……
「こいつら、人間を食べるの?」
「人間、食べる。狼、食べる。ねえさん、言ってた。むかし、食われたヤツいる。気をぬく、あぶない」
「……そうなんだ」
「相手しない、にげる。かしこい。でも、」
カトちゃんがでっかい頭を振る。
「道ない」
え〜っ!
「おまえ、まもる」
ぐふぐふと狼王が笑う。
「ヨメまもる。オットの仕事」
天を見上げ、カトちゃんは喉を震わせた。
その口から漏れた低い声は、獣の雄たけびそのものだった。
狼王の大きな体が跳躍する。
異形のもの達の中に突っ込み、次々と弾き飛ばし、鋭い爪で叩き潰し、踏んづけて走る。
飛ばされたものがべしゃっと崩れ、後から来たものと合体する。けど、それすらも、狼王の猛進に弾かれる。遠くへと飛ばされたものは水音を立て闇に沈んでいった。
光の下にまで辿りついたものに、兄さまは素早く駆け寄って拳や蹴りを叩きこむ。
その一撃で、敵は跡形もなく吹き飛ぶ。
闘気で叩き潰してるんだろう。
木っ端微塵だ。小指の先ほどの欠片も残らないから、後続と合体される危険はないものの……
兄さまは焚き火を守るように、あっちへ走り、こっちへ走りだ。
休む間もない。
数が多すぎる。
倒しても、倒しても、敵は水から上がり、のっそりと歩み寄って来る……
アタシは『ルネ でらっくす』をひっかき回した。
武器は無かった。
けど! 何かしたい! 数を減らすのに協力しなきゃ!
死霊の弱点といえば……神聖魔法、聖水、聖なる炎、ご神酒、清めた塩などの神聖アイテムだ。
ンな物はない。
けど、代用品ならある。
『キャンプなファイア君』は、薪無しにキャンプファイアができる携帯燃料。石鹸大なこいつを投げたら、爆弾代わりになりそう。
他にも、悪霊祓いにうってつけのアイテムがある。
アタシは『ルネ でらっくす』から出した箱型のものを、『取り扱い説明書』をよく読んでから操作した。
死霊達が恐れ、おののく。
焚き火の周りから、面白いぐらいに敵が下がってゆく。潮が引くみたいに。
ドボン、ジャバジャバと水音が響く。
ルネさん! 効果抜群よ、この発明品!
「なんだ、それ?」
敵が全て逃げてから、カトちゃんが駆け寄って来る。
全身に、飛び散った血や泥がこびりついている。首まわりや尻尾はすごくふさふさしてて、ツヤツヤした綺麗な蒼毛なのに、汚れちゃったな。
「『ばっく みゅーじっく君』。音響機器よ。音の録音や再生ができるの。演奏可能曲目の一つの、聖歌をリピートにしたの」
首をかしげるカトちゃんに、
「神さまの歌を聞かせる機械なの」と、わかりやすく説明した。
アタシ達の世界の神さまの歌だけど。聖なる歌は、世界を問わないようだ。
「連続使用時間は?」
額の汗をぬぐいながら、兄さまが問う。
『取り扱い説明書』によると……
「……二時間」
聖歌を厭って、敵は近寄ってはこない。
けれども、嫌な臭いは依然、濃い。
アタシは、星すらない夜空を見上げた。
夜が明けるまでどれくらいだろう?
日の光が差せば、不死者の数も減る……とは思う。
機械が止まる前に、安全地帯に移動したいんだけど……
「どっちに行けばいい?」
アタシの問いに、狼王がぎょろっと金の眼を動かす。
「道ない、言った」
む?
「くさい水」
むむ?
「はいる、くさる。およぐ、むり。とびこえる、できない」
「もしかして、ここ、島?」
アタシの問いに、巨大狼が耳をぴくぴく動かす。
「道ない」
《さよう。道などない》
しわがれた声がした。
カトちゃんがくわっと牙をむいて、上を向く。
鼻面に皺を寄せ、全身の蒼毛を逆立て。
カトちゃんが見上げた天を、アタシも兄さまも見上げた。
魔法使いが居た。
けれども、黒のローブはぼろぼろだ。角つきの杖を持つ右手は骨ばっているというか骨そのもので……ローブのフードから覗く顔は髑髏だった。
不死の魔法使いだ……
《汝らは、我が沼地の中央に居る。逃れるは、翼無き者には不可能。毒の沼と、水底に眠る我がしもべどもが汝らの行く手を遮る》
骸骨は、見るからに禍々しい。
地を蹴り、狼王は高々と跳躍する。
その丸太のようにぶっとい右手が、叩きつけるようにリッチへと振り下ろされた。
けれども、目に見えない壁がその攻撃を防ぐ。
魔法障壁を張っているんだ。
魔法を極めた魔法使いやら、邪神を崇める神官やらが、リッチとなる。
リッチは非常にやっかいなのだ。無数のアンデッドを配下に従えていたりするし。
本人も強い。強力な魔法を操り、物理攻撃も魔法攻撃もほぼ効かない。毒やら麻痺やら眠りやら、やたら状態異常もバラまく。
なおも飛びかかりそうな狼王を、
「ダメ! カトちゃん!」と、叫んで止めた。
「あいつ、ムカつく。殺す」
「ダメ!」
「なぜ?」
「今はダメなの! ぜったいダメ!」
「いまはダメか……。よし、わかった。ヨメいいと言うまで、まつ」
……こういうとこ、かわいいわ、あんた。
『ばっく みゅーじっく君』のボリュームをあげてみたものの、リッチはけろっとしている。録音された聖歌も、大物相手には通じないらしい。
アタシは、骸骨魔法使いを睨んだ。
「あなたがアタシ達を、さらったわけ?」
《これは異なことを》
骸骨が笑う。カラカラと喉を震わせて。
《汝らが我が領土へと飛んで参ったのであろう》
む?
《朽ちたるものどもの行いは詫びぬぞ。生者に惹かれるは、死者の本能。我が許しなく領土に侵入し、我がしもべを葬った汝らの方が無礼ではあるまいか?》
う。
それは……
「……そうね。アタシ達も自分の意志で来たわけじゃないけど……今の話通りなら、お詫びするのはアタシ達の方ね。ごめんなさい」
《素直なおなごよ》
骸骨が笑う。
《光の者よ。我が名はダーモット、不死者の王なり》
空っぽの眼がアタシを見る。
《光をまといし者。汝が勇者であるな?》
眼球のないリッチの眼には、アタシが特殊に映るらしい。
「そうよ。異世界から来た勇者ジャンヌよ」
《勇者ジャンヌよ。神に見初められし汝は、準神族。そこな獣は、齢を重ねておらぬが王。更には、人として申し分なき肉体の若人まで伴っての来訪、いたみいる》
リッチがむき出しの歯を見せて笑う。
《良きしもべとなりそうだ》
な?
《と、我が言うたらどうする?》
揶揄するように、リッチが笑う。
兄さまがアタシをかばい、前に進み出る。
アタシのすぐ横にはクロさんが立ち、ピアさんは頭上で明かりとなっている。
カトちゃんは、たぶん話がわかってない。けど、低く唸りながら、リッチを睨んでる。本能的に気にくわないと思ってるんだろう。
《勇者よ、汝はかよわき赤子に等しい。力なき正義は蹂躙されるのみ。魔王を倒す使命を帯びたのであれば、ふさわしき力を身につけよ》
な……
《力が欲しくはないか?》
「なにを……言ってるの?」
《不死者の王ダーモットが問う。汝、我が助力、欲しくはないか?》
アタシはごくっとツバを飲み込んだ。
骸骨姿の魔法使いが、禍々しい笑みを浮かべる……
「いらないわ! アタシは光の勇者なのよ! 邪悪の誘惑にはのらないわ!」
《これは異なことを》
骸骨が笑う。カラカラと喉を震わせて。
《我が邪悪であるのなら、竜王は何であろう? 同族と血で血を洗い、あれは王であり続けておる》
「それは……王としての務めでしょ?」
《では、そこな獣は? 生き物を引き裂き、噛み砕き、喰らうそやつこそ、罪深き存在ではないか?》
「カトちゃ……狼王は……」
襲いかかられた時は、確かにおっかなかったけど……
「肉食の獣よ。狩りをしなきゃ生きていけないんだもん。しょうがないわよ」
《我とて、己に恥じるところはない。知識と力の探求の末に得たこの姿。誇りと思うておる》
宙の魔物が、アタシに杖をつきつける。
《勇者ジャンヌよ。今一度、問う。我が助力はいらぬか?》
「いらない!」
《抗うか? 愚かなる、無力な勇者よ。我が助力なくば、汝、我が領土から出る事すら叶わぬ》
ぐ。
《我が声を聞き、我を受け入れよ、勇者……。助力した暁には、その見返りとして、》
キタァァ、見返り。
邪悪なリッチの願いだ。魂寄こせだの、不死者のしもべになれだの、どーせ、ろくでもないものだ。
絶対に聞くもんか!
そう叫ぼうとした時だった。
何処からともなく、高笑いが響いたのは。
夜空を見上げるリッチにつられ、アタシも上を見た。
星ひとつない真っ暗な空に、キラリと何かが輝いた。
流れ星……?
「偽りの生を生きるクズどもよ。血と怨嗟と悔恨にまみれし、ゴミどもよ。存在自体がきさまらの罪だ。内なる俺の霊魂が、マッハで、きさまらの罪を言い渡す」
天から降って来る、この声は!
「有罪! 浄霊する!」
真っ暗な闇夜を切り裂き、光が生まれる。
まばゆい光が広がり始めた空。
リッチは杖を構えた。たぶん、防御結界を強化したのだろう。
「その死をもって、きさまらの罪業を償え・・・終焉ノ滅ビヲ迎エシ神覇ノ贖焔!」
昼よりも、尚、明るい光……
天から巨大な光が降って来る。まるで隕石のように。
「ククク・・・あばよ」
ぐんぐん迫るまばゆさから、目を閉じ、顔を伏せ……
嵐のような光の奔流をやり過ごした。
そして……
「女。ありえぬことだが、よもや、まさか、きさま邪悪の誘惑にのる気ではなかったろうな?」
頭が重い……
ぐりぐりと、圧迫感が……
「頭の悪いきさまの為に、慈悲深い俺様があえて、もう一度言おう」
肘だ。肘でぐりぐりされてる……
「きさまは、悪霊すらも仲間にひきこんだ節操無し。目にあまる行為を繰り返すのであれば、神の使徒たるこの俺が粛清する・・そう諭してやったはずだが?」
諭されてないわ、脅されただけよ。
アタシはどうにか目を開けた。
ピアさんの光に照らされてるのは、目を押さえてうつむいている兄さまと、クロさん。
あとは、「目が、目があああああ!!!!」と、両手で顔を覆って地面をのたうちまわるカトちゃん……。グッバイの魔法、マトモに見ちゃったのね……おバカなんだから……。
黒ローブの骸骨は何処にもいない。
防御結界を張ったリッチを、浄化魔法で一発昇天させたのか。
悔しいけど、本当に優秀なのね、こいつ……
「痛いわよ、もう!」
神の使徒の肘を払った。
「『危ないところをお救いくだり、ありがとうございました、偉大なる使徒様』は、どうした?」
言うわよ、お礼は。だけど……
黒い祭服に、五芒星マークつき指出し革手袋、胸元のこれみよがしの金の十字架。
アレなファッションの使徒様の足元を、アタシは指さした。
「その前に、聞きたいんだけど……それ、なに?」
マルタンはアタシより長身。だけど、今、こいつはジョゼ兄さまよりもデカくなっている。それというのも、足元に……
「完璧に、完全に、パーフェクトに愚問だな、女」
フッと神の使徒様が笑う。
「神の使徒たるこの俺に、ひれ伏し、忠誠を誓わぬものなどいない。これは『下僕』だ」
下僕……?
アタシは使徒様の足の下を、あらためて見つめた。
雪のように白く綿のように柔らかそうなそれは、形状からすると、白い雲のよう。
けれども、ピカピカと光って点滅し、激しくその存在をアピールしているそれが、雲のはずはなく……
「竜王より借りてやった。俺の望みのままに、雲となり、ベッドとなり、灯りとなる、魔法生物だ。名を『ゲボク』と言う」
ゴーレムを『下僕』と名前づけたのかよ、あんた……
しらじらと夜が明け始める。
朝日に照らされて初めてわかった。
緑とも黒ともつかぬ濁った沼。
湖と言ってもいいぐらい大きいそれの、島にアタシ達は居るのだ。
砂岩むきだしのハゲ島だ。視界を阻むものがないから、遠くまで見える。よどんだ大きな沼の先に広がるのは、やはり草木一本ない泥地で……
とても寂しい所だったけれども……
腐敗臭が消えている。沼の水面は穏やかに朝日にきらめくだけで……死者が這い上ってくる気配は無かった。