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きゅんきゅんハニー  作者: 松宮星
番外編【勇者列伝】
229/236

二十九代目 キンニク バカ

 合宿所に幽霊が出る、とは聞いていた。


 風呂場が、トイレが、食堂が、廊下が、二階の奥の部屋の二段ベッドが危ない……

 幽霊の出没場所の情報は、語り手(せんぱい)ごとに違った。

 先輩たちのホラ話だと思っていたが……



 脱衣所の扉を開けたら、真っ暗だった。

 停電というレベルではない。

 光ささぬ、真の闇空間が横たわっていたのだ。


 いつの間にか、退路も消えていた。

 脱衣所も扉も無くなり、前も後ろも闇だ。

 足を踏み入れてもいないのに、自分は闇の中にとりこまれていた。


 まあ、それは、百歩譲って良しとした。


 異常事態とはいえ、風呂上りならば最悪ではない。


 ジャージ姿なのも、汚れ物を風呂敷に入れて抱えてるのも、たいした事ではない。

 全裸で心霊現象に遭わずに済んだだけ幸運だ。


 そう思ってから、むかし兄貴から習った『邪悪を祓う方法』を実践してみた。


 まず、邪気を祓う柏手(かしわで)

 つづいて、九字を切ってみた。「臨兵闘者皆陣烈在前」って奴。男の嗜みだと、ガキの頃に兄貴に叩き込まれたものだ。久しぶりでも、手はちゃんと覚えているものだ。

 般若心経(もちろん、これもガキの頃に兄貴に暗記させられた)も唱えてみた。幽霊は大きな音が苦手(と、兄貴は言っていた)なので、大声で。



 般若心経のループに入ったところで、数歩先の闇が唐突に晴れ……

 パンパカパーン! とファンファーレが鳴り響いた。


《おッめでと〜! 片桐直矢くん! キミこそが選ばれしものだ〜!》

 やたら可愛い声がした。少女のものとも少年のものともつかぬ甲高い声……いわゆるアニメ声だ。


 数歩先に、人の形をしたものがいた。

 真っ暗な空間で、そこだけ明るい。

 それの全身が輝いているのだ。


 幽霊にしては自己主張が激しい……

 というか、外見は見るからにアウトだった。


《キミの世界の人口は、だいたい60億! その中から! なぁんと! キ・ミ・が! 二十九代目勇者に選ばれたんだ! ま、現賢者から推薦があったからなんだけど!》


 ヒュ〜ドンドンドンと笛太鼓の音までして、パ〜っと派手に紙吹雪が舞った。


《キミには霊力で戦う力をあげる! 決戦の時は百日後! 二十九代目魔王を、キミの拳でぶっ倒して欲しいんだ! どうか、この神の世界を救ってくれたまえ! おっけぇ?》


 光輝いているのは、のっぺらぼうだ。目や鼻や口や髪の毛どころか、皮膚すらない。

 人の輪郭をしただけの光だ。

 額にあたる部分にデカデカと『神』と書かれているのが、いかにも怪しい……。


『神』が指を一本立てる。

《魔王を倒してくれれば、ご褒美タイムだ〜 もとの世界に還してあげてもいいし〜 不老不死の体にしてあげてもいい》


 二本目の指を立て、『神』がVサインをとる。

《さらに! どんな願いでもを一つだけ叶えてあげちゃう♪ 富でも権力でも美女でも思うままだ。キミ、柔道家なんだよね? 世界チャンプにしてあげようか?》

 柔道の世界チャンプ……おそらく、世界選手権の金メダリストの事だろう。

「いらん」

 メダルは、いずれ自分の力で勝ち取る。八百長など、ご免だ。


《ま、どんな願いがいいか考えておいてくれたまえ。た・だ・し、死者を蘇えらせろとか〜 神に成りたいとか〜 世界の理を壊すお願いはダメだぞ〜 おっけぇ?》


 じりじりと、すり足で間合いをつめていった。

 相手は隙だらけ。

 近づけば、軽く倒せそうだ。

 相手は道着ではない。どころか、服すら着ていない。

 入れるなら、打撃技か足払いだ。


 そう思った時、のほほんとした声が響いた。

《あらら〜 物騒なこと考えてるねー 直矢くん》


 足を止めた。


――心を読まれた?


《その通り》


 こちらの考えは筒抜けか?


 はったりかと思ったんだが……


《ちがう、ちが〜う》

 人間もどきが、額の『神』の文字をゆびさした。

《人間の心なんかお見通しなんだよ。なんたって神だからねー》


 神か……


 考えを読まれてしまうのでは攻撃のしようがない。


《キミの心は、反抗心でいっぱいだねー》


 それは、そうだろう。

 いきなり誘拐され、『勇者になれ』と強要されたのだ。

 敬意を抱きようがない。


《ふーん?》


 自分が勇者になるのは、決定事項なのか?

 拒否権はないのか?


《ないねー キミの世界の神から、キミはレンタルで借り受けた。少なくとも百日は、もとの世界に還さない。この神の世界に存在してもらうよ。おっけぇ?》


 なるほど。


 では、百歩譲って百日の異世界転移は受け入れよう。

 しかし、『勇者』を引き受ける義理はないな。


《けど、キミが魔王を倒してくれないと、一つの世界が滅びるんだよ》

 マヌケな姿の神が、肩をすくめる。

《そこに居るキミも道連れだ。……死ぬね》


 死にたくなかったら、『勇者』をやれってことか……。


《ま、そーいう事。キミさえ本気になれば、キミだけでなく、たくさんの命を救えるんだよ》


 神が左右の手をあげる。

 右の手から、真っ青な空と白い雲の映像が生まれる。どこまでもどこまでも続く空。あたたかな日差し。鳥になって、空を飛んでいるような視界だ。眼下に、雪の積もった山々が連なり、その先には緑の絨毯が広がる。穀物畑が現れ、街道が走り、やがて大きな街が現れる。そこで生活している人間たちの姿が……。市井で働く人々、走り回る子供、赤子を抱く母親、幸せそうな恋人たち……。

 左の手から、真っ黒な空に雷鳴が轟く映像が生まれる。荒野に、金属とも岩とも骨ともつかぬもので出来た真っ黒な城がある。城壁の内にも地面すらなく、黒光りする不思議なものが、中央に向かって傾斜してゆき、山のように高く盛り上がって巨大な城を形作っているのだ。

《魔王城だよ》顔を左に向けながら、神が言う。


《汝の怒りが、魔王を滅ぼすであろう。絶えざる光もて、あわれなるものに永遠の安息を、惑いしものに救済を与えたまえ》


 黒い魔王城はいかにも禍々しく、街には笑顔があふれている……。


《これが、キミの託宣さ。キミが託宣通りに戦ってくれたら、この平和な世界は守られる。キミだけが頼りなんだよ……。二十九代目勇者になってくれないかなー 直矢くん? おっけぇ?》




 そこまで言われて拒絶できるほど、人非人ではない。



 不承不承だが、勇者となる事を受け入れ、そして……



* * * * * *



 闇の中に居たはずが。

 気がつけば、やたらと豪華な部屋に移動していた。


 窓から入る日の光に、部屋がキラキラ輝いている。

 大きなシャンデリア、派手な枠組みの天井絵、壁にも絵画が飾られ、柱には浮彫の装飾が施されている。絨毯は赤。

 調度品も煌びやかだ。金の椅子にテーブル……さすがに、金メッキだろう。純金製では重すぎて使用できない。


 風呂敷を抱えたジャージ姿の自分では、明らかに場違いな場所だ。


 まるでヨーロッパの城だな。でなければ、ガキのころ社会科見学で行った……

「国会議事堂みたいだ」とつぶやくと、人を馬鹿にしきった声が響いた。


「違う。この城の建築は、バロック様式に近い。空間の構成には、美術品や調度品まで含まれている。つまり、内装自体が総合芸術なのだ。国会議事堂の御休所(ごきゅうしょ)とはまったく似てないぞ。混同するな、美術音痴め」

 振り向けば……


「久しぶりだな、直矢」


 腕を組み、兄貴が佇んでいた。


 その銀縁メガネ。

 澄ました顔。

 七三の髪。


 間違いない、兄貴だ。

 少しやつれてはいたが……


「生きてたのか……」



 兄貴が失踪してから、三か月以上経つ。


 仕事は順調。

 家族とも円満。

 職場の人間関係や交遊関係にも、問題なく。

 悩んでいた様子もなく、金遣いが荒くなったわけでもなく。

 サラ金に手を出した形跡なし。

 酒量が増えたわけでもなく。

 遺書もなし。


 兄貴が失踪する理由など、まったくなかったのだ。


 何らかの事件に巻き込まれたのではないかと思ったんだが……


 警察は特に捜索をしてくれなかった。行方不明者は毎年数万人……事件性が明らかでなければ、動いてくれないのだ。


 ただ……生きているとは思っていた。


 兄貴は、殺されたって死ぬものか。


 口八丁手八丁。

 文武両道、多趣味、二枚目。冷静沈着。


 トラブルすらはねのけ、我を通しきる男なのだ。


 無事だと、信じていた。


 それに、兄貴の口座に動きがあった。

 おふくろが見つけたんだ、朝昼夕とマメに通帳の記帳を続けて。

 失踪後一週間目に都内ATMで利用があり、

 先月に××県で、半月前に●●県のATMで引き出しがあったのだ。


 キャッシュカードが盗まれた可能性も、むろんあったが。

 本人が使用しているのだと、家族は信じてきた。

 興信所に所在調査依頼もした。が、有力情報は得られず、たいした成果のないまま、三か月……。


 そう……失踪してから三か月以上経ってるんだ。



「……何やってんだ、兄貴?」

 思わず聞いてしまった。


「そのイカレタ格好は何だ?」


 その顔に、白銀色のローブは似合わないぞ。

 学芸会みたいだ。


「賢者の制服なんだよ」

 兄貴が薄く笑い、煙草をくわえた。その赤と白の箱は兄貴のお気に入りの銘柄の煙草(ヤツ)だ。

「成り行きで二十八代目勇者を務め、そのまま賢者を継がせてもらった。直矢、今日からこのおれが『賢者』として、二十九代目のおまえを教え導く。おれを『お師匠様』と慕い、這いつくばって敬うがいい」



* * * * * *



 この三か月のことを、兄貴はおおまかに説明した。


 自宅の玄関を開けたら、真っ暗な空間に転移(ワープ)

 そこで、神を名乗る者から『二十八代目勇者となり、とある世界を救ってくれ』と頼まれた。

 決戦の時は百日後。その日に託宣通りに魔王を倒すと約束してくれるのなら、魔王を倒せる力をプレゼントする。魔王討伐後にはもとの世界に還すが、希望するのなら不老不死の賢者としてこの世界に留まってもいい。更にどんな願いでも一つだけ叶えよう、ともちかけられたのだそうだ。


 そのへんは、自分と一緒だ。


 勇者となった兄貴はこの世界で、魔王を倒す為の仲間を探し、修行を積んだのだそうだ。


 しかし、ずっとこの世界に居たわけではなく……


 異世界転移の力を持つ前賢者に頼み、ちょくちょくもとの世界に還っていたのだそうだ。


「……おれは病持ちだ、定期的に薬物を摂取しなければまともに動けなくなる……賢者をそう説得したんだ」

 そう言いながら、兄貴は紫煙をくゆらせる……。


 兄貴はヘビースモーカー。

 煙草依存症。

 ニコ中だ。


 突然異世界に飛ばされ、禁煙をよぎなくされたのなら……手持ちの煙草が無くなってから鬼の苦しみだったろう。


 代替品のアメやガムがあるわけでなし、禁煙治療薬のサポートがあるわけでもない。


 ニコチン切れの禁断症状でイライラし、体は重くなり、血は下がり、頭の回転も鈍くなり……勇者稼業どころではなかったろう。……想像に難くない。


「家族や知人と接触しないと誓って、煙草を買いに何度かあっちに戻った」

 煙草をスパスパ吸う姿が憎らしい。 

 心労のあまり、親父の脱毛はひどくなり、おふくろは痩せたっていうのに……。


「宿敵の二十八代目魔王も同じ世界の出身でね。魔王化前の情報を収集するって名目でも、あっちに還れた」

 魔王については、自分でも調べたし、興信所にも依頼したのだそうだ。先月と半月前の口座からの引き出しは、調査費だったようだ。



「ほんの数時間前に、二十八代目魔王を倒し、賢者となった」

 人差し指と中指で煙草をはさみ、兄貴は細く煙を吐き出した。

「賢者を終えた後も、還らない。おれは、この世界に骨を埋める覚悟だ」


――耳を疑った。


「もう戻らないのか……?」


「ああ。ライフワークを見つけたんだ。生涯をかけて、やり遂げたい。これからも、あっちに煙草を買いには行くが、親父にもおふくろにもおまえにも会わない。……会う事はできない。神から禁じられている」



 この金ぴかの部屋に来る前に、自分も神を名乗るモノと出会っている。


 あののっぺらぼう……


 この世界には、常に勇者が居る。

 勇者が魔王を倒すと、次の勇者候補が必ず現れる。それは、その日に産まれた赤ん坊だったり、最も資質の高い人間が『勇者』に変身(クラスチェンジ)したり、はたまた兄貴や自分のような異世界人が召喚されたりとさまざまらしいが。

 その勇者候補は『賢者』によって必ず見出され、育てられる。

 なぜならば……この世界には、繰り返し魔王が現れ……魔王を倒さねば、世界は滅びてしまう。


 勇者が魔王に勝てず、勇者世界が滅びれば……

 次代の魔王は、敗北した勇者の出身世界に出現する事になる。


 生まれ故郷を守りたければ、己が身を犠牲にしてでも――究極魔法を唱えてでも、魔王に勝った方がいいよー とあいつは笑った。


 人をバカにした、嫌な笑い方だった……。



 あんなものに、兄貴は従っているのか……。


 あの手のタイプを、兄貴は毛嫌いしていたはずだが……


 それを譲ってでも、この世界で生きたいのか……。


 そんなにも、この世界は魅力的なのだろうか……?



「済まんな、直矢。親父とおふくろには、おまえからいいように伝えてくれ」

 吸殻を携帯灰皿にしまい、兄貴は口元だけで笑みをつくった。


「直矢。おまえの宿敵は、既に現れている。決戦まで百日しかない。おれを信じてついてこい。いいな?」

 こういうところは、三か月前と変わっていないが……

「決戦日まで、あらゆる面でおまえをサポートする。国王陛下への挨拶がすんだら、まずはおれの仲間だった奴等を紹介しよう。ランベール、ウジェーヌ、ジェラルディンたち……誰かは、おまえと共に戦ってくれるはずだ」

 魔王戦での戦闘作戦も訓練方法も、兄貴が考えてくれるようだ。



 兄貴は、まったく変わっていなかった。


 面倒見がよくて。


 (じぶん)をイジメすれすれに可愛いがる……。



 兄貴は物質転送魔法で、二十九代目用の『勇者の書』とやらを呼び寄せ、書名の欄にデカデカと『キンニク バカ』と書きやがった。


「『勇者の書』は、勇者本人にしか書けない。しかし、表紙の勇者名の記入だけは例外。賢者のみが記せる」


 兄貴が、本の表紙をこれみよがしにポンポンと叩く。


「賢者が記した名前が、正式な勇者名となるのだ。この世界のおまえは、『キンニク バカ』だ。わかったか?」



 たしかに、自分は、いかつく、口下手。

 馬鹿というほどではない。が、ものおぼえが悪く、頭の回転も遅く、不器用。

 一度に一つのことしかできない自分は柔道に打ち込み、

『筋肉バカ』と兄貴からからかわれる人生を、好んで歩んできた。


『筋肉バカ』で間違いないが……


 苦笑が漏れた。



 また兄貴のオモチャにされる日々が始まるのだ。


 兄貴につづき、自分まで行方不明となってしまうのだ。両親には申し訳ないが……


 少なくとも百日の間は兄貴と一緒だ……そう思うと、自然と口元がゆるんだ。

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