堕落嫌疑
天界から落ちたアタシを庇って、ラルムは四散した。
生身の人間は、落下の風圧に耐えられない。首が折れたり、息が出来なくなったりして、簡単に死んでしまう。
だから、そうはさせまいとラルムはアタシの周囲を包み込む結界となって……
天界と魔界の境界を越える時に、アタシが受けるはずのダメージを代わりに受けて四散してしまったのだ。
それから今日まで、だいたい二十日ぐらい。一向に復活しないラルムのことを心配してたのに……
なのに!
水色の髪に水色のローブ。カガミ マサタカ先輩にそっくりな水精霊は、しれっと答えたのだ。
《四散後、二日ほどで復活していました》
嘘でしょ――ッ!
「アタシ、毎日、ラルムの名前を呼んでたのよ! 今日こそ復活したんじゃないかって期待して!」
《知っています……契約の石を通して見ていましたから》
「んじゃ、どうして姿をみせてくれなかったの? 何度も呼び出したのに! しもべ精霊は、主人の命令は絶対に叶えるものなんでしょ? 来てと言われたら、必ず来るのよね?」
なんで、アタシの声を無視したの?
《いいえ。正確に言えば違います。そのルールは、精霊支配者の命令に応えられる場合にのみに適用されます。私はあなたの声に応えられない状態にありました》
ん?
「四散から復活してたのに?」
なのに、応えられなかった?
ラルムが静かに頷く。
《精霊支配者よりも遥か上位の存在から、使命を与えられていたのです。あなたを監視するように、と……》
へ?
「て、誰? 神様?」
ラルムは答えない。
アタシの問いを無視するってことは……アタシよりも偉い人から答えちゃ駄目って言われてるってこと?
「あ! もしかして、天界関係?」
ベティさんがそれっぽいこと言ってたわよね? 『その力、天界の』どうのこうのって。
アタシの思考が読めてるだろうに、ラルムは命令者に関しては頑として答えない。
《あなたには、堕落嫌疑がかかっています》
「堕落ぅ?」
《あなたは、幾つもの罪を犯してしまったのです。第一に魔界堕ち、です》
魔界堕ちって……
「あれは、事故よ。ブラック女神の器をうっかり招き寄せたのは、ミスっちゃミスだけど。あいつの風でアタシは吹き飛ばされただけだもん。むしろ、被害者だわ」
《理由は何であれ、正規の手続きを経ずに出界した事実に変わりはありません》
え〜
《第二に数多くの有力魔族への精神的姦淫です》
「はぁ?」
《六体もの有力魔族に萌えたでしょう?》
萌えたけど……サリー、ダーモット、ノーラ、ベティさん、あとドロ様2号とイソギンチャクに。
《天界では、四回しか萌えなかったのに》
はぁ?
「だって、それは! 天界の神々がアタシに会いたくないって面会謝絶札を、」
《ですから、理由は問わないのです。あなたは神族よりも魔族を多く仲間としている……問題視されるのは、事実だけなのです》
ンな勝手な!
《第三の罪は、魔族との援助交際です》
「どういう意味?」
《魔界滞在中、魔界貴族の庇護下に入り、養われていましたね?》
「いけない?」
《あなたは光の勇者なのですよ。魔族を利用するのだとしても、神の使徒のように調伏して使役すれば良かったのです。しかし、あなたは魔族と馴れ合い、友人とし、頼っていた》
「それが罪なの?」
アタシが罪人なら、賢者ジャンも同罪よね? ベティさんを『友だち』扱いしたのは、あっちが先なわけだし。
賢者ジャンのこと、あんたも知ってるわよね? 契約の石を通して、アタシのこと、ずーっと覗いていたんなら!
《……とある世界の百一代目勇者は、魔界で伴侶探しをしました。その行動は褒められたものではありませんが、彼は魔界についてすぐに記憶喪失となっており、正気の状態で仲間とした魔族はたったの三体だけでしたし……天界外でも積極的に神族と親交を結び、最終的には彼の伴侶は神族の方が多かったのです》
ぐっ!
「じゃ、ようするに……これからは魔族に萌えないようにして、神族の伴侶を増やしていけばいいのね?」
《そのようにすれば、多少、心証は良くなるでしょうね。それだけでは、堕落嫌疑は晴れないでしょうが》
む?
《百一代目勇者様。死神王サリーの城で、『真実の鏡』を使いましたね?》
!
《隠された真実を教え、光の道を示す聖なる道具。遥か昔、天界の至宝の一つであったもの……本来、魔界にあるべきではない道具とご承知の上で、ご使用になられましたね?》
「使ったわ」
ブラック女神の器を倒す手立てが無いものかと思って。
盗品だろうとわかっていて、借りた。
「その点においては、罪を認めるわ」
ラルムが静かに頷く。
《あともう一つ。あなたには窃盗容疑もかかっています》
「え? 窃盗?」
《天使キュービーから借りた赤ビキニを着服しましたね?》
「はぁぁぁ?」
いや、持ってるけど! 昨日、着ちゃったけど! 盗んだわけじゃないわ! アタシが着てたから、赤ビキニもいっしょに魔界堕ちしちゃったの! 返しに行けなかっただけよ!
「わかったわ! 今すぐに返しに行く!」
《不可能です。今、あなたは天界入界禁止人物に指定されています》
返しに行けねーじゃん!
《以上、五つの罪を併合すれば、『勇者資格剥奪』に相当する重罪となりますが、》
え〜〜〜〜〜〜〜
《他ならぬ天界のいと高き方からのお口添えがあり、》
「それって、天界神さま?」
アタシの疑問には答えず、ラルムは説明を続けた。
《あと一回、明らかな罪を犯すまでは、刑の執行を猶予することとなっていました》
切れ長の水色の瞳が、凝っとアタシを見つめる……。
《あなたが死霊王の誘惑を退けて、本当に良かった。あの下品な魔の誘いにのっていたら、『堕落認定』は免れなかった……》
ラルム……
「……いいの?」
《え?》
「監視対象のアタシに、内情をバラしちゃって平気なの? あんたが罰を受けない?」
《こんな状況で、他のものの心配ですか……》
ラルムが静かに笑う。
《本当にあなたは馬鹿だ……》
む!
《心配は無用です。上役からあなたに現状を教えろと命じられたのです。それで、姿をみせただけですから》
ほんと? ほんとのほんとのほんとに、大丈夫なのね?
《ええ。……死霊王を退けた報奨とでも思ってください。これからは、あなたのしもべにも復帰し、許される範囲で助言をしていきます》
「助言?」
《……あなたが光の道を進めるように、です。監視も続けます。あなたが亡くなるか、堕落認定が下るその日まで、決してお側を離れませんよ》
ピオさん、ヴァン、ソル、ピロおじーちゃん、ピクさんを呼び出した。
《ジャンヌ! よかっただ!》
《あああ、女王さま、よくぞご無事で》
みんな、アタシがベティさんに穢されるんじゃないかって気が気じゃなかったって言った。
《頼むから、ああいう場面で精霊界に還すのは勘弁してくれ。オレらは、オジョーチャンの護衛なんだ。役立たずでも、そばには置いといてくれよ》
《そー そー 四散してもよかったんだよー ボクらを四散させるよーな極悪非道な相手ならー ジャンヌは怒るもん。心許さなくなるもんねー 四散しがいがあるってもんだよー》
そういう守られ方は嫌よ。アタシは誰も失いたくないの。
《よう戻ったのう、ラルム》
みんなから一歩引いたところに居たラルムに、ピロおじーちゃんが声をかける。
《これからも共に精霊支配者に仕えようぞ》
《ピロ様……私は……》
《そなたがわし以上の存在となった事は承知しておる。一気に格があがった理由も、察せられる。……辛い決断をしたようじゃのう》
《いいえ。私は己の為に力を得ただけです……》
《さようか、さようか》
全部わかっているというように、ピロおじーちゃんが鷹揚に頷く。
《まあ、なんでもいいわ。そなたはパワーアップして還って来た、死霊王すら退けられる精霊がそばにおれば、精霊支配者とて心強いであろうて。めでたきことじゃ……あ、いや、クマー》
《そー そー 百人力だよねー》
《ラルムさん、おかえりなさい》
《おかえりなさいだ》
《よ。おかえり、相棒》
背中を叩かれたラルムが、けげんそうにヴァンを見る。
《相変わらずですね》
《ん?》
《……私が怖くないのですか?》
《なんで?》
《あなたごとき脆弱な存在、今の私ならば跡形もなく消し去れます。存在基盤の核を砕くことすら可能なのですよ》
それが何? って顔で、ヴァンがへらっと笑う。
《出会った時から、そうじゃん。オレはラルム君より下等な精霊だ。もともと戦闘となればぜったい叶わなかったんだし。その相手がちょっとばかり強くなったからって、何も変わらないって。前といっしょだ》
《ちょっとどころではありませんよ。私は……》
《ちょっとさ。強くなったと言っても、無敵じゃあない。限界はある。制限もある。だろ?》
《………》
《ま、今までどおり、手をとりあって仲良くやってこう。すべては、オジョーチャンのためだ》
《……気軽に触らないでください。先輩しもべぶるのも、もう許しません。私には百一代目勇者様よりも高尚な上役がついたのです、あなたごとき精霊など、》
《ま、ま、ま。再会の挨拶ってことで♪ 復活してくれて嬉しいよ、ラルム君♪ キミがいなくてちょー寂しかったんだぜ♪》
《馴れ馴れしくしないでください。離れなさい、ヴァン》
仲良くたわむれているヴァンとラルム。
そこへ《レイさんからメッセージを預かってますよ》とソルまでくっつきに行って。
ピオさんやピクさんも笑顔だし。
……ラルム、今まで通りみんなとうまくやってける……かな?
眺めていたら、ピロおじーちゃんに声をかけられた。
《少し良いかなクマー?》
「なんです?」
《わしらに聞きたいことがあるであろうと思っての。遠慮せず、口にするがよいぞクマー》
つぶらな瞳の白クマさんを、ジーッと見つめた。
「正直に答えてくれる?」
《うむ》
アタシは『備忘録』と書かれた本を手に取った。
「ベティさんは、みんながこれを『賢者の書』だって知ってたって言ったわ。ほんと?」
《正確に表現するのであれば、違うぞクマー。わしらは、その本に何らかの魔法がかかっていることを感知していただけクマー。死霊王のようには、その魔法を払えぬのだクマー。そなたが望もうとも、『賢者の書』にして渡してやることはできんのじゃクマー》
「……ピロおじーちゃん」
《何じゃクマー?》
「真面目な話をする間、語尾に『クマー』をつけるのやめてくれる?」
《!》
「聞き取りづらいから」
《むぅぅぅ。仕方がないクマー。あ〜、いや、精霊支配者のリクエストとあらば仕方がない。しばし『ピロさん』口調はやめよう》
アタシは、ふぅっとため息をついた。
「『備忘録』は、魔法で偽装工作されている本だってわかってたのね?」
《うむ》
「じゃ、どうして、そう教えてくれなかったの? 暗号で書かれてると思いこんで、アタシやテオは読み解こうと苦労したわ。横で見てたでしょ?」
《そなたはわしらに、この本は暗号で書かれていると思う、どう読み解けばいい、知恵を貸してくれ……そのように命じただけじゃて、『暗号には見えぬ』としか伝えなかったのじゃ》
はぁ?
《精霊支配者よ、しもべとはそういうものなのじゃ。わしらは命令された事しか答えぬ。そなたが知り得ぬ知識は、与えぬ。与えてはならぬと、決まっておるのだ》
「誰が決めたルールよ?」
《精霊界のもっとも高き御方……神の定めし決めごとじゃ。精霊ができるのは、あくまで助力。精霊支配者の人生を捻じ曲げぬよう、わしらは最低限の介入しかせぬ》
「なに、それ? 意味がわからない」
《……たとえ話で説明しよう。たとえば、じゃ。算数の苦手な子供がいたとしよう。算数の宿題を出されたのじゃが、その子はまったく解けぬ。その子のそばに居たとしたら……そなた、どうする?》
「どうって……勉強を教えてあげるわよ」
《頼まれてもおらぬうちから? その子、解く楽しみを見出しかけている最中やもしれぬぞ》
「む! そうね……『教えて』と言われてから、教えることにするわ」
《正解を丸ごと教えるかの?》
「いいえ。そんなことはしないわ。それじゃ、ぜんぜん身につかないもの」
《では、どうする?》
「う〜ん……何がどうわからないのかその子に聞いてから、解き方をアドバイスするわ」
《掛け算や割り算の仕組み自体がわかっておらぬようであったら?》
「絵を描いて説明するか、豆か何かを使って目でみてわかるような形で説明するわ」
《ふむふむ》
「そのやり方で、アタシ、お師匠様から習ったから……」
白クマさんが、何度も何度も頷く。
《算数が苦手であったその子供も、そのままとも限らぬ。ある日、解法の楽しみに目覚め、数学的才能を開花させるやもしれぬ。天才数学者となるやもしれん。しかし、わしらが安易に答えを与え続けては、才能に目覚める機会すら奪いかねぬ。わしらのおせっかいが、その子供の未来の芽を摘むことになるのじゃ》
《つまりは、そういうことなのじゃ。わしらが何もかもに口を出してしまっては、そなたの成長の機会を潰すこととなる。精霊支配者の人生を、わしらは支配したくない。主人が自ら道を切り開いていくさまを見守り、求められた時にだけ力を貸す。それがしもべとしての正しき姿なのじゃ》
《ゆえに、そなたは知性をもってしもべと接するべきである。しもべが言葉を濁す時は、九分九厘、『人間の目にはわからぬ真実』が潜んでいると思うがよい。わしらがどんな真実を何ゆえ隠してるのかを推測し、質問の仕方を変えてゆかねば真実にはいきつけぬ》
《書については、そなたはこう聞けば良かったのじゃ。『この文は暗号で書かれているか?』、と。そう問われればわしらはノーと答える。そこで、『この書は、ただの献立ノートか?』『賢者は自分以外の者が読み解けぬように、何か細工をしていないか?』『その細工、精霊には解けるのか?』と順をおって理知的に問うていけば、わしらは答える。曖昧な言葉ではぐらかされぬよう、イエス・ノーの答えしかできぬ聞き方の方がより良いであろうな》
アタシは、白クマさんをまじまじと見つめた。
《わしらの仕え方、気に食わぬか?》
かぶりを振った。
確かに、ああしろこうしろって、何もかも指図されるのは嫌かも。
それが正解と思われる道でも。
アタシは自分で考えて、未来を選んでゆきたい。
《ならば、精霊支配者としてわしらを知的に支配するがよい》
「わかったわ」
難しそうだけど、頑張る!
「ベティさんの髪の毛を放置してたのは、何故?」
《そなたから、特に何も命令されておらなかったからじゃ》
いや、だけど……覗かれてアタシが喜ぶわけが無いんだし。髪の毛がいっぱい潜んでると一言言って欲しかったなあ。
《死霊王の髪の毛がまとわりついておる事は知っていたはずじゃ。魔界で、その話を耳にし、実際に数本見たはず。だが、日々の忙しさに紛れ、忘れた。そうであろう?》
「……そうね」
《その場で、髪の毛は見つけ次第駆除せよと命ぜられれば良かったのじゃが……まあ、そのような状況ではなかったな。この点を反省するのであれば、就寝前やら週変わりごとなどに己が行動を振り返る時間をもうけるとよい。精霊に命じれば、記憶を活性化してもらえるぞい》
「あ〜 それいいかも」
《精霊は使い方次第じゃて》
ピロおじーちゃんが、ホホホと笑う。
《ついでに言うておくぞ。死霊王は魔王級の魔族じゃ。その一部を処分させるのは、なかなかに荷の重き仕事じゃ。命じる時は注意した方がよい》
「というと?」
《『やれ』とただ命じては、危険という事じゃ。実行困難な命令を与える時は、完遂できるか否か、精霊に自己分析させてからにした方が良い。でなければ、ピクなぞ『おら、がんばる』などと言うて無茶を重ねて四散しかねない》
むむむ……
「ベティさんの髪の毛は、精霊では始末できないのね?」
《その質問、漠然としすぎておる。もっと限定した方がよい》
えっと……
「ピロおじーちゃんは、ベティさんの髪の毛をぜんぶ処分できる?」
《死霊王がこの地に現れぬ状況下であり、且つ、期限をもうけぬのであれば可能である》
「そう」
《ゆえに、わしに命じるのは効率的ではない。そなたはそう判断し、『誰ならば髪の駆除役に向くのか?』と質問し直すべきなのじゃ》
「……誰なら髪の駆除役に向くの?」
《神の使徒》
……やっぱり。
ピロおじーちゃんが、少し離れたところにいる水精霊を見上げる。
《でなければ、ラルム。今のラルムであれば、死霊王の体の一部なぞ難なく清められるじゃろう》
水色の精霊が、静かな眼差しでアタシを見つめる……。
《あなたの体についていたものと、この部屋に潜んでいたものは全て浄化しました。他の場所にいる分体もすべて駆除して来ましょうか?》
「分体って、髪の毛のことよね? ベティさん本人には手を出さないのよね?」
《言ったはずです。私はあの魔族には手を出しませんよ。あれを討つのは、カガミ一族でなければいけないのです》
アタシはため息をついた。
「ラルム。ベティさんの髪の毛を浄化して来て」
《わかりました》
スーッと溶けるように、ラルムの姿が消えてしまう。
アタシはもう一度、大きくため息をついた。