死霊王の誘惑
ベッドのそばに現れたのは、超セクシーな美人だった。
つりあがった眉、青い目に高い鼻、むちゃくちゃ濃いお化粧――白粉で真っ白な顔、黒のアイシャドー、真っ赤な口紅……
その顔は、ベティさんに間違いなかった。
けど!
「なんなのよ、そのキモい格好は!」
《ヒヒヒ。格好ぉ? 前と同じだろ?》
黒レースのブラ! 真っ赤なコルセットでぎゅっとしめた腰! スリットの入った黒レースのミニスカート! 網目模様の黒のタイツ! 黒のピンヒール!
確かに服装は、前といっしょね。
だけど! だけど! だけど!
「なんで、男なの????」
いや、知ってるけど! ベティさんの本体は首から上だけだって! 下は、洋服感覚で変えてたわよね? ハーピー・ボディだったこともあったし!
でも、男の体にくっついたんなら、男らしい服装してよ〜〜
マッチョってほどじゃないけど、そこそこ筋肉質な体……肩幅広いし、腕ゴツイのに……黒レースのブラとミニスカ、真っ赤なコルセット……かなり目の毒……
脚が最悪! スネ毛ボーボーのくせに、黒タイツ〜〜〜〜! せめてスネ毛の処理してよ!
《フヒヒ。惚れ直したかい?》
「ぜんぜん!」
腰ひねるな! お尻つきだすな! 投げキスやめろ〜〜〜!
ぐわぁぁ! 鳥肌がぁぁ!
《『女』だったのは、あんたに萌えられたくなかったからさ》
ベティさんが、ニタリと笑う。
《けどもう、キュンキュンされちまったからねえ》
あれは、ベティさんが……キスしようとしたから……
《『女』はやめにした。『男』の体なら、あんたとイイコトできるもんね》
「お断りよ! アタシ、変態は嫌いなの!」
体を揺らして、死霊王がゲヒヒヒヒヒと大笑いする。
いつの間にか、ベッドの周りには……五色のクマたちが居た。
黄クマがアタシの中にスッと入って来て、
赤と緑と白と黒のクマさんは、ベティさんを睨みながら臨戦態勢に入っている。
《お、おらたちが、守るよ、ジャンヌ》
ピクさん、震えてるわ。
《ま、ボクらじゃ、ベッくんに手も足も出ないんだけどー ベッくんはSランク魔族だからー》
ベッくん……
《それでも、守るぜ。男には、負けるとわかっていても戦わなきゃいけない時があるんだ》
ヴァン、無茶だけはやめてよ。
《女王さま。くれぐれも、誘惑にはのられぬようお願いします。死霊王といかなる契約も結ばないようご注意ください》
なんか……やけにシリアスね、ソル。
《精霊支配者よ。死霊王は部屋の内に結界を張りおった。今は外に逃れられぬ。しばしでよい。時を稼ぐのじゃ。さすれば、おそらくじきに神の使徒がこの異常に気づき、駆けつけ、》
《聞こえてるよ、クマちゃんたち》
ベティさんが怒鳴ると、精霊達の動きがピタッと止まる。恐慌にされたのだ。
《三下の分際で、あたしとゆーちゃちゃまとの逢瀬を邪魔すんじゃないよ。とっとと消えな》
「やめて、ベティさん! アタシの精霊達にひどいことしないで!」
死霊王を睨みつけた。
「みんなを傷つけたら、許さないわよ!」
《ケッ》
しらけたって顔になって、ベティさんがシッシッと手を振る。
《んじゃ、あんたが命令しとくれよ。子分どもをすっこめな》
《ジャンヌ!》
《だめだよ、ジャンヌ!》
「……みんな、下がって」
《オジョーチャン!》
「……大丈夫だから」
アタシはみんなを見渡した。
「ベティさんは魔族だけど、今はアタシの伴侶の一人だもの。ニコラの時といっしょよ。光の性質がプラスされてるんだもん。人間を殺すことはおろか、怪我を負わせることもできなくなってるのよ。ベティさんはアタシを傷つけられないから、平気よ」
《いけません。女王さま。お命だけではないのです。そのお体に、もしもの》
「平気だから」
アタシを庇って、無茶しないで。みんなが四散するとこ、見たくないの!
「命令よ。精霊界に戻って、ピオさん、ヴァン、ソル、ピロおじーちゃん、ピクさん」
《チッ!》
去り際に、緑クマさんが右手を振る。
『ジャンヌの剣』、バイオロイドのポチが入った『培養カプセル』、それからガウンがベッドの上にポトンと落ちてくる。……ありがとう、ヴァン。
ガウンを羽織り、培養カプセルはポケットに入れて、『ジャンヌの剣』を鞘にいれたまま持って。
ベッドを離れて、ベティさんと向かい合った。
「なにしに来たのよ、ベティさん?」
《呼ばれたから来たんだよ》
厚化粧の魔族が、フヒヒと笑う。
《おちちょーちゃまのことで、悶々してたんだろ? あたしなら、あんたをスッキリさせてあげられるよ》
グヒヒと笑いながら、ベティさんがアタシを指差す。体は男の人だし、指も太いけど。爪は真っ赤で、先はナイフみたいに鋭くとがっている。
指さされた首のあたりが、モゾモゾする……
《あたしの一部は、あんたとずっといっしょにいてねえ。あんたが今、何を悩んでるのかもぜ〜んぶ知ってるのさ》
首、手首、背のあたりで、何かが蠢く。
首に絡みついていたものが、顎の方へとするすると這いあがってくる。それは……髪の毛だった。細くて長い金色の……
「ベティさんの毛?」
《だよ》
顎のとこの毛をつかもうとしたら、するすると襟の中に逃げてしまった。
《その一本を捨てても無駄だよ。体だけじゃない、荷物入れにも、この部屋や他の場所にも、あたしの分身は散らばってるんだから》
ゾッとした。
《まあ、何十本かはクサレ僧侶の魔法に巻き込まれちまったけどね。あんたとあたしを繋ぐ絆は、まだまだた〜ぷり残っている》
「ずっと、覗いていたわけ……?」
《イヒヒ。そうさ。ほんとは、あんたとジャンが揃った時に顔出したかったんだよ。だけどさー あんたの体に聖痕ついてたしねえ、クサレ僧侶まで来やがったから、涙をのんであきらめたんだ。……今ならちょいとお話してもいいだろ、ゆーちゃちゃま?》
「話……?」
《これのことさ》
ベティさんの前の宙に、本が現れる。
けっこうしっかりした装丁の、そこそこ厚みのあるそれは……
表紙の枠に、『備忘録』と書かれてある。
「勝手に触らないでよ! それは……」
アタシの文句は、中途半端のまま消えた。
だって……
ベティさんが右手を振ったら、本のタイトルが変わったんだもの。
『備忘録』から、『賢者の書 101代目勇者ジャンヌと共に シメオン記』に……
「なに、これ……?」
《『賢者の書』だよ。これと同じもんを、賢者ちゃまになったジャンも持ってただろ?》
「同じ装丁の本、持ってたわね。『雑記帳』って書かれたヤツ……」
《ヒヒヒ。あれも、『賢者の書』さ。あんたらの世界の歴代賢者は、それぞれの勇者について一冊づつ書を記してきたんだよ》
嘘……
「知らないわ、『賢者の書』なんて。アタシ、見たことも聞いたこともない」
賢者の館の書庫にもお師匠様の部屋にも、そんなもの無かった。
《そりゃそうさ。『賢者の書』には、特別な呪いがかけられてる。賢者以外の者には他の本に見えるように細工されてるのさ》
「そんな……」
《ちなみに……》
ベティさんが、すごく意地悪そうな顔になる。
《そういう仕掛けがされてる事ぁ、ちょいと目のいい奴ならわかる。あんたの可愛い可愛い精霊どもにも、この細工、見えてたはずだ》
!
《けど、あんたに教えなかった……そうだろ?》
「………」
献立ノートにしか見えない本を、アタシは精霊達にも見せた。
暗号で書かれてるもんだと思い込んでいたから、読み解くのを手伝って欲しいって頼んだんだ。
その時、みんなは……暗号には見えないとか、どうでもいいことを言うばかりで……
「本が偽装されてるって、ヴァンたちは知ってたの?」
《そうだよ》
死霊王がヒヒヒと笑う。
《あんたの子分どもはね、何もかんもあんたに教えてるわけじゃない。山のように秘密を抱えて仕えてるのさ》
「……どういうこと?」
《ウヒヒ。精霊ってのは、そーいうものなんだよ。主人がどんなに困ってたって、黙ってる。最善の道を知ってても、教えない。命令された時にしか力を貸さない、なまけものなのさ》
「違うわ!」
アタシの精霊達は、そんなんじゃない!
《ふーん。だけど、教えてくれなかったろ? 『備忘録』が『賢者の書』だって》
「………」
《あいつら、あたしの毛があんたの周りに紛れこんでることにも気づいてたはずだ。だけど、教えることも、排除することもしなかった。そうだろう?》
それは……
《あたしゃ、あいつらとは違う。あんたが望むんなら、何でも教えてあげるよ》
ベティさんが、ニィィっと笑う。
《その本、手にとったらどうだい?》
アタシは宙に浮かぶ『賢者の書』を見つめた。
「……なにが書いてあるの?」
《あんたと出会ってからのこと、全てさ》
全て……?
《あんたの成長記録、ていうか、あんたを弟子にしてからの日記だね。どう導くか悩んだり、あんたのおバカぶりにコメントしたり、過去の失敗を反省したり、救えなかった弟子どもに思いをはせたり……》
「ベティさん、読んだの?」
《読んだよ。あんたが本を開いた時に、いっしょに覗いたからね》
表紙を見てるうちに、胸がせつなくなってきた。
表紙の題字は、やや右下がりになっていて……明らかにお師匠様の手跡だから。
《あんたが知りたいことは、その書の中にある》
死霊王がイヒヒと笑う……
《今までの弟子がどうなったのか、相棒の白竜の死をどう受け止めていたのか、あんたのことをどう思ってたのか……ぜんぶ書いてあるよ》
アタシの手が、書へと伸びる……
《自分がブラック女神の器だと気づく前の日記だからねえ。全部が全部はっきりと書いてあるわけじゃあない。だけど、最後まで読めばわかるよ、どうしてあいつが勇者が敗北した後の世界を見たがっているのか。神の奴隷であり続けることの苦しさが、ビンビンに伝わってくるからね》
「奴隷って、そんな」
《奴隷だよ。自分の愉しみは一切無し。死ねない体のまま、くそったれな世界の為に、やりたくもないことばっかやらされてたんだからさ》
「やりたくもないって……」
胸がズキンとした。
「……勇者なんか、育てたくなかったってこと?」
《ウヒヒ。さぁぁ、どうだろう》
いやらしい顔で、ベティさんは笑っている。
《知りたきゃ、自分で読めば?》
『ジャンヌの剣』を左脇に抱え、宙に浮かんでいた本をつかんだ。
胸が痛いぐらいに苦しい。
この中に真実があるのかと思えば思うほど……
アタシは震える手で、書を開いた。
最初のページは、こう記されていた……。
○月×日
午後、百一代目勇者ジャンヌを引き取る。
朝食 パン。カフェ・オ・レ。
昼食 なし。
夕食 前菜 生ハム。ラディッシュのサラダ。
メイン キノコのクリーム煮
デザート ヨーグルト
「献立ノートのまま????」
死霊王はぶふっとふきだし、それからおなかを抱えてゲヒヒヒヒと大笑いを始めた。
「ちょっと、ベティさん、どういうこと? アタシを騙したの?」
《騙しちゃいないよ》
笑いながらベティさんが、指をパチンと鳴らす。
《もっかい読んでみな》
最初のページに、目を戻した。
* * * * * *
○月×日
賢者の館に、百一代目勇者を迎え入れた。
名前はジャンヌ。六才の女児だ。
この世界出身の人間を弟子にとるのは初めてで……非常に厭わしかった。
ご両親は最後まで、ジャンヌが百一代目勇者である事に納得がいかぬようだった。
二年前が魔王戦だったのだ。魔王戦の後に産まれた者か、以後に異世界から来た者が、現勇者ではないか? と主張し、娘を連れて行かないでくれと何度も懇願してきた。
しかし、勇者には勇者がわかる。九十六代目勇者であった私が『離れがたく思える者』が勇者なのだ。
ジャンヌが百一代目である事は間違いなかった。
勇者は使命の時を迎えるまで、世俗と交わらず、山の中の賢者の館で暮らす。そこから出る事はできず、外の世界の誰とも接触してはいけない。手紙を交わす事すらできない。そう伝えると、両親はこの世の終わりが来たかのような顔になった。
ジャンヌの義兄は、ジャンヌを離すまいと最後まで抱きしめていた。
義兄からひきはがすと、ジャンヌは火のついたように泣き出した。
賢者の館に着いてもジャンヌは泣きやまなかった。居間の隅に座り込み、家族の名前を呼び続け……やがて疲れ果てて眠ってしまった。
自分が人さらいに思えた。
いや……人さらいよりも罪深い。
私はジャンヌから何もかもを奪ってしまったのだ。家族も、人としての未来も……
ジャンヌの未来は三つ。
勇者として魔王と相討ちとなるか、
私の跡を継いで賢者となるか、
この世界を捨て異世界に移住するか。
それだけだ。
愛する家族とは、もう二度と暮らせぬのだ。
今までの弟子は、異世界から迷い込んだ者たち。家に帰る術を持たぬ者たちだった。魔王を倒せば故郷に戻れると教え、彼等を導いた。育てることに迷いはなかった。
しかし、ジャンヌを見つめていると、胸が痛む。
私は……世界の平和の為に、この幼子を犠牲とするのだ。
●付記
夕食の支度中、ジャンヌが現れた。
一人でいるのが寂しかった模様。始終、私の後ろをついて歩いた。
手をさしだしてやると、ようやく少しだけ笑った。
夕食はあまり食べなかった。口に合わなかったのか? もっと子供が喜びそうなメニューにしよう。
* * * * * *
次のページを見たけど、それは献立ノートのままで……
すももに、プリンに、ベリータルト……甘いものがいっぱい記されていた。
《細工を消したのは、最初のページだけだよ》
死霊王がフヒヒと笑う。
《そっから先も読みたい?》
「読みたいわ!」
あたりまえでしょ!
《そうかい、そうかい》
ベティさんの青い目がギラリと輝く。
《なら、相応の対価を払いな》
「え?」
《当然だろ? あたしゃ、魔族なんだ。見返り無しじゃ、動かないよ》
ぐっ!
「それって魂を寄越せ的なヤツ……?」
赤い唇がニタリと笑う。
《ウヒヒ。そこまで図々しくないよ。あたしの願いは、ほんのささやかなもんさ》
「なによ?」
《キッス》
「え?」
《あんたと、ラブラブチュッチュしたいんだ》
え〜〜〜〜〜〜?
ちょっ! やめて、迫って来ないで!
「無理無理無理無理!」
《ヒヒヒ。お口にチュッ、だけだよ。それ以上はエロイことしないからさ》
「ぜったい嫌!」
ファーストキスだもん!
あげるわけにはいかないわ!
《チッ。なら、ほっぺだ》
「ほっぺ?」
《ほっぺにチュッなら、挨拶だろ?》
「でも、」
《おちちょーちゃまの賢者の書、読みたいんだろ?》
「……読みたい」
《なら、お礼を先払いしとくれ》
「う……」
《頬にぶちゅっと一発だけだからさー 目ぇつぶって、体の力を抜いて……》
「………」
頬にキスなら、家族や友人との挨拶だわ。リュカやジュネさんからされた事もある。
たいしたことないわ。
だけど……
なぜか……
鳥肌が立つほど嫌だった。
ベティさんが顔を近づけてくる。
白粉で真っ白な顔。唇は真っ赤で、目の周りだけ黒い。吊り上がった目に、高い鼻……美人ではあるんだけど。
甘いお化粧の香りに混じって、ツンと鼻をつく臭いがするのだ。ゾンビ臭いというか、これは死臭だ……。
「やっぱ、無理!」
アタシが叫ぶのとほぼ同時に。
ポケットから半透明な緑のゼリーが飛び出し、アタシとベティさんの間の壁となった。
《なんだい、こりゃ!》
ポチ! 心話でアタシの心を読んで、それで……アタシが嫌がってたから、守ってくれたのね。ありがとぉぉぉ!
ぐにょぐにょぶるぶるの不定形なバイオロイドに守られながら、アタシは死霊王から距離をひらいた。
「アタシ、できない」
《なんだって?》
「頬でも嫌なの! ごめんなさい! キスはやめて!」
《はぁん……邪悪なんぞに触れられたくないってか?》
「違うわ、そうじゃない。ベティさんのこと、アタシ、ただの邪悪だなんて思ってない。そりゃ、下品だし、うさんくさいけど……でも、何度も助けてもらった。友人だと思ってるわ」
《ふうん?》
「だけど、キスは嫌なの。自分でも何でだかわからないけど……許しちゃいけない気がするの」
《許しちゃいけないねえ……》
厚化粧の顔をしかめ、ベティさんが舌打ちをする。
《勘だけはいっちょまえか》
ん?
《後悔するよ。ゆーちゃちゃま》
ベティさんが、パチンと指を鳴らす。
《本を見てごらん》
表紙の題字が、『賢者の書』ではなく、『備忘録』に戻っている……
最初のページも献立表になっていた。アタシをひきとった日に綴られた思いは、消えてしまっている……。
グヒヒと、死霊王が笑う……
《もっかいチャンスをやるよ。あたしゃ、心優しい女……いや、今は男か、ま、心優しい死霊王だからねえ。あたしの愛を受け入れるなら、その本の偽装をぜぇんぶ取り払ってやるよ。さぁぁ、どうする?》
読みたい……
読みたい! 読みたい! 読みたい!
お師匠様の本心が知りたい!
だけど……
アタシは、小さくかぶりを振った。
《はぁぁ? 真実が知りたいんだろ?》
知りたいわ!
だけど! 理屈じゃないの! 嫌なものは嫌なの!
《このバカ、どっちが得かよぉぉく考えな。ほんのちょっとあたしを受け入れるだけで、あんたは、》
《百一代目勇者様はあなたを拒絶したのです。これ以上の醜態を晒さず、退散なさい》
冷たい声がした……
この声は!
《誰だ?》
アタシの視界を水色のものが覆う。
ポチよりも前に、水色のひとが現れたのだ。水色のローブに、水色の髪……肩より下の辺りで結ばれたそれは、腰のあたりまで届いている……
アタシを背に庇うようにして立っているのは……
胸がきゅぅぅんとした。
「ラルム!」
復活したのね!
良かった!
《ケッ、なんだい、あんたぁ》
《百一代目勇者様の水精霊です》
《チッ、うせな、目障りだ》
《同じ言葉を返してあげます。醜い魔族よ、立ち去りなさい。主人の目の穢れです》
は?
《へぇぇぇ……面白い口を叩くじゃないか……精霊ふぜいが》
ベティさんがおっかない顔で、ラルムを睨む。
《事実を述べただけです。あなたは、粗暴で低俗な邪悪です。存在自体が、百一代目勇者様に悪影響を及ぼします。私の主人に近寄らないでください》
「やめて、ラルム。ベティさんに謝って!」
どうして、あんたってば空気が読めないの! 相手は、よその世界の魔王なのよ! 四散させられちゃうわよ!
《魔王?》
アタシの心を読んで、ラルムが鼻で笑う。
《そこに居るのは、みすぼらしい『首』です。恐れるに足りぬ、卑小な存在ですよ》
「ラルム!」
《上等だ!》
ベティさんがギン! と目を光らせる。
《ぶっ殺してやるよ!》
「やめて! ごめんなさい! アタシが謝るから!」
ベティさんがラルムに襲いかかる。
その動きは凄まじく早く、アタシの目にはベティさんの攻撃がまったく捉えられなかった。
けれども……
激突の後、吹き飛んだのは……
《できることならば、跡形もなく消去してやりたい》
氷すらも凍りつかせそうな冷たい声が響く。
《しかし、死霊王を滅ぼすのは私ではない。あの方とあの方の子孫たちとまみえる日まで、存在を認めてあげましょう》
首から下を失い、ベティさんは生首だけになっていた。宙に浮かび、信じられないって顔で目を見開いている。
《その力……まさか、あんた、天界の、》
《今頃気づいたのですか? 顔と頭だけではなく、目も悪いようだ》
ラルムが右手をスッとあげる。
《死霊王、立ち去りなさい。目障りです》
パシャッと水音が響き……
ベティさんの首までもが消える。
「な?」
なに、これ、どういうこと?
「ラルムがベティさんをやっつけたの?」
《『ベティさん』……ですか》
ゆっくりと、アタシの水精霊が振り返る。
《あんなものにまで心を許して……本当に、あなたは愚かだ》
鼻筋が通った、端麗な顔。カガミ マサタカ先輩にそっくりな精霊は、切れ長の瞳を細め、不愉快そうにアタシを見下ろした。
《カガミ一族の仇敵だとわかっていらっしゃるくせに》
え?
やっぱ、そうなの?
『死霊王』は魔界じゃ、わりとポピュラーな呼称だって聞いたから……ジパング界で暴れたのは、別の『死霊王』かもって……
《どこまで脳天気なのです。他に『死霊王』がいるのだとしても、死者の肉体を弄ぶ魔が幾体も居るものですか》
ラルムがアタシを睨む。
《あれは、カガミ マサタカ様の仇です。カガミ一族を皆殺しに、ジパング界に死者の王国を築こうとした、憎むべき魔です》
そうなのか……
カガミ先輩たちの仇は……ベティさんだったのか。
《だというのに……》
ラルムが形のいい眉をひそめる。
《真実をお伝えしても尚あなたの心には死霊王への好意が残っている。どうして、あなたは……そんなにも愚かなのですか……》
凝っとアタシを見つめ、
《無計画に、その場その場の感情だけで動いて……次から次に魔族を仲間にしていって……魔族にも情を示して……。その愚かな行為が神々の目にどう映るか、気にも留めない……》
アタシをののしりながら、
《もしも、あなたが死霊王の誘惑にのっていたら……私は……》
ラルムは泣きそうな顔をしていた。
《あなたを、この手で……》
「ラルム……?」
ふわっと包み込むように、ラルムがアタシに触れてくる。
「ラルム?」
声をかけても、返事すら返さない。
そのまましばらく、アタシは水精霊の腕の中に抱かれていた。滝の側に居るかのような、爽やかな水の香りを感じながら……。