◆三つの夜2◆
《汝に許される剣は最後の一撃のみ。魔王に触れしもの石となり朽ち果て、魔王を弱める力すべて霧散する。五人の仲間を選び、導き、守り、癒すことこそ、汝の戦と心得るべし》
カンタン様の宿敵は、石化の呪いを持ち、あらゆる弱体魔法を無効とする魔王であった。
そのような強敵を相手に、勇者であるカンタン様はたったの一撃しか攻撃を許されていなかった。……託宣ゆえに。
魔王に触れずに戦えるもの――わしと魔術師のベランジュとインガが攻撃役となり、僧侶エルマンと学者ユーグが回復・補助役として参戦した。
カンタン様は、石化の呪いを受けぬ大盾をお持ちとなり、異世界より手に入れた秘術で魔力回復空間フィールドを築いて、我等をお守りくださった。
九十八代目勇者カンタン様……
敵の攻撃を受け止める、パーティの盾。
五十八歳というご高齢でありながら、誰よりも逞しい、鍛えに鍛えあげられた肉体をなさっていた。
その頼もしい背は、我が目に焼き付いている。
何ぞ一つ願いが叶うのであれば、あの日をやり直したい……。
前に出過ぎた愚かな狩人を庇ったが為に、あの御方は……
右半身が石化し……
起き上がることはおろか、唇を動かすことも、声を発することもできなくなり……
『最後の一撃』をカンタン様にやっていただかねば、託宣が叶わなくなるゆえ……
やむなく、シメオン様が……
カンタン様と相討ちで、魔王は滅びた。
世界は救われたのだ。
しかし、勝利の喜びはなかった。ただ、ただ、むなしいだけだった。
シメオン様も、エルマンも、ユーグも、ベランジュも、インガも……誰一人わしを責めなかった。
ばかりか、石化の呪いを受けて右手を失ったわしを気づかい、治療できぬものかとあらゆる手を尽くしてくれた。カンタン様の仲間として……友人として……接してくれた。
ほんに、申し訳ない。
わしなど捨て置いてくれてよかったものを……
カンタン様を殺したのは、わしだ。
罪の意識は、日ましに大きくなっていった。
死んで詫びたかった。が、エルマンに止められた。
わしが自死しては、カンタン様の死がむなしいものとなる。弓持てぬ狩人のまま生き続けろ。そして何か一つでいい、カンタン様が喜ばれるであろうことを成し遂げてみせろ。それがあの方に報いることになる……エルマンはそう言ったのだ。
カンタン様に救われたこの命……生かせる道は無きものかと探し続けた。
黄金弓の使い手を育て、次代の勇者様を支えることができればと思ったのだが……
愚息は狩人の道を選ばず、愚孫は生き物を殺せぬ体質だった。
むなしく年月ばかりを重ねてきたが……
百一代目勇者様の代でご報恩の機会に恵まれ、わしとエドモンはジャンヌ様の仲間となった。機械の体まで得て、わしは再び戦える体となった。
じゃが、共に魔王と戦ったエルマンは、魔王に与して亡くなり……
今は、シメオン様まで……。
全ての歯車が狂い始めたのは、カンタン様が亡くなったあの魔王戦からではなかろうか。
そう思えてならぬ。
だとしたら……全ての罪は、このわしにあるという事だ。
「申し訳ございません。お話しできることは何もありませぬ……」
ジャンヌ様に頭を下げた。
魔王戦でカンタン様がどうなったのかなど、お答えできぬ。
勇者のその後を語るのは、禁忌。語ろうとしても神からの制約がかかり、音声も書いた文字も神の御業にて消去されるのだと、昔、シメオン様はおっしゃっていた。
それと承知で語ろうとすれば、神の罰が下る。教えろと乞うた者も、同罪だ。
わしはともかく、ジャンヌ様を罪人とするわけにはいかぬ。
カンタン様の死をお教えするわけにはいかぬ。
しかし、もう……
ジャンヌ様は、ほぼ真実に行き着いておられる。
ご想像の通りです、ジャンヌ様……
カンタン様の死に、シメオン様は関わっておられます。
しかし、それは……
カンタン様のご意志でした。
あの御方はわしらを守りぬきたいと強く望まれ……
シメオン様はその思いに応え、あの言葉を口になさったのです。
『この世界の礎となってくれ、勇者よ』……と。
* * * * * *
シャルロットさまはお命が危なかった……らしい。
わたしは、シャルロットさまとほぼずっと同じ部屋にいた。
『泥棒ホイホイ 君』を適当に置い……じゃなくって! お屋敷の要所要所に配置した後は、『ちゅーちゅーマウスくん』たちが送ってくる情報をモニターしつつ、シャルロットさまのお世話係を務めていたのに……
そんな大変なことになっていたなんて、ぜんぜん気づかなかった。
昨日から、シャルロットさまはうたた寝しているようなお姿によくなっていた。
長椅子や『ゲボク』さんにお体を預けて、瞼を閉じて。ご自分の五感を断って、ボーヴォワール邸のどなたかの目と耳を借りておられたのだ。
魔法使用中は、シャルロットさまご本人は何も見えないし、聞こえなくなる。だから、シャルロットさまが長い間沈黙なさっていても『あちらでお忙しいのだな』ぐらいにしか思ってなくって……。
シャルルさまとジョゼフさまが血相を変えてこの部屋を訪れた時には、本当に驚いた。
ジョゼフさまが左手首のリボンをシャルロットさまのものに重ねられ、
シャルルさまは何か呪文を詠唱され、
慌ただしく魔法医が現れて……
わたしも気が動転してしまった。
しばらくして、シャルルさまは『魂が肉体に返った。もう大丈夫だ』とおっしゃったけれども。
シャルルさまとジョゼフさまが退出された後も、
魔法医が治癒魔法をかけ続けてくださっても、
シャルルさまからお見舞いの花籠やお菓子が届いても、
日が陰った後も、
シャルルさまからテオドールさまたちと出かけるとメッセージが届いても、
シャルロットさまはお眠りになったままで……
不安で不安でしょうがなかった。
「……アネモーネさん……?」
シャルロットさまのお目がうっすらと開いた時には、ぶわっと涙があふれた。
良かった……
ほんとうに、良かった。
おそばにいながら何もできず、申し訳ありませんでした!
次こそは、きちんとお守りします!
魔法のことはさっぱりわからないけれども! シャルロットさまにご負担がかからないように、お父さまの発明品でしっかりサポートします!
……心からそう思った。
魔法医が帰られてからじきに、シャルルさまがお見えになった。
「あらあらあら、いつお戻りに?」
「たった今だ。おまえが目覚めたと、魔法医から報告があったのでね。顔を見に来たのだよ」
「まあまあまあ。お忙しい中、ありがとうございます」
「おまえに勝る大事はないよ。私の大切な妹、おまえが無事で本当に良かった……」
シャルロットさまの手をとって、シャルルさまが接吻する。
病の姫君を見舞う恋人みたい。お二人とも、お揃いの金の巻き毛で碧眼。お顔だちもよく似ている。どう見ても、兄妹だけど!
「シャルロット、頼むから、もう無謀は慎んでくれよ」
「その言葉、そのままお兄様にお返ししますわ。石化魔法の使い過ぎで虫の息になってしまわれていたくせに」
「面目ない」
「不甲斐ないお兄様に代わって、私が頑張りましたのよ」
「すまない。しかし、この通り体力も魔力も回復した。私はもう完璧だ。荒事は私に任せ、平和な地に艶やかに咲き続けて欲しい……おまえは私の愛する薔薇なのだから」
「あらあらあら」
「おまえが優秀な魔術師であることは承知している。けれどもね、気高き美を守る事が薔薇の騎士たるこの私の使命。私の手で、おまえも守りたいのだ」
「うふふ。お兄様がそうお望みでしたら……」
微笑んで見つめ合う、美男美女のゴージャス兄妹……
なんというか……雰囲気がありすぎというか、お言葉が意味深すぎというか! そばで見てるこっちがドキドキしちゃう!
「テオ兄さまと使徒様とお出かけでしたのよね? ご用事は終わりましたの?」
「大方ね」
「もしかして、途中で抜けていらしたの?」
「一刻も早く、おまえの無事な姿が見たかったのだよ」
「あらあらあら、困ったお兄様」
「大丈夫だ。使徒様の聖戦語りに、みな圧倒されていた。私が席を外したことなど、誰も気づいていないさ」
「まあまあまあ」
「テオもいる。何かあればフォローしてくれているよ」
「うふふ。でも、お兄様がのんびりさんでいらっしゃるということは……大事なお話はもう終わってますのね? 王国からの介入は回避できそうですの?」
「理不尽は理不尽をもって制する……テオの作戦勝ちだよ。使徒様の聖戦語りで相手を煙に巻いて、こちらのペースにもちこみ……理をもって諭し、現段階での軍の介入は不要とご理解いただいた」
「よかったわ。アネモーネさん、あとでジャンヌさんのお部屋におつかいをお願いね。もうおこもりしなくて大丈夫と、ニコラくんに伝えてあげましょう」
「はい、かしこまりました」
「ついでに、援助いただけるのなら当代の勇者様にふさわしい形でと、お願いしてきた」
「と、おっしゃいますと?」
「ジャンヌさんの伴侶候補の招聘を頼んだのだ。それが一番の協力だろう?」
「候補の方は多いに越したことはありませんけれど。仲間にできそうな方って、まだいらっしゃるの? ジャンヌさん、この国を代表するような猛者とはもうお見合いなさってますわよね? お兄様の案内で、王城で」
「そうでもない。あの時、招けなかった強者も多い」
「あら」
「託宣から日も浅かったのでね、軍とギルドを間に挟んで自薦他薦の人物を集めただけだったのだよ。軍の中でも職務を理由に辞退した方もおられたし、世に埋もれている人物を招聘する事も叶わなかった」
「まあ」
「だからこそ……国の強制力をもって対面の場を改めてもうける意味があるのだ。名だたる軍人はもちろん、世捨て人のような暮らしをなさっておられる方にもご参加いただく。百代目や九十九代目の仲間だった方々、その弟子、剣豪、呪術師、魔法剣士、海賊……戦闘力が高いと評判で且つジャンヌさんと面識のない方々は、既に諜報組織に調べさせてある。ジョブ被りか否かジャンヌさんがときめける容姿かは度外視し、全員を招聘していただこうと思っている」
「移動魔法で王城に戻るよ。今宵はあちらに泊まる」
「無理だけはなさらないでくださいましね。また倒れてしまったら、おマヌケすぎますわよ」
「肝に銘じておこう。おまえを置いて行くのは辛いが……決して寂しい思いはさせない。夢の中で逢いに行くよ、シャルロット、夜が明けるまで共にいよう……」
うはぁ!
それ、口説き文句じゃありませんか? 相手は、実の妹ですよ???
「楽しみですわ。今夜はとても賑やかね」
シャルロットさま、ぜんぜん動じてない!
「夢で、ジョゼフ様とお兄様のお二人に会えそう」
シャルル様の頬がピクッと動く。
「……ジョゼフ君?」
「うふふ。よく会いに来てくださいますの。ジョゼフ様はお優しいから、夢の中でも私を大事にしてくださいますのよ」
「そんな夢を見ているのか……」
「お兄様。夢で会えたら、ジョゼフ様にきちんとお礼をなさってくださいね」
「礼?」
「当然ですわ。お兄様が失神してから、みなさまとてもとてもご苦労なさっていたのよ」
「う」
「殊にジョゼフさまには、私、本当にお世話になりましたのよ。私が生きているのは、ジョゼフ様のおかげ」
「ぐ」
「現実では既に、謝辞をお伝えくださったのでしょう?」
「……いや、まだだ。多忙だったのでね、ジョゼフ君と私的な会話を交わす暇がなかったのだよ。明日にでも、伝えておこう」
シャルルさまは苦虫を噛み潰したような顔なのに。
対するシャルロットさまは、ニコニコ笑顔。とても楽しそう。
「それでは、私は……」
「ああ、そうだわ」
シャルロットさまが、ポンと手を叩く。
「お待ちになって、お兄様。お伝えしなければいけない事がありましたの。ジャンヌさんのお部屋の結界に、致命的な欠陥がありますのよ」
「なに?」
「アネモーネさんが発見しましたの」
欠陥って……昨日ご報告した、あのことよね?
「わたし……シャルロットさまにご推薦いただいて、オランジュ邸の警護の役についています……お父さまの発明品を設置したり、巡回させたりして、不審者に備えていたのですが……」
幸いなことに、異常なし!
侵入者無し!
来客も無しだ! 出入りの商人すら来なかったんだけど!
シャルルさまの視線を意識しながら、私は物入れからお父さまの発明品を取り出した。
「不審者が怖い? こんな時には、これです! 小型スパイロボ『ちゅーちゅーマウスくん』! 何処にでももぐりこみ、スパイ目とスパイ耳で情報収集! 不審者が現れたら、あぶり出します! もちろん! いざという時のための自爆機能も搭載! 今回、警護にあたって同タイプのものを十機、巡回させてます!」
わたしは上目づかいに、シャルルさまを見つめた。
「実は……この子、勇者さまのお部屋に入れてしまったんです」
シャルルさまが、眉をひそめられる。
オランジュ邸にはシャルルさまが張った魔法結界があって、最も厚い守護結界が張られているのは勇者さまのお部屋……リュカくんやニコラくんが籠っているあそこだ。『関係者(と、シャルルさまが承認した者)』しかあの部屋に入れないし、中も覗けない。無理矢理入ろうとしても弾かれるはずなのに。
「……たぶん、生命が無い+邪悪でもない=安全な無機物と判断されたんだと思います」
シャルロットさまが悪戯っぽく笑われる。
「スパイネズミさんは自爆装置を搭載しています。いっぱい忍び込ませれば、ジャンヌさんを暗殺できましてよ」
「……その可能性はあるな」
「侵入限定の条件付けが難しいのは存じていますわ。承認された人間以外何もかも弾くよう設定してしまうと、裸でしか結界内に入れなくなってしまうし、空気の対流すら起こらなくなりますもの。でも、このままではあの部屋の結界、使い物になりませんわ。ダメダメですわね」
「……おまえの言う通りだ、シャルロット。近日中に結界は作り直す。完璧なものとしてみせよう」
「うふふ。それでこそお兄様ですわ」
シャルルさまがこっち来た!
片膝をついて、跪くし!
はわわわ! キターッ! 右手の甲にチュッ!!!!!
「アネモーネさん、ご指摘ありがとうございました。天使のように可憐で、それでいて聡明で……天は二物をあなたに与えたのですね。あなたは神が与えたもうた奇跡だ……あなたに共にあれたこの一時を、私は生涯忘れないでしょう……」
わたしにまで、そんな! 口説かなきゃしゃべれないんですか、シャルルさま???
「うふふ」
お顔の色はまだ優れないけれども。シャルロットさまは、とてもご機嫌だ。
「私のお兄様、面白い方でしょう?」
「はぁ」
凄かったです。
まえに、『お兄様が好きすぎて、他の殿方なんて視界の隅にも入りませんでしたのよ』っておっしゃってたけど。あんな個性的な方が側にいたら……そうなりますよね。
* * * * * *
お師匠様の備忘録を開いた。
夢の中の声が気になってたまらないから……。
――備忘録って書かれた本さ。あれに真実が書いてある。
けど、何度読み直しても。
究極魔法のことも、勇者が敗れた未来をなぜ見たいのかも、お師匠様がどんな気持ちでアタシと旅していたのかも、さっぱりわからない。
あまりにも内容が変なので、テオは暗号で書かれたものじゃないかって言ってたな。
単語の頭だけ拾ったり、反対に最後の文字に注目したり、一文字抜いてみたり、逆から読んでみたり……アタシもいろいろやってみたけど……
ダメなのだ。
まったく読み解けない。
最初のページは、こう。
○月×日
午後、百一代目勇者ジャンヌを引き取る。
朝食 パン。カフェ・オ・レ。
昼食 なし。
夕食 前菜 生ハム。ラディッシュのサラダ。
メイン キノコのクリーム煮
デザート ヨーグルト
でもって、その次のページ……
○月×日
ジャンヌは、ニンジンと魚が苦手なようだ。
プリンと鶏肉とタルトは、よく食べた。好物だろうか。
朝食 パン。カフェ・オ・レ。蜂蜜。バター。すもも。
昼食 前菜 アスパラガスのサラダ。
メイン 魚のフライ。芋のフライ。豆の煮込み。
デザート プリン。
夕食 前菜 魚のパテ。青野菜のサラダ。
メイン 鶏肉のグリル。ニンジンとインゲンのソテー。
デザート ベリータルト
どう見ても献立ノートよ!
ああ、だけど……ただの献立ノートなら魔界にまで持ってくわけないし。しょっちゅう書き込んでたし……やっぱ、暗号……?
精霊達に知恵を貸してって頼んでも、《暗号には見えないね、うん》とか《ジャンヌって、けっこー好き嫌いはげしいんだー》とか言うだけ。……役に立たない。
眠くなるまで備忘録を読み直して。
それから、アタシはベッドに入った。
目を閉じれば……
ボーヴォワール邸の光結界が、心に浮かんでくる。
依り代を失ったお師匠様は、光の中に飲み込まれ……そして……あの光の中に今も……
――真実はすぐ側にあるってのに、まだメソメソしてるわけ?
うとうとしたら、また声が聞こえてきた。
――ズバッと知っちまいなよ。手取り足取り、あたしがぜ〜んぶ教えてあげるからさあ。さ、名前を呼びな。初回大サービスで助けに行ってやるよ。
名前……?
名前って……
――決まってるだろ、あたしの名前だよ。
あなたの……名前?
――あたしは名前で召喚されるタイプでねえ。めんどくさいだろうけど、きちんと手順を踏んでおくれよ。あたしがそこで、ちゃんと力を振るえるようにさ。
名前……?
なんの……?
――はぁ? もしかして、あたしが誰かわかってないのかい?
ん……?
――あたしの声を覚えてないのか! ほんとに、もう! バカだ! 空っぽな脳みそだよ!
耳のすぐ側で、イヒヒヒと笑い声が聞こえた。
この下品な笑い方は!
「ベティさん?」
目が覚めたわ!
ベティさんよね?
――呼んだ呼んだ呼んだ呼んだ! ゆーちゃちゃま、呼んだね? このあたしの名を!
部屋の中に、ゲヒヒヒと耳障りな笑い声が響き、そして……