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きゅんきゅんハニー  作者: 松宮星
光の檻
215/236

◆使徒聖戦/呪われた部屋の主Ⅳ◆ 前編

 初めて会ったのは……本当は二度目らしいんだが……まあ、俺にとっての初めては、何処かのパーティだった。



 時折、おばあ様からエスコート役を命じられることがあった。

 おばあ様の社交の添え物だ。言われるままに挨拶をし、どこかの令嬢のダンスの相手を務めたりした。


 そんな場所で、

『やあ、ジョゼフ君。新年会以来だね、元気だったかい?』 

 やけに親し気に話しかけてきた男がシャルルだった。


 華美な衣装に、眉の形ばかりかまつ毛までもが無駄に綺麗に整えられた顔、洗練された会話、柔らかな物腰。

 気障を絵に描いたような男だと、思った。


 貴族の中でも、群を抜いて派手。

 目立ってはいた。


 だが、俺は……

 社交界なんぞに微塵も興味が無かったんで。

 目の前の男が誰なのかわからなかった。


 前におばあ様に紹介された誰かだろうとは、察しがついたが。

 何処の家の誰で、おばあ様とどういう関係か、さっぱり思い出せなかったのだ。


 適当に挨拶を返していたら、知ってる振りがバレた。

 シャルルはお上品な態度を崩すことなく、こう言ったのだ。バカな召使をたしなめるような声で……。

『私は印象に残りやすい人間だと思うのだがね……私ですら覚えていないとは。恐れ入るよ。ジョゼフ君、他家と親交を深めるのは貴族の義務だ。由緒あるオランジュ伯爵家の継嗣として、ふさわしい行動を心掛けたまえ。このままの君では、アンヌ様があまりにもお気の毒だ』

 それだけ言って踵を返しやがったのだ。


 なんだ、その上から目線は!

 なんで、おまえに説教されなきゃいけないんだ!


 ムカッときたが、口は開かなかった。

 自制した。


 社交場で喧嘩を売れば、あとあと面倒なことになる。


 くだらぬことで目立ち、おばあ様の不興を買うなど馬鹿げている。


 オランジュ家からは、いずれ出るつもりだった。勇者にされてしまったジャンヌと共に戦い、力となる為に。


 その日がくるまでは従順な孫を演じ続け、監視の目を増やされぬようにする。

 貴族社会の評価などどうでも良い事だ……不愉快な男のことなぞ、さっさと忘れようとした。




 けれども。

 ほんの数日で、再会してしまった。


 おばあ様が、ボワエルデュー侯爵夫妻とその嫡男と令嬢を晩餐会に招待したのだ。


 シャルルはバカがつきそうなほど丁寧におばあ様に挨拶をし、賛辞の言葉を並べたてた(今ならわかる。シャルルはおばあ様を口説いていたのだ。女であれば、赤ん坊でも老女でもいいらしい。守備範囲(ストライクゾーン)が広すぎる……)。

 俺にもやたら優雅な所作で挨拶をしてきた。まあ、所要時間は、おばあ様の時の三分の一程度だったが。


 そして、ボワエルデュー侯爵家令嬢は……

 華やかな笑みを浮かべてこう言ったのだ、『シャルロットですわ。はじめまして(・・・・・・)、ジョゼフ様』と。

 少なくとも、俺にはそう聞こえた。

 だから、俺も『はじめまして、シャルロット様。お目にかかれて光栄です』と礼儀にのっとった挨拶を返したというのに……


 妙な沈黙が、その場に訪れたのだ。


 おばあ様はすぐに『不調法な孫で、大変申し訳ございません』と謝罪し、

 ボワエルデュー侯爵は『面白い冗談ですな。ジョゼフ殿は、機知に富んだ方のようだ。いやはや、噂などあてにならぬものだ』とハハハと笑い……

 シャルルには、冷たい目で睨まれた。


 シャルロット嬢は口元に手をあててコロコロと笑った。

『本当、面白い。ジョゼフ様は、とても素敵な殿方ですわね。今日も(・・・)ジョゼフ様とお話できるなんて、(わたくし)、嬉しいですわ』




 晩餐会の後、おばあ様から話を聞いた。

 新年会で、俺はシャルロット嬢と見合いをしていた……らしい。

 と言っても、挨拶して、通り一遍の会話をして、三曲踊っただけなのだが。


 何処ぞの令嬢のダンスの相手など、それまでに何度もあった。だが、いつも相手の顔などろくに見ない。どうでもいい相手の顔など、記憶の片隅にも残らなかった。

 けれども、その全てが、非公式な見合いだったようなのだ。

 そんなこと、まったく聞かされていなかったが。


『せっかくまとまりかけていたのに。世間知らずで不愛想な上に、これでは……。あなたの記憶力には失望しました。残念ですが、他のご縁を探す事にしましょう』


 ふざけるな、ババア! 勝手に見合いの場をもうけやがって!

 結婚なんかせん! 俺の愛する女は、ジャンヌ一人だ!

 それに、言っただろう? あの令嬢の方が先に『はじめまして』と言ったんだ! だから、『はじめまして』で返しただけだ!

 なのに『シャルロット様がそんなことおっしゃるはずがありません。あの方は、あなたと違って頭脳明晰なのです』で切り捨てやがって!

 あんたはいつもそうだ、俺の話をまともに聞かない!


 ムカッときたが、口は開かなかった。

 不用意な発言をして、これ以上、監視の目を増やされたくなかったので。

 オランジュ家を出るまでの我慢だと、言いたいことは飲み込んだ。


 ただ……

 初対面(正しくは二度目だったようだが)のシャルルが、つっかかってきた理由はわかった。


 妹の見合い相手――社交の場にろくに顔を出さない、まともに会話をしようともしない男――の人となりを見極めてやろうと話しかけてきたんだろう。


 あの日の無礼は、妹の将来を案じての事だったのだ。

 そうとわかればシャルルへの不快は和らいだ。

 破談となるのだ、おそらくもう二度と関わることもあるまいとも思った。




 しかし、何故か……俺とシャルロット嬢の婚約は成立してしまった。


 伝え聞いたところによると、シャルロット嬢が話を進めてくれと父親に頼んだようだ。

 俺のどこをお気に召したのかは、さっぱりわからないが……。見合い相手の顔すら覚えない男だというのに。


 家柄が良く、魔法の才にあふれ、美しく、賢く、社交的で、おしとやか。

 侯爵家の高貴なる薔薇と称えられる令嬢が、俺の許婚となり……


 シャルルは、俺をますます嫌い……


 俺の方も、ナンパなあの野郎がジャンヌにちょっかいを出すようになったのが許せず、


 会えば睨み合う関係になっていった。



* * * * * *



 それが……


 シャルルの護衛をする日がくるとはな。

 夢にも思っていなかった。



 シャルルの奴は、中身はあいかわらずだ。

「お手を煩わせて申し訳ありません。気まぐれな春の風のようなお嬢さん、光輝なるお嬢さん、そして純真な雷のお嬢さん。あなた方の支えがあるからこそ、私は戦えるのです……。この戦いの後で、感謝の気持ちを愛に変えてお伝えしたい……」

 こんな状況だというのに、アレッサンドロの精霊をくどいていやがる。


《はいはいはい。元気になったらねー》

 風結界で奴の体を包んでいる精霊はケラケラ笑い、

《あまりお話にならない方がよろしいわ。お体に負担がかかります》

 光精霊はあくまで看護役に徹している。

《感謝? なに、なに? キミ、なにしてくれるのー?》

 ただ一体(ひとり)、護衛役の雷精霊から多少脈のありそうな返事が。


「あなたが望むことは、何でも……。あなた方はアレッサンドロの精霊(もの)。彼に乞わねば、お話しはおろか、お会いすることすらままならない……。ここで触れ合えるのは、まさに奇跡……。いま何もできない自分が歯がゆいのです……」

 一人じゃ歩けないくせに、口だけはよく回る。

「可憐なお嬢さん……あなたの(ハート)までの道を教えてくださいませんか? いかなる障害があろうとも、乗り越えてみせましょう。薔薇の騎士シャルルは、必ず、あなたのもとへ……」


 ぐっ!


 ぐぉぉ!


 真顔で気持ち悪い台詞を吐くな、馬鹿! 鳥肌が立つだろうが!


 俺の横の学者は、しかし、平然としている。

 再従弟(またいとこ)のイカレた言葉を聞き慣れているのか、聞き流しているのか……


 精霊の方も、《あはは。キミ、ほ〜んと、おもしろいねー》と笑うばかり。まったく相手にしていない。

 だが、シャルルはめげない。

 意識がある時は、女性への賛美と感謝と口説きを繰り返している。


「母のような姉のような慈愛……優しいあなた方の思いやりに包まれるのも悪くはないのですが……やはり、私は紳士としてかよわき女性をお守りしたい。あなた方とは、別の状況(シチュエーション)で時を共にしたいものです……」 


 正直、意外だった。ここまで根性があるとは。

 へらへらヒラヒラしたナンパ野郎だと思っていたんだが。 

 根性のある、ナンパ野郎だったようだ。


 昨晩、賢者に魔力を注ぎこんだ後、シャルルは昏倒した。今も体に力が入らないようだ。自分で歩けず、精霊に運ばれている。

 心臓がだいぶ弱っているらしい。睡眠中に何度か呼吸が止まったようだ。そう聞いている。アレッサンドロの光精霊に癒され、かろうじて生かされている……そんな感じだ。


 なのに、『守りの石化』をかけ直すと言い張っているのだ。この男は。

「確かに、体調は万全ではない。捧げられる魔力も、恥ずかしいほどに些少だ。けれども、私の信仰(あい)は不滅だよ。この私の想いに、慈悲深き女神様は微笑んでくださるかもしれないだろう? ジャンヌさんがお戻りになるまで、私は運命と戦い続ける……そうでなければ、勇者(あのかた)の魔法騎士は名乗れない」

 などと言って。



 テオドールの家の庭。

 石像のように固まっている賢者の前まで精霊に運ばれ、シャルルは体を起こそうとした。

 風結界から離れ、自分の手で魔法剣に触れ、異世界の女神に祈らねば、『守りの石化』のかけ直しができないからだ。


 肩を貸してやった。


 非常に不快そうに眉をひそめたものの、シャルルは俺の支えを受け入れた。奴の美学的に、(女性の姿の)精霊に体重をかけるよりは、軽蔑している俺に体を預ける方がマシのようなのだ。……女性崇拝主義の考えは、よくわからん。


「シャルル……くれぐれも無茶だけはしないでくださいよ」


 再従兄に、シャルルはフッと笑ってみせた。

「命までは懸けないよ。死に場所は心得ている……この世界の命運を小さな肩に担うジャンヌさん……その戦いをエスコートするまでは、絶対に私は死なない……」


 おまえにジャンヌをエスコートさせるか、馬鹿!


 ムカッときたが、口は開かなかった。

 少なくとも……今日はつっかからない。無理をしているこいつに、無駄な体力を使わせたくない。


 賢者に刺さっている魔法剣。

 華美な装飾のそれの柄を、シャルルが握る。

 剣を通じ、魔力を異世界の女神に捧げる為に。

「……麗しき光の女神よ。我が魔力が、あなたの微笑みに応えんことを。輝ける女神の慈悲」






『シャルルは、もう駄目ですね』

 昨晩、テオドールはそう言った。

 アレッサンドロの風精霊がつくった結界の中で。

 シャルルは、ベッドの上だった。やつれた白い顔、深く閉ざされた目、寝息もほとんどたてない。はた目にもわかるくらい、憔悴しきっていた。死人か重体患者のようだった。

『もう異世界の女神の奇跡には頼れません。半日後に賢者様の石化は解ける……そう考えて準備を進めましょう』


『それまでに、使徒様がお戻りになればいいが……』

 水晶珠を撫でながら、アレッサンドロはため息をついた。

『……だが、どうにもよろしくない……星の輝きの訪れは、まだ……遠い……』


『では、戦闘ですな!』

 発明家のおっさんは、妙にはりきっていた。

『お屋敷の警護は、このルネと! 私の発明品にお任せを! 侵入者が怖い? 困ったなーという時にはこれですぞ! 『泥棒ホイホイ 君』!』


 発明家は、ロボットアーマー腹部のトランクから何かを取り出そうとした。

 が、テオドールは、ガン無視した。

『持久戦しかありえません。賢者様は不死。決して倒すことが出来ない上に、移動魔法が使えてしまう。使徒様がお戻りになるまで、我々で時間を稼ぎましょう』

『その通りですな! そんな時こそ、これ! 私の、』と言いかけた発明家は、『少し黙っていてください。大事な話をしているのです』と、テオドールに制される。しかし、『わかりました! では、後ほど! 私の発明品の優秀さをご説明しましょう!』とへこたれない。


『この屋敷の結界が、主神級の実力となった賢者様にどれほど通用するのか……。あの方は存在自体が脅威です……覚醒すれば、この屋敷の周囲に、多大な悪影響をもたらすでしょう……』 


恐慌(テラー)か……』

 俺は苦々しい思いで、つぶやいた。



 英雄世界で、俺は……ブラック女神に手も足も出なかった。

 一気に距離をつめ、賢者もどきに近づいたまでは良かった。しかし……振りかざした俺の拳は届かなかった。

 奴の気に負けたのだ。

 ブラック女神の器は、何もしていなかったというのに……奴の気に弾かれ、倒れ、立ち上がれなくなった。何か巨大なものにのしかかられているようだった。感じるのは、凄まじい圧迫感と、恐怖、そして深い絶望だった。


 精霊を身に宿していても、何もできなかったのだ……。


 あの日の屈辱をバネに、精霊達と修行を積み……今の俺が居る。

 二十九代目キンニクバカことカタギリ ナオヤの助言を聞きいれ、戦闘スタイルも改めた。

 無様な姿を晒さず戦える……そう思いたい。



『私の絶対防御の法はあらゆる攻撃を防ぐ完璧な防御結界を築けます。しかし、効果時間はさほど長くなく、五分程度しかもちません。恐慌対策に、護符や聖絹布、携帯用聖結界リングを人数分用意してあります。邪悪への耐性が増すとは思いますが、その効果は、』


『敵が邪悪? そんな時には、これですぞ! 『聖なる気分にひたっちゃお〜君』、讃美歌詠唱機能付きライトです。それから、組み立て式の『どこでも祭壇』を配置して、神聖さをアップしてはいかがでしょう? 更には、勇者様ご愛用の品『悪霊から守るくん』の改良版をですね』

『ルネ、しばらく黙っていてくれませんか?』

『はっはっは。了解です、テオドール様! それでは、有効と思われる発明品を全てセットアップしておきましょう! 性能説明は後ほどということで!』

 発明家のおっさんは、へこたれなかった。シャルルに匹敵する精神力の強さだった。


『神聖なアイテムを装備しても、信仰心が低ければ神からの恩寵(フィードバック)はあまり期待できません。神聖アイテム以外にも、心のよりどころがあった方がより良い。ご家族の絵姿、髪の毛、手紙、何でもいいのです。生き続けたい、この世界を守りたい、その思いを新たにできる物の所持をお勧めします』


 そう言われて、俺は二つのアイテムを意識した。


 一つは、ピナさんとの契約の証、珊瑚(コーラル)のペンダント。それと同じデザインのものをジャンヌも身につけている、ピオさんとの契約の証でだが。

 それ以上の意味などないが、俺は二人を繋ぐ大切な絆だと思っている。

 図らずも、ペアアクセサリーだし……。

 就寝前と起床時にペンダントを通しジャンヌの無事を祈るのが、俺の日課になっている。

 俺の心のよりどころは、これだ。

 これ以外にない。


 しかし、先程……

 テオドールから、白いリボンを渡されてしまった。シャルロット様からのお守りだ。細々と刻まれている模様は呪文らしい。あの方が自分の魔力をこめてつくったのだそうだ。

……俺だけに贈られたわけじゃない。シャルルやテオドール、アレッサンドロどころか、ルネの分まであった。

 けれども……身につけられない。

 あの方の想いがこもっているとなれば、尚更。

 シャルロット様は、素晴らしい女性だ。時々貴族らしい高慢さが垣間見え、それだけが鼻についたが……容姿、性格、知性、能力、何をとっても完璧で……俺にはもったいない女性だ。


 何故、俺なんかを慕ってくださるのか……

 嫌われる努力もしてきた。無口、無愛想、無反応、無教養、社交界への無関心、(祖母のお仕着せを着るだけの)ファッションセンスの無さ、ファンシー好き……いろいろとダメなところを見せてきたのだが、あの方は変わらぬ笑顔を向けてくれる……。

……俺は、その好意に応えられないのに。


 いただいたリボンは、装備できず、かと言って捨てられず……ポケットの中に仕舞い込んでしまった……。







「シャルル!」


 シャルルが、がくっと崩れる。

 魔力の使い過ぎだ。

 意識を保てなくなった男を、片手一本で支えた。


 アレッサンドロの雷精霊が、石化中の賢者に近寄り、まじまじと見つめる。

《あららー 石化魔法のかけ直し、失敗してるよー 注いだ魔力量が少なすぎたのかなー?》


「石化魔法は、あとどれぐらいで解けますか?」

 テオドールの問いに、光精霊が答える。

《七分後ですね》

 周囲を見渡しながら、風精霊が表情をひきしめる。

《撤退ね。ここは危険だから、お屋敷のご主人さまのもとへ跳ぶわね》




 アレッサンドロと共に、窓の外を見つめた。


 ボーヴォワール邸の美しい庭……その一部が音もなく消え失せ、巨大な陥没穴が開く。

 音がしたのは、穴ができる瞬間ではなく、できた後だった。

 突如削られた大地は、へりの辺りから更に崩れ、穴の中に大量の土砂が流れこみ、根を失った樹木が飲み込まれてゆく。


 シャルルが石化に失敗した為、魔術師協会が動いたのだ。

(賢者には魔法をかけられないので)あいつの立っていた大地ごと、物質転送で遠方へ送ったのだ。

 海中だの土中だの候補は幾つもあったが、最終的には火山の火口が送り先になったはず。


 賢者に刺さっている魔法剣ももろともに溶岩に落ちることとなるが、シャルルは渋りながらも受け入れていた。

 溶岩の中に落ちれば、不老不死の賢者だとて、しばらくは復活すまい。


 そう期待しての攻撃だったが……


《来るわ!》

 アレッサンドロの精霊が叫び、

「緊急退避! 全員、戻れ!」

 アレッサンドロの命令に従い、奴の精霊は全て実体化をやめ、主人と同化した。

 もと魔族のアレッサンドロは、魔の気では決して恐慌にならない。

 奴と同化すれば、奴の肉体が殻となり精霊も平常心が保てるのだそうだ。


 つまり……俺が正気を保てれば、同化中のピナさんやバリバリもまともに動けるわけだ。

 精霊の能力は、精霊支配者の能力次第。そういう事なのだ。


「……  様と子と聖霊の御力によりて、奇跡を与え給え。絶対防御の法!」

 テオドールが、技法を発動させる。


「『絶対防御の法』の効果は五分です。今のうちに、恐慌対策を整えてください」

 テオドールも、窓のそばへと駆けて来た。

『絶対防御の法』が発動したので動けるようになったのだ。さっきまでは、あと二つの所作で技法が発動する状態――腰をひねって、天を仰ぐ変な格好――で止まっていた為、見たくても外が見られなかったのだ。


「ではではでは、早速! 恐慌が怖い? そんな時には、これですぞ! 『ばっく みゅーじっく君』! とりあえず、エンドレスに賛美歌が流れるようにしておきました!」

 ポチッとなっと、発明家が発明品を作動させる。



 窓の外……


 大きく開いた陥没穴の真ん中に、白銀の髪の男が現れる。

 風に靡く黒のローブ。

 宙に浮いている。


 見たところ、消えた時とまったく同じ姿だ。

 いや、多少違うか。もう魔法剣は刺さっていない。

 怪我はしていなさそうだ。

 ローブも焦げてすらいない。


「ノー・ダメージのようですね。うちの庭に大穴を開けたというのに……」

 テオドールが溜息を漏らす。


 魔術師協会渾身の攻撃は、時間稼ぎにもならなかったようだ。シャルルの家宝の剣が、溶岩に沈んだだけか……。


「アレッサンドロさん。精霊を通じ、王国軍、聖教会、魔術師協会に連絡をお願いします」


「学者先生。『現状維持』でよろしいんで?」


「ええ。不用意に突入されても、恐慌被害が広がるだけです。戦いの余波が外に漏れぬよう、周囲を固めてもらう方がまだマシです」



「……進んでは来ないな」

 窓の外の賢者は、動かない。


「この屋敷の結界に阻まれ、前に進めないのでしょう。今はまだ……」


 敵は、無尽蔵に瘴気を生み出す存在だ。


 瘴気が濃くなれば、屋敷の守護結界も削がれてゆく。光の加護が弱まれば、奴も思いのままに動けるようになるだろう。



 俺は、アランから託されたコウモリ型の蝶ネクタイチョーカーを握りしめた。

 これを使うのは、まだ早い。


 だが、おそらく、間もなく……。

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