未来は僕等の手の中
目の前が、真っ白に。
それは、ほんの一瞬で直ったものの。
たちくらみがして。
血の気が引いた。
冷たい汗を感じる。
心臓がドクンドクン早鐘のように鳴っている。
胸が締め付けられるかのように苦しい。
アタシの目は、マルタンに釘付けだ。……正しくは、アタシに降りて来た方が凝視してるんだけど。
「あなたは……」
アタシの口が開く。
しゃべっているのも、もちろんアタシじゃない。アタシに憑依した人だ。
「ああ、そうか……そうなのですか。何となく……わかりました。あなたが……あなたこそが……『あの方』の……」
いきなり異世界に召喚されて。
何の説明もされず。
いきなり『何となくわかった』とか言い出しちゃう先輩といえば!
霊能者のサイオンジ サキョウ先輩!
アタシに降りて来たのは、サイオンジ先輩……ですよね?
「ここは……『あの方』の故郷……。ジャンヌさんのおかげで、ぼくは舞い戻れたのですね……。しかし、ここはあまりにも……」
けど、なんか変。
先輩は、笑顔がトレードマーク。これまでは、先輩に憑依されたとたんに肩から力が抜けまくり、顔の筋肉も緩みっぱなしで、満面の笑顔になっちゃってたのに。
眉間に皺を寄せ、唇を噛みしめ、身を震わせるなんて。
アタシの中のサイオンジ先輩は、ただマルタンを見つめている……。
「荒涼とした雪と氷の世界……ぼくのせいですね。ぼくが依代であり続けてしまったがために……ぼくは何という、取り返しのつかないことを……」
サイオンジ先輩?
やけにシリアスというか……
霊能の力で何かを見ているんだろうけど……
いったい何を?
「もしかして、初めてぼくに降臨した時からご存じだったんですか、ぼくが何者か……。……いや、聞くだけ無駄ですね。あなた様は神の使徒だ。全ては、神々の掌の上……」
アタシの横のクロードが首を傾げる。
「えっと……サイオンジさん? ジャンヌに憑依してるのは、英雄世界のサイオンジ サキョウさんですよね? あの、その、どうしたんでしょう?」
先輩の様子がおかしいって、クロードにもわかったようだ。
アタシに憑依した先輩が、静かに頭を振る。
「ぼくは……ぼくの罪の原点に帰って来たんです。言葉を何千何万重ねたところで、もはや手遅れですが……ぼくが『真の勇者』ではなかったことを、深くお詫びいたします。あなた様と『あの方』に関わる全ての方、そしてこの世界に謝罪します」
むむむ?
どういうこと……?
「ずっと気がかりだったんです。あなた様の世界が、清らかな『あの方』の存在で保たれていたとわかっていたのに……。ぼくは『あの方』を戦いに巻き込み、そして……」
「サイオンジ サキョウ」
澄んだ声が、空気をひきしめる。
響いたのは、生命力と自信に満ちあふれた豊かな声だ。
「きさまがいくら過去を悔いたところで、何も変わらん。自己満足な謝罪など、聞きたくもない。時間の無駄だ」
「……申し訳ありません」
「己の愚を恥じるのであれば、次こそはしくじらぬように生きろ。死にたいのであれば、死んでみせろ。だが、しかし。それが、神の御心に叶う行為であるかは、人の身では測りきれん。きさまが『あの方』の死をひきずっておるように、きさまが死ねば『あの方』がきさまの死をひきずろう。悔いるべきは、どちらかの『死』を選ばざるをえなくなった状況。きさまらは、二人とも努力の方向性を間違えたのだ。俺はそう考える」
「努力の方向性ですか……」
「フッ。しょせん、雑魚は雑魚、脇役は脇役だ」
両手を胸の前でシャキーンと交差させ、指無し手袋の甲の五芒星マークを見せつける、マルタン得意のアレなポーズだ。
「敵が強大であるのなら無理などせず、絶対的で最強な神のごとき存在に頼っておけば良かったのだ・・そう、たとえばこの俺のような男にな!」
そこで、わっはっはっはと高笑いしてから。
使徒様は、びしぃぃっと指をさした。アタシ、てか、アタシの内の先輩に向けて。
「サイオンジ サキョウ! 神の使徒たるこの俺に協力しろ! 俺は、この世界でデカイ面をしている邪悪を祓う! きさま、助手になれ! 何でも見通す眼で、倒す策をひねり出すのだ! 俺のために働け!」
お願い事する時も、上から目線なのね、あんた……。
「承知しました。あなた様のために力の限り働きましょう」と、サイオンジ先輩。
アタシの横でクロードが、「いいなあ……」とボソッとつぶやく。
「サイオンジさん、使徒様に名前を呼んでいただいてる〜 もっともっと頑張って、ボクも使徒様に認められる男にならなきゃな!」
……そいや、あだ名じゃなく、名前で誰かを呼ぶなんて珍しい。……てか、初めて?
サイオンジ先輩は特別扱いなのね。英雄世界で、先輩を憑依体にしてるから?
それとも、先輩と何か因縁があるから……?
「状況説明をお願いします。ぼくは微弱な能力者です。視えるといっても、ぼんやりとしか視えない。全部の情報が把握できているわけではありません」
マルタンのアレな説明を、しもべさんが言い替え、兄さまが捕捉し、セザールおじーちゃんがアタシたちにできる事を伝える。
英雄世界の霊能者は、腕を組み、うつむき加減となった。
先輩、がんばってください。神降ろしが得意な先輩なら、この状況を打破できそうな神さまを降ろせますよね?
って思ったら、先輩はかぶりを振った。
憑依体になってるアタシの考えを読んだのだ。心話は使えないものの、いろんなことが視えてしまう能力者だから、アタシの心の内がわかってしまったのだ。
「たいへん残念ですが、この世界の神は降ろせません」
あら。
「この世界のいと高き方は、あまりにも変わり果てたお姿になっておられる。狂神……ですね。荒ぶり、喰らい、滅ぼすことにしか、心を向けておられない。下手に降ろせば、この世界で最終戦争が起きます」
げ。
「それに、どうやら……それを、神はまだお望みではない。愛し子への想いゆえに、暴走をすんでのところで止めておられる。真の狂神となられるのは、この地上からあらゆるものが死に絶えた時でしょう」
マルタン君たちが全滅したら、ここの神さまは邪悪に喧嘩しかけちゃうってわけね。
最終戦争勃発か……
「この世界の魔王――ジェラールは、その狂神の力で支配領域をつくっているんだな?」
兄さまの問いに、先輩が頷く。
「そうです。狂っておられても、いえ、狂気に陥っておられるが故にですね、ここの神さまは凄まじい力を信者に与えてしまっているんです。邪悪の器となっているジェラール様すら、己の信奉者と認識して、ね」
ジェラール様……?
「なので、ジェラール様の第八の扉を破るには……同等か、それ以上に強力な第八の扉が必要となるわけです」
サイオンジ先輩が、右手と左手の人差し指の指先を合わせる。
「第八の扉同士が激突した瞬間が、こうです。で、どちらかの第八の扉が微弱であればこうなり、」
左の指がポーンと大きく弾かれる。
「実力が伯仲していれば、拮抗状態となります」
再び人差し指がくっつき合う。
「互いに振るう御力が等しければ、互いの存在は同等と言える。少なくとも、いと高き方はそう思われる。『第八の扉』は混ざり合い、排他の力は無効化されます。つまり……」
サイオンジ先輩が、アタシの口元ににこやかな笑みをつくる。
「拮抗した瞬間、ジョゼフさんの光精霊の光速移動でジェラール様に急接近をして、使徒様が神の奇跡を起こされれば全てが終わります。使徒様の大勝利となるでしょう」
「よぉし。わかった。あっぱれだ、サイオンジ サキョウ。その目で、よくぞ真実を見抜いてくれたな」
とことん偉そうな奴に、
「いえ、あなた様のお役に立つことが、ぼくの贖罪ですから」と、先輩が頭を横に振る。
「いや、でも、ちょっと待ってください」
クロードが手をあげる。
「倒し方はわかりましたけど! 魔王に匹敵する第八の扉って、誰がつくるんです? サイオンジさんですか?」
「ぼくですか?」
アタシに憑いた人が頭を掻く。
「不可能です。十二の扉は、こちらの神官一族のみが使える血族の力。ぼくでは、百%無理ですね」
「第八の扉を開けたことのある霊を降ろしても駄目ですか?」
「……亡くなった方々に助力は乞えますが……同等の能力者がいません。ジェラール様は、第十の扉まで開かれたただ一人のお方。欲しいのは、ジェラール様の第八の扉に拮抗する第八の扉なんです」
ぐ。
ようするに、セドリックさんの第八の扉でも駄目ってことね。
んじゃあ、マルタン君なら? あの子、天才でしょ? お父さん以上になるだろうって、セドリックさんも。
「……シェルターの子供は、いずれ父を越える……かもしれない。越えないかもしれない。今後、彼がどんな道を歩むかによって成長も異なります」
むぅ。
「そして、現在は第五の扉までしか開けていない。予知夢と同じ極限状態に置けば開眼するかもしれませんが……五才の幼児ですよね? 悪夢の中に置くことを望まれますか? ジャンヌさん、勇者であるあなたが」
アタシは心の中でかぶりを振った。
あの子を地獄に追いやるなんて、ぜったいにダメ。
あの予知夢を現実にしたくない。あの子の嘆きを本物にしたくない。傷つけたくないんだ。
「ですよね、今はあの子供に未来を託すべきではありません。未来を切り開けるお方は、おそらくただお一人……ジェラール様と同等……いえ、それ以上の力をお持ちの、素晴らしいお方……」
アタシに憑依したサイオンジ先輩が、まっすぐにマルタンを見つめる。
「あなた様は、内なる十二の霊魂をお持ちだ。その御力は、ジェラール様を凌駕しておられます。あなた様の第八の扉ならば、ジェラール様の扉を弾く事すら可能でしょう」
神の使徒が、不快そうに眉をひそめる。
「限定条件が足りんぞ、サイオンジ サキョウ。第八の扉は、この世界の神の信奉者でなければ創造できん。この世界の神は・・俺にとって異教の神だ。今の俺には完全に完璧に毛ほども助力せんだろう」
「その通りでしょう。しかし、この世界のいと高き方は正気を失っておられます。邪悪に堕ちたジェラール様を己の信奉者と勘違いなさってしまうほどに。……更に勘違いをしていただきましょう」
ニコニコと笑いながら、先輩がアタシの荷物入れに手をつっこむ。
中から取り出したのは、黒革の本。
セドリックさんから預かった、時空を司るナントカ神の教典だ。
「並行世界のあり方は、世界ごとに異なりますが……ここは神によって創られた複写……いや、保存データ……バックアップみたいなものですね。おそらくは、『やり直し』の世界……おわす神は同じ……」
独り言のようにつぶやいてから、先輩は教典をマルタンへと差し出した。
「これと、一之瀬さんの共有幻想。その二つがあれば、ここの神さまを騙せると思いますよ。神の使徒様、その教典を手に取っていた日のことをどうか思い出してください。口になさる必要はありません。思うだけでいいのです。それを一之瀬さんの能力が読み取り、現実そのものの幻影を生み出します。その輝かしき幻影を、おそらくは……神さまは愛し子の姿ととらえられるでしょう」
* * * * * *
「え〜 それでは、ぼくが還ってから十分……いや、できれば三十分経ってから、一之瀬さんを召喚していただけますか? あ〜 一之瀬さんではなく、勇者名の『フリフリ』さんと言った方がいいんでしたっけ。まあ、ジャンヌさんからお呼びがかかるって、フリフリさんに知らせておきますので。準備しとかなきゃ、いろいろ危険なんですよ。車の運転中だったら、命に関わりますし」
アタシに憑依中のサイオンジ先輩は、にこやかに微笑んでいる。
そいや、先輩、エスエフ界の時は入浴中だったのよね。魂だけアタシのとこに飛んできて、肉体は溺死のピンチだったとか。
魔界の時はトイレだったみたいだし。
つくづく召喚運が無いというか。
……今回は?
「授業中でした」
サイオンジ先輩が、ひたすら明るく笑う。
「教科書片手に、教壇に立ってたんですよ。いやぁ、授業中に教師がいきなりぶっ倒れたわけですから、クラスのみんな動揺してるでしょうね。トラウマにならないといいんですけど」
て! 今回もマズイ状況じゃないですか!
「まあ、肉体はただ寝てるだけなんですがね。脳卒中の疑いありで病院に搬送中かなー? それとも、保健室に運ばれただけで済んだかなあ?」
早く帰ってください、先輩!
「ははは。還りますよ。フリフリさんに電話しなきゃいけませんし」
そこでゆるみきっていたアタシの表情が、ちょっとひきしまる。
「ジャンヌさん……賢者様のことでお心を痛めておられるようですが……」
お師匠様がブラック女神のもとへ行ってしまったことも、先輩にはわかっているようだ。人には視えないものが視え、いろんな事実が何となくわかってしまう先輩には全てがお見通しなんだ。
「とんでもない。ぼくの力では、視たいと思うものは視られません。漫然と流れてくる意味があるかないかわからぬ情報を、ただ視るだけ。ぼくの能力は、その程度のものなんです」
それでもすごいと思うけど。
「ぼくなんかより真の『勇者』であるあなたの方が、素晴らしいです。ジャンヌさん、あなたの選ぶ道はぜったいに正しい。この先も、自分を信じて未来を切り開いていってください」
ありがとうございます。
サイオンジ先輩が、マルタンに丁寧に頭を下げる。
「神の使徒様。あなた様の器であれることを、ぼくは誇りに思います。正義の為であれば喜んで死に、聖戦の礎となりましょう。必要とあらば、この命、いつでもお使いください」
「あっぱれな心がけだ、サイオンジ サキョウ。きさまに、神のご加護があらんことを」
サイオンジ先輩は還り、次の召喚まで三十分の自由時間ができた。
「・・三十分経ったら起こせ」と、使徒様がお眠りあそばしたので。
天幕の中はしもべさんに任せ、アタシたちはセザールおじーちゃんと合流した。
レジーヌさんが持たせてくれた防寒着だけど。
寝る前に使徒様は『俺の僧衣は戦闘服だ』と言って、着替えるのも重ね着も、拒否。
んじゃ、みんなで分けようかとしたものの。
『動きにくくなる』からと、兄さまはパス。
『サイボーグ体には必要ありません』と、セザールおじーちゃんも遠慮。
アタシとクロードで分け合う事になった。
アタシもドワーフ製鎖帷子を下に着てるから、胴着部分は寒さ知らず。でも、それ以外の部分は普通に暑さ寒さを感じる。手袋とマフラを借りることにした(既にタイツは借りている! シェルターでも毎日履いてた! アタシ、スカートだから!)。
クロードはセーターを借りた。ローブの下に着るって言うから、着替えの間、後ろを向いていてあげた。
それでも防寒着は残ってたんで。しもべさんに預けておくことにした。使徒様の気が変わったら、着てもらうということで!
兄さまは、ピナさんを通じてピオさんと交信。
向こうは特に異常なし。
こっちは「神の使徒とボス戦に行く」と状況も伝えてくれた。
アタシも、契約の証を通じて、向こうに残ってる精霊達――ピオさん、レイ、ヴァン、ピクさんと相談した。
今、呼ぶか。必要になったら呼び寄せるかを。
《呼ぶんなら、戦闘スタートまえがいいよー ほらー 英雄世界でさー ジャンヌ、精霊を呼び寄せられない結界に捕まったじゃない? ピンチになってから呼んでも、手遅れだったりするかもかもー》
《なれど、敵の思考が読めぬ。予知夢の件もある。シェルターの護りを突破されし時の備えも必要であろう。シェルターに、最低でも一精霊は残しておくことを勧めるのである》
《盗賊の坊やもこっちに居るしな。ま、二精霊は残した方がいいと思うぜ。その場合、オレかレイのどっちかはこっちに残留で。いちおう、いろいろ経験つんでるベテランなんでね》
《おら、治癒魔法使えるから……そっち行った方がよくねえ? それとも、こっちで怪我人でた時のために、残ってた方がいい?》
ちょっとだけ考えた。
雑魚の掃除は、兄さま、クロード、セザールおじーちゃんが担当する予定。
ボスのとどめは、マルタンが刺す。
アタシの役目は、特にない。フリフリ先輩に体を明け渡しちゃうから、精霊を使役して何かできるわけでもないし。
精霊にこっちに来てもらっても、特に仕事が無いかなあ?
アタシの体の護衛は、ソルがやってるし。
怪我人の治療役には、使徒様が居るし。兄さまのバリバリも、クロードのユーヴェも光精霊ではあるし。手は足りてるかな?
まあ……雑魚掃除を手伝ってもらえれば、兄さまたちがちょっと楽になるかも?
《なら、ボクとレイさんで決定だね! アタッカー・タイプだもん!》
《さようであるな。主人よ、吾輩を呼び寄せるのであれば、シェルターには分身を残すこととする》
へー 分身。
《本体の百分の一程度の能力しか持たぬゆえ、防衛の役には立たぬ。しかし、知性は本体と同等。分身にシェルターの人間の教育を継続させつつ、本体が戦闘に参加いたそう》
つくづく……あんたってば、いろいろ便利な精霊よね。
使徒様をお起こしするちょっとまえに、レイとピオさんを呼び寄せて。
兄さまはウォーミングアップ済み。
クロードも精神集中済み。
セザールおじーちゃんも、黒いサングラスをかけ、戦闘モード。右手は銃、左手はソードに換装済みだ。
全員準備おっけぇ!
なので、歴代勇者のサイン帳に手をあて、願った。
「フリフリ先輩来てください!」って。




