一晩だけの恋人
「我々から何を受け取り、どんな富をもたらすかは、客人のお心次第。あなた方がどのような決断を下そうとも、決してお怨みいたしません」
セドリックさんの言葉が、チクチクと良心をつっつく。
本音を言えば、できるだけ助けてあげたい。
子供たちだけじゃなく、大人も含めて全員、アタシの世界に移住させたい。
だけど、ここがマルタンの過去世界だったらタイムパラドックスの心配があるし、うちの神様が入界を認めるかどうかわかんないし……
失踪中のマルタンを見つけるまでは、決断を先送りしたいの! ほんとにほんとに、ごめんなさい!
「ですが、せめてこれだけはお持ちいただけないでしょうか?」
セドリックさんの手にあるのは、黒革の本だった。
「神の教えを記せし書。時空を司る 様の教典です」
「え? そんな大事な」
「これは原書ではなく、信者用。印刷された書です。世界がこうなる前は、一族の者が一冊づつ持っていたものです」
それほど貴重な物じゃない、同じものはここにまだ五冊あると、セドリックさん。
「我々が滅びるとも、我々が神と共に生きた証だけは生き続けて欲しいのです。あなたの世界に持って行ってくださいませんか?」
そこまで言われて受け取らなかったら、人非人よね……。
「お預かりします」
「では、勇者様。俺と契約を。俺の名前を呼んでください」
「セドリックさん」
「勇者ジャンヌ様……『客人には知識と助力を、客人からは知識と富を』。あなたと俺の間に絆は成りました」
セドリックさんから、黒革の本が手渡される。
「客人ジャンヌ様、教典をお預かりいただく対価はいかがいたしましょう?」
えっと……
「これ、異教徒のアタシが中を見てもいいんでしょうか?」
「構いませんよ。異教徒に見せるべからずなんて、禁忌はありません」
「でも、普通は信者しか読みませんよね?」
「まあ、見せたことはありませんでしたね。他教の者には意味のない書ですから」
「じゃあ、代償はそれで」
「え?」
「あなた方の大事な書の閲覧権。それを、アタシの住む世界の者に与える……対価はそれで充分です」
アタシを見つめ、セドリックさんが柔らかく微笑む。
「……欲のない方だ」
欲張るも何も。
本を預かるだけだし。
移住の件は、保留にしてるわけだし。
「この本には、どんな教えが記されてるんですか?」
「常に光と共にあれ」
うん、普通。
「聖なる血を受け継ぎし誇りを忘れるべからず」
う。
「内なる十二の霊魂の調和と秩序こそが真理。神と共に生きよ」
うはぁ! もうすっかり! 完全に! 完璧に! ここ、マルタンと関わりある世界っぽいッ!
「修行の書、自己啓発の書として読まれています」
「教典に修行のやり方が載ってるんですか?」
「いいえ、そうではなく。書を繰り返し読むことで、神の御心に近づき、内なる十二の霊魂の扉を開けてゆくのですよ」
む?
「一族の者には、時空を司る神からさずかった力があります。けれども、生まれた時にはまだ最初の扉しか開いていません。赤子の時にできるのは、せいぜいこれぐらいで、」
アタシの手から、黒革の本がパッと消える。
消えたはずの本は、何故かセドリックさんの手に。
「第二の扉が開けば、逆が出来るようになります」
本はセドリックさんの手から、アタシの手の中に戻る。
「物質転送魔法ですね」
「ええ。目に見える範囲なら、呪文すら必要ない。手で物をとるように自然と、取れてしまう」
へー
「第三の扉が開けば、遠くが見えるようになります。何処まで見えるかは、当人の心理状態と信仰心次第。俺が見えるのは1平方km程度ですね」
へー
「第四の扉が開けば遠くの音が聞こえるようになり、第五の扉で空間が渡れるようになります。どの程度の距離を跳べるかは、個々の能力と呪文の補助次第ではあるんですが」
セドリックさんの笑みが、苦笑に変わる。
「マルタンは……さっきのクソッタレな甥っ子は、第五の扉まで開けてやがって、しかも呪文詠唱無しに誰よりも遠くへ跳べるんですよ。脱走の常習犯です」
「え?」
マルタン君が、移動系の魔法が使える?
あれ? おかしいな……うちのは使えないわよね?
てことは、うちのマルタンと、こっちのマルタン君は別人?
むむむ?
「それ、ちょっと見てもいい?」
横からリュカが聞いてきたんで、セドリックさんの方を見た。
「それはもうあなたにお預けしたものです。お好きになさってください」
「んじゃ、借りるね」
リュカが本をパラパラとめくる。
アタシだけじゃなく、兄さまもクロードも、横から覗き込んだ。
分厚い本は、どの頁も文字がびっしり。まるで辞書みたいだ。
アタシたちには、異世界文字を読める自動翻訳機能がある。
とはいえ、とっても読みづらい。
チラッと見た感じ、こうなのだ。
『人の手でつくられしものは、神の御業に非ず。智慧や偶像に溺れしものは、神の御心より離れゆく』
『神に打ちくだかれる前に、安息を』
『十二の扉は祝福であり試練』
『道は神の教えを正しく識る者に開かれる』……
「これ、五才が読んでるんですか?」
天才だわ!
「いや、まさか。丸暗記してるだけですよ」
セドリックさんが、ちょっと朗らかな感じに笑う。
「親兄弟年長者が導師となり、子供たちには赤ん坊の頃から読み聞かせしてますからね」
洗脳教育かよ!
「ま、神の教えを正しく識るのに文字は無くてもいい、そういう事です」
セザールおじーちゃんが真面目な顔で尋ねる。
「族長殿。第六の扉以降を開けるとどうなるのでしょう?」
「第六、第七、第八は、少し説明しづらいんですが、空間形成の力です。第六が攻撃、第七が守護、第八が支配にあたります」
むむっと顔をしかめるセザールおじーちゃんに代わって、クロードが尋ねる。幼馴染は、まだ鼻をズピズピさせている。
「攻撃魔法、守護魔法、精神攪乱系の魔法ってことでしょうか?」
「いや、そうではありません。我々は時空を司る 様の恩恵を受けております。力が及ぼせるのは、空間か時間だけなのですよ」
「ああ……じゃあ、系統的には全部結界魔法にあたるんですね? 第六は結界の外に居る敵を退け、第七は結界の中に居る者を守るとか、ですか?」
「理解が早くて助かります」
「あ〜 いえいえ。ボクは魔術師なので。魔法関係のことだけなら、なんとなく。でも、第八は……う〜ん、よくわかりません。結界の中に居る他人を『支配』する、ですか?」
「第八は、言い換えれば、自分の理想の世界を築くです」
理想の世界……?
「空間に干渉し、自分の望みのままに空間をつくりかえるのですよ」
「すごいですね」
「強力な能力者は、神の楽園を地上に再現できるとされています。しかし、どれほどのものをつくれるかは術師次第で……俺は内なる第八の霊魂にすがって、このシェルターを守護してるんですが、室温は冷蔵庫なみ、バカ甥にはしょっちゅう脱走される……空間形成が甘くって、穴だらけなんですよ。まあ、何とか邪霊どもの侵入は防いでますが、まともにやれてるのはそれだけです」
「第九の扉は?」
「時間に干渉する力です。第九が過去、第十が未来に力を及ぼします」
へー
「しかし、第九の扉まで達した者は、我らの長い歴史の中でも指折り数えるほどしかいません。第八までは、そこそこ居るんですがね。……俺の兄ジェラール、さっきのレジーヌの亡くなった旦那は第十にまで到達したただ一人の人間だったんですが……」
重い溜息をついた後、セドリックさんはやわらかく微笑んだ。
「マルタンは、神から深く愛されています。兄貴似のあいつなら、いずれ第九どころか更なる先の扉をも開けるかもしれない……あいつだけでも生き延びてくれればと思っています」
う。
……話題を変えよう。
「第十一の扉を開けると、どうなるんです?」
「時空を越える能力を獲得するとされています」
「異世界への転移能力がさずかるってことですか?」
「そう解釈した者が多かったですね。まあ、そこまで達した者は居ないので、机上の空論ではありますが」
「次元を越えてよそに行けるようになるんですか? 人間が一人で? 高位な存在の助力を借りずにですか?」
クロードが、ものすごく身を乗り出す。
「すっげぇ、かっけぇぇ! 自由に世界を行き来できるのは、神様か天使か魔族か竜だけだって、天使のキュービーさんは言ってたのに!」
セドリックさんは、うんうんと頷く。そうだったらいいなあって言いたそうな顔だ。
「十二の扉を全て開け、内なる十二の霊魂全てと語らえた者は、教典には神と等しき者となるとあります」
「神様になるんですか?」
「さあ、どうでしょう。『神と等しき者』ですからねえ」
「じゃあ、神の使徒になるってことですか?」
「使徒とは遣わされるものでしょう? 神と等しいと言えるかどうか」
むぅ。
「力を求め過ぎれば不敬となり、神にも等しい肉持たぬ存在となる……天罰を受け、死ぬのだという解釈もありますね」
「え〜 そんなぁ」
クロードが、絶対そんなのダメだって顔になる。
「頑張って頑張って頑張った人間を殺しちゃうなんて、ひどすぎます! 信奉者を幸せにしてこその神様でしょ?」
「その通りですね」
セドリックさんが弱々しく笑う。
「……俺も、そう思います」
柔和な表情をつくっているけれども……セドリックさんはひどく疲れ切った顔をしているような。
ノックが響いた。
扉を開け、マルタン君のお母さんが入って来る。
「セドリック、宴の準備ができたわ」
その表情がいぶかしげなものに変わる。美人は、眉をひそめても綺麗だ。
セドリックさんが、義姉に笑いかける。
「あったかいだろ? 客人ジャンヌ様の御力さ」
ポカポカの室内に驚いているようだ。まあ、さっきまでガタガタ震えがくるほど寒かったもんねえ。
「素晴らしい御力ですね」
「いえ、アタシじゃなく、炎精霊の力です」
《でもでもでもー ボクはジャンヌの精霊だからー》
《わたしはジョゼの精霊だから〜》
赤クマさんとピンク・クマさん。宙に浮かぶ二体が、一斉に、えへっと首を傾げる。
《あったかいのは、ジャンヌのおかげなのー》
《ジョゼのおかげなの〜》
マルタン君のお母さんが、すっごく何か言いたそうな顔になる。
「あの、この加護を、よろしければ子供たちにも、」
「義姉さん」
黙れと、族長が制する。
「炎精霊の力は、客人がご自分の意思で使われているものだ。俺達がもらったものじゃない。勝手はできない」
「失礼しました……」
ピオさんとピナさんのどっちかを貸してあげてもいいんだけど。
でも、どうせなら、さっきのマルタン君にもっかい会いたいし……
「宴の部屋って広いんですか?」
「礼拝室代わりにしてる部屋ですから、まあまあ広いですね。あなた方全員の寝床もそちらに用意しました。まあ、客人ジャンヌ様には、お望みとあらば個室を用意しますが」
そんだけ広いなら……
「じゃあ、みんなで宴の部屋に集まりましょうよ。そちらは十五人で、ほとんど子供なんですよね? こっちは見た目ほど人数居ないんですよ、精霊は小指サイズに縮めますから。せっかくだから、アタシ、みなさんにご挨拶したいし」
「あ、いや……」
セドリックさんと、マルタン君のお母さん。
二人が、何とも言えない微妙な顔になる
「幼児を宴に侍らせたいのですか?」
「私の娘は、まだ二才なのですが……」
「ああ……もう、おねむの時間なんですね」
ちっちゃい子は眠くなるのも早いものね。
「そうではなく」
セドリックさんが、ボリボリと頭を掻く。
「客人歓迎の宴には、ふつー、ガキは侍らせません。『子づくり』のやり方を教えてませんので」
へ?
「宴は、客人との一夜婚を意味します。異世界からもたらされる子種は富ですから」
はい?
一夜婚〜〜〜〜?
「客人ジャンヌ様。名前を呼び合い、俺とあなたの間には絆が生まれている。俺はあなたのかりそめの夫です。あなたが俺の子を宿し、あなたの世界で子を産み、あの書をもって育んでくだされば、望外の幸せです」
子を産み、育むぅ〜〜〜〜?
そうと聞いて、アタシは……
カーッと頭に血を昇らせた。
いやいやいやいや! ないないないない!
セドリックさん、イケメンだけど! 髭もじゃで汚れてるのを差し引いても、格好いいけど! 立派な族長ではあると思うけど!
夫とか、そんなの無理ですから!
「子供を侍らすのは、ご容赦ください。その分、心をこめて、俺があなたにご奉仕しますから」
そんなイケメン声で!
意味ありげな視線を向けられたって、ダメです!
「……俺をあなたの夫としてくださいますね?」
ぐはっ!
胸がキュンキュンした……
心の中でリンゴ〜ンと鐘が鳴る。
欠けていたものが、ほんの少し埋まっていく、あの感覚がした。
《あと二十八〜 おっけぇ?》
と、内側から神様の声がした。
その青い瞳……
曇りのない目は、マルタンそっくりで……
ダメ! もう無理! まともに見られない!
頬をおさえてうつむくアタシ。
その横で。
「ジャンヌの一夜夫だと! ふざけるな、クソおやじ! ぶっ殺す!」
「ジョゼぇぇ、落ち着いてぇぇ」
「そうですとも、ジョゼフ様、文化の差です。婚姻感覚が我々とは異なる一族なのです。百一代目勇者ジャンヌ様を、貶める気など無く、むしろ歓迎しようとしているのですよ」
「オレらの相手って、あのおばさんだったのかなー トウが立ってるけど、いい女だよねー いやー 残念、残念」
《て言ってるけどー ほんとはー 一夜婚が流れそうで良かったって思ってるよね、リュくん》
リュくん……
《そうよね〜 あの女の人、あのヒトのママかもしれないものね〜 こわくて、無理よね〜》
《うん、まあ、その、なんだ》
緑クマさんが、ポンとアタシの背を叩く。
《オジョーチャンは不老不死の賢者になる予定。賢者になったら、肉体の老化が止まる。たとえ子供ができても、出産は何十年、場合によっちゃ何百年も先になる。一夜婚の歓迎は要らないって、あっちに説明しとこうか?》
ありがと……お願い。
《ジャンヌ、げんきだして》
黒クマさんが、おろおろと飛び回る。
でもって、体の中から、
《女王さまに『奉仕』……この髭男、いったいどんなプレイで仕えるつもりだったのでしょう……知りたい! ぜひとも、つぶさに! なのに、心が読めないなんて……あぁぁ、想像力が無限大に……》
バカを怒る気力すらわかず。
真っ赤になって、アタシはうつむき続けた。