ただ春を待つ
跳んでった先は、薄暗い部屋だった。
あまり広くない縦長の部屋だ。
部屋の隅には、並べられた箱が幾つも幾つも積み上げられている。
「ようこそ、異界の方々」
すぐ近くの箱から、ぬぼーっと立ち上がったのは……
背の高い痩せた男だった。
髪はボサボサ、髭はボーボー。室内だってのに、汚れたコートとほつれかけたセーター、シミつきのズボンを穿いている。
浮浪者と言っても、おかしくない外見。
なのに、あまり見苦しくない。
てか、むしろカッコイイ!
ブロンドの髪に、思慮深そうな青い瞳、高い鼻、シャープな輪郭……
イケメンだからか! 汚らしい格好でも、イケメンならスタイリッシュで通ったりするものね!
「族長のセドリックです」
挨拶されたから、一歩前に進み出た。
「はじめまして。百一代目勇者ジャンヌです」
「百一代目勇者……」
何か言いたげな顔だ。
アタシみたいな小娘が、『勇者』で驚いた?
セドリックさんが、笑みをつくる。
「お会いできて光栄です、異世界の勇者様」
優しさがあふれでるような微笑み……に見える。甘いマスクすぎる。
「あなた方を、我が一族は歓迎します。ご覧の通りのあばらや住まいなのでたいしたもてなしはできませんが、『客人には知識と助力を、客人からは知識と富を』、我が教団はギブアンドテイクで成り立っています。仲良くいきましょう」
はあ。
「わかりやすい教えですね」
「我が一族の神、時空を司る 様の教えです」
セドリックさんは、神の名前をはっきりと口にした。
けど、聞き取れなかったのだ。
特殊な単語なのかしら? 自動翻訳機能では変換不可能な。
「義姉さん、宴の支度を」
「ええ」
アタシをここまで運んでくれた人が、ゴーグルとネックウォーマー、それに帽子を外し、あらためてアタシたちに頭を下げる。
「レジーヌと申します。お仲間の方がいらしてくださらねば、私も息子もどうなっていたことか……さきほどは、危ない所を本当にありがとうざいました」
うなじでまとめた亜麻色の髪、青い瞳、ちょっとやつれた感じだけど、美人だ。
子供もわんこの帽子を脱ぎ、ネックウォーマーをずぼっとズラした。
「え?」
ぎょっとして、目をみはった。
ボサボサの髪は、お母さんとよく似た亜麻色。
五才ぐらい?
興奮してるせいか、頬は赤い。でも、痩せてて、不健康なほど色が白くて、目の下にはクマがあって……
「おい、ねーちゃん、こいつ……」
アタシの後ろで何か言いかけたリュカを、
「シッ」
兄さまがこづいて黙らせる。
「はじめまして、オレのはじめてのマレビト」
子供は何というか……すっごい子供っぽい表情をしている。
異世界勇者のアタシを、わくわく見てるのだ。
大きな青い瞳をキラキラと輝かせ、おしゃべりしたくってたまらないって感じに口元をうずうずさせて。
「やっとあえた」
その顔に浮かんだのは、パーッと花が咲くような、とことん明るい、天真爛漫な笑み。
うはっ!
すっごいダメージがッ!
思わずのけぞっちゃったわ!
子供がきょとんと、アタシのリアクションを待っている。
いけないわ、ジャンヌ。
ここは勇者として、ちゃんと挨拶しなきゃ……
まずは微笑みから。
「はじめまして。百一代目勇者ジャンヌよ」
右手をさしだすと、子供はすっごく嬉しそうに手袋をしたままの手を重ねてきた。
冷え切った、小さな手だ。
「マレビト。オレ、なんでもします! だから、オレに、ちからを、」
長身のセドリックさんが、チビッ子をひょいと抱え上げる。
「挨拶はもういい。下がれ」
「え? まだだよ、オレ、なまえを」
「必要ない。俺がもう名乗った」
「このひとたち、オレのマレビトだよ? オレのゆめにきたんだから、オレが」
「だから、代わりに、レジーヌも名乗った。ガキでは宴の相手は務まらん。ションベンして寝ちまえ」
「ずるいよ、おじさん!」
「全ての知識と富は族長に集うのさ。悔しきゃ早くデカくなりな。俺よりのっぽになったら、族長を譲ってやる」
「しんじなかったくせに! むかえだって、オレがいったのに!」
「あ〜あ、そうだよな。勝手に抜け出しやがって。おまえ、もうちょっとでママまで殺すとこだったんだぞ」
「ころさないよ。オレ、みたんだ。マッハなひかりを。だから、」
「やかましい。レジーヌ、こいつはふんじばって、ベッドに転がしておけ」
「おじさんのバカ!」
母親の腕に渡された子供が、赤くなった顔でアタシに叫ぶ。
「マルタン! オレのなまえ、マルタンだよ!」
……やっぱり?
そうなんじゃないかと思ってた。
面影があるなんてレベルじゃない。
あまりにも似すぎているというか……
ちっこくなっただけというか……
ほぼ一緒というか……
だけど、悔しそうに顔をしかめ、ポロポロと泣き出すとか……ないでしょ、あいつなら。
中身が違うんじゃ……?
他人の空似?
「わすれないでね。オレのなまえ、よんでね」
セドリックさんが重たげな鉄の扉を開け、ビービー泣いているマルタン君がお母さんに連れられて廊下へと消えてゆく。
ポリポリと頭を掻いてから、セドリックさんが振り返る。
「どうも失礼しました」
「いえ……」
何とも言えない沈黙が、部屋の中に訪れる。
吐く息が白い。
室内なのに、なんかムチャクチャ寒いんですけど!
「お願いがあります」
言いにくそうに、セドリックさんが言う。
「あのガキがどれほど泣き喚こうが、絶対あいつの名前を呼ばないでいただきたいんです」
「構いませんが、なぜです?」
ま、どうせ『マルタン』って言えないんですが、アタシ……
「この世界では、名前を呼ぶことに特別な意味があるんですか?」
「この世界ではなく、我が一族にとって、特別な意味があるんです。客人と出会ったら、まず名乗り合う。その後、名前を呼び合う。それで絆が生まれ、『客人には知識と助力を、客人からは知識と富を』の契約が成立するんですよ」
セドリックさんが、静かに笑う。
「客人の来訪を予知した者が接待役となり、その返礼を受け取る。そういうルールはあるんですがね、予知夢を見たのが子供の場合、たいていは親族が代役を務めます。受け取るべき富を俺が横からかっさらう形になるんで、さっきあいつは怒ったんですよ」
「ああ、それで、ズルイって」
「ですが、仕方がないんです。これは、ギブアンドテイクの契約。こちらから差し出せるものが少なければ、あなた方からほとんど物が受け取れなくなる。古えより我が一族は、異世界からの客人を招き入れて繁栄してきました。それに、今は何としても富が欲しい……」
そこで。
クロードが派手なクシャミをした。あ〜あ、ズビ〜って鼻まで。
リュカも両腕で体をおさえて、ガタガタ震えてるし。
ここ、ムチャクチャ寒いわよね?
「すみません、炎精霊使ってもいいですか?」
「炎精霊?」
セドリックさんが、何ですかそれ? って顔になる。
「この部屋、あっためてもいいですか?」
「部屋をあたためる?……ええ、どうぞ」
「ピオさん」
アタシとほぼ同時に、
「ピナさん」
兄さまも自分の精霊に命令を与える。
赤クマさんとバレリーナの格好をしたピンク・クマさん。
二匹が宙に浮かび、ポワ〜ンと熱を発し始める。
狭い部屋はあっという間に、ポカポカと温かくなって……
「素晴らしい。まるで、春の野原に居るようだ。……これが、あなた方の力か……」
あ、いえ、アタシの力じゃないです。精霊の力です。
って言おうとしたんだけど。
アタシが口を開くよりも早く、ズズイっと近づいて来た長身の髭だらけのおじさん(でも、イケメン!)に右手を握られてしまったのだ。
「異世界の勇者ジャンヌ様。あなたは、おそらく最後の客人だ。あなたの信奉神とあなた方の慈悲に、おすがりします。どうぞ我らをお救い下さい。この世界はまもなく滅びてしまうのです」
「なんだよ、それ、どーいうこったよ」
あっけにとられてるアタシの代わりに、リュカが尋ねる。
「あんたらの代わりに、勇者のねーちゃんに魔王退治でもしろってか?」
「魔王退治……」
セドリックさんは不思議な言葉を聞いたというようにつぶやき、それから静かにかぶりを振った。
「この世界に災厄をもたらしている存在はいます。邪霊を統べるもの。あれは我らが神と敵対するもの……確かに『魔王』と呼べるかもしれません。しかし、あれが消滅したところで、もうどうにもならない。この世界は滅びるんです」
「意味わかんねーよ。もっと具体的に教えてくれよ」
セドリックさんが弱々しく笑い、アタシから手を離してリュカの方へと向き直る。
「地上、ひどい吹雪だったでしょう?」
地上……じゃあ、ここは地下?
「一年中、ああなんですよ。巨大な隕石が地表に激突して……落ちたのはここからずっと遠い地なんですが、大量の粉塵に陽光が遮られ、星全体が氷河期に突入してしまったんです」
「ひょうがき?」
アタシたちを見渡し、セドリックさんは言葉を選び、噛み砕くように言った。
「これから先、何百年、或は何千年も春が来ないんですよ」
春が来ない……?
「世界中が雪と氷に覆われ、食料供給の道は絶たれました。シェルター内に備蓄食料や燃料を運び込んではいます。が、しょせんは在るものを食い潰しているだけ。外から補充し続けても、いずれは限界がくる。俺の予測では、もって三年。三年後には、この星に生きている者は居なくなるでしょう」
三年後にこの世界は滅びる……?
「しかも、地上には『魔王』配下の邪霊どもがごまんと居る。まあ、三年はもたないでしょう」
兄さまが尋ねる。
「その『魔王』を倒せば、邪霊は消えるのか?」
「おそらくは」
セドリックさんは、ずっと淡く微笑んでいる……。
「けれども、『魔王』を倒したところで、緩慢な死を迎えるだけです。我々は緑の大地を失い、生産技術をほぼ全て失いました。過去の遺産はあっても、生かせる技術者・知識人が居ない。このシェルター……俺やレジーヌを含め、大人は六人。あとの九人は未成年だ。さっきのガキみたいな幼児も居る。あいつよりもっと小さい奴も……」
セドリックさんが、再びアタシを見つめる。
意を決したような面持だ。
「『客人には知識と助力を、客人からは知識と富を』。勇者ジャンヌ様、あなたは何故この世界に来訪されたのですか? あなたの旅の目的を叶える為に、我が一族はあなたの剣となり盾となり戦いましょう。族長たるこの俺の命でよければ、すぐにも捧げます。その返礼は、ぜひ年少者への救いの手で……。可能であれば未成年者九人を、我らが捧げられるものが少ないとお思いでしたら一番年少の者一人だけで結構です。あなたの世界への移住をお許しいただけませんか? どうか、どうか……お願いします」
* * * * * *
「少し考えさせてください」とお願いした。
「ジャンヌぅぅ。助けてあげようよ。何とかしてあげよう」
えっぐえっぐ泣き始めた奴は、兄さまがひきはがしてくれた。
なんとかしてあげたいって気持ちは、アタシも同じ。
このまま滅びへのカウントダウンの中に居るなんて、悲惨すぎる。子供だけでも助けたいって、セドリックさんの気持ちは痛いほどわかる……。
だけど……
アタシの魔法陣では、アタシを含め六人しか運べない。今回は六人メンバーで来ちゃったから、誰かを追加するのは無理だ。
小さい子供なら、運べるとは思う。
抱っこすれば、荷物扱い。まえに、荷物扱いでピアさんやゲボクを連れ還ってるわけだし。やれるのはわかってる。
力持ちの兄さまや機械の体のセザールおじーちゃんなら、二〜三人抱えられそうではある。
でも……
連れ帰っていいのだろうか?
マルタン君の顔が頭の中に蘇る。
あの子は……
誰?
名前がいっしょで顔までよく似た他人ならいいんだけど。
マルタン本人だったりしたら、マズイわ。過去のマルタンを連れ還ったら、歴史が変わっちゃう。『勇者の書』で先輩の誰かが言ってたけど、えっと……こういうの何って言うんだっけ……タイムパラドックス、だっけ? 過去に干渉しすぎると、今いる人間が消えちゃったりするとかなんとか……
ここがマルタンが生まれた世界の並行世界だったら、問題なし……よね? 子供たちを連れ還っても歴史は変わらない。大丈夫だと思う。
けれども、うちの神様がどう思うか……
ピアさんたちは、ゴーレム。小石からつくられた、魔法生物だ。道具って、言い訳があった。
でも、今回は人間。
アタシの一存で、『人間』を移住させていいの?
もしも神様が入界を拒否したら、どうなるの?
魔法陣にはじかれて、この世界に置いて行かれるだけなら、いいんだけど……
アタシの世界に弾かれ、行先が決まらず次元の迷子? スプラッタ的にズタズタになっちゃうとかだったら、すっごく嫌なんだけど!
一度還って神様にお伺いをたててから移住を受け入れた方が、安心。
ではあるものの。
今回はたまたまセドリックさんたちの住んでるところ――シェルター?の近くに転移したけど、次に来た時は遥か遠くの大陸に出現してしまうかもしれない。
一度還ったら、もう二度とこのシェルターに行きつけないかもしれないのだ。
ダメモトで連れ還るべき?
いや、でも、子供たちがスプラッタとかないわ!
それに、あの子がマルタン本人だったら、いろいろ詰んじゃう。
せめて失踪中のマルタンを捕まえて話を聞いてから……いやいやいや。話すわけないか。あいつ、神様から話しちゃダメって言われてることは、一切語らない。この世界が何なのか教えてくれない気が、ひしひしと……。
じゃあ……マルタン君は置いていけばいい? それで万事解決? いや、でも、一人置いてきぼりは可哀想だし……このシェルターの人間の構成が変わったら、それだけで歴史が変わって、アタシの世界で神の使徒マルタンが誕生しなくなるかも……。
………
うが〜〜〜〜〜
嫌! もう嫌! 頭ん中、ぐっちゃぐちゃ!
アタシ、頭脳労働は苦手なのに!
やめやめやめ!
今は、ちょっと頭休めよう!
失踪中のバカを見つけて、ちょっとは何か聞き出して、それから考えよう!
つーか……マルタン、異世界人なのかなあ?
まあ、あの子が名前も顔もよく似た他人って無理ありそうだし。
マルタンは、よその世界からアタシの世界に移住したわけ?
いつ?
アタシが四つの時には、もう居たわよね。僧侶エルマンからアタシを助けてくれたのは、あいつだ。十二年前には、あいつはもう神の使徒だった。
ん?
あ?
あれ?
マルタンって、今、何歳?
兄さまと同い年ぐらい? それよりも上? 下ってことはない……わよね?
ぐぅぅぅ!
わかんない! 関心無いから、今まで知ろうともしなかったし!
兄さまと同い年と仮定すると……十二年前は七つ……さっきのマルタン君の二〜三年後が十二年前のアレ……。
この世界のマルタン君の天真爛漫な笑みが、何度も何度も心に蘇る。
いや……ない。
ないな。
マルタン、兄さまより年上だ、きっと。
『邪悪によって滅びる世界など、二度と金輪際もう決して絶対にあってはならぬのだ』
あいつは、よくそう言う。
心の中が、ざわっとした。




