デ・ルドリウ
《この者らは予の客人。予のものである。敵対するものは、予に宣戦したとみなす》
突如現れたドラゴンの王様に、トカゲ族は平身低頭。
他の種族も、戦意を失った。空に浮かぶものに恐れをなして逃げ出すか、仲間同士で固まって遠巻きに見てる感じ。
アタシ達を庇うように、ドラゴン王デ・ルドリウ様は荒野のものと対してるんだと思う。
だけど、頭上のものは、大きすぎて全体がよくわかんない。
見えているのは、黒い足とお腹。崖よりず〜っと先の海上でうねうね動いているのは、尻尾のようだ。
初めてドラゴンを見た。
アタシ達の世界では、ドラゴンは大昔に絶滅している。
けれども、幻想世界では生きていて……
大トカゲに似た恐ろしげな外見。小山を思わせる体、鋭い口に、巨大な爪、ぎょろりと獲物をみすえる巨眼。
雄大な外見でありながら動きは速く、背の二枚の翼で風のように空を駆け、口からは強烈な火焔を吐き何もかもを燃やし尽す……のだそうだ。『勇者の書』にそう書かれていた。
下からだとイマイチその美しさがわかんない。残念。
ドラゴンの中で、最も強いものが王となる。
デ・ルドリウ様は、幻想世界において最強の存在なのだ。
けれども……
「おまえ、ゆるさん」
ドラゴンに抗う声があった。
地を揺るがすような、野太い声だ。
「そいつら、オレさまのエモノだ」
坂下の獣達の中から、大きなものが進み出る。
蒼毛の大狼だ。
周囲の狼たちより一回り以上大きいような……。
剛毛で覆われた逞しい体も顔も狼。だけど、後ろ足で立ってる姿は人間のようだ。
《狼王カトヴァドか……。予に逆らうか?》
「おまえ、こわくない。オレさまの群れ、ドラゴンも狩る」
ぐふぐふと狼が笑う。
「ぶっ殺せと、ねえさん言ってる。狼王は、ナカマをみすてん」
《狼王カトヴァド、そなたの群れに負傷者はおらぬ。我が客人は、眠りと祓いをした。使い魔や死霊は消えたが、そなたの配下は睡眠に誘われたのみ》
ドラゴンの王様に声をかけられた狼王は、鋭い眼で上空を見ながら、でっかい声を更に張り上げた。
「ねえさん、どれからだ? ドラゴンか?」
「まって、カトヴァド」
獣たちの中から、狼王よりやや小さい狼が飛びだす。二足歩行だ。蒼毛で、狼王によく似ている。
「まつのか。よし、わかった」
と言う狼王に並び、ちょびっと小柄な狼がアタシ達の上を見上げる。
「竜王デ・ルドリウ。それ、本当?」
《シメオンは、我が知己。嘘は言わぬ》
「……そいつら、何もの?」
《異世界の勇者一行だ》
「異世界人? 何しに来たの?」
《この者らの世界の魔王を滅ぼす為、兵と武器を探しに来たのだ》
「ふぅ〜ん」
《助力を求める者は嘘はつけぬ。不誠実な者の下に、協力者は募らぬ》
メス狼がアタシ達を見渡してから、あらためて上空を見上げた。
「仲間を引き取らせて。報復するかは、その後、決める」
エドモンが眠りの矢をバラまいたんで、結界の側にはいろんな獣たちが寝こけてる。狼、小鬼、トカゲ族、烏、スライム等々。
結界側に近寄っちゃった奴等は、起きる間もなく次の矢が刺さるんで、ずーっと眠り続けている。
動かなくなった仲間を『殺された』と、狼たちは勘違いしたようだ。
《好きにせよ、狼王姉キーラーよ。予は情深きものを好む。暫時、そなたらの自由を許す。我が言に偽りなき時は立ち去ると、誓うな?》
「いいわ。カトヴァドの姉、キーラーが王に代わって休戦を受け入れる。みんなが無事なら、竜王の顔をたてて何もしない。だけど、嘘だったら」
くわっと口を開き、メス狼がアタシ達を威嚇する。
「決して許さない。みな殺しよ。あんた達を屠る」
アタシ達を睨んでから、メスの狼がデッカイ狼王をうながす。
「行くわよ、カトヴァド」
「よし、わかった」
狼王が大きく頷く。
頷いてから、宙のドラゴン王を見上げ、それからアタシ達へとうろうろと視線を彷徨わせ、大きく首をかしげた。
「で、殺すの、どれだ?」
メスの狼が、狼王の後頭部をポカリと殴る。
「殺しちゃ、ダメ。約定を破ったら、アタシたちが、卑怯者になる」
狼王が頭を、更にかしげる。
「殺すの、ダメか?」
「ダメよ。アタシがいいと言うまで、ダメ」
「よし、わかった。ねえさんいいと言うまで、まつ」
……あったま、悪ぅ……
けれども、王とされるにはもちろん理由があって……
狼たちが近づいて来て、その理由がわかった。
デカいのだ。
側で見ると、大きさが実感できる。キーラーって呼ばれてたメス狼でも、アタシの倍は軽くあるのに、それよりもひとまわり……いや、ふたまわりぐらいデカい。縦にも横にも。
丸太のようにぶっとい四肢。剣のように尖った前爪。どんなものでもバリバリと噛み砕いてしまいそうなデッカイ口、ギラギラと輝く牙、だらりと垂れた舌。
見るからに恐ろしげな狼だ……
メス狼が配下に命じて同族の回収を始めた。が、狼王は手伝わない。
ニタニタ笑って、結界の周りをうろつくばかりだ。
「うまそうだ♪」と鼻歌を歌いながら。
兄さまがバッとアタシの前に立って、盾となる。ヘタレな幼馴染やエドモンも左右に立って、ガードしてくれる。
「きゅぅ?」
狼王が身を乗り出す。
クンクンと鼻を鳴らしながらそれは、どんどんと近寄り、マルタンの結界にぴったりと顔をつけてきた。
「ぶっ!」
思わず、吹いてしまった。
透明な結界にぶつかって、黒い鼻が潰れてひん曲がってる。変顔になってる。
でもって、その顔のまま、ピンクの長い舌がせわしなく動かし始める。
ベロベロと目に見えぬ壁を舐めまわしだしたのだ。
「なにしてるの? カトヴァド?」
同族にも、変だと思われてる。
荒い息をハッハッと吐いてそれは、はちきれんばかりに尻尾を振って興奮していた。
変な顔にプププと笑っていたんだけど。
大狼が大顎を開いた途端、そんな気分は吹っ飛んだ。
ガッガッガ! と噛みついてくる。
デッカイ氷柱みたいにとんがった牙で、結界に穴を開けようとしているのだ。
ゾゾゾっと背筋に悪寒が走った。
「やめて! どーしたの、カトヴァド!」
姉狼の制止も、どこ吹く風。
狼が噛みついてくる……
魔法の防御結界を噛みきろうとか……
無茶すぎ……
んなことできるわけない……
でも……
さっきから、結界がぐらぐら揺らいでいるような……
いやいやいやいや!
ないないないない!
気のせい!
てか、今度は前足の爪でガンガン打ちつけて来るし!
「ふぇぇぇん」
みっともない声をあげて、幼馴染がアタシに抱きついてくる。
「だ、だい、じょぶ、だから、ね、ジャンヌぅぅ! し、使徒様の結界、破れないから! 泣いちゃ、ダメだよ!」
泣いてるのは、あんたでしょ、バカ!
アタシはクロードと抱き合って震えた。
「だから、やめなさいっ!」
背後から姉に抱きつかれても、大狼は結界への攻撃をやめない。
「あれ、くれ。あの女」
欲望たぎる金の眼が、アタシを見下ろしていた……
「あれ、いい。あれ、ほしい」
狙いは、アタシ……?
サーッと血の気が引いた。
く、喰われる?
『お嬢ちゃん……あんた、死ぬぜ』
魅力的な、ハスキーボイスが頭の中に木霊する……
『水晶のお告げだ。このままではあんた、早ければ三日後に死亡する』
ドロ様はそう予言した。
今日が、ぴったり三日後……
いやいやいやいや!
ないないないない!
「ジャンヌ! おまえは俺が守る! 薄汚い狼など、一歩も近づけん!」
あああ! 兄さまッ!
「……問題ない。飛びかかる前に、眠らせる」
エドモンっ!
「案ずる必要はない。デ・ルドリウ様の御前だ。狼が暴走しても、あの方が止めてくださる」
そうですね、お師匠様……
ドラゴン王が黙視してるのは、結界がまだ大丈夫だからですよね……。そう信じよう……。
ひぃぃん!
でも!
結界、やっぱ、揺れてる!
「今はダメ! 後で!」
姉狼の叫び声。
狼王のぶっとい右前足が、ぴたっと止まる。
「あとで、か?」
「そう、後で!」
くぅぅんと情けない声をあげ、狼王は両耳をしょぼんと垂らす。
「……わかった。あとで、だな」
アタシを見下ろす狼王は、おあづけをくらった犬みたいだった……
「デ・ルドリウ。仲間と弟を連れて帰るわ。けど、仲間が一頭でも目覚めなかった時には、その身をもってつぐなってもらうからね」
《心得た。狼王姉キーラーよ。誇り高き竜王は何ごとからも逃げぬ。申し分ある時は、我が支配領域まで来るがよい》
「カトヴァド、帰るわよ」
狼王は、姉狼と部下の三匹がかりに引きずられ坂下へと連れて行かれた。
ふひぃぃぃ……
怖かったぁぁぁぁ……
《狼王カトヴァドに、好かれたようだな》
頭上からの声が笑う。
《……まずは、我が住まいに案内しよう。これ以上、荒野のものどもを刺激せぬうちに、な。見慣れぬ肉は、変わりばえせぬ日々におる者達の食欲を刺激してしまう》
アタシは、ぶるぶるっと身を震わせた。
「だいじょうぶだよぉ、ジャンヌぅぅぅ」と幼馴染が、アタシにぎゅっと抱きついて来る……
《その後、望む所まで送ろう。旅の目的は、武器の依頼と、勇者と共に魔王と戦ってくれる強者を探す事だったな?》
「はい」と、お師匠様。
《優れた魔法鍛冶師といえば、ドワーフ……。我が友ドワーフ王ファーガスも強いぞ。あやつの戦斧で断ち切れぬものなどない。魔王戦への参戦を乞うてはどうだ?》
ドワーフの王様! いいな! 強そう! 牙剥いて襲って来ないだろうし!
《では、参るぞ》
キシキシキシと何かがきしる音が響き、キーンって耳鳴りがした。
ふわっとした高揚感。
けれども、それは一瞬で消えた。
すぐにドォン! と大地が激しく揺れる。
体が沈み込むような揺れだ。
「きゃっ!」
転倒しかけたアタシをクロードごと、逞しい腕が支えてくれる。
「ありがと、兄さ……」
ジョゼ兄さまの腕の中で、アタシは硬直してしまった。
「え?」
びっくりした。
視界が一変している。
「……ここ、どこ?」
クロードが、目をぱちくりさせる。
風が強い。
だけど、潮の香りはなく、空気は乾いている。
石や草だらけの傾斜が強い斜面と、その先に広がるな〜んにもない大平原が見えた。人影も人家もない。赤茶けた景色が広がっている。ず〜っと先の方には緑があるようだけど。
岩山の頂上に居る?
キョロキョロと辺りを見回した。
すぐ側には、前髪で目を隠した黄金弓の人。座り込んで寝こけている使徒様も、お師匠様も居る。
「移動魔法?」
ドラゴンの王様の声は、頭の上からではなく、背後から聞こえた。
《空間変替だ。次元に穴を開き、魔法結界に包まれた大地ごとそなたらを運び、この岩山の上部と置換した》
言われてみれば、斜面は赤茶なのに、足元だけやけに灰色。
《ゆるりと飛んでいては、見物が増える。煩わしいゆえ、縮地の術を使ったのじゃ》
アタシは声の主の方に顔を向け……
硬直してしまった。
「デ・ルドリウ様……?」
アタシの問いに、その者が頷く。
《さよう。会話しやすきよう、人型となった。ドラゴン王デ・ルドリウである。客人たちを歓迎する》
うわぉ!
こ、こ、これは……
素敵……
胸がキュンキュンした……
心の中でリンゴ〜ンと鐘が鳴る。
欠けていたものが、ほんの少し埋まっていく、あの感覚がした。
《あと八十七〜 おっけぇ?》
と、内側から神様の声がした。
いやん、もう!
狼で萎えた心が一気に癒された感じ!
ドラゴン王の人型は、壮年のオジ様だった!
身にまとうのは、光沢のある黒の鎧。黒騎士って感じ。背のマントも、当然のように黒。
全身をごっつい鎧で覆っているのに、不思議なことに兜はしていない。
だから、超イケメンなお顔が見えるのよぉぉ!
がっしり系のハンサム。
オールバックにした黒髪はまるで馬のたてがみのように背に流れ、ワイルド。太い眉、広い額、高い鼻、長く蓄えた顎髭と厚い口髭。
そして、険しい赤い眼は深紅で……右の眼は黒眼帯で覆われている……
隻眼の王様なのだ!
戦場の王?
そのお顔だちにも、たたずまいにも、近寄りがたい威厳と品格に満ち溢れている!
渋くて、めちゃくちゃ格好いい!
はふぅ……
美形のオーラに、心があたたまってゆく……
《そなたが、今の勇者殿か》
穏やかに微笑みながら、デ・ルドリウ様が歩み寄って来る。
アタシは急いで、兄さまの腕の中から離れた。
「はじめまして、百一代目勇者ジャンヌです」
ドラゴンの王様に対して、礼儀正しく挨拶をした。
『勇者の書 96――シメオン』を読んでるから、デ・ルドリウ様がどういう方かは知っている。
お師匠様の騎乗竜マルヴィナの、お父様。
素敵なオジ様だけど、たいへん厳格で、気難しい方だ。ご機嫌を損ねないようにしなきゃ。……そう思ったんだけど。
《よい目をしておる。曇りなく澄んだ黒曜石の瞳……師に愛され、大切に育てられたとわかる》
まったく怖そうじゃない。
《シメオンより聞いた。そなた、好いた男を仲間とし、魔王と戦う勇者なそうな》
赤の隻眼が、アタシをジーッと見つめる。
何もかもを見通す、観察者の眼だ。
それでいて、慈愛のような感情もこもっている。小さきものを愛しく思う、大いなるものの眼だった。
《予を魔王戦へと誘ってくれるか?》
「デ・ルドリウ様。先ほどジャンヌは御身に胸をときめかせました」
と、教えたのは、アタシの仲間欄が丸見えのお師匠様。
《それは僥倖》
ドラゴンの王様の笑みは鷹揚で、いかにも王って感じに格好いい。貫禄がある。
《マルヴィナの散った地で、魔王と戦える。何とも楽しみな事だ》
深紅の瞳が真っ直ぐにアタシを見つめる。
《シメオンの養い子の為に戦う事となろうとは、思うてもみなかったが。実に、縁とは奇なものである》
新雪のように輝いていた、白竜マルヴィナ。
竜騎士だった頃のお師匠様の相棒。
まだ年若かった彼女は、おっとりとしていて、愛らしく……綺麗な声をしていたようだ。
『天上の音楽が奏でられているようだ。やわらかなその声を耳にするだけで、心が癒される。あたたかな彼女の人柄が、そのまま声に表れているのか』。
『勇者の書 96――シメオン』で、お師匠様はマルヴィナをベタ誉めだった。
どんな生き物も愛す心優しい竜で……
人型は、保護欲をかきたてるような、可憐で清楚な美少女だったから……。
やわらかな白金の巻き毛で、ふんわりとした白いドレスに身を包んだ彼女は、とにかく可愛らしかったみたい。幼さの残る顔だちで、いつもニコニコ微笑んでいたのだそうだ。
そんな彼女は、デ・ルドリウ様の愛娘だった。
『勇者の書 96――シメオン』では、デ・ルドリウ様とお師匠様の仲はむちゃくちゃ悪かった。
というか、デ・ルドリウ様が一方的にお師匠様を嫌ってたんだ。
目の中に入れても痛くない娘が、異世界勇者の騎乗竜になる、怪しい男にくっついて行って異世界で命がけで戦うなんて言い出したんだもん。そりゃあ、パパ、ぷっつんしちゃうわよね。
けれども、今、アタシの前に居る二人はたいへん穏やかで……
書の中の二人と結びつかない。
魔王戦でマルヴィナが亡くなった後、二人の関係が変わるような事件があったんだ。
だけど、何があったのかはわからない。
『勇者の書 96――シメオン』には、魔王戦直前までしか記されていないし……
お師匠様は、自分の過去を語りたがらない。竜騎士だった時の事も、賢者になってからの事も。『過ぎた事だ……』と言って、口を閉ざしてしまう。
アタシだって、もう子供じゃない。
なんで話したくないのかぐらい、わかる。
察することができる……。
だから、もう……謎は謎のままでいい。そうわりきってる。
「勇者の仲間をご紹介します。格闘家のジョゼフ、狩人のエドモン、魔術師クロード、あちらで眠っているのが僧侶のマルタン」と、お師匠様。
グーグー寝こけているマルタンを除き、王様に挨拶をする。狩人と紹介された人はちょっぴり不満そうだったけど、声にはしなかった。
ドラゴン王はそれぞれの顔をジーッと覗きこみ、『ほう』とか『なるほど』とか一人合点をしていた。
魔法生物であるドラゴンには、人間には見えない何かがが見えるんだと思う。
何が見えるんですか? って聞いても、『人間には話せぬ』と言って教えてくれないけど。
その中でも、ドラゴンの王様が特に時間をかけて見つめたのは、本業農夫の人だった。
エドモンはアタシと同じぐらいの身長。
黒の鎧にマントのがっしりとした王様が立ってると、その背にすっぽりと隠れてしまう。
《触れるぞ》
そう断ってから、王様は指の先まで黒い鎧で覆われた手でエドモンの顔の辺りに触れたっぽい。
前髪を掻きあげてる?
《……やはり》
やけに嬉しそうな声。
何が『やはり』なの? 横から覗きこんだ時には、デ・ルドリウ様は手を下ろしていた。エドモンの前髪は、多少乱れているものの、いつも通り。両目はしっかりと隠れていた。
むぅぅ。見損ねた。
《間もなく日が沈む。そなたら人間は、夜目がきかぬ。今宵は我がもとに、泊まるがよい。明日にでも、我が友ドワーフ王ファーガスのもとへ案内しよう》