知識をもってご助力いたしましょう
そのひとは、宙に浮かんでいた。
背に大きな黒い翼。頭にも翼。黒髪が途中から二枚の翼になっているんだ。
二対四翼の翼があるけど、翼は羽ばたかせていない。
なのに、宙に浮かんでいる。
空中浮遊の魔法だろうか?
青黒い肌の偉丈夫だ。
長い腰布を巻いただけの衣装に、豪華な装飾品。右手に持っているのは、長い笏。異形ではあるけれども、王と呼ぶのにふさわしい威厳にあふれていて。
とても美しい……。
鼻が高くて、頬骨の高い、整った顔立ちだ。
黒のアイシャドーが目立つ目元。アイラインも濃い。
目つきは、とことん鋭い。岩壁までも貫きそうな、おっかない目をしている。
過去と未来を見通すもの。
魔界の大侯爵だ。
兄さまが、アランが、ビキニ戦士のアナベラが、二人のシャルル様が警戒態勢に入る。
この大悪魔はそこに存在しているだけで、凄まじい威圧感を放ち続ける。
人間に、本能的な恐怖感を与えるのだ……魔界の王のように。
「どうして、ここに……?」
アタシは大悪魔を見つめた。
ドロ様は、この悪魔の分身体。神様の力によって『人間』にされた大侯爵の一部だって、魔界で聞いたけど……
「何の用なの、ドロ様2号?」
「2号じゃねえよ、お嬢ちゃん」
青黒い肌の悪魔が、フフッと楽しそうに笑う。
「1号だ。俺は、あんたの世界でアレッサンドロと呼ばれている者……本人だ」
「へ?」
アタシは、目をぱちくりさせた。
「だけど、その姿……」
「変身の魔法が解けて、『本当の自分』に戻っちまったんだよ」
そう言ってニヤリと笑う表情は、ドロ様っぽい。
けど、ドロ様2号も同じような表情をつくっていた。
どっちだか、言動からじゃわからない……。
「あの世界に居る限り、俺は『神の祝福』に囚われた存在。『人間』だ。殺されようが自殺しようが老衰しようが、死ねば一緒。別の人間になるだけ。『本当の自分』の記憶を抱えたまま、くそったれな輪の中で俺は『人間』であり続けねばならない」
「ドロ様……?」
「あの世界の理……神がつくった魔法で異世界に渡った場合は、俺は『アレッサンドロ』のままだ。だが、こうやって他の方法で異世界へ行けば、俺は『本当の自分』に戻れる。そうとわかっていたから……」
青黒い肌の偉丈夫が、とびっきり男臭い顔で笑う。
「だからこそ、俺は……ボーヴォワール家の絵の部屋が欲しかったのさ。愛し子を失った二人の母……二人の想いが二つの世界を繋げる扉をつくりあげる……水晶のお告げだったんでね」
「なるほど……」
テオが、感情を廃した声を出す。
「あなたは異世界に渡る手立てを得る為に、母に近づいたのですか」
「そういうことだ。がっかりしたかい、学者先生?」
「いいえ。むしろ、胸のつかえがおりました。自分の命を懸けてまで母を救ったのは、自分の為だったのですね。悪魔としての力を取り戻す為に……」
「ま、そういうことだな」
「・・そこまで悪ぶる必要はあるまいに、ドレッド」
やけに可愛らしい声がした。
「あの部屋の所有権は、既にマッハにさっさとマルゴから買っていたではないか。メガネの母が死のうが生きようが、関係ない。悪魔的には、あの部屋の主はおまえだった。であるのに、『自分の野望のために、憐れな女を犠牲にしたくない』などとほざいて、身代わりになろうとするとは・・実に馬鹿げている。人間好きの魔族め」
わっはっはっはと笑ってるのは……
巨乳の占い師さんの隣の……尼僧さん……?
尼僧さんよね????
ほわほわぽよぽよだったのに、ギラギラギンギンになっちゃったというか!
人相が変わってるんだけど!
垂れていたはずの目尻がつりあがり、眉間にしわ、眉はしかめられて、目の下には隈。すっごい凶悪そう!
尼僧さんが突然別人みたいになったのに、この世界の人たちは驚きもしない。
賢者ジャンなんか、「あ、どうも。お久しぶりです、『マッハな方』」なんて挨拶してるし。
てゆーか、これって、もしかして……
尼僧さんは、ひとしきり笑った後、くねっと腰を曲げて、左手で顔の半分を隠した。
その厨二病的ポーズは!
ほぼ同時に、
「使徒様?」
テオ、シャルA様、アランが叫び、
「おまえか!」
ジョゼ兄さまも叫ぶ。
やっぱ、そうよね!
尼僧さんに降りてるんでしょ?
いつ来たのよ!
「マ……!」
ぐは!
アタシは三度、いや四度? 首をおさえて、蹲った。
こ、この、こいつの名前を呼ぼうとすると首が絞まる仕掛け……お願いだから外して!
「・・馬鹿が。警告ぐらい、頭に刻んでおけ」
尼僧さんは、ジロリとアタシを睨むだけ。
さっきまでは回復魔法かけてくれたのに〜
中身がマルタンだから、冷たい……
ありがと、兄さま、背中を撫でてくれて……。
ぷいっとアタシから顔をそむけ、中身使徒様の尼僧さんがククク・・と笑う。
「しかし、まあ。ドレッド・・きさまのその姿を見ると、たまらんな。内なる俺の霊魂が疼いているぞ・・マッハに、祓え、清めろ、祝福してやれと、な! ドレッド、逃げてみるか? 悪魔の力で、俺の監視下から逃げ出してもいいんだぞ! すぐにも聖霊光を叩き込んで、綺麗さっぱり完璧に祓ってやるからな!」
「勘弁してくださいよ。使徒さまの冗談は、たちが悪すぎます」
青黒い悪魔が肩をすくめ、助けを求めるようにテオに顔を向ける。
「とまあ……こんな感じに、俺は今、紐つきなんで……『本当の自分』に戻ったところで何ができるわけでもなし。ちゃぁんと還ってアレッサンドロに戻りますんで、使徒さまが暴走したら止めてくださいよ」
「母の生死にかかわらず、絵の部屋の次元通路が使えたのだとしたら……あなた、何故、母を助けたのです?」
「ま、寝覚めが悪くなる事はしたくなかった……それだけです」
悪魔が静かに頭を振る。
「それに、俺ぁ、死に慣れてますからね。死んだって、別の人間になって生き返りますし。伯爵夫人が死ぬぐらいなら、俺が死んだ方がマシだって思ったんですよ」
「ふざけないでください」
テオが、声を荒げる。
「あなた、勇者ジャンヌ様の伴侶の一人なんですよ。あなたが亡くなったら、百人の伴侶が揃わなくなります。託宣が叶わなくなるのですよ。もう二度と、死んでもいいなんて言わないでください」
「そいつは、失礼」
テオが、ムッと眉をひそめる。
「第一、あなたが亡くなったら、リュカ君はどうなるのです? 身内同然なんでしょう?」
「俺が居ようが居まいが、どうにか生きていきますよ。あいつは、逞しいクソガキですから」
「あなたが絵の部屋に籠っていた時、それに魔界から還って倒れた後、リュカ君がどんな顔をしていたか……あなたは知らないから、そんな事が言えるのです」
「………」
「あなたにとっては、人間でいるのはくだらない事なのでしょが……だからと言って、アレッサンドロという人間を軽んじていいはずがありません。それは、あなたに関わる全ての人間の想いを侮辱するに等しいのですよ」
「………」
やれやれって感じに、息を吐き、
「忠告として聞いておきます……」
青黒い肌の悪魔は、杖を持たない方の手をあげる。『降参だ』と言うように。
「ま、その話題はここまでで。学者先生、貴重な時間を有意義に使いましょうぜ。ここに来た理由を思い出してくださいよ。あんたは裏世界に行く呪文を知りたい。そうでしょう?」
悪魔の指が、女学者さんを指さす。
「彼女に聞いてみちゃどうです? この世界の、あんたの片割れに、ね」
テオとセリアさん。
よく似た外見の二人が見つめ合う。
「昨年より私は魔法陣反転の法を研究しています」
セリアさんが静かにメガネをかけ直す。
「研究を始めたきっかけは、あなたと同じ。勇者様の為、です。勇者ジャン様も、勇者ジャンヌ様と同様、賢者様がそばにいらっしゃらない状況となりましたので。手元にある勇者の書の裏世界に行くしか託宣を叶える術が無くなったのです」
「どの書の研究をしたのです?」
「『勇者の書 7――ヤマダ ホーリーナイト』『勇者の書 39――カガミ マサタカ』『勇者の書 61――アリエル』『勇者の書 78――ウィリアム』の四冊を研究し、七代目様、三十九代目様、六十一代目様の書の裏世界へ行く為の呪文を発見しました」
え?
て、ことは?
「英雄世界とジパング界の裏世界へ行く為の呪文でしたら、すぐにもお教えできます」
おお!
「ただ、あなた方の世界は、私の世界と同一ではありません。似て非なる世界です。呪文が完全に一致している可能性は、限りなく低い」
「確かに」
テオが頷く。
「しかし、互いの呪文を比較すれば、それぞれの世界の呪文の傾向がわかる……そちらの裏世界へ行く為の呪文を参考にすれば……」
「あなた方の世界の裏世界に行く為の法則が推測できるかもしれませんね」
「裏世界への呪文は、天界の呪文を反転させるものだけはわかっています」
「それは素晴らしい。こちらも、天界の呪文の反転はわかっています。天界の呪文を基本に研究すれば、かなり正確にそちらの呪文の体系が把握できるでしょう」
女学者さんが、テオを見つめて微笑む。
「知識をもってご助力いたしましょう、異世界のテオドール」
「感謝します、異世界のセリア。あなたに会えて良かった……これで勇者ジャンヌ様をお助けできそうだ」
それから、テオとセリアさんはテーブルで顔をつきあわせて、『魔法陣反転の法』の学習・研究を始めた。
この世界の勇者の書、セリアさんの研究資料、筆記用具他、セリアさんから求められる物をすべて、賢者ジャンが物質転送魔法でこの部屋に運ぶ。
二人のシャルル様は、二人の学者の横で資料に目を通し、魔術師としての意見を述べる。
もと九十六代目のシルヴィさんも、アドバイザーとして付き添っている。
使徒様は側でふんぞりかえって座ってる。尼僧さんの体だってのに、足を大きく開いたオヤジ臭い座り方で。で、質問されれば僧侶的な観点からの意見を言っている。マルタンはこの世界によく来てるみたいで、賢者ジャンやセリアさんから『マッハな方』と呼ばれてる。遠慮もない。賢者ジャンを、どついたりしてる……。
ま、それはいいとして。
こうなると学問とは縁のない人間は暇になってしまうわけで……
賢者ジャンが新たにテーブルと椅子を運んでくれる。テーブルの上にはお菓子やらお茶やらが盛りだくさん、椅子は座り心地の良さそう。くつろいでお待ちくださいってことなんだろう。
アタシが席に着くと、その右側の椅子に兄さまが、左側にドロ様が腰かける。ドロ様の背中から黒翼が消えている。かたつむりの目みたいに、出したりひっこめたりできるのかな?
向かいの席には、女占い師の……イザベルさん? だっけが座る。その手には水晶珠が。この女性も水晶占いをするんだ。
アランはアタシの席の後ろに、いかにも護衛って感じに立った。
赤毛のビキニ戦士は……お勉強テーブルの方だ。シャルB様ことこっちの世界のシャルル様の後ろに立っている。『勇者(見習い)の護衛』って立場でここに居るんだろう。
テーブルについたアタシたち。
占い師さんは、にこやかに色っぽく微笑んでる。胸元が大きく開いた服を着てるから、たっぷんたっぷんの胸につい目がいってしまう……。ほんと大きいな……。これ巨乳じゃないわ、爆乳……。ラモーナほどは大きくないけど、男の目を惹きつけちゃう胸よね……。
「えっと……」
聞きたいこと、話したいことは、いっぱいある。
けど、何から話したらいいのか……。
何って言おうか迷ってたら、
「気になる女と差し向かい……。なら、言うことは決まってるな」
ドロ様が女占い師さんへと笑顔を向ける。
「ご趣味は?」
へ?
「うふふ。占いを少々」
「奇遇だ。俺も占いと人間観察が趣味でして」
「あら〜 気が合いますわね、私達」
「氏より育ち、ってヤツですかねえ」
「って、お見合いですか!」
突っ込んどいた!
つーか、二人とも国一番の占い師なんでしょ。仕事(占い)が趣味なんですか?
しばらくドロ様をジーッと見つめ、それから赤く厚い唇をほんのりと開いてイザベルさんは妖艶に微笑んだ。
「あなた、死ぬわね」
は?
ドロ様が、肩をすくめる。
「だろうな」
「まちがいないわ」
占い師さんが、丸い水晶を撫でる。
「水晶が私にそう告げたの。このままではあなた、早ければ三日後、かなりな確率で三十七日後に死亡する。『アレッサンドロ』は、一年後には消えていそうね」
え〜〜〜〜〜〜
嘘……
「早ければ、三日後ね。なるほど」
ドロ様がフフッと笑う。
「で、遅ければ?」
女占い師さんが、うふふと笑う。
「五十年後かしら」
へ?
なんか急に延びてません?
「あなたの運気は、運命の星次第……。運命の星は二つ……。いずれの光に照らされるか……星の心ひとつで、早死にか大往生か……。うふふ、いやぁねえ、極端だわ」
「ま、だから『人生』は面白いんだがね」
悪魔の姿のドロ様は笑い、
「そうよね」
女占い師さんも、華やかに笑う。
えっと……死にそうなのよね、ドロ様? 女占い師さんの視たところ。
三十七日後は魔王戦当日なわけで……その日、ドロ様が無茶するってこと? それとも、アタシが負けるってこと?
それより三日後がピンチって……
アタシだけじゃなく、兄さまも(たぶんアランも)、ドロ様を見つめている。青黒い肌のドロ様は、男くさく余裕たっぷりに笑ってはいるけれども。
「それから……そこのあなた……女勇者さまのお義兄さま」
ん?
「あなた……どちらの道を選んでも、後悔するわよ」
女占い師さんは、ジョゼ兄さまを見ている……
「どちらの道?」
「なんのことかは、おわかりですわよね? あなたが今、悩んでらっしゃることです」
「……ああ、まあ」
「その選択が、あなたの人生の三度目の転機……。並ぶものなき猛き炎となるか、全てを慈しむ穏やかな光となるか……。どちらの人生を選んでも、あなたは後悔する。だから、」
色っぽい占い師さんが、悪戯っぽく笑う。
「もしかしたら、選ばないのが最良の選択かもしれませんわ」
「選ばない……? それこそ卑怯じゃないか?」
兄さまの問いに、女占い師さんは静かにかぶりを振る。
「……時には、自分らしくない行動に突破口があったりしますのよ。あなたの人生を、もっとも大切に思っている方に委ねてみてはいかがです?」
「もっとも大切に思っている方に……か」
兄さまが、口元に手をあて、うつむく。思案するかのように。
「それと、そこのあなた……赤毛の戦士さん」
「あ、はい」
アタシの後ろで、アランが姿勢を正す。
「あなた……逆子で死んで産まれたんじゃない?」
「えぇっ!」
アランが身を乗り出す。
「わかるんですか?」
「ええ。水晶が私にそう告げたの」
艶っぽく笑う占い師さん。
「産婆さんのおかげで、すぐに生き返れたみたいだけど……ダメね、あなたのツキはそこでほぼ尽きてしまってる。それから、ずっと不幸続き……そうでしょ?」
「そうなんですよ! 俺が子供のうちに家業が傾き、一家は路頭に迷い……」
アランの不幸語りに、女占い師さんがうんうんと頷く。
「いい所のご子息だったのに、苦労なさったのね」
「いえ、それほどでも」
ああ……やっぱそうなのか。アランって、それなりに知性も教養もあるものね。
「でも、そこの悪魔さん、ううん、占い師さんと出会って、運気が少し良くなったみたいねえ……裸戦士になったからかしら?」
「はい。『服を脱げ、恥を捨てれば万事うまくゆく』との助言通りにしてみたところ、傭兵仲間とのトラブルはなくなり、勇者様の仲間になることができました」
「あなたの、それ……」
女占い師さんは、ドロ様の方をチラッと見てから言葉を続ける。
「勇者さまが魔王を倒したら、やめてもいいわよ」
「え〜〜〜〜〜〜!」
ちょっ!
身を乗り出しすぎ!
頭の上に圧迫感が!
「本当ですか?」
「本当よ」
ね? と、女占い師さんがドロ様に首を傾げてみせる。
ドロ様は、フフッと笑って応えた。
「ま、確かに。勇者と共に魔王を倒した戦士ともなれば……周囲の目は変わり、運命も変わる。最低最悪の運気も払いのけられるかもしれない。ただ、まあ……俺の視たところ」
「アレッサンドロ殿の見立てでは?」
「……まとうべき衣装は、勇者さまからいただくことをお勧めする」
「ああ、そうね」
女占い師さんが、ポンと手を叩く。
「その方が、より良い未来になるわね」
え?
アタシ?
アタシがアランの服をコーディネートするの?
「その為には、魔王戦の後もお嬢ちゃんが元気でいなきゃいけないわけだが……」
「うふふ。勇者さまをしっかりお守りしてね、戦士さん」
「はい、もちろんです!」
アランが強い口調で言う。
「この命にかえましても!」
……動機が不純だけど、アランのやる気はぐぅぅんとアップしたようだ。