えへへ。おにーさん、強いねえ
ポワエルデュー侯爵で、百二代目勇者?
シャルル様が?????
もしかして、目の前のシャルル様は……
「俺のジャンヌに何をする!」
後ろから伸びてきた腕が、アタシの体をシャルル様から奪い取る。
シャルル様が、不審そうに兄さまを見つめ……
「きさま、何者だ? シャルルの偽物だな?」
兄さまが、叫ぶ。
「ブラック女神の手下の人造人間か?」
兄さまが凄まじい殺気を放った途端。
「勇者さま、下がって!」
女の人の鋭い叫び声がして。
風がうなり、
ガキン! と金属と金属がぶつかり合う音が響いた。
「ジョゼフ様、勇者様をお願いします!」
アタシの前には、逞しい背があった。
両手剣を抜いた、赤毛の戦士だ。
「この女は、俺が!」
アランの極太の腕が、厚みのある背中が、逞しい脚が、ぐっと引き締まる。
アランの背でよく見えない。
けど、誰かがはじき飛ばされたようだ。見え隠れする赤い髪、生足、生手、アランに負けず劣らず巨大な剣。
右へ左へ。
素早くフェイントをいれ、相手は一気に距離をつめてくる。
その剣を、アランが剣で受けとめる。
突き、はねあげ、斬り下げ、側面の叩きつけ、かわし……攻防がめくるめく変わる。
てか、速すぎて良く見えない!
「勇者さま、手を出さないで!」
また、女の人の声。戦ってるのは……鎧を着てない女剣士……? アランの背が邪魔で、よく見えないけど……ふとももとかおなかが、丸出しのような……?
「えへへ。おにーさん、強いねえ」
楽しそうな女の人の声に、
「君も、な。俺と剣で互角に戦える女性が居るとはな。……驚いた」と、アランも答える。何処か楽しそう。
「あたし、めっちゃ強いよー 剣の腕は、戦士ギルド一なんだから」
「俺もだ」
再び剣戟が続く……
「だめですぅ、アナベラさん〜 その方たちは、きっと、ドレッドさんのお仲間です〜 敵ではありません〜 剣をおさめてください〜」
やけに間延びした、のほほんとした声がかかる。本気で止める気あるの? って感じ。緊迫感ゼロな、ほんわか声だ。
「殺気を感じたの」
女剣士が言い返す。
「そっちの女の子といっしょの男から。今も、すっごい気を放ってるんだもん。護衛としてほっとけない」
て、兄さまのこと?
「ごめんなさい。ちがうわ、そんなつもりじゃないの」
アタシの兄さま、ちょっと、いや、かなりシスコンなだけなのよ!
「兄さま、闘気を放つのはやめて。この人たち、たぶん敵じゃない」
「し、しかし、」
そこへ、
「……様と子と聖霊の御力によりて、奇跡を与え給え。先制攻撃の法!」
凛々しい声が響いた!
この呪文は!
空間がぎぎん! と、きしみ、
アランは動きをぴたりと止め、
兄さまも体を硬直させる。凄まじい気を放てなくなったのだ。
「先制攻撃の法発動中です。私達全員が攻撃しない限り、遺影から現れた方々は敵対行動をとれません。闘争心を抱いていた者は、しばらく体が硬直したままです。ですが、いずれ普通に動けるようになり、戦闘以外の行為が可能となります」
きりっとした女の人の声。さっきの女戦士とは、別の声だ。
兄さまの腕から離れて、見てみた。
ここは……絵の部屋だ。
向かって左手にテオの肖像画が並び、その反対側に妹さんの絵が並んでいる。アタシは部屋の奥――遺影を背に立っているんだ。
部屋の中央のテーブルや椅子は倒れている。さっきアランたちが戦ったせい?
剣を構えたまま、アランは彫像のように固まっている。
アランの喉元に大剣をつきつけているのは、赤毛の女戦士……なんだけど! ほとんど、裸! ビキニ・アーマーなのだ! 布地も鎧部分もほとんどない! 大事なところはかろうじてガードされてるけど、大きな胸もお尻も、ほぼ! 全部! 露出! 腰布巻いてるだけのアランのが、露出が少ないとか…おかしくない?
探るようにアタシたちを見ているシャルル様。
その後ろに、ぽよぽよ〜って感じの尼僧さんが居る。若々しいというか……子供? 十三か、四ぐらい? おっとりとした眉も、形のいい鼻も、やさしい微笑をたたえた唇も頬もすっごく可愛い。澄み切った青い瞳が、まっすぐにアタシを見つめ、にっこりと笑みを形づくる。
部屋には、まだ他の人間も居る。
けど、アタシの目は、尼僧さんの隣に居る人に釘づけになった。
濃紺のアカデミックドレス、胸元に白いスカーフ、正方形の角帽……学者だ。
ライトブラウンの長い髪をひっつめにした、きりっとした美人。可愛い感じの丸いフレームのメガネをかけている。
間違いなく……
テオの絵の向かいに飾られた、絵の中の人で……
「セリアさん……ですよね?」
「そうです」
やっぱり……
テオによく似た顔立ちだけれども、顎から喉のラインとか眉とかは、明らかに女性のもので……。
女学者さんが、微かに目を細め、メガネのフレームを押し上げる。
「『ボーヴォワール家のテオドールが生存している世界』の方ですね?」
「はい」
頷いた。
「ここは……」
「『ボーヴォワール家のセリアが生存している世界』ですね」
その声は、アタシの後ろからした。
女学者さんの視線がアタシの後ろへと向かい、つられてアタシも振り返った。
真っ赤な天鵞絨のカーテンの前には……
セリアさんとほぼ同じ学者姿だけど、白いスカーフの代わりにネクタイをしているテオが、学者然とした顔でたたずんでいて……
その横には、シャルル様が居た。
前を向いてみた。
アランとビキニ戦士のそばにシャルル様が居る。
もっかい後ろを向いてみた。
天鵞絨のカーテンの前、テオの横にもシャルル様が居る。
シャルル様が、二人??????
分裂した????
テオの横のシャルル様と、アランの横のシャルル様が見つめ合う。
「……裏世界の『私』というわけか……」
「訂正したまえ、並行世界と言うべきだ」
バチバチと視線の火花が散ってるような……。
「はじめまして、と言っておこう。並行世界の『シャルル』。ボワエルデュー侯爵家嫡男にして、勇者ジャンヌさんの魔法騎士を勤める、シャルルだ」
「はじめまして。並行世界の『シャルル』。私はポワエルデュー侯爵にして、」
「侯爵?」ピクッと、アタシの世界のシャルル様が反応する。
「その通り。私は、ポワエルデュー現侯爵にして、」
こっちの世界のシャルル様が、余裕たっぷりの笑顔を浮かべる。
「百二代目勇者だ」
「勇者……?」
ガーンって感じに、アタシの世界のシャルル様が……ああ、もう、長いわ! アタシの世界のシャルル様はシャルA様、こっちの世界の方はシャルB様にしよう!
シャルB様が、ふぁさっと髪をかきあげる。
「まあ、もっとも……勇者と言っても、まだ百二代目魔王が現れていないからね。しがない見習いの身の上ではある」
『しがない』って言葉を使いながら、シャルB様は誇らしげだ。
シャルA様は、ぎりっと唇を噛みしめている。
二人の争い? 格付け? どっちが上か競争は、シャルB様が勝者のようだ。
現侯爵にして、百二代目勇者か……
「シャルル。少し黙っていてください。会話の邪魔です」
冷たく言う女学者さんに、シャルB様は「ハハハ、すまないね、セリア。勇者のくせに、私はハメを外し過ぎてしまったようだ」と朗らかな笑顔で応える。
シャルA様が、すぐ横の再従兄のテオを見つめてから、「くっ」と悔しそうに視線をそらす。
地位でも実績でも負け、またいとこの性別でも(シャルル様基準で)負け……。敗北感バリバリなんだろう。
でも、テオが生きてて良かったって言ってましたよね? セリアさんが生きてた方が良かったなんて……思ってませんよね?
「並行世界の方々。私達に敵対の意志はありません」
テオが、コホンと咳払いをする。
「ここには、助力を求めに参りました。私達の世界の希望――百一代目勇者ジャンヌ様は、魔王との戦いを前に未曾有の危機に直面しております。このままでは勇者様は託宣を叶えられず、私達の世界は魔王に滅ぼされてしまいます。どうかお助けください」
「百一代目勇者?」
部屋中の視線が、アタシに集まる。
ちょっとドキマギ。
女学者さんが、静かな眼差しでアタシを見つめる。
「ジャンヌさんとおっしゃいましたね? あなた方の世界では、あなたが百一代目勇者なのですね?」
「はい、そうです」と、頷いて、アタシは一歩前に進み出た。
「アタシ、百日の間に、十二の世界で百人の仲間を見出し、彼らと共に魔王を倒さないといけないんです。なのに、アタシを導くべきお師匠……いえ、賢者が敵方に寝返ってしまって、託宣がかなえられなくなりそうなんです」
「賢者が敵方に?」
室内がざわめく。
「ジャンヌさん。具体的に、今、どんな事で困ってらっしゃるのですか?」
「アタシ、あと四つの世界に行って、三十六人を仲間にしなきゃいけないんですが……」
言いかけた言葉をやめ、アタシは口元に手をあてた。
「違いました。アタシ、さっき、そちらのシャルル様にキュンキュンしたから、あと三つの世界に行って、三十五人を仲間にするんでした」
「ああ……勇者ジャンヌ様。私を『伴侶』にしてくださったのですね」
シャルB様が、うっとりとアタシを見つめる。
「出会ったその瞬間に、恋の花が艶やかに咲くこともあります……勇者ジャンヌ様、『一目惚れ』という言葉をご存じですか?」
「だから、黙っていなさい。『伴侶』に加えられたからといって、浮かれないでください」女学者さんに叩かれるシャルB様。
そんなスキンシップすら羨ましそうに見つめるシャルA様。
え〜と……
あれ?
アタシ、『伴侶』って言葉……使ってないわよね……? シャルB様は、アタシの仲間=伴侶って理解してるようだけど……
むぅ?
ん〜
………
ま、いっか。
「三つの異世界に渡る手だてが欲しいんです。アタシの学者テオドールさんは、今手元にある『勇者の書』から行ける世界の裏へ行こうと頑張って研究してくれてるんです。けど、『魔法陣反転の法』の呪文がまったくわからなくって……このままじゃ、魔王戦までに百人の伴侶を揃えられないかもしれない。今日、絵の部屋に居れば、どうにかなるかもしれないって、ドロ様が占ってくれたから、それで、」
「ドロ様?」
あ、ヤバ。
「アタシの占い師のアレッサンドロさんです。彼が、占ってくれたんです」
部屋を見渡した。
来てるのは……硬直中のアラン、ジョゼ兄さま、シャルA様、テオだけだわ。
ドロ様は来てない。クロードも居ない。
「本人は、今、この場に居ませんが」
「では、手元にある勇者の書の書名をお教えください」
えっと……
アタシの代わりに、テオがすらすらっと答える。
「『勇者の書 7――ヤマダ ホーリーナイト』『勇者の書 24――フランソワ』『勇者の書 39――カガミ マサタカ』『勇者の書 78――ウィリアム』『勇者の書 96――シメオン』の計五冊です」
「『勇者の書 96――シメオン』?」
女学者さんが、メガネをかけ直す。
「確認させてください。そちらの九十六代目勇者様のお名前は、『シメオン』様なのですね?」
テオが頷く。
「現賢者様でもあられました。もと九十六代目シメオン様は、理由はわかりませんが勇者様と敵対する女神――ブラック女神の器となってしまわれたのです」
「ブラック女神……」
女学者さんが、スーッと目を細める。
「そちらの九十六代目様のことをもう少し詳しく教えてくださいませんか?」
「《汝の友愛が、魔王を滅ぼすであろう。天駆ける竜を求め、一つとなりし心を刃として振るうべし》との託宣を受けられた方で、」
テオが、お師匠様が神様からもらった託宣を立て板に水な感じで口にする。
魔王戦後に世に公開された歴代勇者の託宣を暗記してるのだ、テオは。勇者おたくだから。
「幻想世界の竜王デ・ルドリウ様の娘である白竜マルヴィナ様を騎乗竜とし、竜騎士として魔王に挑まれました。白銀の鎧をまとい、岩石魔人すら一突きで砕く白銀のランスをふるい、新雪のように美しい白竜と共に天駆ける、雄々しい方だったと言われています」
シャルA様も、言い添える。
「荒事とは無縁そうな外見なのだがね。白銀の髪に、菫色の瞳。常に無表情で、何を考えているのかよくわからない方だった。顔立ちが整いすぎているせいもあって、冷徹な人物のような印象を他者に与えていたな」
「そんなことはないわ」
我知らず声が出ていた。
「お師匠様は、感情を外に出すのが下手なだけ。冷たい人じゃない。十年いっしょに暮したんだもの。アタシは、よく知ってるわ」
こんなこと……今、言うべきことじゃない。異世界まで来て……。なのに、
「アタシが熱を出した時は、つきっきりで看病してくれたのよ。がんばって課題をこなせた時は『よくやった』って頭を撫でてくれたし。誕生日には必ずアタシの大好きなコーンポタージュをつくってくれて、最後に絶対プリンを出してくれた。家に帰りたいって、びぃびぃ泣きわめいたアタシを、一晩中ずっと抱きしめてくれた……」
いったん、口を開いたら止まらなくなった。
「アタシが残念な伴侶を増やす度に、お師匠様はすっごく心配してくれた。戦闘力の無い伴侶ばかりになったら困るのはアタシだって。もっと真剣になれって、静かに叱ってくれたわ」
ずっと言いたくて……でも、言えなかったから……『勇者』として口にできなかったから……心の中にためこんだものがあって、それが爆発しちゃったって感じだ。
信じたくなかったのだ、アタシは。
お師匠様がアタシを裏切っただなんて。
アタシを殺そうとしているだなんて。
それが本当のことだとわかっていても……受け入れられずにいたのだ。
「『勇者と魔王がある限り、終わりなき過ちが繰り返されるだけ。その愚かなる輪を断ち切る』……だったっけ? その心境にいきついた者が、ブラック女神の器になるんだって、マ……」
ぐ!
突然、喉を押さえてうずくまったアタシ。
この世界の人も、アタシの仲間たちも、心配して周りに集まってくれる。
「どうなさったのです、ジャンヌさん?」
「大丈夫ですか、勇者ジャンヌ様?」
「……勇者様、NGワードを口にしようとしましたね?」
……テオにはバレてるし。
ええ、そうよ。『マルタン』って言いかけたの。聖痕のせいで、首が絞まったの。それだけよ!
「暁ヲ統ベル女王ノ聖慈掌・弐式〜」
淡い光に包まれて、呼吸が楽になった。
今のアレな回復魔法って……
マルタンのヤツ……?
いや、なんか、呪文がちょっと違うような?
ニコニコ笑顔の尼僧さんが、
「お加減は、いかが、ですか〜? 異世界の、勇者さま〜」
スローテンポのほんわか声で聞いてくる。
「ありがとうございます、もう大丈夫です。楽になりました」
って答えたら、ますます可愛い笑顔になって……。
胸が、きゅぅぅんとした。
「どうやら、あなた方の世界は『ボーヴォワール伯爵家の家族構成が違う』というだけの並行世界ではないようですね。少なくとも数百年、私達とは違う歴史を歩んできている……」
女学者さんが真面目な顔でそう言ってから、背後へと顔を向けた。
「ああ、やっといらしたようですね。異世界の方々、ご紹介します。あちらにいらっしゃる方が、この世界の現賢者様です」
女学者さんが掌でさした先には……
移動魔法の光に包まれて、美しい人が居た。供を一人連れて。
息をのんだ。
さらさらと流れる月光の輝きのような髪、
冷ややかな美貌と見える、整いすぎた顔。
表情が無いせいで冷たい印象を受けるけど。
でも、アタシは知っている。
不器用なだけで……本当は豊かな感情を持った心優しい人なんだって。
賢者の証の、白銀のローブこそ着てないけど。
身につけているのは、魔術師みたいな黒いローブだけど。
誰だか間違いようもなく。
「お師匠様!」
我知らず……アタシは走り出していた。美しい人のもとへと。
そして……