一輪の花
ものすごいスピードで、アタシは落ちていた。
……はずなのに、落下速度はだんだん遅くなって。
なんで? と思った時には、
もふっと柔らかいものの上に、アタシは落っこっていた。
ぬぅっとアタシの上に陰を差しながら、覗き込んできたものは……
「ヨメ、イタイないか?」
金の瞳の、蒼毛の狼で……
「またあえた。ヨメ、来た。やっと来た」
「カトちゃん?」
狼王の?
アタシ、カトちゃんに抱っこされてる????
落ちて来たアタシを、カトちゃんがキャッチしてくれたわけ?
どうして、ここに? って聞く前に、カトちゃんはガバッ! と上体を倒してきて!
「オレさま、まった。ずっとずっと、いい子。ほめていいぞ」
ハッハ荒い息を吐きながら、デッカイ舌でベロベロベローンと……
ちょ!
まっ!
やめて!
ストップ! ストップ! ストップ!
舐めるなら、小狼の時にして!
ほっぺたから髪の毛まで、ぐしゃぐしゃよ!
息も、すっごい生臭いし! に、肉食だから、しょうがないんだけど!
アタシを丸呑みできそうなデッカイ口も、氷柱みたいに尖った牙も、デンジャラス!
食われそうで、怖いわ!
「舐めるのやめて!」
と、叫んだら、カトちゃんの舌はピタッと止まった。
「わかった。ヨメいいと言うまで、なめない」
……あいかわらずね、カトちゃん。
パパッと、自分の体に触ってみた。
よし!
三つ目も、白黒翼も消えてる!
アタシの体を弄んだ奴を追い出したんだから、当然よね!
狼王にお姫様だっこされながら、周囲を見た。
まぶしすぎて、まともに見えないけど。
辺りには、白い輝きがまだ満ちている。
グッバイの魔法の輝きが消えない限り、お師匠様やデ・ルドリウ様、みんながどうなったのかはわからない……。
目を細めながらアタシがキョロキョロと辺りを見回していると、
「だ〜いじょーぶ! 賢者様は無事だから!」
アタシの不安を軽く打ち消す明るい声が……
この声は……
「クロード?」
デッカイ蒼毛の狼王の後ろから、ストロベリーブロンドの髪の幼馴染がひょこっと顔を覗かせる。
「遠見の魔法で見てたよ。使徒様が狙ってたのは、人造人間だから」
「え?」
「英雄世界で会ったアレだよ。高位の存在が降りる為の器、サイオンジ サキョウさんが『生きている人形』だって言ってたアレ」
「それって、アタシたちを次元穴の所に閉じ込めた『お師匠様の偽物』のこと?」
「そ、そ、そ」
クロードが大きく頷く。
「探知の魔法で調べたから間違いないよ。デ・ルドリウ様の背中に居た竜騎士は、賢者様じゃない。賢者様そっくりな姿につくられた、魔法生命体だ。使徒様は、そこに降りてたブラック女神を追い払おうとしただけ。賢者様は無事だよ!」
あ……
体中から、力がぬけた。
お師匠様は無事なんだ……
良かった……
「それにね、ジャンヌ。聞いて」
クロードが身を乗り出す。
「賢者様はね、まだ賢者様なんだよ」
「………?」
「ボクらの世界には、賢者は一人しか存在できない。ジャンヌが賢者にならない限り、賢者様はずーっと賢者様のままなんだ」
「うん……?」
「つまり!」
幼馴染が拳を握りしめる。
「不老不死のままなんだよ! 使徒様のお怒りに触れて浄化されたとしても、八百万那由他の彼方に飛んでくことはない! 『賢者』だから生き返る! 蘇るんだよ!」
!
「それどころか! 使徒様が邪悪部分だけ祓ってくだされば、ブラック女神だけが浄化されて居なくなるわけで! もとどおりの賢者様が、ジャンヌのもとに帰ってくるかもしれないんだ!」
「それ……ほんと?」
って聞いたら、
「わかんない」とか言いやがって。
「そーだったらいいなあってボクの願望」
ぉい。
「だけど、そーかもしれないでしょ? ねえ、ジャンヌ。わかんないことを、悪い方へ悪い方へ考えるのだけはやめて。ジャンヌに悲しそうな顔は似合わないよ。ジャンヌはボクの太陽だもの。いつもステキな笑顔でいて。ね、お願い」
………
やだ、なに、それ。
その慰め方……ちょっと口説かれてるみたい。
ま、ちょっとだけどね!
クロード、それにアタシを抱っこしてグフグフ笑ってる二足歩行の大狼。
二人を順に見て、アタシは首をかしげた。
「なんでカトちゃんと、どうしてここに?」
「オレさま、こいつ助けた」
えっへんと、カトちゃんが胸をそらせる。
「うん。カトヴァド君にはいっぱい助けてもらった」
更にえっへんと、カトちゃんが大きく胸をそらせる。
「ヨメ、ほめていいぞ」
鼻の穴をむふ~むふ~させてるんで、「偉い、偉い」って誉めてあげた。
グフグフが、よけいひどくなる。
ちょっ!
ヨダレたらしてこないでよ、カトちゃん!
クロードが、遠くを見つめながら言う。
「森の王さまに、ダーモットさんに会いたい、もしも捕まってるなら助けたい、力を貸してくださいってお願いしたんだ。そしたら、デ・ルドリウ様のお城に飛ばされてね」
「あの荒野のハゲ山に?」
「うん。えっとね、普段ボクらが会ってるダーモットさんは正確に言うと本物じゃないんだ」
む?
「リッチは職変更時に、魂を別所に移すんだよ。だから、魂を移した器こそが本体なわけ。その器を破壊されれば死んじゃうし、器が封印されれば何もできなくなる。分身を出現させるともできなくなるんだ」
その話、前に聞いたことがあるような……ないような。
ようするに、
「その本体が、デ・ルドリウ様のお城の中にあったのね?」
「うん、そう。ダーモットさんがリッチになっちゃった時、デ・ルドリウ様もそばにいて、魂の器が何なのかご存じだったんだって。それで、今回、盗まれちゃったわけ」
遠くを見やりながら、クロードがかわいらしい顔をしかめる。
つられて、アタシもそちらを見た。
「カトヴァド君は、たまたまデ・ルドリウ様のお城に遊びに来ていて、操られてたんだ。最初はボクも襲われちゃったんだけど、ボクの体にジャンヌとエドモンさんの匂いが移ってて……」
マルタンの浄化魔法の輝きは、もう消え果てている。
遠くに、巨大な黒竜。
飛行する力を失ったのか、大地に落ちている。
その全身に巻きついているのは、半透明な黄金色の翼竜だ。
エドモンにくっついていた奴っぽいけど、それにしては大きすぎる。
小山ほどデカイいデ・ルドリウ様の全身に、絡まりついている。
それは、まるで、トカゲをがんじがらめに締め付けてる蛇のようで……
デ・ルドリウ様がジタバタ暴れ、怒りの声をあげている。
巨大な黒竜が動く度に、大地は揺れ、地面がえぐれ……野原に大穴があいてゆく。
エドモンたちが居た丘も、半ば崩れてる。
頂上は散々たるありさまだ。巨石群は倒れ、旗は折れ、土塁も崩れ……
なのに、エドモンはその場に残っていた。
翼竜と竜王の戦いの結末を見届ける、翼竜が敗れた時は己が戦おう……そう言わんばかりの顔は毅然としていて……まるで本物の『王』のよう。
エドモンの後ろに、ジュネさんも残っている。声を張り上げ、戦勝の呪歌を唱え続けている。
アタシの風精霊と土精霊は、丘の上の宙に浮かんでいる。いざとなったらエドモンたちを守る為に、待機してるようだ。
他のみんなは、丘を降り、遠巻きに竜王を囲んでいた。
戦斧を構えるドワーフの王様。
矢も無しに長弓を引くエルフの王子。
ピナさんを体に宿した兄さま。
三人とも、いつでも参戦できる体勢だ。
デ・ルドリウ様の背には……
偽お師匠様は見当たらない。
マルタンのグッバイの魔法で浄化された?
「ごめん、ジャンヌ。話はあとで」
クロードがごにょごにょと呪文を唱え出し、握りしめた杖で、勢いよく足元を突く。
今、気づいた。足元が紫雲だわ。クロードの精霊にカトちゃんと乗って、ここまで飛んで来てくれたっぽい。
「大魔法使いダーモットさん。絆石を通じてお願いします。竜と竜騎士の絆をもって、あなたの竜をお鎮め下さい!」
クロードの指から、鮮やかな光が広がり……
生まれた七色の光が、大地を転がる黒竜へと飛んで行く。
光が目指したのは、竜王の背、首と翼の付け根の間の間に浮かび上がっている魔法陣。
さっきまで偽お師匠様が立ってた所だ。
そこに光が集った途端!
光は形となった。
現れ出でたのは、ボロボロのローブをまとった角つきの杖を持つ魔法使い。
ローブから覗く顔は、髑髏……。
不死の魔法使いダーモットだ。
《汝、我が声に耳を傾けよ、竜王》
さながら雷のように、ダーモットの声が響く。
《我は汝の竜騎士ダーモット。森の王が結びし縁によりて、汝の背を許されし者なり。天駆ける竜と心を一つとする存在が命じる。汝、目を覚ませ、竜王。汝は、今、悪夢の中に居る》
竜王の巨大な口がもうもうと黒煙を吐く。
ブレスを吐こうとして、翼竜の締め付けに阻まれた……そんな感じだ。
《汝が今、狂気に走る理由などなし。竜王よ、我が友デ・ルドリウよ。汝は悪夢に惑い、偽りの怒りに溺れているだけ。くだらぬ術より目覚めるがいい》
吠えながら、黒龍がゴロゴロと横転する。
背のダーモットを払い落とそうとしているのだ。
けれども、リッチは魔法陣の上に垂直に立っている。特殊な重力魔法が働いているのだろう、竜王がいくら暴れようと振り落とされる気配はない。
《汝の半生は、血塗られてきた。迫害の時代、血の涙を流せし時、絶望の海に沈んだ記憶は、決して消えまい。なれど、今、汝は闇の中に居らぬ。小さきものを愛する、獣の王よ。その愛ゆえに、汝は他者と繋がる術を得た。愛を思い出せ》
ダーモットの杖が魔法陣をつく度、デ・ルドリウ様が苦しそうに吠える。
杖を通して、魔力や言葉を伝えているのか。
《汝は孤独に非ず。汝は、竜を統べる王。竜騎士たる我、汝を友と認めるドワーフ王、汝を慕う幼き狼王、汝を『神』と崇めるリザード族、あまたの獣たち……汝と共にあるものは少なからず。異世界の勇者とて汝の身を案じ、この世界に来られた。汝は一人ではない》
一呼吸置いてから、リッチが静かに言う。
《汝、亡き娘を失望させたいか?》
竜王の巨体が、大きく動く。
《娘の最期の想い、我が伝えたはず。娘の敬意に、汝、父として応えよ。応えずば、幼くして逝った娘が哀れぞ》
ゴゴゴゴと……うなる風のような声をあげ、竜が啼く。
もう暴れてはいない。
苦しく、悲しい声をあげ、啼き続けているだけだ。
地に落ちた竜王の巨体。
巨大な竜王がつくる陰の中から、すぅぅっと……
白いものが現れる。
髪も肌も服も、目までもが真っ白な子供――ニコラだ。
ピクさんの移動魔法で、闇から闇に渡ってきたのだろう。
黒クマさんと赤クマさんを従えたニコラは、おそれることなく竜王の巨大な左顔へと向かい……
自分よりも大きな左の大眼の前で立ち止まり……
その左手を、デ・ルドリウ様へと差し出したのだ。
竜王の巨大な水晶眼が、ニコラを見つめる。
ニコラの左の掌には、あの白い花が咲いている。
掌を大地の代わりとして、すくっと立つ小さな白い花。
淡く綺麗に光っているそれは……お師匠様とマルヴィナの思い出の花だ。
白い花びらの可憐な花。
小さな花に、少女の姿が重なり出す。
口元に手をそえて、愛らしく微笑む十才ぐらいの外見の少女……マルヴィナは幸せそうに微笑んでいる。
幻の少女が、愛らしい口を開く。
《愛しているわ、シメオン……あなたに出会えて良かった》
《いっしょに生きられないのはさびしいけど、》
《あなたが生きていてくれれば、それでいいわ》
《生きて、シメオン》
《生き続けて……》
《いつかきっと、あなたにも大切なものができる。命をかけてでも、守りたいものがきっとできるわ》
《それまで死んじゃダメよ。ぜったいよ。約束して……お願い》
《それから、一つ頼まれて……》
《約束を破ってごめんなさいって、お父さまに伝えて欲しいの。必ず帰るって約束したのに。お寂しい思いをさせてしまって、ほんとうにごめんなさいって》
《でも、お父さまの娘でいられて、シメオンと出会えて……。ドラゴンにしては短い生涯だったけど、わたし、幸せだった。ほんとうよ》
《だから、泣かないでね……》
《さようなら……幸せになってね……愛しているわ》
《マルヴィナ……》
小山のように巨大な黒竜は姿を消し、
壮年の人間の姿を象った者が現れる。
光沢のある黒の鎧に、背には黒いマント。
右の眼を黒眼帯で覆った姿は黒騎士のように勇ましいけれども。
その顔は憔悴しきっていて、涙に濡れていた。
ダーモットと翼竜が、その体から離れる。
デ・ルドリウ様はニコラの前にかがみ、その手をとり……
愛しい娘の幻へと、頬を寄せた。
《マルヴィナ……》
竜王の慟哭が響き渡る。
自分の手をとる竜王に、ニコラは最初こそ戸惑っていたものの……
やがて右手をあげ、
竜王の頭をそっと撫で始めた。
《よしよし。元気をだして》
白い子供が、いかめしい姿の竜王を優しく撫でる。
《いたいのいたいのとんでけ〜》
いたわるように、ただ優しく……。
《汝、悪夢より目覚めたな、竜王》
《すまぬ……。シメオンが現れたのは覚えておる。しかし、その後の記憶が定かではない。覚えておるのは、『終わりなき過ちを断て』という声と、絶望と激しき怒り……。マルヴィナを失いし日の記憶が果てなく再現されていたように思う》
《怒りのあまり汝は理性を失い、獰猛なる竜となり、ブラック女神なるものの意のままに操られていたのだ》
《ブラック女神?》
《話は勇者に聞くが良い。それと竜王、汝は暴走しこの世界に災いを振りまいた。汝の意思に非ずとも、その罪は消えぬ。そこなるドワーフ王、エルフの王子の意見も聞き、償いの道を探すがいい》
《うむ》
《……汝の難事であるが、すまぬが我は手助けできぬ。こたびの騒動で、我は力を失い過ぎた。しばし休息をとる》
デ・ルドリウ様の側からダーモットの姿がすぅぅっと消えると同時に、
ぱりぃぃんって乾いた音がすぐ近くからして、
幼馴染がへたりとその場に座り込んだ。
杖を支えにかろうじて、座っているけれど。杖が無きゃ、ぶっ倒れてるんじゃ?
「大丈夫、クロード?」
「へーき、へーき」
ほにゃ〜とした笑顔は、いつも通り。だけど、顔色が悪い。白を通りこして、青黒いというか。
「ダーモットさん……ひどい形で封印されていて……デ・ルドリウ様の竜騎士でもあるから……デ・ルドリウ様に近づけたら、正気に戻されるかもって……ブラック女神が警戒したからだと思うんだけど」
ゼーゼーと荒い息を吐きながら、幼馴染がへら〜と笑う。
「カトヴァド君に助けてもらって……救出はできたんだ。でも、自力で分身つくれないって言うから……絆石を通してボクの魔力を吸収してもらって、分身を生み出してもらったわけ……。だけど、いくら魔素を吸収しても、やっぱ難しくって……ボクぐらいの魔術師が大魔法使いのダーモットさんを構築しようとすると、どうしても無理が……」
絆石ぜんぶ壊れちゃったと、クロードが泣き笑いの顔で指を見せる。
「せっかく……五つも貰ったのに……一個は結界つくる時に使っちゃったし……」
「いいから、黙れ」
もうあんた、しゃべるな!
「ちょっと待って、今、ピクさん呼ぶから」
「あ〜 だいじょうぶ、だいじょーぶ」
へらへら〜 とクロードが笑う。
「今……ユーヴェちゃんに、治療してもらってるから……」
へ?
「ユーヴェって、あんたの光精霊よね? 紫外線しか使えない半人前の」
誰のしもべにもなれず、光界でず〜っと売れ残ってた子でしょ?
ルーチェさんの抱き合わせ商法で、(半ば)無理矢理あんたが押し付けられた。
えへへっと、クロードが笑う。
「こっちでさ魔法を使う時、ユーヴェちゃんに同化してもらったから……魔力の流れとか、ユーヴェちゃんも、なんとなく感じ取れるようになって……」
へー
「これも、空気中まで魔素がいっぱいの幻想世界のおかげだよねー 紫外線魔法以外もね、ちょっと使えるようになったんだ……」
へー へー へー
「それで、今、治癒魔法使わせてるの?」
「うん……」
けど、あんたどんどん顔色悪くなってるような。
治癒魔法使えるって言っても、初期レベルとかその程度なんじゃ……?
「ヨメ。オレさま、なめる。うまい、治す。そいつ、なめる、するか?」
「ううん、いいわ」
……ピクさん呼ぶから。