獣の王
憑依中の使徒様が、空中浮遊の魔法でアタシの体を運んでいる。
アタシは何もしてないというか。
……何もできないというか。
ただ見てるだけだ。
空の旅は、ものすご〜く順調だ。
道中には、デ・ルドリウ様の手下――岩石巨人やら、悪魔の石像やらがわんさかいるけど。
まったく問題なくて。
魔法生物たちが襲いかかってきても、奴らに誰か(エルフやら獣人やら小人やら)が襲われているのを発見しても、
「儚キ夢幻ヨリ舞イ堕リシ天獄陣!」
アタシに憑依しているアレな奴がアレな魔法で掃討するから。
「破壊、騒乱、放火、暴行、殺人未遂の現行犯だ。内なる俺の霊魂が、マッハで、きさまらの罪を言い渡す」
空気中の魔素のおかげで、魔力は無限大。
「その死をもって、己が罪業を償え・・・終焉ノ滅ビヲ迎エシ神覇ノ贖焔!」
神聖魔法うち放題。
邪悪退治し放題。
その上、根こそぎ敵を祓った後には、感謝感謝の声が。
「危ないところを、ありがとうございました」
「あなたこそ、まさに神!」
「御恩は一生忘れません。白と黒の翼を持つ三つ目の少女よ!」
「きさまらに、神のご加護があらんことを。あばよ・・・」
マルタンは、ず〜っと超ごきげんだ。
口元がず〜っとにやけまくってる。
「ククク・・こここそが、俺の楽園・・」
ええ、ええ、ええ!
あんたには、そうでしょうね! アレなファッションできるわ、神聖魔法うち放題だわ、おまけに感謝されまくって!
だけど! アタシは顔から火を噴きそうよ!
お願い! 幻想世界のみなさん、忘れて!
三つ目も白&黒の翼も、アタシの中のアレな奴が暴走しただけなの! てか、これ、実用性ゼロ! ただ生えてるだけのファッションなの!
女勇者ジャンヌ=今のアタシだとは、ぜったいに思わないでぇぇ〜
くぅぅぅ……
デ・ルドリウ様を正気に戻して、早くこいつを追い出したい……
「ぬ?」
ノリノリで邪悪退治していたマルタンが、突然、上を見上げる。
「何の用だ? ここは俺の内なる十二の世界ではない。誰であろうとも、俺の道を塞ぐことはできぬのだぞ」
目に映るのは……まぶしい太陽、素晴らしく青い空、雄大な白い雲。
使徒様は、宙に向かって会話している……。
またイタイこと始めやがったか、この厨二病は……。
俺tueeeな設定つくりまくって、わざとらしく独り言。俺すごくね? すごくね? 聞いて聞いて〜、って周りにアピールするのよね、確か。
まあ、今、空を飛んでるから、聞き手はアタシしか居ないんだけど!
「ククク・・無駄だ・・邪悪を粛清することこそが、俺の存在理由・・・邪悪によって滅びる世界など、二度と金輪際もう決して絶対にあってはならぬのだ。邪悪を逃す気など、微塵もない」
もしかして、もしかすると。
アタシの目には見えない誰かが、ほんとーにそこに居る……のかなあ?
とはいえ、目の焦点が合ってないってか。
遠い目をしてる……。
どこ見てしゃべってるのよ、あんた。
「・・ほう、正気か? ずいぶんと気前がいいではないか。それほど調和が大事か・・ククク、よかろう、望みを言え。聞いてやらなくもない」
使徒様がそう言った時、目の前いっぱいに野原が迫ってきて……
て?
え? え? え?
なに、これ?
落ちてる……わけじゃないか。
上空を見上げたままだ。
なのに、天から地を見下ろす形で野原も見える。
現実に、幻が重なってる?
遠見の魔法……?
緑の野原はなだらかな丘になっていて、丘の頂に屋根のない神殿のようなものが立っている。
巨大な石柱が円形に並べられているのだ。
その石柱にも、周りの土塁にも、一定間隔にはためている旗にも、幾何学的な複雑な模様が描かれている。この波模様は……獣使いの呪術模様だ。
神殿(もどき)の中に、人も居る。
全部で……五人。
視界が、ぐぅぅんと近づく。
五人とも、まるですぐそばにいるみたいだ。
知った顔ばかりだ。
それぞれみんな凄い格好なんだけど。
一番凄いのは、中央のエドモン!
既に人間じゃないというか……
翼竜をくっつけてるのだ。
翼竜の全身は、キラキラと黄金色に輝き透き通っている。半透明の黄色いゼリーというか。
長い舌を持つ恐ろしげな頭、蝙蝠のような皮膜の翼、鋭い爪を持つ足、蛇のように長い尻尾、黄金色の鱗。
エドモンは、黄金弓を真横に寝かせて矢を構えているんだけど。
黄金弓と矢、それにエドモンの両手が、半透明の翼竜の中にすっぽりと収まっているのだ。
矢の先端は翼竜の頭部の中、黄金弓が翼のあたり、矢は胴体から尻尾の中……。
弓を持つエドモンの左手と、矢をつがえる右手までもが、ゼリー状の翼竜の中だ。
あまりにもナチュラルにくっついていて、エドモンから翼竜が生えているようにも見える……。
翼竜の全身は、キラキラ輝いていて。
その体から生まれる光の粒が、たんぽぽの綿毛のように風にのって飛んでいく。
あの翼竜、なんなんだろう?
あれが、エドモンが森の王から貰った祝福?
って思ったら、使徒様のつぶやきが聞こえた。
アタシに聞かせる為というより独り言のようだ。
「フッ。さすがは、帰先遺伝の男。黄金の血と妖精王の助力を得て、古えに滅びしものを蘇らせたか」
むぅ?
質問したくても、アタシは使徒様に話しかけられない。
わけがわからないまま、エドモンたちの様子を見つめるしかないのだ。
右腕の翼竜のインパクトが強すぎて、そっちに目がとられるけど。
今のエドモンが凄いのは、それだけじゃなくって……
長すぎる前髪を風に靡かせ、三白眼で空をみすえているエドモンは、ほとんど裸……いや、ちゃんと穿いてはいるんだけど! 赤い下着で、重要なところは隠してるんだけど! すっごく布が少ないというか! 紐パンというか、セクシービキニというか、Tバック???
『呪模様は見せて歩いた方が効果がアップする』ってジュネさんが言ってたから、全身の呪化粧を見せる為に脱いでるんだと思うけど!
直視できない……
でも、勝手に見ちゃうのよ! アタシの意志じゃなく、視界が、ほら、勝手に動くから! どうしても見えちゃうの!
エドモン……背は低いのに、体つきは逞しくって……。さすが農夫サブジョブ狩人のひと……。
ドキドキしちゃう……。
しかも、ジュネさんまで同じ格好!
男二人で、赤い下着一枚のペアルック……。しかも、ジュネさん、獣使いの鞭まで持ってるし……。
乙女には刺激が強すぎると言うか……
と、と、と、と……ときめいちゃう……
エドモンの真後ろに立つジュネさんは、さらさらのブロンドの髪を風に靡かせている。
そのお顔はどう見ても絶世の美女なのに、体はちゃんと『男』。
意外と筋肉質。色が白くてすらりとしてて、腕や脚が長い。ダンサーみたいな体つきだ。
その綺麗すぎる体と顔には、赤い呪術模様が描かれている。前だけしか描けなかったって言ってたのに、背中にも、腿の裏にも、ぷりんと出てるお、お尻にも模様がついていて……ソルが描いたのかしら?
ジュネさんは……何というか……ものすごく幸せそうな顔だ。エドモンの背を見つめ、うっとりと微笑んでいる。大好きな彼に自分の所有物の印を刻んだ上に、ペアルック(ほとんど裸!)してるわけだから、まあ、わかるけど。
ピンクなオーラが出てるというか!
ジュネさんの左隣には、ジョゼ兄さまが居る。
左の二の腕に、バレリーナ・クマさんをくっつけてるのはいいとして……
兄さままで脱いでいる! 上だけで、ズボン穿いてるけど!
こっちもすごい!
アランとタメをはるようなムッキムキ! 筋骨隆々のその上半身は、ま・さ・に兄貴!って感じ! ワイルド!
でもって、兄さまの上半身にも、ジュネさんが描いたと思われる呪術化粧が! 兄さまも、ジュネさんの獣扱いなの?
てか、その首! ピナさんとの契約の証――コーラルのペンダントはいいとして! コウモリ型の蝶ネクタイまでしてる! それって、アランから押しつけられた呪いのアイテム……もとい、吸血鬼王の魔法道具よね? あらゆる強化魔法を消去する音波が発生するとかいう。
……ちゃんとつけてたんだ、兄さま……律儀というか、押しに弱いというか……。
ジュネさんの右隣には、エルフの王子エルドグゥインが居た。
こちらは、脱いでない……いやいやいやいや! 別に脱いで欲しいわけじゃないのよ! ほんとよ!
緑のチュニックに、栗色のズボンにブーツ。いつもと同じ格好だ。
違うのは、左手に持った長弓。エルドグゥインの身長よりもデカい。蔓が絡まってる上に、妙な模様までついてる。エルドグゥインが、森の王からもらった祝福がこの弓っぽい。デ・ルドリウ様を倒せる武器なのだろうか?
エルドグゥインは怒りを押し殺したかのような表情で、空を見上げている。
そして、あともう一人。
エドモンのやや斜め後ろ、兄さまの前に、一人だけ重装備の方が居た。
側頭部に象牙のような角がついた兜、複雑な模様が刻まれたいかめしい鎧、背にはマント。手に持っているのは戦斧。
背はとても低いけど、横幅はしっかりあって、ボサボサの赤髪に赤髭。
ドワーフの王様だ!
お久しぶりです!
ドワーフの王様は、戦斧をどっしりと構えて前方を見据えていた。敵を一撃で倒せるチャンスを待ち続ける……ドワーフ戦士らしい顔で。
突然ジュネさんが、うぉ〜うぉ〜獣のように吠え出し。
エドモンが天に向けて黄金弓を構え。
エルドグゥインは、矢もつがえず彼の身長より大きい弓を引き。
ジョゼ兄さまは格闘家の迎撃のポーズをとりつつ、首のコウモリの蝶ネクタイをいつでも触れる体勢となり。
ドワーフの王様だけが、でっかい戦斧を構えたままジーッと待つ……。
キィィーンと。
耳をつんざくような不快音を響かせ、天が裂ける。
遥か上方に亀裂が走り、布がびりびりと裂けるかのように青空が割れはじめ……
切れ目同士がつながり、不格好な四角い形に切り取られた宙は、そのままがくんと抜け落ちた。
大きな……
ひたすら大きくて黒いものが……
姿を見せ始める。
ごうごうと風をうならせながら。
小山のように巨大な黒竜――デ・ルドリウ様だ。
黒い鱗で覆われた、大トカゲに似た恐ろしげな外見。鋭い口に、巨大な爪、ぎょろりと地を見下ろす赤い隻眼。
その背の二枚の翼が羽ばたく度に旋風が生まれ、巨大な口はあらゆる獣を惑わす咆哮を放つ。
竜王の背、首と翼の付け根の間ぐらいに、魔法陣が浮かび上がっている。
その魔法陣の真上に、全身を白銀の装甲で覆った人がたたずんでいる。
右手に巨大なランス。左手には盾。
兜が邪魔で顔は見えないけれども、バイザーをあげて覗かせた目元は間違いなく……お師匠様のもので。
竜と一体化し、竜と共に戦う者。それが竜騎士だ。
お師匠様は、空を飛ぶデ・ルドリウ様の背で、体勢を崩すことなく佇んでいる。
デ・ルドリウ様の背に生えてるみたいな安定感。魔法陣に、重力をコントロールする効果があるのかも。あの魔法陣が、竜騎士の騎乗場所なのか。
真っ先に動いたのは、エルドグゥインだった。
彼が長弓を鳴らした途端、竜の咆哮が聞こえなくなったのだ。
代わりに辺りに響き出したのは、竪琴のようにやわらかで豊かな音で……
エルドグゥインは幻の矢を射続け、竜の咆哮を消し去る美しい曲を奏で続ける。
デ・ルドリウ様が、大きく喉を鳴らし、下降を始める。
背のお師匠様は、槍の先で丘の上の者たちを指している。
たぶん、『殺せ』とデ・ルドリウ様に命じているんだ。
カッと口を開き、ドラゴンが強烈な火焔を吐く。
鉄をも溶かす、高熱の炎だ。
すかさず、ドワーフの王様が、斧を振るう。
うわ!
斧から生まれた竜巻が、ドラゴンブレスを押し返してく!
あの戦斧、魔法斧なんだろうけど! ちっちゃなドワーフが、ドラゴンブレスを押し返す風を生み出すとか! 凄すぎ!
炎と風が宙でぶつかり合い、
そこから弾ける炎を、風精霊と、兄さまの炎精霊が散じさせてゆく。
ジョゼ兄さまが、コウモリ型の蝶ネクタイに触れる。
吸血鬼王ノーラの力で、黒竜を覆っている強化魔法を剥いでいるんだろうけど……どれだけ消せているんだろう? デ・ルドリウ様は、小山のように巨大なんだもの。その全身に、あの音がかかっているとは到底思えない。
そんな中、獣使いのジュネさんは、自分の獣を高める鼓舞を続け……
エドモンは、黄金弓を――翼竜と一体化している弓を構え、睨み続ける。
のんびりとした彼らしくない、目つきで。
普段のぬぼーっとした雰囲気はまったくない。
呪術化粧で飾られたその顔には威厳があふれていて、『獣の王』と言われればそうか!って納得できちゃうぐらい凛々しい。
その深紅の瞳がみすえるのは、深紅の隻眼を持つ竜王。
竜王の巨大な眼もまた、エドモンをとらえていた。
両者は、激しく睨みあっている……。
「なるほど・・」
チッと、アタシに憑依中の男が舌を打つ。
「勝者は獣の王でなければならぬ・・・か」
「クッ。この楽園で、いっせいに、こぞって、景気よく、全ての邪悪どもを祓いきってやりたかったが・・・」
マルタンが、肩をすくめる。
「まあ、いい。今日のところは、きさまの望み通りに動いてやる。報酬は、俺の雇用主に振り込んでおけ」
えっと……
これは……
取引がまとまったってこと?
遠見の魔法でエドモンたちの様子を教えてくれた存在が、ここに居るのよね? アタシには見えないけど。
想像の相手と会話してるんだったら、やだなあ。
アタシに宿った奴が、にやりと笑い、顎をしゃくる。
「・・では、始めようか・・聖戦だ」
気がつけば幻は消え、
「ふはははははは!」と大口を開けて笑いながら、
アタシは、風を切って宙を飛んでいた。
周囲は宙。眼下に緑の絨毯。そして、遠くに、デ・ルドリウ様。
うねる尻尾。巨大な黒竜は背の翼で空を飛び、草原に向かいブレスを吐いている。
凄まじい勢いで熱いものがアタシの内に流れこみ、ぐぅぅぅんと光が満ちてゆく。
魔素を大量に吸い込んでいるのだろう。
移動速度は、どんどんあがってゆき……
アタシの体はまばゆく輝きだし……
さながら、太陽のように輝き出して。
マルタンにとっての射程距離まで、竜王に接近したのだ。
「洗脳、誘拐、詐欺、騒乱、器物破損、傷害・・その他もろもろ罪状てんこもりだ。勇者の死を願う、愚かなる罪人よ! 世界の滅びを望む、穢れしものよ! 内なる俺の霊魂は、マッハできさまが有罪だと言い渡している!」
アタシは、腰をくねっとひねり、右手を前につきだしたアレなポーズをとっている……
白黒翼つきで三つ目で、この恥ずかしいポーズ。下から見たらどんなだろうとチラっとは思った。
だけど、それよりも何よりも。
マルタンの視線の先が、気になって……
こいつが見ているのは、デ・ルドリウ様じゃない。
その背にたたずむ白銀の鎧の竜騎士……
お師匠様だ……。
ドキンと胸が跳ねた。
「残念だ、賢者殿・・」
ニィィとアタシの口元が笑みを形作る。
「大恩あるあなたと敵対することになろうとは・・まったくもって、ただひたすら、どこまでも残念至極としか言いようがない」
て、言いながら、大笑いしてるし!
何がおかしいのよ、あんた!
お師匠様に何する気?
お師匠様が、こちらを見上げる。その体から、ゆらりと黒い瘴気をたちのぼらせながら。
「手を出すなよ、女」
ひとしきり笑った後、マルタンがアタシに話しかける。
「堕落前が何者であろうが、関係ない。邪悪に堕ちしものは粛清するのみ。・・・俺の聖戦を邪魔するのであれば、女、きさまも敵だ。邪悪ともども滅ぼしてくれる」
ちょっ!
あんた、何を?
そう思った時には、アタシの内側にギラギラ光る巨大な聖霊光が溜まっていて……
それは、アタシの肌を突き破るような勢いで飛び出して……
「その死をもって、己が大罪を償え・・・真・終焉ノ滅ビヲ迎エシ神覇ノ贖焔!」
浄化魔法が爆発的に周囲に広がってゆく……
そう感じた時、アタシは……
叫んでいた。
アタシの体は、今、使徒様のものだ。
のっとられたアタシは、何もできない。喉から声を出すことも、もちろん無理だ。
だけど……嫌だったのだ。
邪悪に堕ちたのだとしても、お師匠様はお師匠様で。
アタシのたった一人の大切な人だから……消えて欲しくないと思って……
だめぇぇぇ! やめてぇぇぇ、マルタン!
心の中でそう叫んでしまった。
それが、マルタンへの拒絶になるなどと想像すらせずに。
一瞬、視界が真っ赤になって。
アタシの内に憑依している奴が剥がれてゆくのを感じた。
勇者の馬鹿力状態になって、マルタンを体から追い出したのだと気づいた時には……
全てが手遅れだった。
マルタンのグッバイの魔法は発動してしまっていた。
容赦ない光が広がりゆくのを感じながら……
アタシは、落ちていた。
当然だ。
マルタンの魔法で宙に浮いていたのだ。
魔法の使い手を体から追い出してしまえば、空にとどまる術などあるはずもなく……。
痛いほどの風を感じながら、アタシは、ものすごい勢いで落ち続けた。