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きゅんきゅんハニー  作者: 松宮星
幻想の野ふたたび
169/236

妖精王のまなざし

 気がつけば、真っ白な霧の中に居た。


 ほのかに明るい白い世界が、延々と続いている……


 煙が充満しているかのように、霧が濃い。

 前を歩いていたはずのエルフの王子の姿が、まったく見えない。

「エルドグゥイン様?」

 呼びかければ、

「何でしょう、異世界の勇者様?」

 すぐに返事が返る。側には居るみたいだ。でも、前から聞こえたんだか、後ろからだか横なんだか、よくわかんない。


「ここは、もう妖精の国なんですよね?」


「そうです。森の王の国の外縁。決して晴れない、幻惑の霧に包まれた場所です」


「まえ来た時にも、霧の中を通ったわ」


「そうでしょうね。妖精の国への扉は、世界中に幾つかあります。けれども、行先は同じ。扉をくぐりし者は、必ずここに導かれます。この霧を抜けて王とまみえられる者こそが、真に招かれたものなのです」

 へー。


「……お供の方々もついて来ていますか?」

 そう聞くってことは、見えてないのね。

 目のいいエルフでも、濃霧の中じゃ無理ないか。


「……ああ」

《いるぜ》

 エドモンとヴァン。


「いるよー」

《ニャー ニャー ニャー》

《ニャー ニャー ニャー》

 クロードと、猫に化けてる精霊(しもべ)二体。


《ぼくもいるよ》

《精霊支配者よ、今のところ幽霊もわしも無事じゃクマー》

 あら。

 ニコラとピロおじーちゃん。


……以上?


 チャレンジしてないジュネさんは、ともかく。

 兄さま、早々に脱落?


「理由なき者は、霧の中にすら入れません」と、エルフの王子。

「森の王にまみえたいという強い意志、或は命にかえても誰かを守りたいと望む愛、または私欲ではない願い。そんな思いを抱く者だけが、霧の中に導かれるのです」

 なるほど。

 兄さまは『入るのは無理だろう』って、マイナス思考だったから入れなかった。そういうことか。

「このまえ、アタシ、なんの覚悟もないのに妖精の国に行けたけど?」

「あなたは勇者。神に愛されし存在(もの)ゆえに、妖精からも愛でられるのです」

 アタシは、特別枠なのか。


「しかし、悪霊まで入国するとは……意外です。この場に居るということは、許された(・・・・)ということなのでしょうが……」

 それからエルドグゥインは、小声でしゃべった。

 たぶん、独り言を言ったんだと思う。

 だけど、この霧の中は、不思議なほど他人との距離が曖昧。

 エルフの王子のつぶやきは、アタシの耳にばっちり届いてしまった。

「森の王の御心は、異種族である私には測りきれぬということか。死の穢れと怨嗟をまといしものを自国に招き入れるなど、自殺行為にも等しかろうに」


 ちょっとムッとした。


 たしかに、ニコラは悪霊だけど……

 悪いことはもうしない、神様の国には行けなくなったけど神様の教えを守るって、誓ってくれた。

 けなげないい子なのよ。

 人を殺したのだって、邪霊に騙されてのこと。アンヌちゃんに会えなくて、寂しくって、心の隙をつかれて、それで……。


 もちろん、人を殺してしまった過去は消えない。命を奪ってしまった人が生き返ることもない。ニコラは償いをしなきゃいけない。


 でも、悪さをするはずと決めつけるのは、偏見だと思う。

 誰にでも、立ち直る機会は与えられるべきじゃない?

 周りがその機会を潰すのは、やめて欲しい。


 ふと、左手に触れるものを感じた。

 アタシは、それを握った。

 小さくてやわらかい。けれども、熱を伴わない冷たいもの……ニコラの手だ。

 強くその手を握りしめた。


《おねーちゃん? おねーちゃんの手だよね?》

「そうよ」

 霧の中に隠れ、ニコラどころか、握っている手すら見えない。けど、そんなの、どうでもいい。アタシのニコラは、そばに居るのだ。

「いっしょに行こう」

 霧の中から、嬉しそうな返事が返る。

《うん》

 アタシの左手を握りかえしてくれる小さな手……。

 しっかりと握った。



《あ》

 小さな丸い光が、飛んで来る。

 どこからともなく現れたのは、掌サイズの光たち。淡く輝き、浮かんでいる。

 白い霧の中に、無数の光。

 舞い散る花びらのようにも、雪風のようにも、光の渦のようにも見える。

《きれい……》

 アタシもニコラも、光の乱舞にため息をついた。


 光たちは、しばらく周囲を飛び回り、やがて……


「うはぁ! エドモンさん、すっげぇぇ!」

 幼馴染(クロード)が感嘆の声をあげるほど、一カ所に集まったのだ。


 光の一つ一つは、とても光量が低い。

 けれども、それがたくさん集まることで、ピカピカとなって……

 霧の中からエドモンを浮かび上がらせている。

 不思議……エドモンが格好よく見える。英雄物語の主人公みたい。

 光の効果かしら? 赤い呪術化粧で彩られているせい?

 黄金弓までもが、煌びやかで神々しい。

 それは、まあ、いいとして。おんぶの形でエドモンの背に張りついているヴァンまで神秘的に見えるのは行き過ぎじゃ?


「これは……凄まじい」

 エルドグゥインの声。けれども、エルフの王子の姿は見えない。白い霧の中に埋もれている。

「これほど妖精に愛される存在(もの)が居ようとは……」


 エドモンの周りをくるくると回る光の玉たちは、全身で喜びを表す子犬みたい。興奮状態だ。


「まるで森の王そのひとではないか……」


 一方、光にまとわりつかれているエドモンは、いつも通りテンションが低い。

 下唇をつきだした不機嫌顔で、やれやれって感じにため息を漏らしている。

 うっとうしそうだけど、光を払わない。動きを妨げもしない。慕って近寄って来るものに、好きにさせている。


 動物に懐かれすぎる、いつも通りの彼のような。


「……森の王に、会いたい。竜王を正気に戻したいんだ。力を貸してほしい」

 エドモンがぼそぼそとしゃべると、光の玉たちがさらに大きく派手に動きまわる。

 エドモンにぶつかったり、彼の体にくっついたり。襟や袖をひっぱったり。


「あ」

 光の玉たちが集まって、エドモンの前髪を揺らしている。


 ゆっくりと、

 とても、ゆっくりと、

 前髪があがってゆく。


 うぉ!


 両目が露わに!


 初めて見た!


 すごい三白眼!

 のんびりとした彼らしくない、目つきというか……

 凶悪そうというか……


 虹彩が、ちっちゃい。


 あれ、でも……

 この色……

 宝石のような美しい深紅の瞳……


 これと同じ瞳を、アタシは見たことがある。


 いかにも迷惑そうに、顔をしかめ、目を細めるエドモン。

 光たちを見回し、彼がかぶりを振る。

「……いや、ちがう。おれは、ただの……」

 声がよく聞き取れない。

 そう思った時には、エドモンの姿はひどく遠退いていた。

 彼もアタシも歩いていないのに。


 妖精たちのまばゆい光の洪水も消え……


 辺りは、ふたたび真っ白な霧だけの世界となった。


「エドモン?」

 呼びかけても、返事はない。

「ヴァン?」

 エドモンといっしょの風精霊からも、返事がなく。


「クロード? エルドグゥイン様?」

 さっきまで一緒だった幼馴染とエルフの王子の声も聞こえない。


《……おねーちゃん》

 感じるのは、ニコラの手の感触だけ。


《招かれ損ねたようじゃのうクマー》

 聞こえるのは、ピロおじーちゃんの声。


《も、もしかして、おらのせい?》

 アタシと同化してる黒クマさんが、あたふたとうろたえる。

《闇精霊のおらが、同化してるがら、ジャンヌまで嫌われでしまっだんじゃ?》


《ピク。愚かなことを申すでない。闇は魔と近しいものではあるが、魔ではない。闇精霊は、穏やかな眠りを司り、死者への尊厳を抱くものであろうが。光さすところに陰が生じるのは、物質界の理じゃ。そなたとて、世界に受け入れられておる》


《だども、》


《ピクさんはぜんぜん悪くない》

 ニコラが声を荒げる。

《ピクさんのせいじゃない……》

 とても悲しそうに。


《ぼくのせいに決まってる。ぼくが悪い子だから、いっしょにいるおねーちゃんまで……》

 手をほどこうとするニコラ。

 アタシは、その手をぎゅっと握りしめた。

《どうして?》

 ニコラの声が、ますます悲しそうなものになる。

《おねーちゃんは、森の王さまに会わなきゃいけないんでしょ? ぼくなんか置いて、早く行ってよ》

 暴れる手を、放すものかと握り続けた。

《離してよ、おねーちゃん。はやく竜王をもとにもどして。竜王がおかしいままだったら、ピアさんはずっとあのまんまなんでしょ? おねがいだから、ピアさんを助けて》


「離さない」

 勇者は、一度決めたことを翻さない。

 そこに自分の正義があると信じるのなら、絶対に。

「いっしょに行こう」

《でも》

「ピアさんを助けに行こう」

《だけど……》

「アタシもピアさんを助けたいわ。でも、ニコラの方がアタシよりもずっとずっと強くそう思ってる。強い思いってね、力になるのよ。だからね、いっしょに行って欲しいの」

《おねーちゃん……》

「大切なのは、今よ。昔悪いことしちゃったとか、今はそんなことは考えないで。大事なお友だちを助けたい。それだけを考えて」

《うん……》

「でね、思いは口に出すといいのよ」

《そうなの?》

「うん。九十七代目勇者ユウ先輩が言ってたの。誰の言葉にも言霊は宿っている、悪いことを言えば悪いことがおきて、良いことを言えば良いことがおこるって。良いことだけを言葉にしましょう」

《うん》


「ニコラは、今、一番何がしたい?」


《ピアさんを助けたい》

 ニコラが、アタシの手をぎゅっと握りしめる。

《やさしいピアさんに、また会いたいんだ》



 その瞬間。


 ぱぁぁっと霧が晴れていった。



 遥か遠くに、夢のように美しいものがいる。


 蝶のような翅で、ふわりと宙に浮かんでいるのは……


「森の王?」


 青味がかった薄い紫色の肌。

 若草のように明るく瑞々しい長い髪。

 清らかで美しいその姿は、やさしい光に包まれている。


 とても綺麗だ……


 目がそらせない。


 もっと近くで見たい……その思いが、アタシを動かす。

 けれども、ほんの数歩しか進めなかった。

 地面を突き破り現れたものが、行く手を遮ったのだ。

 太く長い刺々しいものが、絡まり合い、道を遮る。

 突然できた茨の壁。アタシの背よりも高い。

 茨が邪魔すぎて、森の王が見えない。


「なんなの、この茨?」


 ふと横を見て、ギョッとした。

 光差す明るいところで見れば……

 アタシが手をつないでいるものは、人の形すらしていなかった。

 真っ黒で、輪郭は曖昧。

 黒い靄のような。


 背筋にゾクッと冷たいものが走った。


 理屈じゃない。

 汚泥に手をつっこんだような、腐敗したゾンビと出会った時のような、生理的嫌悪感に襲われているのだ。

 全身に鳥肌が立つ。


 左手が、ねっとりと冷たい。手を腕をつたい、もぞもぞと虫がはいのぼってくるような、そんな感覚すらする。


 だけど……

 アタシが手をつないでいるのは、ニコラだ。

 婚約者のアンヌちゃんが大好きな、寂しがりやで、一途な小さな子なんだ。


 こんな幻に、アタシは惑わされないわ!


 ニコラの手を握りしめると、腐ったトマトが潰れたようなぶにゃっとした感触がした。


 うひぃぃぃ……


 気持ち悪くない……

 気持ち悪くない……


 ニコラは、ニコラよ。

 ちょっと見た目や感触が変わっても、気にするものか。

 怖くなんか、ない!


「ニコラ。森の王は、茨の向こうよ。聞こえるよう、大きな声で言おう。なにしに来たのか、どうしたいのか。アタシも言うから」

 すぅぅっと息を吸い込んだ。

 濃い緑の香りに混じって、腐敗臭が鼻をつく。それはニコラから広がっている匂いだ。

 だけど、気にしない。気にしないと、決めたのよ!


「異世界の勇者ジャンヌです! 森の王さま、助けてください! デ・ルドリウ様を助けたい! デ・ルドリウ様のゴーレムももとに戻したいんです!」

 それから……

「お師匠様に帰って来て欲しい! なんでブラック女神の器になったのか、どうしてデ・ルドリウ様を暴れさせているのか、さっぱりわかんないんです。アタシは勇者だから、お師匠様が悪になったんなら戦わなきゃいけない。けど、でも……」

 本音を口にした。

「お師匠様と戦いたくなんかないんです……」


《森の王さま。ピアさんを助けてください。ピアさんはぼくの友だちなんです》

 ニコラも、大きな声をはりあげる。

《やさしくって、とってもいい子なんです。ぼくはピアさんを助けたい》


 明るい光。

 茨の上に、蝶の翅を持つものがたくさん現れる。

 アタシたちを見下ろす妖精たちは、とても綺麗だ。まさに、妖精って感じで。

 けれども、その表情に歓迎の意思はない。

 怯えと嫌悪。それに敵意だ。『出て行け』と言わんばかりの顔で、妖精たちはアタシたちと対峙している。


 彼らの間を縫うように、最も美しく光り輝くものが現れる。

 森の王だ。

 大丈夫だと言うかのように他の妖精たちに軽く手を振って、どんどん近づいて来る。


《助けてください》

 黒い靄となったニコラが、必死に叫ぶ。

《ぼく、もうわがままは言いません。逝くべき時に、ちゃんと逝きます。だから、ピアさんをもとにもどしてください。ピアさんまで、悪い子にしたくないんです……お願いします》


 森の王の虹色の瞳。

 不可思議な瞳は、まっすぐにアタシたちを見つめ……

 そして、微笑んだ。

 無邪気な赤子のような笑みだ。


 胸がキュンキュンした……


 幻想的に美しいものが、右手をあげる。


 威嚇的だった茨の壁は、普通の植物サイズに縮んでゆき、


 そして……


 宙に白い花が……


 幻影だろうか?


 淡く光って、宙に咲いている。


 白くて可憐。

 小さいけれども凛とした、清楚な花だ。


 荒野にひっそりと咲く美しい花……そんなイメージが伝わってくる。


 森の王がもう一度右手を振るうと、その花がアタシたちの方に近づいて来て……



 目では森の王を見ながら、アタシは心の中で違う映像(もの)を見始めた。

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