愛の贈り物
起きてすぐに、ピロおじーちゃんに呼ばれ、お師匠様の部屋へ行った。
《隅々まで調べたぞい。この部屋には、特に何も仕掛けは施されておらぬ。異次元通路もなければ、千里眼等の覗きの魔法も仕込まれておらなんだ。賢者がこっそりここに戻ってくることはなさそうじゃな、あ、いや、クマー》
白クマさんが、アタシの前にドンと箱を置く。道具箱くらいのサイズのが三つ。
《勇者の書と着替えを除けば、私物はこれぐらいじゃのうクマー》
『幻想世界』て張り紙がついた箱と、『精霊界・英雄世界』に『エスエフ界・ジパング界』って書かれた箱。
なんというか……納戸にしまう箱に『夏物』『冬物』とちゃんとメモを貼るお師匠様らしい。
《精霊支配者よ、開けてみるがいいクマー》
おじーちゃんに促され、『幻想世界』の箱を開けてみた。
小袋が幾つかに、封がされた手紙が何通か。
宛名はデ・ルドリウ様、エルドグゥイン王子に、ファーガス王?
むむ?
《竜王、エルフの王子、ドワーフ王宛じゃな》
あー
エルフの王子さまとドワーフの王さまか!
そいや、そんな名前だった!
《開封するがいい》
え?
でも……手紙を勝手に開けるなんて……
白クマさんが、やれやれって感じに頭を振る。
《精霊支配者よ。賢者はそなたを裏切ったのじゃぞ。その持ち物を改めるのは、犯罪を調べる為であり、今後のそなたの旅を円滑に進める為である。罪悪感を抱く必要などないのじゃぞクマー》
う。
わかりました……
アタシは、デ・ルドリウ様宛の手紙を手にとった。
中は……
普通の礼状だった。幻想世界で、このまえデ・ルドリウ様がしてくださった数々の助力へのお礼。アタシの近況。勇者として成長しつつあることを喜ばしく思うという付記……日付を見ると、ジパング界から還った日だった。
ドワーフの王さま宛のも、礼状だった。アタシの剣を鍛えてくれた事への。
謝礼として、アタシたちの世界の物を贈るって書いてある。
いっしょに入ってた小袋の口をあけると、中には宝石が……
お師匠様は、勇者の為にいろいろ準備してくれてたんだ……
そう思うと、胸がジーンとした。
アタシは、すっごく大事にされていた。
今は、違うんだとしても……
この手紙を書いた頃のお師匠様は、アタシを愛してくれていた。それだけは、間違いない。そう思えた。
《精霊支配者よ。手紙も小袋も持って行くがいい。幻想世界で役に立つやもしれぬ》
目元をぬぐいながら、アタシは頷いた。
《他の箱も改めるがいい。そなたが確かめた後、箱ごと学者にでも預けておくぞ……あ、いやクマー》
無理に『クマ』をつけなくてもいいのに。
ちょっとだけ楽しい気分になって、アタシはクスッと笑った。
「あれ?」
『幻想世界』の箱の中に、やけに軽い小袋がある。
中身は……植物の種?
これも、ドワーフの王さまへの謝礼?
《違うぞ。それは、エルフの王子へのプレゼントじゃクマー》
む?
《そなたの記憶を見たぞクマー。そなた、エルフの王子に、この世界の植物の種を贈るのであろう?》
え?
そうだっけ?
白クマさんが、ふーっと息を吐く。
《エルフの王子は、そなたをドワーフの洞窟まで案内したなクマー?》
ええ。
《したが、そなたは洞窟に着く前に卒倒した》
あ〜
ええ、まあ、その……
カトちゃんのことがショックで……。
《目覚めた時には、エルフの王子は居らなんだ。返礼しそこねたとしょげるそなたに、竜王が助言したであろう? 花エルフは、緑を愛する種族。何であれ異世界の緑を贈られれば、厚き友情と感じ、喜ぶ。再訪の時に種を贈るとよい、と》
そういや、そんなアドバイスされた気も!
《そなたが忘れた時の用心に、賢者は種を用意しておいたのじゃろうクマー》
ぐ。
すみません、すっかり忘れてました……いろいろあって忙しくって……幻想世界のことなんて、もうすっかり忘却の彼方でした……。
……お師匠様、アタシをフォローしようとしてくれてたのか……
なんか、また、しんみりしちゃうわ。
その後、早めの朝食をすませ、仲間たちとアタシの部屋に集まった。
「賢者様の書を、幻想世界の魔法陣の上へ」
テオ先生の指示通り、『勇者の書 96――シメオン』を魔法絹布の一番右端の魔法陣の上に置いた。
「呪文は、まえの時と同じでいいのよね?」
「はい。賢者様から、そのように伺っています」
もともと幻想世界へは、アタシの武器が完成したら再来訪する予定だった。
その時には、デ・ルドリウ様推薦の伴侶候補とお見合いもするはずだった……今となってはありえない話だけど。
とりあえず、向こうに着いたら、ドワーフの洞窟を目指してみよう。
「ダーモットとは連絡ついた?」
幼馴染は、ず〜っとしかめっつらで、う〜んう〜んうなってる。トイレにこもってる人みたい。
「だめ。返事がないんだ」
左手の指輪を見つめながら、クロードがため息をつく。
ガーネットは、クロードとダーモットを繋ぐ絆石。石を通せば別の世界に居ても会話できるって、ダーモットは言ってたのに。
「いちおう、今からそっち行きますとは伝えておいたよ」
周囲が、わいわい勝手な事を言う。
「もしや、そのアイテム、故障中なのではありませんかな?」
「クロード君。君の魔力が足りないのではないのかね?」
「寝てるんじゃねーの? 時間がズレてて、あっちは真夜中とか?」
いや、ダーモットは不死の魔法使いよ。真夜中でも、寝ないと思う。
「ダーモット殿は、今、会話する余裕がないのかもしれませんね」
裸戦士の人が、もっともなことを言う。
「時間をおいてから、あらためて連絡し直してみては?」
「うん。そうしてみるよ、アランさん」
「戦闘中なのかもしれんな」
ジョゼ兄さまが、真面目な顔で言う。
「接戦の最中ならば、会話もできまい」
幻想世界一の魔法使いが必死で戦わなきゃいけない相手なんて、そうそう居ない。
……竜王? それともお師匠様?
まずいことになってないといいけど。
「ま、ダーモットは幻想世界一の魔法使いだもの。アタシたちが転移すれば、すぐに気づいて、駆けつけてくれるわよ」
「だよね」
そこで、突然!
テオの横にいた金の巻き毛の麗しい方が、アタシの前に跪く!
「あなたの旅に幸多からんことを……。どうぞお気をつけて、ジャンヌさん。あなたの笑顔に再び出会える日を楽しみにしています……」
うひょ!
手の甲に接吻された!
あ。
そうだ、言い忘れてた。
「シャルル様……昨日は、たくさんのバラをありがとうございました」
「お気に召していただけましたか?」
「ええ」
まあまあ。
おかげで、この部屋、バラだらけです。
「……孤独なあなたの花園を、ほんの少しでも華やかにしてさしあげたい……その一心でした」
見た目ゴージャスだし、いい香りがするし。一時間ごとのバラ攻撃もといプレゼントには、びっくりしたけど……心づかいは嬉しかったかな。綺麗なお花を見れば、それだけで心が癒されたりするものね。
「オランジュ家の魔法結界も、お戻りの時にはより完璧なものとなっているでしょう。どうぞこちらのことはご心配なく……」
シャルル様が、凝っとアタシを見つめる。
……そんな熱い視線を送られたら、ドキドキしちゃうわ。ちょっとうざいけど、シャルル様はすっごい美男子なんだもん! 王子様みたい! 頬が熱くなっちゃう。
「ジャンヌは、俺が守る」
見つめ合うアタシとシャルル様の間に、ズンと兄さまが。
「シャルル様はどうぞ結界強化にご専念ください。ジャンヌのことはすべて俺に任せて」
「ふん。大言壮語にならないことを祈っておくよ、ジョゼフ君。私の魔法に手も足もでなかった君がどれほどの働きができるのか……正直不安だがね」
「ご心配なく。シャルル様には押さえられなかったピアさんとも、俺は戦えましたから。少なくとも、あなたよりはジャンヌの役に立てるはずです」
「ピアさんを止めたのは、テオの先制攻撃の法だ。君ではない」
兄さまとシャルル様が、鋭い目つきで向かい合う。
ちょ。
ちょ。
ちょ。
やめてよ、朝っぱらから!
「あらあらあら、まあまあまあ。微笑ましい光景ですわね」
どこがです、シャルロットさん?
「勇者様、くれぐれも明後日の日中までにご帰還ください」
テオ!
睨みあう二人はシャルロットさんに任せよう! アタシは学者様と向き直った。
「明後日の夜に何事かがあると、アレッサンドロさんは占っています。的中するとも限りませんが、彼も勇者様の仲間として信念をもって占ったのです。その志に、応えてあげてください」
「わかった。長居しても、二日にしとく」
「ドロ様とマルタンの具合は、どう?」て聞いたら、
「まだ寝てるよ」と、生意気盗賊から返事が。
「けど、医者の診たてじゃ、ただの過労だ。ゆっくり寝ていいもん食ってりゃ、すぐに元気になるんじゃねーの?」
なら良かった。
相談すべきことは、相談した。
持ってく荷物の再チェックも終わってる。
ポチごとピアさんを抱きしめてるニコラも、お別れの抱擁はもう十二分にしてると思う。
「新たな旅立ちをなさる勇者様の為に! 新たな旅のお伴をつくりました! その名も『ルネ ぐれーと・でらっくす』! あらゆる危機に対処できる、発明品を詰めておきました! 勇者様、困ったなーという時にはこれですぞ! どうぞお持ちください」
て、押しつけられた物も、兄さまに押しつけた。いつまでも睨みあってないで、行く支度しましょ、兄さま!
けれども、まだ旅立てない。
いっしょに行くジュネさんとエドモンが、来てないのだ。
集合時間は、ずいぶんオーバーしてるのに。
「すみません。うちの愚孫どもが……」
セザールおじーちゃんが、アタシたちにペコペコと頭を下げる。
「お待たせして、たいへん申し訳ありません」
さっきおじーちゃんが様子を見に行った時、二人ともベッドの中だったのだとか。
「もう一度見て参ります。少々、お待ちを」
おじーちゃんがダッシュしかけた時、扉が開き、
「ごめんなーい、遅くなりましたー」
「……すまない」
待ち人たちが部屋に入って来た。
「おまえたち! 勇者様をお待たせするとは何事じゃ! 猛省せい!」
セザールおじーちゃんの怒声だけが、やけに大きく部屋の中に響く。
他の者は、あっけにとられ二人を見つめた。
二人とも、派手にイメチェンしてたのだ。
思わず聞いちゃった。
「ペアルック……?」
いや、髪型や衣服は、今まで通りなんだけど!
顔の模様がそっくりなのだ。
赤い染料で顔中に、波模様のような、蔦のような、複雑な模様が描かれている。
「いやぁん。ペアルックだなんて! ジャンヌちゃんったら♪」
両頬にそえた手にも模様が……首にも模様……。顔だけじゃなくて……
「ボディペィンティング?」
「そ」
お美しい獣使いさまが、ウィンクをする。異様なフェイスペィンティングをしてても、やっぱ美人は美人だわ。綺麗。
「エドモンは全身に、あたしは前だけにね。ほら、後ろは自分じゃ描けないからー」
へー これジュネさんが描いたのか。
「器用ですねえ……」
「は? それをおまえが?」
兄さまが、やけにびっくりしている。
「こんな細かい模様をか? 嘘だろ?」
「んまあ。失礼ねー。あたし、お化粧は得意なのよ」
「いや、でも、おまえは、手先がものすごく……」
腑に落ちないって顔の兄さまに、ジュネさんがふふんと笑う。
「あたしとエドモンを、より美しくする為の装いですもの。愛をこめて! はりきって! めいっぱい盛って、濃いお化粧をしたわ! ね、ね、ね、今日のエドモン、いつもの何億倍も美しいでしょ?」
「……ああ、そういうことか」
兄さまが納得いった! って顔になる。
「それは……呪術化粧ですか?」
テオの問いに、
「あら。よくおわかりで」
ジュネさんが、ニッと笑う。
「こっちじゃ廃れてるのに、よく気がついたわね」
「獣使いが使うと、書で読んだことがあります。呪術文字を体に描くことで、自身や獣を鼓舞したり、獣への支配力を向上させるのですよね?」
「そうよ。彩色にも意味があるの。赤は情熱の色。太陽や血、ひいては命を表し、強大なパワーを宿らせるわ。邪悪な霊を退けたい時、戦勝祈願の時なんかに、好まれる色なの」
「なるほど……」
「あたしが施した呪模様で、エドモンのカリスマは更にパワーアップ! 二人の魅力は、相乗効果ですっごい膨れ上がってるのよ」
へー
「最強の獣を更に強くできるパートナー……それが獣使いよ。超一流のあたしが助力するんですもの、エドモンが更に輝くのは当然ってわけ」
つまり……
エドモンは獣扱いなのね。
まあ、わけもなく獣に好かれる人だし、ダーモットが言うには『獣の王』だし……強くなれるみたいだし。うん、まあ、それでも、いいのかも。
「うふふ。本番が楽しみ♪ ドラゴンに勝てるよう、エドモンをもっともっと美しく飾ってあげるんだから♪」
呪術化粧は、デ・ルドリウ様対策なのか。
「それ、どれほどもつものなのですか?」
「この季節だと、一週間ちょっとかしら。ま、幻想世界に行って帰っての間なら、ぜったい色は落ちないわ」
ほうほう。
「ね、ね、ね、エドモン、やっぱ、服脱がない? 呪模様は見せて歩いた方が効果がアップするのよ? 前髪をあげて、その素敵な両目も見せちゃいましょうよ! 竜王もきっとイチコロよ!」
「……やだ」
大はしゃぎのジュネさんに比べると、エドモンの方はテンションが低い。
ていうか、あくびしてる。
「眠そうだけど、大丈夫?」
「……ああ、まあ」
「へーき、へーき」
美女にしか見えない獣使いさんが、妖艶な笑みを浮かべる。
「体はつらいけれど、心は満たされているから。エドモンを裸にして、一晩中あ〜んなことやこ〜んなことができたんですもの……あたし、幸せよ。夢のような一夜だったわ」
しぃぃんと……辺りが静まりかえる。
え?
それって……
えぇぇぇ?
呪術模様のついた頬を、うっとりと赤く染めるジュネさん。
その美しい人を、農夫が乱暴に蹴っ飛ばす。
「ばか」
不機嫌そうに下唇をつきだしながら。
「変な言い方はよせ……描いて、乾かしてた。それだけだ」
な〜んだ。
そうか……
あ〜 びっくりした!
もうちょっとで、アリス先輩を召喚しちゃうとこだったわ!
全員揃った。
荷物を持って、兄さま、クロード、ジュネさん、エドモン、ニコラが、アタシの後ろに立つ。
アタシは残る仲間達へと手を振ってから、瞼を閉じ、深呼吸。
それからゆっくり目を開けた。
今までは転移の時に、アタシの前にはお師匠様が居た。
向かい合って額を合わせるのは、最初はすごく恥ずかしかった。
接吻するみたいに顔が近かったから。
慣れてきても、その綺麗な顔を見る度にドキドキした。
けれども、今、アタシの前には誰も居ない……
魔王が目覚めるのは、三十九日後だ。
落ち込んでる暇なんかない。
アタシは、幻想世界への呪文を唱え……
魔法陣を通って、仲間達と共に幻想世界へと旅立って行った……
* * * * * *
転移のまぶしい光が消えたと思った時には……
ガクンと体が揺れた。
全てがスローモーションのように、ゆっくりと見えた。
みんなが驚いている。
落ちる。
落ちてゆく……
足元には何もない。
足場が崩れ、アタシは宙に放りだされたのだ。
風を感じた……
「ジャンヌ!」
兄さまの叫び声。
大きな手が伸びて来る。
救いを求め、アタシも手を伸ばした。
だけど、届かない。
アタシは仰向けのまま、落下している。
頭が真っ白になりかける……
天界から堕ちた時の記憶が、生々しく甦る……
「ヴァン!」
命令じゃない。
ただ名前を呼んだだけだ。
けれども、風の精霊は、応えてくれた。
《危なかったな、オジョーチャン》
アタシの体が、ふわりと宙に浮く。
人の姿のヴァンが、お姫様抱っこでアタシを抱えてくれている。
空中浮遊しながら。
ヴァンの腕の中から、アタシは下を見た。
崖下は海だ。
灰色の海と泡立つ白い波が見える。
そして……
海が裂け、巨大なものが飛び出して来たのだった。




