幻想の野ふたたび
「……道はある。お嬢ちゃんの未来は、まだ閉ざされていない」
ドロ様だ。ソファーに体を預けながら、左手の上の水晶玉を撫でている。
「託宣をかなえる術は残されている……十二の世界に赴く為には……今はこの場に居ない巨星……使徒様の助力が要る……」
寝こけてるマルタンは、別室で魔法医に治癒されている。
「そして、ボーヴォワール邸の『絵の部屋』……あの部屋こそが、鍵だ……」
テオの家の『絵の部屋』って……
テオの肖像画が年齢ごとにあって、亡くなった妹さんの絵も同じ数だけ飾られていた、あの部屋のことよね?
亡くなった娘をこの世に呼び寄せる為の呪いの部屋とかなんとか、マルタンは言ってたっけ。
「だが、まだ星の輝きが足りない……まだ時が満ちていない……三日後……そう、三日後の夜がいい。月の光があの部屋に漏れ入る時……二つの世界をつなぐ扉を開けよう……」
ドロ様が苦しそうに息を乱す。
「魔と光……賢者と勇者……救い手は、お嬢ちゃんの裏……」
そこで、ドロ様がガクッと頭をゆらす。その手からすべり落ちる水晶珠。ドロ様の占い道具を、すぐそばの精霊ニュイがキャッチする。
近くにいたニコラがまず駆け寄り、
「アレックス!」
養い子のリュカが、
お友だちのジュネさんが、
占いの信奉者のクロード、ルネさん、アランが、ソファーへと走る。
もちろん、アタシも。
リュカがしゃがみこんで、ドロ様の顔を覗き込む。
不安そうなその背に、白い幽霊が一言。
《アレッサンドロおじちゃん、寝ちゃったね》
「な? 寝ただけかよ!」
リュカがわなわなと震え、ドロ様の頭をはたく。
良かった、寝ちゃっただけなのか。
「無理もない。ほとんど休めていないんだ」
リュカの右手をつかみ、アランが気づかわしげにドロ様を見つめる。
「睡眠中は無防備になる。魔の誘惑に屈しかねないんで起きていた……そうおっしゃっていた」
「それに、魔界の王に捕まってた間、水精霊のつくった水しか口にできなかったみたいで……」
クロードも、ドロ様のフォローをする。
「助けてすぐに、フルーツ缶詰を渡したんだけど……あ〜、えっと、英雄世界の非常食なんだ、甘いシロップ漬けのモモが入ってるんだよ。でも、アレッサンドロさん、ほとんど食べなくて……」
「チッ」
アランの手をふりほどき、リュカはそっぽを向いた。
「アラン。アレッサンドロさんを、使徒様と同じ部屋へ」
アレッサンドロさん?
あれ?
今の声、テオよね。
アレッサンドロさん?
聞き違いかしら……?
「勇者様。とりあえず三日の猶予をいただけますか? アレッサンドロさんの占いが的中するとも限りませんが、どのみち今は新たな異世界へ渡る手立てがないのです。仲間探しの旅は、三日お待ちください」
聞き違いじゃなかった!
ドロ様を『さん』付けするなんて!
アタシは、テオをまじまじと見つめた。
いつも通りの澄ました顔をしてるけど……中身が違うとか、ないわよね?
「三日の間に、賢人・知識人を招き、勇者の書を研究したいと思います」と、テオ。
「むろん、賢者様の失踪は伏せます。各書の裏世界が存在するか、存在するのであればどのような呪文で行けるのか……わずか三日では何もわからないかもしれませんが、可能な限り研究してみせましょう」
「では、私は結界の強化を進めよう」と、シャルル様。
「賢者様は、移動魔法や物質転送魔法などを使えた。敵となったあの方がオランジュ邸に侵入してこないよう、しっかりとした備えをしなければ……」
シャルル様が口元に手をあてる。
「……テオ。この件、シャルロットに手伝わせても構わないだろうか?」
「そうですね。事ここに至っては、協力者は多いほどいい。賢者様がブラック女神の器だったことも含め、シャルロットには事情を説明してください。まあ、アネモーネさんは、巻き込まない方がよいかと思いますが」
「うむ。賢者様が魔王側についたなどと伝えても、妖精のように内気なあの方を怯えさせてしまうだけだ。黙っておこう」
「みなさん、賢者様のことは他言無用でお願いいたします。しかるべき機関を通し、国王陛下には報告します。が、公にはしたくありません。広めたところで、いらぬ騒動を招くだけですから」
「だってよ、発明家のおっさん。娘にもしゃべるなだとさ」
「はっはっは。わかっているとも、リュカ君。私は発明家のプロだよ? クライアントの個人情報は守る! 当然だろう?」
「おばあ様には? 秘密にするのか?」
ジョゼ兄さまの問いに、テオとシャルル様が顔を合わせる。
「……お話しした方がいいでしょうね」
「アンヌ様は、貴族の義務を心得ていらっしゃる貴婦人だ。難事にも冷静な判断をしてくださるはず……ご協力を願おう」
アタシは室内を見渡した。
テーブルの、テオ、シャルル様、兄さま、クロード、ジュネさん、ルネさん、セザールおじーちゃん、エドモン、リュカ。
アタシの背後に立っているアラン。
ソファーのそばの、バイオロイドのポチ。
その中に囚われているピアさん。
ピアさんを不安そうに見ているニコラ。
ニコラを慰めるクマさんズ――ピオさん、ヴァン、ソル、ピロおじーちゃん、ピクさん。
「三日仲間探しを待つのなら……」
アタシは提案した。
「その間に、エドモンを連れて幻想世界に行きたい。いいかしら?」
部屋中の視線が、アタシに集まる。
「……おれを、つれて?」
両目を前髪で隠した農夫の人が、けげんそうに聞く。
「……なぜ?」
「ダーモットが言ってたのよ。エドモンは獣の王だ、エドモンならデ・ルドリウ様を正気に戻せるはずだって」
「……どうやって?」
「知らないわ」
聞いてないもの。
「だけど、このままじゃ、デ・ルドリウ様が『魔王』になってしまうかもしれないの。あの世界が『勇者』を生み出したら、デ・ルドリウ様は滅ぼされてしまう。その前に、どうにかしないと」
エドモンは下唇をつきだして、黙る。
本当に機嫌が悪いのか、悩んでるのか、考えごとをしてるのか、よくわかんない。
「カリスマ対決かしら?」
頬に手をそえて、ジュネさんが首を傾げる。
「どんな動物にも好かれちゃうエドモンは、『獣の王』よね。でもって、ドラゴンもあらゆる獣の上に立つ存在、『獣の王』よ。王と王との直接対決。エドモンのが上だと思ったら、ドラゴンも下るんじゃないかしら? 獣は上下関係にはシビアだもの」
え?
「戦っても、エドモンが丸焦げになるだけじゃ?」
「直接戦わなくてもいいのよ。『俺は、こいつにかなわない』と、相手に思わせれば勝ち。獣使いは、そうやってモンスターを調伏する場合もあるの」
そうだとしても……
ドラゴン姿のデ・ルドリウ様は 小山サイズだ。
大トカゲに似た外見。巨大な牙や爪、背の翼。強烈な火焔を吐く、大きな口……人間が対抗できる相手じゃない。
じゃ、人の姿はというと……
デ・ルドリウ様は、長く蓄えた顎髭と厚い口髭も素敵な、黒鎧をまとった、壮年の隻眼の王。
対するエドモンは、もっさりしているというか、地味というか……農夫だ。
いや! いい人だとは思うのよ! エドモン!
生き物を殺せない、優しい性格で!
弓の腕は、超一流だし!
だけど、どう考えても……勝てる要素がまったくない……
えっと……
強いて言えば……
若さ……?
「エドモンVS竜王がご希望なら、このあたしも連れてってくれないかしら?」
美女にしか見えない獣使い様から、セクシー・ウィンクが!
「獣よけ、獣封じ、カリスマ効果アップ等々。呪術装飾は一通りできるわよ。獣使いのあたしが側に居れば、エドモンの魅力は倍増……ううん、300%アップ確実ね♪」
「ばか……ジュネ、おれは、獣じゃ」
反論の声は小さすぎたので、
「なんでもいい! 百一代目勇者様がお望みなのだ! お伴して来い、エドモン!」
祖父の声にかき消されてしまう。
「ジャンヌが旅をするのなら、護衛しよう」
兄さまは拳を握り、
「ボクも行く! 絆石でダーモットさんと連絡とりあえるもの! いっしょにいた方が便利でしょ?」
クロードも身を乗り出す。
「幻想世界へ行かれるのですか?」
テオが、思案げに首をかしげる。
「竜王は、空間変替で異次元にすら跳べます。現在、幻想世界に居るとも限らないのですよ?」
「わかってるわ。でも、三日の間に、アタシもできることをやっておきたいの」
「できること? 何でしょう? 伺ってもよろしいですか?」
頷いた。
「幻想世界がどうなってるのか見て来たい。デ・ルドリウ様が邪悪に染まった影響があるのかないのか……ドワーフの王様のもとを訪れるのもいいかもね。あの方、デ・ルドリウ様のお友だちだし、アタシの剣の出来具合も聞いてこられる」
「それは、そうかもしれませんが……」
今、この状況で動くのは危険です、とテオは言いたそうだ。
「もしも、あっちでデ・ルドリウ様に会えたら、エドモンに対決してもらいましょう。やり方は、ジュネさんの意見をとりいれつつ、ダーモットと相談してになるかしら?」
「いや……だから、おれは、獣ではない。獣の王でもない、と思う……」
ぼそぼそ反論している人もいるけど、とりあえず無視! ごめんね!
「今、動かなきゃ、後でぜったい後悔するわ。デ・ルドリウ様は、百人の伴侶のおひとりよ。『幻想世界の勇者』に討伐されちゃったら、たいへんでしょ? アタシの託宣が、叶わないことになっちゃうわ」
「それは、確かに……」
でしょ?
「勇者として、伴侶の一人デ・ルドリウ様を助けに行きたいの」
テオは唇を噛み、押し黙る。
テーブルをざっと見た限り、反対意見の人はいなさそう。
「アタシ、幻想世界へ行くわ。デ・ルドリウ様が正気に戻れば、ピアさんももとに戻ると思うし」
《ぼくも行く!》
白い幽霊が立ち上がり、駆け寄って来る。
《おねーちゃん、ぼくもつれてって! ぼくもピアさんを助けたい!》
ニコラの白い瞳が、大きく見開かれる。
《おねがい、つれてって。ピアさんは、ぼくのだいじな友だちなんだ。ね、おねがい!》
「でも……」
どうしよう。
「異世界に連れて行ける仲間は、四人なのよ。エドモンは決まりで、バックアップにジュネさんが必要、ダーモットとの連絡役でクロードが要るのなら、」
切るの、兄さま?
「勇者様。異世界に渡れるのは、六人です」
間違っていますよと、テオが頭を横に振る。
「賢者様が居られないのです。勇者様は五人の仲間を伴えます」
あ。
そうだ。
転移の魔法で五人の仲間を連れてけるんだ。
お師匠様が一緒に行かないから。
……胸の奥がチクッと痛んだ。
「ジョゼフ君、クロード君、エドモン君とジュネさん、それにニコラ君か……ジャンヌさんの護衛としてはいささか頼りない気もするが……」
てなシャルル様を、兄様がジロリと睨む。
うん……なんか見るからに仲悪そう、野性的な兄さまと王子さまのようなシャルル様じゃ、そりが合わない感じ?
でも、格闘家、魔術師、弓使い、獣使い、幽霊よ。PTとして、バランスは悪くないんじゃ?……回復役が居ないけど。
「歴代勇者のサイン帳を用いれば、ジャンヌさんは使徒様をご自分に降ろせる……まあ、戦力不足も補えるか」
「その手は使いたくないわ」
アタシはため息をついた。
「呼ぶんなら精霊と一体化しておけって言われてるんだけど……マルタンが一発神聖魔法をうっただけで、レイは四散してしまったわ。まだ復活してないの。これ以上、精霊たちを犠牲にしたくない」
「大丈夫だよ、ジャンヌ」
両手の拳を握りしめた幼馴染が、力説する。
「行くのは、幻想世界なんだもん! 使徒様、呼び放題だよ!」
む?
「使徒様、あっちですっげぇファイアうってたでしょ?」
あ〜
「あったわねえ、そんなこと」
「あの野郎、俺を丸焼きにしようとしたんだよな……」と、兄さま。
「うん。ジョゼを丸焼きだなんて、すごいよね! ファイアは魔術師の初級魔法。本当なら、がんばっても、ステーキをミディアム・レアに焼くぐらいの火力しか出ないんだよ!」
へー
「だけど! 幻想世界でなら、魔法の威力は天井知らずなんだ! 幻想世界は空気中にまで魔力の源があふれてる! 魔法的な力を振るうと、空気中の魔素が呼応する! 魔素を意図的に利用すれば一の力を百にも千にも万にも増幅できるって、賢者様も言ってたでしょ?」
「……そういえば、おれの魔法矢の数や威力もあがっていたな……」と、エドモン。
「そう! 魔法でなくても、魔法的な効果がある行為すべての威力があがるんだ! ジョゼの精霊さんとの合体技も、威力増し間違いないね!」
ほうと、兄さまが関心する。
「つまり! ジャンヌが精霊さんを憑依しなくても、幻想世界なら無問題! 使徒様は、空気中の魔素を使って、神聖魔法うち放題ってわけ!」
なるほど。
「精霊たちを犠牲にしないで済むんなら、気兼ねなくマルタンを呼べそう」
本人は、魔界で大暴れしたせいでへばってるけど。
魂だけ呼んで暴れさせる分には問題がないわけで。
……まあ、この体に、アレな使徒様を降ろすのはぜんぜん嬉しくないけどね!
「戦力不足はどうにかなりそうだな」
兄様が、挑戦的な瞳でシャルル様を見つめる。
「俺とクロード、ジュネとエドモン、それにニコラも連れて行く。異存はないな?」
シャルル様は眉をひそめ、兄さまを見つめ返す。
「護衛役を買ってでたのなら、相応の働きをしてみせたまえ。この世界の希望――ジャンヌさんを、しっかりとお守りしてくれ」
「言われなくとも。この命にかえても、ジャンヌは俺が守る!」
バチバチバチ! と両者の間に火花が散ってるような……。
「勇者様、みなさま。幻想世界に赴くのは、明日の朝になさってください」と、テオ。
「勇者様とクロード君は、牢獄攻略に魔界の王との対峙と、たいへんな一日を過ごされたのです。ジョゼフ様とジュネさんも、北から帰られたばかり。充分な休息をとり、まずは明日への鋭気を蓄えてください」
《でも、ピアさんが……》
「ニコラくん。友人の身を案じるお心はわかります。ですが、休む間もなく次の異世界に旅立っては、勇者様のお体がもちません。あちらで勇者様が倒れられたらたいへんでしょう? 少し待ってください」
《うん……そうだね、わかったよ》
「明日の朝まで、ご友人とお話をなさっていてはどうでしょう? 竜王に操られていても、声は聞こえているかもしれません。ニコラくんから話しかけてもらえれば、ピアさんも嬉しいでしょうし、励みとなるのではないでしょうか」
《そうするよ。ありがとう、テオおにーちゃん》
むうぅ……
テオが、いい人すぎる……いや、テオはテオなんだけど……。
初めて会った頃は、独善的で他人の話を聞かない人だったのに。
ずいぶん変わったなあ。
「ジョゼフ様。勇者様と共に異世界に赴かれるあなたに、ぜひお渡ししたいものがあります」
アタシの背後に居た人が、兄さまのもとへ。
「こちらです」
裸戦士の人がテーブルに置いたのは、首に巻くだけの蝶ネクタイ・チョーカー。蝶ネクタイ部分が、コウモリ型の……。
て!
それ、あなたが吸血鬼王から貰ったものでしょ!
「なんだ、これは?」
「吸血鬼王からいただいた魔法道具です。コウモリの両目の部分を押すと、あらゆる強化魔法を消去する音波が発生します。敵の結界すらも消せるそうです」
「ほう」
「……どうぞご装備ください」
「これを、か?」
兄さまが眉をしかめる。デザイン的に、気に入らなかったよう。
「ジョゼフ様」
ババーン! って感じに、アランが兄さまを指さす。
「有益で汎用性も高いアイテムです。なのに、デザインを気にして、退ける気ですか?」
兄さまが、ぐっと喉をつまらせる。
「恥を捨て去ってでも実をとる、それが真の護衛ではありませんか?」
「た、たしかに……」
説得されてる! 説得されてる!
アランを手招きして、耳打ちした。
「兄さまに、変なもの押しつけないでよ」
「非常に優秀なアイテムです。異世界の旅でも、ぜったい役に立つでしょう。誰かが装備して、持って行くべきです」
「あなたが貰ったものでしょ?」
「はい。勇者様をお守りする為に、いただきました。なので、勇者様を護衛できない時には、持っていても意味がありません」
理屈こねてるけど……
「……じゃ、兄さまじゃなく、アランを連れてくって言ったら、アレ、あなたがつけるわけね?」
「………」
「装備するんでしょ?」
「勇者様が、そうお命じになるのなら従います。しかし、」
アランが、苦虫を噛み潰したような顔になる。
「……できることなら、ジョゼフ様にお譲りしたいと思っています」
あ。本音、言った。
裸蝶ネクタイにはなりたくないらしい。
「ジョゼフ様ならば……」
アランが、兄さまを見つめる。
北で修行中だったせいか、今日はお貴族様っぽい格好をしていない。
汚れたシャツとズボンの姿。
鍛え抜かれた格闘家の体は、衣服越しにもわかる。
「吸血鬼王の超好みのはず。貸与したのがバレても、怒りを買うことはないでしょう」
……そうかなあ。
「あ、そうだ」
アランが声を張り上げる。
「ジョゼフ様。コウモリの部分は、血で染めないようお願いします。血だらけにすると、吸血鬼王を召喚してしまいますので」
……筋肉好きの吸血鬼王のアイテムは、兄さまが装備することになりそうだ。




