狙われた勇者
魔界からの帰還の魔法。
転移のまぶしい光が消えるとアタシの前に……テオが居た。
「勇者様……」
テオがアタシを見つめる。
目をそらすのも、惜しむかのようにまっすぐに。
学者的な鋭いまなざしじゃない。
熱い瞳だ。
目を細め、口元をわななかせてる。その顔は、泣いているようでもあり、笑っているようでもあった。
「よくぞご無事で……」
「ただいま」
アタシは笑みを浮かべて、テオの視線に応えた。
「心配かけて、ごめんなさい。みんなのおかげで、還って来られたわ。ありがとう」
テオが、魔法絹布の前の仲間たちを見渡す。
グースカ寝こけてる使徒様。
アランに支えられているドロ様。
天使コスプレはどうにか脱いだけど、まだ顔にお化粧が残っているクロード。
アタシの後ろにいる仲間は……四人だ。
「賢者様は? ご一緒ではないのですか?」
ズキンと胸が痛んだ。
ここにいるのが当然の人が、居ないんだ。
問われるのは、わかっていた。
なのに、いざ説明しようとすると、言葉が出てこない。
お師匠様が、ブラック女神の器だったの。
正体がバレて、デ・ルドリウ様と逃げたわ。
デ・ルドリウ様は空間変替で、異世界にも跳べるのよ。今、幻想世界に居るのかどうかすらわからないの。
デ・ルドリウ様の友人の不死者の王が、二人の行方を捜してくれてるわ。
それだけのことが、どうして口にできないのか……。
「緊急事態です、テオドール様」
まずはドロ様をソファーに運び、つづいて使徒様を抱え上げながらアランが言う。
「賢者様が、ブラック女神の器でした。現在、幻想世界の竜王と逃走中です」
「え?」
目を丸めるテオに、アランが穏やかな声で要求する。
「すぐに勇者様の仲間をお集めください。後、治癒のできる者の手配を。使徒様とアレッサンドロ殿が、ひどく消耗しておられます」
「……わかりました」
テオは、いつも通りの学者の顔で答えた。
「シャルルに、仲間の招集をさせます。あれは、移動魔法が使えますから。使徒様たちの治癒は……別室で、魔法医に頼むとしましょう」
「待ってくれ」
ソファーに体を預けてるドロ様が、軽く右手をあげる。
「……俺ぁ、寝不足でバテてるだけだ。医者に診てもらうほどじゃあない。……このまま、会議に参加させてもらえませんかね?」
「大丈夫なのですか?」
「ああ」
ドロ様がニヤリと笑う。
「俺は占い師だ……勇者さまを、より良い方向に導けるまで……休むわけにはいかない」
ドロ様……
胸がキュンキュンした。
テオはしばらくドロ様を見つめてから、メガネをかけ直した。
「わかりました、同室を許します。ですが、体調次第ですよ。私には医学の知識もあります。無理だと判断を下した時には、強制的に休息させます。いいですね?」
「……了解だ、学者先生」
ドロ様が闇精霊ニュイを呼び出し、自分の治癒にあたらせる。魔界での争いの中、他の七精霊は四散してしまい、残っているのは。ニュイだけだそうだ。
魔法絹布の上の『勇者の書 24――フランシス』を拾い上げた。
書をどけた箇所には、魔法陣が刻まれていた……魔界とこの世界を繋ぐ魔法陣だ。
魔界へ渡る呪文を唱えたのはお師匠様で、
帰還の呪文はアタシが唱えた。
行きと還りで術師が違っても、魔法陣は完成するようだ。次元の壁を越えるのに、同じ『勇者の書』を使えば、問題ないのかも。
広げられた巻物のような魔法絹布。そこには、幻想世界、精霊界、英雄世界、エスエフ界、ジパング界、天界、魔界……七つの魔法陣が並んでいる。
天界に渡る時までいつも、お師匠様といっしょに呪文を唱えた。
『いずれ、おまえは賢者として、次世の勇者を異界に導くのだ。今のうちにその法も覚えておけ』
お師匠様は、アタシと額を合わせて呪文を詠唱した。
そうすると、さらっさらの髪が頬を撫でたりして。
向かい合う度、ドキドキした。
キスができそうなほど近かったし……
お師匠様が……とても綺麗だったから。
魔法絹布をぼんやりと眺めていると、ポンと肩を叩かれた。
幼馴染が、へらっと笑っている。
「荷物おろそう、ジャンヌ」
「……そうね」
「座ろうよ、疲れたでしょ?」
「ええ」
アタシがボーッとしてる間に、テーブルに居たはずのテオ、それにアランの姿が、部屋から消えている。
うるさいいびきも聞こえない。
使徒様を別室に運んでったのかな?
幼馴染が、ちょこまかとたち働く。
テーブルの上の水差しでコップに水を注ぎ、まずはアタシ、つぎにドロ様のもとへ水を運ぶ。
「有難う、クロードくん」
ドロ様が笑顔で水を受け取っている。
……気が利くなあ、クロード。
アタシも見習わなきゃな。
頭上で、何かが動いたような気がした。
見上げると、白いものが。
「え?」
天井をつきぬけ、白いものがぬっと現れる。
そのまま重力を感じさせない動きで、ふわりと飛び降りて来たのは……髪も、顔も、体も、全てが白くて半透明の子供だ。
「ニコラ君」
宙に浮かんだままのニコラ。その可愛らしい顔に笑みがこぼれる。
《ジャンヌおねーちゃん!》
ニコラが、アタシの腕の中に飛び込んでくる。
《おねーちゃん……おねーちゃん……おねーちゃん》
軽い……重みなど、まったくない体だ。
けれども、その手は、強くアタシを抱きしめている。
ここにアタシが居るんだと、噛みしめるように。
《生きててよかった……》
「ニコラ君……」
《おねーちゃんが、無事に還ってこられますようにって、神さまに毎日毎日おいのりしてたんだ……おねーちゃんが幽霊にならなくてよかった》
胸がキュンキュンした……
《おねーちゃんが死んだら、みんな泣くよ。ぼくもジョゼおにーちゃんもテオおにーちゃんも……だから、》
「心配かけて、ごめんなさい」
ニコラをぎゅっとし返した。
《ぜったい死んじゃダメだからね……幽霊はさびしい……すっごくさびしいんだよ》
「うん。もうバカしないように気をつける。ほんとに、ごめんね」
ニコラの白い頭を、優しく撫でた。
「ニコラ! ずっこいぞ! 壁抜けでショートカットしやがって!」
扉を開け、リュカが部屋に飛び込んで来る。少し遅れて、シャルル様も。
アタシに対し『よぉ』って感じに手をあげてから、リュカはソファーに向かった。
「生きてる?」
ひどい問いかけに対し、ソファーから弱々しい返事が返る。
「……ああ、どうにかこうにか、な」
「ケッ! どうせ死にたがりの、悪い病気が出たんだろ? 自業自得だ」
リュカは、ドロ様の手の中のほとんど空になったコップを気にした。
「まだ飲む?」
「いや……持って来るんなら、そこの俺の荷物にしてくれ。あん中に、いい気分になれる、とっておきの気付け薬が……」
ニッと笑うドロ様に、
「くたばれ、アル中」
リュカは拳を向けた。といっても、額を軽〜くコツンとしただけ。
「魔界じゃ、荷物を途中で無くすわ、手持ちの煙草を使徒さまに喜捨させられるわで、さんざんだったんだ……還ってきたんだ、ちょいとハメ外してもいいだろ?」
「顔色がいまの百倍よくなったらな。それまでお預けだ、バーカ」
「おかえりなさい、ジャンヌさん。モン・アムール……私の太陽……」
うわっ!
びっくりした!
いつの間にか、シャルル様がすぐそばに!
シャルル様のサファイアのような瞳が、凝っとアタシを見つめる。
「ああ、ジャンヌさん、あなたがいらっしゃらない世界は深き嘆きに沈む闇のようでした。太陽よりも艶やかなモン・アムール……私の心の中の萎れた花は、あなたとの再会の喜びで甦りました」
「あれぇ?」
リュカが聞こえよがしに呟く。
「その口説き文句、聞き覚えがあるぜ。勇者のねーちゃんには、もう使ってたよなー ジパング界でだっけか?」
「む」
ちょっとだけ沈黙し、それからシャルル様がフッと憂いを帯びた表情となる。
「……申し訳ありません、ジャンヌさん。あなたの美しさを目の当たりにして、愚かな私は美しいとしか言えなかったようです。私は恋のしもべ……あなたの笑顔の虜……あなたのすべてに惹かれるものなのです」
……あいかわらずね。
シャルル様もリュカも、ぜんぜん変わりがない。
ぜんぜん……
いつも通りの仲間たち。
いつも通りの会話。
だけど、ここには……
いつも居た人がいない……
そう思ったら、ちょっとだけホロッときた。
《おねーちゃん?》
ああ……ダメ、ダメ。
弱気になっちゃ、ダメ。
ニコラを心配させちゃう。
笑顔をつくってみせた。
「ここに居たのですか、シャルル」
テオとアランが、戻って来た。
「遊んでないで、手伝ってくれませんか? あなたに用事を頼みたいのです」
「やれやれ……。遊んでなどいないよ、テオ。女性に対し、私はいつも真剣だ」
テオに呼ばれ、シャルル様は扉の方へ。
脇によけ、三人は立ったまま、小声で話を始めた。
アタシの隣に、ニコラが腰かける。
クロードが、あたふたとシャルル様のもとへと向かった。ボワエルデュー侯爵家の護符を盗られたことを謝りに行ったのかな……? 盗んだのは、お師匠様だけど……。
ぼんやりとそんなことを思ってたら、キィィっと音を立て扉が開いた。
扉から、顔を半分覗かせているのはオレンジ・クマさんだ。
口から鼻のあたりだけが白みがかっている。もこもこの毛皮、つぶらな黒い瞳、小さなお鼻、小さなお口、丸いかわいいクマ耳。
頭が、とっても大きい。だもんで、体は丸々としてるんだけど、細く見える。
二頭身の愛らしい、ぬいぐるみそのものの姿だ。
《ピアさん》
ニコラの呼びかけに、こくりと頷き、ピアさんがとてとてと歩いて来る。
扉を半ば開けたまま。
後ろ足で立って、大きな頭を振り振り。
アラン、テオ、シャルル様、クロードの横を通り過ぎ、
テーブルのアタシたちの方を目指して。
駆けてくるスピードが、だんだん速くなる。
だんだん、だんだん……。
あの短い足で走れたんだ。
そして、ジャンプ。
アタシは、そんなピアさんを、ただ眺めていた。
走り幅跳びみたいなジャンプだなあと、のんきに……
そんなアタシの視界を、突然、大きなものが覆った。
ガキン! と。
大岩と大岩がぶつかり合うような鈍い音がし、つづいて雷が落ちたような派手な音が響き渡った。床の一部が崩れたのか、瓦礫と粉塵が舞い上がる。
何が起きたのかは、さっぱりわからなかった。
けれども、アタシの視界を塞いでいるのは……
覚えのある、大きな背中だった。
男は背中で語るものと言わんばかりの、がっちりとした頼りがいのある背。
シャツにズボンの、簡素な格好。まとう気がとても猛々しい。服を着ていても、鍛えているのがわかる、
首の後ろで一つに束ねた癖のある髪。肩をすぎるくらいの黒髪をなびかせる、その人は……間違いなく……
「ジョゼ兄さま!」
どこから湧いたの?
「……なにがあったのかは、知らん」
兄さまは両足を大きく開いて立ち、腰をぐっと落とす。格闘家の迎撃のポーズだ。
「本音を言えば、拳を向けたくない……」
低い声には、苦渋がこめられている。
「抵抗をやめてくれ。頼む、ピアさん!」
ピアさん……?
再び、激突音。
そして、何かがふっとび、ズシャシャッと音を立て、床にめりこむように転がってゆく。
床に半ば埋もれているのは、オレンジ色のゴーレムで……
《ピアさん!》
ニコラの悲鳴が、響き渡った。
瓦礫の中から、可愛らしいオレンジのクマが、ヨロヨロと起き上がる。
動く度、砕けた床が、更なる重みでボロボロと壊れゆく。
そうだ……
ピアさんは、ゴーレムなんだ。
ぬいぐまみたいに可愛いけど、大岩みたいに重いのだ。アタシやクロードじゃ抱き上げられなかった。
そんなピアさんに、ダイブされたら……
霊体のニコラはともかく……
そのそばに居たアタシは、ぺっしゃんこに……
ゾッとした。
ピアさんが、アタシを殺そうとした……?
《ピアさん、どうしちゃったの? やめて! やめてよ!》
ニコラは涙声だ。
兄さまの背にすがりついている。
《ジョゼおにーちゃん、ピアさんをなぐらないで!》
「すまん、ニコラ。俺も殴りたくないんだが……」
跳躍したピアさんを、兄さまが右手一本で叩き落とす。
「もう起き上がるな! 降伏してくれ!」
兄さまの命令に抗い、オレンジのクマが立ち上がる。
兄さまのゴーレムなのに、言うことを聞かない。
兄さまよりも上位の存在に、命令されているとしか……。
ピアさんは、兄さまを仮の主人とした時に『森のクマさん』のピアさんの姿になったものの……もとは魔力のこもった小石で……
その魔力を与えたのは、竜王デ・ルドリウ様。
ピアさんの本当の主人は、デ・ルドリウ様なのだ。
「……我が魔力が、願わくば、あの愚かなるものの縛めとならんことを。不滅の呪縛」
シャルル様が呪文を詠唱する。
けれども、ピアさんの動きは止まらない。
兄さまが、また、ピアさんを叩き伏せる。
ピアさんは、床にぐしゃっとめりこんだ。
「私の呪縛魔法が効かないだと?」
「ピアさんは、魔法防御力が高いんだと思います!」
叫んだのは、クロードだ。
「ピアさんが生まれた幻想世界は、大気にまで魔力の源があふれてました! 小石でも、純度の高い魔力結晶と同じじゃないかと!」
しかも、それにデ・ルドリウ様の魔力まで注がれているわけだから……魔法はほぼ効かないんじゃ?
呼び出しても無駄かもしれない。そうは思ったけど、
「ピオさん、ラルム、ヴァン、ソル、ピロおじーちゃん、レイ、ピクさん」
ルーチェさんを除く、七体の精霊を呼び出した。
応えてくれたのは、炎、風、土、氷、闇。五体の精霊がぬいぐま姿で現れる。
《やだよ……やめてよ。ジョゼおにーちゃん、ピアさんが死んじゃう……やだやだやだ! こんなのいやだ! いやぁぁ!》
「お嬢ちゃん、ニコラくんを」
ドロ様に叫ばれるまえから、アタシも動いていた。
頭を抱え泣き叫ぶニコラ。
小さな白い幽霊を、腕の中に抱きしめたのだ。
《いやだ……ピアさん……ピアさん……》
「大丈夫よ、ぜったい大丈夫だから」
根拠のない『大丈夫』を繰り返し、アタシは白い幽霊を抱きしめ続けた。
「兄さまは、ピアさんを殺したりしない。兄さまも、ピアさんを愛しているんだもん。ニコラといっしょよ」
「…… 様と子と聖霊の御力によりて、奇跡を与え給え。先制攻撃の法!」
先制攻撃の法? テオ?
空間がぎぎん! と、きしんだ。
今にもアタシに飛びかかってきそうだったピアさん。
その動きが、ぴたっと止まる。
テオは両手を交差させ、あさっての方に顔を向け、腰をひねって立っていた。
初めて見たけど、『先制攻撃の法』発動ポーズなんだろう。
「先制攻撃の法発動中です。我々全員が攻撃しない限り、クマ・ゴーレムは敵対行動をとれません。いまのうちに捕獲し、拘束してください」
「え? なに、学者のにーちゃんの技法が通ったの?」目をパチクリさせるリュカに、
「技法は、古代宗教の教えだ。魔力を一切使わない。もたらされるものは、神の奇跡……魔法ではないのだよ」と、何処か悔しそうにシャルル様。
「ピアさんがこれでは……使徒様の『ゲボク』もどうなっているか。あれは、シャルロットと共にいるはず……」
急ぎ退出するシャルル様の後を、
「お伴します」
アランが追いかける。
「ピアさん、抱き上げるぞ?」
ピアさんの前にしゃがみ、兄さまがオレンジのクマを抱え上げる。
ピアさんは、カチンコチンに固まっている。ほんものの石像みたいだ。
「闘争心ゆえに、一時的に体が硬直しているだけ。いずれ普通に動けるようになり、戦闘以外の行為が可能となります。逃走をはかるかもしれません。拘束してください」
《ピアさんをしばるの?》
「そうです」
《そんな……》
「ニコラくん。勇者様のお部屋で、私はあなたとピアさんを見てきました。ピアさんがどれほど優しいかも、あなたがどれほど励まされてきたかも、よく存じています。あなたの大切なピアさんを、私も救いたいと思っています」
《テオおにーちゃん……》
「ピアさんは、おそらく竜王に操られているのです」
《……うん》
「狙われた勇者様もお気の毒ですが、ピアさんもかわいそうではありませんか? ほんとうは勇者様を襲いたくなかったでしょうに、無理矢理戦わされているのですから。正気に戻るまで縛っておいてあげた方が、ピアさんの為です」
《ピアさん……もとにもどる?》
「わかりません」
テオがメガネのフレームを押し上げながら言う。
「しかし、私は学者です。勇者様の為、そしてニコラくんの為、情報を分析し、この状況を打破する方法を探していこうと思っています」
一呼吸おいてから、テオはニコラに微笑みかける。
「力を貸してくれませんか、ニコラくん? いっしょに最善の道を探しましょう」
アタシの腕の中から飛び出し、ニコラは駆けて行った。
泣きながら、テオのもとへと。
テオに抱きつくニコラに、アタシの胸はキュンキュンした。
《はい、はい、はーい。提案》
背のショート・マントをたなびかせ、緑クマさんが右手をあげる。
《ピアさんに、ぴったりの檻があるんだけどー どうかな?》
「檻?」
緑クマさんが頷き、アタシを指さす。
《そ。オジョーチャンのポチに、檻になってもらうんだ》
ポチは、緑がかった半透明のゼリーもどき。スライムそっくりな、バイオロイドだ。
微弱なテレパシー能力を持っていて、所有者の心を読んで、形を変える。
バリア変化すれば、星を破壊するミサイルの直撃にも耐えられる。
そんなポチは、今……
アタシの部屋のソファーのそばで、チェスト・サイズになってたたずんでいる。
その中に、ピアさんを飲み込んで。
ぐにょぐにょぶるぶるなポチが、ピアさんの全身を包み込んでいるのだ。
中のピアさんは、水中にいる感じ。短い手足をいくらパタつかせても、動きがスローモーになってしまう。
勢いを殺がれて、暴れることも、逃げることもできないのだ。
《ポチくんはー サバイバル型バイオロイドなんだって。培養カプセルにしばらく入んなくても大丈夫みたいー ジャンヌがどうにかするまでー ピアさんには中に入っててもらおう》
《ピアさんはぬいぐまサイズじゃて、ポチの中で立ったり座ったり、寝転がったりできるクマー そなたとも毎日顔を合わせられる。寂しくはなかろうクマー》
《ピアさん……》
リュカやクマさんズに囲まれ、ニコラはポチの前にしょんぼりと座りこんでいる。
床に開いた穴は、土精霊が修繕中。
周囲を掃除し、ドロドロの粘土みたいなものを流し込んで平にしている。
そこだけ周りと見た目が変わっちゃうけど、穴自体は綺麗に塞がるのだそうだ。
騒ぎを聞きつけて来たオランジュ邸の家人には、テオが対応した。ルネさんの発明品が爆発しただけ、片づけは自分たちでやる、そんな説明でごまかしてる……。
ヴァンが内緒話してくる。
《いずれ、ゴーレムは魔力切れになる。そのまえに、ケリつけたいよな》
うん……
ピアさんやゲボクは、シャルロットさんからずっと魔力を貰っていた。
魔力が切れたら、石に戻ってしまうから……。
ポチの中に入れられたままで、魔力って貰えるのかしら?
出さないと、無理?
ていうか……
シャルロットさん……
無事かしら?
あっちで、ゲボクも暴れてるんじゃ?
「……ピアさんはもう大丈夫そうだな。俺もシャルロット様のもとへ行こう」
兄さまの大きな手が、ポンポンとアタシの頭を撫でる。
見上げれば、笑顔があった。
日に焼けた肌に、無精髭、もともと、眉は濃いわ、まつげ長いわ、ちょっとだけ顎の先が割れてるわ、目鼻立ちがくっきりしすぎてるわで、いわゆる『くどい顔』だったんだけど……
ますます男臭く、野性味にあふれた兄さまは……とても格好良く見えた。
《ごめんなさい〜 ジョゼ〜 そのまえに、ちょっとだけ〜》
兄さまの体から、ピンクのぬいぐまがぬっと出て来て、ソファーに向かって走って行く。バレリーナの白いチュチュを着た、ピナさんだ。
《ピオ〜》
アタシの赤クマさんが、ソファーから飛び降りる。
《ピナー》
ひしっと抱き合う、ピンクくまさんと赤くまさん。
別れ別れになっていた炎の精霊の再会だ。
「すまん、俺も少しだけ」
ぐっと引っ張られ、抱きしめられた。
小柄なアタシは、抱かれると兄さまの腕の中にすっぽりとおさまってしまう。
厚い胸板。
汗の混じった、兄さまの匂い。
力強い鼓動。
全身で、兄さまを感じる……。
「おまえが無事でよかった……」
ぎゅっと抱きしめてから、兄さまがそっと離れる。
兄さまの左腕には、しがみつくようにピナさんがくっついていた。
「クロード、ピオさんたち。ジャンヌを頼む」
そして、フッと消えてしまう。
空にのみこまれるように、唐突に。
今の、なに?
移動魔法っぽかったけど……
兄さまが? 移動魔法?
《いや、今のは移動魔法じゃない。光精霊の光速移動だ。速すぎて、オジョーチャンの目には消えたように見えただけだ》と、ヴァン。
《あんたの兄さん、いい感じに強くなってるよ。炎と光、二体の精霊の力を、うまいこと自分の格闘にとりこんでる。修行の成果だね》
そう言えば、お礼を言い損ねた。
ピアさんから、アタシを守ってくれたのに。
大ピンチに駆けつけた、逞しい背……
思い出すだけで、胸がキュンキュンした。