異世界への出発(たびだち)
「勇者様は異世界へ旅立たれるのでしたわね。どんな世界へいらっしゃるのですか?」
ニコラに抱きつかれたまま、女伯爵のアンヌおばあさんがアタシに尋ねる。
「お師匠様の魔法で幻想世界へ旅立ちます」
「危険な場所なのですか?」
アタシは首をかしげた。
「さほどは。でも、全く危険が無いというわけではありません」
歴代の『勇者の書』の幾つかに記されていた。
幻想世界には、魔法的な力に満ちた生き物がいっぱい居た。巨人や獣人やら、ドラゴンなんかも。捕食される危険もゼロってわけじゃないわけで。
「だけど、あの世界より、もっともっと危険な所はいっぱいありますから」
「そうですか……これから先、勇者様は仲間を求め、危険な場所へ赴き続けるのですよね……この子やジョゼフを連れて……」
おばあさんがニコラを見つめる。幽霊となったもとフィアンセを見つめる眼差しは、ひどくつらそう。ニコラが迎えた最期を思い出しているのかも。
それに昨日、血まみれな兄さまを目にしちゃったんですものね、不安になるのも当然か。
「幻想世界へは、あなたの御友人は伴いません」
答えたのは、お師匠様だ。
「私の魔法で異世界に転移できる人間は、六人だけなのです。私と勇者の他には、僧侶マルタン、魔術師クロード、狩人エドモン、それからあなたのジョゼフ様を伴おうと思っています」
え? マルタンとクロードとエドモンと兄さまが一緒?
初耳。
昨日、お師匠様とテオが話しあって、そのメンバーに決めたの?
なんで?
生き物を射れない狩人を同道させる理由もわかんないけど、何でマルタン? 神聖魔法と回復魔法が得意で悪霊祓いのエキスパートではあるけど、そばに置いたら危険よ! アレな性格が伝染るわ! 精神汚染されちゃうわよ!
「ジョゼフを?」
おばあさんが、孫を見つめる。
アタシが見た限り、おばあさんは、ずっと高圧的だった。ジョゼ兄さまに対しても、偉そうに命令するだけで、とっつきにくい人だった。
でも、今は……
孫の無事を心配する、おばあさんの顔をしている。
「ジャンヌが見習い勇者となった時からずっと、共に戦える日を夢見てきました。今、俺は幸せですよ」
ジョゼ兄さまがおばあさんに対し、優しく微笑む。
「ご心配は無用です、おばあ様。俺は必ず帰って来ますから。ジャンヌと共に、おばあ様のいらっしゃるこの世界へ」
「ジョゼフ……」
おばあさんは複雑そうな顔をし、それから、いつも通りの女伯爵の顔となり、しゃきっと背筋をのばした。
「わかりました。では、こちらからご提案します」
ん?
「みなさまはここを離れられましたが……改めまして、魔王討伐を果たすその日まで、私の館を提供いたします」
お?
「賢者様も勇者様もお仲間のみなさまも、宿泊所としても、鍛練場としても、会議場としてでも、お望みのままにご利用ください。これまで以上に、おくつろぎいただけるよう、手配いたします」
おおお?
「活動の為の資金も提供します。魔王退治に協力するのは臣民の義務ですので、そちらもご遠慮なく……」
きらん! とリュカの目が輝く。
ルネさんも機械仕掛けの両手を組み合わせ、おばあさんを凝視。個人スポンサーか何かと勘違いしてそう。
「感謝します、オランジュ伯爵」
お師匠様が、アンヌおばあさんに頭をさげる。
「賢者の館は山奥にあります。移動魔法が使える私には不自由ありませんが、他の者には不便な場所です。テオドールの家を集会所に利用しようとも考えておりましたが、手狭で……。勇者と仲間達の拠点を置けるのは願ってもない事です」
「有り難うございます、オランジュ伯爵」
テオもお礼を言う。すっごく嬉しそう。オランジュ邸がアタシ達をひきとってくれれば、ダメ勇者、盗賊、占い師、ロボ、両刀の獣使い、アレな僧侶を自分の家に入れずに済むものね。
「当然の義務を果たすだけです、お気になさらず」
おばあさんはツンとすました顔のままだ。でも、ちょっとだけ頬を染めている。
あら、やだ。
おばあさん、かわいい♪
「勇者様と旅立たれない方は当家にご滞在になって構いません。もちろん、よろしければ、ですが」
ニコラが婚約者を見つめる。
《ぼく、ここにいていいの、アンヌ?》
「もちろんよ、ニコラ」
おばあさんはニコラに対しては、子供の頃の口調になる。
《やったー うれしー いっぱいあそぼーね、アンヌ》
ニコラに抱きつかれ、おばあさんは嬉しそうに微笑んだ。
ジョゼ兄さまは静かに微笑んで、おばあさんとニコラを見ている。
こっちまでつられてニコニコしちゃった。
いよいよ異世界に旅立つ。
オランジュ伯爵家のアタシ用の部屋に、みんなで集まった。
異世界に旅立つメンバーは、背に荷物入れを背負っている。狩人のエドモンも、お師匠様が移動魔法で往復して家で旅支度を整えて来たようだ。
「先ほど、ご質問がございましたので、お答えいたします。幻想世界に赴くメンバーをいかなる基準で選んだかですが……」
自分の左の掌に教鞭をパシパシと軽くあてながら、学者様が説明を始める。
「マルタン様を選出した理由は、説明不要かと存じます。割愛します」
ちょっ!
使徒様が超優秀なのはわかるわよ! でも、中身はアレよ! アタシ、いっしょに居たくないのに〜〜〜〜〜
マルタンはククク・・と笑い『俺の聖気の偉大さに、愚民どもは平伏するのみか・・』などとのたまわってやがるし……
「ジョゼフ様は勇者様の護衛役です。たいへん戦闘力が高く、勇者様とも気心が知れていらっしゃる。護衛役に適しておられます。なによりご本人が同道を強く望まれましたので、選出いたしました」
両腕を組んだ兄さまが、うんうんと頷く。
「クロード君の同道は、賢者様のご要望です。勇者様と共に異世界に赴く事で、クロード君の魔術師としての成長を見込める……との事です」
テオが溜息をつく。『自分は反対なのですが』とか『初級魔法すら使えない無能魔術師に煩わされるのは不快』とか言いたそうな不満顔だわ。
「が、がんばりましゅ」
あ、噛んだ。鼻の頭を赤く染めた幼馴染が、涙目で口を結ぶ。
「最後の一人にエドモン君を選んだのには、深い理由はありません」
む?
「消去法により、決定しました」
むむ?
テオがメガネのフレームを押し上げる。
「セザール様専用武器の開発を始めるルネさん、及びセザール様は勇者様のお供はできません」
うん、そうね。
「ジュネさんには、獣使いギルドから召集がかかっていらっしゃいます」
「会議に出るのよ」
お美しい獣使い様が、憂い顔で息をつく。
「魔王が現れたせいで、これから先、治安の悪化や魔王信者たちの活動の活発化が予想されるでしょ? 魔王城への監視やら何やらでお忙しくなる王国軍に代わり、獣使いギルドはパトロールや要所警備でご協力するのよ。伝統なの」
へー
「ま、あたしはジャンヌちゃんのお仲間に選ばれたからカンケーないんだけど……あたしのかわいい獣たちが、肉壁扱いされたら嫌だもの。体制づくりが終わるまで、お師さまのお手伝いをすることにしたのよ」
なるほど。
「占い師と盗賊は何やら仕事があるそうで、アランの護衛を求めています」
「昔馴染みから面白い情報を貰えそうなんでね」
ドロ様が男くさく笑う。
「……リュカとアランさんの力を借りてお宝探しでもしようかと」
おお!
「一応の許可は与えました。が、犯罪に抵触する行為であった場合、アランに計画を阻止させます。勇者様の御名に傷がついたら一大事ですから」
そう言われても、ドロ様は気分を害した風もなくニヤニヤ笑っている。
リュカはケッ! とそっぽを向き、腰布一枚の戦士は、
「アレッサンドロ殿が不正行為を行うとは思えません。が、万一の時は雇用主の名誉を第一に考え、判断を下し、行動します」
などと蛮族戦士に似合わぬ知的な発言をする。格好は残念だけど、中身はかなりまともなのよね、この男……
「ニコラ君は……」
白い幽霊をチラリと見て、テオが言葉を続ける。
「アンヌ様と再会したばかりです。異世界に赴くべきではありません」
と、いうか幽霊って異世界に行けるの?
「そして、私は多忙です。賢者様に代わり留守をお預かりし、魔王戦の準備を進めます」
ふーん。
「ですので、エドモン君に同行してもらう事としました」
予定がある人や問題がある人を除いていったら、エドモンしか残らなかったってことか。
お師匠様が異世界に伴える人間は、五人。アタシを除けば、あと四人連れてけるわけで……三人で行くよりは、誰であれ一人増やした方がいいわよね。
でも、生き物を狩れない狩人なのよね、この人。
むぅぅ。
まあ、それでも……クロードよりは役に立つかな?
「……おれも、暇という、わけでは……」
左手に黄金弓、腰に矢筒、背に荷物入れな人が、のろのろと不平を漏らす。種まきがどうの、柵作りがどうの、と。
そうだった……狩人はサブジョブだっけ。
メインジョブは農夫……。
……ますます不安。
前髪で目を隠したエドモンは……もっさりというか、トロそうというか、ボヤーとしているというか……
平和的な農民って感じ。武術とは無縁そうに見える……
「わしに代わり、しっかりと百一代目様にお仕えするのじゃぞ。おまえは腕は悪くないのじゃ。足りぬのは、気迫であり、気概であり、闘争心! 何がなんでも勝つ! そう思えぬ者に勝利はない!」
右手が使えないセザールおじいちゃんが、孫の胸を左手でバンバンと叩く。
「……痛いよ、じいちゃん……」
ぼそっと文句を言いながらも、エドモンは大人しく祖父の激を受けていた。
けれども……
「あぁん、気をつけてね、エドモン〜 うっかり怪我したら嫌よ。無事に還って来てね〜」
幼馴染の獣使いにしなだれかかられた途端、過敏に動いた。あっという間に、さわさわ触ろうとしていた獣使いから距離をとる。おお、意外と素早い。
「……触るな」
ガーッ! と、ジュネさんに対し、牙をむく。
こ、これは……イケメン×平凡の、イケメン片想いバージョン? リア充さまが『なんでこんな人に?』と周囲が首をかしげるような男を愛し過ぎて、執着して、やがて狂気に……
「ジャンヌちゃん」
ハッ!
やだ。アタシったら、ボーッとしてた?
「ずいぶん熱い眼で、エドモンを見てたけど……こいつの良さに、もしかして気づいちゃった?」
え?
そ、その……
「……ジュネさんとお二人セットで、素敵だと思ってます」
「あら〜 ありがと」
お美しい獣使い様が、うふふと笑う。綺麗な女の人にしか見えないわ……
「幻想世界って不思議な生き物がいっぱいの世界なんでしょ? たぶん、エドモンはあなたのお役に立つと思うわ」
ん?
「口下手で無愛想な奴だけど、イジメないで、広い心でつきあってあげてね〜 あたしからのお・ね・が・い」
「もちろんです。仲間ですもの、大切にします」
「ありがと」
通り抜ける風のように、一瞬、頬にやわらかなものが……
「え?」
何をされたのか気がついた時には、ジュネさんとは距離が開いてしまっていた。
今、したわよね? 通りすがりに、アタシの頬にチュッって……
自然に歩き去ったから、何されたんだか最初わからなかったし、周りの誰も気にしてないけど……
でも、確かに……
頬に……
アタシの胸はキュンキュンとした。
「ジャンヌ」
ほうけてたアタシは、お師匠様に部屋の隅までひっぱられた。
物質転送の魔法で運んだ白い反物を、お師匠様がアタシに手渡す。
「床に広げろ」
巻かれていた反物を、床にコロコロと転がした。
部屋の端っこの床に、サーッと一直線に白い道が出来る。
真新しい、綺麗な光沢の布だわ。
「魔法絹布ですか?」
お師匠様は頷いた。
「ここに異世界への通路を開く」
つづいてお師匠様が魔法で取り出したのは、『勇者の書』だった。
アタシのじゃない。
表紙に、『勇者の書 96――シメオン』ってある。
お師匠様の『勇者の書』だ。
お師匠様は、自分の『勇者の書』の裏表紙をアタシに見せた。
「勇者が勇者としての生を終えた時、ここに魔法陣の模様が浮かぶ」
え?
嘘。
そんなのあったっけ?
「その書を記した勇者の旅の跡……勇者が行った事のある世界への扉が刻まれるのだ」
アタシは、お師匠様の『勇者の書』をまじまじと見つめた。
だけど、模様なんか、どこにもない。
もしかして、ツメの先ぐらい小さいのかも! って思って、『勇者の書』に顔をはりつけ、探してみた。
むぅぅぅ……
「どこ? どこです? 魔法陣模様」
「おまえには見えん」
あっさりと、お師匠様が切り捨てる。
「賢者だけが見えるのだ」
そーいう事は、早くに言って!
お師匠様が自分の書の裏表紙を、そっと撫でる。
「現れる模様は、その勇者と関わりのあった異世界への道。私の書の裏表紙には、幻想世界へ行く為の魔法陣が記されている」
へー。
「おまえの書の裏表紙には、十一の魔法陣が現れるだろう」
「託宣通りにアタシが行動すれば、ですね?」
お師匠様が、静かに頷く。
「おまえはこれから十一の世界に赴き、残り八十八人の仲間を得る。そして、魔王を倒し、私の跡を継いで賢者となるのだ。よいな?」
しのび笑いをしてるのは……誰?
アタシが『賢者』になっちゃ悪い? 生き残れたら、そーなる予定なのよ!
プププと笑ってるのは……リュカ、あんたか!
「これからこの魔法絹布に、幻想世界への魔法陣を写す。そこを通り、異世界へ向かうのだ」
「勇者様、困ったなーという時にはこれですぞ!」
ルネさんが、アタシの手にかなりデカい革袋を押しつける。
「その名も『ルネ でらっくす』! あらゆる危機に対処できる、発明品を詰めておきました! 旅のお伴にどうぞ!」
思わず、顔がひきつっちゃった。
大丈夫かなあ……『悪霊あっちいけ棒』は不発だったけど。
こんな大荷物持ってって、全部、外れだったりしたら悲惨よね。
横から大きな手がのびてきて、『ルネ でらっくす』が消える。
「持とう」
ジョゼ兄さまが、でっかい袋を軽々と持つ。
「いいわよ、これぐらい」
アタシは、兄さまから袋を奪い返した。
「おまえに重い物は持たせられん」
「いいの」
アタシの荷物のほとんどをひょいひょい持ってちゃうんだもん、自分の荷物だってあるのに。
「兄さまは力持ちだけど、何もかんも頼るのは嫌なの。自分のことは自分でさせて」
「わかった……。だが、疲れたら遠慮なく言ってくれ。いくらでも持つ」
兄さまが癖のある黒髪を掻きあげる。
あの似合っていない金髪のカツラを外して、お化粧もやめたせいか、ちょっと格好よくなったような。
貴族としての嗜みはこちらの世界に居る間でだけで良いって、アンヌおばあさんに言われたんだ。
服装も、そう。お貴族さまっぽい絹のシャツにズボンのままだけど、華美さが控え目となった。
自分の考えを押しつけてたおばあさんが、兄さまの希望を聞くようになってくれたのだ。
ニコラのことがきっかけで、二人が仲良くなれて良かった。冷めきった関係のままじゃ、寂しいもの。
《ジョゼおにーちゃん、おねーちゃん、またねー》
手を振る白い幽霊に、兄さまとアタシも手を振り返した。
「アンヌを守ってやれよ」
「おばあ……アンヌちゃんと仲良くね」
《うん》
「ここに立て」
魔法絹布の一番端、向って右側にアタシはお師匠様と並んで立ち、共に幻想世界へ旅立つ仲間はその後ろに立った。
お師匠様が、『勇者の書 96――シメオン』を魔法絹布の上に置く。
「魔法にて、赴くべき世界の魔法陣のみを魔法絹布に記す」
「ここに魔法陣を開くんですか?」
アタシはびっくりした。
「だけど、布、丸め直しちゃったら、どうなるんです? アタシ達、帰って来られるんですか?」
「魔法防御をかけておく。我々が還るまで、何人たりとも魔法絹布には触れられない」
なら、大丈夫か……
「いずれ、おまえは賢者として、次世の勇者を異界に導くのだ。今のうちにその法も覚えておけ。私の呪文の後に続け」
お師匠様がアタシと向かい合う。
アタシはお師匠様を見上げた。昔よりはずいぶん大きくなったけど、アタシはまだお師匠様の肩ぐらいの背だ。
見慣れた顔が、そこにある。昔っから変わらない無表情。
白銀の髪に、すみれ色の瞳。綺麗だけど、作りものめいた印象がある。
お師匠様が体をかがめ、ゆっくりと……
アタシに顔を近づけてきて……
おでこをアタシに合わせたんだ……
「呪文に私がこめる念を感じ取れ……ゆくぞ」
お師匠様が呪文を唱え出す。
アタシはどうにか、それをおっかけた。
接触する事で魔力の波動を伝えようとしてるんだろうけど……
いろいろ無理です!
みんなが見てる中、お師匠様とキスができそうな距離で向かい合ってるんです!
冷静でなんかいられません!
ああああ、近い! 近いわ、お師匠様……
ほんとに……
綺麗だなあ……
魔王が目覚めるのは、九十三日後。
そんなわけで、お師匠様が魔法で開いた魔法陣を通って、アタシは仲間達と共に幻想世界へと旅立って行った。
きゅんきゅんハニー 第1章 《完》
第2章『幻想の野』は1月10日(金)から隔日更新の予定です。
よろしくお願いします。