覚めない悪夢
頭の中が、真っ白だ。
なんか、もう……
何も考えたくない。
お師匠様……
なぜ、なんです?
賢者のお師匠様が、どうしてブラック女神の器に……?
勇者を殺したいって思うような奴でなきゃ、器にはなれないんでしょ?
殺したいほど、アタシが疎ましかったんですか……?
『私は……おまえの死など、望んではいない』。
あの言葉は、嘘だったんですか?
アタシにかけてくれた言葉すべてが……嘘だったとは思いたくありません。
『おまえは私の跡を継いで賢者となるのだ』
『私は人の心の機微がわからぬ。すまぬ。私の配慮が行き届かぬ時は、忌憚なく伝えて欲しい』
『おまえには緊張感がなさすぎる。強い伴侶を得られねば困るのは、おまえなのだぞ』
『可能であればジャンヌには、精霊支配者となってもらいたい。八大精霊の支配者となれば、大魔術師級の力を得られる。魔王戦においても、旅をする上でも、精霊はおまえの助けとなるだろう』
『ジャンヌ。いろいろと不自由を強いて、すまなく思う。全ては魔王を倒し、世界の和を守る為だ。魔王を倒した後、おまえが……ユウのように……』
……ユウ先輩のようにすこやかに生きて欲しい……そう言おうとしたんですよね?
なのに……
『勇者が敗北した後の世界が見たい』だなんて……。
どうして、アタシを置いて、消えちゃったんです?
デ・ルドリウ様の背に乗って……
空間変替で、いったい何処へ?
……わからない。
アタシには、なんにもわからないわ……。
肩を叩かれ、ハッとした。
「ジャンヌ……」
すぐそばにクロードが居る。大きな緑の目でジーッとアタシを見つめて……。
「……ぜんぶ、ヴァンさんたちから聞いたよ」
そうか……。
アタシが惚けてたから、代わりに説明してくれたのか……。
勇者のアタシが、みんなに伝えるべきことなのに……。
「あ、あのね、その……まだ、手遅れって決まったわけじゃ……あ、そうじゃない、そんなんじゃなくて、ボクは……」
なんども、言葉に詰まる。
たぶん、かけるべき言葉が見つからないんだろう。
クロードは、女の子みたいにかわいい顔をくしゃっと歪め、
「元気をだして」
と言って、アタシに抱きついてきた。
頭の上に生首をのっけてるアタシに、躊躇なく。
「大丈夫。大丈夫だから。ぜったい大丈夫」
また、そんな根拠のないことを……。
「大丈夫だから……」
あれ?
おかしいなあ……
クロード、少しうつむいてるのに、アタシと頬がぴったり合っている。
背が伸びたわけ?
やだ、いつの間に?
ぜんぜん、気がつかなかったわ……。
「泣かないで、ジャンヌ……」
バーカ。あんたの方が、泣きそうなくせに。
アタシを励まそうだなんて……
クロードのくせに生意気よ、あんた。
「平気よ。覚悟してたことだから……」
嘘ばっか。
ぜんぜん平気じゃない……。
だけど、今は、気弱なことを口にのぼらせたくない。
口先だけでもいい。
平気なふりをしてなきゃ……泣き崩れちゃう。
前に一歩も進めなくなっちゃう。
……ユウ先輩も言ってた、『マイナスな言葉とか、マジないわー 誰の言葉でも、言霊って宿ってるの。不吉な話は禁忌で、ヨロシク!』って。
だから、アタシは……
幼馴染の胸を軽く押して離れ、笑みをつくってみせた。
「心配かけてごめんね……」
口元がひきつってるけど、気にしない。ともかく、笑ってみせた。
「……泣いたって、何かが解決するわけでもないから……」
「ジャンヌ……」
「今は、泣かないわ」
「かッ……」
一度喉をつまらせてから、幼馴染は叫んだ。
「かっけえぇぇ! ジャンヌぅぅ! かっけぇよ! うわぁぁん!」
……だから、泣くなよ。
《我は帰還し、竜王デ・ルドリウのもとへ向かう》
不死の魔法使いダーモットが、厳かな声で告げる。
《さきほどの竜王は、我が声に応えなかった。尋常ではなき、禍々しい気すら纏っていた。何らかの術をかけられておるのやもしれぬ》
「じゃあ、アタシたちもいっしょに」
《否》
ローブをまとったガイコツが、かぶりを振る。
《汝らは、まず国に還るがいい。賢者の変心を、仲間たちに急ぎ告げ、備えをさせよ。ブラック女神の器は、汝の仲間をも狙うやもしれぬ》
たしかに。
「……わかりました」
《汝、生まれし世界に帰還する手立てがあるな?》
う。
「ある」
ドロ様の声。
「……帰還の呪文は、俺が知っている」
ドロ様はかなり体調が悪いのか、闇の精霊ニュイさんに体を支えられている。
顔は土気色だし、頬もやつれた感じ。
それでも、いつも通り、男くさくニヤリと笑っている……。
「『勇者の書 24――フランシス』は……そっちに残ってたよな?……持ってるな?」
《あ。いっけない。みんなのおにもつ、バシャ(馬車)におきっぱだった》
チビッ子堕天使が、左のげんこつで自分の頭を軽くコツンと叩く。てへ★って感じに、ペロッと舌を出しながら。
《ラモーナちゃんとブンシンにはこばせるね〜》
「ラモーナ?」
《ラモーナちゃんは、つかまえてー ブンシンにカンシ(監視)させてるんだー ラモーナちゃん、こことチョクツー(直通)のトビラもってるから、すぐだよ。ちょっとまっててね》
《勇者よ。有益な情報を得た時には、伝えよう。賢者も探す。汝の国でなすべきことをなし、我が報告を待て》
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
ダーモットは、空から赤い宝石の指輪を取り出し、クロードに手渡した。
《我が弟子、クロードよ。新しき絆石を授ける。使い方は、前のものと同じ。魔力を得た今の汝であれば、空間の壁を越え、我と会話することも可能である》
「うわぁ〜 ありがとうございます! ダーモットさん!」
指輪を大切そうに握りしめ、クロードは頭を下げた。
「前のを壊しちゃって、ごめんなさい!」
《戦場でのこと。気に病む必要はなし》
とか言いつつ、《予備だ》と同じ指輪を五つもクロードに渡している。ものすごく気にしてはいたようだ。
《勇者よ、汝に一つ頼みがある》
「何です?」
《国での備えが整いし後、我が世界を再訪問する折には、》
「はい」
《必ずや、狩人エドモンを同行させよ》
へ?
「なんで?」
ダーモットは、エドモンと面識……なかったわよね?
《竜王を『魔王』としたくない》
「え?」
《竜王が暗黒道に堕ちたのであれば、調和神の天秤が傾く。世界が『勇者』を生み出せば、討伐されるのみ。その前に、あらゆる獣の頂点に立つもの――獣の王エドモンをあやつに逢わせたい。あれが『魔王』となりかけていても、エドモンなれば正気に戻せよう》
えっと……
よくわかんないけど……
「わかりました。次に行く時は、エドモンも連れて行きます」
てか、さっさと国に還って、一度幻想世界へ行くべき?
でも……
空間変替が出来るデ・ルドリウ様は、好きな時に好きな世界へ行けてしまう。
幻想世界に居るとも限らないのだ。
お師匠様も……。
《何かわかった時には、知らせようぞ》
不死の魔法使いは、闇に呑み込まれるようにスッと消えて行った。
荷物を待って、闇の中に留まる。
アタシの頭の上で輝いているベティさんだけが、明かりだ。
「そういえば、ここ……魔界の王の部屋なのよね」
なにか言ってなきゃ、余計なこと考えてしまいそうで……
アタシは思いついたことを、そのまま口にした。
「闇の中に魔界の王も居るのよね?」
アタシの目には見えないけど。
《居らっしゃるねえ》と、頭上の生首。
「アタシたち、ここに居座ってていいのかしら?」
《いいんじゃないの? ほっとかれてるんだから》
そう?
アタシの精霊たちも、考えを述べる。
《魔界の王は、山みたいにおっきいからー ちっちゃすぎる生き物なんか、気にもとめないと思うー》
《視界をよぎる虫は気になるが、遠くの木に留まってる虫には目もいかないもんだ。大人しくしてりゃ、平気だと思うぜ》
《うむ。わしらが敵対行動をとらねば、あちらも何もせんと思うぞクマー》
アタシたちは、虫あつかいか……
アタシだったら、部屋の中に、
黒くて硬くててらてら光るGがいたら、息の根を止めるまで追い回すけど。
《勇者ジャンヌ。今、ちょっといいでしょうか?》
白いドレスの虹クマさんが、アタシを見上げてる。
「どうぞ」
《魔界からの出界が叶いましたら、》
その口から洩れるのは、ため息だ。
《申し訳ありませんが、光界に還らせていただきます。導き手の職務に戻らねばなりません》
「ああ……同僚さんに仕事を代わってもらってたのよね?」
《ええ。あなたの帰還を見届けるまでという条件で。これ以上はわがままを言えないのです。こんなたいへんな時にあなたのもとを離れるのは、心苦しいのですが……》
「ううん。魔界で、ずっとつきそってくれて、ありがとう。ルーチェさんの回復魔法がなきゃ、へばってたわ。魔界は、瘴気だらけだったもの。真実の鏡を見た時も……」
真実の鏡……
ふと思った。
サリーの城の真実の鏡を見なければ……
お師匠様がブラック女神の器だと気づかなかった。
そうだったなら……
お師匠様は正体を明かさなかったかもしれない。
救いに来たアタシたちといっしょに、還ったかもしれない。
『賢者』として、アタシのそばにずっと居てくれたかも。
《勇者ジャンヌ……》
ごめん。その方が良かったなんて、思ってない。
そんな未来があったかもって思っただけよ。
《あなたが一番いいと思う道を進み続けてください》
虹クマさんの右手が、そっとアタシに触れる。
《決して、負けないでくださいね》
ルーチェさん……
《しばらくは顔を出せませんが、私、必ず戻って来ますから》
ありがとう……待ってるわ。
吸血鬼王は、黒マントを体に巻きつけ、ず〜っと使徒様を見下ろしている。
彫像のように、まったく動かない。
さらわれた使徒様を、はるばる救いに来たってのに。
当の使徒様は、グ〜スカ寝こけてて、とうぶん起きそうにない。
起きて動いてる姿を見られなきゃ、(いびき以外)声も聞けない、罵倒してもその言葉は相手の耳に届かないときては……やるせなさマックスだろう。
そんな吸血鬼王に、クロードが挨拶に行く。
「あの、ボクたち、もうすぐ還ります。ノーラさん。ほんとの、ほんとの、ほんとーに、お世話になりました。ありがとうございました。かっけぇノーラさんとごいっしょできて、幸せでした」
言うだけ言って、幼馴染が深々と頭を下げる。
それに対し、吸血鬼王は《ふん》と荒く息を吐き捨てるだけ。顔すら向けなかった。おまえなんか歯牙にもかけていないって態度がありあり。
けど、クロードに声をかけられたことで、自分の世界から出てきたようで。
裸マントの魔は、裸戦士に近づいていった。
《戦士、餞別だ》
その手に、コウモリの形をしたリボンのようなものを持って。
《肌身離さず、常に身につけておけ。この飾りに、我が力の一端を封じてある》
コウモリの両目を押すと、あらゆる強化魔法を消去する音波が発生。敵の結界すらも消せるようだ。
《それに生き血をかければ、私を召喚できるぞ。蝙蝠を赤く染めるほどの血が必要なのだが……貴様の血ならば一滴でもいい。すぐに駆けつけよう》
もろ超好みなせいか、アランには気前がいい。
けれども、
「ご厚意には、感謝します。ですが、これは受け取れません」
アランは頬をひきつらせている。
吸血鬼王が、片眉をつりあげる。
《なるほど。魔族の道具など、汚らわしいと?》
「いいえ。他の魔族はともかく、吸血鬼王ノーラ殿、死神王サリー殿、屍王ダーモット殿には、深い恩義を感じています。あなた方を貶める気持ちは欠片もありません」
《ケッ! あたしだけ、仲間外れかい。けったくそ悪い》
アタシの頭の上で死霊王が毒づく。
「当然じゃない? ベティさん、アランに何にもしてあげてないでしょ?」
そもそも、ほとんど会話してないし。
《ならば、受け取れ》
吸血鬼王が押し付けようとする物を、
「要りません」
アランが必死に押し返す。
「装備できませんから!」
それは、首に巻くだけの蝶ネクタイ・チョーカーだった。蝶ネクタイ部分が、コウモリ型の……。
《何を言う。蝶ネクタイは最強の礼装だ。貴様のその太い首に、美しいこの私の象徴は間違いなく映えるぞ》
「……死んでも、装備したくありません」
うん、裸戦士のアランが蝶ネクタイつけたら……危ない店のボーイか、奴隷か、特殊な性癖の人よね。
裸蝶ネクタイか……。
《命がけで勇者を守るのではなかったのか?》
ババーン! って感じに指さされ、アランがたじろぐ。
《この私のアイテムは、有益だ。汎用性も高い。であるのに、デザインに拘泥し、退ける……正気とは思えんな》
ガーン! って感じに、アランがのけぞる。真面目だから、正論に弱いのね……
《恥を捨て去ってでも実をとる、それが真の護衛ではないか?》
「た、たしかに……いや、しかし、これをつけたらますます……だが、勇者様をお守りするのなら……」
……説得されるのも、時間の問題のような。
《いいなあ……ダーちゃんもノーラちゃんも、お気にいりの子にプレゼントあげて。あたしも、ラヴラヴしたーい》
サリーが何か言いたげに、こちらを見ている。
さっと、目をそらした。
と、そこで。
このタイミングで、幼馴染がサリーに挨拶に行って……。
「あの……サリーちゃん、今までありがとう。ボクたち、もうすぐ還るけど、この恩は」
サリーの左目が、キラーンと光ったような。
バカ……。
闇の中に、木製の扉が現れる。
中から出て来たのは、ラモーナだった。
天使コスプレをさせられてる。
頭に輪っか飾り、スケスケの白いミニドレス、背中の蝙蝠の羽根は(たぶん、天使の翼を意識して)白く着色されている。
ミニドレスがスケスケのレースだから、黒の下着が丸見えだ(まあ、もともと下着姿だったけど)。
「あの格好……」
《ヒヒヒ。能力封じだろ。サリーの影響下に置いて、魔力やら魅了の力に制限をかけてるのさ》
へー 天使コスプレにはそんな用途も。
ラモーナはキッ! と、アタシの方を睨んだ。《とっとと還ってくださらない?》って言いたそうな顔で。
けど、自分と同じ格好をさせられてる者には、やさしいまなざしを向けていた。
さっき、《もらってくれるの? わーい、ありがとー んじゃ、ドーン! 天使セットならマホウですぐに出せるんだー ね、今、きて。ここで、きて。天使になったクローちゃん、みた〜い、みた〜い》と、笑顔でせまられて、断りきれなかった奴が居るんだ……
クロードは黒のローブを脱がされて、天使コスプレさせられている……ほんともう情けない。
メンズブラまで押し付けられて、スケスケのドレスとか……
ドレスとか……
ストロベリーブロンドの髪に、ふっくらとした頬、上目づかいな頼りなげな瞳。
恥じらいで赤く染まった鼻も、ぷるるんな唇も、肩をすぼめ小さくなっているその姿も……なにもかもが、ちょ〜可愛い。
どう見ても、美少女天使。
似合いすぎ……。
サリーが満面の笑顔なの、わかるわ〜
クロードが、変な趣味に目覚めないといいけど。
サリーの分身たちから、荷物を受け取る。
お師匠様の荷物入れを開け、『勇者の書 24――フランシス』を探そうとして……
違う冊子を手に取った。
お師匠様のノートだ。
旅の途中、書き物をする時にいつも使っていた……
胸が、きゅぅぅぅっと痛んだ。
『備忘録』と書かれたそれを戻し、代わりに二十四代目の書を中から取り出した。
「じゃ、アタシ、還るから……」
頭の上の奴に、声をかけた。
「降りてくんない?」
《イヒヒ。ケチだねえ。このまんま、連れてっておくれよ。あたしゃ、帽子。帽子だよ》
「いらないわよ、笑いぶくろ帽子なんか。首が凝るから、とっとと降りてよ」
《ケッ! クソ弱いくせに、口だけは偉そうなんだから!》
アタシの頭に絡みついていた髪の毛が、シュルシュルとほどけてゆく。
「ベティさん……荷物やアタシの体に忍び込ませた髪の毛も、持って帰ってよ」
《フヒヒ。そいつぁ、聞けないねえ。髪の毛は、あたしとあんたを結ぶ大切な絆だからさ》
「そんな絆要らないわよ」
アタシの上からふわっと浮かびあがり、生首が宙を舞う。ゲヒヒと笑い転げながら。
《助けが必要になったら、あたしの髪の毛を通して、呼んどくれ。愛しいあんたの為に、すぐに駆けつけてあげるからさ》
いらねーって言ってるのに!
あいかわらず、人の話を聞かない。
《いいかい、神の為なんかに死ぬなよ? 闇雲に神を信奉したってバカを見るだけさ。そのおめめを見開いて、空っぽの頭でよく考えな。あんたは、何者か。そして、あんたの師匠も何者かってね》
死霊王の生首は、高く舞い上がってゆき……やがて、闇の中に消えて行った。




