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きゅんきゅんハニー  作者: 松宮星
堕ちた勇者
157/236

堕ちる空

 穴の先は並行世界だと、ベティさんは言った。

 今までいた所の複写空間だって。


 けれども、白い霧がたちこめていたあっちとは違って、穴の先は真っ暗だった。


 数歩先も見えない闇の世界だ。


 でもって、聞こえるのだ。

 闇の中から、荒れ狂う風のような……

 ぼそぼそと大勢の人が話しているような、機械の回転音のような、うめき声のような、ぞっとする声が……

『喰わせろ』って聞こえたような……


「なに、これ?」


《邪霊どもだね》

 後ろの声が、イヒヒと笑う。

《ここで死んだ奴ぁ、ごまんと居る。覇権争いとか、天界の犬どもが仕掛けてきた『聖戦』とかでね。無念の思いで死んだ奴等が、蘇ってるのさ》


「なんで?」

《決まってるじゃあないか》

 ウヒヒと、ベティさんは楽しそうに笑う。

《神の使徒のせいさ》


 何ぃ!


《神の使徒ってのは、嫌になるぐらい神々しいもの。その光にあてられて蘇った奴等が、熱烈大歓待をしているんだよ。誘惑し、堕落させるか。喰い殺してやるか……。光が輝きを失うまで、邪霊どもは静まらないのさ》


 闇から『殺してやるぅぅ』って声に混じり、『神にすがっても無駄だ』『救済などない』『神の恩寵を捨て、欲望のままに生きよ』てな声も聞こえる。

 中には、『寝起きの一服。渇いた体にしみわたる、ガツンとした痛み』だの『両切りがうまい』だの『吸わせろぉぉぉぉぉぉぉ』だのの声も……。マルタンへの、誘惑?


 わけわかんない……。


《クサレ僧侶を降ろすかい?》

「やめとくわ」

 周囲の濃い闇を見ながら、ため息をついた。

 このとこ呼べなかったけど、この先に本人が居るのなら『勇者のサイン帳』で降ろせるような気も。でも、マルタンを助けに行くのに、マルタン呼ぶとかありえない。あっちの状況もわからないし。


「このまま真っ直ぐで良いのよね?」

 真っ暗で何も見えない。

 だけど、何となく、そちらに心惹かれる。

 勇者や勇者であった者は絆で結ばれているから、たぶん……アタシが惹かれる方向に、お師匠様は居るはず。


《心のままに、進みゃいい。ここにも魔界の王が居ることは居る。が、招いた奴等がどう動くか静観しているだけだ。攻撃はしてこないよ》


「おっけぇ!」

 邪悪を祓える『不死鳥の剣』を構え、走った。


《けど、あんたも『勇者』だしねえ》


 すぐそばの地面(床?)から、何か黒いものが噴出る。

 間欠泉のような、凄まじい勢いで。

 距離をとって駆けても、後から後から。

 追いかけるかのように、アタシの通った後から黒いものが吹き出し続けるのだ。


《やっぱり!》

 生首が、グヒヒと笑う。

《あんたも、気に食わないってさ! 三つも神の加護をくっつけてりゃあ、当然だわね!》


『殺す殺す殺す殺す』だの『喰ってやる』だの『死ねぃ』だの……やな声が追って来る。

 他にも、『カーノジョ、いいことしよーよ』とか『1G落としましたよ』とか『話題のバストアップ・サプリ! 今でしたらお試し価格で……』とか。

 ンなんで足止めるかッ!

 バカすぎるわ、ここの邪霊!


「うわ!」

 つんのめり、よろめく。

 転びかけたアタシに、四方から嫌な気配が殺到してくる。

 腕の中のピクさん、ソルがアタシを庇おうと動く。


 けれども、それよりも早く、

《すっこんでな! 雑魚ども!》

 アタシの頭上から広がった青白い光が、闇を後退させた。

《この女は、死霊王ベティ様のものだ。髪の毛一本、爪のひとかけらだって、やらないよ。丸々、あたしのもんさ》

 いや、あなたのものでもありません。


 鬼火のような淡い光が、頭上に灯る。

 邪霊たちは、死霊王に恐れをなしたのか、光が及ぶ範囲に近寄ってこない。

 それは、とっても有難い。

 だけど、重いのだ……物理的に。


「……なんで、のっかってるの?」

《いやね、さっき、体を無くしちまったからさ》

 まるで帽子のように、ベティさんはアタシの頭にのってる。金髪の巻き毛をアタシの頭にからめて、落っこちないよう器用にくっついて。

《のっけてくれるだろ? 生首になったかわいそーな死霊王に愛の手を……じゃなかった、愛の頭を、か!》

 でもって、フヒヒと笑う。

 首だけになっても、ぜんぜん平気なくせに。

「あんま笑わないでよ。揺れがモロに伝わってくるんだから」

《バーカ。あんたがあたしを笑わせなきゃいいんだよ。グヒヒヒ》

「笑うな! 首が痛い!」



『何故だ?』

 闇から声がする。

 一人が囁いているようであり、大勢の声が重なっているようにも聞こえる。


『何故、光のものが魔族と馴れ合う?』


『その邪悪は、おまえの知人の仇』


『カガミ一族を滅ぼして、戯れに死霊の王国をつくり、』


『アンデッド・キメラたちに、生きとし生けるものを殺しつくすようを命じたのは……』


『死霊王ベティ。おまえが共に居るものだ』



 え?



「今の話……ほんと?」


 ベティさんの称号が『死霊王』だって知った時、尋ねたのだ。


 だけど、知らないってベティさんは言ったし……

 魔界には『死霊王』は何人も居るって聞いたから……

 アタシは……


《カガミ一族ねえ……う〜ん……やっぱ覚えがないよ》

 ベティさんが、同じ言葉を繰り返す。

《異世界には、けっこう行ってるからねえ》

 ウヒヒと生首が笑う。

《いちいち覚えてるもんか。面白いヤツがいりゃ別だけどさ、地味〜な世界の地味〜な一族なんて、滅ぼしたって記憶の片隅にも残らないよ》


「じゃあ……ベティさんが、カガミ一族の仇なの?」


《さあ? かもしれないし、そーじゃないかも》



 ジパング界の伴侶たちが、心に浮かんだ。


 カガミ マサタカ先輩……

 アンデッド・キメラにされたお母さんたちを自らの手で倒した先輩は、死霊王の再来に備え……寿命がつきかけた時、自らに石化の魔法をかけた。

 何が何でも自分の手で仇をとりたいから。


 先輩の子孫の、シュテンもイバラギもヨリミツ君も、死霊王戦をみすえて己を鍛え続けている。



 それなのに、当の死霊王が……覚えてすらいないのなら……


 いや、ベティさんが、仇と決まったわけじゃないけど……


 そして、アタシは……



《ちょっと、ちょっと、ちょいと! ゆーちゃちゃま、どしたのさ、グラグラしてるよ?》

「……うるさい」

《泣いてるの?》

「違うわ……自分に腹を立ててるだけ」


 ベティさんが本当に仇だったとしても……

『敵』と、切り捨てられない。

 アタシを改造したがる、自分勝手で下品な魔族を……嫌いになれないのだ。


 先輩の無念を知ってるのに……。


 アタシってヤツは……



『何故、許す?』


『何故、魔族に情を抱く?』


『何故、おまえはかくも愚かなのだ?』


 闇からの声が、アタシを責める……。


『それでも、勇者か?』と。


『何も考えず、なりゆきに身を任せているだけではないか』


『それなのに……』


『身一つで、堕天し、魔界を彷徨ったというのに……』


『何故、死にもせず、穢れもせず、『勇者』のままここに辿り着ける……?』



 アタシの頭上で、死霊王が笑う。

《死ねばよかったって、口ぶりだねえ》



『勇者の死など、望んではいない』


『救おうとした……』


『いつも……』


『だが、おまえは……死ぬ』


『また、死ぬ……』


『また……』


『…………が、身代わりとなって守った世界……』


『失うまいと』


『私情につき動かされ、私は……』


『罪を重ねた』


『何の価値も見いだせぬものの為に……』


『……を殺し続けた』


『永遠に……を殺し続けねばならぬのなら……いっそ……』



《全てをご破算にしようってか?》

 イヒヒと死霊王が笑う。



「……なら、唱えればいいじゃないですか」

 アタシは、闇に向かって叫んだ。

「『この世界の礎となってくれ、勇者よ!』って」

 目に涙を浮かべながら。

「それですべてが終わりますよ! お師匠様!」



 どこからともなく光が差し、闇の中からよく知った人が浮かび上がる。

 腰まで届く白銀の髪。

 透き通るように白い肌。

 感情がうかがえない美貌。


 賢者の象徴――白銀のローブではなく、黒のローブを着ているけれども……いつものお師匠様だ。


 いつも通りの。


 そう見えるのに……


「……いつから気づいていた?」

 抑揚のない声が、淡々と尋ねる。

「私とて自覚したのは、魔界に来てからだ。深手を負ったことと、魔界の王のもとにいる邪霊の囁きが、女神との親和性を高めたように思う」


「死神サリーの城に、真実の鏡があったので……」

 サイオンジ先輩を降ろして、記憶を視てもらったのだ。



* * * * * *



「天界で襲われた……ん〜 これは、ちょっと……マズイですね」

 アタシの記憶をしばらく眺めてから、先輩は頬を掻いた。

「ブラック女神の器は……この中の誰かだ」


 真実の鏡には、天界で神々の食事を食べている、シャルル様、クロード、アラン、エドモン、お師匠様が映っていた。


「天界は神々の聖域、天界が認めた者しか入界できません。許しの無い転移を試みても、弾かれるだけです。器は、あなたと一緒に入界したんです」

 違うタイミングで入界したんじゃ? と聞くと、先輩はかぶりを振った。

「その可能性は、限りなくゼロに近い。普通、生きている人間は天界には入れません。理由が無ければ、神の使徒のマルタン様でも弾かれるはずです」

 アタシは、さくっと入れたけど? まぶしくって、うるさくって、臭かったけど!

「うるさくて、臭いって……法悦の音と香りと言うべきところでは?」

 あははと先輩は笑った。

「まあ、信仰心に欠けていようとも、あなたは『勇者』です。魔王を倒す為の旅という大義名分もある。特別枠なんですよ」


 天界に行ったメンバーの中に器が……?


「おそらく。でも、本人に自覚はないと思います。邪悪となるのは女神を降ろしている時のみ……睡眠中とかかな? だから、マルタン様の邪悪感知(センサー)も反応しないんじゃないかと」


 この中の誰が……?


「英雄世界とエスエフ界でも、あなたを襲えた者です」


 でも、英雄世界に行ったのは、ジョゼ兄さま、クロード、ジュネさん、ルネさんで、

 エスエフ界に行ったのは、ニコラ、セザールおじーちゃん、ルネさん、マルタンよ?


 全部の世界について来た人なんか……


「居ます」

 あっさりと先輩は言った。

「『勇者』のあなたに常につきそう人が居ますよね? 三世界でも、いっしょだったはずです」


………


 そんなはずない。


『賢者』は、『勇者』を導く者。

 神様を降ろせる人が、敵のブラック女神も降ろせるなんて変じゃない?


「う〜ん、ぼくみたいにいろんな神を受け入られる器もいますから、何とも言えませんが……先日、あの世界の神様が、賢者様にではなく、マルタン様に降りたのがその答えかと」


 え?


「『賢者』は、『勇者』に神の意思を伝える為に託宣の能力を付与されているのです。『賢者』が不在の時ならともかく、『勇者』への伝言の為に他の器に宿るなど明らかにおかしい」


 それは……


「賢者様は、あの世界の神様を降ろすのにはふさわしくない体になってるのだと思います」


 そんな……


「ジパング界でブラック女神が手をだしてこなかったのも……賢者様が『鬼』にさらわれ『カガミ家当主の間』に封じられていたからでは?」



 サイオンジ先輩は苦笑を浮かべた。

「まあ、断定はしません。ブラック女神には異世界への転移能力もあるでしょうから、旅に同行してないメンバーでも襲えることは襲えますものね」


 でも、天界に共に行った誰かが器であることは間違いなく……


 たぶん、シャルル様やアランではない。アタシが英雄世界やエスエフ界を旅している間、二人はレヴリ団の秘宝探索に行っていた。完全な別行動だったもの。


 クロードとエドモン。

 それと、お師匠様。


 三人の内の誰かが……



 そう覚悟はしていた。


 していたけれども……



* * * * * *



「なぜ、です?」


 お師匠様のすみれ色の瞳が、アタシを見つめている。


「……なぜなんです?」


 その顔には、何の表情もない。

 六つの時に勇者見習いとなってから、いつも、こう。ずーーーっと無表情。

 けれども……一緒に暮らしてきたアタシは知っている。

 お師匠様は、感情表現が下手なだけ。冷酷な人じゃないって。


「何か理由があるんでしょ?」


 今はアタシを殺したいんだとしても、絶対それだけじゃあない。アタシを救いたいって、ずっとずっと言ってくれてたもの……


「すまぬな。ジャンヌ」

 抑揚のない声で、お師匠様が言う。


「私は、あらゆることに、倦んでいたようだ。その思い故に、ブラック女神の器に選ばれたのだろう」

 お師匠様は、ほんの少しだけ口角をあげた。まるで微笑むかのように。



「勇者と魔王の戦いは、おまえの代で百一度目となる」


「何故、時をおいて、戦いは繰り返されねばならぬのか」


「勇者が魔王に敗北すれば、世界は終わる。先代の教え通りに、おまえにそう教えた」


「しかし、果たしてそうなのか? 魔王以外のものが死に絶えようとも、世界を構築していたものが消えようとも、そこに何かが存在する限り世界は存続する。滅びたとは言えない」


「ジャンヌ。私は、勇者が敗北した後の世界が見たい」


「異なる未来が見たいのだ」



「なら……アタシを殺せばいいじゃないですか! お師匠様なら、呪文一つでアタシを殺せます! すぐにも異なる未来が見られますよ!」


「ジャンヌ……」

 お師匠様が、小さくかぶりを振る。

 そうじゃない、何故わからないのだ、と教え諭す時のように。

「究極魔法は唱えぬ」


 え?


「どういう意味です?」


「私はブラック女神の願いに、応えねばならぬ。だが、女神も、又、私の願いを無視できない。私たちは、混ざり合っていずれ一つとなるのだ」


「だから? なんなんです? 何が言いたいんです?」


 お師匠様が、顔をあげる。

 遠くをみやるかのようなその仕草につられ、アタシは肩ごしに振り返った。

……遠くで何かが揺らいでいるような?


「おまえは、おまえの勇者道を貫くがいい。おまえの行く末を見守ろう」



《逃げられちまうよ》

 頭上のベティさんの声に、慌てて顔をもとに戻す。


 お師匠様の体が滑るように遠退いている……


「待って!」


 伸ばした手は、むなしく宙をつかんだだけだった。


 お師匠様の姿は闇に消え、

 ほぼ同時に、背後から、キ――ン! と、耳をつんざく不快音が響き渡った。

 生理的嫌悪感を誘うような、嫌な音だ。


 振り返ると、闇の彼方に白い模様が浮かび上がっていた。

 円。その内側には、幾何学的な模様。

 淡く輝く円――魔法陣から、激しい風が生まれ、ぬるっと何かが飛び出し……


 疾風がアタシのそばを通り抜け、

 そのすぐ後に、アタシの体はふわりと舞いあがった。


《おっまたせー♪》


「サリー?」

 右手に大鎌を持った幼児天使に、左手一本で持ち上げられている。

 てか、アタシのお尻が、サリーのちっちゃな掌の上にのってるだけ。

 それだけで、運ばれてる!

 すっごい不安定な姿勢なのに、ぜんぜんグラグラしない!

 一流給仕(ボーイ)さんのお盆になった気分!


「ジャンヌぅぅ! よかったぁぁぁ!」

《無事で何より》


 魔法陣から、仲間たちが現れる。

 紫雲に乗ったクロード。

 空中飛行をするダーモット。


 そして……

 赤クマさん、緑クマさん、白クマさん、虹クマさんが!

《すまないねー オジョーチャン、モタついちまって。オレらいない間、こっち、たいへんだったみたいだな……》

《死神王たちが夢魔ラモーナを拘束し、王城への扉は手に入れたのですが》

《異層に出現し、そなたの所在空間との同期に手間取ったのだクマー》

《ノーくんがハッスルしなきゃ、まだそのへんうろついてたよねー》


 ノーくん?

 ノーキン?

 じゃない、ノーラ?

 吸血鬼王?


 ふと前を見ると、凄まじいスピードで、闇が割れていた。

 コウモリに変化した吸血鬼王の背に、アランが乗ってる。

 脳筋タッグが、そこにあるものを切り裂いて、稲妻のように爆走中。


《おーおー クサレ僧侶めざして、まっしぐらか。吸血鬼王ちゃまは、お熱くていらっしゃる》

 アタシの頭の上の生首がイヒヒと笑い、

《ベティちゃんだって、ラヴラヴじゃーん♪ ユーシャちゃんのおぼうしになっちゃってー》

 アタシのお尻よりも下で、チビッ子堕天使がえへへと笑う。


《うらやましがったって、やんないよ。この女はあたしのもんだ》

《ぶー! ベティちゃんのケチぃ!》


 吸血鬼王たちが開いた道を、サリーに抱えられたまま進む。


 時折、邪霊が襲ってきたけど、サリーといっしょなんで問題なかった。

 サリーは、魔眼持ち。

 目だけで、相手を殺すこと、身動きを奪うこと、魅了することができる。

 サリーに見られた邪霊は、邪気を失い、闇の中に溶け込んでいった。



 辺りを見渡すアタシに、精霊たちが内緒話をしてくる。

《あのな……ジャンヌのお師匠さまだけんども、闇ん中にいねえんだ》

《闇精霊に気づかれねーで闇に潜むのは不可能だ……普通はな。ピクよりも高位な存在――暗黒の女神の加護で隠れてるのかもな》

 勇者や勇者であった者の絆も、働かない。

 心惹かれる方向が無い。

 お師匠様が何処にいるのか、さっぱりわからない。



 遠くにキラッと輝くものがあった。


 マルタンの魔法……?

 思うそばから、違うと気づく。


 マルタンのグッバイの魔法は、ド派手だ。

 太陽みたいにまばゆくって、そこらじゅうの邪悪を、有無を言わさず、根こそぎ祓ってしまう。

 あの魔法が放たれたのなら、ここら一帯は、すっきり浄化されるはず。


 嫌な予感がした……


 邪悪に囲まれてもマルタンが戦おうとしないのなら、それは……


 最悪のイメージが浮かびかけ、慌てて頭を横に振った。ベティさんが重すぎて、あんま振れなかったけど。

……ありえない! 他の人間が倒されても、あいつだけはぜったいピンピンしてる! とことん図々しいヤツが、死ぬものですか!


《し、死んではいねえよ、ジャンヌ》

 おろおろしながら、ピクさんが言う。

《ほとんど動かねえけど……神の使徒も、占い師も……》



 ずっと先に、弱々しい点滅がある。ひどく間隔をあけて点滅している。

 一度光ると、次はなかなか光らない。ピ、、カ…………ピ、、カって感じ。油が切れかけてる、灯りのよう。

 時々光っているのは、マルタンが首にかけてる十字架だ。

 あれは、緊急時にピコピコ光って結界を張る。『半日後には、ただの十字架に戻る仕様』って言って、幻想世界やエスエフ界で使ってた……覚えてる。


 光る度に、結界内が照らされる。

 小さな半球状のドームの中に、ドロ様はうずくまるように座り、その先でマルタンが仰向けに倒れている。


 ドクン、と心臓が跳ねた。




 吸血鬼王が放った音が、十字架の結界を消し去る。


「アレッサンドロ殿! 使徒様!」真っ先に駆け寄ったのはアランで……


 サリーの上から飛び降り、アタシも二人のもとへ走った。

 クロードも、必死に後を追って来る。


 けれども……

 近寄ってわかった。

 マルタンの姿は……酷すぎる。


 人型になった吸血鬼王は、黒マントを体に巻きつけ、不快も露わに使徒様を見下ろしている。

 抱え起こしたアランの顔にも、苦い笑みが。


 わかるわ!


 はるばる助けに来たのに!


 この男は!


「グガーッ・・・ゴゴゴ・・・グゴゴ」

 いびきかいて寝てるとか!

 どーゆう神経?

 信じられない!


 とりあえず、バカの頬をビシッ! とひっぱたいておいた。

 その瞬間だけピタッと寝息が止まったものの、すぐ復活。

 ピシピシと叩き続けるアタシを、「乱暴はやめて〜」と幼馴染が止めに入る。


「……ボワエルデュー侯爵家の護符を奪われちまったんだ」

 力なく座っているドロ様が、苦しそうにつぶやく。ドロ様に寄り添う美女は、闇精霊一体。他の七精霊は、もしかして四散してしまった?


「HP&MP自動回復の護符(アレ)をですか?」

 クロードに、ドロ様が重々しく頷く。

「あれで、使徒さまはかろうじて体を保ってたんで……溜まりに溜まってた疲労に、どっと見舞われてるんだ」

 おいたわしい! と幼馴染が叫ぶ。


 言われてみれば……マルタンの目の下の隈がいつもより濃いような……?


「誰に奪われたんです?」


 アランの問いに、胸がズキッと痛む。それは、きっと……




 ドロ様が口を開きかけた時……


 頭上から、大きな音がした。


 遥か上方に、亀裂が走ってゆく。

 布がびりびりと裂けてゆくように、闇はどんどん割れゆき……

 やがて、切れ目同士がつながる。

 不格好な四角い形に切り取られ、そのまま宙が……がくんと抜けた。


 上からの突風。


 すかさず、風精霊(ヴァン)が、周囲に風の結界を張りめぐらせる。


 割れ目から現れたのは、ただただ巨大な……黒い壁だった。

 大きすぎて全体がよくわからない。けれども、太い鈎爪、足、黒い鱗に覆われたお腹のようなものが見えて……


 間違いない、あれは……


 幻想世界の……


 すぐそばの幼馴染が、叫ぶ。

「デ・ルドリウ様?」


《デ・ルドリウ。汝、何ゆえ、空間変替(コンバート)にてこの場に?》

 不死の魔法使いの問いにも、答えは返らない。


《勇者ジャンヌ。賢者があのドラゴンの背に》

 ルーチェさんが、叫んだけれども。


 咆哮。


 空気が激しく振動し、更なる強風が吹き荒れる。


 やがて、ドラゴンは高みへと昇り……


 切り取られた空が再び繋がる前に、その中へと身を沈ませていった。




 茫然とたたずむアタシたちを、その場に残して。

きゅんきゅんハニー 第9章 《完》



 第10章は、ただ今執筆中です。


 8月更新開始を目指しています。発表のめどがたちましたら、活動報告でお知らせします。


 ご感想、ご意見、ご指摘等いただけると嬉しいです。執筆の励みとなります。

 これからも「きゅんきゅんハニー」をどうぞよろしくお願いいたします。

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