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きゅんきゅんハニー  作者: 松宮星
堕ちた勇者
156/236

光と闇が備わり……

 ソルを同化させ、ポケットにピクさん。

 腰に、『不死鳥の剣』と『オニキリ』。

 バイオロイドのポチと『勇者のサイン帳』もすぐに使えるようにしてから、アタシは扉をくぐった。その後を、死霊王が続く。


 扉の先は魔界の王の自室。お師匠様たちはそこに居ると、ドロ様2号こと大侯爵は言っていた。



 けれども、その先は、見渡す限り白い世界で……


 静寂に包まれていた。


 まぶしい。

 キラキラと輝く白い霧が、周囲にたちこめている。視界がはっきりしない。足元も霧に隠れている。部屋というより、朝もやの野原のような。


 白く輝く世界には、入って来たアタシたちしかいない。


《それ以上、前に出るな。気づかれるよ》

 何にとは、ベティさんは言わなかった。


 だけど……


 わかった。


 何かが居る。


 何かとつてもなく大きなものが居る……

 それだけは、わかる。

 と、いうか感じた。



「ソル、目を貸して」

 土の精霊に頼み、あらためて前方を見ると……

 白く輝く大きなものが見えた。


 デカい。


 けっこう距離が開いているのに、天を見上げるように顔をあげなきゃ、頭が見えない。


 発光しているそれは、精霊の目を通してもはっきりとは知覚できなかった。

 涙でにじんだ目で、見ている感じ。


 堕天使……だと思う。


 山のように巨大なソレは、頭上に光の輪を浮かべていた。

 白い翼がいっぱい生えている。

 一番上の左右の翼で顔を覆い、次の二枚で胸、その次は腰、次は足を隠している。で、背中には白鳥のような大きな翼がある。両手にも翼がある。

 六対十二枚も、光り輝く翼がある。


《あちらにおわすのが、魔界で一番お偉いお方さ》

 そう言われる前からわかっていた。

 同じ堕天でも、死神サリーよりも遥かに強大だ。

 ダーモットは、《魔界の王は、存在自体が我よりも高位。王に比肩するは、天界神ぐらいであろう》と言っていた。

 まさに、その通りだ。


 格が違いすぎる……。


《んで、萌えたのかい?》


 美しいと思う。


 だけど、アタシのハートはキュンとすらしない。


 白粉顔の魔は、首のつぎはぎを撫で、ニタリと笑った。

《早く萌えちまいな。あんたに萌えられた魔は、人間に攻撃できなくなるんだからさ》


 そうは言っても……


 あまりにも神々しすぎる。

 神の領域にまで達した芸術品を目の当たりにした気分というか。


 せめて、顔が見えれば……。

 だけど、十二枚の翼が、顔も、体も隠してしまっているわけで……。


「無理! 顔が見えないんだもん!」


 一瞬の間のあと。

 ベティさんはプッとふき出し、おなかを抱えてゲヒヒヒヒと笑いだした。

《顔! 顔! 顔! やっぱ、顔かよ! 勇者ってのは、どーしてこう、即物的つーか、俗っぽいつーか! バカだよね!》

 むぅぅぅ……そんなに笑わなくても。

《ま、そーなるだろうって、わかってたけどさ》


 イラッとした気分で、ひぃひぃ笑う死霊王を睨みつけてやった。

「で? お師匠様たちは、何処?」


《ああ……そこだね》

 ベティさんが、前方を指さす。

 長く伸びた爪は、魔界の王よりやや前のあたりを指している。でも……

「見えない……」

 そこには、何もなかった。白い霧がたちこめているだけ。

《精霊の目を借りたって、見えないよ。次元の壁の向こうだからねえ》



 ドロ様2号こと、大侯爵に言われていたのだ。

 魔界の王のもとへ行っても、お師匠様たちが見えないかもしれないって。

 で、難しいことを言われた。《三次元生物である人間は、その場の複写空間、つまり並行世界の存在すら感知できない。多層的な同一空間に居ても、次元的に異なれば、互いを認識できないだろう》と。

 意訳すると《仲間たちは見えず聞こえず触れずの呪いをかけられてる》ってことみたい。


 その呪いを解くには……

 術師(魔界の王)に二つの次元を同一化してもらうか、

 次元を越える能力を持つもの(神魔やドラゴン等)に、両次元に架け橋を築いてもらう or 次元の壁を壊してもらうか。


 魔界貴族(ベティさん)なら、次元の壁に穴を開けられるらしい。


 けれども……



《もうちょい近づかなきゃ、あっちには行けないよ》

 グヒヒと死霊王は笑った。

《萌えられりゃ、楽ちんだったのに。ま、しょーがない。ノーラたちは……ざっと見た限りまだ来てない。あたしらだけでドンパチ始めるかい、ゆーちゃちゃま?》



* * * * * *



 上策は、魔界の王に萌えること。

 伴侶にしちゃえば、王は人間に悪さができなくなる。攻撃できなくなるし、お師匠様たちを解放せざるをえなくなる……過去と未来を見通す悪魔――ドロ様2号はそう言っていた。


 でも、ほとんどの未来で、アタシはキュンキュンに失敗するらしく。

 そのまま戦闘へ。


《戦闘となれば、ほぼ瞬殺だ。サリーたちが合流したって、ほんの数分長く生き延びられるだけだ……まともに戦っても、未来はない》

 会話なり、態度なり、仲間との絆を見せつけるなりで、王の興味を引けと、大侯爵は言った。

《たいていの神魔は、面白い存在に寛容だ。暇つぶしになるからな。なるべく殺さないようにするはずだ》

 なるべくね……。


《さて……あんたには、三神の加護がついている。一神はあんたの世界の神、もらってる加護はあんたを準神族『勇者』たらしめるだけのもの。残りの二神からの加護は天界で貰ったものだ》

 アタシは頷いた。

「天界神さまと、とある世界の長老神さまから加護をいただいたわ。でも、発動条件も効果もわからないの」


《加護を贈られた時に、香りを感じたろう? 発動時にも、同じ香りが生まれている》

 天界神さまの加護の時は、花々の香り。

 とある世界の長老神さまの時は、よく熟した果物……桃の香りだそうだ。


 ドロ様2号は、しばらくアタシを眇め見た。

《あんたの過去を視た……長老神の加護が発動したのは一回のみ。堕天してすぐ、鬼火に囲まれた時だ。桃の香りに包まれ、鬼火を祓う力を得ている》

『キモイ!』と叫んで暴れた時か!

《身体能力もちょいと向上したようだが……正直よくわからん、発動条件も、能力自体も》

 とりあえず、桃の香りに包まれたら、長老神さまの加護が発動!と覚えておこう。


《一方、天界神の方はわかりやすい》

 ドロ様2号は、ニヤリと笑った。

《凶暴化だ》


 発動したのは二回。

 死神サリーと初めて会った時。

 インキュバスのプアレナがお師匠様に化けてたとわかった時。


 アタシは、カーッとなった。そして……


《花の香りに包まれ、『勇者の馬鹿力(バカぢから)』状態になった。ただの人間のあんたが、サリーの魔眼をはねのけられたのも、プアレナを叩きのめせたのも、『勇者の馬鹿力』ゆえだ》


『勇者の馬鹿力』は、強い意志の力で勇者が起こす奇跡と言われている。神様からの祝福とも。

 それだけに、めったに起きない。一生に一度あるかないかのことらしい。


 でも、何故か、アタシは何度もなっている。

 最初は、幻想世界でカトちゃんと戦った時。クロさんがカトちゃんに襲われてカーッとなって。

 次は精霊界の雷界。立ちふさがった使徒様と戦って。

 エスエフ界では、何がなんでも蟹メカを止めようとして。

 ジパング界では、毛鬼たちから子供たちを助けようとして。


 そして、魔界でも、二回。


《推測だが、ほぼ間違いない。天界神の加護は、あんたを『勇者の馬鹿力』へと導き、鬼神のごとく戦わせるものだろう》


『勇者の馬鹿力』の発動の形は、さまざま。残りHPが1になったら回避率が向上するとか、攻撃にクリティカルが出やすくなるとか、うてるはずのない回復魔法を使えるようになるとか。

 アタシの場合は、体は軽く、腕力も脚力も異常に高まり、動体視力が抜群に良くなる。実力以上の力を発揮できるようになるのだ。


《もともとあんたは、『勇者の馬鹿力』になりやすい勇者だった。天界神の加護は、その動線の強化に過ぎない》


 む?


「どういう意味……?」


 ドロ様2号は、男くさく笑った。

《『勇者の馬鹿力』を意図的に使えるようになったってことだ》

 おお!


《同じような精神状態になれれば、だがな》



* * * * * *



 カーッとなれれば、(たぶん)大丈夫!

『勇者の馬鹿力』になったアタシに、魔界の王は興味を持つ(はず)!

 戦闘になっても、殺されない(と思われる)!


 お師匠様たちをさらわれたことは、もちろん頭にきてる。

 でも、それだけじゃ頭に血がのぼらない。

 もっと直接的に……たとえば、血まみれの仲間がそこに居るとかなら、カーッとなれるんだけど。


 仕方ない!

 別の理由で、怒るしか!


「ソル! 出番よ!」

 同化してる土の精霊に命令した。


「特別に許可する! 好きなことをしゃべりなさい!」


 アタシの内側から声がする。

《好きなことと、おっしゃいますと……?》


「あるでしょ? アタシと同化して気持ちいいとか、無視されてて気持ちいいとか、蹴っ飛ばされると気持ちいいとか。変態的な心の内を、アタシにぶちまけなさい」


《変態……ああ……》

 アタシの内側から、ハアハアとあえぐ気が伝わってくる……。くねくねと身をくねらせるイメージまでもが……。

 ぞわぞわっと、鳥肌が立った。


「何でもいいから、言いなさい」

《女王さま。そ、それは、プレイリクエスト受け付けでしょうか?》

 プレイリクエスト?

「よくわかんないけど、それでいいわ。グズグズしてないで、さっさと言って」

《グズ……ハァハァ……鈍くて……遅くて……役立たずだと……あああ》

 そこまで言ってねーだろ!

 何で嬉しそうなのよ、あんた!


 よし。順調にイライラしてきた!


《ふ、ふだんの、放置プレイの上をゆく、存在全否定プレイも素晴らしいのですが……女王さまに、徹底的に無視される精神的苦痛……自分がゴミにも等しい存在に思えてきて……こ、興奮して……。やがては、ワタクシの熱くたぎるますらおが……ものほしげに、》


「黙れ、変態!」

 あ。

 いやいや。

「黙らなくていいわ! もっとしゃべって! その腐った思考を、聞かせなさい!」


《腐った……ああ、さすが女王さま。きっちり、ワタクシを貶めてくださる……》

「いちいち悶えるな!」

 とっとと、アタシを怒らせて!


《では、僭越ながら、リクエストをば……。今の女王さまは、青い果実のようなお方。その潔癖さも冷たさも、『女』として熟す前のほんの一時の夢のようなもの。で、ですから、その美しさを生かし、聖少女のイメージで、君臨していただきたく……。ご衣装は、ゴスロリか、セーラー服で、是非!》

 全身に鳥肌が立った。

《そのお姿で踏んでいただければ、至高の極み……。先程の踏みつけも、素晴らしかったですが……欲を言えば、生足で……ほんのりと湿り気のある素足で、頬を……ハァハァ》

 くぅぅ〜〜〜〜〜〜!

 キモイ! キモイ! キモイ!

 カーッとなるはずが、鳥肌と寒気がひどいことに!



 と、そこで。

《名を問う》

 ハンマーで殴られたかのような、衝撃が訪れた。


 声が聞こえたのだ。


 名前を尋ねられただけ。

 なのに、アタシの体は震えだした。


 恐慌(テラー)だ。


 ブラック女神の器と出会った時のように、体が動かない。

 何か巨大なものに、のしかかられているみたいだ……。


 すぐそばから、グヒヒと笑い声がした。

《ざ〜んねん。時間切れだ。王に見つかっちまったよ》

 バカ騒ぎしてるからさと、ベティさん。

《萌えられず、『勇者の馬鹿力』も発動せず。死亡コース決定かねえ》


「決定じゃないわよ……」

 どうにか声を絞り出した。

 ここで、死ぬわけにはいかない。

 死んじゃいけない。

 みんなを助けなきゃ。もとの世界に還って、魔王を倒すんだ……勇者として。


 悲鳴を堪え、アタシは前方を見据えた。


 魔界の王は、悠然とたたずんでいる。

 その大きさも威圧感も、まさに高い山だ。


「アタシは、勇者ジャンヌ」


 確かに、凄まじい気を感じてはいる。

 肌もビリビリと痛い。

 けど、それだけだ。

 どうってことない。


 前へと、一歩踏み出せた。


「魔界の王、アタシの仲間を返して」

 声をはりあげた。

「賢者と占い師と神の使徒よ。アタシには見えないけど、ここに居るんでしょう? 返して」



《招くには、理由がある》

 頭の中に、良く澄んだ厳かな声が響く。

《ひとりは光ゆえ、ひとりは闇ゆえ、ひとりは運命ゆえ。我がもとに来たり、共に在る》

 まるで謎かけのようなことを……。


《望みをかなえたくば、絆を示せ。深き縁があれば、未来は繋がる》



 巨大な堕天使。

 その全身が、まばゆく輝きだす。

 太陽が降りて来たのかと思うほど、激しく。


 つづいて、大音量の音楽が襲いくる。讃美歌を思わせる清らかな音楽が、頭の中を貫く。


 アタシの胸元からポチが飛び出す。

 ポチは、ぷるぷると震える透明なゼリー状のバイオロイドだ。

 薄く広く。ポチは、アタシとベティさんを包み込む形で半球状のドームをつくりだした。


 ぐにぐに動く半透明な壁。


 音と光は、多少弱まった。


 けれども……


 体全体に、揺れを感じる。

 アタシたちを包み込む障壁が、揺らいでいるのだ。


 見上げれば、白い羽根の乱舞が。

 鋭い刃とも雷ともとれる羽根が、ポチへと降り注いでいる。


『仲間や敵の、攻撃値と残りHPを見る』勇者(アイ)が、精確な数値をアタシに伝える。

 羽根攻撃は一枚で5万〜10万ダメージ。それが何枚も一度に降ってくるから、ポチは揺れているんだ。

 視界には 静かにたたずむ魔界の王も映っている。

 巨大な魔界の王。

 その残りHPは……


 13億……


 ちょっ!

 うちの魔王の13倍?

『オニキリ』使っても、アタシ、10万ダメぐらいしか出せないんですけど!


《王がちょっとでも本気になったら、こ〜んな障壁、吹き飛ぶよ》

 フヒヒと死霊王は笑った。

《絆を示せってさ。どーすんのさ?》


「どうもこうも……がんばって怒るだけよ!」

 ソル。妄想、続けて!

《……気高き女王さまに……怒りに任せて苛烈に踏んでいただきたい。で、できれば顔を……いつものお靴で。普段使いのお靴は……あらゆるものを踏んでいて……道端、戦場、トイレ……そこにあるものを踏みつけてきたアレな靴裏で、このワタクシに洗礼を……》

 ぐ!

《つ、つぎは、ぜひ、素足で。女王さまの可愛らしい足の指が、さながら芋虫のように、もにょもにょとワタクシの上を這い……ああ、未成熟な土踏まずに撫でられ……セクシーな踵で踏んで踏んで踏みまくられたら……ハァハァ》

 ぐわぁぁ!

 鳥肌! 鳥肌! 鳥肌!

 がんばって聞いてるのに、カーッとこない!


《この期に及んでそれかよ!》

 死霊王は、ゲヒヒヒとお腹を抱えて大爆笑。

 大口あけて、目から涙を流して。

《ほ〜んとバカでバカで……かわいいよ、ゆーちゃちゃま》


 死霊王が、顔を近づけてくる。

 厚化粧だ。

 白粉で真っ白な顔。唇は口紅で真っ赤、目の周りだけ黒い。吊り上がった目や、高い鼻のせいもあるけど、美人なのに怖そう。


《おちちょーちゃまのとこまで連れてってやろうか?》

「できるの?」

《手がある。のるかい?》

「のるわ」

《死霊王ベティ様に、助けを求めるんだね?》

「ええ!」

《ちゃんと礼しとくれよ》

「もちろん!」


《バーカ》

 ベティさんが、ヒヒヒと笑う。

《うかつなこと、ほいほい言って……バカすぎるよ、あんた》


 イヒヒと笑いながらベティさんが、更に近づいてくる。


《『やっぱ無し』は、聞かない》

 真っ赤な口でニィィっと笑いながら……


《契約だ、ゆーちゃちゃま》

 どんどん顔を近づけてきて……


「ちょっ?」

 一歩引いたのに、逃げきれない。

 これでもかってぐらいデカい胸と、腕が密着している。


《だめー! 離れろ! ジャンヌに、なにするだ!》

《お許しください、死霊王さま。こう見えて女王さまは純情で、》

 騒ぎ始めたアタシの精霊を、ベティさんは一睨みで黙らせる。


《安心しな、まだとって喰いやしない。あたしのもんだって、印をあげるだけだよ》

 甘いお化粧の香りに混じって、別の臭いがする。ツンと鼻をつく……嫌な臭いだ。

 アタシは目を細め、顔を微かにそむけた。


 なのに、顎に手を添えて正面を向かされてしまう。


「やめ、」


 ベティさんと視線が重なる。

 その途端……体が硬直した。

 蛇に睨まれた蛙のように。


 ベティさんの青の目が、妖しく輝く。


 呪縛された……?


 抵抗したいのに、力が入らない……


 毒々しい顔を、ただ茫然と眺めるだけだ。


《……死霊王の愛を受け取りな》


 愛?


 息が触れ合うはずの距離なのに、相手の呼吸を感じない。熱も胸の鼓動も伝わってこない……。


 ベティさんはニタリと笑って、真っ赤な唇を……そのまま……


 アタシの唇に……


 ストォォォップ!


 やめて! それは、ダメ!


 アタシ、初めてなんだからッ!



 胸がキュンキュンした!


 心の中でリンゴ〜ンと鐘が鳴る。

 欠けていたものが、ほんの少し埋まっていくような感覚がした。


《あと三十六〜 おっけぇ?》

 と、内側から神様の声がした。



 あとほんのちょっと……


 もう少し動かれてたら、ヤバかった!

 ほんとにギリギリのところで、ベティさんは動きを止めた。

 キス一歩手前のところで、顔をめいっぱいしかめている。


《いまいましい光が……あたしの中に……入り込んで……》

 しばらく震えてから、死霊王はギン! とアタシを睨みつけてきた。

《萌えやがったな! このレズ!》


 む。


「レズじゃない! びっくりしただけよ!」

 呪縛は解けていた。

 声も出るし、動ける。

 首をのけぞらせ、顔を離した。


《ケッ! びっくりで、キュンキュンかよ! どんだけ安っぽいんだよ、あんたのハートは!》


「だって!」

 女同士だって、ドキドキするわよ。

 挨拶のキスならともかく……

……初めてなんだもん。


《あ〜 もう! ジャンは女、あんたは男専門だろーに! 萌えられたくないから、わざわざ女の姿でいたってのにさ!》

 死霊王は、突き飛ばすのようにアタシから距離をとった。

 その右手がつまんでいるのは、黒く小さい……


「あ?」


《ちくしょー! 対価は、後だ。あんたが『勇者』じゃなくなってから貰う。覚えときな》

 背を向ける死霊王。その右手は、小指サイズのモノをつまんだままだ。

「待って!」


 死霊王が駆けてゆく。

 障壁となっているポチ。その一部を切り裂いて、強引に外へ。


 そして。


 魔界の王の攻撃に、晒されたのだ。


 鋭い刃とも雷ともとれる白い羽根が、何枚もベティさんのもとへ。


「!」


 その光景に、言葉を失った。


 ベティさんが……

 使徒様と互角の戦いをしたあのベティさんが、あっけなく、まるで爆ぜるかのように……。


 ベティさんだったものは無残な姿になって、霧の中に倒れゆき……

 頭だけが、宙へとふっとばされていった。


 その口は、黒いものをくわえていた。


 牙持つ歯の間に囚われているのは……


 アタシのポケットの中に入るために小さく縮んでいた、闇の精霊だ。


 生首といっしょに、遠くへ、遠くへと、飛ばされてゆく……。



 目の前が、真っ赤になった。



 濃い香りが広がる。

 覚えのある香りだ。

 ピュアでフルーティーな花々の香り。

 天界神さまの加護だ……。



 気がつけば、アタシは走っていた。


 回転しながら飛んでいく首を、追いかけて。


『勇者の馬鹿力(バカぢから)』が、きたのだ。


 体が軽く、脚力が異常なほど高まっている。


 でも、そのせいで、アタシの体からソルは消えていた。弾き飛ばしてしまったのだ。

 エスエフ界でもそうだった。『勇者の馬鹿力』になった途端、同化してたサイオンジ先輩やソルを、アタシは追い出してしまったのだ。


 ソルが居なきゃ、神秘は見通せない。さっきまで見えていた魔界の王も羽根攻撃も、もう目には映っていない。


 だけど、恐れはない。

 見えない羽根が降り注ぐ中を、アタシは走る。右へ左へ、後退、ジャンプ。どう動けば攻撃をくらわないか、何となくわかる(・・・・・・・)

 神の加護……使徒様がたまにやってるアレだ。神がかった僧侶なら千の矢が降り注ぐ戦場ですら無傷で歩けるというアレな状態が、アタシにも来ているのだ。


 この間に、一気にピクさんのもとへ! 羽根に潰される前に、助けなきゃ!


 時々、アタシの側面や背面をカバーするように岩壁が出来る。ソルがアタシの周りの羽根を片づけてくれてるのだ。

 ポチに培養カプセルに戻るように命じ、

 ひたすら走っていると……


 何処からともなく、イヒヒヒと笑い声が響いた。


《ゆーちゃちゃま、そのまんま突撃だ》


 ぎょっとした。

「ベティさん? 生きてたの?」

 生首になっちゃったのに?

 てか! ピクさんくわえて、しゃべってる?


 クルクルと回転していたソレは、宙に静止していた。

 ぎょろりとした目を細め、ニタリと笑う。背筋がゾッとするような、嫌な笑顔だ。


《バーカ。死んでるよ》

 生首が、口にくわえていたものをプッと吐き捨てる。

 落ちてきた黒クマさんを、慌ててキャッチした。

《死霊だからね》

 首だけになっても、へっちゃらみたいだ……。


《この先が、目的地さ》

 

 ベティさんが口をすぼめ、紫の息を吐く。


 すると、ビリビリっと……

 布が裂けるかのように、息がかかった空間に亀裂が走る。


《ここの複写空間。並行世界って奴だよ》


 べろりと、宙がめくれあがる。


 切り裂かれた現実の先には、違う現実があった。


《さっさと行きな》


 白い霧が漂うこことは違って……向こうは闇に包まれていた。

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