森での邂逅
サイオンジ先輩に還ってもらってすぐのことだった。
部屋に、懐かしい顔が飛び込んできたのは。
アラン!
クロード!
迎えに来てくれたんだ!
こんな魔界にまで!
胸がじ〜んと熱くなった。
駆け出し、その名を呼びたい!
その衝動にかられた時、すぅぅっと現実が遠のいた。
真実の鏡に触ったままだった……そうと気づいた時には……
あの日に戻っていた。
ちっちゃなアタシを抱きしめて、クロードは泣き続け……
その声は次第に小さくなり、アタシを抱きしめたままクロードは眠るように意識を失った。
頑張りすぎて、心も体も疲れ果てたんだ。
なのに、この時、アタシは……
クロードに怯えていた。
いつもとはぜんぜん違う顔で、雷魔法を放ち続けたクロードが、ただただ怖かったのだ。
動かなくなったクロードに抱きしめられたまま、ちっちゃなアタシは震えていた。
そこへ、いきなり声が降ってくる。
『おい』
四つのアタシは、びくっと身をすくませた。
『ここで何があった? さっきの雷はなんじゃ? 魔法であろう? こわっぱ、知ってることは、すべて話せ』
小さなアタシは、更に体を震わせた。
ローブのようなシルエット。うっすらと見える、しわだらけの顔。エルマンを思い出させる人物が迫ってきたのだ、歯をがちがちといわせ、ひたすら棒のように固まった。
老人はしゃがみ、アタシの前に顔を近づけると、
『喝!』と、怒鳴った。
でっかい声にぎょっとして、小さなアタシは老人をまともに見つめる。
着ているのは、枯れ草色のフード付きハーフマント。髭がなく、目が細く、鼻が低い、のっぺりとした顔。似てるのは、皺があるのと、大柄ではないことだけ。日焼けしたその人は、好々爺然としたエルマンにはまったく似ていなかった。
『師匠、今のは?』
老人の背後から、声がかかる。大きな籠を背負った、赤毛の若者が居た。農夫みたいな服を着てるけど、腰に剣帯を巻いて、立派な長剣をさげている。
『東方剣法の気合い術じゃ』
無駄口たたかず見張りをしていろと、老人が若者を追い払う。
『こわっぱ。何があった?』
老人の問いに、小さなアタシは『わからない』とかぶりを振った。
『ここにおったのは、おまえらだけか?』
『お、』
喉をつまらせながら、アタシがどうにか言葉をつづけた。
『おじ、い、さん』
『おまえらの祖父か?』
かぶりを振った。
『あかい、ローブの……』
思い出す限りのことをつけくわた。
『エルマン……ゆうしゃさま、なかま……せんせい』
『エルマン?』
老人の細い目が、更に細くなる。
『枢機卿のエルマンか?』
『知らない』と、アタシはかぶりを振った。
『ゆうしゃさまの、おはなし、してくれるって、いったのに……』
チビのアタシの目から、じわ〜っと涙があふれる。
泣き出しかけたチビッ子は、
『喝!』と叱声をかけられ、身をすくませた。泣くことも忘れ、硬直する。
『封印塚は、エルマンが壊したのだな? 雷の魔法を使ったのか?』
なにを聞かれているのか、四つのアタシにはわからない。
思い出せることを、口にするだけだ。
『おじさんのしたから、なんかでた……』
のっぺり顔の老人は、そうかと頷いた。
『枢機卿があの塚を浄化しおったのか。長年放っておいたものを今更……。ほんに、迷惑な』
老人が、やれやれと頭を揺らす。
『で? おまえたちは、なぜここにおる?』
『まねかれたの』
『ほう? エルマンにか?』
ちっちゃなアタシが頷く。
『何故?』
チビっ子はしばらく首を傾げ、それから『わかんない』とかぶりを振った、
『この辺の村のものではないな? 都の子か?』
チビは、きょとんとしてる。
『何処から来た?』
『おうちから』
裏庭で遊んでいたらここに来ちゃったんだって、幼児のアタシが説明する。
けど、要領を得ないしゃべり方だし、声も舌ったらずで聞き取りづらい。
聞くのが面倒になったのか、老人は『もういい』と一方的に話を打ち切った。
『アラン』
呼ばれて若者がやって来る。
背は高い。けれども、青年と言うには幼さが抜けきっていないというか……顔の輪郭ができあがっていないというか、頬の辺りの肉付きがよくって、目も大きい。
小麦色に日焼けした健康そうな肌、緑の瞳、短い赤い髪。
凛々しい顔立ち……
アランの少年時代?
『わしゃ行くが、おまえはどうする?』
『え? この子達を家まで送ってあげないんですか?』
『阿呆』
老人は顔をしかめた。
『こんな小奇麗なガキどもを連れ歩けるか。人さらいと間違われ、しょっぴかれちまうわい』
『しかし』
『そもそも、わしらはここには居ないはずの人間じゃ。王領で迷子を拾えるはずなぞない。見て見ぬ振りをして、通り過ぎるべきであった』
若いアランが、むっと眉をしかめる。
『ですが、この死霊の森には、たちの悪いモンスターや野獣が多い。この子達だけでは、すぐに餌食になってしまいます。戦場では非情であれ、それ以外の場では情をもって他者との絆を深めるべし。それが、長生きの秘訣ではありませんでしたか?』
『なら、情をもっておまえは残れ』
老人は立ち上がり、顎でアタシをしゃくった。
『守りたくば、守れ。じゃが、森番が来るまでにしとけよ。ここは王領じゃ。野草であろうが、採りゃあ窃盗罪よ。半人前の小僧とて鞭打ち刑をくらう』
『森番……すぐに来るでしょうか?』
『来るじゃろ』
老人が、焦げた木々を見上げた。
『雷鳴が聞こえず、森から上がる煙も見えぬほどには、たるんではおるまい』
のっぺり顔の老人が、アランへと手を伸ばし、寄越せと指で合図を送る。
背負い籠をおろし、アランは老人の前に置いた。
ちっちゃなアタシやクロードが居る辺りを、老人が残念そうに眺める。
『エンリュウ草のいい群生地じゃったのにのう』
その口から漏れたのは、特大のため息だ。
『あの塚から漏れる瘴気に育まれておったのに……聖教会め、余計なことを』
ブツクサ文句を言いながら籠を背負い、老人は森へと消えて行った。
残ったアランが、アタシたちに笑みをみせ、手を差し延べてくる。
『おじょうちゃん、立てるかな? 少しだけ移動しよう』
木々が倒れ、焦げた木が未だにくすぶっており……ここだけが森の中からぽっかりと浮かび上がっている。
『ここは危ない。何かが封じられていた跡地には、よからぬものが来やすいんだ』
手を差し延べる若者を、アタシはキッと睨みつける。
『いじめない?』
気を失っているクロードを、チビのアタシはひっしと抱きしめている。
『いじめたら、ゆるさないんだから』
たとえるのなら、毛を逆立てた小猫。
のっぺり顔の老人に叱声を浴びせられ、恐慌は去ったようだ。
チビは怖いもの知らずなお子様に戻って、弱いくせに威嚇している。
アランが、柔らかく微笑む。
『その子は、キミのおにいちゃんかな?』
『こぶんよ!』
ジョゼ兄さまの言葉を真似て、アタシは叫ぶ。
『こぶんのめんどーは、おやぶんがみるの! にーさまがいってたもん! クロードは、アタシがまもるわ!』
クロードに怯えて泣いたことも、すっかり忘れたようだ。鼻息荒く、チビッ子が叫ぶ。
『なかせたら、ばいがえしよ!』
『いじめない、約束する』
ますます嬉しそうに、アランが口元をほころばせる。
『おじょうちゃん、お名前は?』
『ジャンヌよ』
『子分の子は?』
『クロードよ』
『キミの大事なクロード君を、少し運ばせてくれるかな?』
そう言って、アランは倒木の先を指さした。
『あそこまでだ』
嘘をつかれたと思ったら、反撃するといい。向こう脛を蹴られると大人でも泣くぞだの、勢いよく足の甲を踏みつけるのも効果的だの、護身術を教えてくれる。
クロードを抱えたアランが、もう一方の手でチビッ子のアタシまでひょいと抱える。
四歳児と五歳児を軽々と!
力持ち〜
まだ成人前なのに。十五にもなってないわよねえ、たぶん。
アタシたちを抱きかかえたアランがニコニコ笑いながら、今なら顔面へ頭突きをくらわせてやるのがいいだの、鼻を狙えだの、物騒な護身術講義を続ける。
『放り出された時は、頭を打たないようにアゴを引くといい。落ちる時、下手に手をつくと骨折するぞ。体全体で地面にぶつかって、衝撃を分散する方がいい。怪我をしない』
優しそうな声を聞き、逞しい腕に抱かれているうちに、アタシの目がとろんとし始める。
大泣きした後だわ、殺されかけて治癒魔法を使われた後だわで、体の方が限界にきてるんだろう。
『寝てていいよ。森番が来るまで、キミたちは俺が守る』
でも、とグズつくアタシに、風が吹くように爽やかにアランは微笑んだ。
『俺は男だ。女子供は守る』
重たげだったチビッ子の目が閉じられる。
チビ二人を森の木にもたれかからせ、アランは顔をあげた。
さっきまでの笑顔とはぜんぜん違う、鋭い顔つきで。
周囲を見渡す目は、鷹のよう。
そこに居るのは、若き戦士だった。
すぅぅっと、過去の映像が消える。
「え?」
赤毛の裸戦士は、茫然と辺りを見渡した。
「今のはなんです? 幻影ですか?」
美形エルフと一緒のアタシを、同じ紫雲に乗っているクロードを見比べ、裸戦士が戸惑う。
クロードも目をぱちくりさせてる。
「魔法道具で、過去見をしたのよ」
アタシは、紫雲の上の幼馴染に視線を向けた。クロードの姿が目に入って、それで……罪悪感もあって、あの日のことを思ってしまったのね。
「あの日、なにがあったかだいたいわかったわ」
それから、アランへと目を向ける。
「アランにも会っていたのね」
しかも、命の恩人だったとは!
「今さらだけど……あの時は、助けてくれてありがとう」
完全に忘却の彼方だったわ。
四つだったとはいえ、申し訳ない。
まあ、あの時のアランが、今の裸戦士だったら、幼心に強烈なトラウマとして残ったかもだけど。
「あ、いえ……」
ふぬけてる場合じゃないと思ったのか、頭を振って、裸戦士がしゃきっとする。
「俺も、あなた方をあの時の子たちと結びつけていなかった。おあいこです」
そして、微笑んだ。過去の記憶の中の少年のように、年少者をいたわる優しい顔で。
「ご無事で何よりです、勇者様」
「ジャンヌぅぅぅ!」
幼馴染が、ダッシュで飛びついてくる。
すかさず、さっと避けてスペースをつくってくれるダーモット。優しいな……。
「よかった、ぶじで……ジャンヌぅぅぅ……」
クロードがぎゅ〜〜っ! と、アタシを抱きしめる。
「ごめんね、ボク、またジャンヌを助けられなかった……魔界堕ちだなんて、ジャンヌに、こわい思いさせちゃって……」
幼馴染が泣く。
このまえ見た、幼い日のクロードのように。
体を大きく震わせて、顔を真っ赤にして、激しく……
「今度は、ちゃんと守るよ。だから、もう……ぜったい何処にも行かないでね、ジャンヌ……」
けれども、その口元は……
あの時と違って、嬉しそうに痙攣しているのだ。
「ジャンヌ……ジャンヌ……ジャンヌ……」
胸がいっぱいで、もうこれしか言えない……
そんな感じに、幼馴染がアタシの名前を呼び続ける。大粒の涙を流して……。
胸がきゅんきゅんした……
「ごめんね、クロード。心配かけて、本当にごめんなさい」
十二年前のことも……ごめんなさい。いつか、きちんと謝るわ。
「バカすぎて敵の罠にはまるなんて、みっともないものね。もう二度と、アンタを泣かさないようにする」
「ふぇぇん、ジャンヌぅぅぅ」
よけい派手に、クロードは泣いてしまった。
「がっげぇぇ、うべ、ぐべ、ジャンヌ、うぶ、ずび」
あ〜あ。
泣くか、しゃべるか、鼻すするか、どれか一つにしなさいよ。
よしよしと、頭を撫でてやった。
部屋の入り口へと顔を向けた。
丸テーブルの上にベティさんが居るだけだ。
そこに居るはずの仲間の姿が見当たらない。
「お師匠様は? あと、マルタンも迎えに来るって言ってたけど……」
ぶへっと、クロードが変な声をあげる。
「一緒じゃないの?」
えっぐえっぐ泣きながら、クロードが言う。
「びぶば、ぼぼらがなびでね。うっく。ざらばれ、ひっく、ぢゃっばんば」
なに言ってるかわかんねーよ。
「実は、勇者様」
アランも紫雲から降り、進み出て来る。
「共に魔界に来た、賢者様、使徒様、アレッサンドロ殿は、数時間前、魔界の王にさらわれました。相手の思惑は不明です。しかし、すぐに迎えに行くべきかと俺は思います。魔族は光のものを穢すのを好みますから……」
魔界の王は……
全魔族の王ではない。魔界と呼ばれる世界のみの王だ。
けれども、魔王級の魔界貴族をいっぱい従えて、魔界の頂点に君臨しているわけで……
とほうもなく強大な存在だ。
そんな奴が、何だってお師匠様たちを……
唖然とするアタシの横で、
《説明を求める。どのような形でさらわれたのだ?》
美形エルフが、裸戦士に質問をしていた。
アランは警戒も露わだ。武器を手放さないまま、探るようにダーモットを見つめる。
「あなたは、誰です? この気……。魔族ですよね?」
《さよう。なれど、今は勇者ジャンヌの仲間の一人。汝らの敵ではない。屍王ダーモット。不死者の王なり》
「えべ? だーぼっどざん?」
涙と鼻水まみれの幼馴染が、しょぼしょぼした目でエルフを見つめる。
「あべぇぇっ――? ぼぼまぼぶ、ほんぼだ、だーぼっどざんだぁ。どぼぢで?」
《魔力にて、我を見定めてくれたか。久方ぶりだな、我が弟子クロードよ。我は幻想世界の魔王にして、魔界貴族。死神王サリーとは懇意ゆえ、ここに居る》
「えるぶび、ばっべまぶぼ?」
《真実の鏡に近づきしものは、変化をしていれば変化前の姿に、転生を経て別種族となっておれば前世の姿となる。汝の目に映っておるのは、生前の我が姿なり》
すごいわ、ダーモット。クロード語、わかるんだ……。
クロードたちの方で何があったのかを聞いた。
天界から消えたアタシ。
天界に説明を求めるも、『本人の行動のせい』の一点張り。情報が得られず、お師匠様たちは帰還。
ドロ様が行方を占い、マルタンはアタシが魔界に堕ちたのだと断言する。
テオの技法で、『勇者の書 24――フランシス』に記されている天界行の魔法陣を逆にして魔界へ。
来たのは、クロードとアラン、あとはお師匠様とマルタンとドロ様。
神の使徒マルタンが輝かしすぎる為、魔物が嫌ってほど群がってきて……
吸血鬼王ノーラに、マルタンは聖痕を与え、下僕とした。
ノーラの助力を得ての旅の途中、魔界の王の側近ラモーナが現れ、お師匠様たち三人をさらって移動魔法で姿を消した……ということらしい。
「ノーラしゃん、ボクらといっしょに来てくれるっで」
クロード語がだいぶ聞き取りやすくなった。鼻をまだグズグズさせてるけど。
「黒マントで、強いんだよ。変身もして、すっげぇかっけぇんだ。良かっだね、ジャンヌ」
う〜ん……あんた、誰にでもすぐに尻尾ふるからなあ。
《吸血鬼王ノーラが救出に協力する?》
黒髪三つ編みエルフは、解せんって顔だ。
《あれは、闘争本能と破壊衝動が具現したかのような魔。人間は餌と捉えている。何百人虐殺されようが、歯牙にもかけまいに》
「吸血鬼王ノーラは、使徒様に執着しています」と、アラン。
「いずれ屠る獲物として、ですが。他のものに使徒様を殺されるのは我慢がならない、それが魔界の王であっても……。そう言ってました」
《なるほど。神の使徒とやらが存命の間は、敵に回らぬということか》
美形エルフが、アタシを凝っと見つめる。
《魔界の王は、存在自体が我よりも高位。王に比肩するは、天界神ぐらいであろう》
げ。
《我ごときでは、さほどの力にはなれぬ。しかし、共に行っても良いであろうか?》
「魔界の王のもとへ? いっしょに行ってくれるの?」
《勇者である汝が許してくれるのであれば》
ダーモットが淡く微笑む。
何といえばいいのだろう……厳しい冬の日の合間にごく稀に差す、春のように穏やかで暖かい日差しというか……美しい水面に揺れるさざ波というか……静かで、やさしい笑みだった。
胸がキュンキュンした……
《えへへ。ノーラちゃんてば、おこっても、かわいいね。あたしのお人形になんない?》
《ふざけるな、殺すぞ。これは、貸しだ。筋肉五十体か、貴様の分身を千体よこせ。切り刻まねば、胸がすかぬわ》
《え〜 いくら、あたしでも千はむり〜 百にまけてよ》
《チッ。王のもとまで、私について来い。従うのなら、譲歩してやる》
《いくいく〜 マッハくん、とりかえしにいくんでしょ? あたしも、ひさしぶりにマッハくんにあいたいし〜》
廊下から、サリーと誰かの声がする。
そちらに目を向けたアタシは……
真っ白にかたまってしまった。
《おやおや。ノーラ、今頃おでましかい? 言っとくけど、今度の勇者も、あたしのもんさ。それ以上、あたしのかわいい子に近づくと、後悔するよ》
廊下の丸テーブルにのっかって、ベティさんは胸をそらせている。
それに対し、
《邪魔だ、腐肉。どけ》
現れたヤツは、右手を振るだけで丸テーブルを両断し、ベティさんを宙へ舞い上がらせた。
《その女が勇者だな?》
長い黒髪と黒マントが靡かせ、魔族が現れる。
《私は、魔界の王のもとへ行く。この私について来い》
そう言い放ったものは、あまりにもあんまりな姿をしていて……