五十二年後の君へ
「そいつは、綺麗さっぱりまったく完璧に依然として、邪悪だ。死したるものの慟哭を感じる・・・」
神の使徒が、びしぃっ! と白い幽霊を指さす。
なんとか上体を起こした兄さまにすがりつき、ニコラは顔だけをこちらに向けている。
「ここ最近、この屋敷の近辺で、行方不明で消えた人間は十三人。殺したのは、きさまだな?」
!
《しらないよ。ぼくはアンヌといっしょにいただけだ》
ニコラがかぶりを振る。
《アンヌをいじめた奴は、追っぱらったよ! でも、殺してなんかいない!》
「五十二年間、アンヌはこの館に来ていない」
《え?》
「幻のアンヌを守ろうとして、きさまは十三人も殺したのだ。その魂は歪み、穢れきっている。もはや神の御許に旅立つ資格は無い」
《うそだ! 幻じゃない! さっきまで、アンヌといっしょだったんだぞ! お花畑で、ティアラをもらったんだ!》
「・・そのティアラとやらは、何処にある?」
頭に触れて、ニコラが目を大きく見開く。アンヌから贈られたと思っていたものが、そこに無かったからだ。さっき、花冠は黒い気に変化し、ニコラを包み込んでいた。
「ついでに、問う。なぜ花畑に居た? この家から出ないよう、両親から言いつけられていたのではないか?」
《そうだけど……でも……》
「全て、邪霊が見せた幻なのだ。望む通りの幻を見せ、その幻に酔わせた後に奪い、狂乱状態に陥らせ獲物を殺させる・・。実にシンプルだが、子供には効果的な手口だ」
《ちがうちがうちがう!》
「・・・本当は、わかっているのだろう? きさまは『ずっと、ずっと』アンヌに会いたかった。『ずっと、ずっと』会えなかったゆえに」
頭を振り続けるニコラを、ジョゼ兄さまが左腕で抱き寄せる。ぎゅっと、力強く。ただの子供を慰めるように。
「俺の話を聞いていなかったのか、血まみれ金髪カツラ。そいつは、大量殺人犯だぞ」
ニコラを抱きしめたまま、兄さまがマルタンを睨む。
「そうだとしても、こいつも被害者だ。邪霊とやらに騙されて、ニコラは罪を犯したのだろう?」
「フッ、愚か者。そのガキに同情するのなら、殺された者どもこそ憐れめ。情状酌量の余地があろうとも、殺人は殺人。死者は蘇らん」
「わかっている。だが、何故だ? 何故、ニコラがそんな目にあわされたんだ?」
「知らん」
マルタンがそっけなく答える。
「そいつにまとわりついていた邪霊は、綺麗さっぱり全く完璧に完膚なきまでに浄化してしまった。もはや動機は聞けん」
ちょ。
「だが、想像に難くはない。そのガキは長きに渡り地上に留まった。つまり、霊格が高い。邪悪仲間に堕とし、利用したかったのであろう。行方不明で消えた人間にしても、女子供若者ばかり・・邪霊は、好みの餌をみつくろってはガキのもとへ送り、殺させていたに違いない」
「女子供若者?」
兄さまが眉をしかめる。
「おまえ……ジャンヌに前を歩かせたのは……もしかして……」
兄さまが言いかけた言葉を、マルタンが続ける。
「囮壱号として利用する為だ」
何ですとぉ?
「やはり、そうか!」
てか、兄さま、落ち着いて! 瀕死の重体だったのよ! 殴りかかっちゃダメ! 今は座ってて!
「弐号はガキ、参号はイチゴ頭。以下、勇者の仲間ども全員を囮にした。邪悪なるものどもが動けば、俺の内なる霊魂はマッハでその存在を察知できるのだ」
兄さまを押さえながら、怒鳴ってやった。
「マッハのわりには遅かったわよ! 兄さまが、大怪我しちゃったじゃない!」
それに、兄さまとセットだったからどうにかなったけど、アタシ一人だったら?
ううん、さらわれたのがクロードだったら? あいつ、武術はてんで駄目で、回復魔法がちょびっと使えるだけのヘタレなのに。絶対、殺されてたわ……。
かなりムカッときた。
「アタシやメンバーにもしもの事があったら、魔王討伐の託宣が叶わなくなるのよ。この世界は滅びちゃうわ」
「ありえぬことを憂うな、女」
使徒様がフンと鼻で笑う。
「神の使徒たるこの俺に、ぬかりはない。誰がさらわれようが必ず間に合う・・確信があったからこそ、利用させてもらったのだ」
胸元から煙草を取り出し、マルタンは左の指をパチンと鳴らして煙草に火を点けた。所作のみで、炎の魔法を使ったんだ。
「なにを根拠に?」
「内なる俺の霊魂が、マッハで俺にそう告げたのだ」
う。
そうだった、こいつ……イっちゃってるヤツだったんだ……
こ、この怒りを何処にぶつければぁぁぁ……
っくそぉぉ。
「マッハで次なる世界へ旅立たせてやる事こそが慈悲というものだが・・」
マルタンが、煙を吐く。
「勇者の仲間となったせいで、そのガキの浄化は先送りとなった」
へ?
「勇者の仲間枠に入る=神の庇護下に入る、だ。光の性質がプラスされ、神聖魔法では殺しきれないモノになる。魔王戦が終わるまで、浄化できん」
アタシと兄さまは顔を合わせ、笑顔で頷き合った。
「ニコラ、良かったわ。しばらくはこの世界に留まれるんだって。今日からアタシたちといっしょに暮らしましょう」
「探してやるぞ、ニコラ。おまえのアンヌを」
《おねーちゃん、おにーちゃん……》
「・・きさまら、俺の話を聞き流していたのか。あえて、もう一度言う。その子供は悪霊だ。神の教えを忘れ、欲望に忠実。魔王戦まで封印するのが吉だ」
「閉じ込める気? こんなちっちゃな子を? 残酷だわ!」
「女。これを放置してはいかんのだ。こいつの望みは婚約者と一つとなる事。アンヌをとり殺し、同じ悪霊に堕とすまで満足する事はない。こいつに更に罪を犯させる気か?」
「ニコラはそんな事はしないわ!」
「・・ほう。なにを根拠に、そう言い切る」
ぐ。
えっと、そ、それは……
「言ってみろ」
くそぉ……何よ、その偉そうな顔は……
アタシはマルタンを睨んだ。
「内なるアタシの霊魂が、マッハでアタシにそう告げたのよ!」
顔が熱を帯びる。
恥ずかしいけど、アレな僧侶にはアレな理由で押し切ってやる!
「内なるアタシの霊魂は、ニコラを信じろと言ってるわ! 寂しくて騙されちゃったけど、この子は本当はいい子よ! アンヌも誰も傷つけたりなんかしない!」
アタシは拳を握りしめた。
「だって、行方不明で人が消えたのは、ここ最近なんでしょ? ニコラは、ずーっと、ずーっと、一人で我慢してお家に居たのよ。いい子よ。邪霊さえ来なきゃ、今もいい子のままだったわ! 信じてあげましょうよ!」
「ククク・・女、おまえの期待を裏切り、ガキが殺人を犯したらなんとする?」
すかした顔で笑う使徒に怒鳴ってやった。
「そん時は、アタシを殺していいわよ!」
《おねーちゃん……》
大きな目でアタシを見つめる白い幽霊に、微笑んであげた。
「いいのよ。絶対に、そんな事にならないから。アタシはニコラを信じるもの」
「その通りだ。俺もニコラを信じる。ニコラが罪を重ねた時は俺の命も持ってていいぞ、神の使徒」
《おにーちゃん……》
兄さまの腕に抱かれていたニコラが、左腕で目元をぬぐう。
《ぼく、もう悪いことはしない。ほんとうだよ。神さまに誓う》
「・・神の国へ行けぬ身とはなったが、神の教えを守れる・・そう言うのだな?」
ニコラが大きく頷く。
《大切な人を悲しませるようなことはしない。ぼくは男だもん》
大げさに肩をすくめてみせてから、マルタンはババッと両手を交差したアレなポーズをとった。
「よかろう、勇者の女と金髪カツラ。きさまらの命を担保に、魔王戦までそのガキの自由行動を認めてやる」
おおお!
「更にお役立ち情報をくれてやる」
くわえタバコの使徒様が、右手をつきだし、二の指でニコラを指さす。
「神の庇護下に入り光の性質がプラスされたそいつは、もはや人に悪さはできん。とり殺すことはもちろん、生命力を吸うことも怪我を負わせることとて不可能。人畜無害の存在となったのだ」
へ?
「んじゃ、殺人の心配なんてないじゃない!」
「きさまらの覚悟のほどを聞きたかったのだ」
マルタンは、もったいぶった仕草で煙草の煙をフーッと吐いた。
「神の使徒たるこの俺が、千年の孤独をも癒される気分だった。久々によいものを見た。ひねこびた霊魂の救済には、盲目的な馬鹿を配置するに限る」
……あんた、それ誉めてないでしょ!
良かった〜! と抱き合う、兄さまとニコラ。
アタシも参加しようとしたら、使徒様に首根っこをつかまれて引きとめられてしまった。
ちょっ。何すんのよ。
「・・当地の愚民どもから聞きだした情報は、メモにして賢者殿にお渡しした。五十二年前にこの館で起きた事件、被害者、犯人、関係者、その後の経緯も記してある」
マルタンが、らしくないほどの小声で囁く。
「そのガキは被害者だ。何処までを教えるのかは、任せる。だが、全部を伝える愚昧なる行動だけは慎め。賢者殿と相談して決めるがいい」
兄さまとニコラは笑っている。
こっちの会話は聞こえてないみたいだ。
恫喝するような、地を這う低い声がする。
「女。忘れるな。きさまも執行猶予の身だ。邪悪なる仲間を増やしてゆくようであれば、魔王戦の後、この俺が粛清してやる。覚悟しておけ」
うっ。
「まあ・・しばらくは見守ってやる。きさまの内なる霊魂の輝きを見せてみろ」
ぐっ。
無いわよ、そんなの。口からの出まかせよ〜
フッと鼻で笑い、マルタンが胸元から取り出したものに吸い殻を入れる。
携帯灰皿……意外と、マナーがいいのね。びっくり……
絶対にニコラに聞かせたくないのか、更に小声でマルタンは言った。
「・・メモには、アンヌの現在の居場所も記してある」
へ?
マルタンはアタシに背を向け、左手を軽くあげた。
後は任せた、と言うかのように。
魔王が目覚めるのは、九十四日後だ。
マルタンに連れられ、アタシは屋外に出た。
皆、庭に居た。
「神のご加護をいただく光輝なるこの俺しか、屋敷の中に入れなかった」のだそうだ。
「ジャンヌぅぅ、ジョゼぇぇ! 良かった、無事……じゃない! ジョゼ、どうしたの? 血まみれだよ!」
真っ青になった幼馴染に、大丈夫だと兄さまが右手を振る。左手はしっかりと、ニコラの手を握っている。顔も笑顔だ。
心配して声をかけてきた者、治癒を申し出た学者、差し出されるハンカチ。
兄さまは、大丈夫だと言い続けた。
『ごめんなさい』と何度も謝るニコラにも、『大丈夫だ。俺は体を鍛えているからな』とか言って微笑みかけてる。
何だか……ちっちゃい頃に戻ったみたい。
暴れん坊だったけど、兄さまには親分肌なところがあった。
たま〜に『男のくせにピーピー泣くな!』と拳骨をくれてたけど、クロードをいじめた奴には倍返しをしてたし……
頼られれば、誰でも必ず守ってあげていた。
とっても優しかったのだ。
兄さまの笑顔を見てたら、つられてアタシまで微笑んでしまった。
「無事で良かった」
すぐ側に、白銀の髪白銀のローブのお師匠様が居た。いつもと同じ無表情。だけど、口元が微かにほころんでいるような。
「……新たな仲間は、あの子供か」
ジョゼ兄さまと手をつなぎながら、仲間達に挨拶するニコラ。照れたように戸惑うようにおどおどし、受け入れられるとホッと息をつき……
普通の子供みたい。
けれども、髪も体も服も何もかもが白くって……ニコラは半透明なのだ。
「お師匠様……ニコラくんの事なんですけど……婚約者だったアンヌちゃんは……」
アタシは小さな声で、お師匠様にこれからの事を相談した。
お師匠様の移動魔法で、アタシ達はそこへ行った。
部屋でくつろいでいたアンヌは、突然、現れたアタシ達に驚き、ソファーから立ち上がった。
《アンヌ! やっと会えた!》
ニコラはアタシの側から駆け出し、愛しいアンヌに抱きついた。
《ぼく、まってたんだよ。ずっと、ずーと。会えて、うれしいよ、アンヌ》
「ニコラ……?」
抱きつかれた方は、信じられないって顔をしている。
戸惑いながら、白い幽霊を見つめる。
「本当に……ニコラ? あのニコラなの?」
ニコラが、クスクスと笑う。
《アンヌ、鬼ごっこしよーよ アンヌが鬼だよー》
「遊んであげてください」
アタシはお願いした。
けれども、アンヌは不審そうに眉をしかめているばかりで。
く。
アタシじゃ、信用ないか。
仕方ない。コレを使うか。
「使徒様がそうおっしゃってます」
アタシはばば〜ん! とばかりに、くわえ煙草のマルタンを掌でさした。
マルタンが迷惑そうに眉をひそめる。
「おい、女。既にとっくにさっさと、そのガキの今後を、きさまに一任したのだ。そいつがどうなろうが、俺は」
全部言わせる前に言葉で遮った。
「こちらは、聖なる血を受け継ぎし神の使徒マルタン様です!」
「マルタン? もしや、あの悪霊祓いでご高名な使徒マルタン様ですか?」
アンヌの問いかけに、マルタンがぴくっと反応する。
「フッ・・・俺ほどの者になると、名乗らずとも聖気で正体が気づかれてしまうのか・・困ったものだな」
いや。あんたは名乗ってないけど、アタシがそう伝えたから。
「その通りです! 内に十二の世界をお持ちの凄い方が、さまよえる魂をあなたのもとへ導いたのです!」
こんな怪しい男でも、有名な『使徒』なのは事実。アンヌから、警戒心が消える。
口元をゆるませた使徒様が、『満更でもない』とか言ってククク・・と笑っている。
とりあえず、放置。
「ニコラは婚約者のあなたに会いたくて、デュラフォア園の館で幽霊になっていたんです」
「私に……会いたくて?」
アンヌは眉をしかめ、目を細めた。ニコラとマルタンに視線をさまよわせる。
「でも、もう、あれから五十年以上も……ニコラは、あの館で賊に襲われて、それで、」
「過去の出来事など語るに値しない」
マルタンがアンヌの言葉を遮る。
「事実のみをマッハで受け入れろ。目の前に、きさまの幼い日の許婚が居るのだ。なすべき事は、自ずと自明のはずだ」
アンヌはせつなそうに、白い幽霊を見つめた。
「ニコラ……あなた、あそこで、私をずっと待っていたの?」
《うん。あそぼって約束したからー アンヌがいつ来てもいいように、ぼく、どこにも行かなかったんだ》
「私のせいで、あなたは……あそこに……ずっと」
アンヌはうつむき、目元をそっと隠した。
「ごめんなさい。私、怖かったの……あんな事があってから、悲しくて怖くて、あそこに近づけなかったの。許して、ニコラ」
《いいよ、もう。大好きなアンヌに会えたんだもん》
ニコラが、満面の笑顔で笑う。
《あそぼ、アンヌ。鬼ごっこ。アンヌが鬼だよー ぼくをつかまえて、ほっぺにキスして》
「待って、ニコラ。私、もうおばあちゃんなのよ。走れないの」
「ニコラ。俺もまぜてくれ」
そう言って進み出た者を目にし、アンヌが驚きを露わにする。
「その姿は、一体……」
顔だけはぬぐったけど、兄さまの髪にも服にもべっとりと血がついている。カツラも血まみれになったんで、外してしまっている。
《あ……あのね、アンヌ……それはぼくが……》
兄さまの大きな手がポンポンとニコラの頭を撫でる。
「何度も言った。その事は、もう口にするな。俺はしつこい男は嫌いだぞ」
《う、うん。わかった……》
それでもこれが最後だからと、『ほんとうにごめんね』とニコラが兄さまに謝る。
「ニコラが……あなたを……?」
自毛を見せている兄さまは、アンヌの問いにははっきりと答えない。肩をすくめて見せただけだ。
「ニコラ。俺はアンヌの親戚なんだ」
《アンヌの? へー そうだったんだ。知らなかったー》
「一緒に遊ぼう」
いいよと、ニコラがにっこりと笑う。
《あそぼ、あそぼ。ぼく、おにーちゃんも、大すき》
「ありがとう、ニコラ。大好きなアンヌと再会できて良かったな」
《うん》
兄さまが笑う。おにーさんらしい顔で。
「俺はキスはしない。キスは、おまえとアンヌの二人だけでやってくれ」
「ジョゼフ……」
オランジュ女伯爵アンヌは、蒼白な顔で孫を見つめていた。
兄さまはムッと唇を閉ざし、感情を排した顔でアンヌと対する。
「本当に大丈夫なのですか? 痛みは……?」
「治癒魔法で治してもらいました。もう何ともありません」
「……そうですか、それなら良かった……」
青い顔のアンヌがそっと額をおさえる。
「血が苦手なのですか?」
兄さまが尋ねると、アンヌはキッ! と孫を睨んだ。
「違います。あなたの怪我に心を痛めてはおかしいですか?」
「おばあ様……」
「あなたは私のたった一人の血族です。私より先に逝く事だけは、絶対に許しませんよ」
「………」
しばらくおばあさんを見つめた後、兄さまは微笑んだ。
ニコラに対しての時みたいな、優しい顔で。
「着替えて参ります。いっぱい遊んで、この子の寂しさを癒してあげましょう。俺も手伝いますよ、おばあ様」
《あそぼ、あそぼ。おねーちゃんも、そっちのおにーちゃん達も、みんなであそぼー》
ニコラの誘いに、アタシと仲間達は頷いた。
その日の夕方から、アタシ達はニコラと遊んだ。
お師匠様やテオは旅の支度があるからと抜けたけど、それ以外のみんなが参加した。
ああ……あと、使徒様も不参加。同じ部屋に残ったものの、大股を開いてふんぞりかえってソファーに座って……ご就寝あそばしてしまったのだ。疲れてるんなら、他の部屋のベッドで寝てよ。デカイのが寝てると、邪魔くさい。
鬼ごっこばっかじゃない。ドロ様に誘われて、ニコラはみんなとカード遊びもした。
スーパースター獣使い様の特別ショーにも、ニコラは大喜び。ネズミやコウモリを呼び寄せての即興ショーだったけど、歌あり踊りありでアタシも楽しかった!
ルネさんの披露する珍奇な発明に、ニコラは大はしゃぎ。
リュカはスリの仕方だのダガーの使い方だのニコラに教えようとして、アンヌおばあさんに怒鳴られていた。
夜も更けると、おばあさんは『ニコラが遊びたがっていたのは私です。みなさまは、明日からの旅に備えお休みください。ご宿泊用の、部屋を用意させます』と、アタシ達を部屋から出した。寝こけてた使徒様も、追い出されていた。
しばらくしてから覗きに行くと、おばあさんは椅子でこっくりこっくり眠っていた。お年寄りは夜には弱いものね、ニコラとお話しているうちに、ダウンしちゃったみたい。
ニコラは近くの床に座って、ニコニコ笑っていた。眠っているフィアンセを見つめる顔は、幸せそうだった。
寂しそうなら遊んであげようかと思ったけど、二人の世界の邪魔をしない方がよさそう。
「頼みがある」
廊下から部屋の様子を窺っていたアタシや仲間達。
全員に兄さまが、頭を下げた。
あの兄さまが!
よく言えばマイペース、悪く言えば自分勝手な兄さまが、みんなに話しかけるばかりか、頭まで下げるなんて!
兄さまは「ごっこ遊びだ。だが、ニコラが満足する形でやってやりたい」とみんなにお願いした。
お師匠様やテオにも相談し、寝る前に準備だけはしておいて……
翌朝、アンヌおばあさんが起きてから、『ごっこ遊び』をした。
「遊びだ。本番の予行と思って楽しめ」と、兄さまはニコラに言った。
最初、おばあさんはジョゼ兄さまに『年寄りをからかうのはおよしなさい』と怒った。
けれども、じきに口をつぐんだ。ニコラが大はしゃぎだったから。
朝の光が差し込む窓を背にテオが立ち、向かい合う形でにニコラとアンヌおばあさんが並んで立った。
おばあさんは、レースを頭から被って、花瓶にあった花でジュネさんが作ったブーケを持っている。
テオの役は、本職のマルタンがやるべきなんだけど……『華麗なアドリブをかまし、二目とみられぬ式としてやろう』などと阿呆なこと言いやがったんで、テオにやってもらった。
アタシと残りの仲間は参列者役だ。
「あなたは、すこやかなる時も、病める時も、喜びの時も、悲しみの時も、富める時も、貧しい時も、夫として妻アンヌを愛し、敬い、慰め、助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」
《ちかいます!》
交換する指輪も、ジュネさんのお手製。編んだお花の指輪。
ニコラは、しゃがんだアンヌの頬にキスをした。とろけそうな笑顔だった。
《アンヌ》
ごっこ遊びが終わった後も、ニコラはおばあさんに抱きついたまま離れなかった。
《大すき、アンヌ》
結婚式ごっこを、ニコラはとても喜んだ。ずっと夢見ていたのだろう、大好きなアンヌと結ばれることを。
「ガキの魂は、かなり癒された」
ごっこ遊びの間はくわえていただけの煙草に、マルタンが魔法で火を点ける。
「このまま安息を得ていれば、最悪の結末だけは避けられるかもしれん」
「それって、魔王戦の後、神様の御許に旅立てるってこと?」
「そんなわけあるか、馬鹿女」
む。
「罪は罪。十三人も殺した罪が、反省だけで無しになるか。世の中、そんなに甘くない」
むぅ。
「だが、神は慈悲深い。罪を受け入れた魂であれば、寛大なお心を示すであろう・・俺から言えるのはそれだけだ」
アタシや兄さまや仲間達がニコラを見つめる。
婚約者への愛にあふれたその顔は、とても純真で……
まったく悪霊には見えなかった。