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きゅんきゅんハニー  作者: 松宮星
堕ちた勇者
149/236

◆使徒聖戦/サキュバスと吸血鬼王◆

《死神サリー? ハーレム魔王だ。あれは、捕らえたものを魔眼で支配し、反逆の意志を奪って愛玩人形にする。貴様らの勇者がそこに囚われているのなら、日ごと夜ごと、休む間もなくサリーに可愛がられているだろうよ》


 馬車の中で吸血鬼王からそう聞いた時、目の前が真っ赤になった。

 頭にカーッと血が上ったんだ。


 ジャンヌが……ひどい目にあってるだなんて。


 ジャンヌは、『勇者』だ。

 賢者様に選ばれたから、そうなってしまった。

 だけど、ボクにとって、ジャンヌはジャンヌだ。

 泣き虫で気弱なボクを、励ましてくれたジャンヌ。おねえさんぶるのが大好きだったけど、ジャンヌは小さくて可愛くって……


……ボクが守りたい、ただ一人の女の子だ。



「はやく助けに行かなきゃ!」

 ボクの言葉に、アレッサンドロさんもアランさんも頷いてくれた。


 けれども、使徒様は意見が違った。

「『眼帯』の庇護下まで辿り着けているのであれば、無問題。魔族の中でも、あれはマシな方。殺されることだけはない」


「だけど、使徒様! ジャンヌは女の子なんですよ!」

 命は無事でも、それだけじゃ無事とは言えない!

 もしも、もしも、もしも! エッチなことをされてたら! あああああ! やだやだ、想像したくないよ!


「うろたえるな、イチゴ頭。あの女は、今のところ、あらゆる意味で無事だ」

 両腕を組んだ使徒様が、格好良く言い切った。

「内なる俺の霊魂が、マッハで俺にそう告げている」


 !


 そうなのか!


「わかりました、使徒様! 騒いじゃってすみませんでした!」

 使徒様がそうおっしゃるのなら、ぜったいにジャンヌは無事だ! ホッとした!


「憂うべきは、ただ一点。勇者が、『眼帯』のもとへ行き着いておるかどうか、だ。まだだとしたら、やっかいなことになる」

 使徒様は、死神サリーのことを『眼帯』と呼ぶ。

 吸血鬼王ノーラさんは、『裸』改め『マント』だ。

 使徒様は、ニックネームで呼ぶのが好きだから。

「あの女は、腐っても勇者。準神族扱いな上に、天界でさらに二神の加護を受けている。俺ほどではないにしろ、歩く誘蛾灯だ。魔族に狙われ続ける運命(さだめ)。さっさと強力な魔族の庇護下に入った方が安全なのだが」

 使徒様が、チィッと舌打ちをする。

「まったくもってあの女、気が利かぬ。一日に一度、『サイン帳』で俺を降ろし、現状報告をすればいいものを・・」

 今のところ、ユーヴェちゃんからのお知らせもない。光界でジャンヌの光精霊(ルーチェさん)に会えれば、ジャンヌの情報がもらえると思ったんだけど。ルーチェさん、光界にまだ帰還してないんだろうな。

「まあ、『首』に再び襲われれば泣きついてくるだろうが」


《『首』……ベティか。あの腐肉、またも勇者に執着しておるのか。物好きな……》

 ノーラさんが、くつくつと笑う。

 襟の高い黒マントをつけ、白い蝶ネクタイの白絹のシャツを着て、黒の燕尾服とかいう服を着ている。男の人……みたいだけど、初めて会った時は『女』だったんだよな。魔族は、男にも女にもなれる……今、どっちだろ?

 ノーラさんは、使徒様から聖痕を刻まれ、下僕になった。

 聖痕がある間は、ノーラさんは『人畜無害な吸血鬼』。絶対に人間を襲わないのだそうだ。


「魔族を皆殺しにしたい衝動を、かろうじて、ようやく、すれすれに、堪えているのだ。俺の寿命がストレスでマッハとならぬうちに、バカ女を回収し、この忌々しい世界からおさらばする」




 けれども、旅の足は遅い。


 蛇身王エドナの領土を抜け、吸血鬼王ノーラさんの領土に着くまでに三日かかってしまった。


 そこから先も、牛歩だ。


 というのも……


「魔界に()くうクズどもよ。この俺の行く手を塞ぐ、愚か者どもよ。もはやきさまらに示す慈悲など欠片もない。内なる俺の霊魂が、マッハで、きさまらの罪を言い渡す」


 聖戦に次ぐ、聖戦だからだ。


 窓のカーテンをちょっとだけめくり、馬車の外の聖戦を観戦している。

 アランさんもボク同様、戦いを見守っている。使徒様がピンチになったら駆けつけられるよう、待機してるんだ。

 けど、眩しすぎるからって、アレッサンドロさんやノーラさんは反対側の窓に寄っている。使徒様の戦いを見られないなんて、お気の毒に!

 賢者様も、聖戦を見ていない。使徒様が勝つのは明らか、だからかな? ボクらを庇って大怪我をした後、賢者様は口数が少ない……まだ本調子じゃないのかも。けだるそうに、携帯用のペンを手に何かを書き続けている。


「有罪! 浄霊する!」


 光が一気にふくれあがり、どデカい白光の玉と化してゆく。


「その死をもって、己が罪業を償え・・・終焉ノ(グッバイ・)滅ビヲ(イービル・)迎エシ神覇ノ(ブレイク・)贖焔(バーン)!」


 クライマックスだ!


 ボクは窓に張りついた。

 魔族の群れを一撃で葬る使徒様!

 キラキラのギンギラだ!

 あああ、何度見てもかっけぇぇ!

 しびれちゃう!




「ったくもって、忌々しい!」

 馬車に戻って来た使徒様は、超不機嫌だった。

「『(ほとけ)の顔を三度まで』という異世界の名セリフを知らんのか! 一日に三度どころか十度も二十度も襲ってきおって。少しは謙虚になれ」


 吸血鬼王に恐れをなして、雑魚は近づかなくなった。

 だけど、中上級魔族の襲撃は絶えないのだ。


 ノーラさん曰く《襲撃者は、私の権威を恐れぬ輩だ。他領の貴族か、私を倒して魔界貴族の地位を奪おうと目論んでいた若造か……。いずれにしろ、僧侶、ここまでの騒動となるのは貴様のせいだ。貴様の存在が眩しすぎるゆえ、強者の興味をひいてしまう。自業自得だな》。


「詰めろ」とアランさんをどかし、使徒様はどっかりとシートに腰かける。

 目の下の隈が濃い。

 シャルル様からお借りしたボワエルデュー侯爵家の護符(HP&MP自動回復のすぐれもの!)をお預けしたから、魔力切れにはなっていない。

 でも、毎日毎日、神聖魔法をバンバン使ってるんだ。使徒様のお体に負荷がかかってるのは、誰の目から見ても明らかで……


 心配だ……。


 使徒様をちょっとでも休ませようと、ボクやアランさん、アレッサンドロさんの精霊さんたちが戦闘したこともあった。けど、ボクらの戦い方が『まだるっこしい』とお怒りになって、結局、その時も使徒様の独壇場になっちゃったし。


「『眼帯』とは連絡つかんのか?」

 ノーラさんが魔界版携帯電話の音声をオンにする。

《ブッブ〜 まだまだラブラブチュッチュッ中〜 おはなしできませ〜ん。またこんど、お人形になりにきてね。ピーっという音のあとに、メッセージをどうぞ! あとで、かけなおすかも♪》

 ピーって音の後、ノーラさんがため息まじりに伝言を入れる。

《いい加減、迎えを寄越せ。……殺すぞ》

 留守番メッセージは、舌ったらずで甲高い声だ。まるで小さな女の子みたいだ。

 ハーレム魔王っぽくない。ハーレム魔王って、野獣とかオークのイメージなんだけど。でなきゃ、超絶美形。それで、こんなかわいい声だったら嫌だなあ。


「・・サリーの城まで、あとどれぐらいだ?」

《馬車で三日といったところか。しかし、それ以上かかるだろうな》

 吸血鬼王はくつくつと笑った。

《人気者は辛いな、僧侶》


「寝ろ、マルタン。休んでおかねば体がもたぬぞ」

 賢者様の言葉に、使徒様は「御意に、賢者殿・・・」と素直に従う。シートにうずくまるように座って、瞼を閉じる。


 眠れる時は、一分一秒でも長くお休みいただいた方がいい。こまめな休憩が大事よね。



 馬車の中が、シーンと静まり返る。


 舗装されてない道を走ってるんだけど、不思議なほど揺れない。ノーラさんの世界の箱馬車は、ボクらの世界にはない技術、或は魔法が施されてるのかもしれない。



 賢者様は書き物中。

 アレッサンドロさんは、左の掌にのせた水晶を撫で、何かを占っている。


 そして、アランさんは……

「ちょっ。また! やめてください!」

 セクハラされ始めた……。

《騒ぐな、僧侶が起きるぞ》

「でしたら、その手をどけてください」

《手は嫌か? では、舐めてやろう》

「それも、お断りします」

 小声で会話を交わす間も、吸血鬼王は手を休めない。アランさんに擦り寄り、滑らかに手を動かしている。

《逞しい上腕二頭筋、セクシーな大胸筋、割れた腹筋……。柔軟な筋肉のどれをとっても素晴らしいが、やはりその太い首がいい。力強い筋肉の奥に隠れている、奥ゆかしい頸動脈がそそる……》

 アランさんのガードも何のその。アランさんに寄り添い、耳元で囁くノーラさん。ラブシーンみたいで、ドキドキする。でも、ノーラさん、男の格好なんだよな。男装の麗人ならいいんだけど……どっちなんだろ?

 使徒様は『俺に触れるな』とノーラさんに接触禁止命令を出している。だけど、他の人へのお触りは放置だ。『俺の下僕である間は、人間を獲物にできぬのだ。無問題であろう』と。あれこれ禁止してテンション下げすぎると、下僕として使えなくなるとか何とか。

 でもって、ノーラさんとの間に、必ずアランさんを配置している。

 ノーラさんの関心が、アランさんに向くように……?

 生贄……?

……さすが、使徒様! 策士だ!


 だけど、これだと、アランさんが気の毒すぎる!

「あ、あの……」

 勇気を出してみたけど、やっぱダメだ。吸血鬼の赤い目で睨まれると、いつも後の言葉が続かない……


《黙って縮こまっておれ。ふにゃふにゃガキ。目の穢れだ》

 ふにゃふにゃ……

《私の超好み(ストライク)は、引き締まった体の、太い首の男だ。貴様なぞ、対象外だ》

 ボクから使徒様へと視線を移し、吸血鬼は薄く笑う。

《……忌々しい聖痕が消えたら、僧侶は殺す。むろん、ただでは死なせぬぞ。我が爪で華麗に引き裂き、死よりも辛い苦痛を与え続けてやる。僧侶自らが己の死を望むまで弄んでくれるわ》

 赤い目がアランさんを映す。

《そのついでに、戦士、貴様も殺してやろう。その筋肉の塊のような体を押さえ込み、太い血管を食いちぎって、あますことなく血を吸ってやる。喜べ、貴様は吸血鬼王ノーラの食事となれるのだぞ》

「その件に関しては、前もお断りしました」

 眉間に皺を寄せた不機嫌顔だし、吸血鬼の手を払いはする。けど、アランさんはあんまり抵抗してない。大騒ぎをすると使徒様を起こしちゃうからかな?



 アランさんをからかうのに飽きたのか、吸血鬼王はアレッサンドロさんと話はじめた。

 アレッサンドロさんのことを『大侯爵殿』と呼び、魔界に来た理由や、勇者ジャンヌのこと、ボクらの世界についてあれこれと尋ねる。

 質問に対しアレッサンドロさんは、ニヤニヤ笑いながら、曖昧な答えを返すだけなんだけど。


 その会話を聞くとはなしに聞きながら、ボクは横目で窓の外を見つめた。


 ノーラさんの領内には、けっこう樹木が多い。けど、変なのだ。幹も葉も紫色だし、どれもこれも奇怪な形に曲がっている。

 空の色もおかしい。今は、緑がかった灰色だけど、赤、オレンジ、黄色、ピンク、紫と、コロコロ変わる。

 そして天には、太陽も月も星もない。


 魔界に居るんだって気分が、嫌ってほど盛り上がってくる。


 ため息をつこうとしたら、鼻がムズムズした。


 大きなくしゃみ。


 自分でもびっくりするぐらい、すっごい勢いのが出てしまった。

 あわてて口に手をあてたけど、『時すでに時間切れ』って奴。

 静まり返っていた馬車の中に、それは派手に響いてしまった。


 しかも、ちょっとツバを飛ばしちゃった。

 ボクの正面に座ってるのは、使徒様なわけで……。


 ヤバ……


 全員の注目がボクに集まる中……

 うなだれていた使徒様が、のっそりと顔をあげ……

 瞼が重たげにあがる。

 ギン! と鋭い眼光が輝き……


 次の瞬間、ボクは使徒様に胸倉をつかまれていた。


「・・素晴らしい目覚ましだったぞ、イチゴ頭」


「ごめんなさぁい、使徒様ぁぁ」

 あああ、ボクったら!

 使徒様を起こしちゃうなんて、なんて罪深い!


 聖戦につぐ聖戦で、使徒様はとてもお疲れなのに!


「『神の使徒の眠りを妨げるもの、死の翼に触れるべし』という金言を知らんのか」

「いっひゃひゃひゃひゃ」

 ほっぺたが痛い!

 びよ〜んびよ〜んひっぱられてる!

 でも、痛いけど、いい! 少しでも、使徒様の気が紛れるのなら! いくらでもひっぱってください!


「使徒様、それぐらいで……」

「ま、ま、ま。使徒さま。生理現象は大目にみてやりましょうぜ」

 ありがとう、アランさん、アレッサンドロさん!


《あらやだ。男同士で、楽しそうなスキンシップね。あたくしも、まぜてもらいたいわぁ》

 その声が聞こえた途端、世界がピンクに染まった。

 手のひらサイズの妖精さん?が、宙に浮かんでいる。

 いや、違う、妖精じゃない。ゆらゆらと揺れるオレンジがかった赤い髪からはヤギのような角がのぞいているし、背には尖った爪つきのコウモリの翼がある! 先っぽが尖がった尻尾まで!

 悪魔だ。

 しかも、何というか……すっごい格好! きゅっとウエストを締めあげる黒のコルセット! 胸元が大きく開いているし! 身長のわりに、その胸は大きすぎませんか? たっぷんたっぷん、ぼよよんぼよよん……こ、これが噂に聞く、爆乳ってヤツ? 初めて見た!

 その下は何も隠せないんじゃないかってぐらい小さい黒下着! 白い太もも! 艶っぽい黒のガーターストッキング! 黒のピンヒール!

 やや目尻の下がった紫の瞳! 色っぽい泣きぼくろ! 肉厚の真っ赤な唇!


 なまめかしい悪魔が、妖しく笑う。

《久しぶりね、神の使徒》


「・・色気虫!」

 使徒様が伸ばした手を、悪魔はひらりとかわす。

《おバカさん。あたくしに聖痕をつけようとしても無駄よ。同じ手は、二度とくわないわ。そこのバカといっしょにしないでくださる?》


《ラモーナ! 私の領土に勝手に侵入したな! 何の用だ? 返答次第では殺すぞ!》

 吸血鬼王が牙をむいて怒る。


《もちろん、偉大なる王の使いよ。でなかったら、こぉんな獣くさい領土まで来るものですか》

 馬車の天井の辺りまで退避して、ちっちゃな悪魔が口元に手をそえて笑う。その仕草に、キュゥゥンときた。体温が急上昇。なんか心臓がバクバクしてる。悪魔から目が離せない……


《王のお招きです。神の使徒ならびに神の印刻まれしもの。感謝して、ついていらっしゃい》

 ぼわんと、ピンク色の煙が広がる。


 強烈な甘い香り。


 くらっとして目がかすんだのは、たぶん一瞬のことだと思う。


 けれども、煙が晴れた時……


「え?」


 馬車の中の人数が減っていた。


「そんな!」

 剣を手にし、アランさんが馬車から飛び出そうとする。

 それを、《無駄だ》と吸血鬼王が止める。

《ラモーナに連れ去られたのだ。僧侶たちは、もはや我が領土には居まい》

 ボクとアランさんは、眉根を寄せている吸血鬼王を見つめた。

 馬車に居るのは、この三人だけ。賢者様も使徒様も、アレッサンドロさんまでも消えてしまったのだ。

「賢者様たちは、一体どこへ? どうしてさらわれたのです?」


 吸血鬼王の赤い目が、スッと細められる。

《さきほどのサキュバスは、魔界の王の側近の一体(ひとり)だ》


「魔界の王……」


《魔界を統べるもの。我ら魔界貴族の上に立つ存在。僧侶たちは、既に魔界の王のもとだ。馬車でいけば、ここから二十日はかかる距離だな》


「魔界の王がどうして、使徒様たちを?」って聞いたら、《私が知るか》と睨まれてしまった。


 いや、でも……

 変じゃない?


「さっきのって移動魔法ですよね? 魔界って、人間を安全に運ぶ魔法ってなかったんじゃ? それとも、さっきの悪魔さんは例外で、すっごい魔法を、」


《ふざけるな、小僧。殺すぞ》

 目じりを険しくつりあげて、吸血鬼王が怒鳴る。

《ラモーナは、王の威を借る小物だ。側近ゆえに、王より特殊な力をいくつか与えられているだけ。アレが、我が領土で勝手をできたのも王の力ゆえだ。あやつの力ではない》


「す、すみましぇん」

 舌、噛んじゃった。


 舌打ちをし、不機嫌そのものの顔で吸血鬼王が馬車の中を見渡す。


《で? 貴様ら、どうする?》


「どう……?」


《王の考えがわからぬ。存外、歓迎の意図で招いたのやもしれぬが……楽観視はできぬな。魔族にとって光のものは天敵。見つけ次第、その神聖さを奪うが魔族の本能だ》


「……殺されるってことですか?」


「助けに行かなくては……」


《勇者を放って、か?》

 ノーラさんが、肩をすくめる。

《私が僧侶から与えられた命令は、貴様ら全員をサリーのもとまで連れて行くこと。聖痕ある限り、命令は果たしてやる。しかし、僧侶が死ねば、忌々しき痕は消え、私は自由の身。貴様らは、私にとってただの獲物に成り下がるのだ》


 げ。


《のんびりしていたら、私は敵に回るかもしれんぞ》

 頬をぴくぴく動かしながら吸血鬼王は、ボクらを見る。

《馬車で行けばサリーの城まで三日だ。しかし、貴様らが全てを私に委ねるというのなら、数時間で連れて行ってやる。そこに勇者が居るのであれば、合流し、共に魔界の王のもとを目指してはどうか?》


「えー? 数時間で行けるの?」


「そんな奥の手が! なぜ今まで使わなかったんです?」


《僧侶がいなくなったゆえ、この手だてが使えるのだ。あれを丸呑みなぞ、ご免だ。私の体の方が危うい》


 へ?


「丸のみ……?」


 吸血鬼王が、口元を歪めて笑う。

《私一人であれば、サリーの城まで飛べる。私の腹の中に入れば、共に飛んでゆけるが……喰われる気はあるか?》



「……一つ教えてください」

 アランさんが、静かに尋ねる。

「何故、そんな提案を? あなたは聖痕を刻まれ、無理矢理、使徒様の配下にされた。俺達がどうなろうとも、それこそ全滅しようとも、構わないでしょうに」


《その通りだ。貴様らの生死なぞに、関心はない》

 しかし、とノーラさんが強い口調で言う。

《私の領土で、私の獲物を奪われたのだ。見過ごせるか。僧侶は、私のものだ。相手が魔界の王であろうとも、あれは譲らん》


「つまり……使徒様たちの奪還に協力してくださるということですね?」


《協力なぞせん。私は私の矜持の為だけに動くのだ》


 アランさんが、ボクを見る。

 ボクは大きく頷きを返した。


「吸血鬼王。全てをあなたに委ねます。どうか、俺達を丸呑みしてください」


《この私に喰われると?》

「はい。あなたは、丸呑みで消化などという、つまらない食事はしないはずだ。絶対、殺されない。信じます」

《いい度胸だ。それでこそ、私の獲物……》

 吸血鬼王は、にぃぃっと笑った。




 護符や聖絹布に携帯用聖結界リング。

 持って来た聖なるアイテムを身に着け、聖絹布の上にアランさんと座り、荷物も載せる。

 それから、ボクの雷精霊(トネールさん)に、ボクらを包み込む形の結界をお願いした。


 これで準備おっけぇだ。魔族に喰われても、しばらくは消化されないはず。


《呑むぞ》

 ボクの背の方から、ノーラさんの声がする。

……マント以外、全部脱いじゃうんだもん。そっちは向けないよ。


 でも、頭上から大きな影が迫って来た時には、さすがに見てしまった。


 ノーラさんは、人型を捨て、変化していた。

 小山のように大きな蝙蝠になっているのだ。

 ネズミに似たどことなくユーモラスな顔。

 だけど、開かれた口は、とてつもなく大きくて……

 牙が光る、真っ赤なそれがぐんぐん迫って来て……


 真っ暗となる。


 丸のみされ、吸血鬼王の体内に入ったのだ。


 トネールさんに明かりを頼んだボクは、辺りが照らされた時、

「うわ!」

 思わず声をあげてしまった。


 ボクらは、黒と赤の世界に居た。

 黒い天は果てしなく遠く、黒い靄に覆われた世界は広いのか狭いのかすらわからない。そして、結界の遥か下には真っ赤な海。血のような海が、静かにさざ波を立てている。

 存在しているものは、それだけだ。


「これがノーラさんのお腹の中?」

 もっと肉々しいと思ってた! ぐっちゃぐっちゃな臓物的なイメージで!


 血の生々しい匂いも無い。


 何というか……


「綺麗ですね……赤が黒によく映えている。幻想的な絵画のようだ」

 同じ印象を、アランンさんも受けたようだ。


《フッ。美しい私は、あらゆる面で完璧に美しい。内面とて、美しいに決まっている》

 ノーラさんの声。姿はないけど……てか、当たり前か、ボクらはお腹の中に居るんだから。


「ノーラさん。もう飛んでるんですか?」

 真っ黒な闇を見上げた。

 ノーラさんの顔は、上の方だよね?

《そうだ》

「おおお! すっげぇ! マッハで飛んでるのに、ぜんぜん揺れてない! さっすが、吸血鬼王!」


 一瞬の沈黙の後、ノーラさんはくつくつと笑った。

《うるさいぞ、小僧。サリーの城に着いたら、吐き出してやる。それまで休み、体力を温存しておけ》



 ノーラさんの声が聞こえなくなる。


 アランさんは、両手剣をそばに置き、どっかりとあぐらをかいている。


 ボクはその隣で、自分の荷物にもたれかかった。


 荷物は五人分だ。賢者様たちのもちゃんと持って来た。

 アレッサンドロさんは、ちょうどあの時、水晶を手に持ってた。精霊との契約の証の指輪もいつも通り嵌めていた。大事なものは持ってたわけだけど……

 使徒様は……命の源(煙草)、持ってるのかなあ……ちょっと心配。

 賢者様は、何もかもを置いて行っている。魔界に来る時に使った勇者の書も、馬車で書いていた書きつけも……。


 早く返してあげたい。



 みんな、無事だろうか。


 賢者様、使徒様、アレッサンドロさん。


 ジャンヌ。



 ジャンヌに会いたい……。


 今こそ、お日様みたいなジャンヌの笑顔が見たい……。


『あの女は、あらゆる意味で無事だ。内なる俺の霊魂が、マッハで俺にそう告げている』

 使徒様がそう言ったんだから、絶対だ。


 だけど、今は……ちょっとだけ心細い。


 ボクは、静かに瞼を閉じた。

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