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きゅんきゅんハニー  作者: 松宮星
堕ちた勇者
148/236

鏡の中の勇者

 鏡の中に、ちっちゃなアタシが居る。

 外遊び用の丈の短い(汚れてもいい)エプロンドレスを着て、うちの裏庭で、ちっちゃなクロードと遊んでいる。


 植栽の辺りで、虫とりだ。

 ダンゴムシやバッタやカマキリを手づかみでつかまえては、虫カゴへポイポイ。

 こらこら、そこのチビッ子ども! 同じカゴに入れちゃダメでしょ! 残酷だなあ、もう!


 ジョゼ兄さまの姿はない……学校かも?


 そして……


 ガサガサっと草の茂みを揺らしたアタシは、そこで不思議なものを見たのだ。

 茂みの向こうは柵のはずなのに、すっごく開けていたのだ。視界を遮るものが何もない。

 顔を近づけると、小鳥のさえずりが聞こえる。


 チビッ子のアタシは、そこに迷わず頭をつっこんだ。


 どうして? おかしくない? これは何なの? とか、普通なら思うところ。

 けど、きっと何も考えてない。

 おもしろいもの見つけた! と、頭の中は、それだけになってるに違いない。

……バカだから。


 下を向く。

 地面が目に入る。少し遠かったけど、木登りが大好きだったアタシには何ってことない高さだ。

 いける! と思ったチビッ子のアタシは、ジャンプした。

 お猿のように。

 得意げな顔で着地。


 そして、顔をあげ満面の笑顔になった。

『うわぁ』

 そこは、森の中だった。

 目の前に、大きな木。天を覆うように枝々を伸ばした、幹の太い木だ。同じような木々がそこかしこにあって、辺りは薄暗い。けど、所々にやわらかな木漏れ日が差している。

『すごい! すごい! すごい!』

 アタシは、バンザイして駆け出した。


 すると、背後から、

『きゃう』

 情けない声が。


 振り返ったアタシは、大きくため息をついた。

『なんで、ついてきたの、バっカねー』

 木の下にへたりと座り込んで、幼馴染はふえ〜んと泣いていた。

『だって、だって〜。ジャンヌが、いっちゃうから』

 クロードの頭のだいぶ上に、草の茂みがあった。幹のところから不自然に突き出たそれは、アタシの庭の植栽っぽい。あそこから、落ちたのか。


《次元通路だ》

 ふいに聞こえた声に驚く。

《何者かが、汝の家の庭とこの森を繋ぐ扉を開いたのだ》

 ダーモットの声……。

 過去の再現映像に引き込まれて、うっかりしてた。不死の魔法使い(リッチ)もいっしょに、これを見てたんだった。


 鏡の中のアタシが、幼馴染の顔をのぞきこむ。

『あし、くじいた?』

 クロードが、頭を横に振る。

『……おしり、いたい』

『しりもちなら、へーきよ。すぐになおるもん。おしりにはねー たんこぶできないのよ』

 えっへんと胸を張って、偉そうにチビっ子が言う。言ってることは、兄さまからの受け売りだ。


『ほら、なかない。おとこの子でしょ?』

 ぐずぐず泣いている幼馴染の手をひっぱって、強引に立たせる。

『いくわよ』


『え〜 どこへ?』


『ぼーけんよ』

 決まってるでしょとばかりに、アタシが言い切る。


『だめだよ、そといったら、おこられるよ』

 お庭で遊んでなさいってお母さんに言われてたんだろう、クロードが大きな声をあげる。

『かってにいったら、まいごになるよ〜』


 クロードの言い分のが正しい。

 けれども、チビのアタシは、聞く耳持たない。

『じゃ、あんたはおるすばんしてなさい』

 一人で冒険に行ってくるわ! と、おバカにも歩きだしてしまう。


『やだ! おいてかないで! ジャンヌぅぅ、まってッ!』

 泣きながら、クロードがあとを追って来る。


 薄暗い森の中を二人で歩く。


 クロードは半べそだ。ず〜っとアタシの背中にひっついている。

 葉ずれの音や小鳥のさえずりにも、ビクビクと身を縮まらせて。

『ねえ、ジャンヌ……ここへんだよ』、『かえろうよ』、『くらいよ〜 こわいよ〜』と泣き言ばかり。

 チビのアタシは『うるさいわねえ』、『ひとりでかえれば?』と、とことん冷たい。


『ついてくよ』

 鼻をぐずらせながら、幼馴染が言う。

『ジャンヌをひとりぼっちにできないよ。ボク、おとこだもん』

『へー じゃ、まえあるいて』

『え?』

『おとこなら、レディーをまもりなさい。ほら、まえ、いって』

『おさないで。やだよ。やだやだ。ボク、いきたくない』

『よわむしぃ〜』

『う』

『なきむしぃ〜』

『……ふぇ〜ん』

 情けない声をあげるクロードを、ケラケラと笑い飛ばすとか……

……うわぁ……ヤなガキ……

 ぶん殴りたい。


 この傍若無人なチビを、ダーモットやベティさんやサリーにも見られてるのか。恥ずかしい……。

 すぐにベソベソするのはナニだけど、クロードのがよっぽどまともだわ。


《汝の目は現実しか捉えられぬ。ゆえに、この場の異常を察知できなんだ》

 ダーモットがそう言った後、森の中のアタシたちの周囲が一変する。


「げ」

 思わず声をあげちゃった。


 鬼火だ。

 青白くぼうっと光る炎が、ひょろひょろと宙を流れ飛んで来ている。

 チビのアタシが向う先から。幾つも、幾つも。

 アタシたちのそばをヒューとよぎるものもあれば、名残惜しそうにまとわりつくものも。


 更に……木陰にたたずみ、じぃーっとこちらを見ている人間がいっぱい。武器を持っている彼らは、たぶん幽霊だ。血みどろだし、半透明だし。


「なんなの、これ?」

《古えの戦の残滓。古戦場の跡地に森ができ、散ったものたちの思いが残っているのだ》

 幽霊は近づいて来ない。その場で、じっとしている。それは、それで怖いんだけど……。

 まとわりついてくる青白い鬼火の方が不気味だ。

「精気を吸われてるの?」

《否。ここに居るモノは、さほど強きものではない。敏感な者であれば、悪寒を感じるやもしれぬ。その程度の影響しか人に及ぼせぬゆえ、放置されていたのであろう》


 森のチビッ子たちに重ねて、鏡は平原での戦闘を映し出す。

《汝が目にした森の記憶。その地が森となる以前の出来事だ》

 合図の太鼓。矢の打ち合い。魔法の応酬。突進する槍兵。ひるんだ敵に突撃をかける騎士団。陣形が崩れ、敗走し始めた敵への殺戮。日没前に、現れる野盗。傷つき倒れた兵士たちはとどめを刺され、身ぐるみを剥がれ……そして、夜の訪れと共に、野獣や肉食モンスターが……。


 目を覆いたくなるようなシーンが、次々に現れては消えてゆく。


《汝、動揺するなかれ。過ぎ去りし過去だ》

 リッチが、気遣うように問いかけてくる。

《初めて戦を目にしたのか?》

「ええ……」


 書で読むのと、実際に目にするのとでは、大違いだ。


 鏡の中で季節が巡り、野ざらしにされていた骨も緑に飲み込まれて消え、植林が進み……いつしかそこは森になっていた。


 そこが平原であった間も森となった後も、聖職者はやって来た。

 けれども、形だけの鎮魂の儀式をするか、数人がかりで性質(たち)の悪い悪霊を祓うだけ。

 戦死者の霊の大半は、放置だ。昇天できぬ哀れな魂は、そこで彷徨い続けている。


《数が多すぎ、人の手には余ったのだろう。一体を浄めるだけでも、手間も魔力も根気も要するゆえ。完遂するには、数週間から数年の時を要するらしい》

「そういうもの? マルタンのグッバイの魔法なら、一気に全部まとめて祓えそうだけど?」

《汝の仲間を基準にしてはならぬ。あれは、破格の存在。昇天を望まぬ魂すらも清めてしまう。人の器にある者には本来できぬ事を、いともたやすく成し遂げる》

 へー

《『神の使徒』の浄化の力は、神にも等しい》

「ちょ〜優秀だったのね、あいつ……」

 邪悪祓いだけは。


 鏡の中のアタシは、霊だらけの森をズンズン歩いて行く。

 ちょっとしたぬかるみや倒木ぐらい、何のその。鼻歌なんか歌ってたりする。

……見えないって幸せねえ。


 アタシの背にへばりついているクロードは、真っ青だ。うつむき、周囲から顔をそむけている。

「クロードには、見えてるのかしら?」

《否。クロードに霊視の能力は無い。しかし、魔力ゆえに、気の乱れを感じ取っているのだろう》


 流れてきた鬼火が、小さなアタシやクロードのそばにまとわりつく。

 生きているアタシたちを、羨むように。



 そして……


『おぉ、よく来たねえ。こわい森の中を通り抜けて、よくぞここまで』

 倒木の上に腰かけているおじいさんのもとへと、アタシたちは行き着いた。 

 身にまとっているのは、緋色の聖職衣。

 おじいさんは、ニコニコと笑みを浮かべている。


 そここそが……鬼火の発生地だった。

 おじいさんが座っている倒木。そこの下から、鬼火がゆらゆらとのぼっている。

『痛い痛い』とか『死にたくない』とか『殺してやる』とか『助けて』とか、うめき声を漏らしながら。


 クロードの顔が、より一層青ざめる。


 けれども、アタシには幽霊は見えない。聞こえない。気配も感じられない。


『こんにちは』

 誰かに会ったら、まずはご挨拶。ペコンと頭を下げるアタシに、『はい、こんにちは』とおじいさんがのんびりと答える。


『アタシ、ジャンヌ』

 アタシに肘でつっつかれ、幼馴染は小さな声で『クロードでしゅ』とだけ言った。

『おじいさん、だぁれ?』


『僧侶のエルマンじゃよ、おじょうちゃん』


 この人が……マルタンの師匠(せんせい)

 神の使徒だったのに、神を裏切りブラック女神の器になったとかいう。


 やさしい目でアタシたちを見ながら、おじいさんが言う。

『神の愛を受けるにふさわしき子らよ。ここにおいで。美味しいスティックキャンディをあげるよ』

 紅白のと青白の。螺旋模様のスティックキャンディを、おじいさんは持っていた。


『だめ! ジャンヌ!』

 走り出そうとしたアタシを、クロードがあわててひきとめる。

『そっちいっちゃだめ!』


『なぜかな? 坊や』

 クロードは答えない。

 がちがちと歯を鳴らし、震えているだけだ。

『お母さんから『知らない人から物を貰っちゃいけません』って言われてるのかな?』


『あら。アタシしってるわよ』

 答えたのは、おバカなアタシだった。

『おまつりの、うらないおじいさんでしょ?』


 鏡の中の映像に、別の映像が重なる。

 勇者の日――勇者が魔王を倒した日――の翌日から始まったお祭り。占いの露店。兄さまとクロードと三人で占ってもらったこと。占いのおじいさんのローブから覗く赤い袖が気になったこと。あの日の出来事が、鏡の中に軽くよぎっては消える。


『そうとも。あの日、会ったな。お嬢ちゃん、お坊ちゃん』


 アタシは頷き、おじいさんの手のスティックキャンディを指さした。

『いい子へのプレゼント。もらったもん』


 おじいさんが楽しそうに笑う。

『あの日、わしはな、神に愛されている子らに、カードをあげた』

 チビのアタシは、そうだっけ? と首をかしげる。


 再び、鏡の中の映像が揺れる。

 お祭りの日、チビのアタシはおじいさんからカードを手渡された。

 黒地に赤文字で、黄昏の館と書かれ、住所と番地が記されていたカード。

 占いの館の宣伝広告っぽいカードだ。

『お母さんに届けておくれ』って言われ、アタシは素直にベルナ・ママに手渡した。


『カードを一度でも手にした者には、わしの魔力の印がつく……。いい子たちを、順番にわしのもとに招いているのじゃよ』


『なんで?』


『次代の勇者を見極める為に』


『ゆうしゃさま?』

 アタシの目が、キラキラと輝く。

『ゆうしゃさま、どこ?』


『さてのう』

 おじいさんが、からからと笑う。

『じゃが、お嬢ちゃんか、そっちのお坊ちゃん。いずれかかもしれん』


『ほんと?』


『おまえたちが来てから、森が騒いでおる』

『もりがさわぐ?』

『この地を離れられぬものが、浮かれておるのじゃ』

 ほら見てみろと指さされ、チビのアタシが辺りを見回す。

 けど、アタシの目には、霊的な存在は映らない。不満そうに、チビッ子が唇をとがらせる。

『だ〜れもいないわ』


『そうか。見えぬのか』

 楽しそうに、おじいさんが笑う。

『見えずとも、おまえたちのそばには、いろんなものが居る。みな、おまえたちに引きつけられている』

『なんで?』

『おまえたちが魅力的だからじゃよ』

『ふーん』

『勇者が近づくと、悪は悪としてより活性化し、善なるものはより清くなる。嵐の中心にいる者……それが勇者じゃ』

『へー』


『わしの招きに応じる無謀……いや、勇気と言ってやろうか。何ものにも妨げられずわしのもとまで辿り着く意志、そして幸運。正義を愛し、困難に立ち向かう勇気を持つ、純粋な子供よ。おまえたちには、勇者たりうる素因がある』


 ますます難しい話になって、チビのアタシはきょとんとしている。


『わしのもとまでおいで。真の勇者であれば、ここの封印も解けよう』


『だめ。ジャンヌ』

 涙声で、クロードが叫ぶ。

『いっちゃ、だめ』

 泣きながら、アタシをひっぱる。

『おうちにかえろう。ジョゼがまってるよ〜』


『おまえさんは、視えておるようじゃな』

 おじいさんが、声をあげて笑う。


『お嬢ちゃん、お坊ちゃん。わしはエルマンじゃよ』

 知ってるわと答える前に、おじいさんはこう付け加えた。

『九十八代目勇者カンタン様の仲間だった僧侶じゃ』


『きゅうじゅうはちだいめ、ゆうしゃさま?』

 チビのアタシが、大きく目を見開く。

『なかま?』


 おじいさんが笑顔で頷く。

『九十九代目勇者ヴァスコ殿、百代目勇者セルジュ殿のことも知っておるぞ。二人には、弟子を紹介してやった。わしの弟子が、勇者の仲間じゃった』


『ゆうしゃさま! なかま! でし!』

 アタシの顔が、パーッと輝く。

 百代目勇者が魔王を倒したのは、半月ほど前のこと。世界の救い主――勇者は、時の人だった。勧善懲悪が大好きな子供には、絶対無敵の正義のヒーローとなっていた。


『勇者の話をしてあげよう。おいで……』

 クロードの腕を振り払い、ちいさなアタシが駆け出す。


 はしゃぎながら、おじいさんのもとへと。


 緋色の聖職衣のおじいさんは、ずっと笑顔だ。


 腰かけている倒木を、突き破るかのような勢いで何か(・・)が現れた時も。


 黒く淀んだそれが、濁流のようになってチビのアタシのもとへ押し寄せた時も。


 ただ笑っていた……。



 フッと映像が途絶える。



 真っ暗となり、そして……



『やかましい、泣きやめ、イチゴ頭』

 唐突に、声が聞こえた。


「マルタン……?」

 にしては、声が子供っぽすぎるんじゃ?


『そのガキは、この俺が癒した。もはや、今となっては、まったく、健康体。ぜったい死なん』

……間違いない、こいつ、マルタンだ……。

 子供の頃のマルタンか。

 どっからわいて出たの、あんた。

『うわぁぁん、よかった! ジャンヌぅぅ〜 ジャンヌぅぅ……』


 真実の鏡は、真っ暗なままだ。声だけが聞こえる。


『聞け、イチゴ頭。こわいのは死ぬことではない・・世界の選択を見誤ることだ』

 は?

『きさまに助手一号の栄誉をくれてやる。そのガキを守りたくば、俺のために働け。あのジジイに、さっきの雷をぶっぱなすのだ。できるな?』

『うん。わかった。ボク、やる。ジャンヌをまもるよ、おにーちゃん』

『ククク・・俺のことは使徒様と呼べ』

『しとさま?』

『神の使徒だ。俺とおまえで新たな世界を築くのだ。あのジジイを、屍に変えてな・・・行くぞ』

『はい! かみのしとさま!』

 いつの間にかマルタンの犬になってるし!

 てか、どうしてマルタンが?

 チビのアタシは、いったい……?


《僧侶エルマンが腰かけた木の下から、何かが飛び出したであろう? あれに襲われ、汝は重傷を負ったのだな。治癒されるも、覚醒しておらぬのだろう》

「気を失ってるの?」

《おそらく。意識がない間に耳から入った情報を、脳が覚えていることもある。それが再現されているのだろう》


 誰かの高笑い。

 雷鳴。

 何かが、次々に砕けゆく音。


 戦闘音がしばらく続き……。


『あっちいけ!』

 クロードの叫び声が響いた後……真実の鏡に映像が映り出した。


『よくもジャンヌを!』

 にじんだ映像の中に、クロードがいる。


 全身が紫色に輝いている……。


 輝く光が膨れ上がり、炸裂する。


 生まれる、稲妻。


 おじいさんを狙ったはずの雷。

 けれども、おじいさんの周囲には魔法障壁が。

 軌道が変わり、雷は樹木に落ちた。


 バラバラと樹木が砕け、少し遅れて鼓膜が破れそうな雷音が響く。


 残った幹から地へと伝わる凄まじい電流。

 地面には木の枝みたいな模様――放電の跡が網の目のように刻まれてゆく。


『ぜったいゆるさない! ボクのジャンヌを、よくも!』



《なるほど。汝を守ろうとし、魔術師の才を開花させたのだな》



 まばゆい雷光に照らされるクロードは……アタシの知っている幼馴染じゃなかった。


 怒りを露わに、歯をくいしばり、前をみすえ……


 空気を震わせ……いつもとは全く違った顔をしていた。


 クロードの緑の瞳が、こちらを見る。


 つりあがった眉と目。

 皺の寄った眉間。

 怒りで赤く染まった鼻の頭と頬。

 わきあがった感情のままに歪んでいた顔が……


 アタシを見た途端、ほにゃ〜と脱力する。

 目じりをさげ、口角をあげ、嬉しそうに微笑みかける。


 クロードは、アタシの名前を呼ぼうとした。


 けれども……


 アタシの喉からほとばしった悲鳴が、すべてを台無しにした。



 何も見えない。


 アタシは目を閉じ、恐怖のあまり、縮こまり、意味をなさなさい言葉をわめきまくり……

 クロードの手を拒み……


 何もかもを拒んだ。


 気を失ったのだ。



『待て、ジジイ』と叫ぶマルタン。それに対し、何事かを言い返しているおじいさん。二人の声は、ひどく遠くから聞こえた。



 耳を覆いたくなるような悲鳴が響いてようやく、アタシは瞼を開けた。


 クロードは、頭を抱え、うつ伏せに地面に倒れていた。


 焼野原のようになったそこに居るのは、アタシとクロードだけ。

 おじいさんやマルタンの姿はない。


 鬼火も幽霊も、全て跡形もなく消えている。マルタンが祓ったのだろうか。


 体をふらつかせながら、クロードは起き上がった。頭痛をこらえているかのような、表情だ。息も荒い。そうとう辛そうだ。


 どうして倒れていたんだろうといぶかしむように首をかしげ、それからアタシを見つけ……クロードは、とても悲しそうな顔をした。


『ジャンヌ……』


 呼びかけられ、小さなアタシはびくっと身をすくませた。


『ごめんね……ジャンヌ。いたかった?』


 クロードの顔が、どんどんあわれなものになってゆく。見捨てられた子犬のような目で、アタシを見つめながら、よろよろと歩み寄って来る。


『いたかったよね……たすけられなくて……ごめんね』


 力なく伸ばされた手を……

『こないで!』

 小さなアタシは、振り払った。


『いやぁぁぁ! にいさまぁぁ!』

 めちゃくちゃに両手を振り回し、アタシはその場にいないジョゼ兄さまに助けを求めた。

『こわい! こわい! こわい! かみなり、こわい! たすけて、にぃさまぁぁ! にいさまー!』


『ジャンヌ……』

 クロードは、へたりと座り込んだ。

 気力もなにも尽きたかのように。

 そして、顔を大きく歪め、感情を爆発させたのだった。


『うわぁぁぁん、ジャンヌぅぅ!』

 クロードは、泣き出した。

 雨のような涙を流して。

 鼻の頭どころか、ふっくらしたほっぺも、真っ赤にして……


 悲しくって、悲しくって、たまらないって感じに。


『ごめ、ごめんなさぁい、ジャンヌぅぅ』

 息をつまらせ、数秒呼吸を止めて……それでも、又、号泣する。

 目から涙、鼻水も出して、大きく開いた口もわななかせ、全身を激しく震わせて……。


『もうしない。もう、しないから。なかないで、ジャンヌぅぅ』


 クロードが、アタシを抱きしめる。

 ぎゅぅぅっと……


『ないちゃ、やだよぉぉ、ジャンヌぅぅ』


 アタシの体が震えている。

 ぶるぶると……

 クロードみたいに、情けなく……


 震えが止まらない。


 何度も何度もごめんねと謝って、クロードがアタシを抱きしめる。

 アタシはクロードの腕の中で、ガチガチと歯を鳴らしていた。


 クロードに怯えていたのだ。



 クロードは、必死にアタシを守ってくれていたのに……。


 アタシは……


 なんて、ひどいことを……




 真実の鏡から、あの日のアタシとクロードが消える。


 黒いモニュメントのような鏡には、今のアタシと生前の姿のダーモットだけが映っている……。


《気力体力が伴わねば、鏡の魔力に汝は飲み込まれよう。本日は、ここまで。死神王から一室を借り、休むがいい》


 頭上からの声に、うつむいたまま、小さく頷きを返した。


《未熟ゆえの過ちは、誰しも経験あること。過去の己を恥じるのは構わぬが、過去に囚われすぎるも愚かなり。明日までに、心の平穏を取り戻すことをすすめる》


 鏡の中の美形エルフは顎をさすり、目を細めた。

 そのまま口を閉ざしていたけれども、だいぶ経ってから、彼はこう付け加えた。


《汝が幼馴染がどのような者か、何を望む者かは、汝の方が心得ていよう。汝が生き続けることこそが、クロードの望み。全てを終えてから、幼き日のことを謝罪すればよかろう……我はそう思う》


 不器用な優しさが、胸にしみいった。


 ありがとうとだけ口にし、アタシは唇を噛みしめた。

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