光精霊の忠告
《サリーのもとまで連れて行けだと……? 僧侶。貴様、何をたくらんでいる?》
青白い肌。赤く光る眼。男にも女にも見える美貌の主が、いぶかしそうに眉をしかめる。
それに対し、主人となった男はにべもない。
「問う暇があったら動け、下僕。俺は命令を伝えたぞ」
《チッ。少し待て。支度をする》
了承を待たず、吸血鬼王ノーラは宙に飲まれるようにフッと消えた。別次元に行ったのか、自分の私空間に渡ったのか。
「アウラ、結界を。フラム、エクレール、グラキエス、雑魚掃除を頼む」
大物魔族が居る間は大人しかった小物どもも、目の上の瘤がいなくなりゃ調子づく。この地の領主も、でばってくるかもしれねえ。警戒するに越したことはない。
アランさんは、剣を構えている。
賢者さまを背にかばい、研ぎ澄まされた刃のような眼で周囲を見渡している。
賢者さまは、ぐったりと大地に横たわったままだ。まだ意識が戻っていない。
怪我の治癒を終えた俺の精霊が、慈母のような顔で疲労回復の魔法をかけている。
心配そうに賢者さまを見つめていたクロードくんが、俺の視線に気づいたのかこっちを見る。
で、笑いかけてきた。
「賢者様、大丈夫だそうです」
笑みがこぼれる顔は、とことん無防備だ。何のわだかまりもない、赤ん坊みたいな顔を向けてくる。
俺と吸血鬼王の会話を聞いたくせに。俺がただの人間じゃねえってわかっても、まったく態度を変えねえ。奇異の目も向けない。……今まで通りだ。
ほんの少し、楽しい気分になった。
その気持ちのまま、少年に頷きを返した。
消えた時と同様に、唐突に吸血鬼王は戻って来た。
裸マントをやめ、衣装をまとって。
襟の高い黒マントの下は、黒の燕尾服だ。
白い蝶ネクタイの白絹のシャツに、黒のベスト、黒いズボン、磨き抜かれた黒革の靴。ステッキを持ち、黒のシルクハットを気障に斜めに被っている。
モノトーンで統一した衣装は、いかにも貴族的だ。
装いを改めたのは美しい自分を演出するため……というより、聖痕隠しだろう。
使徒さまに刺された跡は、聖痕となって吸血鬼の体に残っている。衣服ぐらいじゃ光の刻印は隠せねえが、晒して歩くのも業腹なんだろう。
使徒さまが、両腕を組む。
「支度はそれで終わりか? キャラ被りを恐れて、自ら服を着てくるとはあっぱれな奴。『裸』改め……『蝶ネクタイ』? それとも、『ステッキ』か?」
「あ、いえ、それでしたら……」
周囲を警戒しつつ、アランさんが遠慮がちにお願いする。
「俺の方を改めていただいてもいいかと……」
盾代わりの腕輪、ブーツ、両手剣とそれを体に固定する為のバンド、わずかばかりの装身具を除けば、腰布しかつけてないんだ。
『裸』と言われてもしょうがねえ格好をしてはいる。が、外見に似ず、中身はまとも。知識や教養が人並み以上にあり恥も知っている身には、『裸』のあだ名は嬉しくなかろう。
まあ……
そんな格好なのは、『服を脱げ、恥を捨てれば万事うまくゆく』と、俺が助言したせいなんだが。
初めてあった時、アランさんの運気は最低最悪だった。
傭兵仲間から深刻な嫌がらせをされ、身に覚えのない痴情のもつれで、男女からえらく怨みを買っていた。
真面目で誠実な性格も裏目に出てばかり。外見がいいのも、運気を下げてる原因だった。
ほっといたら、百ぺんぐらい刺されそうな星の下にあった。
なまじっかな助言じゃ、運命を変えられそうもなかったんで……
『裸になれ』って言ったわけだ。
頭がアレな奴だと思われたおかげでトラブルは激減、運気は上昇。お嬢ちゃんの仲間となったことで、更に向上中。よその世界の神の加護を受ける身となったことが、禍福のいずれかに転ぶかは今のところ何とも言えねえが……
間違いなく前より、運は良くなっているはず。
しかし……
「好き好んで、裸となっている男が何を言う」
アランさんに対し、使徒さまがフンと息を吐く。
「きさまは誰かと問われれば、万人が『裸』と答えるだろう。きさまは『裸』だ。そうだろ、『裸』? 『裸』以外ありえん」
「ううう……」
アランさんが、がくっと頭をうなだれる。
……運気が上昇したように、見えねえなあ。
「……『マント』」
使徒さまが、ビシッ! と吸血鬼を指差す。
「ひらめいた、『マント』だ。きさまが『マント』であることは、自ずと自明だ」
指差された魔族は、ケッって感じにそっぽを向く。
《好きにしろ》
「ククク・・では、あらためて命令するぞ。その一、『眼帯』のもとへ、できうるかぎり、迅速、てっとりばやく、マッハで連れて行け。その二、護衛しろ。その三、賢者殿に着替えを寄こせ」
吸血鬼の赤い目が、使徒さまを、俺を、俺の精霊たちを、アランさんを、クロードくんを見渡し、最後にニュイに支えられている賢者さまを一瞥する。傷は塞がったものの、賢者さまはまだ目覚めていない。衣服も血まみれのままだ。
《フン。魔法付加のない、ただの服でいいな?》
吸血鬼が左手を軽く振ると、賢者さまの前の地面に無造作に服の山が積まれる。ローブばかりだ。
《僧侶。命令その一は聞けん。魔界には魔界の決め事がある。貴様らは運べん》
「ほう?」
《貴様も知っていよう。魔界には、人間を安全に運べる移動魔法の類はない。その上、他領では、魔界貴族の能力は制限される。移動速度低下も、その一つだ。私だけであれば、サリーのもとまで瞬時に飛べなくもない。眷属なれば多少は伴える。しかし……》
吸血鬼王がくつくつと笑う。
《貴様らは、蝙蝠にも狼にも霧にもなれぬであろう? 運んでやる手立てがないな。支配世界から馬車を呼び寄せてやってもいいが、ただの馬車だ。サリーの領地まで五日はかかるだろう》
「マッハな乗り物はないのか?」
《無い。この私も眷属も、魔界では変化して移動する。乗り物なぞ使わぬ。不要のものを所持しておるはずなかろう?》
吸血鬼が、にぃっと薄く笑う。
こっちが急ぎ旅とみて、下僕の立場から逸脱しない形で嫌がらせをしてきたようだ。
馬車で移動するぐらいなら、俺の精霊に風渡りを頼んだ方がまだ早い。領地の境を越える時だけ、吸血鬼王さまの御力を借りなきゃならねえだろうが。
「・・つまり、こういうことだな、『マント』。光輝く俺のそばに、少しでも長くいたい。だから、わざとチンタラ行くと」
やれやれって感じに、使徒さまが頭を振る。
「フッ・・・俺ほどの者になると、魔族まで惹きつけてしまう・・困ったものだな・・。だが、まあ・・仕方が無い。きさまがどうしてもというのならば接待されてやる。今日も明日も明後日も、眼帯の城につくまでこの俺が顎でこき使ってやろう。いたぶり、ののしってやる。ありがたく思え。トンマな『マント』」
聞こえよがしに、吸血鬼王は舌打ちをした。
《サリーに、迎えを遣させる。あいつには、『お人形』を運ぶ為の乗り物がある。並みの馬車よりは早く移動できよう》
何もない空から、吸血鬼王が黒い延べ棒のようなものを取り出す。上部が羽を広げた蝙蝠の形をした、薄い板だ。遠隔地に居る者と通話する為のアイテムなのだろう、吸血鬼がそれに顔を近づける。
《サリー? 私だ。おまえに……》
そこまで言いかけて、吸血鬼王は眉をひそめ、口を閉ざした。無言のまま黒い小板に顔を寄せ続ける。
「ぬ? どうした?」
吸血鬼王が蝙蝠の目を押すと、アイテムから甲高い子供の声が響いた。
《ブッブ〜 ざ〜んねんでした〜 ただいま、ラブラブチュッチュッ中〜 おはなしできませ〜ん。さっさと切ってね。あ、でも、お人形になりたい子はべつ。ピーっという音のあとに、メッセージをどうぞ! あとで、かけなおすね♪》
ピー。
《ふざけるな、サリー。殺すぞ》
ブチッ。
……馬車の旅か、アウラの風渡りになりそうだ。
* * * * * *
死神サリーのお城は、乙女ちっくでファンシーだ。
でも、その部屋は、他とは雰囲気からして違った。
古代の神殿のような、厳かな聖域というべきか。
淡く光り輝く壁、ぴかぴかに磨きぬかれた床、そして……窓のない部屋の中央には、巨大な彫刻の塊みたいなものがデンと置かれていた。
黒い。
壊れた柱のようにも、上部が砕けた彫像のようにも見える。
だけど……
アタシは首をかしげ、背後に居るものたちに聞いた。
「あれなの?」
大きな鎌を持ったチビッコ堕天使も、ボロボロのローブをまとったリッチも、頷く。
「鏡に見えないんだけど……」
《鏡とは、それを見つめる者に本人とその周囲を写してみせる器具。近づけば、わかる。あれは鏡だ。全ての偽りを消し、あらゆるものの真の姿を映し出す聖なる道具とされている》
リッチに続き、チビッコ堕天使が明るく笑う。
《どんななやみも、そくカイケツ(解決)のいやし(癒し)のカガミだよ。ふつーのニンゲンにはつかえないんだけどー ユーシャちゃんはジュンシンゾク(準神族)だしー ダーちゃんがサポートするっていってるから、たぶんだいじょーぶ》
《神の名の下に真実をつきつけ、選ばれし者を不幸に陥れるの為のアイテムだろ?》
堕天使のそばの死霊王が、グヒヒと笑い、羽と生胸をゆっさゆっさ揺らす。
《罪業を暴かれ、破滅した奴もいっぱい居たろうねえ。ほ〜んといやらしい。神のやるこたぁ、いつもエゲツないもんさ》
ハーピー魔王が、宙に浮かぶ死神魔王を見上げる。
《天界の至宝ねえ。こんな胸糞悪いもん持ってるたぁ知らなかったよ。堕天の時にでもちょろまかしてきたのかい?》
《まー そんなかんじぃ》
サリーは、えへへと笑うだけだ。
《四才の秋に汝の身に起きたこと、汝の命を狙う者が何ものか、倒す手立てはあるのか、尋ねれば鏡は汝にとっての真実を映し出す》
リッチが、いかめしく問う。
《知りたくはないか?》
「……知りたいわ」
切実に。
ブラック女神の器って奴に、英雄世界で殺されかけた。
エスエフ界でも、足をひっぱられていたらしい。
アタシを堕天させた白竜――マルヴィナのそっくりさんも、もしかしたら……。
あいつは、アタシの死を望んでいるのだ。
《望みを抱き、鏡の前へ。我が導こう》
リッチが、黒い岩に近づけと促す。
《勇者ジャンヌ、最後の忠告をさせてください》
ルーチェさんの声に、足を止める。精霊たちたっての希望で、全員がアタシと同化中だ。ルーチェさんも、ピオさんやピロおじーちゃんやヴァンといっしょにアタシの中に居る。
《繰り返しとなりますが、私は『真実の鏡』の使用には反対です。あれは、十中八九、盗品です。ここにあるべきではないものです。魔族の甘言にのって使用しては、あなたまで神の怒りに触れかねない》
思いつめたような声で、光精霊は言葉を続ける。
《せめて、神の使徒の到着まで待ってください。あの者の言葉は、神の言葉も同じ。『真実の鏡』を使うにしても、罪にはあたらないとの言質を得てからにしませんか? 私は……罪ゆえにあなたが滅ぶ姿など見たくはありません》
ルーチェさん……
《だけどー マルくんやオシショーくん、いつ来るかわかんないよねー》
ピオさんの声。
一瞬、思考が停止した。
マルくん……オシショーくん……
《今はー 時間によゆうあるけどー マルくんたちが来るのがおそかったら、すぐに帰らなきゃいけなくなるかもー》
ピオさんがブーイングをする。
《使えなかったら、もったいないよねー なんでもわかる鏡なんでしょ? 敵の正体とかー 倒し方とかー 聞いといた方がよくない?》
《魔王が目覚めるのは四十五日後。後四つの世界に行って、四十一人を仲間にするのであったなクマー》と、ピロおじーちゃん。
《それに、だ。オレの苦手なあの人が来る前に、敵さんの方が先に現れる可能性もある。このまんまのオジョーチャンが、あいつと対峙したら、まあ、まず助からないよな》
ヴァンがやけに真面目な声で言う。
《オジョーチャン。この選択が運命の分かれ道かもな。『真実の鏡』を見るも見ないも自由だ。勇者として、正しいと思う道を選んでくれ》
正しい道……。
『勇者とは、強く、賢く、正義感に満ち、道徳的で、悪を憎んで人を憎まない、美しくも頼もしい、この世を救う英雄です』
『茨の道だ……魔王に勝利するのは、とても困難……だが、道はある……とても細いまがりくねった道だが……勝利に通じている道も……』
『千里の道も一歩から。踏み出さねば、前進はありません。勇者としての自覚をもって未来をみすえて努力してください』
『己を真に救えるのは己のみ。常に光であれ。絶望の淵から這い上がりたくば、己の内なる霊魂の輝きを信じ歩み続けるのだ』
『欲しいものは、己が力で勝ち取るがいい』
『魔王戦を前に死しては、愚昧の至り。生き延びることを第一義に動かれよ』
仲間たちの言葉が、心に蘇る。
どうしたらいいのか、何が正しい道なのかはわからない。
勇者が罪を犯すなんて、絶対に許されない。
だけど……
『必要とあらば、誇りも主義も捨てるべきである。世界の命運を握る者は、己が感情にかまけてはならぬ。大局をみすえ、より良い未来を思索し続けねばならぬのである』
『キミが魔王に負けたら、この世は終わり。魔王は無敵化しちゃって、誰にも倒せなくなるからね。世界の命運を握っているのはキミだ』
拳を握り締めた。
ルーチェさんの忠告は、正しい。
勇者は、汚いことを絶対にしちゃいけない。常に光の道を歩むべき。
わかってる。よ〜くわかってるわ。
でも……
アタシ、真実の鏡を使う。
魔王戦前に、死ねないもの。
アタシは、百人の仲間をそろえて魔王を倒さなきゃいけないんだ。
一刻も早く敵を知って、倒すべき手立てを探したい。
それが、アタシの命と仲間を守る最善の道だと思うから……。
ごめんなさい、ルーチェさん。
《……残念です》
……失望の感情が伝わってくる。
《愚かな選択としか思えません。勇者ジャンヌ、これがきっかけで、あなたは光の道を踏み外すかもしれないのですよ》
……もしも、アタシに嫌気がさしたんなら、遠慮しないで。光界に還って。契約は解除。主従関係は無しにしましょう。
《勇者ジャンヌ……》
本当にごめんなさい。
自分が正しいなんて、アタシだって思ってない。
だけど、負けたら全部終わりなんだもの。
アタシは勝ちたい。
魔王にも。ブラック女神の器にも。
少しでも勝利に近い道を歩んでいきたいの。
大切なのは、アタシがどう生きるかよ。
魔族を利用するのも、盗品を使うのも、アタシ的にはおっけぇ!
黒く染まらなきゃいいんだけだもん!
アタシは、アタシが一番いいと思う道を行くわ!
勇者として!
《まったく……あなたという人は》
ルーチェさんが溜息をつく。
《後先を考えられずいつも行き当たりばったりで……とても男前だ。面白すぎます》
アタシの内に悪戯っぽい笑みが響いた。
《仕方ありません。『勇者失格』の烙印が押されるまでは、契約は解除しません。側にいてあげます》
ルーチェさん!
ありがとぉぉぉ!
《まえに言ったよな? オレはオジョーチャンが可愛い女でいる限り、全力で助けてやるって。ま、運悪く『勇者失格』になっても、しもべを続けるよ》
ヴァン!
《ボクも、ボクも〜》
ピオさん!
《わしも、そなたが勇者としての矜持を失わぬ限りはしもべであろう……あ、いや、クマー》
ピロおじーちゃん!
みんな、ありがとぉぉぉ!
《勇者ジャンヌ。決心はついたか?》
リッチだ。
ずっと黙っていたくせに、アタシが精霊たちと内緒話を終えたら話しかけてきた。
待っててくれたって、ことよね。
で、アタシの様子を見て話しかけてきた?
けっこういい奴かも。デ・ルドリウ様のお友達らしいし、クロードもこいつを尊敬してた。魔族だけど、あの二人が心を許している相手だ。信じてもいいと思う。
「一つ、教えて」
しゃれこうべを見つめながら尋ねた。
「死神サリーから、これを借りたって言ってたけど、」
《然り》
「どうやって、いつ、どこで、使わせる気だったの?」
《ドワーフ王ファーガスが汝が剣を鍛えておること、受け取りに汝が再来訪することは聞いていた。ゆえに、汝が再び現れし時には、魔界の我が領土まで連れ来るよう竜王に依頼していたのだ》
「デ・ルドリウ様に?」
《竜王には空間変替能力がある。次元に穴を開け、空間と空間を置換することで、あらゆる世界に移動することが可能なのだ》
へー
空間変替って、異世界への移動にも使えたのか。
《はからずも汝が魔界に現れたゆえ、竜王の手を煩わせずに済んだが》
リッチが、からからと喉を鳴らす。
アタシが、『真実の鏡』を使うことは、デ・ルドリウ様も了承済みだったのか。
「鏡、ありがたく使わせてもらうわ」
部屋の中央に向かうアタシの後を、少し離れてリッチがついて来る。
真実の鏡は、黒くて巨大だ。
近づいてわかった。
細かな模様がびっしりと施されていている。
それでいて、表面がピカピカ。金属鏡のように、アタシを映すのだ。
ん?
んんん?
あれぇ?
アタシは目を細め、こすり、それから目を見開き、真実の鏡を見つめた。
黒い彫刻のようなそれには、アタシが映っている。
それはいいんだ。
だけど……
アタシの後ろに居る者は、リッチではないのだ。
そんな馬鹿な。
そう思って振り返ったアタシの目に……黒いローブをまとった、とても美しい人が映ったのだった。




