花冠を二人で編もう
「待ちくたびれたぞ、女。勇者の使命を終えたら、マッハで俺に合流しろと命じたはずだ。グズめ」
お師匠様の移動魔法で跳んでった先は、デュラフォア園。ブドウ畑の側の田舎道。
そこに、会いたくもないアレな人がいた……
襟の高い黒の祭服に、金の十字架、指だし革手袋、でもって手の甲には五芒星のマーク……
「聖なる血を受け継ぎし神の使徒・・・マルタンだ。邪悪を粛清する為、輝かしき光の道を進んでいる」
くわえ煙草の使徒様。そのナニな発言に、ジョゼ兄さまはうんざりとした顔になり、新たな仲間達はどん引きとなる。
まあ、動じてない人も居るけど。ドロ様はニヤニヤ楽しそうに笑ってて、スーパースター獣使い様は『あら〜 素敵な方』とうっとりとしている。
んでもって、幼馴染は、
「お久しぶりです、使徒様!」
アレな僧侶に深々と頭を下げ、「喜捨です!」とリボンでラッピングした箱を両手で捧げ……
「フッ・・それは、俺の命の源だな? イチゴ頭・・あいもかわらず心がけのみは、ずば抜けている・・」
と言われたら、
「ありがとうございます!」
頬を染めて喜ぶし……
誉められてない!
てか、あんた、おかしい! 何で、そんな男にまで懐いてるの!
「俗物ども。俺は今、この地で悪霊祓いの聖務についている。きさまらに、悪霊退治助手の栄誉をくれてやろう」
マルタンは全員を見渡し、並び順を指示してきた。
「先頭は俺、その後は、女、おまえだ。それから、ガキ、イチゴ頭、おかま、地味、賢者殿、メガネ、金髪カツラ、裸、ドレッド、じじい、最後尾がロボ、だ」
誰が誰だか、一応、わかるけど。こいつ……人の名前、覚える気ないんだな。
てか、あだ名の方が本名より長い人も居る……
「俺はジャンヌの側を離れんぞ」
ジョゼ兄さまが、マルタンをジロリと睨む。
「悪霊がはびこる危険な場所へ行くのだろう? 側にいなければ、いざという時にジャンヌを守れん」
「ククク・・あわれな奴。神の使徒たるこの俺に逆らうと、マッハで滅びるぞ、金髪カツラ」
マルタンが、紫煙をくゆらせる。
「一度だけ慈悲をくれてやる。下がれ。この並びには、意味がある。悪霊祓いの邪魔をするな・・」
「きさまが何と言おうが、俺はジャンヌの側を離れんぞ」
ちょっ! 兄さま! また、団体行動を乱して!
くるんくるんの金髪カツラを被った兄さまと、僧衣のくせに煙草を吸ってる使徒様が睨み合う……
「ジョゼぇぇ、ケンカしちゃだめだよぉ〜 使徒様も、きっと、深い考えがおありで、」
兄さまをいさめようとしたクロードは、左手一本で払われていた。
兄さまが両の拳を握って腰を落としたんで、
「私闘禁止!」って怒鳴ってやった。
「ぐっ」
わなわなと震えながらも、兄さまは掌を開いた。そうよ、アタシの伴侶達とはできるだけ仲良くするって約束だったわよね?
格闘の構えを解いた瞬間だった。
兄さまに、拳が迫ったのは。
かわした兄さまに、次の攻撃が迫る。
速い!
右の拳を引くと同時に、左の拳を。
更に次の拳……と見せかけて、左足首を狙った蹴りが!
その攻撃も回り込んでよけた兄さまは、反撃した。右の拳を相手のお腹に入れようとする。
けれども、兄さまの素早い拳は、何も捕らえられず、宙を切った。
避けた……?
兄さまの拳を……?
うっそ!
なんで避けられるの? 僧侶のくせに!
「なにをなさってるのです。おやめください!」
テオの制止が耳に入っているのかいないのか、二人は拳と蹴りの応酬に入った。
でも、どっちも攻撃が当たらない。
互いの攻撃を見切って、かわしている……
互角……?
兄さまと同じくらい強いの、マルタン?
突然始まった戦いを、仲間達も見守っている。
クロードはおろおろしている。でも、二人の戦いには入りこむ隙がない……
「素早さは、ジョゼフ様の方が勝っていますね。腕力の方はおそらく格段に」と、裸戦士の人。
「けど、当たんねーじゃん」と、リュカ。
「……目がいい」と、農夫のエドモン。
「それと、神の加護じゃな。神がかった僧侶は、千の矢が降り注ぐ戦場すら無傷で歩きおるからのう」と、セザールおじいちゃん。
なにそれ、ずるい。
お師匠様はいつも通りの無表情で、傍観している。
聞いてみた。
「兄さま、私闘してますけど? 止めなくていいんですか?」
「構わん。ジョゼフに非は無い。正当防衛だ」
……なるほど。
兄さまとマルタンが拳を交わすのをやめ、互いに後方にとびすさり距離をとる。
交わされる、視線と視線。
睨み合った後、マルタンがククク・・と不敵に笑う。
「この俺に逆らう男が、この世界にまだ存在しているとはな・・」
んでもって両手をクロスしてから、ビシィィッ! と兄さまを指さした。
「よかろう、金髪カツラ。好敵手と書いて親友と読む。きさまを認めてやろう」
「はぁ?」
使徒様から親友呼ばわりされた兄さまが、微妙な顔つきとなる。
「後ろに下がらずともよい。その女とぴったりくっつくのであれば、大目に見てやる」
「……お、おぅ」
「さすが使徒様! 漢は拳と拳で語り合うもの! かっけぇぇ!」
両手を組み合わせたクロードが、やけに感動している……あんた、やっぱ、おかしい……
うひぃぃ!
また、お姫さま抱っこかよ! 目隠ししてないよ、アタシ!
「ジャンヌ、オレが守ってやるからな」
「兄さま……」
人通りないけど……恥ずかしいのよ……
「悪霊祓いの聖務は、浄化魔法による浄霊で完了する」
幽霊の出る場所へと向かう間、使徒様が悪霊の祓い方について語り始める。聞きたくもないけど、兄さまに抱っこされたアタシは奴のすぐ後ろにいる。どうしたって耳に入ってくる。
「俺の浄霊は、除霊かつ昇天だ。綺麗さっぱり、まったく、完璧に、完膚なきまでに、悪霊とこの世との絆を根こそぎする」
同義語入りまくり。
「魔法を浴びしものどもは、マッハで次なる世界へ旅立つ。片道切符の巡礼だ。ゆえに、寛大なる俺様は、一度だけ慈悲をくれてやる。自ら昇天しろとな」
自ら昇天?
「自殺しろってこと?」
アタシがそう聞くと、マルタンは肩をすくめ、大げさに頭を振った。
「フッ。死んでいる者に、又、死ねとは無茶を言う・・・」
む。
「悪霊の看板を下げ、神の御許に旅立てと忠告するのみだ。神の慈悲にすがるのなら、八百万那由他の世界を彷徨わず、マッハで安息を得るだろう」
むぅ。
いまいち意味がわかんない。
けど、質問するのもシャクだわ。又、馬鹿にされそうだし。
こいつに浄霊されるとこの世界では生まれ変われないって事なのかな?
「勇者様。悪霊に出遭った! 困ったなーという時にはこれですぞ!」
発明家ルネさんが後ろから駆けて来て、アタシに杖と腕輪を渡してくれた。
「『悪霊あっちいけ棒』と『悪霊から守るくん』!」
『守るくん』が腕輪の方か。
「『悪霊あっちいけ棒』は文字通りの性能。先端を、追い払いたいものにお向けください。『悪霊から守るくん』の方は装備してるだけでバッチリですぞ! 絶対に悪霊にとり殺されません!」
ほー。
「勇者様は、勇者とはいえかよわき女性。これで身をお守りください」
あら。やさしい。
「ありがと、ルネさん」
「いやいやいや。はっはっは」
ルネさんはロボットアーマーのマニュピレーターで頭を掻いた。
「私の発明品はどれも最高です。本日悪霊退治があるというお話だったので、昨晩、作ってみたのです」
「え? 昨晩、作った……ばっか?」
「その通り! できたてほやほやの、プロトタイプです! 霊能関係の発明は初めてですが、ちゃんと聖書とお祓い本と悪魔祓いの漫画を斜め読みしてから作りましたぞ!」
え〜!
ちゃんと動くんでしょうね……
時刻は夕方。アタシ達は、廃屋となったデカい建物の前へとやって来た。今はもう使われなくなった、領主の館だそうだ。
「ここは、かなり昔からの心霊スポット。ガキの幽霊が出没するらしい」
「ほほぉ……確かにここは居るな、強いのが……」と、左の掌に水晶玉のせてるドロ様。
「ここ最近、この屋敷の近辺で、行方不明で人が消える」
いや、行方不明=人が消えるでしょ。同じ事繰り返して言うの、癖なのかしら、こいつ。
「行方不明者は十三人。誰の仕業かと聞かれれば、限りなく黒に近いのはこの家の幽霊だろう」
「誰も戻って来てないのですか?」と、テオ。
「そうだ。消えた十三人は、農夫や行商人や子供だ。旅の大道芸人もいた。地元の愚民どもの話によると、十三なる者どもは・・・・ ・ ・」
マルタンのアレなしゃべりを聞いていたはずなのに……
声が途切れ、気がつけば、アタシは闇の中に居た。
「ここは……?」
兄さまの声。アタシはお姫様抱っこされたままだ。
だけど、兄さまの姿は見えない。
真の闇の中に居るのだ。
「マルタン? リュカ? クロード?」
近くに居る筈の仲間を呼んでみた。けど、返事がない。人がいる気配すらない。
遠くが、ポッと明るくなる。
そこだけが、不自然に明るい。
日の光に照らされているように。
「何だ?」
アタシを抱く兄さまに、緊張が走る。
「行ってみる?」
「……そうだな。しっかりつかまっていろ、ジャンヌ」
そこは……
春の日に包まれた、お花畑だった。
女の子がいた。
楽しそうに、ちっちゃな手で花冠を編んでいる。
ふわふわでやわらかそうなブラウンの髪、おっきな瞳もブラウン。頬はふっくらしていて、口元も愛らしくって……思わず抱きしめたくなるような美少女! 笑顔がとてもキラキラしている……
《アンヌ! よかった! ここにいたんだ!》
うぉ!
奥の方から駆け寄って来たのは、淡い金髪に緑の瞳、透き通るように白い肌の美少年!
《つーかまえた!》
背後から抱きしめられた女の子が、クスクスと笑う。
『だめよ、ニコラ。もうちょっとでできるのに』
《だめ。もうはなさない……ぼく、アンヌが死んじゃったかと思ったんだ……よかった、アンヌがぶじで……》
『へんな、ニコラ。わたしは、ずーっとここにいたわよ』
「……これ以上、近寄れん」
兄さまの声。
アタシ達は闇の中から、お花畑の二人を見つめた。
出来あがった花冠をニコラの髪に飾り、アンヌが満面の笑顔となる。
『すてきだわ。王子さまみたい』
《ありがと、アンヌ》
ニコラがはにかむように笑い、アンヌの頬にキッスを贈る。
《だいすき、アンヌ》
『わたしも。だーいすき、ニコラ』
きゃいきゃいと明るい声で笑うアンヌ。ニコラは、大切な女の子を抱きしめた。
《はやくおっきくなりたいなあ……そしたら、アンヌをおよめさんにできる……ずっといっしょにいられる……》
『わたしも。ずっとずーっと、ニコラといっしょがいい』
「……まるで……」
ポツンと兄さまがつぶやいた。
「兄さま?」
「いや……昔を思い出しただけだ」
《アンヌ。鬼ごっこしよう。アンヌが鬼だよ》
『また、わたしが鬼? ずるいわ、ニコラ』
《ぼくをつかまえて、アンヌ。ほっぺにキスしてよ》
笑いながら、ニコラはアンヌから離れた。
その瞬間。
アンヌが、フッと消える。
蝋燭の火が消えるかのように、一瞬で。
《アン……ヌ?》
ニコラが、お花畑を見渡す。
けれども、何処にも女の子の姿はなくて……
《いやだ……アンヌ……また……。どこ? アンヌ? アンヌ!》
目に涙を浮かべたニコラが、必死に恋人を探す……
そして、その緑の目が、ゆっくりと……
こちらを向いた。
《おまえ……たちか?》
アタシ達を見つめ、ニコラが子供のものとは思えない、恐ろしげな声を漏らす。
《おまえたちが……ぼくのアンヌをさらったんだな……?》
突風を感じた。
兄さまがアタシをお姫様抱っこしたまま半身になり、上体を覆いかぶせてくる。
風が痛い!
ごぉごぉ唸る風に押され、アタシを抱えままの兄さまが、吹き飛ばされそうになる。
「あ?」
唐突に、肌に風を感じなくなった。嵐のような風の音は、途絶えていないのに。
「すまん、ジャンヌ……遅れた」
兄さまが体を起こす。
「闘気で全身を覆った。これしきの風ならば、気の力で防げる……」
そんな事ができるの? 格闘家って? すごいっ、超能力者みたい!
「ニコラ……おまえのアンヌをさらったのは、俺たちじゃない……」
《うそだ! 返せ! ボクのアンヌを返せ!》
ニコラが花冠ごと頭を押さえる。まるで頭痛をこらえるかのように。
《アンヌ……アンヌ……》
兄さまが、風の中心に向かって歩き出す。
ポタッとあたたかなものが、頬に落ちてきた……
兄さまから……
「兄さま、怪我してるの?」
「……かすり傷だ」
声まで苦しそう。
「下ろして」
「だめだ。離れたら、闘気で守れなくなる……俺にぴったりくっついていてくれ……」
だけど、アタシを抱えてたら、両手が使えないじゃない! ああああ、せめておんぶにしてもらんだった!
アタシは、風を操る子供を見つめた。
全身が真っ白になってる。
髪も、顔も、体も、全てが白く半透明だ。
幽霊……?
……マルタンが言っていた悪霊って、この子なの?
アタシと兄さまは、この子にさらわれたわけ?
他の行方不明の人は……
もしかして、この子に襲われて、それで……
左手に『悪霊から守るくん』を装備した。腰には『悪霊あっちいけ棒』もある。
でも……
大切な人を失って泣いている子を追い払うだなんて……
嫌だ。
そんなの、勇者として間違ってる。
「聞いて、ニコラくん! ほんとに、アタシ達は何もしてないわ! アンヌちゃんをさらったりしていない!」
《うそだ! さっきまでここにいたんだ! おまえたちがさらったんだろ? ぼくのアンヌを返せ!》
風の勢いが増す。
《早く返せよ! アンヌは泣きむしなんだ! ひとりぼっちになったら、泣いちゃうよ! あの子を泣かせるヤツは、ぼくがゆるさない!》
「くっ……」
バランスを崩しかけた兄さまが、がくっと片膝をつく。なのに、それでもアタシを離さない。しっかり抱えている。
闘気って、どれぐらい攻撃が防げるの? 怪我はひどいの? 血が、また……
「やめて、ニコラくん! アタシの大事な兄さまを傷つけないで!」
《だいじな兄さま……?》
「そうよ。大切なたった一人の人よ!」
義理の兄だもん。
「あなたが、アンヌちゃんが泣いたら悲しいのといっしょよ。アタシも、兄さまが傷ついたら悲しいわ。おねがい、やめて!」
《いっしょ……?》
ニコラが頭をおさえる。
《……おねーちゃんが、アンヌをかくしたんじゃないの?》
「違うわ」
《じゃあ……アンヌは、どこ……? ぼく、ずっとアンヌをさがしてるんだ……ずっと、ずっと……》
風が止んだ。
「くっ……」
兄さまが、気合いを入れて立ちあがる。
「兄さま、もういいわ。下ろして」
「……大丈夫だ。気力は充実している……」
しぼりだすような声。息が乱れている……
《……会いたいよ……ちゃんといい子にしてるのに……おとうさまと、おかあさまのいいつけを守って……いたずらもしないで……ずっとおうちにいるのに……どうして……会えないの……?》
「探してやるぞ、ニコラ。おまえのアンヌを……」
ゆっくりとゆっくりと、兄さまが白い幽霊を目指して歩いてゆく。
「……だから、泣くな」
しっかりつかまれとアタシに囁いてから、兄さまは左腕一本でアタシを抱えた。
そして、空いた右手をお花畑に残された子供へと……
「気持は……わかる。ジャンヌと離れ離れになって、俺も寂しかった……。だが、泣いては駄目だ。おまえの涙を知れば、アンヌが悲しむぞ」
《おにーちゃん……》
白い幽霊が、兄さまを見上げる。
「来い……ニコラ。メソメソするな……男だろ?」
左腕で涙を急いでぬぐい、ニコラが兄さまを睨みつける。『泣いてなんかいない!』と叫ぶかのように。
けれども……
黒い風が、アタシと兄さまを突き飛ばす。
宙を舞った感覚の後、衝撃を感じた。
突風で押し倒されたんだ。
アタシ、兄さまを下敷きにしてしまってる?
暗くてよく見えない。
「兄さま! 大丈夫?」
「……だい、じょうぶ、だ……」
体の下から声がする。
全然、大丈夫じゃない! その声!
腰に差していた、ルネさんの発明品『悪霊あっちいけ棒』を抜いた。
ニコラは、日の光が差すお花畑にたたずんでいた。
けれども、そこはもうお花畑じゃない。全ての花々は黒ずみ、半透明となった。黒い靄のように、足元からニコラを包み込んでいく。
白い髪を飾る花冠までもが、黒く変わっている。ニコラの頭に絡みつくそれは、まるでとぐろを巻く蛇だ。
その黒い靄に『悪霊あっちいけ棒』を向けた。
振りまわして、あっちこっちに杖の先端を向けてみる。
でも、靄の勢いは衰えない。ニコラの全身が、ぶわっと包み込まれてしまった。
ルネさぁぁ〜ん!
効いてないわよ、『悪霊あっちいけ棒』!
失敗作ぅ?
風圧を感じる。
ニコラから広がる風が、徐々に強くなってくる。
『悪霊から守るくん』は、装備してるけど……こっちも失敗作な気がひしひしと……
くぅぅ。
でも、引けない。
アタシはしっかりと膝をつき、風に向かって両手を広げた。兄さまは怪我をしていて、動けない。
今度は、アタシの番。
兄さまは、アタシが守る!
「儚キ夢幻ヨリ舞イ堕リシ天獄陣!」
突然、前方から、まばゆい光が広がった。
悲鳴とも怒声とも獣の咆哮ともつかぬ声が耳をつんざき、風は止んだ。
眩しすぎてまともに見られなかったけど、頭上から光の筋が降って来てたような……
さっきまでお花畑があった所には、丸い大岩のようなものが転がっていた。その真黒な塊に、光の矢が何十本も突き刺さっていた。
「暁ヲ統ベル至高神ノ聖慈掌・漆式!」
アタシの背後に、キラキラと光が広がる。
肩ごしに振り返ってみた。兄さまは、淡い光に包まれている。
血だらけだ……額がパックリ割れていて、カツラも服もボロボロ。どこもかしこも血に染まっている。
やっぱ、ぜんぜん『大丈夫』じゃなかった……バカ。
その傷が見る見る塞がってゆく。血は消えなかったけど、血行がどんどんよくなって、顔に生気がみなぎってくる。
回復魔法だったのね、さっきの。……何いってんのか意味不明すぎたけど。
顔を前に戻すと、光を放つ男性が居た。
一人だ。
何やらポーズをとっている。
まぶしすぎてよく見えないけど……両手を交差させてる? 手の甲の五芒星マークが光っているような……
あああああ、マルタン!
あなたに逢えて喜ぶ日が来るなんて!
「誘拐、監禁、暴行、殺人未遂の現行犯だ。内なる俺の霊魂が、マッハで、きさまの罪を言い渡す」
全身からまばゆい光を発する使徒様が、右手を前につきだし、親指をビシッと突き立てる。
そんでもって、ククク・・・と笑いながら、手首をゆっくりひねって親指を下に向ける。
「有罪! 浄霊する!」
え?
ちょっと待って。
慈悲は?
浄霊すると消えちゃうんでしょ?
先に、忠告するんじゃなかったの? 自ら昇天しろって。
あんた、そう言ったじゃない!
「だめぇぇ!」
慌てて駆け出した。
「その死をもって、己が罪業を償え・・・終焉ノ滅ビヲ迎エシ神覇ノ贖焔!」
僧侶姿の使徒から光が一気にふくれ上がり、どデカい白光の玉と化してゆく。
アタシは両手を広げ、マルタンとニコラの間に入ろうと無我夢中で駆け出した。
「ククク・・・あばよ」
使徒が呟くと同時に、強大な浄化魔法の奔流が迫ってきた。
浄化魔法の光が、間に合わなかったアタシと、ニコラを包みこんでゆく。
庇えると思ったわけじゃない。
だけど、嫌だ。
この子を逝かせたくない。
あんなに恋人に会いたがっていたのに……
このまま消えちゃうなんて、可哀そうすぎる!
胸がキュンキュンした。
心の中でリンゴ〜ンと鐘が鳴る。
欠けていたものが、ほんの少し埋まっていく、あの感覚がした。
《あと八十八〜 おっけぇ?》
と、内側から神様の声がした。
周囲から光も闇も消える……
気がつけば、アタシは、夕日が窓から漏れ入る薄暗い部屋に居た。両手を広げて、たたずんで。
埃まみれの荒れた部屋だ。
もと領主の館っていう、あの廃墟の中?
《ごめんなさい……》
その声にハッとして、振り返った。
床に倒れている兄さま。傷は塞がったみたいだけど、大量の血に染まった髪も皮膚も服もぜんぶ痛々しい……
その横に、小さな白い男の子が座っている。
ポロポロと白い涙をこぼし、兄さまに頭を下げて。
《ぼく……こんなことするつもりじゃ……だけど、止まらなくて……ごめんなさい、おにーちゃん……》
薄目を開けた兄さまが、ニコラを手招きした。
ニコラが顔を近づけると、兄さまの大きな手がニコラの頭へ。
「……泣くな。男が泣いていいのは……愛しい女と結ばれた時だけだ」
兄さまの手が、白い髪をポンポンと撫でる……
白い幽霊は顔をくしゃっと歪め、
《ごめ……ありが、と……おにーちゃん》
うわーんと声をあげて、兄さまに抱きついた。
その背を、兄さまが優しく撫でる。
アタシまで、もらい涙。
兄さま、格好いいわ。
ニコラの本当のお兄さんみたい。
ほろっとしちゃう。
「良かったわ、ニコラが無事で」
「ちっとも、まったく、これっぽっちも、良くなどないぞ、愚か者」
ちょ〜不機嫌そうな声がした。
顎をつきだし両腕を組んだ尊大なポーズで、神の使徒がアタシを見下ろしていた。
「クッ、いっせいに、こぞって、景気よく、悪霊どもを全て昇天させたかったのだが・・・」
使徒様がギン! と眼光を放つ。
「きさまのせいで、そのガキを浄化しそこねた。一番、やっかいな悪霊を仲間にひきこみおって・・・」
う。
すごい凶悪な顔つき。
「邪悪を味方にする勇者なぞ、邪悪も同じ。光の加護を受ける俺にとっては、許し難い存在だ・・・」
背筋がぞくっとした。
殺気?
使徒様からビンビンに感じるこの張り詰めた気は、もしかして、もしかすると……
……一難去ってまた一難って感じ……?