死霊王の国で
目覚めたら、不気味な空が見えた。雲ひとつない空は、紫色に濁っているのだ。
変な空だと思っていると、
《おはよー ジャンヌ》
赤い毛の塊が、アタシの視界を覆った。
口から鼻のあたりだけが白みがかっている。もこもこの毛皮、つぶらな黒い瞳、小さなお鼻、小さなお口、そして、丸いかわいい……クマ耳。
「ピオさん……」
その横から、同じ顔の白クマが現れる。
《少し顔色がよくなったようじゃなクマー》
「ピロおじーちゃん……」
二匹のぬいぐまを、ハグした。
《よお。『お顔ふき君』でスッキリする? それともお食事にするかい、お姫さま?》
ヴァンの軽口も聞こえる。
《おはようございます、勇者ジャンヌ》
アタシのすぐ横に、ルーチェさんが座っていた。
今日のルーチェさんは、女性形だ。
腰までのロングヘアーは、ちょ〜ド派手。赤、橙、黄、緑、青、藍、紫……七色染めだ。
それに対して、服は地味というか……珍しいことに真っ白なのだ。宗教画そのままのような白い服。
「それ、たしか導き手の制服……よね?」
ルーチェさんは、軽く肩をすくめた。
《ええ。ダサイですが、魔界滞在中はこれでいきます。神聖補正効果がありますので》
やや目尻が下がった緑の目が、スッと細められる。
《光界からのこのお仕着せ、対邪悪にはそれなりに高性能なんですよ。神聖攻撃及び防御25%アップ、存在基盤強化50%アップ……。制服の支援を受ければ、次こそはあなたのお役に立てると思うのですよ》
アタシを見つめ、光精霊がやわらかく微笑む。笑うとできる、えくぼが可愛い。
《あなたが魔界から出界するまでは、還りません。ご一緒します》
「え?」
「でも……ルーチェさんには、導き手のお仕事が、」
《同僚に代わってもらう事にしました》
ルーチェさんが、にっこりと微笑んだ。
《今は、あなたの方が大事ですから》
じわ〜っと涙が浮かんだ。
《『勇者はね、何があっても仲間と共に生きるの』でしたよね? その言葉、お返しします。勇者ジャンヌ。私はあなたの側にいますよ》
ルーチェさんに、抱きついた。
ありがとう……もう、その言葉しか言えなかった。
アタシの頭を、上からポンポンと撫でてくれてるのはヴァンだ。
ピオさんとピロおじーちゃんも、背をさすってくれる。
あんたたち……優しすぎるわ。
ルーチェさんに抱きつきながら……
ラルムのことを、
ピクさんのことを、
ソルのことを、
レイのことを思った。
アタシを庇って四散した精霊たち。
アタシが堕天しないか心配していたラルム。
落ち込んでたアタシを必死に慰めようとしてくれた、ピクさん。
いつもバカやってるけど、いざとなったらアタシのために体を張ってくれるソル。
耳に痛い真実を皮肉まじりに教えてくれたレイ。
アタシがバカだったせいで、みんなは……。
ごめんなさい……。
《主人が嘆き悲しんでばかりでは、四散した精霊が浮かばれぬ。四散損である。我ら精霊を大切に思われるなら、勇者としての生をまっとうされよ》
レイの言葉を思い出した。
もとの世界に還らなきゃいけない……
ぜったい還らなきゃ。
あらためて、そう思った。
ヴァンは空中浮遊と短距離の移動魔法で、風結界ごとアタシを運んでいる。
風の精霊は風から風に渡れる。けれど、跳べるのは、行った事のある場所か知覚できる範囲のみ。
《悪いな。魔界はオレも初めてで、ね》
初めての場所なので、遠くまでは跳べないのだそうだ。
少しづつ少しづつ、アタシは北へと近づいて行った。
生きているものなどいない荒野を、ひたすら進んで。
移動中、食事もした。
荷物の中に非常用食料が入ってたし……
エドモンからのおすそわけもあった。亀女神さまからの贈り物。賞味期限三日の果実。食べちゃわないと。
袋から取り出すと、赤かったはずの皮が赤褐色になっていた。鮮度が落ちたっぽい。
けど、皮をむいて出てきた実は、白くてぷるるんとしてて、いい匂いがして……変わらず美味しそうだった。
果実を口に含むと、それだけで、体がカーッときた。不味かった口の中が爽やかになり、だるかった体に活力がみなぎる。
《さすが神の食事ですね》
ルーチェさんは感心し、それから眉をひそめ周囲を見渡した。とっても不快そうな顔で。
《瘴気に満ちたこの世界では、腐敗も早い。食べ物は、全て私の光結界の中に入れておきましょう》
で、透明な箱を幾つか作ってくれた。
英雄世界の、タッパーとかいう密閉容器そっくりだ。
《この中に入れておけば、これ以上、鮮度は落ちません。神の食事は、まあ、どうあっても神聖さが減じてゆきますが……五日ぐらいなら奇跡をキープできると思います。疲れた時、神の食事を少し口にするようにしてください》
おなかがくちたら、ちょっとだけ元気が戻った。
北の魔界貴族を頼れと、マルタンは言った。
いや、『眼帯に会え』だったっけか。
『萌えろ。無理なら、決して叶わぬ望みを言え・・心からそれを望め・・それであいつを無力化できる』
使徒様の言うことは、いつもわけわかんない。
てか、名前教えとけよ。『眼帯』なんてあだ名じゃなくてさ。なんて名前の貴族を頼ればいいのよ。
っとに、バカでマイペースではた迷惑で……
マルタンの神聖魔法のせいで、レイが……
………
ちがう。
そうじゃない。
マルタンは悪くない。
魔界に堕ちたのも、マルタンを呼んだのも、アタシ。
全部アタシのせい。
あいつは、アタシのピンチに駆けつけてくれただけだ。
『俺が迎えに行く』
あいつは、そう言った。
それまで邪悪に堕ちず待っていろ、と。
胸がキュンキュンした……
してしまった……
ほんとに、もう……今のアタシはどうかしている。
あの使徒様に早く会いたい。
ほんのちょっとだけど、そんなこと思ったりしてる。
おかしすぎ。
魔界が寂しすぎる所だからだ。荒れ果てた荒野を見ながら、そう思った。
たまに、スケルトンやらゾンビやら不死生物が襲いかかってきた。
けど、ピオさんやピロおじーちゃんの敵じゃなかった。
《まっかせて! 世界の平和とジャンヌはクマクマ8が守るから!》
《ホッホッホ。今はクマクマ4どころか、クマクマ2じゃがなクマー。ヴァンもルーチェも人型じゃて》
《ピロおじーちゃん。今こそ、クマ力を見せよう。2人ユニット、クマクマDUOを新結成! 歌って踊れるアイドル戦士をめざさない?》
《ふむふむ。おもしろそうじゃなクマー》
《ラブリーさで、ジャンヌをキュンキュンさせちゃお。かわいいは正義だよ♪》
とことん明るいピオさんと、のほほんとしたピロおじーちゃん。
風結界の中でダンスの練習をする二体を見てると、心が和んだ。
そんなこんなで旅は続き……
アタシは、また、死霊王に出会ったのだ。
魔界の空には太陽が無く、昼も夜もない。
不気味な色の空は、紫から、ピンクになり、黄色、灰、緑にとコロコロと変わってゆくだけ。
どれほど時間が経ったのかはわからない。
たぶん別れてから二日ぐらい……だと思う。二回、寝たから。
《それ以上進んだら、死ぬよ》
そう言って、アタシたちの前に舞い降りたのは、死霊王ベティだった。
少なくとも、頭は。
ブラジャーすらしてない大きな胸をぷるんぷるん揺らし、グヒヒと笑うそれは……両手が翼、下半身が鳥の姿をしていた。
《下はハーピーだ。ハーピーに自分の首をくっつけたんだな》
内緒話をしてきたのは、ヴァンだ。
言われてみれば、死霊王の首の周りには縫い合わせたような痕がある。
自分も改造しちゃうのか……とことんイカレた奴だ。
赤と白のクマさんが、アタシの中にスッと入って来る。
人型のルーチェさんとヴァンが、アタシを背にかばってくれる。
「なんか用?」
左手を『歴代勇者のサイン帳』にあてながら、睨んでやった。
「とっとと帰ってくんない? マルタン、けしかけるわよ」
《やれるもんならやってみせな》
魔族はゲヒヒと笑う。
《クサレ僧侶を降ろしたら、だいじなだいじなクマちゃんが四散しちまうよ。あと四匹しか居ないってのに、できんのかい?》
ぐ。
「……聞いてたのね、アタシたちの会話」
《ここはあたしの領土だからね。こん中じゃ、あたしが一番強い。なんでも、見通せるよ》
ハーピーが、デッカイ胸をそらせる。たっぷんたっぷんの生の胸が揺れ動く。
《ちょいと、お話しないかい、勇者さま》
「話すことなんてない。あんたの道化も家来も、お断りよ」
《ああ……》
魔族が、ウヒヒヒヒヒと笑う。
《悪かった。このまえのアレは無しにしようや》
ん?
《あんたと出会えて、あたしゃ、ガラにもなく舞い上がってたのさ。許しておくれよ。首をちょんぎりたくなったのだって、ず〜っとあんたを側に置いときたかったから。『愛』なんだよ、『愛』》
「いらないわよ、そんな愛」
《そうだろうとも。せっかちはやめにしたよ》
白粉で真っ白な顔が、イヒヒと笑う。
《お友達から始めないかい?》
へ?
《よくよく考えりゃ、ジャンとも最初から仲良しこよしってわけでもなかった。二人の『愛』を育むには時間が必要だよね。あんたといっしょに旅して、苦難を乗り越え、二人の『愛』を育ててみたくなったのさ》
あ……
あからさまに、あやしい!
ていうか! 改造マニアの死霊王のくせに! 『愛』ですってぇ?
口をパクパクさせてるアタシに代わって、ヴァンが尋ねる。
《で? お教えください、死霊王さま。我が主人の為に、どんな友情を示してくださるおつもりで?》
《無事に、サリーのもとへ送ってやるよ。それで、どうだい?》
ハーピーと合体した死霊王が、顎で背後を差す。
《このまんままっすぐ行きゃあ、アタシとサリーの領土の境界だ。けど、あんたらだけで突っ込んだら、ひっどいことになる》
「……どういうこと?」
《言ったはずだ、魔界貴族は争い好きだって。貴族の称号や土地を景品に遊ぶのも、戦争や部下の反乱も、しょっちゅうさ。だから、当然……》
真っ赤な唇が、にたりと笑う。
《国境には、それ相応の備えをしてある。あたしとサリー、それぞれが防衛用に結界を張り巡らせてるし、罠もたっぷり、毒もたっぷり。あたしらの許しのない奴が近づきゃ、血を見るよ。魔王級の奴でもなきゃ、無事に国境を越えられないね》
「じゃあ、このまま行ったら……」
《あんたの大事なクマちゃんは、四散したろうね》
下卑た顔で、死霊王が笑う。
《少なくとも一匹は。悪くすりゃ、三匹ぐらいボンだったろ》
今の、本当?
心の中で質問しても、なかなか返事が返ってこない。
重ねて尋ねると、ピロおじーちゃんがため息まじりに答えた。
《国境が危険であることは、一度、伝えたぞいクマー。このエリア、つまり死霊王の領地に侵入した時に、ソルが大ダメージを受けたとな》
《そのせいでソルは四散しちまったが、どんなもんかはあれでだいたいわかった。同じ轍を踏まないよう慎重に越境するつもりだったんだぜ?》
《問題なく越境できるはずでした。だから、話題にあげなかった……それだけです》
アタシを安全地帯に向かわせるために、内緒で無茶しようとしてたのか……。
アタシは拳を握り締めた。
《気にしすぎちゃダメだよ、ジャンヌ。レイさんも言ってたでしょ、しもべの四散に心を痛めるなって。ボクらはねー ジャンヌを守るために存在してるんだから。ジャンヌのためなら、ぼくらなんだってやるよー》
だけど……
しなくてもいい無茶は、して欲しくない。
《チェッ。こうなるってわかってたから、ないしょにしてたのにぃー》
ピオさんが、アタシの中でブーイングをする。
「教えて。アタシと仲良くなりたいのは……」
一呼吸おいて言葉を続けた。
「もしかして、マルタンをはめるため?」
派手な化粧のハーピーは、ニヤニヤ笑っている。
「あんたたち、なんか因縁があるんでしょ? どっかの世界で、敵同士だったとか?」
《う〜ん……まあ、当たらずとも遠からずかねえ》
「言っとくけど、アタシに人質の価値はないわよ」
きっぱりと言いきってやる。
「あの野郎、邪悪を滅ぼす為なら、平気でアタシを見捨てるから。あたしが犬死したって無問題だ、魔王は俺が倒す、安心してくたばれとか、まえに言いやがったし」
死霊王はプッとふき出し、翼でおなかを抱えてゲヒヒヒヒと爆笑した。
《だよねー 知ってる、知ってる! あいつは、そういう男さ!》
笑いすぎてこぼれた涙を、死霊王は翼で拭いた。
《……だから、楽しいんだけどね》
その笑顔はとても禍々しく……いかにも魔族って感じだった。
《あんな無茶苦茶で、強くって、見境なしの男、めったに居ない。あたしの手でバラバラにして、いい死霊にしたい……そうは思うけどねえ》
死霊王が、アタシを見つめニィィっと笑う。
《今は、あいつよりあんたに興味があるんだ。あんたに好かれたいのさ》
う!
嘘ばっか!
黒のアイシャドウとアイライナー、長いまつげの青い目が、瞬きすら惜しむかのようにアタシを凝っと見つめる……
真っ赤な口に、親しげな笑みを浮かべて。
無駄だから!
そんな熱っぽい目で見ても、騙されないわよ、アタシは!
あんた、ぜったいなんかたくらんでるでしょ!
「もっかいあらためて聞く……あんた、ほんとーにジパング界って知らない?」
《知らないよ》
「カガミ一族は?」
《さあ? 聞いたこともないね》
ほんとのほんとに?
こいつが、カガミ マサタカ先輩の仇じゃないんなら……
ほんのちょっとの間だけなら、手を結んでもいいかもしれない。
もちろん信用なんかしないけど……
こいつの力があれば、国境を越えて、『眼帯』? サリー? って奴の所へ辿りつける。
マルタンと再会するまで、こいつを利用してやる。
《黒いねー ジャンヌ。ジャンヌのが悪みたいー》
赤クマさんの、ほんわかした声が心の中に響く。
いいのよ、こいつは魔族なんだから!




