重なる世界
《みなちゃん、注目ぅ〜 こちらが人間でも使用可能な修行場でしゅ〜》
移動した先も、さっきと同じような空間だ。
一面の白い雲。それ以外なにもないひらけた場所だった。
《修行希望者は、賢者ちゃんを除く五人。それで、よろちいでちゅか?》
オムツ天使のキューちゃんは、ちっちゃな翼でパタパタ宙に浮かんでいる。
質問されたのは、キューちゃんの横に立っている人で……。
「そうだ、私の鍛錬は必要ない。賢者は勇者の戦いの見届け役。直接、戦闘をすることはないゆえ」
《んじゃ、賢者ちゃんは、キューちゃんといっしょにみなちゃんの修行を見学ちまちょう。五人をいっぺんに覗ける、神の目モードを発動してあげましゅね〜》
「すまぬな、キュービー殿。ご厄介になる」
《いえいえ〜ん。これもお仕事でちゅから〜》
お師匠様のすみれ色の瞳が、赤ちゃん天使を凝っと見ている……その一挙一動を見逃すまいとするかのように。
《最初に断っておきまちゅねー ここの修行場では、どんな目に合っても死ぬことだけはありまちぇんのでご安心くらちゃい。使用者が死にかけると、時間凝固機能が働くんでちゅよ。死に至る一歩手前の状態で修行は強制終了、治癒の流れとなりまちゅ〜》
「なるほど。二十四代目フランシスの書の通りだな」
《二十四代目勇者フランシスちゃん? あ〜 あなたがた、あの子の後輩でちたっけ。なちゅかちいなあ》
そのまま二十四代目勇者の話に、花を咲かせる二人……。
お師匠様の口角があがってる……ほんの、ほんの、ほんのちょっとだけど……頬もゆるんでるわ……表情筋を動かしてる……。
「ねえ、ジャンヌ。賢者さま、すっごく機嫌いいよね?」
アタシの後ろにいる奴が、こそこそと話しかけてくる。
「笑ってるもん」
……あんたの目にも、そう見えるのか。
「賢者様が? いつ? 気のせいではないのかい、クロード君」と、シャルル様。
「私には、いつも通りに見受けられるがね」
うん。普通の人にはわからないと思う。本当に微かな変化だもん。だけど、明らかに……
「はひ! あ、あの、でも、なんとなくでしゅね、」
クロードが、舌を噛み、どもりだす。シャルル様への苦手意識は、まだ抜けてないようだ。
「雰囲気が、いつもよりほわ〜っとして……ません?」
「ああ……言われてみれば、そうですね」と、裸戦士の人がクロードに同意する。
「神の器となれる尊い方です。天界を訪問できたことを喜んでおられるのでは?」
……むぅぅ。
見つめ合う、キューちゃんとお師匠様……なんだか、見てるとモヤモヤしてくる。
《ちゅみまちぇん。脱線ちてちまいました〜》
てへ★ぺろをしてから、キューちゃんは修行場の説明を再開した。
《みなちゃんには、ここで個別の修行をちてもらいまちゅ〜》
「個別? PT戦じゃなくて?」と、アタシ。
《PT戦がご希望ならそれでも構いまちぇん。が、みなちゃんの戦闘力はバラバラでちゅし〜 弱点克服とか、長所強化とかー それぞれがそれぞれの目的をたてて修行ちた方が、全体のレベルアップになると思いまちゅよ〜》
なるほど。
《この修行場には、何億も修行場が登録されてまちゅ。平地、市街地、建物の中、山、川、海、なんでもありでしゅ。ステージの天候や昼夜の指定も可能でしゅー》
好きな舞台を整えて戦えるようだ。
《出現させられる仮想敵も豊富でしゅ。な〜んもしてこないカカシ、ただの村人、冒険初心者向けのスライムやゾンビ、野生の狼、人間の英雄、大悪魔、魔王……何千億の中から選べまちゅ〜 出現数も自分で決められましゅよ〜》
自分で細かい指定をしてもよし。
けれども、めんどうなら『おまかせ機能』を使うといいと、キューちゃんは言う。
《難易度だけ決めてくらしゃい。あとは、使用者の戦闘能力を測定して〜 修行場はランダムで〜 仮想敵が勝手に出現してきましゅから〜》
イージーを選べば、大量に湧く弱っちい敵をザクザク倒す無双モードになって、
ノーマルは、実力伯仲の敵との接戦(一対一の場合もあるし、複数敵の場合もある)、
ハードは、勝機10%以下のマゾ・モードになるそうで。
《出現敵を全滅させるか、使用者が戦闘不能になったら、修行はいったん終了でちゅ。賢者ちゃんとキューちゃんのとこにもどって来てもらいまちゅね》
キューちゃんがしもぶくれのお顔を、かしげる。
《説明はこんなもんでちゅかね〜 なにか質問はありまちゅか?》
「魔法を使用しても良いのかね?」と、シャルル様。
《もちろんでちゅよ。もてる力は何でも使ってくらちゃい。精霊でも魔法道具でも神聖武器でも〜》
つづいてアランが挙手をする。
「ここで全員が修行をするのですか?」
《そうでちゅよ》
「一人あたりの修行場の広さを教えてください。各自の修行場の端は、それとわかる感じに見えるんですか?」
《端なんてありまちぇんよ。修行場は、山なら山、海なら海に見合うスペースとなりまちゅから》
「しかし、それでは……」
アランが周囲を見渡す。白雲だけの世界が、前後左右どこまでも続いている。
「この修行場は確かに広大ですが、全員が山や海などの広域な場所を設定した場合、おさまりきらないと思うのですが……」
キューちゃんは、きょとんと目を丸め、それからポンと手を叩いた。
《全員が広いスペースをとったら、隣とぶつかっちゃうとご心配なのでしゅね?》
頷くアランに、キューちゃんが明るい笑顔を見せる。
《大暴れしても、他の人の邪魔にはなりまちぇん。修行場は多層構造でしゅから〜》
「多層?」
《わかりやすくモデルをお見せしまちょう》
キューちゃんの目の前の宙に、ミニ白雲が一つ浮かぶ。
《これが今の状態です〜 で、》
ミニ雲の上に二つ下に二つ、まったく同じ形の雲が五つ縦に並んでいる。
《これがみなちゃま五人が、修行してる状態でちゅ。キューちゃんが、みなちゃまを、それぞれ別の次元に連れて行きまちゅから、それぞれが好き勝手やって大丈夫なんでしゅよ》
む?
《並行世界って言葉をご存じでちゅか?》
首を傾げるアランの代わりに、アタシが答える。
「聞いたことはあるわ」
テオ先生が前に言ってたわ。えっと……
「同一次元の別世界、よく似ているけど、そっくりそのままじゃない世界なんでしょ」
《その理解でだいたいあってまちゅ〜 あなた方は縦横高さの三次元でしか空間を認知できまちぇん。が、あなた方よりも高等な存在である天使は、違う側面から空間をとらえられまちゅし、分岐した並行世界をつくることも可能なのでちゅ〜》
「これが並行世界のモデル?」
《わかりやちゅく縦に並べまちた。が、別に縦でなくてもいいんでちゅ》
キューちゃんが、一番上の雲にぷすっと指をさし、そのまんま次の雲まで貫き通す。
《キューちゃんは天使でちゅから、上から下まで自由に移動できまちゅち、全ての雲の上で同時に存在できまちゅ。だけど、ジャンヌちゃんたち三次元生命体は、どっか一箇所にしか居られませんし、自分の力では他の次元に移動できまちぇん》
「どうして?」
《そーいうものなんでちゅ。ある雲の上に配置されたら、その上でしか生きられない……それが人間なんでしゅ。次元を越えてよそに行きたかったら、自分よりも高位な存在の助力を借りればいいんでしゅ。神さまとか、天使とか、魔族とか、竜とか〜》
竜?
デ・ルドリウ様?
《天界に来る時に使った魔法陣、あれは、あなた方の世界の神さまの威光で成り立ってましゅ。神さまのつくった……まあ、階段みたいなものでしゅね》
「教え導きください!」
クロードが、手を挙げる。
「神さまや天使さま、それに魔族も、次元を越える存在って、なんとなくわかります。高位の精神的存在ですから! だけど、竜には肉体がありますよね? 物質生命体でも次元を越えられるんですか?」
ふ〜 やれやれって感じにキューちゃんが頭を振る。
《精神生命体か物質生命体かは関係ありましぇん。それが次元的にどう存在するかが問題なんでちゅ》
「えっと?」
《あなた、精霊支配者でしゅよね? あなたの精霊、次元の壁を越えられましゅか?》
「あ」
クロードがハッと目を見開く。
「越えられません!」
精霊は各々、司るものに絶大な力を持っている。たった一体で、山をも崩し、湖を干上がらせ、百万の軍隊を一瞬で倒すとか何とか。
だけど、自力では次元の壁を越えることができない。
だから、精霊界の精霊は、すすんで異世界の精霊支配者のしもべになる。
「つまり、精霊もボクら人間といっしょ。次元に縛られる単一次元の生命体ということですね?」
《ちょ〜でちゅ。ついでに言うと、神の目とは……こ〜んな感じでしゅ》
指を抜き、キューちゃんは視線を動かす。重なった白雲の上から下へと。
《神さまの目は、複数の世界を常にいっぺんに見渡せるんでしゅよ》
へー
《多層的な世界をご覧になって、時には並行世界をつくり、時には統合し、時には別世界に進化させ、神さまは支配世界の均衡を保っていらっしゃるのでしゅ〜》
「だいたい、わかりました!」
クロードが腰を折って、いきおいよく頭を下げた。
「ご教示ありがとうございます、使徒様!」
こら。
キューちゃんは、マルタンじゃないっての。
クロードの目には、天使はまだマルタンに見えてるのか……
クロードの目には……。
見ないようにしても、どうしても目がお師匠様を追ってしまう。
お師匠様には、キューちゃんはどんな風に見えているんだろう。
そればかりが、気になって……。
やっぱり、白竜マルヴィナの姿なんだろうか。
『勇者の書 96――シメオン』で、お師匠様はマルヴィナをベタ誉めだった。
新雪のように輝いていた、白竜マルヴィナ。
まだ年若かった彼女は、おっとりとしていて、控えめで……
人型は、清楚な美少女だったらしい。
やわらかな白金の巻き毛、ふんわりとした白いドレスに身を包んだ彼女は、とにかく可愛らしかったみたい。幼さの残る顔だちで、いつもニコニコ微笑んでいたのだそうだ。
『天上の音楽が奏でられているようだ。やわらかなその声を耳にするだけで、心が癒される。あたたかな彼女の人柄が、そのまま声に表れているのか』。
なんか胸が痛い。
ずっとチクチクしてる……。
* * * * * *
ブルーな気分で始めた修行は……
成果までブルーだった。
天界神さまを信仰し、長老神さまからも助力を得たアタシ。
どんだけ強くなったのか、わくわくしてたのに……
場所は平地、敵はカカシで修行スタート。
決して壊れることのないただつっ立つってるだけのカカシ相手に、いろいろやってみたんだけど……
カカシを剣で斬ろうが、ぶん殴ろうが、蹴っ飛ばそうが、特にどうということもなく。
追加効果特になし。
魔法が使えるようになったわけでもない。
一撃のダメージ値は、素手なら1000程度。
オニキリで10万ダメージぐらい。
不死鳥の剣で1万いくかいかないか。
……ぜんぜん強くなった気がしないのだ。
カカシとの戦闘訓練を中断し、精霊たちを呼び出して、意見・助言をもらうことにした。
紫クマさんが言うには、アタシは『強くはなっている』らしい。
《吾輩が測定したところ、膂力、脚力、俊敏さ、あらゆる能力が向上してはいる。全て、1〜3%程度であるが》
たったの1〜3%のブースト? と、ショックを受けたら、白クマさんがホホホと笑った。
《平時の加護はその程度、真の加護は実戦のみ。という可能性もあるクマー》
ならいいけど。
緑クマさんがニコニコ笑う。
《加護に発動条件があるのかもよ? そーいうのよくあるんだぜ、オジョーチャン。満月が出てる間だけとかー 三日間水だけを飲んだらとかー 逆立ちしてる間だけとかー》
……ヴァン、この事態を楽しんでない?
て、ゆーか、戦闘中に逆立ちとか無理だから!
《普通に戦ってください》
と、虹クマさん。珍しく導き手のお仕事はお休みみたいだ。今日の虹クマさんは、天使ファッション。体だけじゃなく、輪っかも翼も虹色だ。
《加護発動のタイミングは、私達がチェックします。場所、時間、状況等々……要因を特定したいものですね》
《でもー でもでもでもー もらった加護がー 戦闘向けともかぎらないよねー》
赤クマさん……不吉なこと言うのやめて。
《神さまの加護って、いっぱいあるもん。交通安全、学業成就、無病息災、恋愛成就、家内安全、商売繁盛……》
やめてぇぇぇ!
アタシは魔王と戦う戦闘力が欲しいんだってば!
《ジャンヌ。修行がんばっで。ケガしたら、おらがすぐに直すがらね》
ありがとう、黒クマさん……純粋な応援が嬉しい。
………
そーいえば、心配性のお母さんが静かね。
すごい顔で睨むようにアタシを見てるんだけど、しゃべらない。
……なんか、不気味。
《不気味だなんて……あああ、水精霊ばかりにずるい……》
黄色クマさんが、ハアハアあえいでる。
……ずるい?
《女王さま。水精霊に『黙れ』とご命じになられたでしょう? 何時間にもわたる沈黙強制プレイ……主人に言いたいことも言えず、一方的に『不気味』『虫けら』『ハゲ』とののしられ続ける甘美な時間……あああ、エスエフ界での甘美なプレイをもう一度。ワタクシは女王さまのお心の片隅にも置いていただけず、連続で》
やかましい! 『虫けら』や『ハゲ』なんて、今はカケラも思ってないでしょ! 貴様こそ黙れ、ソル!
えっと……
むっつりとした顔の水精霊の前で、両手を合わせた。
ごめんね、ラルム。
言いたいことあったら、普通にしゃべっていいわよ。
《……私に『黙れ』と命じたのを忘れていましたね?》
ごめん! 許して!
《別に怒ってはいません。あなたの知能が低いことも、記憶力に欠けることも、よく承知していますから》
う。
《ですが、野放しにしていては、愚かなあなたは失敗ばかりを重ねる……心配なのです。百一代目勇者様、私という優れた精霊を常に側に置いてください。この私の的確な助言を常に聞き入れ、不用意な行動を控え、少しでも寿命を、》
くぅぅ……黙らせ続けたのは失敗だった……いつもの倍、ウザイ……。
みんなからいろんなアイデア出してもらって、いろんな場所、時間、状況で、さまざまな敵と戦ったみたんだけど……劇的に強くなることもなく……
神さまからもらった加護がなんだかわからないまま、天界一日目は終了した。
修行は残念な形で終わったものの、思いもかけぬ成果はあった。
天界を訪れた人間の今は、天界の神々の間に実況中継される。
なので、修行に励むアタシたちの姿も放送され……勇者一行にモテ期が到来したのだ。
本日の修行を終えたアタシたちは、何処からともなく現れた神々に取り囲まれた。
《あン、もぉ、あたし、シビレちゃった〜》
《気に入ったぞ、若造……》
《のぉ、魔王戦の後で構わぬ。ワシの世界に転生せい。寵愛するぞ》
ダントツのモテ男は、アランだった。
アランは、最初から最後まで『魔王』と対戦した。
魔力を斬れる魔法剣を持っているとはいえ、一切魔法が使えない蛮族戦士が、だ。剣一本で『魔王』に挑み続けるんだもん、そりゃあ格好いいわ。瀕死の重傷を負って敗れても、不屈の意志で立ち上がり、再戦。作戦を練り、戦闘方法を変え、少しづつ与ダメを増やし、勝利に近づいてゆくわけで……
女神さまたちがキュンキュンするのもわかるわ〜
神さまってのは、『英雄』が好きだし。
《見たところ、おぬし、星回りがよくない。逆子で死んで産まれたのであろう? その後も、不幸続き……。このような英雄を冷遇とは……おぬしの世界の神は愚かじゃ。見る目が無さ過ぎる》
自分の世界に来いと誘う女神さまたちに、裸戦士は礼儀正しく返答をしていた。
「俺などを過分に評価していただき、まことにありがとうございます。しかし、国には年老いた両親も居ります。家族を捨て、他の世界へ行くことなどできません。それに……たしかに俺の人生は不幸続きでしたが、勇者ジャンヌ様と出会ったことで運気は上昇しつつあります。これからも降りかかる試練と誠実に向かい合い、一つ一つを乗り越えてゆき、勇者ジャンヌ様に恩義をお返ししていくつもりです」
ちょっとキュンキュンした。
もちろん、ちょっとだけど!
いい奴だと思うわ、アラン。ハンサムだし。惚れ惚れするような肉体美だし。
だけど、裸なのよ! それに……女神さま方に向ける視線が低いのよぉぉ! しゃがんで話しかける感じ?……ぜったい、女神さま方を、五〜六才の幼女サイズで見てると思う!
「今日の修行で、強大な魔と戦う手ごたえを得ました。明日からは、実戦レベルの修行をします。一撃必殺。一太刀で魔王に最大ダメージを与えられる、渾身の必殺剣を会得したいと思います」
女神様たちから拍手がわきおこる。
格好いいわ、アラン……幼児好きの、裸戦士でなければなあ……。
次にモテモテなのは、エドモンだ。
亀、猫、蛇の女神さまに加え、鷲、烏、ワニ、虎、象、山犬……動物型の神さまによるハーレムはますます充実していた。
エドモンは弱点克服の修行をしていたそうだ。けど、具体的に何をやっていたのかは、無口な彼は教えてくれなかった。
二人に比べれば数は少ないけど、シャルル様やクロードのもとにも女神さまたちがチラホラ。
シャルル様は『おまかせ機能』のノーマル・モードで連勝を続け、
クロードはカカシ相手に複合魔法の練習をしていたそうで。
出逢った記念にと、意中の人に聖なるアイテムをプレゼントしてくれる気前のいい神さまも居て……
天界初日は、なかなかの大成果に終わった。




