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きゅんきゅんハニー  作者: 松宮星
神の掌の上で
131/236

◆神ではない者のやさしい手◆

「よ。勇者のねーちゃん、まだいる?」

 明るい声を出して、扉を開けた。


 勇者のねーちゃんの部屋にゃ、侯爵令嬢とニコラが居た。


《リュカおにーちゃん》

 床に座っていたニコラが立ち上がり、その横に座っていたオレンジ色のぬいぐま・ゴーレムものっそりと体を起こす。

 部屋の端っこに、魔法絹布がある。広がった白い反物みたいなそれの前が、ニコラのいつもの場所だ。

 勇者のねーちゃんたちが異世界から還った時にすぐに気づけるよう、魔法絹布を見ながらクマ・ゴーレムと遊んでいるんだ。


《おそいよ。おねーちゃん、もう天界に行っちゃったよ》

 頬をふくらませ、肩を怒らせ、ニコラがオレを見上げる。

 全身が真っ白の幽霊だが、見かけも頭ん中も仕草もガキそのものだ。


「おかえりなさい、リュカさん」

 侯爵令嬢は机のとこに居た。

 学者のにーちゃんに代わって、書類の片付けをしてたようで。


「お兄様から、アンリエットおばさまがご無事だったことは伺いましたのよ」

 金髪のくるくるパーマ。スケベ貴族(あにき)とよく似た美少女が、おっとりと微笑む。

「アレッサンドロさんのお加減はいかがでした?」

「まあまあかな」

 (せいれい)八人はべらせて、ベッドでゴロゴロしてたぜ。


 オレのそばにニコラが歩み寄っていた。

 真っ白な大きな目で、不安そうにオレを見上げている。

 ニコラは『死』にナーバスだ。

 いつのまにか体が真っ白になって、一人ぼっちになっていた……前に、そんなことを言っていた。

 大好きなアンヌや、ジャンヌおねーちゃん、ジョゼおにーちゃんが死んだら嫌だ、とも。


 やめとけ、ニコラ。

 心配するだけ、無駄っつーの。

「呪いぐらいじゃ死なねえよ、あのモジャ髭男は」

 真っ白な頭を、軽く撫でてやった。

「今日一日たっぷり休みゃ、もとどおりなんじゃねーの」


 ニコラの顔が、ちょっぴり明るくなる。


 もっかい頭を撫でてやった。


「あらあらあら、まあまあまあ、そうですの。お元気でしたら、何よりですわ」

 金髪ねーちゃんは、ニコニコ笑顔だ。


「リュカさん。使徒様は、まだボーヴォワール邸(あちら)かしら?」

 ん?

「知らねー。今日は会ってねー」

「そうですの」

「あの僧侶に、用事?」

「アンリエットおばさまのことで、使徒様とアレッサンドロさんには、ほんとうにお世話になりましたもの。(わたくし)からもほんのささやかな喜捨をさせていただきたいと……そう思いましたの」

 口元に手をそえて、侯爵令嬢がコロコロと笑う。


 こいつは、誰に対しても愛想がいい。いつも笑顔だ。


 侯爵家令嬢であることも、美人なことも、魔法の才があることも、まったく鼻にかけていない……いや、鼻にかけたそぶりを絶対にみせない。

 わざわざ一歩も二歩も下がって、男をひたすら立てる。


 けど……腹ん中、読めねえんだよな、こいつ。

 兄貴の方は、すげえわかりやすいのに。


 なんか、こう……うさんくさい。

 見た目通りの気がしない。

 ま、勘なんだけど。


 勇者の義兄(あに)、この女と婚約してるんだよなあ。あの単細胞が、この女とねえ……まあ、貴族の結婚は、家同士の結びつきだ。二人の相性なんかどうでもいいんだろうけど。


「アレックスから、あんたに手紙」


「あらあらあら、まあまあまあ。アレッサンドロさんからお手紙? 嬉しいですわ。リュカさん、届けてくだすって、どうもありがとう」

 侯爵令嬢はにこやかに微笑み、オレから手紙を受け取った。

 で、小首を傾げる。

「そちらは?」


 胸元からのぞく、もう一つの封筒。オレはそいつを軽く叩いた。


「こっちは、別件。あんた宛じゃない」

 イカレた娘からイカレたパパへのお便りだ。発明家のおっさんに、あんな娘がいたとはびっくりだぜ。


「失礼して、拝見させていただきますわね」

 侯爵令嬢が、アレックスの手紙を開封する。



 視線をはずすと、ニコラの白いつむじとぶつかった。


 しょんぼりと頭を下げている。


 なんかなあ。


 昨日から元気ねーんだよな、こいつ。

 オレらがジパング界から還って来た時から、ちょいと挙動不審だった。けど、ありゃ、学者のにーちゃんのかーちゃんが病気だってのを、口止めされてたからで。勇者のねーちゃんにバラさねーよう、ニコラはかたくなってた。

 その後、情報解禁になって、何の憂いもなくなったはずなのに。

 話し合いの途中から、ボーッとしてたんだよな。

 席が隣だったから、気になってた。

 勇者のねーちゃんは天界に行っちゃいけねーって前はあんだけ言ってたのに、《おねえちゃんが、そうしたいんならいい……》とか投げやりで。

 言いたいことありますって顔や態度でアピールしつつ、口を閉ざしてた。


 ニコラがおかしくなったの、いつからだっけ?


 何の話をしてた時だ……?



「リュカさん」

 オレの思考を遮るかのように、金髪ねーちゃんが話しかけてくる。

「私、用事ができましたの。出かけてきますわ。ニコラくんの話し相手になっていていただけます?」

 そう言って、ねーちゃんがニコラを見る。

 オレも、白い幽霊を見た。


 うなだれたニコラは、つらそうに眉を寄せ、白い眼を床に落とし、唇を噛み締めている。


……実にわかりやすい。


 侯爵令嬢が、ちょいと媚びるような視線を送ってくる。『元気づけてあげて。私ではできなかったの』て感じに。


「しばらくお願いしますわね」

 侯爵令嬢は、部屋を出て行った。




 遊ぶか? って聞いたが、ニコラは首を縦に振らなかった。


 で、そのうち魔法絹布の前で膝を抱えて座り込んでしまった。


 その右横にゃ、オレンジのぬいぐまゴーレムががちょこんと座った。


 オレは()いている左横であぐらをかいた。床に(じか)座りだ。


 くまゴーレムが、ニコラの背中をポンポンと叩いている。しゃべれないこいつなりに、励ましてるんだろう。


 けど、オレは何も言わない。

 聞かない。

 いっしょに座り続けるだけだ。


 やることがねーんで、魔法絹布をボーッと見てた。


 魔法絹布にゃ、染められたように魔法陣が刻まれている。

 一番右端の魔法陣が、幻想世界とこの世界を繋ぐもの。その隣が精霊界、英雄世界、それからエスエフ界、ジパング界とつづいて……その隣に輪郭だけが朧げに浮かんでいるものがある。あれが、天界への魔法陣なのだろう。


 絹布にちゃんとした魔法陣模様ができるのは、勇者達が還って来てからだ。

 往復して初めて、召喚&送還ができる魔法陣として完成するらしい……まえに、うんちく好きの学者の兄ちゃんがそう言っていた。


 五つの魔法陣には似た模様が多い。今はぼんやりしている天界の魔法陣も、似たりよったりだろう。


《……リュカおにーちゃん》

「ん?」

《……つまんなくない?》

「つまんなくはねーよ」

 暇だけどな。

《……ムリしなくていいよ、ぼくなんかのために》

 一呼吸置いてから、ニコラは言葉を続けた。

《みんな、いそがしいんだ。アンヌも、ジャンヌおねーちゃんも、ジョゼおにーちゃんも、テオおにーちゃんも……たいへんなんだ。ぼく、知ってる。ちゃんとわかってる……ぼくは『男』だから、一人で待ってられる》


「バーカ」

 横にいるニコラの鼻を、きゅっとつまんだ。

「うぜーこと、言ってんじゃねーよ。ガキ。オレは居たいから、居るんだ」

《……でも》

「邪魔か?」

《ううん》

「んじゃ、居る」

《……うん》

「嬉しいか?」

《……うん》

「なら、嬉しそうな顔しろよ、バーカ」


 ニコラが、へらっと弱々しく笑った。


 そっから、どーでもいい話をした。


 女伯爵のばーさんの寝顔がかわいいだ、どんな話をしただ、腰がつらそうだから心霊治療をしてやってるだ……ニコラの話の大半はばーさんのことだ。


 ジパング界のことを聞きたがるから、話してやった。


「そいや、スケベ貴族、追い出されてこねえよなあ。ショボーンな顔見て笑ってやろうと思ってたんだけど、残念だ」

 魔法絹布を見ながら、言った。

「清らかなる者しか天界に入界できねえとか、嘘ばっかだよな? あの女コマシがおっけぇなら、誰でもいける。盗賊のオレでも天界入り出来たんじゃねーの?」

 

《……天界に行きたかった?》


「ん? いや。べっつに」


《どうして? 神さまや天使さまにお会いできるかもしれないのに?》


「ん〜」


 正直、神にも天使にも興味がない。

 聖教会なんざ、おふくろの葬儀でしか行ったことねえし。つーか……


「それどころじゃなかったってか。アレックスのバカが呪い返しで死にかけてたろ? いざって時は葬式ぐらい挙げてやりてぇから、どっか行く気なかったし」

《あ、そうか……そうだったよね……。アレッサンドロのおじちゃん元気になって、ほんとによかったよね》

「どんなにエライ奴でも、しょせんは知らねー奴だ。ンなのより、身内が優先だ」

 ニコラの目をまっすぐジーッと見つめて、言ってやる。

「おまえもだぞ? オレにゃ、天界の神さまより、こっちの仲間のがよっぽど大事だぜ」


 ニコラは真っ白な目を大きく見開き……


「つらいことあんなら、言ってみろ。オレでよけりゃ聞いてやるぜ」


 今にも泣き出しそうな顔で、オレを見た。


《リュカおにーちゃん……》


「オレ、今、暇なんだ。時間ならたっぷりある」


 ニコラが顔をふにゃっとゆがめる。

《ぼく……わるい子なんだ。ほんとに……。おにーちゃん、あきれちゃうよ……》


「心配すんな。オレは、おキレイなお貴族さま方とは違う。おまえにダメなとこがあっても、そんだけで嫌ったりしねえよ」


《……ほんと?》


「ケッ。みくびんなよ。オレだって、そうとうな(わる)だぜ? スリ、かっぱらい、詐欺の片棒……いろいろやってきた。……人を刺したこともある」


《え?》


 肩をすくめてみせた。

「ま、殺せなかったけどな」


《おにーちゃん……》


「オレがこわいか?」

 白い幽霊が大きく頭を横に振る。


 だから、笑って言ってやった。


「オレも、おまえは怖くねえよ。ニコラ、おまえはオレの弟分だ。デキが悪いとこは目をつぶって、かわいがってやるよ。兄貴分ってのは、そーいうもんだ」



* * * * * *



 リュカおにーちゃんも、ぼくが『人殺し』なのは知ってるよね?


 十三人殺したんだって。

 マルタンがそう言ってた。


 だけど、ぼく、よくおぼえてないんだ。


 ぼくね……ジョゼおにーちゃんたちに会うよりも前のこと、あんまり思い出せないんだ。

 窓から外を見て……春がきて、夏がきて、秋になって、冬がきて……何度も季節がめぐってたのは知ってた。

 だけど、どれぐらい経ってるのか、わからなかったし……何回季節がかわったのかおぼえられなかった。


 でも、ぼく……あともうちょっとで、ジョゼおにーちゃんまで殺すところだった。

 それは、おぼえてる。

 かすかに、だけど。


 マルタンは、ぼくを閉じ込めるって言ってた。

 フウインするって。

 だけど、ジョゼおにーちゃんたちが、ぼくをかばってくれて……

 ぼくはほんとうはいい子だ、ずーっとずーっと一人でガマンしてオルスバンしてたんだ、ジャレイさえ来なきゃ今もいい子のままだったって。

 ツミをおかしてしまったけれども、もうぜったい悪いことはしない。信じてあげようって。

 ぼくがまた悪いことしたら、おにーちゃんとおねーちゃんが責任をとって死ぬって……

 そこまで言ってくれたんだ。


 なのに、ぼく……


 ほんとうは、もっとまえから悪い子だったんだよ。



 思い出したんだ。


 昨日、ジャンヌおねーちゃんが言ったでしょ、『魔王と勇者があるかぎり、終わりなきあやまちがくりかえされるだけ』って。ブラック女神のウツワが言ったんだって。


 その言葉……ずーっとずーっと前に、聞いたことがあったんだ。


 いつかはわかんない。

 だけど、おじーさんが来たんだ。

 赤い服を着たおじーさんだった。


 やさしい笑顔で、

 神父さまみたいに、神さまの国のことを教えてくれた。


 ここにとどまってちゃいけない。

 神さまのもとへ行かなきゃダメだって。


 だけど、ぼく……おじーさんの手をはらったんだ。

 だって、アンヌに会いたかったんだ。

 神さまの国へ行きたかったけど、でも……神さまよりも、アンヌに会いたかったから。


 聖教会の教えを、ずっとまえに……ぼくはすててたんだ。



 そしたら、おじーさん、笑ったんだ。それまでとはぜんぜん違うおっかない顔で……笑ったんだ。


 その後のおじーさんの言葉……ふしぎなんだ、はっきり思い出せる。


『ならばとどまれ。ヨクボウにチュウジツであれ。人のゴウのままにまどい、オロかなる神のコトワリからのがれるがいい』


『イトシイ女とトワにありたければ、道は一つしかない。その願いをかなえる時、おまえはわしの(もの)となる』


『いずれ、むかえに来る。それまでは、他の者(そうりょ)の目にふれぬよう守ってやろう。ボウズ、忘れるな。魔王と勇者があるかぎり、終わりなきあやまちがくりかえされるだけじゃ。われらがわれらの力で正さねば、世界は変わらぬ。われらはくだらぬコトワリから自由にならねばならぬ』



* * * * * *



「……わかった」

 ポリポリと頬を掻いた。

「いつだかわかんねーけど、昔、ブラック女神の器って奴……えっと、あのイカレ僧侶の師匠の、エルマンって野郎に会ってたんだな? で、いずれ仲間にしてやると勧誘されたってわけ?」

 ニコラが頷く。


「そいつ、その後も、ちょっかい出して来たのか?」

《ううん》

 ニコラは、力なくかぶりをふった。

《……たぶん、そのあとは会ってないと思う》

 自信がなさそうだ。昔のこと、記憶が曖昧だって言ってたからな。


 百代目勇者の魔王退治の後、エルマンって奴、牢に閉じ込められたって話だった。

 てことは、ニコラがそいつに会ったのは、それよりも前……十二年以上前ってことか。


《だけど……ぼく……昨日、思い出しちゃったんだ》

 震えた声でニコラが言う。

《アンヌを殺して、ぼくと同じにすれば……さびしくなくなる……おじいさんはそう言ってた》

 暗い感情がにじみ出てきそうな声だ。

《やり方も教わった……今のぼくでも……やれる。今は、直接は人を殺せないけど……やろうと思えばやれる……方法があるんだ》


 オレはニコラを見つめた。


 白い幽霊は小刻みに震えている。

 ひどくおびえた表情で、顔をひきつらせて。


 この顔は知っている。

 見たことがある。

 下町で。

 大人の拳を恐れる、弱っちいガキの顔だ。

 殴られるとわかってても、逃げらんねえ。そんな奴が、たまにこんな情けねえ(ツラ)をしている。


 ニコラの視線を受け止めながら、オレはにやっと笑ってみせた。


「けど、やんねーんだろ?」


《やらないよ》

 ニコラは強い口調で言った。

《大好きなアンヌを殺すなんて……ぜったいやだ。それに、もう悪いことはしないって、ジョゼおにーちゃんと、ジャンヌおねーちゃんに誓ったんだもん……ぜったいやんないよ》


「だよなー」

 ニコラの頭をポンポンと撫でてやった。

「おまえ、『男』だもん。約束は守る。好きな女は泣かせねえ。ぜったいだ」


《リュカおにーちゃん》


「信じてるぜ」


《信じて……くれるの?》


 デコピンしてやった。


「ったりめーだろ。バーカ」


 顔をくしゃっとゆがめ、ニコラがオレに抱きついて来る。

 ありがとうと、何度も口にして。


 反対側にいたオレンジのクマ・ゴーレムが、ニコラの背にひしっと抱きつく。


 そのまんま三人で、しばらく抱き合っていた。



『……運命が揺らいでいるものがいる。その歪みが、全てを覆いつくしてゆく……。お嬢ちゃんの星に、陰りが落ちそうだ……。見るからに悩んでそうな奴や、落ち込んでる奴を見かけたら、優しい言葉をかけてやれ。おまえのその明るさを、分けてやって欲しい』


 出がけに、アレックスはンなことを言ってた。


 インチキ占い師のくせに、珍しく役立つ助言したじゃん――そう思った。

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