◆神ではない者のやさしい手◆
「よ。勇者のねーちゃん、まだいる?」
明るい声を出して、扉を開けた。
勇者のねーちゃんの部屋にゃ、侯爵令嬢とニコラが居た。
《リュカおにーちゃん》
床に座っていたニコラが立ち上がり、その横に座っていたオレンジ色のぬいぐま・ゴーレムものっそりと体を起こす。
部屋の端っこに、魔法絹布がある。広がった白い反物みたいなそれの前が、ニコラのいつもの場所だ。
勇者のねーちゃんたちが異世界から還った時にすぐに気づけるよう、魔法絹布を見ながらクマ・ゴーレムと遊んでいるんだ。
《おそいよ。おねーちゃん、もう天界に行っちゃったよ》
頬をふくらませ、肩を怒らせ、ニコラがオレを見上げる。
全身が真っ白の幽霊だが、見かけも頭ん中も仕草もガキそのものだ。
「おかえりなさい、リュカさん」
侯爵令嬢は机のとこに居た。
学者のにーちゃんに代わって、書類の片付けをしてたようで。
「お兄様から、アンリエットおばさまがご無事だったことは伺いましたのよ」
金髪のくるくるパーマ。スケベ貴族とよく似た美少女が、おっとりと微笑む。
「アレッサンドロさんのお加減はいかがでした?」
「まあまあかな」
女八人はべらせて、ベッドでゴロゴロしてたぜ。
オレのそばにニコラが歩み寄っていた。
真っ白な大きな目で、不安そうにオレを見上げている。
ニコラは『死』にナーバスだ。
いつのまにか体が真っ白になって、一人ぼっちになっていた……前に、そんなことを言っていた。
大好きなアンヌや、ジャンヌおねーちゃん、ジョゼおにーちゃんが死んだら嫌だ、とも。
やめとけ、ニコラ。
心配するだけ、無駄っつーの。
「呪いぐらいじゃ死なねえよ、あのモジャ髭男は」
真っ白な頭を、軽く撫でてやった。
「今日一日たっぷり休みゃ、もとどおりなんじゃねーの」
ニコラの顔が、ちょっぴり明るくなる。
もっかい頭を撫でてやった。
「あらあらあら、まあまあまあ、そうですの。お元気でしたら、何よりですわ」
金髪ねーちゃんは、ニコニコ笑顔だ。
「リュカさん。使徒様は、まだボーヴォワール邸かしら?」
ん?
「知らねー。今日は会ってねー」
「そうですの」
「あの僧侶に、用事?」
「アンリエットおばさまのことで、使徒様とアレッサンドロさんには、ほんとうにお世話になりましたもの。私からもほんのささやかな喜捨をさせていただきたいと……そう思いましたの」
口元に手をそえて、侯爵令嬢がコロコロと笑う。
こいつは、誰に対しても愛想がいい。いつも笑顔だ。
侯爵家令嬢であることも、美人なことも、魔法の才があることも、まったく鼻にかけていない……いや、鼻にかけたそぶりを絶対にみせない。
わざわざ一歩も二歩も下がって、男をひたすら立てる。
けど……腹ん中、読めねえんだよな、こいつ。
兄貴の方は、すげえわかりやすいのに。
なんか、こう……うさんくさい。
見た目通りの気がしない。
ま、勘なんだけど。
勇者の義兄、この女と婚約してるんだよなあ。あの単細胞が、この女とねえ……まあ、貴族の結婚は、家同士の結びつきだ。二人の相性なんかどうでもいいんだろうけど。
「アレックスから、あんたに手紙」
「あらあらあら、まあまあまあ。アレッサンドロさんからお手紙? 嬉しいですわ。リュカさん、届けてくだすって、どうもありがとう」
侯爵令嬢はにこやかに微笑み、オレから手紙を受け取った。
で、小首を傾げる。
「そちらは?」
胸元からのぞく、もう一つの封筒。オレはそいつを軽く叩いた。
「こっちは、別件。あんた宛じゃない」
イカレた娘からイカレたパパへのお便りだ。発明家のおっさんに、あんな娘がいたとはびっくりだぜ。
「失礼して、拝見させていただきますわね」
侯爵令嬢が、アレックスの手紙を開封する。
視線をはずすと、ニコラの白いつむじとぶつかった。
しょんぼりと頭を下げている。
なんかなあ。
昨日から元気ねーんだよな、こいつ。
オレらがジパング界から還って来た時から、ちょいと挙動不審だった。けど、ありゃ、学者のにーちゃんのかーちゃんが病気だってのを、口止めされてたからで。勇者のねーちゃんにバラさねーよう、ニコラはかたくなってた。
その後、情報解禁になって、何の憂いもなくなったはずなのに。
話し合いの途中から、ボーッとしてたんだよな。
席が隣だったから、気になってた。
勇者のねーちゃんは天界に行っちゃいけねーって前はあんだけ言ってたのに、《おねえちゃんが、そうしたいんならいい……》とか投げやりで。
言いたいことありますって顔や態度でアピールしつつ、口を閉ざしてた。
ニコラがおかしくなったの、いつからだっけ?
何の話をしてた時だ……?
「リュカさん」
オレの思考を遮るかのように、金髪ねーちゃんが話しかけてくる。
「私、用事ができましたの。出かけてきますわ。ニコラくんの話し相手になっていていただけます?」
そう言って、ねーちゃんがニコラを見る。
オレも、白い幽霊を見た。
うなだれたニコラは、つらそうに眉を寄せ、白い眼を床に落とし、唇を噛み締めている。
……実にわかりやすい。
侯爵令嬢が、ちょいと媚びるような視線を送ってくる。『元気づけてあげて。私ではできなかったの』て感じに。
「しばらくお願いしますわね」
侯爵令嬢は、部屋を出て行った。
遊ぶか? って聞いたが、ニコラは首を縦に振らなかった。
で、そのうち魔法絹布の前で膝を抱えて座り込んでしまった。
その右横にゃ、オレンジのぬいぐまゴーレムががちょこんと座った。
オレは空いている左横であぐらをかいた。床に直座りだ。
くまゴーレムが、ニコラの背中をポンポンと叩いている。しゃべれないこいつなりに、励ましてるんだろう。
けど、オレは何も言わない。
聞かない。
いっしょに座り続けるだけだ。
やることがねーんで、魔法絹布をボーッと見てた。
魔法絹布にゃ、染められたように魔法陣が刻まれている。
一番右端の魔法陣が、幻想世界とこの世界を繋ぐもの。その隣が精霊界、英雄世界、それからエスエフ界、ジパング界とつづいて……その隣に輪郭だけが朧げに浮かんでいるものがある。あれが、天界への魔法陣なのだろう。
絹布にちゃんとした魔法陣模様ができるのは、勇者達が還って来てからだ。
往復して初めて、召喚&送還ができる魔法陣として完成するらしい……まえに、うんちく好きの学者の兄ちゃんがそう言っていた。
五つの魔法陣には似た模様が多い。今はぼんやりしている天界の魔法陣も、似たりよったりだろう。
《……リュカおにーちゃん》
「ん?」
《……つまんなくない?》
「つまんなくはねーよ」
暇だけどな。
《……ムリしなくていいよ、ぼくなんかのために》
一呼吸置いてから、ニコラは言葉を続けた。
《みんな、いそがしいんだ。アンヌも、ジャンヌおねーちゃんも、ジョゼおにーちゃんも、テオおにーちゃんも……たいへんなんだ。ぼく、知ってる。ちゃんとわかってる……ぼくは『男』だから、一人で待ってられる》
「バーカ」
横にいるニコラの鼻を、きゅっとつまんだ。
「うぜーこと、言ってんじゃねーよ。ガキ。オレは居たいから、居るんだ」
《……でも》
「邪魔か?」
《ううん》
「んじゃ、居る」
《……うん》
「嬉しいか?」
《……うん》
「なら、嬉しそうな顔しろよ、バーカ」
ニコラが、へらっと弱々しく笑った。
そっから、どーでもいい話をした。
女伯爵のばーさんの寝顔がかわいいだ、どんな話をしただ、腰がつらそうだから心霊治療をしてやってるだ……ニコラの話の大半はばーさんのことだ。
ジパング界のことを聞きたがるから、話してやった。
「そいや、スケベ貴族、追い出されてこねえよなあ。ショボーンな顔見て笑ってやろうと思ってたんだけど、残念だ」
魔法絹布を見ながら、言った。
「清らかなる者しか天界に入界できねえとか、嘘ばっかだよな? あの女コマシがおっけぇなら、誰でもいける。盗賊のオレでも天界入り出来たんじゃねーの?」
《……天界に行きたかった?》
「ん? いや。べっつに」
《どうして? 神さまや天使さまにお会いできるかもしれないのに?》
「ん〜」
正直、神にも天使にも興味がない。
聖教会なんざ、おふくろの葬儀でしか行ったことねえし。つーか……
「それどころじゃなかったってか。アレックスのバカが呪い返しで死にかけてたろ? いざって時は葬式ぐらい挙げてやりてぇから、どっか行く気なかったし」
《あ、そうか……そうだったよね……。アレッサンドロのおじちゃん元気になって、ほんとによかったよね》
「どんなにエライ奴でも、しょせんは知らねー奴だ。ンなのより、身内が優先だ」
ニコラの目をまっすぐジーッと見つめて、言ってやる。
「おまえもだぞ? オレにゃ、天界の神さまより、こっちの仲間のがよっぽど大事だぜ」
ニコラは真っ白な目を大きく見開き……
「つらいことあんなら、言ってみろ。オレでよけりゃ聞いてやるぜ」
今にも泣き出しそうな顔で、オレを見た。
《リュカおにーちゃん……》
「オレ、今、暇なんだ。時間ならたっぷりある」
ニコラが顔をふにゃっとゆがめる。
《ぼく……わるい子なんだ。ほんとに……。おにーちゃん、あきれちゃうよ……》
「心配すんな。オレは、おキレイなお貴族さま方とは違う。おまえにダメなとこがあっても、そんだけで嫌ったりしねえよ」
《……ほんと?》
「ケッ。みくびんなよ。オレだって、そうとうな悪だぜ? スリ、かっぱらい、詐欺の片棒……いろいろやってきた。……人を刺したこともある」
《え?》
肩をすくめてみせた。
「ま、殺せなかったけどな」
《おにーちゃん……》
「オレがこわいか?」
白い幽霊が大きく頭を横に振る。
だから、笑って言ってやった。
「オレも、おまえは怖くねえよ。ニコラ、おまえはオレの弟分だ。デキが悪いとこは目をつぶって、かわいがってやるよ。兄貴分ってのは、そーいうもんだ」
* * * * * *
リュカおにーちゃんも、ぼくが『人殺し』なのは知ってるよね?
十三人殺したんだって。
マルタンがそう言ってた。
だけど、ぼく、よくおぼえてないんだ。
ぼくね……ジョゼおにーちゃんたちに会うよりも前のこと、あんまり思い出せないんだ。
窓から外を見て……春がきて、夏がきて、秋になって、冬がきて……何度も季節がめぐってたのは知ってた。
だけど、どれぐらい経ってるのか、わからなかったし……何回季節がかわったのかおぼえられなかった。
でも、ぼく……あともうちょっとで、ジョゼおにーちゃんまで殺すところだった。
それは、おぼえてる。
かすかに、だけど。
マルタンは、ぼくを閉じ込めるって言ってた。
フウインするって。
だけど、ジョゼおにーちゃんたちが、ぼくをかばってくれて……
ぼくはほんとうはいい子だ、ずーっとずーっと一人でガマンしてオルスバンしてたんだ、ジャレイさえ来なきゃ今もいい子のままだったって。
ツミをおかしてしまったけれども、もうぜったい悪いことはしない。信じてあげようって。
ぼくがまた悪いことしたら、おにーちゃんとおねーちゃんが責任をとって死ぬって……
そこまで言ってくれたんだ。
なのに、ぼく……
ほんとうは、もっとまえから悪い子だったんだよ。
思い出したんだ。
昨日、ジャンヌおねーちゃんが言ったでしょ、『魔王と勇者があるかぎり、終わりなきあやまちがくりかえされるだけ』って。ブラック女神のウツワが言ったんだって。
その言葉……ずーっとずーっと前に、聞いたことがあったんだ。
いつかはわかんない。
だけど、おじーさんが来たんだ。
赤い服を着たおじーさんだった。
やさしい笑顔で、
神父さまみたいに、神さまの国のことを教えてくれた。
ここにとどまってちゃいけない。
神さまのもとへ行かなきゃダメだって。
だけど、ぼく……おじーさんの手をはらったんだ。
だって、アンヌに会いたかったんだ。
神さまの国へ行きたかったけど、でも……神さまよりも、アンヌに会いたかったから。
聖教会の教えを、ずっとまえに……ぼくはすててたんだ。
そしたら、おじーさん、笑ったんだ。それまでとはぜんぜん違うおっかない顔で……笑ったんだ。
その後のおじーさんの言葉……ふしぎなんだ、はっきり思い出せる。
『ならばとどまれ。ヨクボウにチュウジツであれ。人のゴウのままにまどい、オロかなる神のコトワリからのがれるがいい』
『イトシイ女とトワにありたければ、道は一つしかない。その願いをかなえる時、おまえはわしの力となる』
『いずれ、むかえに来る。それまでは、他の者の目にふれぬよう守ってやろう。ボウズ、忘れるな。魔王と勇者があるかぎり、終わりなきあやまちがくりかえされるだけじゃ。われらがわれらの力で正さねば、世界は変わらぬ。われらはくだらぬコトワリから自由にならねばならぬ』
* * * * * *
「……わかった」
ポリポリと頬を掻いた。
「いつだかわかんねーけど、昔、ブラック女神の器って奴……えっと、あのイカレ僧侶の師匠の、エルマンって野郎に会ってたんだな? で、いずれ仲間にしてやると勧誘されたってわけ?」
ニコラが頷く。
「そいつ、その後も、ちょっかい出して来たのか?」
《ううん》
ニコラは、力なくかぶりをふった。
《……たぶん、そのあとは会ってないと思う》
自信がなさそうだ。昔のこと、記憶が曖昧だって言ってたからな。
百代目勇者の魔王退治の後、エルマンって奴、牢に閉じ込められたって話だった。
てことは、ニコラがそいつに会ったのは、それよりも前……十二年以上前ってことか。
《だけど……ぼく……昨日、思い出しちゃったんだ》
震えた声でニコラが言う。
《アンヌを殺して、ぼくと同じにすれば……さびしくなくなる……おじいさんはそう言ってた》
暗い感情がにじみ出てきそうな声だ。
《やり方も教わった……今のぼくでも……やれる。今は、直接は人を殺せないけど……やろうと思えばやれる……方法があるんだ》
オレはニコラを見つめた。
白い幽霊は小刻みに震えている。
ひどくおびえた表情で、顔をひきつらせて。
この顔は知っている。
見たことがある。
下町で。
大人の拳を恐れる、弱っちいガキの顔だ。
殴られるとわかってても、逃げらんねえ。そんな奴が、たまにこんな情けねえ面をしている。
ニコラの視線を受け止めながら、オレはにやっと笑ってみせた。
「けど、やんねーんだろ?」
《やらないよ》
ニコラは強い口調で言った。
《大好きなアンヌを殺すなんて……ぜったいやだ。それに、もう悪いことはしないって、ジョゼおにーちゃんと、ジャンヌおねーちゃんに誓ったんだもん……ぜったいやんないよ》
「だよなー」
ニコラの頭をポンポンと撫でてやった。
「おまえ、『男』だもん。約束は守る。好きな女は泣かせねえ。ぜったいだ」
《リュカおにーちゃん》
「信じてるぜ」
《信じて……くれるの?》
デコピンしてやった。
「ったりめーだろ。バーカ」
顔をくしゃっとゆがめ、ニコラがオレに抱きついて来る。
ありがとうと、何度も口にして。
反対側にいたオレンジのクマ・ゴーレムが、ニコラの背にひしっと抱きつく。
そのまんま三人で、しばらく抱き合っていた。
『……運命が揺らいでいるものがいる。その歪みが、全てを覆いつくしてゆく……。お嬢ちゃんの星に、陰りが落ちそうだ……。見るからに悩んでそうな奴や、落ち込んでる奴を見かけたら、優しい言葉をかけてやれ。おまえのその明るさを、分けてやって欲しい』
出がけに、アレックスはンなことを言ってた。
インチキ占い師のくせに、珍しく役立つ助言したじゃん――そう思った。




