天使なら、だいじょーぶ!
『天界……
神々しい光に包まれた、果てなく続く雲の海の世界。
そこには、人の世に付き物の老いも病も貧困もなく、ありとあらゆる幸福だけが満ち溢れている。
この地におわすのは、尊き神々、清らかな天使、聖地を守る聖獣たち。
嗚呼、誰しも、輝かんばかりにお美しく見える。地上の美男美女など霞んでしまうほどに。
入界を許された私は、信仰心に篤い者とみなしていただけたということか。
天界で生きること、眠ることを許されるのは、無辜なる魂だけなのだから』
と、『勇者の書 24――フランシス』には書いてあった。
フランシス先輩によると、天界はSランクの神様達の交流場所なのだそうだ。
多目的空間といっていい。
神様の修行場、神様用宿泊・温泉・レジャー施設、サロン、図書館、裁判所、神聖アイテム製造工房、天使の職安等があるのだそうだ。
天界神とその御使い役の天使を除けば、その他の神様は来客。自分の世界から天界に遊び(レジャー)に来ているのだとか。
そう聞くと、有難みが失せるものの……
俗っぽかろうが何だろうが、天界に居るのはSランクの神様ばかりなわけで! あとは、神様に仕える天使! 神獣!
仲間にできれば心強い、聖なるものばかりなのだ。
それに、天界の修行場を使わせてもらえれば……
もしかして、もしかすると! ものすご〜く強かったって伝説に残っているフランシス先輩のように、アタシはなれるかもしれない!
天界には何としても、入界したい!
その為には、試練を乗り越え、楽園入界の許可をもらわなきゃ!
「命の危険を感じても、決して武器をとってはならぬ。精霊を出すのも、駄目だ。あるがままの試練を、ただ受け入れるのだ」
転移前に、お師匠様は平坦な声でそう言った。
「邪な者は、神の試練には耐えられぬとの事。何が何でも入界したいという姿勢を貫くのだ。挫けず、堅い意志を持ち続ければ、やがて道は開けよう」
アタシや仲間たち――クロード、シャルル様、アラン、エドモンは、頷きを返し……
そして、今……
アタシは、たちすくんでいるのだ。
まばゆいばかりの光が目を射し、何も見えない。
ギラギラの太陽を直視しちゃったみたいだ。
まぶしくって目がチカチカしてる。
ゴォォォォーンって感じの荘厳な音楽が鳴り響いている。
讃美歌と鐘の音と管弦楽をごっちゃにした感じ。
ボリューム大きすぎ。頭が割れそう! 落雷のような激しいそれに体の中まで揺さぶられている。
香りもキツイ。
花のような? お香のような? 甘い香りが漂っている。
だけど、匂いが濃すぎてむわっとしている。
香水もそうだけど、いい匂いはちょっと漂うからいいのであって、度を越すとそれは、ただの悪臭……
何も見えない。
うるさい。
臭い。
アタシは目を閉じてうつむき、耳を閉ざし、なるべく鼻から息を吸わないようにした。
《百一代目勇者様。過度なストレスは、脳細胞を萎縮させます》
絶対出てくるな! と厳命しておいた水精霊が、契約の証の指輪から話しかけてくる……
《苦しい時こそ、笑ってください。笑いによって、ホルモンバランスが整います。脳の活性化が促され、血流が安定化し、ひいては寿命の延長が、》
やかましい! 今、大笑いなんかできるか!
《では、泣いてください。笑いとは逆ですが、鬱屈させることなく、激しい感情を発露させることで、心身をリラックスさせられるのです。免疫システムが向上し、ひいては寿命の延長が、》
黙れ! あんたの御託聞いてると、よけいイライラするわッ!
「これが、招かれざる者を追い払う試練……」
シャルル様のお声がとっても小さく聞こえた。遠くの人の声を聞いてる感じ。
天界からの刺激が強すぎて、それ以外のものがよくわからないんだ。
「うきゃ」とか「ひぃぃん」とか「ジャンヌぅぅ」とか泣き言漏らしている奴がいるような気もする……けど、助けてあげらんない。アタシにも余裕がないのよ。耐えて、クロード。あんたも、男の子でしょ!
《汝ら、天の門をくぐる資格あるや否や》
勇ましい行進曲みたいのが頭に割り込んできて、大声が響いた。耳元でがなりたてられてるみたい。男の人の声だ。
目をうすく開けてみた。
ちょっと遠くに、アーチ状の大きな門が忽然と浮かんでいる。
まばゆく輝く世界の中には、他には何もない。建物も塀もないのに無いのに、門だけがあるのだ。
その前に、ふよふよ浮いているものがあるような……
まぶしすぎてよく見えないけど、門番の天使だろうか?
《何ゆえに、門をくぐるを望むか?》
「百一代目勇者ジャンヌです! 魔王を倒す為、十二の世界から仲間を集めています! 天界には、仲間探しと修行に来ました! ご助力ください!」
門がカーッ! と輝き、光の奔流が生まれた。
光は一気に駆け、アタシの体を突き抜けてゆく。
容赦なく、荒っぽく、体の中を揺さぶってから。
ドド〜ンって感じに光が通り過ぎると……
急に楽になった。
辺りからギラついた眩しさはなくなり、うるさかった音楽はやみ、くさい匂いも消えた。
アタシは目を開けた。
まだはっきりとは見えないんだけど、目を開けられる。
音楽は消えたわけじゃない。耳障りじゃないぐらい、低い音量になったようだ。
多分、匂いも残ってるんだろうけど、鼻がバカになってるからさっぱりわかんない。
《百一代目勇者ジャンヌならびにその一行よ、汝らの心を見た。勇者の言葉に偽りはなし。天界の門をくぐるにふさわしき者たちよ、入界を許可する》
そう言ったのは……
信じられないくらい可愛らしい方だった……
《人間たちよ、吾に従うがいい》
頭上に輪。
背中には、白い翼。
翼をはためかせ、宙に浮かんでいるのは、天使だ。
聖歌隊みたいな白い衣装を着ている。
愛らしい笑みを浮かべるお顔に、キュゥゥゥンとなった。
だって、だって、だって……
ぷにぷに、なんだもん!
胸がキュンキュンした!
心の中でリンゴ〜ンと鐘が鳴る。
欠けていたものが、ほんの少し埋まっていく、あの感覚がした。
《あと四十五〜 おっけぇ?》
と、内側から神様の声がした。
いや〜ん、かぁわぁいぃ〜〜〜〜天使ちゃん!
マシュマロほっぺ!
ふわふわの金の巻き毛は、羽毛のよう!
おめめは、こぼれそうなほど大きいし!
まつげ長いし!
さがり眉だし!
ニコーって笑うお顔は、清らかで……
ああああ! 抱き上げて、頬ずりしたい!
どー見ても、いたいけな赤ちゃんよ!
白い衣装も、ベビードレスみたい!
「あの天使を仲間にしたのか……」
お師匠様がポツリとつぶやくと、
「え?」
「え?」
シャルル様とアランが、二人してアタシを見つめた。
「ジャンヌさん、あの天使様に萌えられたのですか?」
「萌えましたけど?」
見た目は赤ちゃんだけど、天使だから問題ないんでは?
「なにかマズイでしょうか?」
「いえ……意外でしたので」
「対象外かと……」
シャルル様が眉をしかめ、アランも探るようにアタシを見つめる。
むぅ?
「うわ、うわ、うわ〜」
幼馴染も、とっても興奮している。祈るように手を組み合わせ、目はキラキラ、頬は真っ赤だ。
「かっけぇぇ!」
「かっこいい?」
あの赤ちゃん天使が?
「うん!」
クロードが力強くうなずく。
「キラキラのギンギラのド迫力! さっすがだよねー!」
へ?
どこが?
ぷにぷにの、ぽわぽわなんじゃ?
「でも、ちょっと……目のやり場にこまるよね……」
口元に苦笑い。
そっと目をそらしながら、幼馴染は言葉を続けた。
「……裸だから」
はい?
はだ……か?
アタシは天使ちゃんを、ジーッと見つめた。
天使は、小さな翼を羽ばたかせ、門の前で滞空している。
……着てるわよね。聖歌隊の短白衣のような、ベビードレスのような、白い服を。
頭がとっても大きい。三頭身ぐらい? 手足も短いから、脱いでも、赤ちゃん、赤ちゃんしてるだけよね。
……ふと思った。
そいや、天使って、両性具有なんだっけっと。
付いてるのかなあ?
などと、アタシが思った時だった。
天使ちゃんから、パッ! と衣装が消えたのは。
はぅぅぅ! 全裸!
お腹、ぽっこり!
手足、ボンレスハム!
そして、そして! あそこは!
……男の子でした。
「いやぁん」
恥ずかしくなって、両手で顔を隠した。赤ちゃんのだけど……見ちゃった。
……胸がドキドキしてる。
「クロード君、確認したい」
シャルル様が、いつになく真面目な顔で聞く。
「君の目には……天使様が……一糸まとわぬ姿に見えているのかね?」
「……です」
クロードは、真っ赤な顔で頷いた。
「アタシの目にも、そう見えてます。さっきまでは、服、着てたんですけど、今じゃ、裸。……服を脱いじゃったみたいで」
「天使様が、服を脱ぐ……?」
シャルル様とアランとエドモン。
三人はびっくりしたように目を丸め、それぞれ違う方向へと顔をそむけた。
シャルル様は口元をハンカチで覆われて、うつむき加減に。
アランは、居心地が悪そうに、上を見上げて。
エドモンは、不機嫌そうに下唇をつきだして、横を向いた。
む?
「相手が裸に見えていては、会話に支障をきたしかねぬ。全員、着衣の姿を想像しろ」
想像する?
「どうしてです?」
「御姿が変化する」
お師匠様が、淡々と言う。
「天界におわす神族・天使族・神獣族は、不滅の物質から構成されている不死なる存在だ。天界の住人は霊的な存在であり、血肉はお持ちではない」
はぁ。
「ゆえに、天界の住人の御姿は、対峙した者の想像に所以する」
えっと……?
お師匠様のすみれ色の瞳が、アタシを見る。
「おまえの目には、門の前の天使がどのように見えている?」
「金の巻き毛の赤ちゃん天使……です」
「「「「え?」」」」
仲間達が、意外そうな声をあげる。
「ジャンヌが見ているのは、ジャンヌが思い描いた理想の天使像だ。シャルル殿はシャルル殿の天使像を見、クロードはクロードなりの天使像を見る。それぞれの目に違う姿に見えているのだ」
えーっ!
「ジャンヌさんの目には、あの見目麗しい乙女が赤子に見えているのですか……」
「俺の目には、五才ぐらいの幼女に見えますが……」
「……ジュネに、よく似ている。……む、胸がある、が」
「え〜 うっそ! 使徒様じゃないの?」
ちょっと待て! 今、一人、妙なイメージ持ってるヤツがいなかったか?
「天使を、ジャンヌは無垢な赤子のイメージでとらえ、アランはいたいけな幼児、シャルル殿やエドモンは理想的な女性と見ているのであろう」
「……たしかに、ジュネより綺麗な奴など、見たことはない。が、しかし……そんな目では、おれは、い、いちども、」
もごもごつぶやき続ける農夫の人は、とりあえずおいといて!
「クロードは、『神に仕えるもの』というイメージから、マルタンを連想したのだな」
むぅぅ……嫌な想像だわ……。
「お師匠様には、あの天使様は、どんな風に見えてるんです?」
尋ねると、お師匠様は微かに目を細めた。
「……白い服の少女だ」
ふーん。
すっぽんぽんじゃないのか。
「性に囚われない清らかな存在、両性具有である為か、天使には裸体のイメージがつきまとう。しかし、着衣の天使像も、世に流布している。想像は難しくないはずだ」
着衣の天使……
アタシは、天使ちゃんをあらためて見つめた。
見れば見るほど……愛くるしい赤ちゃんだわ。
むちむち、むにむに。
しもぶくれのお顔、二重あご、ぽこんと出たお腹、ぽてぽての手足。
そして、ちっちゃくって可愛い、男の子の……
ああ! 駄目よ、ジャンヌ! そこに注目しちゃいけないわッ、乙女として!
と、思ったら、そこがポコンと白いモノに包まれた。
オムツ……
白いおムツだけを穿いた天使ちゃん……
腰のとこが、不格好に丸くふくれてる……
いやぁん、かわいいーーーー!
「うわ、うわ、うわぁ〜 さっすが、使徒様! かっけぇぇ! 潔いぃぃ〜!」
クロードがすっとんきょうな声をあげる。
「葉っぱだ!」
葉っぱ……?
葉っぱが、なにで、どう……?
………
やめよう。
……絶対、想像しない方がいい。うん……。
赤ちゃんにしか見えない方が、威厳あふれる声で尋ねてくる。
《汝ら、天界のいずこに赴くことを望む?》
いずこ……?
う〜ん……
「行き先はお任せします。勇者の仲間となることを快諾してくださりそうな、すっごく強い方々とお会いしたいのです。可能でしょうか?」
《可能である。案内しよう》
「天使様。先ほど、勇者ジャンヌはあなたに萌えました。四十八日後の魔王戦で、共に戦っていただきたい」と、お師匠様。
そうね。それ、頼んでおかないと。
こ、こんな可愛い方が戦えるのか疑問だけど……
天使だから、きっと大丈夫よね!
《可能である。魔と対峙するは光の宿命。汝らと共に吾は戦おう》
むぅ。
天使ちゃんってば、古風すぎる。
レイやヨリミツ君みたいだわ。
赤ちゃんがジジイ口調なのは、ギャップ萌えではあるけど……いまいち合ってないなあ。
もうちょっとラブリーな口調のがいいのに。
と、がっかりしたら……
《じゃ、アンナイちまちゅね。みなちゃーん、ボクちゃんの、ちょばまで、キてくらちゃ〜い♪》
びっくりした!
赤ちゃん言葉!
これも、実体がないから?
アタシ次第で外見どころか言葉使いまで変わっちゃうわけ?
この赤ちゃん語、たぶんアタシにだけ聞こえてる……のよね? みんなには、違うしゃべり口調が伝わってるんだろう。
うん、まあ……
似合ってるから、いいけど。
「はい、使徒様! マッハでおそばに参ります!」
だから! 天使ちゃんはマルタンじゃないッ!
想像させんなッ!
ん?
そういうえば……
「天使様、お名前は?」
伺ってなかった。
《キュービーでしゅ〜》
天使ちゃんが、ニコ〜と笑って、お口を動かす。
《キューちゃんって、よんでくらしゃい》
おっぱいを吸う赤ちゃんみたいに、ムニュムニュと。
《ね?》
う!
……アタシのハートに、ずっきゅんと何かが突き刺さった。
魂の奥深いところが揺さぶられてしまったのだ……
胸がキュンキュンキュンキュン鳴った!
鳴り響いてしまった!
キューちゃん、かわいいぃぃぃ!
抱きしめたい!
頬ずりしたい!
もにゅもにゅしたいッ!
と、そこで。
光輝く雲の世界。道の真ん中にデンと浮かぶでっかい門。
そこが重々しくギギギーと開き……
中からキューちゃんが現れる……
あれ?
門の外にキューちゃん、中からもキューちゃん?
ダブル、キューちゃん。同じ顔、同じ三頭身、同じ天使の輪と翼、同じ白オムツ……
《キューちゃん、コウタイにキまちたよ〜》
《ありがとー ガブルエルちゃん》
ひしっと抱き合う、赤ちゃん天使たち……
はふぅぅぅぅ!
まるっこいお肉とお肉が、ぶつかりあってる♪
ラブリー!
胸がキュンキュンして、キュンキュンした!
だけど……
心の中でリンゴ〜ン鐘が鳴らない。
もしかして……ジョブ被り?
天使はもう仲間にいるから、これ以上増やせないとか?
……そんな気もする。
どうせ萌えるなら、大天使様の方が良かった?
……あ〜 いやいやいや! キューちゃんは可愛いし! とりあえず、後悔はないッ!
「同じ御姿……ですね?」
口元をハンカチで覆いながら、シャルル様は天使ちゃんの抱擁シーンに注目していた。
「おまえの想像力故だ。イメージに差異が生じない限り、どの天使も同一形態に映るだろう」
へー
「意識して差別化をはからねば、神々や神獣も同じ姿に見えるかもしれぬ」
て、ことは、天界は……
アタシにとっては、赤ちゃん天国!
シャルル様には、乙女天国!
エドモンには、ジュネさん天国!
アランには、美幼女天国……。アラン、あなたがそんな趣味だったなんて……アタシ的には、ちょっと残念だけど……まあ、兆候はあったわよね。ジパング界で、子供たちと仲良くしたそうだったし……。
若干一名の天界は、想像したくもない! 使徒様だらけの天界なんて……しかも、葉っぱぁ?……いやぁぁ! 天国じゃない! 地獄よ!
《ではでは、イドウちま〜す。みなちゃんのトウチャクを、おまちちてた、カミちゃまたちのもちょへ、まじゅは、イきまちょ〜ね♪》
天使ちゃんが、ヤバいぐらいにどんどん軽くなってゆく……
て……
『みなちゃんのトウチャクを、おまちちてたカミちゃま』?
神々がアタシたちが来るのを待っていた?
どういうこと?
質問したかったけど、できなかった。
目に見えぬ力にぐぅぅんと引っ張られ……
アタシたちは、天界の門の中へと吸い込まれて行った……




